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侍と魔女(前)

 六波羅彦十郎は幼い頃から見えてはいけないモノが良く見えた。
 物の怪、妖しの類は言うに及ばず、笑顔の裏に隠れた汚らしい本音や、或いは吉兆の前触れを唐突に垣間見ることもある。
 俗に見鬼だとか浄眼持ちだとか、あるいは祓師・拝み屋とか呼ばれる人々が持っている異能である。
 畢竟そのようなもの、常人が容易く付き合っていけるものではない。
 見鬼にしろ祓師にしろ、そういう家系にはそれを抑え、またどのようにして使うかを教え込むことに腐心する。
 時々低い確率でそういった特別な生まれに関係の無いところで生まれると、まずもって十を越して生きられぬと言われた。何故なら幼い頃より怪異魍魎に囲まれ、殆どは為す術も無く狂い死ぬからである。
 しかしながらこの彦十郎と言う男、生まれておぎゃあと一声泣いてからというもの、その肝の太さと不貞不貞しいまでのしぶとい死ににくさで、とうとう今年で二十代も終り近くまで生きてきた。
 京の実家では跡を継げる見込みもない貧乏武士の四男坊であったので、殆ど厄介払いも同然の手切れ金を手にして単身江渡にわたり、生来のしぶとさと多芸さを売りにして隠密同心として乱破(らっぱ)働きをするに至る。
 相変わらず見たくも無いモノを見て聞きたくも無いモノを聞いていたが、それを飯の種にするくらいは彦十郎も割り切ったことが出来る歳になっていた。
 世間では傘張りの内職までして糊口をしのぐ、ちょっと素性の知れない長屋住まいの貧乏武士という下馬評であるが、その実情は闇に紛れて悪人どもの情報を嗅ぎ回る隠密同心という二重の生活をこなし、15の春に江渡にやって来た彦十郎は、何時の間にやらそれまで京で過ごしてきた年月をまるまる江渡で過ごそうかという歳になっていた。
 そんな折、彦十郎は最近新しく北町奉行所にやって来た町奉行直々にお呼び出しがかかった。
 なんぞ不手際でもやらかしたのかと、内心びくびくしながら奉行所に出頭すると、噂のやり手奉行である烏天狗の秋葉奉行が彼を待ち構えていた。
 前任の赤鬼奉行の後釜としてやって来たこの烏天狗は、彦十郎と同じく京の出身であり、就任暫くしてちょっとした騒ぎを起こしたのであるが、それは今回の話に直接関係ない。腕はいいのだ、抜群に。
 閑話休題。
 江渡じゅうの盗賊を震え上がらせる町奉行は、真面目な顔で彦十郎にこう切り出したのである。

「髑髏目、お主、西の国に興味はないか」と。
「西国……京や中国のことでありますか」
「いや、海向こうの大陸の国だ、髑髏目、どうだ」

 髑髏目とは彼の渾名であるが、彦十郎は一体何のことやらさっぱりで、思わず「はぁ」と気の抜けたような返事をしてしまった。
 それに対して怒るふうでもなく、秋葉奉行は事の次第を説明した。
 なんでも大陸の西の方では、大小幾つもの国がつい最近までこの国でいう戦国の世にあったらしく、とんでもない人死と飢饉と災害が、さながら冬海の嵐か燎原の火の如く吹き荒れていた。田畑は荒れ、人心は乱れ、凶族・人買いといった外道畜生が大手を振って闊歩する、そんなこの世の終わりかと思うような光景が広がっていた。
 しかしながらその事態を憂いた西の大寺院が各国の争いに待ったをかけ、大昔に滅んだ都の地下に広がる迷宮で陣取り合戦をせよと命じたとか。

「これは異な事を。たかが寺社の声掛けでそのような事が実現したと。何故その国々は斯様な言い分に従ったのでございましょう」
「髑髏目よ、向こうでは殊更この寺社の力というのは馬鹿に出来ぬもの。言うなれば国を股にかけた西本願寺が更に大きくなって、手が付けられぬまで厄介になったようなところ。お主の常識で測ってはいかん」
「は、申し訳ござりませぬ。して、その話と手前の西国行に何の因果があるので」
「それをこれから話してやろうというのだ、心して聞くが良い」

 そうして始まった「迷宮戦争」であったが、暫くしてとある問題が取り沙汰された。
 迷宮内には自然発生的に生まれた地下都市があるのだが、そこの治安維持を果たしてどうしようかという話だった。
 其れまでは各国の兵士たちが己等のやり方で見回りなり捕物なりをやっていたのであるが、街の規模がどんどん大きくなるに連れてそれでは間に合わなくなってしまい、またそれ以外にも大きな問題もあった。

「縄張り争いでございますか」
「さよう。例えば、それ、もしお主、江渡で京の町奉行や火盗改メがしゃしゃり出てきよったら、頭にくるであろう」
「確かに。しかも向こうではそれが国と国との面子になり申す。や、これはたしかに厄介極まりない」
「であろう。そこで我ら日の本に白羽の矢が立ったのだ」
「なんといわれた」
「我らが与力同心、火盗改メから選りすぐりの者共をかの地へ送ろうという話だ。我ら日の本を治める将軍様や帝も、地の果てにある大陸の利害など知った事ではない、ある意味最も公平に裁きを下せるのだ。どうだ、髑髏目、お主、行って見ぬか。石高も今の十倍は出るぞ」
「何と、十倍!」

 彦十郎の石高は三百程であるので、十倍も出るとなると三千石にもなる。
 ちょっとした豪農にも匹敵する収入だ。

「どうだ」
「謹んでお受けいたします」
「良かろう。さすが髑髏目、わたしが見込んだだけはある」

 平伏してそれに答えた後、退室した彦十郎は、廊下の途中でばったりと同業に出くわした。
 彼と同じく北町奉行所で同心をしている猫人のお瑞(たま)である。彦十郎と同じく三十路近い歳であるが、余りその辺りを感じさせない若々しさを保っているため、奉行所の中でも密かに人気が高い。

「お瑞、久しぶりじゃな。お主も西国行きを打診されたのか?」
「西国? 髑髏目、おんし京か逢坂にでも飛ばされよったか」

 キョトンとしたその顔つきを見て「やや、これはどうも早とちりをしてしまったか」と彦十郎は己のうっかりを呪った。

「いや、知らぬのならば良い。ところでお主は奉行所に何用じゃ?」
「ああ、いや、なに」
「なんじゃ、煮え切らぬ奴。話せんことなら無理をするな」
「そういう訳ではない、ただ、恐れ多くも北町奉行様にはそろそろ自重を促そうかと」
「……ああ」

 其れで一体何のことなのか察しがついた彦十郎は、口元を隠してくつくつと忍び笑いを漏らした。

「やれ、まだお役目を賜ってからひと月と経っておらぬが、早々に前の赤鬼奉行と同じ理由で退職されてはたまらんからの」

 赤鬼奉行は良い人との間に子供が出来たので、止む無く職を辞したのである。本人は幸せそうであったが、奉行の交代で職務が忙しくなった与力同心達にはいい迷惑であった。
 その時の疲れ様を思い出したのか、お瑞も渋い顔をする。

「するなとは言わぬ、気持ちは分からぬでもない。しかし程々にして貰わぬと」
「ははは、こやつめ、どの口が言いよる。ではな、わしはそろそろお暇しよう」
「ああ、髑髏目、また今度イダテンとケンコーと、四人で酒でも飲みに行かんか」
「……そうさな、わしが暇になったら、それもいい」
「約束したぞ」
「おう。イダテンと兼好(カネヨシ)にも宜しく言ってくれ。暫くわしは江渡を離れるよって」

 なんだ、どういう事だと困惑するお瑞に背中越しで手を振って、そうして髑髏目こと六波羅彦十郎ははるばる西国……海向こうの遠い異国へと脚を伸ばした次第であった。



――――――――――――――――



「てぇへんだ!」

 そう言って岡っ引の三郎太が詰所に飛び込んできた時、まともに相手をしたのは火鉢の上で餅を焼く彦十郎だけという有様であった。
 他の者達は血相を変える三郎太にちらと一瞥をくれただけで、それきり相手にするのも馬鹿馬鹿しいと言った風情である。

「おいおい、落ち着け、ドブネズミ。テメェが大変だと言ったことが本当に大変だった試しなど一度足りともねぇや」
「今度は本当にてぇへんなんだぜ! 辻斬りだ!」
「なに!」
「詳しく話せ、ドブネズミ」
「どうしたどうした」
「辻斬りだと」
「なに、辻斬ッ」

 それまで無関心を決め込んでいた者たちがどやどやと集まってくる。
 なんのかんのと言いながら、彼らも三郎太の話に耳を傾けていたのだ。

「金座裏の路地で辻斬りだ、やられたのは帝国の大店の手代で、カイマールとかいう御仁だ。本当についさっきやられて、早く行かねぇと帝国の奴らが勝手に捕物をおっぱじめやがった」
「なに、あの野蛮人共、我ら地下奉行所を差し置いて勝手に捕物たァふてぇ野郎だ。おい、行くぞ野郎ども!」
『がってんしょうち!』

 集まっていた与力同心たちは、地下町奉行所のお奉行である斑目繁二郎の放ったその一言で、まるで蜘蛛の子を散らすように駆け出していた。
 それに混ざるように素早く彦十郎が腰を上げると、それを目敏く見つけた繁二郎は待ての一言を投げかけた。

「髑髏目、お主はまだ傷が治っておらんだろう」
「しかし、繁二郎様、このような大捕り物にわしだけ留守番とは殺生じゃございませんか」
「ならん。傷がまたぞろ開いたらどうする。お主は万が一我らが下手人を取り逃がした時のために周囲を探るのだ。この間、傷が開いて腹からボタボタ血を垂れ流し、ポンティア御領館前を血の海にしておったのを忘れたとは言わせんぞ。お主が大丈夫と言い張るから捕物を許可しておったのに、あんな様を見せられては怖くて許可などとうてい出せぬわ」
「……」
「返事は」
「はい、承知いたしました」
「うむ」

 見るからにしょげかえって、先ほどと同じように火鉢の側へ腰を下ろした彦十郎を、三郎太がその渾名の通り鼠そっくりの顔つきでオドオドと覗き見た。

「ひ、彦兄、そう気を落とすなって、傷が治ったら、すぐにでも……」
「おい、ドブネズミ、てめぇそりゃ一体全体なんだ、もしかして俺を慰めていやがるのか」
「へ、へぇ」

 本気で心配していることは、彼の「目」を使わずとも容易に見て取れた。
 だがしかし、それゆえに彦十郎にとっては腹に据えかねる。
 オドオドと返されたその返事に、かっと頭に血が上った彦十郎は、思わず三郎太の頭をピシャリと平手で叩いていた。

「このチンカス野郎がっ、そんな糞の役にも立たねぇことを言ってる暇があったら、とっとと下手人をふん捕まえてこい!」
「へ、へぇ!! ただいま!」

 まさに鼠のような端っこさで三郎太が視界から消えると、彦十郎はずきりと脳天を突き刺すような傷の痛みに呻いた。
 つい三週間ほど前に付けられたその傷は、下手人の持っていた妙な力を持つ妖刀の呪いのせいで、治りが非常に遅い。刺された最初は本当に生死の境をさ迷うほどの傷で、顔も名前も知らぬ誰かが施療院に差し入れてくれた治療薬がなければ死んでいたかも知れなかった。
 表向きは完治したように見えて、油断すると傷が開いて血が吹き出した。
 呪いのせいらしいが、医者も僧侶も難しい顔をして「根治は難しいやも知れぬ」などとのたまうので、最近の彦十郎は鬱々とした感情がやり場もなく降り積もっていた。
 繁二郎も傷が心配なのか、帰国して京の陰陽師か咒医に診て貰ってはどうかと勧めることすらある。
 今回も持ち前の死ににくさを遺憾なく発揮して生き残ったはいいものの、おかしな呪いのせいでろくに夜回りすら出来ぬ始末。
 彦十郎の苛立ちと諦念はそろそろ限界に達しようとしていた。

「やれやれ……とうとうわしも年貢の納め時かよ」

 もとより浄眼持ちがこの歳まで生き残った事自体、何かの間違いのようなものだ。
 死ぬときはせめて捕物の途中がいい、そんな事を考えながら、彦十郎は十手を帯に挟み込み、御用提灯を片手に持って詰所を出た。
 提灯片手に通りを歩くと、丸天井に据え付けられた太陽球の明かりはすっかり落ちて、地下都市の収まるこの大空隙は月明かりも無い真っ暗闇になっている。
 地上世界の暦・時間と同期して光量を増減させる太陽球は、各国の職人が必死になってその仕組みを調べているらしいが、彦十郎が聞いたところによると「なるほど、全くわからん」という結果が出たらしい。
 つまり、お手上げである。
 げに恐ろしきは古代人の技術力よ。
 己の臓腑を抉った妖刀も、その死の淵から蘇らせてくれた治療薬も、どちらも同じく今では作ることは愚か原理の解明すら出来ない代物であった。
 そんな事をつらつら考えている彦十郎の耳に、甲高い呼笛と「御用だ御用だ」の怒鳴り声が聞こえてくる。どうやらかなり大きな捕物に成っているようである。
 「目」を使ってその方角に顔をやると、興奮と怒りを表す赤黒い想念の霧がもやもやと漂っているのが見える。その熱気の中に自分が参加出来ぬことを否応なしに実感し、彦十郎は見るんじゃなかったと歯噛みしながら視線を前に戻した。
 と、その彼の視界におかしなモノが映った。
 少女だ、其れも年端もいかぬ、まだ12〜3になったばかりと言ったところか。上半身は赤を基調とした子供用のフロックコートに身を包み、下は同色のスラックスを履いている。靴は如何にも頑丈そうな革靴で、子どもがはくには少々実用的に過ぎるようにも思われた。
 少女は将来の美しさを予見させるような整った顔立ちをしているが、その顔も居間は疲労の色濃い青白さが目立つ。サラサラと金糸のようなおかっぱ髪で、両目の色は淡い翠のようだった。
 彼女は路地裏に続く家と家の間の細い隙間に腰を落とし、途方に暮れた様子で光の消えた偽太陽を見ているところであった。
 奉行所の夜回り番が来てからというもの、日が暮れてからの治安は劇的に改善されたものの、このような年若い少女が一人で彷徨けるほどの回復したわけでもない。
 やれ、これはひょっとして迷子の類かと、呆れの溜息をつきながらその少女に話しかけた。

「これ、そこの童(わらし)」
「?」
「これ、お前に言うておるのじゃ」
「えっ、ぼ、ぼくに?」
「そうじゃ、もう日も暮れた、そろそろ路地に鎖を渡す時刻。こんな所でへたり混んでおると、夜明けまで立ち往生してしまうぞ」

 戌の中刻(21時)にもなると、全ての通りに鎖が張られ、基本的に夜間の外出を禁止される。それでも動き回っている者は盗人として問答無用でしょっ引くことになっていた。
 横暴だと抗議がなかったわけではないが、夜間の外出禁止は不逞の輩を大勢引っ捕らえたため、今ではその声も下火だ。

「家は何処じゃ」
「あ、えっと」

 そう言って慌てて立ち上がった少女が提灯の灯で照らされると、思わず彦十郎は喉の奥で「うぅっ」と唸った。
 やや、しまった、この童め化生の類じゃ。そう悟って彦十郎は己の迂闊さに心のなかで悪態をついた。
 声などかけるのではなかった、心配して損をしたと、心中で舌打ちするももう遅い。見かけて声をかけてしまった以上、この童を家まで届けねばしょうがなかった。
 見たところそうそうたちの悪そうな妖しにも思えなんだが、それでも迂闊には違いない。もしこれで相手がオバリヨンのような妖怪だった場合、半病人の彼にとって命取りになったかも知れぬ。

「今はエリザベート様の館にお世話になっています。慣れない街並みに迷ってしまって……」
「何、エリザベート、お前大した奴じゃな」
「はい?」
「街を挟んでまるきり反対側じゃ、方向音痴もここまで来ると、アッパレ感服。ハッハッハ!」
「は、ははは……」

 彦十郎の言葉に乾いた笑いを上げながら、少女は五尺すこしほどの身体を杖を突きながら立ち上げる。
 その右手に持った杖は硬そうな樫木製の棒杖で、飾りの一切ない全長五尺八寸。
 よくよく見れば何やら見た事のない文字や模様がぎっしりと書き込まれているのが分かった。
 ははぁ、こやつもしや魔法使いとかいう輩か、そんなふうに辺りをつけながら、彦十郎は少女を先導して歩く。

「わしの名は六波羅彦十郎と申す。童、名はなんという」
「リリエンタールといいます、どうかリリーと呼んで下さい」
「リリィか、顔と同じで綺麗な名前じゃの」
「……あ、有難う」

 名前を誉められたのがそんなに嬉しいのか、耳から首筋まで真っ赤にしながらリリエンタールは彦十郎の隣で顔を伏せた。
 少女らしい恥らいの顔に、彦十郎は久しぶりに胸が暖かなるような心持ちで少女の頭をグリグリと撫でた。

「なんじゃあ、この程度で赤くなりおって。うぶな奴じゃの。故郷ではマセた悪童ばかり相手にしておったから、お前のようなのは新鮮じゃ」
「言うほど、初でも無いんだけど」
「ははぁん、男を知っとるのか」
「うん」
「ほうほう。まあ、ちいとばかし早いが、そう不思議でも無いな」
「そう……かな」
「なぁに、わしの故国ではお前くらいの歳で二児の母というのもおった、それに比べばどうということ無い」

 少女は呆れたような顔で「それと比べるのは色々おかしい」と溜息混じりに答えた。
 からからと笑いながら夜道を進むと、前方から御用提灯がゆらゆらと近づいてくる。
 相手もこちらの提灯を見つけたのか、やや小走りに近づいてくると、相手は与力の木村惣兵衛であった。腰に大小を差した夢想流の使い手で、ゆうに六尺を数える大柄な男は、その鬼のように大きな身体に似合わぬ温和そうな顔つきである。

「おぅい、髑髏目。こんな所でどうした」
「それはこっちの台詞じゃ、大捕り物はどうした」
「逃がした」
「なに!」
「帝国の野蛮人共めが、邪魔をしよった。お主も気を付けよ、下手人は恐ろしい使い手だ。今さっき斬り合ってきたが、これはいよいよ死ぬかと思うた。今も首筋が繋がっているか冷や冷やものよ。繁二郎様が来て下さらねば危ないところだった」
「惣兵衛程の腕前が、そこまで言うか」
「うむ、あれはただの辻斬りではないぞ、どこぞで仕える腕に覚えのあるの武士に違いない。俺と繁二郎様の二人がかりでようやく追い払えたからな」
「むぅ……忙しくなりそうじゃ」
「ほんに……ところで髑髏目、そちらの御新造は何処のどちらだ」
「御新造? 何の話じゃ」
「はは、惚けるな、お主に女っ気があるのは珍しいな…………どうりで、そういう趣味だったというわけか」

 そうまで言われて漸く、彦十郎は自分が揶揄われていることに気がつく。
 御新造とは武家の既婚女性の事を指し、転じて妾のことも指した。そして、女郎部屋でまだ水揚げのしていない(客をとっていない)幼い見習い女郎のことを御新造と呼んだ。
 つまり惣兵衛は、普段からして浮いた話の一つも無い彦十郎を揶揄って、「やや、こいつまだ客もとらんような幼い見習いを連れておるぞ。ははぁん、さてはお主、そういう手合いにしか興味の湧かぬ輩であったか」と言外に匂わせているのであった。
 そうやって揶揄い混じりに小さく耳打ちされて漸く、彦十郎はリリエンタールのことをすっかり忘れて話し込んでいたことに気がついた。

「や、すまんリリー、退屈させたか。油を売っとる場合じゃなかった」
「ううん、仕事の話だよね、僕こそ気にしなくていいよ」

 最後の方はお勤めと全く関係のない下卑た下話であったので、彦十郎は心なしか顔を引きつらせた。

「そ、そうはいかん、そっちも仕事じゃがこっちも仕事じゃ。惣兵衛、わしはこの童を家まで届けるよって、話はまた今度じゃ」
「おう、そういう事か。家まで、ほう、家までね」
「なんじゃ、何が言いてぇ」
「いや別に。ただ、こっちの国には送り狼は出よったかなと」
「おきゃあがれ、ゲスの勘ぐりじゃ」
「はは、は、すまぬすまぬ。ところで……髑髏目、おぬし十手しか持っておらんじゃないか、わしの脇差を貸そうか」
「要らぬ要らぬ、十手だけで十分じゃ」
「左様か」
「左様じゃ」
「うむ、では十分気をつけて行けよ」
「おう、おぬしもな」

 あっさりと心配事を繰り上げて、互いに片手を上げてすれ違う。
 ふと視線を感じて隣に目をやると、リリエンタールがじっと彼の顔を凝視している。
 すわ、先程の会話を感づかれたかと、彦十郎は内心冷や汗をかいた。

「なんじゃ、わしの顔になんぞ付いとるか」
「さっき、あの人が髑髏目って」
「ん、ああ、わしの渾名じゃ」
「な、なんでそんな不吉な渾名を?」
「わしの苗字、六波羅というじゃろ」
「うん」
「京の近くに実際ある地名でな、そこは昔は六波羅じゃのうて別の名前で呼ばれ寄った」
「なんて?」
「髑髏ヶ原」
「え」
「昔はそこに死体を捨てに行きよったらしい。行けば雨風に洗われた白い髑髏があちこちにゴロゴロとあったそうじゃ。で、その髑髏ヶ原が訛って六波羅になりよった」
「それで……髑髏……じゃあ、目っていうのは」
「う、ああ、まあ、語呂合わせのようなもんじゃ」

 我ながら下手くそな誤魔化し方だなと彦十郎は苦笑いを浮かべたが、リリーは年に似合わぬ聡い様子でそれ以上突っ込んで聞いては来なかった。
 やがて行程も半分程を消化すると、リリーはいよいよ体力が続かなくなったのか、会話も出来ぬほどにしんどそうで青息吐息である。
 化生の類はどれも馬鹿ほど体力があると思っていた彦十郎は、その光景に意外な心持ちがした。
 なるほど、たしかに自分は狭い日の本で限られた常識に縛られていたのかも知れぬ、体力の無い物の怪とて、当然世界のどこかにはいるに違いない。
 彦十郎は一瞬悩んだあと、仕方なしと溜息を付いて少女の前にしゃがみ込んだ。

「ほれ、おぶされ」
「え……」
「このままお前の歩数に合わせとったら日が登ってしまうぞ。それ、はようおぶさらんか」
「い、いいの?」
「良いも悪いもあるか、仕事じゃ仕事」

 それでも逡巡した様子であったが、彦十郎が半ば強引に背負うと「ひゃあ」と悲鳴を上げた後は大人しく彼の背中にしがみついた。
 其れまで少女の歩幅に合わせて進んでいた彦十郎は、ようやく大股で歩けるとばかりにずんずん通りを進んで行く。
 背中の少女はやはり体調が思わしくないのか、背中越しの鼓動は小動物のように早く、また息も熱っぽかった。

「リリー、お前軽いのぉ、羽のようじゃ。もっと食わんと大きくなれんぞ」
「べ、別にいいよ、大きくなれなくても」
「なんじゃあ、悲しいことを言うでない。そのまま育てばせっかく美人になれるのに、それではいかんなぁ。まさか最近良く聞く「だいえっと」とか言うものをしとるんじゃなかろうな? あれはいかん、いかんぞー、おなごはちょっと肉付きがいいくらいが丁度ええんじゃ。もちろん太り過ぎはいかんが、痩せればいいってもんじゃなかろう」
「……いいの、僕はこれで標準体型だから」
「ひぇっへっへっへ」
「な、なにさ、その笑い方」
「残念じゃの、そのおっぱいで標準じゃ、育っても高が知れとるなぁ」
「なっ! こ、こんのぉ! 人が気にしていることを!」
「そうそう、白牛鬼(ホルスタウロス)の乳を飲んだら育つとかよく言うが、ありゃあ眉唾じゃの」
「ええっ嘘ッ! ていうかなんで僕が飲んでるって知ってるのっ」
「そんなもん知らん。けど今知ったわい」
「あ…」
「へっへっへっへ、努力はしとるんじゃのー」
「うぅぅぅぅ」

 小さな握りこぶしで、リリーは月代を剃った彦十郎の銀杏髷の頭をぺしぺしと叩いたが、そんな仕草も子供じみていて彦十郎は尚も楽しそうに笑う。
 
「おいリリー」
「……」
「うん? リリー、どうした」
「……ん」

 ふと背中が静かになったなと思い声をかけるが、返事が帰ってこない。
 訝しげに首を巡らせると、そこには安らかな顔つきですやすやと寝息を立てるリリーの寝顔があった。
 なんじゃ、寝てしもうたのか。話疲れて寝てしまうなど、いよいよ童のようで、彦十郎は相手が妖物である事も忘れて微笑みながら、小さな声で子守唄を歌った。

「来いや来いやと 小間物売りに 来たら見もする 買いもするぅ
どうしたいこーりゃ きーこえたーかぁ……
寺の坊んさん 根性が悪い 守り子いなして 門しめる
どうしたいこーりゃ きーこえたーかぁ……」
「…………」

 ギュッとリリーが彼の背中に抱きついてくる。
 彦十郎は大昔にそうやって妹をあやしていた頃を思い出しながら、夜道を進むのであった。

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ジパングの登場人物「秋葉」「お瑞」「イダテン」「兼吉」「赤鬼奉行」は八木氏の創作である『大江渡仙人捕物帖』から拝借いたしました。快く承諾してくださった氏に感謝の言葉を送ります。「ちょっとした騒ぎ」の内情を知りたい人は是非一読下さい。
さて、今回は前編。一本にまとめようとしたのですが、書いているうちに無理くせぇなと感じて分けることに。
時代小説を何本か読んで勉強しましたが、やはり難しい。
造語なんかもあるのでお察しください。
感想お待ちしてます。

惣兵衛との会話場面、加筆修正しました。

10/05/30 01:17 spooky

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