連載小説
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06.蟻さんの号泣
 巣に来て六日目。僕は部屋で屈伸を行い、それから立ち上がって何度か飛び跳ねた。
「よし」
異常無し。骨が突き出た傷の跡は残っているものの、完治と言っていい具合だ。
 これで、町へ戻ることが出来る。懐に入れたこの薬草を持って帰って、弟の病気を治す
んだ。
「……」
これからすることを考えると、少し胸が痛む。きっと正直に訳を話しても蟻たちは僕を解
放してはくれないだろうし、こっそり抜け出して逃げるしかない。善意で僕のことを助け
てくれた上に、女性としての好意を持ってくれている彼女たちを裏切るような形になるの
は辛い。魔物とはいえ彼女たちはどんな時も真面目で、そして明るく魅力的だった。
 それでも、僕は弟を救わなければならない。その結果皆から恨まれることになっても、
甘んじて受け入れよう。
 部屋の隅にまとめていた装備を身に付けて、そっと外の様子を伺った。昨日の騒動で扉
は外れたままだ。
 この時間は皆労働に出ていて、地下三階の廊下には誰もいない。忍び足で廊下を進み、
中央の螺旋階段へと続く扉を開いた。ここの扉は立て付けが悪く開閉の度に軋む音がする
が、こればかりは仕方がない。
 扉を開けた瞬間、僕は四階を作る為の採掘班に声をかけられることを覚悟していた。し
かし、予想とは裏腹に中央階段には誰の姿もない。今日は皆外に出ているのだろうか?
 原因は分からないが、僕にとって好都合なのは確かだ。堅い土の階段を素早く駆け上が
り、最上段の扉を開く。眩しい一点の陽の光が、木々の間からこぼれ落ちていた。
 巣の入り口の扉を閉めて、懐から小さなコンパスを取り出した。方角は東。真っ直ぐ進
んで森を抜ければ、後はどうにでもなるはずだ。
 そうして一歩森へと足を踏み出したその瞬間。後ろから、聞き慣れた少女の声が聞こえ
た。
「レイ君」
足を止めてゆっくりと振り向くと、そこには見慣れた彼女たちの姿。勢揃いした蟻たちは、
皆悲しそうな顔で僕のことを見つめている。
 どうやら、待ち伏せされていたようだ。
「どこに行くつもりなの?」
アイが先頭に進み出て、起伏のない平坦な声で尋ねてきた。僕はそれに対し、腰の剣を抜
くことで応える。
「どうして黙って出て行こうとするの?」
「……」
「どうして何も言ってくれないの?」
「……ごめん」
小さく、しかしはっきりと拒絶の言葉を口に出した。それを聞いた蟻たちは皆顔を歪ませ、
まるで感情を爆発させるように大声で泣き始めた。
「あほー! レイ君のあほー!」
「卑怯者ーっ! 蟻たらしー!」
子供のようにわんわん泣きじゃくり、僕を責める蟻たち。当然の成り行きだ。僕は黙って
それを受け入れた。
「何で何も言わないで出てくんだよーばかー!」
「あほレイーっ、あほーっ!」
いつも笑っていたトーコまでもが顔をくしゃくしゃにして号泣している。その姿に、心が
痛む。
 そんな中、涙と鼻水でくしゃくしゃになったナナが一人歩み出てきた。
「レッ、レイ君、私たちが、何も知らないと、思ってるんですかっ!」
「……どういうこと?」
「レイ君が、この森に、はびっ、入った理由は、聞いてますっ! ぞれっ、それにっ、一
昨日、何かの草をっ、大事そうに、採取してたのだって、皆から聞いたっ!」
そこまで言って、ナナは腰にひっかけた手拭いで鼻を強くかんだ。ずびびびびーっと、女
の子にあるまじき爆音が響く。
「そこまで知ってれば、今日こうなるのも、分かってたっ!」
そう言い切って、ナナはへたり込んでぴーぴー泣き始めた。
「……分かってるなら、尚更だよ。僕は、どうしても町へ帰らなきゃいけないんだ」
「なんにも分かってないっ!」
泣き始めたナナに代わって、次はアイが叫ぶ。目を真っ赤に腫らして、それでも気丈に唇
を強く結んでいる。
「ねえレイ君、あたしたちが悲しいのは、何でだか分かる?」
「僕が、逃げようとするからだろう?」
「……違うっ! 全然違うっ! わああん! レイ君のあほー!」
出てきたかと思ったらあっという間にアイの涙腺は決壊し、再び声を上げて号泣し始めた。
最後に出てきたのは、フィーだ。彼女は泣き叫ぶことはせず、無表情のままただ瞳を潤ま
せている。
「私たちが悲しいのはね、レイ君が水臭いから。どうして言ってくれないの? どうして
弟を助ける為に薬草を町まで持って帰りたいから、手伝ってくれって言ってくれないの?」
そこで区切って、フィーは僕の目を真っ直ぐに見つめた。さっきまでの無表情ではない。
僕に何かを嘆願するかのような、悲しみに満ちた表情だ。思わず僕は目を逸らしてしまう。
「私たちが悲しいのは、レイ君が私たちのことを人を束縛する、冷酷な化け物だって思い
込んでるから。どうして家族を助ける為の行動すら、私たちは妨害するって思うの? 私
たちは、そんなに薄情者に見えた……?」
絞り出すように最後の一言を告げると、フィーも脱力して崩れ落ちた。全ての蟻たちが、
僕の目の前で甲殻の足を曲げ、その場に座り込んで泣いている。
 動揺で手が震えていた。握る力が弱まり、手からすり抜けて落下する剣。
 最後の言葉は、僕の心を深くえぐり取った。その通りだったからだ。僕はどこまで行っ
ても彼女たちは魔物で、自分たちの欲望の為なら僕の都合など無視するだろうという思い
込みを続けていた。だから説得することもしなかったし、彼女たちに気付かれず逃げるこ
とを第一に考えていた。彼女たちに説明しても、そんなこといいからずっとここにいなよ、
そう言われることを予想して。
 そんなことある筈がないのに。彼女たちも、自らの家族を大事にする優しさに溢れた種
族の筈なのに。
 僕は馬鹿だった。今、正直にそれを実感した。
「ごめん、皆……僕が馬鹿だった。許して欲しい」
膝を地に着け、頭を下げて、心からの謝罪の意を彼女たちに示した。彼女たちの泣き声が、
一層大きくなる。彼女たちが泣き止むまでの数分間、僕はずっとその姿勢を続けた。
   :   :
「顔、上げて」
ずびずびと鼻を啜りながらのアイの一言。僕はそれを聞いて、真剣な表情で頭を上げた。
皆目を真っ赤に腫らして、僕のことを見ている。
「それで、レイ君は、どうしたい? あたしたちに、どうして欲しい?」
唾液を飲み込み、目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。
「弟が病気で、治す為には採取した薬草が必要なんだ。弟を助ける為に、森の東にある僕
の家がある町に連れて行って欲しい」
決意を込めて静かに、力強く答えた。皆は表情を変えず、アイも真剣な顔で続きを尋ねた。
「その後は? やっぱり町に帰りたい? あたしたちとの生活は嫌?」
顔を少しだけ背けて、目を瞑った。浮かんでくるのは、過去の情景。町で暮らし、育った
かつての景色。
「そりゃあ帰りたいさ、僕の故郷だもの」
蟻たちの顔が、再び歪む。泣き出す一歩手前だ。しかし、僕はここで小さく微笑んだ。
「でも、それは時々で十分だよ。ここに住んで、皆と暮らして、時々町が恋しくなったら
皆に乗せて貰って町を訪ねればいい。そうして満足したらまたここに帰ってきて、皆と一
緒に暮らす。そんな都合のいい生活がしたい……というのは、駄目かな?」
「駄目じゃない! 駄目じゃないよ!」
力強く叫んだのは、トーコ。目からこぼれる涙の雫を一切拭うことなく、拳を握って叫ん
だ。
「そんな生活でいい、そんな生活がいい! わたしはずっとレイ君と一緒にいたい! わ
あああん!」
トーコの雄叫びを皮切りに、他の蟻たちも次々と同意の叫び声をあげていく。
 最後にアイが、指で目を拭ってにっこり微笑んだ。
「決まりだね。さあ皆! レイ君を町まで送ろう! 弟君を助けるんだ!」
アイが拳を高く掲げると、蟻たちの力強いかけ声が森中に響いた。
   :   :
 だかかかっ、だかかかっ。総勢十九名に及ぶ蟻たちの全力疾走が、森の中に轟く。僕を
乗せたアイが中心になって、それを守るように周囲に他の蟻たち。巨大な倒木を押しのけ、
道をふさぐ巨大な岩を体当たりで粉砕し、偶然引っかかったアラクネの糸を数の暴力で強
引に突破する。一つの塊となった蟻たちは、一直線に東へ向けて突進していた。その速度
は、凹凸の激しい悪路にも関わらず平野を駆ける狼のように速い。
 森を突き進む僕らに、併走するように横を飛ぶ一つの影。黄色と黒の縞模様の、蜂の魔
物だ。
「ねえねえこれ何かのお祭り?」
興味深そうに僕と、蟻たちの群れを眺めて飛んでいる。僕はそれに、頬を掻きながら苦笑
いで答えた。
「ちょっと派手な、里帰りかな?」
   :   :
 蟻の爆走のおかげで、たった一時間で森を抜けることが出来た。視界が開けた所で、皆
を制止する。
「皆、ここまででいいから」
「どうして? 町はもうちょっと先でしょ?」
「あのね、皆には言ってなかったけど、僕の住んでる町、そしてその町がある国は魔物に
対して凄く冷たい国なんだ。あの町では魔物は人を食べる化け物って扱いになってるし、
皆の姿を見たら真っ先に殺そうと襲いかかってくると思う」
問いかけてきたフィーに説明すると、皆驚いて僕の顔を見た。その中で、ナナとアイだけ
が納得した顔で頷く。
「あたしかーちゃんから聞いたことあるよ。そういうのって、はんまものこっか、って言
うんだよね」
「だからレイ君は最初、私たちのことを見て、あんなに怯えてたんですね」
「そうなんだ。だから皆はここで待ってて。薬草で薬を作って貰って、それで弟の調子が
良くなるには多分二日はかかると思う。弟の様子次第だけど、三日後ぐらいにはまたここ
まで戻ってくるから、そしたらまた乗せて帰って欲しい。勿論皆で待ってなくても、何人
かで交代しながらここで待っていればいいから。……言っておくけど、なるべく人間には
見つからないようにね。もしこんな所で魔物の群れと出会ったりしたら、町中パニックに
なっちゃうから」
数日かかると僕が説明すると、流石に蟻たちは少々難色を示したようだった。しかし、個
々の相談の上、最終的には皆納得して頷く。
「じゃあレイ君、わたしたちここで待ってるから。……三日。三日だよ。もし長くかかり
そうでも、三日したら顔見せに来てよね! そうしないとわたしたち寂しくて死んじゃう
から」
トーコが冗談混じりにそう言って、悪戯っぽく微笑む。僕も、笑顔で応えた。
 そうして皆と別れて真っ直ぐ伸びた平坦な道を歩き始めようとしたその時、ココノが素
早く歩み寄ってきて、僕の顎を捉えた。既視感を感じる仕草と共に、ココノと僕の唇が軽
く交わる。
「んふ、いってらっしゃいの、ちゅー」
見慣れたどや顔で、にんまりと笑うココノ。その後は他の皆とも同じように口付けを交わ
してから、今度こそ僕は彼女たちと別れた。
14/01/19 22:16更新 / nmn
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