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遺言〜花嫁人形〜

 遺言〜花嫁人形〜

 序 遺言

 ……古臭いエンジンの音を響かせながら、一台の車がかつてはなにがしかの街道と呼ばれたであろう古い山道を走る。運転席には初老の男がまさに運転手の帽子、とでもいうような帽子を目深にかぶりその車を運転していた。
 その車の後部座席にもまた、一人の男が座っている。少し線の細い、神経質そうな感じがする男は白い手袋をはめたままぺらぺらと小さな“手記”をめくっていた。時折古い車が跳ねると、不機嫌そうに顔をしかめつつも、口を堅く結んで熱心に手の中の記録を読み漁っていた。
 その手記は男の大叔母のものであった。さる月、男のもとに運転席の男が訪ねに来た際に、遺言状とともに手渡されたものであった。決して貧乏というわけではないが、大金持ちというほどではない男の一族とは違い、大叔母は商人として大成し、その資産は島一つ、街一つ買い取ってもなお余るほどであるという。
 当然、その大叔母の死後に親族は挙って蝗の如くその資産を食い漁ろうと集い、大叔母の望みには見向きもせずに、彼女に家族がいなかったことを良いことに好き勝手毟っていったのである。
 だが、男はそんな醜態の中に混じることはしなかった。大叔母の数少ない、縁のある人物だったからである。出会いはとある親族の婚姻の席であった。まだ幼い少年であった男は、大叔母の凛と成熟した女性の姿に惹かれ、青いながらも精一杯気取って声をかけたのである。そこで思いのほか、大叔母が気さくな人でもあったことで話が弾み、そこからは年上のよき理解者、また大叔母にとっては幼い弟のように可愛がられたのである。
 大叔母は聡明で、そしてとても優しい人物であった。その姿に男はますます惹かれたものであったが、大叔母は年の離れた、離れすぎた想いを受け入れることはしなかった。老いてなお、大叔母は美しかったが男が青年となる頃にはやはり“枯れた花”であることは否定できなかった。だが、男にとっては忘れえぬ“女性”であり、何より理解者としての大叔母の存在は男にとってとても大きいものであった。
 だからこそ、大叔母の資産を、想い出を守ろうと奔走したものだったが結局、大した法の知識も、守れるだけの根拠もなく親族を名乗る蝗どもにかつての大叔母の遺品も、かつて尋ねた大叔母の家や家財も何もかも持ち去られてしまっていた。そればかりか、親族たちの中で強硬に“資産の分配”に反対したためか大いに疎まれ僅かな“分け前”を最後に、男は親族の輪の中から外されることになったのである。
 男の仕事は親族の輪の中で回っていた部分が大きく、その結果男は仕事さえも失ってしまっていた。いま男が生活できているのは手切れ金となった“分け前”のおかげであったが、それすらも疎ましく思い、酒だけを飲み、ただ惰性に生きるだけという鬱屈とした日々を送っていたのである。
 そんな折であった、大叔母に仕えていたという老いた男が訪ねてきたのは。その手には男の知らない遺言状が携えられていた。

 男は車中で、大叔母の“最初”の遺言状を読み返す。そこには、いくつかの細々とした“資産の分け方”が記されていた。きめ細やかな美しい字によって、親族に対する相続の割合、自身の会社の行く末、持ち物の相続先などが丁寧に説明されている。だが、先のようにこの遺言状の通りにはならなかった。
 欲を出した親族が、ほとんど持って行ってしまっていた。会社も、当時の重役の一人に任せると記されていたが、今は親族のものとなってしまった。資産の一部は、寄付に回されるはずだったが、それすらも果たされていない。彼女のささやかな望みは、何一つ叶わなかった。ただ、ただそれだけが男にとって何よりも悔しかった。
 だが、そんな愚かしい親族の欲望を、大叔母は見抜いていたのだろうか。届けられた第二の遺言状の存在は男にとって驚くべきものであった。その遺言の宛名は、男であった。そこには、懐かしい丁寧な字で男の名とともにある内容が書かれていた。
 親族たちも知らない、秘匿された山奥の土地とそこに立つ一軒の館、そしてその周辺に広がる村々で行われている産業……主に医学、薬学と農業に関する……を男に相続させるというものであった。
 但し、条件が一つ。

 “この場で相続をするか否かを決め、行き先を誰にも言わないこと 荷物は最低限のものとし、行き先を知られるようなものは残さないこと 相続手続きと同時に貴方 有葉 東眞(ありば あずま)は行方不明として処理されることを受け入れること”



 壱 相続

 ……東眞は手記を読む手を止め、外を見る。先ほどまでの、木々の隙間にまばらに映った田園風景はなくなり、ただ深い山々と木々だけが流れていく。
 「もう、まもなくですよ」
 先ほどまで一言も喋らなかった運転手の口から、言葉が発せられる。そのことに東眞はしばし驚き、返事の機会を失する。少し気まずく思いながらも、結局のところ東眞は口を開くことなく再度手記に目を落とす。
 手記は、大叔母の日記のようなものであった。晩年に書いたのであろうか、ところどころ思い出して記したかのように書かれており、そこには東眞との出会いも記されていた。それ以外にも、どういった食べ物が好きであったか、どういった事柄を好んだか、といった東眞があまり知らなかったような事柄も細かく記されており、なんとなく読み進めるうちに東眞はなぜこの手記を自分に託したのか、ということを疑問に思うようになっていった。そこに記されている内容は、あまりにも私的な事柄であったからだ。
 それに、相続の条件もまた不可解であった。だが、おそらくは欲深な親族の魔の手をこれ以上広げさせまい、という大叔母なりの考えなのだろうと一人納得し。そしてまた、相続人として自分を選んでくれたということが、東眞には嬉しかった。たとえ、死んだも同然の扱いとなったとしても、それが大叔母の残したものを……おそらく本当に残しておきたかったもの、それを守れるならば東眞にとっては些末なことであった。

 「つきましたよ」
 そう言って、運転手が車を停める。それは山奥の、森の中に立つ大きな洋館であった。小高い丘を囲うように塀が立ち、本館のほかに小さな川や池、離れに温室……見張り塔のような建物が立ち並ぶ豪奢なものであった。全体的に古く、歴史を感じさせたがそれすらも建物の威厳を高めるようであった。その立派な造りに、東眞は気圧されるようにつばを飲み込む。
 運転手はそんな東眞の様子を気にかけることなく車から降りると、門の脇に取り付けられている小さな鐘を鳴らす。打ち鳴らされた鐘の音が響いて暫く、とすとすとした足音とともに大柄な女性……山鬼(トロール)が現れる。
 「おかえりなさいませ……あっ こちらが?」
 運転手にあいさつすると同時に、大きな人懐こそうな瞳が東眞を捉える。別段、魔物の存在は珍しいわけではないが、突然現れた大柄な存在に東眞は少しばかり驚く。だが、すぐに彼女から香る優しい甘い匂いと優しい瞳の色に心を落ち着かせる。
 「そうです 早く門を開けてください、山百合さん」
 「あっそうでした、いま開けますね」
 山百合、と呼ばれた山鬼(トロール)は大きな鉄柵の門を片手で軽々と引き開いていく。運転手は椿に軽くお礼を言うと、車に乗り込み館の敷地内へと入っていく。
 「彼女は山百合、といいます ここの庭園などの管理をしてもらっています、今後お世話になる機会もあることでしょうから覚えておいてください」
 車を走らせ、館の門の前に到着する。
 「それでは東眞様 ご到着です……私めは当館の執事、山吹といいます 以後お見知りおきを……それでは改めまして、よろしくお願いいたします」
 そう言って山吹と名乗った運転手……もとい執事は車から降りると後部座席の扉を開け、東眞に降りるように促す。それに促されるままに車から降りると、待ち構えていたかのように館の扉が開き、一人の女性が現れる。身なりから、女中であると東眞は推測し、そしてそれは当たっていた。黒と白を基調とした洋装の衣服に身を包み、深々と丁寧にお辞儀をする女性の頭には狐の耳がぴんと伸び、彼女が妖狐……または稲荷の魔物であることがうかがえた。
 「東眞様 お待ちしておりました……長旅お疲れ様です 私は当館の女中頭をしております、稲荷の喜代春と申します……いろいろとお聞きになりたいことはあると存じますが、まずは暫しご休憩をおとりになってくださいませ」
 そう言って、喜代春は東眞を館の中に招き入れる。外を見て思ったことであったが、やはり中もたいそう立派な造りであり、かといって主張しすぎることもない落ち着く装飾がこの建物の造り主、ひいては主の品の良さを物語っていた。促されるままに東眞は小さな手荷物を持つと、建物の中へと入る。
 「これはいけませぬ これ、小雀、主様のお荷物を支えて御上げなさい」
 狐の女中がそう声をかけると、どこからともなく、女中の衣服に身を包んだ小鬼(ホブゴブリン)がわたわたと駆け寄り、東眞から荷物を預かろうと手を伸ばす。
 「あ、いや だいじょう……」
 「お預かり! お預かりしますよ! 大丈夫です、小雀力持ちですから!」
 ぱっと、素早く荷物を手の中からとると、にこにこと笑いながら東眞の後ろに回る。大丈夫、と再度言おうとする間もなく喜代春に案内されるままに応接間らしき部屋へと移動する。
 そのまま、お疲れでしょうという労いとともにソファへと座らされた東眞は、落ち着かない様子であたりを見回す。すぐ傍には先ほどの小鬼の小雀が変わらずにこにこと微笑みながら東眞の荷物を大事そうに抱えていた。
 落ち着いた白色の壁には和洋様々な絵画がかけられ、火は入っていなかったがしっかりとした造りの暖炉も構えられていた。応接間として以外にも、おそらくは普段過ごすための部屋としても整えられているようであり、本棚や庭に出るための出入り口に、外の景色がよく見える大窓などが備えられていた。
 (これが……この屋敷がこれから自分のものに……なるのか……)
 相続する、そう決めたもののいざ来てみると少しばかりの恐れと後悔が、心のうちに沸き起こってくる。部屋の雰囲気はとても落ち着くものであったが、東眞はやはり落ち着くことなくもぞもぞと居心地悪そうにその体を動かす。その様子を、喜代春と小雀の二人は少し不思議そうに見つめるも、特に深く詮索することなく静かに己の仕事を進めていた。
 外の日差しは暖かく室内へと差し込み、ふんわりとしたソファの感触も相まってうたた寝の一つでもしてしまいそうであったが、あいにくとそこまでのずぶとさは東眞にはなかった。やがて、良い香りとともに東眞の前にティーカップが置かれると同時に先ほどの執事……山吹が応接間に入ってくる。品のいい執事服に身を包み、小脇に書類を抱え込んだ姿は遠い異国のようであり、東眞は改めてこれは夢ではないかと思わずにはいられなかった。
 少しでも落ち着こうと、東眞は出されたお茶を口に含む。すうっとした、それでいてほんのりと甘い不思議なお茶を飲むと、騒ぎ始めていた心が少しだけ落ち着くようであった。山吹は、東眞が落ち着くのを待つように、静かに前に出るとそっと正面のソファに腰を掛ける。やがて、東眞が落ち着いたと思ったころあいに、山吹は書類を机の上に広げていく。
 「それでは東眞様 相続を決めてくださり、ありがとうございます ……この度の遺言は貴方様の大叔母様……我々のご主人様たっての御願いでありました ……それによって色々とご不便をおかけすることになってしまい、申し訳なく思います」
 そう言って、深々と頭を下げる山吹、そしてそれに続くように喜代春と小雀もお辞儀をする。
 「あ、いえ ……その、大丈夫です 驚きましたけど、大丈夫です……でも……自分でよかったのでしょうか? あの、その……どうすればいいか、私には……」
 いざ相続する、という段階になって東眞は困惑していた。大叔母の残した遺産を前に、自分が果たしてきちんと守っていけるのか、という思いがあったからである。だが、そんな不安もわかっているというように山吹は説明を続けていく。
 「ご不安はわかります 安心してください 東眞様の手を煩わせることはございません……ご主人様の御遺言に従い、東眞様が立派にすべてを引き継ぐまで我々がお支えになります それにご主人様はもしもの場合に備えて、極力自らの裁量によって様々な物事が滞らないようになさいました だから、東眞様はこれらの引継ぎでお慌てになられることはございません 少しずつ、ゆっくりと学んでゆけるだけの時間がございます」
 そういって山吹は目の前の書類を一つ一つ丁寧に説明していく。書類の殆どは、遺言状にある通りの事業とこの館の所有権、および向こう数十年の生活をする分には全く困ることのない資金の相続権に関するものであった。東眞はそれらの書類に目を通し、そして署名をしていく。
 (大叔母様は、まったく なぜこうも聡明なのか)
 東眞は、感嘆しながらもゆっくり一つ一つ、確認しながら筆を進めていく。やがて、ほとんどの書類の説明が終わり、署名を済ませた時である。
 山吹が書類をしまい終えると同時に、喜代春に目配せすると、喜代春はその懐から封筒を一つ取り出し山吹へと手渡す。その封筒を山吹は丁寧に開封し、中身を東眞の前に広げる。
 「……東眞様 これにて相続は完了いたしました……ですが、最後に一つだけ お願いがございます これもまたご主人様の願いでもありますが……東眞様には拒否する権利がございます ご安心ください、この遺言を拒否なさったからといって相続が取り消されることはございません ですが、どうか亡き主人のご希望を叶えて差し上げたいのです 東眞様……ご返事を」
 そういって広げられた第三の遺言状には、何とも奇妙な品とともに奇妙なことが書かれていた。
 まず同梱されていた奇妙な品……それは、書き入れられた婚姻届であった。ただ一つ、新郎の名だけが空欄になっている。
 そしてその願いとは、この館の主……かつて大叔母が大事にしていたというとある人形……名を“ミヤコ”という……その人形と婚姻を結んでほしいというものであった。



 弐 婚姻

 ……東眞は困惑していた。大叔母が人形を大事にしていた、ということも初耳であったしそれと婚姻を結んでくれ、というのも理解できなかった。だが、そんな東眞の表情を察してか山吹は説明するように口を開く。
 「困惑するお気持ちはわかります ……ご主人様が大事になさっているという人形に関して、我々のほかに知っている者はおりません それほど、その人形を大切にしていたのです……我が娘のように この館も、我々も元々はその人形をお世話するためにございます ……東眞様がご異常に思われるのも理解いたします ですが、それだけ大切にしていたからこそ、弟のように想っていた東眞様に託したいとお願いになられたのです ……婚姻に関しては真似事でございます、ただ……亡きご主人様のわがままと思ってください」
 そう言って、山吹はいったん口を閉ざす。老いながらも、鋭いその目は東眞の表情を窺うように向けられ、機微を読み取ろうとしていた。
 「……ご不快でしたならば、先に述べた通りお断りいただいて構いません 人形に関しましては、本館の離れに移り住まわせております……東眞様の手を煩わせることはございません これまで通りのお世話をお許しいただければ、我々が全て人形の身の回りのことをいたします」
 大切にしていた、というのは本当なのだろう。第三の遺言状にもそれははっきりと書かれていた。万が一、東眞が人形との婚姻……かみ砕いていえば人形を託されることを拒否した場合は、使用人たちが後見人として人形の世話をすると、それに関する拒否権は東眞にはないことも書かれていた。
 それだけ大切にしていた人形、という事実に、落ち着いてきた東眞は少しばかりの好奇心が出る。一体、どのような人形なのだろうと。
 「……あの、その 決める前に……そのお人形……ミヤコ様に会うことはできますか?」
 だからこそだろう、ぽそりと、そんな言葉が出た。



 ……東眞の言葉に、山吹は面を食らうというよりも“これは失礼いたしました、確かに花嫁となられるかもしれない方のお顔も見ずに決めろ、というのは急でございましたね”という風に感心した様子で頷くと、喜代春に言いつけ“ミヤコ様”に会うための段取りを取らせる運びとなる。
 「東眞様、ミヤコ様のご支度が整いました……どうぞこちらへ」
 暫く、応接間にて待っていた東眞のもとに喜代春が戻り、丁寧に頭を下げると案内するように目配せをする。東眞はソファから立ち上がると、山吹、喜代春とともに“ミヤコが過ごしている”離れへと移動していく。小雀は“お荷物をお片付けしますね”とからりと一言笑い、そのままとてとてといずこへと歩いて行った。
 離れへは、応接間を出てすぐ……すぐといっても少しばかり歩くことになるが……その先にある渡り廊下がそのまま離れへと繋がっていた。渡り廊下自体は庭に直接つながっており、渡り廊下の両端、本館と離れをつなぐ場所には両開きの扉が備えられていた。外に出ると、ふわりとした温かな風と同時に、木々の蒼さ、花々の香りが東眞の頬を撫でる。
 離れは、本館より少し離れた森の傍に建っていた。本館と同じく洋式に仕立てられた離れは、本館に比べればずっと小さかったが、それでも普通の家よりも大きく立派である。この建物だけでも、ちょっとした羨望の的にはなりえるであろうことは間違いなかった。半分ばかり森の中に入るようにして建てられているためか、全体的に陰がかかり暗い雰囲気を醸し出していたが、考えようによっては暑い日であっても涼しく過ごせる場所ともいえた。尤も、小高く木々に溢れた山中の平地に建てられたこの場所は、夏の盛り日であったとしても過ごしやすい気候だろうと思えたのである。むしろ、冬場の方が外界と断たれた陸の孤島になりえるかもしれないと、ぼんやりながら東眞は思う。
 そんなことを考えているうちに、離れの応接間へと案内される。白を基調とし、落ち着いた華やかさを誇っていた本館の応接間とは違い、離れの応接間は黒を基調とした重々しく感じるものであった。全体的にゴシック調とでもいうのだろうか、本館が洋風でありながらも内装にはさりげなく和風建築の様式を取り入れているのに対し、こちらはほぼ完全に洋式といった感じであった。本館に比べたらさすがに狭いが、それでも十分広いと言えるはずの部屋なのに、どうしてか言いようのない圧迫感を感じるものであった。暖炉の上にある、豪奢な飾り時計の針の音が余計に焦燥感を煽り立てるような、そんなことを東眞は先ほどの本館と同じように落ち着かない様子で考える。

 「……東眞様、ミヤコ様をお連れいたしました」

 来た、東眞の心臓が跳ねる。
 がちゃりと、ドアノブが回され応接間の扉が開く。
 車椅子を押す喜代春と御茶と御茶菓子をのせた盆を持った山吹ともに、ミヤコが部屋の中へと入ってくる。
 そのまま、ソファの傍に車椅子を寄せると、東眞に対面させるように形で丁寧に、とても丁寧に抱えられソファに座る。

 それは、美しい人形であった。
 何よりも愛されるよう、稀代の人形師が己の技術の粋を凝らし、創り出された傑作といってもよかった。人の似姿でありながら、人ならざる異質さを放つのが人形である。たいていはその異質さは不気味さや得体のしれない恐怖として人の心を掴むが、目の前の人形にあっては、むしろ不思議と心を残る奇妙なまでの魅力、妖艶さとしての異質さを放っていた。
全体的に美しい造形であったが、その中でもミヤコを見た第一の印象は、その瞳であった。
 どこまでも澄んだ黒とでもいうのだろうか。はっきりと黒く、それでいて深く見つめればどこまでも沈み込んでいってしまいそうな、黒く輝く瞳。その色の揺らぎは作り物とは思えず、東眞は息をのむほどであった。
 その瞳がまっすぐ東眞を捕えている。意思無きはずの瞳に捕えられるという感覚に、東眞はぞくりとした感覚を覚えてしまった。
 もちろん、瞳以外も魅力的であった。しっとりと黒く輝く濡羽色の髪は腰元で切り揃えられ、長いながらも枝毛や跳ね毛の類いは一切見当たらない。肌は白いながらも、人形特有の無機物的な白さではなく、どこか息吹を感じさせるようなほんのりとした朱がさしてあり、いったいどのような技巧を凝らせばこのように透き通る“生きた肌”を描けるのか東眞にはとんとわからなかった。
 その美しい人形を、装飾の控えめな黒のドレスがぴったりとその身を包み、人形としては不釣り合いなほど肉感的な体を強調していた。控えめでありながら、しっかりと体の曲線が浮き出る服装は妙に扇情的に東眞の眼に移り、相手が人形であることを一瞬忘れさせ、その脳裏に下卑た空想の萌芽を芽生えさせるには十分すぎるほどの妖美を誇っていた。
 その妖しく美しい人形……ミヤコ様が、東眞の目の前にいたのである。

 暫しの間、東眞は息を飲むようにしてその美しさに圧倒される。息遣いすらも聞こえてきそうなほど精微に作られた人形。ただそれだけで、この人形の価値というものがわかるのであった。なるほど、これは大叔母が我が子のように可愛がるはずだと、それこそあの蝗の如く自らの死後に集った者たちに渡そうなどとは到底考えまいと東眞は得心する。
 かちゃり、と東眞とミヤコの前にお茶が置かれる。先ほどと同じ、お茶の甘い香りが空間を包んでいく。
 じっと、人形の瞳が東眞を捕え射抜く。その視線に、人形相手であっても気恥ずかしさを感じた東眞はそっとカップを手に取り口を湿らせる。お茶を含み、少し落ち着いた東眞は再度……失礼と思いながらも……しっかりとミヤコの方へと向き合いその姿かたちを見て取る。
 やはり、美しい。そう思うと同時に、どこか懐かしい面影を東眞は感じる。それが誰の面影かはわからなかったが、どこかのだれか、家族か友人か……親しかった誰かの影がちらりと見えるのである。誰にも似てないほど美しい人形から、どうしてそのような面影を感じ取ってしまうのか東眞にはわからなかったが、同時にその面影が見えることで東眞は人形に対し、それほど恐れも警戒も感じることはなかった。
 ただ静かに流れていくだけの、無言の時間であったが……東眞の心がミヤコに惹かれていくのには十分なひと時であった。



 ……ほどなくして、東眞はミヤコとの婚姻に同意するのであった。



 参 祝宴

 ……東眞が婚姻に同意してからは、早かった。
 すでに刻限は昼を回っていたにも関わらず、山吹、喜代春の音頭のもとたちまちのうちに祝いの席の支度が進められていく。まるでずっと前から、この時のために用意されていたかのようにてきぱきと物事が段取りよく進んでいく様を眺めるうちに、東眞はいまだに大叔母は生きていて、その手のひらのうちに納まっているのではないかという錯覚に陥るほどであった。だが、そんな錯覚もむなしく、やはり館の中に大叔母がひっそりと隠れ住んでいるなどということはなかった。

 「東眞様、間もなく式の段取りが整いましてございます」
 控えめなノックとともに山吹が、小雀を伴って東眞に用意された部屋……様々な書物や趣向品が品良くまとめられた書斎兼寝室の戸を開く。
 すでに東眞の服装は式のための礼服となっており、真似事であったとしても緊張しているのが見て取れた。そんな東眞の様子を、山吹と小雀は穏やかな笑みで見つめていた。
 東眞の方としても、こんなにもすぐに式が挙げられるとは思ってもおらず。むしろ準備だ何だともっと先だろうとすら思っていただけに、その日の夕刻には式を挙げ、そしてそのまま祝宴、そして初夜を迎えることになろうとは思ってみなかったのである。
 そんな東眞の様子を見て取ったか、もしくはそうなるであろうことを予め察していたのか、例によって“東眞様のお手を煩わせることはありません、ただ我々にお任せください”と使用人たちは言うのみであった。
 何とか気を落ち着けようと、鏡の前で服や髪を東眞が整えているうちに、一人の使用人が山吹の耳にそっと耳打ちをする。それに応じ頷くと、山吹は東眞に式の始まりを告げる。
 「……東眞様 式の段取りが終わりましてございます こちらへ」
 「おめでとうございます! 東眞様!」
 神妙な顔つきの山吹とは対照的に小雀の屈託のない笑顔がやけにまぶしい。少しばかり心の準備ができていないと渋るものの、そのまま山吹に促されるまま部屋の外へと出る。
 式の場所は離れのそばにある、小さな礼拝堂であった。そこまで、山吹、小雀とともに歩いていく。先ほどまでの使用人たちの慌ただしさが嘘のように静まり返り、館の中に東眞たちの足音だけが響く。そのまま館を出て、離れの方へと歩いていくと、礼拝堂の周りにはこの館の使用人たちと思わしき人だかりができていた。
 「東眞様とミヤコ様の婚姻を祝うために集まりました、この館の使用人たちでございます お手を御振りになられてもらえればと思います」
 魔物と人、皆一様に祝福するように笑顔を作り、礼拝堂への道を作る。礼拝堂の扉は開かれ、その奥に喜代春を脇に控えさえ、椅子に座すミヤコの後ろ姿が見えていた。“花嫁”の姿が見えていよいよ、東眞は真似事とは言え契りを結ぼうとしているのだという実感がわき、ひりつくような喉の渇きを覚えていく。だが、もう後に引けないところに来ていたのは間違いなかった。
 まだ、見たことも名前も知らない使用人たちが次々と祝福の言葉をかけながら深々と頭を垂れ主従の礼を交わしていく。そのたびに東眞はぎこちなく笑いながらその手を振り、たどたどしく、何とか山吹に支えられるようにして礼拝堂まで歩んでいく。
 東眞がようやく、礼拝堂の中に入ると同時に、外にいた使用人たちも中に入り整然と並んでいく。
 「……東眞様、お気をしっかり」
 緊張が頂点に達し、足元がふらついた東眞の背中をそっと山吹が支える。そのままおぼつかない足取りで何とか、ミヤコの横に並ぶ。
 「……それでは、これより東眞様と……ミヤコ様のご婚姻の儀を執り行いたいと思います」
 脇に立った山吹が、朗々と式の始まりを告げる。

 ……今日この日 そなた、有葉東眞はおのれの妻、生涯の伴としてミヤコを迎えるために参った これに相違は?
 あ、ありません
 今日この日 そなた、ミヤコはおのれの夫、生涯の伴として有葉東眞を迎えるために参った これに相違は?
 ミヤコ様のお声の代理として失礼いたします 相違はございません

 よろしい それでは両人、その意思は違いなく、そして固いものであるか?
 はい!

 とこしえの日々において、夫婦となることに恐れはないか?
 ありません

 常に互いを己の半身とし、支え、そして歩み続けることを……
 誓います

 では、我ら一同を証人とし、その前で今一度……互いに夫婦となることを誓いますか?

 誓います!



 ……真似事、そして火急であるが故の短い式、だがそれでも東眞は十分に緊張していた。そもそもがこうして大勢の人前にいるということを苦手とする性質である。己の誓いの言葉とともに後ろから使用人たちの歓声が上がる頃にはすっかりのぼせ上り、今にもふらつき倒れそうであった。
 そして、その式を執り行う山吹と喜代春に促されるまま言葉を繋いでいった後。東眞はそのまま祝いの席に出席する運びとなり、おぼろげな意識の中喜びの声とともに祝いの言葉をかける使用人たちの間を山吹に支えられながら歩いていく。ミヤコは喜代春とともに“お色直し”に参るとのことで、再びいずこかへとその姿を消していた。だが、そんなことにすらも気が回らないほど東眞も未だ緊張していたのである。

 ……宴席まで、暫しの間時間があるとのことで東眞もまたお色直しとはならずとも、少しの間一息をつくために部屋へと戻ることになる。自分の居場所となる寝室兼書斎へと入り、式によってお祝いの準備とそれに伴う喜びに染まった使用人たちの喧騒から切り離されてようやく、東眞は生きた心地を取り戻すように大きな息を一つ吐く。
 広い部屋の中、東眞は何とか気持ちを落ち着けようと椅子に座ると、辺りを見回す。品の良い、豪奢な部屋が東眞の視界に広がる。これが、今後自分のものになるのだという実感はとんと湧かなかった。それに使用人たちに対しても同じであった、あくまで彼らはかつて仕えていた主人の遺言に従って自分に仕えているに過ぎない、そう考えていたからこそ東眞はこの婚姻を受けたのである。この婚姻によって、少しでも彼らに受け入れてもらえればという思いだけであった。だが、それも今の東眞にとっては心もとない願いではあった。何をどうこうしたところで、しょせん自分は仮初の主人でしかないのだと、そういう思いは拭えなかったからである。
 東眞は再び一つ息を深く吐くと、なんとなしに目の前の小机を見る。そこには、小雀が運んだのであろう己の少ない荷物が丁寧に置かれていた。そして、机の上に小さな手記が置かれているのを見つけ、東眞はなんとなしにそれを手に取る。大叔母直筆の手記を再びめくると、不思議と心が落ち着くような気がしたからである。
 ぺらぺらと、他愛のないような大叔母の想い出や趣味趣向について記された手記を読む。大叔母はどういった想いを籠めて、この大豪邸とその周辺の村々、事業、そしてミヤコを自分に託したのか……その糸口を少しでも掴めればと読み進めるも、それを読み解けるようなことは記されていなかった。それどころか、意図的に抜いたのではないかというほど、この場所やミヤコについての記述がすっぽりと抜け落ちてもいたのである。
 なぜ気づかなかったのであろうか、その事実に東眞はうっすらとした寒気を感じる。果たしてここは、大叔母にとってどのような場所だったのだろうか。なぜそこまでして、隠し通そうとしたのか、そしてなぜ自分がそこの跡継ぎ……主人として選ばれたのか、その意図はとんと読めぬままであった。

 「……宴の準備が整いましてございます」
 山吹が、落ち着いた声で祝宴の始まりを告げる。東眞は返事をすると、手記を胸元にしまい込み部屋を出る。既に日は暮れかかり、夕闇色に染まった館は昼間とはまた違う顔を覘かせていた。落ち着く色合いの電気式の洋灯が廊下をほんのりと照らし、人に混じり魔物の使用人たちが行き交う様子をどこか幻想的に彩り始めていた。昼間と同じく、案内されるまま、促されるままに歩みを進め食堂へと東眞は招かれる。
 そのまま山吹が戸を開くと、ふわりとした暖かい空気が東眞の頬に触れる。食堂は広く、天井はそこまで高くなかったがシャンデリアが煌々と辺りを照らし、大きな暖炉には薪がふんだんにくべられ部屋の中を暖めていた。黒檀色のしっとりとした美しい色合いの長机にはいくつもの燭台が並べられていた。その規則正しく並んだ蝋燭の揺らぎが現実であることを忘れさせ、夢うつつに誘うかのようであった。
 その机の中心に、喜代春を控えさせてミヤコは座っていた。隣の席は当然のように空席が一つ並べられ、誰がそこに座ることになるのかは一目瞭然であった。東眞は少し気まずく思いつつも、促されるまでもなくその席へと向かう。
 「どうぞ」
 ミヤコの傍に控えていた喜代春が、すっと椅子を引き出して東眞を座らせる。シャンデリアの光と、蠟燭の火によって照らされた喜代春の顔はぞっとするぐらい幻想的に映り、東眞は一瞬見惚れてしまう。
 「……いけませんよ、東眞様 ミヤコ様が嫉妬なさいます」
 しかし、すぐにその視線に気が付いた喜代春は、そっと口を手で隠すと東眞を窘めるようにその身を引く。喜代春の言葉に、東眞はハッとするようにその目をミヤコに向ける。その横顔を見た瞬間、ぞくりとした感覚を東眞は覚える。ミヤコは変わることなく正面を向いていたが、一瞬その目が東眞を捉えていたかのような、そんな気がしたのである。それは果たして蠟燭の明かりが見せた幻影なのか、それとも本当にその黒い瞳がこちらを見ていたのかはわからなかったが、喜代春の言うようにミヤコが嫉妬する、というのはあながち間違いとは思えなかったのである。東眞はそんな気まずさから、姿勢を正すように軽く咳払いをする。

 そんなやり取りをしているうちに、食堂の中に使用人たちが入ってくる。どうやら、祝いの席を共に祝おうということのようであり、皆それぞれ精一杯の彩りを添えようと品を失くさない程度に着込んできたり、花や小さな宝飾品で着飾ったりしていた。それぞれが席に着く中で、東眞はあることに気が付く。皆一様に、東眞とミヤコのように男と魔物娘が隣り合うように、そして隣席からは少し離されるようにそれぞれの椅子が配置されていた。それはまるで、今の東眞とミヤコのようでもあった。
 「……ええ、そうです 東眞様 彼らはみな、夫婦でございます」
 東眞の考えを、見抜いたように山吹がそっと耳打ちする。なんとなく、感づいたものの即座にそれを肯定され、東眞は少しうろたえる。もしやと思い、山吹と喜代春の方を見ると“私たちも”というように小さく頷く。
 (なんということだろうか……)
 この場にいるものは、皆夫婦だというのである。そうとなれば、恐らくこの場で……承諾をしていなければ……独り身となるのは東眞と、横に座るミヤコだけということになる。その事実に、東眞はすっと背筋が凍るような思いを覚える。
 (これでは、まるで……)
 何もかもが、東眞とミヤコとの婚姻を後押しするかのような。ただこの婚姻を為すためだけに設けられたかのような、この空間。

 「それでは……この度は、東眞様とミヤコ様のご婚姻の儀に参席していただきありがとうございます ささやかながら、当館の執事であるこの山吹めが食事の席を設けましてございます 祝いの席でございます故、楽しんでいってください 料理をこちらへ」
 その声とともに、空腹を呼び起こす良い匂いを燻らせた料理が次々と机の上に運び込まれる。
 まだこれほどの使用人たちが、と東眞は軽く驚く。しかし、彼らもまた夫婦なのだろうことが察せられた。動き回っているために正確ではなかったが、男の数と魔物娘の数が等しかったからである。それに、席もまだ空いている。まず間違いなく、料理を運んできた使用人たちが座るための席だろうことが伺えた。
 てきぱきと、手際よく料理が並べられ、取り皿に飲み物、食器の類いも揃えられていく。やがて、宴の準備が終わったのか、料理を運び込んできた使用人たちが席に座り始める。それに伴い、東眞の横に山吹と……昼間、門のところで出会った山百合という名の山鬼(トロール)が座り。ミヤコの横に喜代春と、使用人の男性が座る。
 「それでは、いただきましょう 東眞様とミヤコ様の、これからを祝って 乾杯」



 乾杯!



 肆 初夜

 ……酒の入ったグラスを掲げた後のことは、あっという間であった。香り良い美酒に、素朴ながらも味わい深く美味い料理、それらをどのように楽しんだかもわからぬほどであった。緊張のせいか、それとも先ほど感じた恐れをかき消すように、東眞は知らず知らずのうちに深酒をしてしまったようであり、すっかり意識を飛ばしてしまっていた。気が付いた時には寝間着に着替えさせられており、寝室の寝台の上に寝かせられていた。
 ふかふかの寝台から身を起こすと、酔いでふらつく頭を何とか起こす。そのまま喉の渇きを覚えた東眞は寝具の傍にある小机の上に置いてあったガラスの水入れを手に取り、同じく置いてあった細工ガラスのコップに注ぎ、それを口につける。
 どうやら、それはただの水ではなく、冷茶のようなものであったらしく。ほんのりと甘くすっとした味が舌の上に広がっていく。よくよく見れば、水入れの中に薬草と思わしき花や葉、木の実の類が袋に詰められ浮かんでいた。乾いた体に染み渡るその冷たさは、同時に酔いも冷ましてくれたようであり、意識と思考がはっきりとしてくる。それと同時に、東眞は自分の格好がだいぶはだけてしまっている、ということにも気が付く。
 いつ脱がされたのかは定かではないが、今着ているのは肌触りの良い白無垢の寝間着だけであった。肌の感触からしても、下着を穿いている感じはなかった。
 「ふぅ……っ 寒い」
 季節がら、そこまで冷えるはずはなかったが山奥のためか、しんとした冷気が部屋の中に漂っていた。窓から差し込む月光が、どことなく部屋の中を神秘的に彩り、まだ夢の中にいるような心地にもさせる。東眞は寝間着を整えると、寝台に潜り込むべく振り返る。
 「あ……っ!」
 ふんわりと、大きな寝台の中心。東眞が寝ていた場所の横に“花嫁”が寝かせられていた。
 夜の薄闇の中でも、光るように艶めく黒髪を流し、そっと目を閉じ横たわるその姿は、ひと時彼女が人形であることを東眞に忘れさせる。東眞と同じくゆったりとした白無垢に身を包んだその姿はひどく蠱惑的で、月明かりにほんのりと照らされたその肌は生きているかのようにうっすらと濡れて見えていた。

 それは本当に、ぞっとするように美しかった

 ごくり、と東眞の喉が鳴る。
 それと同時に、東眞の中で警鐘が鳴り始める。人形に欲情するなどと、倒錯めいた趣向は持ち合わせてはいないはずであった。だが、確かに東眞は今、感じないはずの、感じてはいけないはずの火照りを、ミヤコに対して抱いてしまっていた。
 まるで誘蛾灯に惹かれる羽虫の如く、無意識のうちに手が伸びる。

 いけない

 そう思いつつも、手が開き、指先が伸びていく

 酒が入っていた
 緊張でどうかしていた
 月がきれいだったから
 はなよめだから

 いいわけが、つぎつぎとあたまにうかんでいっては きえていく

 東眞の、震える指先がそっとミヤコに触れる。

ふわりと滑らかな白無垢の奥にある、確かな柔さ

 どくり、と心臓が跳ねる。
 人形とは思えない、その不可思議な感触に東眞は混乱していく。

 やわらかい

 指を離し、ミヤコの手を取る。
 しなやかな、球体関節によって形作られたその手は柔らかく。引力に従って垂れる指は、軋む音一つ立てずに静かに振れる。その関節は隙間なく、滑らかに動く。撫でても引っかかることすらない、ただそれだけで驚くべき技巧であることがうかがえる。
 そして、その手は柔らかく、人のような、人じゃないような、いったいどのような技をもってして創り出したのか。白い細指と手のひらは、東眞の熱が移ったのであろうか、ほんのりと湿り温もりを感じてしまう。

 興奮と、驚愕。
 東眞が顔を上げると、ミヤコの顔が見えた。
 朱をさし、しっとりと艶づいた唇が闇に映える。

 あの、くちにすいついたならば

 どれほどの興奮を、得られるだろうか。
 もうすでに、東眞の中に人形性愛に対する忌避は消えていた。それよりも、燃えるように熱い火照りを、欲望を抑えきれなかった。
 今、東眞の目の前には、好きにしてよい体がある。東眞のものとなった、東眞の花嫁が、目の前にいたのである。

 東眞は、震える体を無理やり抑え込むようにして、ミヤコの髪に触れる。冷たく、絡みつくその黒髪は梳き水のように東眞の指を濡らしていく。そのままミヤコを抱えるように、その手を肩に回すとそっと抱き起していく。
 さらりと、髪が流れる。
 そして、抱き起されると同時に、ふわりと僅かにミヤコの胸元が露になる。

 ああっ

 人形なのに、どうして、劣情を抱かずにはいられないのか。

 異常だと、理性が東眞の性癖を諫める警鐘を鳴り響かせる。だが、東眞の息は荒く。もう我慢の限界であった。

 東眞の口が、ミヤコの口に重なる。

 しっとりとした甘い味が、した

 ぞわりと、最後の警鐘が鳴りやむ

 もう……ておくれだと



 ミヤコの、目が開く。
 どこまでも透き通る黒瑪瑙が、東眞の眼を射抜く。

 ッ!

 驚き、口と体を離す東眞の胸元に、ミヤコの手が絡みつく。
 そのまま力任せに引き寄せられ、再度口と口が重ねられる。合わさると同時に、甘い舌が唇を割り、口内へと入り込む。じゅるじゅると、味わうように東眞の口を犯していく。
 突然のことに、混乱し恐怖を覚える東眞だったが、舌を絡めとられ嫐られる感触と、まるで動きを確かめるように東眞の背を撫でるミヤコの手つきの優しさで再び感じたことのない異様な興奮に染まっていく。

 音もなく、口が離される。

 ねっとりとした、甘い唾液がとろとろと互いの舌の上に転がり、ミヤコは味わうようにそれを飲み込んでいく。先ほどまで、何の感情もなく、ただ作られた表現しかできなかったはずの人形が、今は東眞の前で艶めいた表情で妖しく微笑んでいた。

 どうして

 ただ混乱し荒い息を吐く東眞の口に、そっとミヤコはその白い細指をあてる。
 そのままより一層妖しく微笑むと、そっと囁く。

 ほんとうに、かわいいひと

 どこかで、聞いたような声音。だが、それよりもミヤコが言葉を発したという事実が、より一層東眞を驚愕させる。そんな東眞を、ミヤコはそっと押し倒すと彼の上に跨り、白無垢をするりと開ける。
 僅かな衣擦れの音とともに、その裸体が、東眞の眼前にさらされる。月光のもと、白く輝くその体にうっすらと影が浮かぶ関節が、艶めかしく動くその体が間違いなく作り物であるということを語り始める。だが、そんな事実が些末に思えるほどその体は、病的なまでに蠱惑的で妖しく、美しかった。
 ほんのりと朱がのった白肌の上に、満月の如く美しい丸い白丘が二つ、形を崩すことなく揺れ。その先端には桜の花が一つ、慎ましやかに咲いていた。極上の陶器の如く、傷一つないその体はすらりと細く、それでいて未だに白無垢で隠された腰元は僅かに見える部分だけでも大きく、胸に劣らず見事な造形であることが伺えた。
 いったい、どれほどの熱と劣情を注ぎ込めばこのような妖美なる造型ができるというのだろうか。東眞はただただ見惚れるばかりであった。

 そんな東眞を眼下に、ミヤコはくすりと笑うと、その両腕を東眞の白無垢に差し込み己と同じように胸元を開けさせるとしなだれかかるように肌と肌を合わせる。
 少しばかりひんやりとした、それでいて柔らかい双丘がつんとした触りとともに東眞の胸板に沈む。そして、そのまま再び口と口を、接吻を始める。
 先ほどとは違う、柔らかで優しい、静かな口づけ。ちゅ、ちゅっとすずめが鳴くような音とともに口が付いて離れていく。そんなさなかに、己の両胸の摘みに刺激が走った東眞は身をよじるように薄くもがく。その刺激の正体はすぐに分かった。ミヤコがその両腕の白指をもってして、東眞の両蕾に悪戯をしていたのである。くりっくりっとつまみはじくその手戯びに東眞は悶えるも、薄く軽く接吻によって塞がれ、無様な喘ぎ姿をさらすほかなかった。

 しっとりとした口づけと、戯れな乳繰を終えてミヤコが体を起こす頃には、東眞はすっかり顔を上気させ、荒い息を吐いていた。そんな風体の東眞に対し、ミヤコはふうっと耳元に吹きかけるように甘く笑う。
 じっと、汗に濡れた東眞の体とは対照的に、人形であるミヤコは汗一つかくことはなかった。だが、その体は先ほどよりも朱く染まり、冷たいはずの体もどこか温もりを感じるかのように幽かな熱を確かに放っていた。

 あなたが、ほしいわ

 そう囁き、自らの胸に東眞の手を導く。ふんわりと、さらりとした手触りが東眞の手に甘く広がっていく。そんな問いかけをせずとも、東眞の一物は既に昂り、いただこうと思えばいつでもいただけるころあいであったが、ミヤコはくすくすと囁くように微笑むばかりで、ただ静かに東眞の答えを待つようであった。
 東眞は、自らの手のひらに包まれたミヤコの白餅をやわやわと揉みしだく。薄く桃色の蕾が咲く白餅はどこまでも柔らかく、つんと澄ました蕾が時折指に引っかかる感触が心地よい。それに、汗一つないのにもかかわらず、東眞の手にもっちりと吸い付くような手触りはいつまでも触っていたくなるほどであった。

 こたえをきかせて?

 夢中になって乳をもむ東眞に、ミヤコは再度優しく囁きかける。東眞の中で、答えは決まっていた、決まっていたが答えられなかった。答えたら最後、もはや逃げることはできないと……蜘蛛に絡みつかれた蝶々の如く……だが、悟ってもいた。
 蜘蛛の巣に落ちた時点で、逃げ場などないのだと。後はただ、どれだけもがき続けることができるのか、どこで力尽きるのか、ただそれだけであった。
 きゅうっと、東眞の一物が白糸の如き指に絡みつかれる。冷たいようで、温いその指は優しく悪戯に東眞の分身を慰撫し、熱を籠めていく。そのしなやかな指が一擦りするたびに、興奮が高まり、抗いがたい疼きとともに、喉元まで言葉がせりあがる。自らに跨るミヤコの、命を帯びるはずのない場所は熱く、押し付けられた東眞の足を暖めている。じっとりとした、明らかに人形が帯びるはずのないその熱は、同時に命あるものの特権であるはずの営みを、ミヤコは行うことができるのだという証左にほかならず、その事実に東眞は驚愕の念を覚えると同時にどうしようもなくミヤコを欲してしまってもいた。
 ゆっくりと、撫で搾るように動く指先。もうすでに限界であった。

 息も絶え絶えに、東眞は、花嫁の名を呼ぶ。
 そして応える、ほしいと、あなたのものだと……

 ほんとうに、いとしいひと

 ミヤコは微笑み、東眞の額を撫でる。

 さあ……おいで

 白無垢で、隠された秘部と一物が触れ合う。人形師、一世一代の秘技がいかものか、それを見たいと願うもミヤコは悪戯に微笑んだまま腰を浮かせ、ぬぶりと、東眞を飲み込む。

 嗚呼

 これが、人形だというのか。東眞は叫ぶ。熱くぬめる、己を包む柔肉にただただ嘆息する。だが、確かにそれは人の……生けるものの持つそれとは違っていた。奥から湧き出る泉の如きものではなく、まるで肉そのものがねばつきうねる粘液の如きもの。それがミヤコの胎中であった。
 それがゆっくりと、亀頭、雁首へと食いつき、ぬりぬりと滑り沈み込むように東眞を飲む。じんわりと広がる熱と肉のうねりに、東眞は全身を震わせ、必死に耐える。まだミヤコは、一擦りも腰を浮かせていないのだ。ただあてがい、飲み込んだだけ。ただそれだけなのに、東眞は既に果てようとしていた。これではあまりにも情けない。だが、それも無理のないことではあっただろう。それほどまでにミヤコの秘部は人ならざる快楽を東眞にもたらしていた。
 にゅぐっと、吸い付くようにミヤコの腰元が東眞の腰元に重ね合わされる。熱く、柔く弾力のある肉が押し付けられる感触はどうしようもないほどの官能を、東眞に与えていた。耐えるだけでも、精いっぱいという有様であった。
 だが、ミヤコは東眞と繋がった、という感触を確かめるように二度三度と腰をにぐにぐと動かし、そのたびに膣肉をきゅっと、巾着を絞めるがごとくうねらせる。
 まってくれ。そう叫ぶもミヤコは妖しく恍惚の笑みを浮かべたままその腰を踊らせる。もしも、彼女に吐息があったならば、ため息の如き悦楽を吐き出していたに違いない、そんな表情で東眞を見つめていた。そのまま、たん、たん、と小さく肌と肌を打ち合わせるようにその腰を跳ねさせていく。
 ミヤコの腰が下ろされる度に、おのが一物から送られてくる熱く吸い付く柔肉の感触は、東眞の脳内に火花を散らせては、その精を吐き出せと突き上げるが如く檄を飛ばす。生身とは全く違う、ぬめりのない、ただ柔さと熱、そしてぴったりと吸い付く肉襞によって与えられる快感は全く持って慣れることのない、慣れることがないゆえに強烈な快感を東眞に与えていた。
 いくら耐えようとも、己が引き出される度に味わう吸引するが如き密着した膣壁を前に、東眞は順当に精を吐き出すための段取りを、努めて早く進めさせられていた。ミヤコの腰使いも“疾く、疾く”と急かさんばかりであり、彼女の望むままに精が吸い出されるのも秒読みといってよかった。そして、それはミヤコもわかっていたのであろう、己の中に埋まる東眞の分身がひときわ大きく震えると同時に、腰を深く落とし密着させながらくうっと秘花を閉じるように包み絞め、己が胎内を密閉する。その根元から吸い上げ、張りつきうねり上げる感触をとどめに東眞は精を奉じる。
 はじけ、飛び散る音が、耳奥に反響するかのようにどくんどくんと、ミヤコの中へと自身が流れ込んでいく。受け入れられ、そのまま満たすという幸福、快楽を前に東眞はただただそれを享受することしかできなかった。

 疲れ果てたかのように、ぐったりと身を投げ出す東眞を、そっとあやすようにミヤコは撫でる。しっとりと濡れた黒瑪瑙の瞳が、ゆらいで東眞を映す。冷えた白指が、東眞の髪を掻き分ける様子は、表情からは読み取れぬほどの情念を、確かに感じさせるかのようであった。実際、そうであったのだろう。
 ミヤコは東眞の一物を、己の秘奥にしまい込んだまま再びその腰を浮かせ、ゆっくり労わるように……それでいて決して逃すまいと噛みつくように……ちゅうっと締めながら抽挿を再開する。ぬるりと、先ほど吐き出した精が秘肉を濡らし、まるで生き物の胎内であるかのような快感を東眞に与える。
 艶めかしく動く腰と、新たな刺激に東眞の一物は萎えることなく、再び熱を持ち始める。炸薬のような快楽の後の、じりじりと炙り燃えるような快感。むくりと、ミヤコの秘奥を押し上げるように愚息が持ち上がっていく。

 嗚呼、また……

 そう東眞が思ったその時であった。ぷちゅり、と……一物がミヤコの中から引きずり出される。熱くうねる肉に包まれていた一物を外の冷えた空気が包み、言い難い寂しさを感じさせていた。
 どうして、そう問おうとする東眞を後目に、ミヤコは飽いたとでもいうようにその身を寝台に投げだす。
 突然の心変わりに、東眞は何かまずいことでもしたかと、慌ててその身を起こす。もちろん、中途半端に昂った己の一物をどうにかしたいという気持ちもあったが、それ以上に愛しい花嫁の機嫌を損ねてしまったのではないか、という思いが東眞を駆り立てる。だが、その心配はすぐに杞憂へと変わった。
 東眞が身を起こすと同時に見たのは、くすくすと悪戯っぽく笑うミヤコの顔であった。秘部を白無垢で隠してはいるものの、大きく両足を開き、その胸は開けて誘っている。その煽情的な姿に、東眞は一気に昂り覆いかぶさるようにミヤコの方へと這う。そんな東眞の必死な様子を、とろりとした黒色が愛おしさを隠すことなく見つめていた。
 黒い湖畔の如く、波広がる黒髪に浮かぶ白色の艶島。辛抱溜まらず、東眞はいよいよ白無垢に手をかけ、払う。そこには確かに、一世一代、人形師の秘技があった。成熟した、完璧な妖美のさなかにある、無垢貝の如き秘裂。すらりとした切れ目に、うっすらと咲き誇る桜貝と、静かに濡れる小粒な真珠がそこにあった。その貝口の奥から先ほどの艶事の証が、とろりと蜜の如く濡れ零れる。ここに、この中に、確かに己がいたのだという証。
 もう、我慢ならなかった。東眞は己の愚息を秘裂に乱暴に押し付けると、そのまま無遠慮に腰を突き入れる。ずるりと、貝口を割り、その蜜肉を味わう。じんわりと、再び灯る熱と収まるところに収まったという、安堵。そんな東眞を、心の底から愛惜しむようにミヤコは微笑むと両腕と両足を東眞に絡みつかせる。それはまるで、絡繰り仕掛けの罠に捕えられた鼠のようでもあったが、東眞は気づくことなく欲望のままに腰を動かし始める。
 一突きするたびに、くくっと締まる蜜肉と、とぷとぷと最奥から溢れる先ほどの精が亀頭に絡み、痺れ弾けるような快感が東眞の中に跳ね返る。そのまま東眞は抱きしめるようにミヤコへと覆いかぶさると、その首に舌を這わす。人よりも美しい、その白首にうっすらと浮かぶ継ぎ目。それすらも今の東眞にとっては情を煽るものに映り、己の舌と指をそこに突き入れようと力を籠める。
 その瞬間、ぴくりとミヤコの体が震える。“継ぎ目が弱いのか”……直感的に、反応を見て東眞はそう感じる。そのまま舌で継ぎ目を舐めつつ、片腕を開け放たれた脇に、もう片腕を尻の付け根へと奔らせ、ひときわ大きな可動部に指を突き入れる。じっと熱い、体内のようなミヤコの中に東眞の指が侵入した途端。跳ねあがるようにミヤコはその体を弾けさせる。だが、ぎゅっと押し付けた東眞の腰と肉杭によって押さえつけられ、そのままびくびくと陸に上がった魚の如くその身をよじり、意地悪な花婿から逃げようともがく。
 その動きは激しく、無茶苦茶にこねくり回される蜜肉によって東眞の愚息は動かずともたちまちのうちに昂り、暴発せぬように耐えるのが精いっぱいになる有様であった。だが、その快楽に耐える苦しみよりも、手玉に取られていた相手に一矢報いたという雄特有の高揚感と、弱点を知ったという優越感の方が勝り、ぐりぐりと壊さぬように、努めて優しく秘部をさわるやうに継ぎ目を攻め立て、ミヤコをいじめたてる。

 そんなこんなことをしているうちに辛抱溜まらなくなったのか、ミヤコは東眞を絡める手足の力を籠め、自らの胎底に咥えこんだ彼の分身をきゅうっと締めあげる。ある程度は予測していたとはいえ、雄の弱点に対する強襲に東眞はのけ反るようにその身を起こすも、絡みついた手足に阻まれてしまう。

 まったく、いたずらなひと

 にったりと、囁きながらミヤコはその身をよじる。くねる白魚のごとく、腰と白桃がうねるたびに亀頭、雁首、胴元がきゅう、きゅうっと締まる。これが世に聞く三段締めかと、東眞はその身を震わせながら、無防備なままでその快感を受ける。うねり、ぬめり、締まるたびに蜜肉がにゅるにゅると蠢き、これぞ人外の快楽よといわんばかりに東眞を攻め立てていく。舐るように亀頭が包まれ、雁首に花襞が引っかかる。あまりの快感に逃げようと腰を引いても、みっちりと咥えこんだ貝口がまとわりつき、引き抜くことは叶わなかった。
 尤も、そうでなくとも、絡繰り仕掛けよろしく、絡みついたミヤコの手足を振り払うことなど人の身でできる芸当ではなかった。

 あっ、ああっ!

 無様、そう言えばよかろうと、先ほどまで攻め立てていた甲斐性もなく東眞は一鳴き声を絞り出すと、ミヤコの中に再度己を吐き出す。覆いかぶさり、貪ろうとしたはずなのに、逆に喰われておったのは己だと痛恨するかのようであった。そんな東眞の悔恨をよそに、ミヤコは己の胎器に再度注がれる命を味わうようにうっとりとした表情で、東眞の背を撫でさする。その目はますます妖しく燃え、このまま喰ろうてやろうかと、情に濡れる鬼女の如き様相であった。だが、精を絞り出し、顔を上げた東眞が見たのはいつものやうに澄まして悪戯に微笑むミヤコの顔であった。

 まだ、でしょう?

 囁きとともに、ミヤコの蜜貝がうねる。それに呼応するように、主の意思を無視して愚息はただ熱く、固く花嫁の中で己の存在を主張し始める。二度の射精を経てもなお、東眞の欲望は尽きることなく、より激しくその身を焦がし続けていた。
 いったい、おのれはどうしたというのだ。そんな問いかけすらも、漏れる暇なく腰が動き始める。疲れているはずの体は萎えることのない一物に応ずるがごとく精気が溢れ、ただ目の前の花嫁を孕まさんと、無機の器に命注がんと燃え上がる。
 ふと、目と目が絡みつく。その瞳の奥に、かつて見た面影が重なっていく。

 あいして、わたしをあいして……

 囁き、懇願、哀願、どこかで聞いた声が東眞の耳の中で反響する。

 あいしている

 そう答え、東眞はミヤコを掻き抱く。その体はじっとりと熱く濡れ、彼女が人形であることを、無機なるものであることを忘れさせた。
 だが、もうそんなことは東眞にとっては些末なことであった。彼は、彼女を愛している。たとえ人形であろうとも、互いに愛を囁いたならば何をためらおうかと、ただただ彼はそう想っていた。



 月明かりに照らされた、函の中
 永久なることを願って、花嫁歌う
 あなたのために、この身捧ぐと























 後 裏表紙

 ……「無事に、結ばれましたようで」
   「ええ、そのようで」

 月明かりに照らされた、館の一角。使用人たちが寝泊まりする場所の一部屋で、執事と女中頭が、お茶を飲み交わしていた。
 机の上に置かれたランプの灯りが、ゆらりと揺れる。

 部屋に灯りがないわけではなかったが、執事……山吹と女中頭の喜代春は、まるでこそこそと裏話をするかのように小さな丸机に向き合うように座り、耳打ちをするかのように小声で言葉を交わしていた。

 「……これで、ご主人様にご恩返しができました」
 「まったくもって」

 ほっと、一息吐く喜代春。それに応ずるように、山吹は湯気立つお茶に口をつける。

 「それにしても、うまく事が運びまして 安心しました ……もしも何かダメとなっていたらと思うと」
 「そればっかりは、東眞様に感謝というほかありませんな ご主人様のお望みを、よく理解してくださっていた だからこそでありましょう」
 「本当に……山吹さん ちょっとした好奇心なのだけれど……もしも、東眞様が最初に断っていたらどうするつもりでしたの?」
 「……ご主人様の命に従い、もっと追い込んでいたでしょうな」
 「……それで、東眞様がもっとつらくなったところに再び現れて……」

 おお怖い、というように喜代春はわざとらしく怯えると、にんまり笑って茶菓子に口をつける。その様子を、山吹はにこりともせずに眺める。

 「でも、その結果東眞様が自死を選んでしまったら……?」
 「懸念はありましたが、ご主人様の命故 ……尤も、東眞様はそんな思い切りのある方ではありますまい」
 「あれま、ひどいお方 なんにせよ、心変わりを待つつもりだったということかしら」

 左様、と山吹は頷く。

 「少々気弱で神経質なところがありますが、ご主人様の見立ては間違ってはおりますまい 欲深な親族に対し立ち向かったのも、ご主人様を想ってのことでしょうし……こちらの無理もご主人様のためと引き受けてくださいましたからな」
 「かわいそうに……もうここにきてしまった時から、いずれはそうなることは決められていたということなんて……知りもしないでしょうに ご主人様に見初められたのが運の尽き、だったかしら」
 「……我らと同じく、幸運だと思ってくださるとよいのですが」
 「それは東眞様次第かしらね でも、うまくいくと思いますわ」

 くすくすと、喜代春は笑う。

 「何はともあれ、長いことかかったものです ご主人様もなんと回りくどいことをするかと、当初は思ったものですが……あの欲深なものたちを見てみれば、なるほどと思います」
 「……そうですね、それにご主人様も情緒的というか、倒錯的な想いを抱いておいででしたね でも、お気持ちは同じ女としてわかりますわ 愛する人に捧げるものは、何よりも美しく奇麗なものでなければ……そうでしょう?」
 「ですが、あの東眞様であれば……受け入れたと思いますがね……それほど、ご主人様を慕っておいででしたから」
 「たといそうであったとしても……商売人として許せなかったのでは? 本当に大切な人に、売り物だったものを渡すなんて……手垢を気にする人は意外と多いのですよ? おもちゃのお人形ではないのですから」
 「……それに親族たちの目もある、ということですかな」
 「まあ、あの親族たちに関しては手切れ金も渡しましたし……東眞様も行方不明になられた以上、もう詮索することはないでしょう ……もし詮索をしたとしても……」

 ゆらりと、喜代春の影が蠢きその目が黒く燃える。その様子を眺めながら、山吹は自身のグラスに暖かいお茶を注いでいく。

 「本当に、ご主人様も恐ろしいことを思いつきなさったものです 最初は何の御冗談をと思ったものでしたが、本当におつくりになってしまうとは」
 「ええ、この箱庭も……誰も知らない閉じた函……そう聞くと恐ろしく思ってしまいますね」
 「二つのいれもの 一つは自分のために、もう一つは……いや、結局は二つですかな 東眞様のために、ずいぶんと大がかりなものを御用意なさった」
 「そして、何もかも自分の思い通り……ご主人様は本当にご聡明で、恐ろしいお方」
 「……けだし、恐ろしきは女の情念なりやと思い知るなむ」
 「山吹さんたら、似合わないことをおっしゃいますね ……あら、もうこんな時間」
 「もうお開きにいたしましょう 明日からまた、新たなご主人様にお仕えする日々が始まるのですから」
 「ええ、そうしましょう 山吹さん、山百合さんによろしく言っておいてくださいね 山百合さんのつくるお茶は本当に美味しいものですから」
 「もちろん、そう言ってくださると家内も喜びますよ」

 他愛のない会話をしながらお茶を飲み干し、部屋の隅にある流しに片付ける。二人の使用人は軽く会釈をすると、それぞれの部屋に戻るべく支度を始める。椅子を払い、机を拭き、ランプの灯を消していく。

 これから始まる、箱庭の日々を思いながら。


22/01/02 16:47更新 / 御茶梟

■作者メッセージ
拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

最初は「リビングドールで何か書きたいな〜」と思って、構想だけ考えていましたが、形になりそうだったのと短編で書けそうだったので書いてみました

以下蛇足
どんな形であれ、女の愛は重くてなんぼ、だと思っています
実際に我が身のこととなれば恐ろしく感じるかもしれませんが、それでも惹かれ焦がれるものがあるのです

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33