連載小説
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空席の門
ミタツは手綱を握りながら前を行く馬車の後部を眺めていた。
右を見ても左を見ても同じように馬車か荷物を背に山積みにした馬ばかりが目に入る。
多分、自分の馬車の背後でも似たような光景が広がっているのだろう。
「ミタツ、周りに気ぃ取られ過ぎて落馬したらあかんで」
と、背後から声がかけられる。
荷台の中から顔を覗かせているのは一人の少女、目尻の切れ上がったいかにも利発そうな顔立ちはしかしすこしばかりのあどけなさを残している。
頭頂部に耳がある事から彼女が人間でない事、そしてその丸っこい耳の形状から狸である事が伺える。
「あ、はい、大丈夫です……」
言いながらもつい周囲に目線を走らせてしまう。無理もない事だ、ミタツは生まれてこの方これ程多くの馬や人を一度に見た事はないのだから。
加えて言うならこれ程沢山の馬達が一度に通れる舗装された幅の広い道も初めて見た。
「見とれんわ、代わったるから下がりぃ」
そう言うと彼の師である刑部狸ことモモチはひらりと軽い身のこなしで荷台からミタツの跨る馬の尻の上に乗り移った。
そんな事をされれば馬が驚きそうなものだが、馬はまるでモモチの重みなど感じていないような様子だ。
「ほれ、交代交代」
そう言ってモモチはするりとミタツの膝の間に入り込んだ。
相変わらず狭い馬上でどうやったらそんな動きができるのかと不思議に思いながらミタツは手綱を離してモモチに譲り、馬の尻の方へ移動する。
無論、ゆっくりと慎重にだ。
手綱をモモチに譲った事で余裕が出来たミタツは改めて荷台の上から周囲の景色を見回した。
大挙を成してぞろぞろと進む荷馬車、馬、そして歩く人々。
中には小柄なゴブリンや背に荷物を乗せたケンタウロス等の魔物達も混じっている。
そして舗装された幅広の道の先にあるのが皆が目指すかの有名な魔界国家「レスカティエ」だ。
遠くからでもその都市の中央にそびえる巨大な城の威容が朝日に照らされて見える。
「……すごい」
ミタツは溜息混じり呟くしかできなかった、想像を超えたスケールだ。
ジパングでほんの小さい頃にモモチに拾われて商人の道に入り、モモチを追ってジパングを飛び出し。
故郷から遠く離れた地でそこそこに経験を積んできた。
その行く先々で耳にしたのが魔界国家レスカティエの話である。
地上の魔界とまで呼ばれるその国は当然、商業的に見ても重要な拠点だった。
何しろ今まで魔界からのルートでしか手に入らなかった商品が地上で入手できるのだ、無視はできない。
今回、前々から行ってみたいと思っていたそのレスカティエにとうとう行く機会に恵まれたのだった。
無論、遊びに行く訳ではないが……。
「ミタツ」
「はい」
「耳にタコ出来とるかもしれんけど、しつこう言っとくくらいがええと思うから言うとくで」
「はい」
ミタツは内心やれやれと思いながら返事をする。
「道を行く魔物がどんなに美人でも見とれるな、うかつに食い物を口にするな、そして」
「夜になったら外に出るな、ですね?」
モモチは振り返ってじろりとミタツを睨む。
「……そうや、人間でいたいんやったらな」







レスカティエは元は教団の重要拠点だった。
よって地理的には教団領に近く、危険性も高いはずなのだがこの国の繁栄ぶりはそんな事実もどこ吹く風という感じだ。最前線で教団に見せ付けるが如くである。
「でかいなぁ……いちいちでかいなぁ……」
ミタツの目にした行列の行きつく先にそびえ立つ門もその繁栄を象徴するかのように大きい。
入国審査は極めて手早く行われるらしく、列は滞る事無く門に吸い込まれて行く。
「……あんなに一気にどうやって見てるんです?」
「何?なんやて?」
モモチが耳をひこひこと動かしながら振り返る。
中途半端な声量では周囲の足音と蹄の音にかき消されてしまう。
「あんなに沢山の人々の審査を何であんなに早く出来るんですかね!?」
声を張り上げるとモモチはにやりと笑って見せる。
「まあ、見とき、びっくりするで」
よくわからないまま進んで行くといよいよ門が近付いて来た。
ミタツは溜息をついた、感嘆の溜息だ。
遠目からではよくわからなかったが、見上げる程巨大なその門にはゴシック様式に似た恐ろしく精密な彫刻がなされていたのだ。
こういった装飾は身分を隠して商売をした教団領でも見掛けた事がある、教会などに女神や僧侶、天使の彫像が見事な造形で掘りこまれているのだ。
しかしこのレスカティエの門から受ける印象は教団領で見掛けた厳かで神聖なそれとは全く異質だった。
やはりというか何というか全体に艶めかしいのだ。
上方に彫り込まれた羽を広げているサキュバスの半身像は扇情的なあの服装で豊かな房をたわわに実らせ、それをことさら強調するように二の腕で押し出している。
その下に規則的なような規則性がないような奇妙な配置であらゆる種類の魔物達が縦横無尽に絡み合った彫像が続く。
皆が全裸ではなく、ローブ代わりのような布で体の局所を際どく隠している。それが芸術品としての品性を損なわせず、同時に淫らさを強調するという矛盾した役割を果たしているのだ。
入口の門の両脇を固める一際大きな女神……いや、淫魔像もその豊満な肢体に布をしどけなく着こなしている。
その肌の質感、布の質感ときたら見ているだけで滑らかな手触りが想像できる程だ。
そこまで見てミタツはふと気付く、教団の彫像とレスカティエの彫像の一番の違いは彫像達が浮かべる表情にあるのだ。
教団の彫像達は基本的に無表情だ、あるいは厳しさや悲哀を感じさせる表情をしている。
比べてレスカティエの彫像は表情がとても柔らかなのだ、淫猥さも感じるが、同時に深い慈愛をその表情に滲ませているのだ。
ミタツはこれだけ規模が大きい彫像なのに威圧感を感じない理由を理解した。
(……どちらも見事だけど……こっちの方が僕は好きだな……ん?)
と、門の一部に不自然な点を見付けてミタツは不思議そうな顔になる。
配置的に見て門の中央に位置する場所に壮麗な装飾を施された玉座の彫刻がある。
そこに誰かが座っていれば完璧なバランスだというのにそれが空席になっているのだ。
「……師匠、あれって……」
「うん?」
振り返ったモモチはミタツの視線を追ってああ、という顔をする。
「あの門の彫刻、不自然やろ?あれにはちょっとした逸話があってな」
「逸話?」
「この門造らはったんはリャナンシーの嫁持ちの旦那さん達やってんけど、全体の設計描いた人は独身の人やったんよ。
デルエラさんに随分心酔しとったみたいでな、あの玉座に座るデルエラさん彫り込んで完成させる予定やったんや」
「それがどうして?」
「玉座のデルエラさんの彫刻はこの門の建設が始まったその日から設計の人がこの部分だけは自分一人で完成させる言うて……ずーっと一人でやっとったんや、
しかしまぁ……あんまりに丹精込め過ぎたんやろな」
「あー……」
「完成した直後に「その」デルエラさんが玉座から立ち上がりはって、で、その設計の人をかっ攫ってドロンや」
美術関係の商いに関わっているとたまに聞く話だ。作者の情念が魔力の力を借りて創作物に乗り移ってしまうのだ。
ある意味ではおめでたい話だが、商売人としては困らされる現象だ。
「しかし……何でそのままになってるんですか?別の人に造ってもらってもよかったでしょうに」
「デルエラさんの意向や」
「デルエラさんの?」
「この国は自分の国やない、魔物達と人間達の国や、今回の件も自分を崇拝するよりも嫁を愛せえ言う天啓や言うてな、
結局玉座を空席のままにしといた言う話や」
「何て言うか……すごい人ですね」
「せやろ、尊敬はするけど真似でけへんわ、うちやったらめっちゃ立派なやつ建てなおさすわ」
師匠の軽口に笑いながらミタツはデルエラに対する認識を新たにした。







そんなこんなしているうちに二人の馬車も門のふもとに辿り着いた。
見れば驚く入国審査とは一体どんなものなのかとどきどきしながら進んで行くと門の入り口にさしかかる。
「……なんだろう?ここ……」
門の内側は綺麗だった。
いや、装飾が綺麗とか美しいという意味ではなく、綺麗さっぱり「何もない」のだった。
磨き抜かれた大理石のような滑らかな壁で形成された通路が百メートル程続いている。
きょろきょろとその壁を見回しながら進んで行くとすぐにその通路を抜けた。
「よっしゃ、やっと着いたでぇレスカティエ」
「あの……入国審査は?」
「さっき終わったで?」
「え?へ?いや、門をくぐっただけじゃないですか」
混乱するミタツをモモチはにやにやしながら見ている。
「な、びっくりしたやろ?」
「いやわかりませんよ!?説明して下さいよ!」
「あの門の内側、大理石みたいな壁で出来とったやろ?」
「はい」
「実はあの通路、探知魔法が張り巡らされとってな、毒物やら爆発物やらの異物を感知すると監視員にすぐわかるようになっとるんや」
「そっ、そんな技術が……いや、というか入国審査って危険物を持ってないかどうかだけなんですか?」
「せや、入りたければ教団領の人やろうとなんやろうとウェルカムや、そういうスタンスやこの国は」
言いながらモモチは市街地に入っていく大勢の人々の流れから離れ、門の出口の脇に馬を入らせていく。
「あれ……どこに?」
「ちょいな」
そう言って馬車を停めて馬を下りるとモモチはちょいちょいと馬車に向かって宙で印を切る。
宙に描かれた印は一瞬ぽう、と光るとすぐに消えた。
一見すると何も起こっていないがミタツは知っている、これは行部狸達の間に伝わる化かしの技法の一種で「見えざるの術」という。
馬車を人に認識させないようにしたのだ。モモチは盗難防止によく使う。
「行くで」
「行く、ってこれは……」
内側から見ても凝った装飾のなされた門の出口、その装飾に目が行って気付かないが実は門の上に登る梯子がかけられている。
モモチはその梯子に足をかけてちょいちょいと手招きをする。
「気ぃつけぇよ、落っこちたら死んでまうで」
「うわあ、嫌だなあ、高いのは……」
見上げてぼやくミタツをよそにモモチはすいすいと梯子を登り始める、ミタツも慌てて後に付いていく。







「ひいい、大変だ」
それはそれは大きな門なので上るのも一苦労だ、しかも高度が高くなると風も強くなってくる。
しかしミタツも各国を商業で回った経験の持ち主だ、もっと険しい場所を旅した事もある。文句を言いながらも高さに怯むことなく長い梯子を上り終える。
門の上は平らでちょっとした広場くらいの広さがあり、それはそれは素晴らしい景色が一望できた。
遠方から来る蟻の行列の如き人と魔物の群れが足元を通って市街に入っていく様子は壮観だ。
門の縁を見てみると何人かの女性が立ってその行列に目を凝らしている、どうやら皆魔物らしい、体型を見るに種族に統一性はない。
その見張り達の背後、広場の中央あたりに何だかよくわからないもじゃもじゃとした塊がある。
最初は何かの黒い塊にしか見えなかったのだが、モモチが近付いて声をかけた所でやっとその物体が魔物だと気付いた。
「お疲れさんですー」
「うん?」
くる、と黒い塊が振り返ると大きく勝ち気そうな瞳が見えた、一つだけだ、顔の中央に一つの瞳がある。
その灰色掛った不思議な色合いの体全体を覆うように纏わりついているのが先端に目のある触手の群れだ。
背後から見るとその黒い触手の部分しか見えなかったので黒い塊に見えたのだ。
各国を回って色々な魔物と接してきたミタツだが初めて目にするタイプの魔物だった。
「あー、アンタか、勝手に上って来ちゃ駄目だっていってんじゃん、もー」
口でそう言いながらもその魔物の一つ目の視線に棘はなく、むしろ嬉しげだ。
「ここに来たからには門番さんには挨拶かかしたらあかんて思うてるんです、何しろレスカティエの治安を護る方なんですし」
見事な営業スマイルでモモチは言う、その言葉に魔物はぎゃはは、と笑い声を上げる、その拍子にこれまた特徴的なギザギザとした鋭そうな歯が見えた。
ふと、魔物が笑みを引っ込めてミタツの方に興味深げな視線を向けた、一つ目に合わせて周囲の複数の触手目もぎろ、と向けられる。
常人ならば怯みそうな所だがしかしそこはモモチに鍛えられたミタツ、驚いた様子も怖がる様子も見せずにぴし、と背を伸ばして挨拶する。
「はじめまして、モモチさんの元で働かせてもらっているミタツと申します」
「へーえ、アンタがぁ……」
しばらく値踏みするような複数の視線が頭から爪先にまで感じられたが、やがてその魔物も笑みを浮かべて挨拶を返した。
「ギャブ・レイってんだ、種族はゲイザー、ここの門の管理なンかをやってるよ」
差し出された手を握って握手をかわす、灰色の手はほっそりしていて温かかった。
「管理……って事はあの門の通路の監視員というのは」
「あー、それがアタシさぁ、見ての通り「視る」事に関しちゃアタシの右に出る奴はいないからなァ、ぎゃは♪」
そう言ってギャブはまた笑う、同時に触手の目もちょっと上向きになって得意気になる。最初は驚いたがそうして見ると触手にも愛嬌がある。
「あの通路の探知魔法はこのギャブさんのシステムでな、些細な事も見逃せへんから安心って訳や」
「おだてたって何も出ねーぜ?」
言いながらギャブも満更ではない様子だ。
「そうそう、つまらんもんですが……」
そう言ってモモチは背負ったカバンをごそごそと探り、一つの小瓶を取り出した。
シンプルなデザインのその小瓶の中には薄紫色の液体が揺れている。
「近年発見された新種のハーブを使った目薬なんですわこれ、試供品で申し訳ないんやけれども」
「へーえ?」
ギャブは興味深げに小瓶を受け取るとしげしげとその液体を眺める。
「どれ」
そうしてきゅぽ、と栓を抜いて顔の上に掲げ、大きく一つ目を見開く。
(……目薬、挿しやすそうだなあ……)
どうでもいいがミタツはそう思った。
ぽちゃ、と一滴目に垂らすとギャブはぎゅっと目を閉じて俯いた。
「くっ……!」
そうしてぷるぷると体と触手を震わせる、周囲の複数の目玉もきつく閉じられている。
(……だ、大丈夫なのか?)
ミタツがそう思った所で、ギャブは急にがばっと顔を上げた。
「きったぁーーーーーーーー!」
門の上空を一際強い風が通ったように感じられた。
「いやぁ!いいなこれ!目の疲れがスーッってなる!」
「気に入ってもらえたらなによりですわぁ」
大きな一つ目をきらきら輝かせながら言うギャブにモモチはにっこりと返す。
「へへっいつも悪ぃねえ、何がしかもらっちゃってサ」
「いいえー、またこのモモチを御贔屓にぃ」
「おう、あんがとよー」
ギャブは梯子を降りて行く二人に手を振った。
門から降りてミタツは改めて門のてっぺんを見上げる。
「初めて見ました、あんな種族の人……」
「まあ、ゲイザーなんて高位の魔物さん普段お目にかかれんやろな、あの人は恩売っとって損はないでぇ……何しろ入国管理者やからな、
厄介なもんの持ち込みにお目こぼししてもらえるかも知れんし……?」
「し、師匠……」
「ひひっ冗談冗談、ま、顔の広さは商人の武器や、わかっとるやろ?」
「それはまあ、はい」
「にしても、修行の成果が出とったなあ」
「えっ、ほ、本当ですか?」
褒めてもらう事など滅多にないのでミタツは喜ぶ。
「普通、あんくらいの人やと人間はびびるもんなんやが……」
「ギャブさんの事ですか?」
「せや、見た瞬間腰抜かす奴もおるんやで」
「それはまあ……大丈夫ですよ、ずっと色んな魔物の人と接してきたし、むしろ美人だと思いました」
「……」
「……師匠?」
笑顔のまま急に黙り込んだモモチをミタツは訝しげに見る。
モモチは表情を変えないまますうっと足を上げ、ぎゅううっとミタツの足を踏んだ、笑顔のままで。
「いだだだだだ何を!?」
「なーんもあらへんよ?」
モモチはにこにこしたままぐりぐりとひとしきりミタツの足を踏みにじった後、そのまま馬車に戻って行った。
師匠であるモモチは基本的に合理主義者で行動にもそつがなく、筋が通っているのだが時折こうして理不尽になる事がある。
女心に疎い少年ミタツは首を傾げながら涙目で足をさするしかなかった。







二人を乗せた馬車は人の流れに合流し、市街地へと流れ込んで行った。
商売はここからが本番だ。
13/10/01 00:26更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
はい、毎度恒例の平行連載です。
書きたい時に書きたいものを書くとこうなります、良い子は真似してはいけません。

あ、ちなみに「田舎に帰ろう」に表紙を追加しました。
イメージと違ったらごめんなさい。

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