連載小説
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揺れ動く『何か』、突如現れた『誰か』。
寒いと思うのは、暖かさを知っているから。
冷たいと思うのは、温もりを知っているから。
私は知らない。表情を解す温もりも、心を溶かす熱も。
知ろうとも思わない。身体の火照りも、他人を求める熱情も。


知ろうとも、思わなかった。


『あ、ぁああ!あなたぁ!』
『はっ、っぁ!』
身体を交え、互いの熱を確認し合うグラキエスの夫婦。
以前は心を冷たく凍らせていた彼女が、今では溶けきってなお夫の熱を貪る犬の様になっていた。
『あなた、愛してる!』
『僕もだよ!』
彼らは、少し熱を奪われただけでこうもお互いを温め合おうとする。
グラキエスもそうだ。彼女は凍てついていた筈なのに、寒さを覚え、彼に触れ熱を求めた。
それは、彼女にも失う程の熱があったから。その熱を補おうとする。

そんな二人を、鏡越しに眺めていた。
氷の宮殿。その玉座に座す私は、二人の果てる様を観た後、二人を映した姿見を転移でしまう。
彼らは結ばれた。もっとも以前からその兆候はあった。彼女は彼に触れ、共に時間を過ごしていた。だから冷気を浴びせてみた。それだけだ。それに関して、特に思うところはない。そもそももうどうでも良い。
二人は契りを交わし夫婦となったのだ。後はもう『幸せ』とやらになれば良い。
「……」
男と女。男女二人を目にすると何故だか心が揺れる。
私は精を得る為に領域内の人々の熱を奪う。そして奪われた者はたちまち熱を求め、交尾と言う形でお互いを熱し合う。
そんな姿が、いつも私の胸をほんの少しだけ揺らす。
これも魔王の力なのだろう。サキュバスはこと人の心に干渉する力が強い。それが魔王ともなればなおさらだ。彼女は世界中の魔物を女にし、男無くしては生きられない者にした。
その影響が、私にも出ているのだろう。
だが、わからない。
この揺らぎは何なのだろうか?
男女を観る度に現れる、この揺らぎ。一体この正体は何なのだ。
今まで一度も感じた事のない『何か』が私の内に居る。
だが、その正体に迫れる事は決してない。
そしてふと、男女に冷気を浴びせ、凍えさせてしまう。その後の彼らの行動が気になってしまう。
それで答えに迫れるかも知れないと考え、結局答えが出ずに終わる。
それを延々と繰り返している。
「これも魔王の力、なのか」
私はそんな事を呟き、また黙る。そしてまた沈黙が訪れる。
恐らくこの答えは出ないのだろう。この答えを得ないまま一生を終えるのだろう。
この数百年そうだったのだ。これからも出はしない。

「…………?」

私の領域に、また侵入した者が居る。
だが変だ。反応はこの宮殿の近くの雪原。領域の真ん中に近い場所だ。転移魔法でも使ったのだろうか。だがそこまでの魔力は感じなかった。
突然現れた『誰か』に私は少しばかり驚く。
私は確認の為に鏡を取りだし、その反応のある場所を映した。
すると、赤毛の髪を持った少年が雪原の真ん中で歩いていた。
少年の出で立ちは、雪原を行くには不相応の軽装だった。上下一枚の布に薄いローブを被っただけ。しかも服もローブもボロボロだ。私の領域に入るには厳しい、自殺行為だ。それに彼の足取りは重くおぼつかない。
そして、とうとう彼は倒れた。
魔王は『人間を死なせるな』と全ての魔物に本能レベルで命令している。
もちろん、私もそれに従う。
「……エリス」
「ーーここに」
宮殿内で待機するグラキエス、エリスは私の前に現れ、膝間付く。
「今すぐ雪原へ向かえ。人間が倒れた」
「御意」
そしてまた姿を消す。鏡を確認すると既に少年の許に居た。
彼を拾うと、エリスは鏡越しに私に指示を仰ぐ。
『この少年は、如何なさいますか?』
「……近くには小屋も何もない。宮殿へ連れてこい。どこか空き部屋に寝かせてやれ」
『はい』
エリスは短く返事をするとまたその姿を消し、宮殿に戻ってきた。
少年を空き部屋のベッドに寝かせると、玉座に入りまた私の指示を仰ぐ。
「女王陛下、あの少年は如何なさいますか?」
「……」
私はほんの数秒思案する。
普段はまず滅多に人が来ない為、どうするか迷う。
だがそれも数瞬。私はエリスに視線を向け、指示を出す。
「彼が眼を覚ましたら尋問せよ。その後また対応を考える」
「承知しました」
エリスは姿を消し、少年の眠る部屋で待機した。
……気になるのは、彼の転移元。
転移魔法を使ったのなら少なくとも領域の外であれ魔力流れで何となく転移元は分かる。
だが、彼が現れた時、それを感じなかった。いや、魔力は感じたが突然現れ、転移元などたどれなかった。彼は、何処から現れた?
そしてもう一つ気になるのはあの格好。
あの格好を観る限り意図して領域に入ってきた訳ではないだろう。
何らかの事故か、あるいは事件か。
まぁ、尋問すれば分かる事だろう。
「…………」
取り敢えず私は、彼が眼を覚ますのを待った。


『貴方の名前は?』
『…………』
『貴方は何処から来ましたか?』
『…………』
彼はエリスの尋問に口を閉ざしたまま、静かに彼女を見る。
『……答えなさい。貴方の名前は?』
『…………』
彼はエリスの言葉など聴いていないのか、ずっと反応がなかった。
少年は眼を覚ましはしたが、見ての通りずっと無言のままだ。
「…………」
彼の第一印象を述べると、『感情が死んでいる』。そんな感じだった。
もちろん死んではいない。だが生きてもいない。
私の知っている人間は、もっと感情がある。
……まるで私達の様だ。
『……貴方の名前は何ですか?』
「もうよい。これ以上は無駄だろう」
私は尋問するエリスを制止する。少年が質問に答える事は無いだろう。
『…………では、如何なさいますか?』
エリスは私に視線を向ける。少年も釣られてかこちらに眼を向ける。だが彼には私の事など見えない。見えるのは配下のグラキエスだけだ。
「……待機せよ」
答えないのなら少年から自発的に動くのを待つしかない。
幸い敵対の意思を見せている訳でもなし。恐らく大丈夫だろう。
私達は彼が動くのを待ーーーー
『ーーーーーー』
少年から発せられた声。それは私達の聴いたことのない言語。
『…………』
「…………」
なるほど。質問しても答えない訳だ。聴いている事が分からなければ答えようもない。
「エリス、彼の言語感覚をこちらに合わせよ」
『承知しました』


その後、エリスはもう一度尋問を開始した。
『貴方の名前は?』
『トリスタン』
『貴方は何処から来ましたか?』
『……ブリテン』
『それは国ですか?それとも町や村の名前ですか?』
『国』
ブリテン……。聴いたことのない国だ。探せばあるだろうが、今の所は不明だ。
『貴方はこの宮殿近くの雪原で倒れていました。どうやってあの雪原まで来たか分かりますか?』
少年は首を横に振る。
分からないと言う事は、意図して転移した訳では無いだろう。
格好が不適切なのも頷ける。
『ここは……?』
今度は少年が質問の声をあげる。
『……』
エリスは私に目配せし、答えて良いのですか、と問う。
「良い。答えよ」
『はい。……ここは氷の女王、イゾルデ殿下が治める氷の国、コルカーン。そしてこここそ国の中心である氷の宮殿です』
『…………』
少年は無反応だった。だが、聴いてはいる。
『他に何か質問は?』
少年は、エリスをまじまじと見つめる。エリスはそれに臆する事もなく尋問を切り上げる。
『分かりました。ではーー』
だが、少年はエリスに質問を投げ掛け引き留めた。
『君は、妖精?』
『…………』
「…………」
恐らく、この言葉がある『答え』へと導いたかも知れない。
彼は魔物を知らず、我々の知らない土地で育ち、そして、雪原に転移した。
私は遠方からのある噂をふと思い出した。『最近異世界の住人が次々とこの世界に迷い込んでいる』と。その異世界には、魔物も、魔法も無いらしい。
もしや、彼がそうなのではないか。だが確証はない。
だから私は、エリスにこう質問させた。
『貴方は魔物や魔法を見たことがありますか?』
少年は案の定、首を横に振った。


それから私は彼を、トリスタンをこの宮殿に一時引き取る事にした。
彼の住居が見付かるまでここに預かる予定だ。
トリスタンの世話はエリスに任せている訳なのだが、……彼は、本当に不思議な人間だった。
普段は大人しく自室で呆けている癖に、前触れもなく宮殿内を闊歩したり、目的があるのか無いのか宮殿の外に出ては寒さに倒れエリスに回収されるなど、行動に脈絡がない。
そして何より一番の疑問が、寒くとも何かにすがらない事。
寒がる様子はある。だが自身の身体を温めようとする様子がない。
そう。奪われた熱を補おうとしないのだ。彼は。
表情を見てもその顔は無表情のまま。ただ、その寒さを受け止めるだけ。
暖まろうなど、考えてもいない。

『トリスタン、今度は何処へ向かうのです?』
そして今日もまた、突然の宮殿徘徊。
エリスの質問には返答もせず、自室から足を踏み出す。
彼の瞳は定まった目標があるわけでもなく、ただ目の前を眺めている。
そして廊下をおぼつかない足取りで進みながら適当に扉を開け中に入り、中で暫く呆けてはまた部屋を出て散策する。
いつもなら、最後にたどり着くのは寒冷の待つ外の雪景色。
彼は何故だかそこに行き着く。
最後には寒さが彼を震えさせ、だがそれでも彼は進むのだ。
彼は、何を求めているのだろう?

熱以外の何を求めているのだろうか。

彼を見つめる私は、ふと気付く。
彼が居る場所にある、身の丈など考えてもいない大きな扉。
それは、この玉座へと続く門。
『トリスタン、この先はなりません。貴方は女王への謁見を許されてはいない』
トリスタンは聞く耳を持たない。
『止めなさい』
エリスはトリスタンに触れ、彼を止めようとする。

彼は何を求めているのか。

私は珍しく、好奇心を覚えていたのかも知れない。
彼が進む先に何があるのか。その答えを。
故に私は、謁見の許可を、トリスタンに与えた。
「良い。トリスタン、貴様に私への謁見を許可する」
玉座の間の扉が開かれ、そして冷気が外へと漏れ出す。
私の冷気は、人を、熱を持つ者を虚無へと誘う。
私の冷気を浴びた者は、その喪失感を埋める為に、何かにすがり付く。
だがトリスタンは、冷気に臆する事なく私の前へと赴き、遂に対面する。
「私は、この氷の国、コルカーンの地を治める氷の女王。イゾルデ。トリスタンよ。貴様はその徘徊の末に何を求める?」
「…………」
トリスタンは、その瞳を私に向ける。返ってくる返事は無言。恐らく、それこそが『答え』。
彼とは、これが初対面となる。
だからこそ、鏡に映る彼からは受けれなかったものが、今初めて伝わった。


彼の瞳は空虚だった。
彼の心は冷淡だった。
嗚呼、今なら彼が熱を求めない理由が分かる。
彼は、トリスタンと言う男はーー


ーー熱を知らない。
16/11/13 05:33更新 / アスク
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■作者メッセージ
クーデレる陛下がド直球過ぎて、最高です。

名前が狙いすぎだって?だって海外の名前適当に探してたら実際に居たんだもん!
使いたくなるじゃない!

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