連載小説
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第五十話・崩壊はやさしく忍び寄る
ここはどこだ…。
やけに豪勢な部屋、座り心地の良い椅子。
品のあるテーブルには淹れたての紅茶が甘い湯気を上らせている。
「また会ったね、ロウガ。」
向かい側に座るいつかの高貴なサキュバス。
「私と会う間隔が短くなってきたね。身体は大丈夫なのかい?」
「ああ、心配ない…。」
お前は誰なんだ、と訊ねても彼女は微笑んで紅茶に口を付けるだけ。
「…知るだけ野暮な話だよ。それでもお互い知らぬ仲でも…、いや君の記憶を封じるのは私か。だから君は私のことなど知らないのだろうが…。」
「いや、お前と会えば何故かお前のことを思い出す。何度も…、何年も俺はこうして出会ったような気がする。」
「…やはりこの世界の魔法の効果が君には薄いようだね。それともその身に宿した黒い力のせいなのかな?」
「さぁな。」
紅茶が冷めるよ、と促されて紅茶に口を付ける。
「ああ、そうか。君はジパング…、いやあちら側のジパングと言った方が良いね。ジパングのお茶の方が口に合ったかな?失敬、そのことを失念していたよ。」
「構わない。こっちに来て、もう長いからな…。」
「いつか…、君の奥方ともこうしてお茶会でもしてみたいな。」
少し寂しそうな顔で彼女は呟く。
「呼べば良いだろう。」
「私も気楽に人を呼べない立場なんだよ。」
「…俺はこうして呼ばれているじゃないか?」
「君はここにいて、ここにはいない。私のまどろみと君のまどろみの交差する僅かな時間に生まれた世界の歪みが、君をここに存在させているんだ。だが、今日はもう時間切れだ…。私の目が覚めて、君の目も覚める。また君は私を忘れて、君の現実を生きる…。」
視界が段々とぼやけていく。
ひどく頭が重くて、瞼を開けていられない。
「さようなら…、出来ることなら二度と君に会えないことを祈るよ。」
誰かに似ている…。
そう思いながら、俺は心地良い眠りの中に落ちていった。


――――――――――――――――


気が付けば人々が歩いている。
どこへ向かうのか…。
誰も彼もが無言で、列を成してどこか一点を目指して歩いていく。
どこへ行こうとしているのか、その場所は光に包まれて見ることが出来ない。
確かめてみたくて、彼らに混ざってその場所を目指す。
あそこは……、暖かそうだ………。
その時、誰かが手を握った。
傷だらけの、右目のない蜥蜴の少女が俺を見上げて手を握っている。
『ソッチジャナイ。』
そう言う。
ああ、そうか…。
俺はまだ行ってはいけないのだな…。
少女に問うと、黙って頷いて彼らと逆方向へと俺を誘う。
誰のいない回転木馬のイメージの中、
グルグルと同じ場所を彷徨って、
暗闇を歩き続ける色のない人々の行進。
聖者も愚者も貧者も王者も
まったく同じ布を頭から被り、消えては生まれていく。
視界がずれ始め、
硝子の空が割れていく。
ただ、
静けさが怖い…。


「…………ガ、……ウガ!ロウガッ!!」
目を覚ますと、アスティアが俺に縋って泣いていた。
見覚えのない天井、我が家の布団ではなく、薬品臭いベッドの上だった。
「ロウガさん、何があったかわかりますか?」
アヌビスが顔を覗かせた。
さっきまで泣いていたのか、目が赤い。
「……さっきまでアヌビスの報告書を読んでいたはずだが?」
「何を言っているんだ!お前は、突然苦しみだして、そのまま意識を失って……、今日まで二日間目を覚まさなかったんだぞ!!」
「…そうだったのか。」
アスティアの頭を撫でる。
アヌビスの説明によれば、俺が倒れたのは身体の異常ではなく、俺に蓄積した魔力の暴走らしい。突然苦しみ、血を吐いて、そのまま昏睡状態に陥った俺は学園の医務室にそのまま二日間をすごしたらしい。
町の病院は、あの日のクーデターで半壊状態でとても医療を行える現場ではない。
病院だけではない。
クーデターによって町の重要拠点はほぼ破壊されたため、俺はこの学園の敷地と校舎を貸し出して、学園は病院などの簡易施設となっている。
そのせいか俺の仕事も、アスティアやアヌビスの仕事も増え、学園は実質休業状態。
学園の教師陣は町の復興のためにその力を貸している。
そして彼女たちの上司、学園長だった俺は、いつの間にか彼女たちや町の仲間たち、そして生き残った人々によって町の代表、町長の座に納められてしまった。
多数の犠牲を出させてしまったため、俺は辞退したのだがバフォメットやアキたちアマゾネス、そしてミノタウロス共同組合やリザードマン自警団の面々に無理矢理承諾させられてしまった。いくら腕っ節は彼女たちに負けない自信があるとは言え、どうして女の迫力とはどの国でも、どの世界でも変わらないのだろうか…。
俺が倒れたのも疲労から体力が落ち、魔力を抑える力が衰えたことが原因だと考えられるらしい。
やはり仮定の話。
アヌビスも唇を噛んで、泣くのを堪えながら話す。
「すまないな、お前たちにはいつも苦労をかける…。」
「そう思うのでしたら、せめて日常生活の改善も考えてください!」
「…考えておくよ。ほら、こっちにおいで。お前も撫でてやろう。」
茹蛸のようにアヌビスの顔が真っ赤になる。
「だ、だからあなたはもっと真剣に話を聞いてくださいといつもいつも…!」
早口で文句を言うが、アヌビスの尻尾が大きく揺れている。
この反応を見るのが楽しい。
生きているんだと実感する。
「ロウガ、あまりそんな風にからかうとセクハラで訴えられるぞ。」
「しょうがなかろう、こいつの反応が面白いんだから。」
「ロウガさん!!!」
ああ、生きている…。
ここで…、俺はまだアスティアと生きることが許されているらしい…。
いつまでこうしていられるか…。
娘の嫁入りくらいは見届けたい。
サクラとまた酒を酌み交わしていたい…。
アヌビスをからかっていたい…。
アスティアとどこか暖かい場所を目指して旅がしたいな…。
ああ、何だ。
俺は結構欲深いじゃないか…。


―――――――――――――――


医務室を出て行く二つの影。
ロウガがまた眠りに落ちたため、アスティアとアヌビスは廊下に出た。
「随分…、寂しくなったな。」
「そうですね…。」
学園が機能していれば今はまだ学生が授業を受けている時間帯。
しかし、今学園は機能せず、町の失った機能の一部を肩代わりしている。
二人はロウガの置かれた立場の大変さを理解していた。
それでも彼は倒れた。
彼の身体は普通の身体ではない。
絶妙なバランスの上に生きる奇跡の身体。
一度崩れればどのような結果が待っているのか本人にも、彼女たちにも知る術はない。
「…ホッとしているよ。ロウガが目を覚ましてくれて。」
「…ええ、私も。彼が生き返ってくれて良かった。」
ロウガの倒れた後、復興作業の陣頭指揮を執っていたのはサクラである。
元々妙に人を惹き付けるサクラを、アスティアとアヌビスがロウガの代理に推した。
人々もロウガがサクラをいつか後継者にしようとしているのを知っていただけに、サクラの町長代理はすんなりと受け入れられた。
彼の補佐にはマイアとバフォメットが付いている。
他にもサイガやコルトも彼を支えて動いてくれているため、思いのほか復興作業ははかどっている。サクラは人の意見を良く聞き、理解し、驕ることなく自分から率先して働くため、後から人々が付いていく。
「次世代の子供たちはよくやってくれますね。」
「ああ、ほんとに感謝しているよ。ところで、アヌビス……。」
アスティアが真剣な顔になる。
アヌビスはただならぬ気迫に唾と息を飲み込んで真剣な面持ちになる。
「……私に遠慮することはないよ。時には自分の感情に素直に動いてみても良いんじゃないかな。」
「え……、あの……、それはどういう……?」
「さぁ、ただ君なら良いかなと思っているんだよ。ロウガが私以外の誰かと関係を持つなら…、この町にはたくさん魔物がいるからね。そんなことがあっても不思議じゃないけど、君なら…、私は構わないと思っているよ。」
「え、あ、あの、その…!」
アヌビスは青くなったり赤くなったり、尻尾は忙しなく動いて落ち着きをなくす。
「君は、隠しているつもりだけどみんなわかっているよ。君みたいな真っ直ぐな恋心にロウガが気付かないのは、彼がアホだからね。そもそも彼はそういう邪な考えを、長い人生でどこかに置き忘れてしまったようだからね。」
「で、でも…、それがロウガさんの魅力だと思いますが…。」
「……否定はしないよ。そんな彼だから私も惹かれたのだからね。」
アスティアは少し寂しそうに笑う。
「…本当のところロウガは後何年生きられるかわからない。だから今のうちにやり残したことをさせてあげたいよ。だからこの戦争、何が何でも勝たなければいけない。彼らが攻めてこなければ、ロウガは安楽の余生を送れたのにね。」
「それは、私にも責任があります。私が交渉をうまく持っていけたなら…!」
アスティアはアヌビスの言葉を制した。
「その仮定は何も意味がないよ。彼らは自ら血と怨嗟の道を取った。それだけさ。それに悔いを残すという話は何もロウガだけじゃない。私も…、そして君も悔いを残す。特に私の妹みたいに思っている娘が、好きな男に真剣な想いも伝えられずに心で泣くのは我慢出来ないだけさ。君のことを可愛いと思っているのはロウガだけじゃない、ということだよ。」
話はそれだけ、と言ってアスティアはアヌビスの頭を撫でる。
「少し、休憩にしよう。ロウガもヤマを越えたし、もう安心して良いからマイアたちのところへ行こう。ついでにどこかでお茶でもしてから、またここに戻ろうか。」
「あ……、はい!お供します。」
「もう、教師も教頭もないな…。私のことは義姉さんと呼んでも構わないよ。」
どこまで冗談なのか、アスティアは笑ってアヌビスに言った。
そんな静かな時間。
嵐の前の静けさはしばらくは続きそうだと、誰もが錯覚する時間であった。


―――――――――――――


豪勢な私室。
品のあるテーブルの上には冷めた紅茶が2つ。
上等な椅子に座って足を組んだままもたれて、一時の夢を見るのはその私室に相応しい身分を持つ淫魔の貴婦人。
「お呼びでしょうか。」
そう言って私室に入ったのは、鎧に身を包んだまだあどけなさの残る少女。
「…………ん、ああ、すまない。転寝をしてしまっていたようだ。」
「どなたかご来客でしたか?」
少女はテーブルの紅茶を見て言った。
「…誰も来ていない、いや、違うな。来ていたが来ていないのだよ。」
「また得意の謎掛けですか?どうぞそれはご勘弁を。あなたの謎掛けは断片的すぎて私どもにはわかりかねます。」
貴婦人はその言葉を聞いて残念そうにため息を吐く。
「それは至極残念。それで…、彼らはどう動いた。」
「はい、あなたの思惑通りフウム王国は中立地帯のクジュロゥ草原から完全に撤退を終えて、教国ヴァルハリアへと向かいました。しかし、珍しいですね。あなたが人間たちの戦にこれ程興味をお持ちになるなんて…。」
「ふふふ…、そうだね。人間たちの戦をする理由は何年、何十年、何百年経っても変わりはしない。常に神か魔物かの二元論のつまらない争いだった。だが、今回の戦は違う。この戦は世界を変える…、いや、世界に新しい風を呼ぶものだよ。だからこそ、各地の英雄たちは魂の導きのまま動き、未来は歯車を回し、数多の生贄を犠牲しても尚歩みを止めない。そのために私は、あの男をヴァルハリアにも送り込んだのだから…ね。」
「私はあくまであなたの侍従。あなたの深いお考えなど理解せずとも実行には移せます。しかし、わからない…。何故あなた程の方があのような町、あのような男に肩入れするのですか?」
貴婦人は少女の質問に嬉しそうに答えた。
「クックック…、あの男はね、次元の狭間から逃れてきた罪深い男。罪を己の内に自覚し、逃げることなく、数多の怨念と共に生きる者。この世界に限りなく近く、果てしなく遠い地平より来た私のなりそこない、私の欠片、私のいくつもの可能性の一つなのだよ。そんな男なら賭けの一つや二つしてみたくなるのは当然だろう?」
「……それで私に何をせよと申されるのですか?」
「ああ、すごく簡単なこと。君みたいな優秀な騎士には簡単すぎて欠伸が出てしまうかもしれないことだよ。そんなことでも聞いてくれるかい、ヴルトーム。」
ヴルトームと呼ばれた少女は胸に手を当て、跪いて礼を取る。
「あなたのおっしゃることでしたら、どのようなことでも絶対です。どうして私如きがあなたに逆らえましょうか…、陛下。」
ヴルトームは貴婦人に柔らかな笑みで答えた。

数刻後、貴婦人の城から荷馬車が一台出立していった。

荷馬車の中にはヴルトームの他に数人が乗る。

世界は静寂の時を終わろうとしている。

先に待つのは未来を生む混沌か、

それとも再び停滞の調和を迎えるのか…。
10/11/21 00:54更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
だ、第五十話です。
長く持ったなぁ…と思いつつこの日を迎えました宿利です。
楽しんでいただけたでしょうか?
ちなみにこの「貴婦人」としている人物、
大改装した第九話で出てきた人と同一人物です。
さて彼女の正体は一体…(バレてるよね?)。
次回も名もなき町にスポットを当てていきます。
教会編も始める予定ですので、現在ネタ出し中です^^。

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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