連載小説
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終焉の始まり
ダーツェニカの冬の夜は暗く、長い。
日が沈んでからそう経っていないが、大陸最大の商業都市といえども南部の歓楽街を除いて、ほとんどの家屋の灯は消え、道を行き交う者の姿はない。
見回りの衛兵や、人には言えない事情を抱えた者、そして人ではないモノを除いては、誰もいなかった。
こつこつと、石畳と靴を打ち鳴らしながら、一人の女が歩いていた。
背中にかかるほどの長さのゆるくウェーブのかかった栗色の髪に、寒さを防ぎつつ身体のラインを際立たせる衣装を身に纏った女だ。
女は、南部の歓楽街へ向けて夜道を進んでいるところだった。
だが、彼女の身体からは夜道を進むことに対する警戒感は少しも滲んでおらず、むしろその姿態はどこからか見ているかも知れない誰かを誘っているようだった。
「そこのあなた」
女の背後から、不意に声がかけられた。
振り返ってみれば、女の背後十歩ほどの距離のところに、珍妙な格好をした人影が経っていた。
変な染みの付いた外套を何枚も重ね着し、丸い窓が付いた球形の兜を被っている。窓が汚れているせいで、その下の顔は見えないが、くぐもった声の低さからすると男だろう。
人目を引く珍妙な格好だが、人通りのない裏町の裏路地のため、女と男のほかに人影はなかった。
「なに?」
女はざっと男を足下から兜の天辺まで見渡すと、そう問いかけた。
「あたしを買いたいの?まあ、金額によっちゃ大体あんたに合わせてあげるけど、あんまりヘンタイなことはお断り・・・」
「ちがいますちがいます」
この街で、女はサキュバスという事実を隠し、商売女として生きている。その商売女としての彼女の交渉に対し、男は手を振って否定した。
「あなたは淫魔、サキュバスですね?」
「っ!?」
何気ない様子で男の放った一言に、女は息を詰まらせた。
とっさに頭に手をやり、視線を胸元へ落とす。しかし手には角の感触はなく、大きく開いた胸元にかかる髪も、そこらの人間と変わらない栗色だった。
角と尻尾と翼を隠し、髪の色も変えている。偽装は完璧なはず。だというのになぜ?もしかして、教会関係者?
なぜ自分を淫魔と見抜かれたのかという推測と、男の正体に対する推測が、同時に頭の中をぐるぐると回る。
「あー、安心して下さい。私はあなたの敵ではありません」
男が、手を広げながら、そう言った。
「私はあなたに、いい仕事を紹介しに来ました。人間には出来ない、尊い仕事です。話を聞くだけでも、どうか聞いて下さい」
「・・・・・・」
女は警戒しながら、男の言葉を吟味した。
どうやら彼は、彼女に対して敵意は抱いていないようだ。
最も、これが何かの罠ではないと決まったわけではないが、少なくとも話を聞くぐらいのことはしてもいいだろう。
「分かった、聞くだけ聞くわ」
彼女はそう応じると、人に偽装するための術を解いた。
背中の半ばまで伸ばした髪が本来の藍色に戻り、髪の間から捩れた角が二本姿を現す。
そして、仕事着の大きく開いた背中からばさりと蝙蝠を思わせる羽が広がり、スカートの奥から先端が鏃状になった尻尾が垂れ下がった。
これで、後から罠だと気が付いても全力で抵抗できる。
「それで、仕事って何?」
スカートの上から尻と腰の境目、尻尾の根元辺りに手をやり、下着の位置を直しながら彼女はそう問いかけた。
「はい、実に簡単な仕事です。あなたには子供を生んでもらいます」
「・・・・・・つまり、あたしと子作りしたいってこと?」
仰々しいながらも、いつもの仕事とあまり変わりのない申し出に、彼女はいささか拍子抜けした。
だが、男は球状の兜に取り付けられた窓を左右に揺らしながら、続けた。
「いえいえ、子作りとは違います。あなたはその身体を、子供を育てる為に提供してもらうだけです。カッコウを知っていますか?カッコウは他の鳥の巣に卵を産み、育てさせます。この仕事も、あなたの身体を借りて子供を育てるというものです」
「う・・・ん・・・?」
男は例えを用いながら仕事の概要を説明するが、女はいまいち理解できない、といった面持ちで首をかしげた。
「つまり、あたしとやって孕ませたい、ってこと?」
「違います違います。そう言った行為は一切不要なのです。タツノオトシゴをご存知ですか?タツノオトシゴは・・・」
再び男が例えを交えた解説を始めるが、彼女は理解できそうになかった。彼女にとって、子を孕み、生むというのは男と女の関係があってのものだ。男の言う、そう言った行為を伴わない受胎、というのが全く分からないのだ。
「困りました」
首をかしげたままの女に、男は窓の付いた兜を小さく振りながら呟いた。
「仕方がありません、本当は納得と同意が最善なのですが」
彼は呟くと、重ね着した外套の右袖を上げた。
直後、男の右袖の中の、夜空よりも暗い空間から、何かが迸る。
「っ!?」
女は袖口から溢れ出した何かに、彼女は翼を広げて跳躍して避けようとした。
だが、男の袖口から伸びたモノは軌道を変え、宙に舞い上がった彼女の手足に巻きつき、彼女の逃走を封じる。
「これは・・・!」
女は、自身の手足に巻き付くものに、目を見開いた。
彼女の白い肌に巻きついていたのは、赤黒い、親指と人差し指で作った輪ほどの太さの触手だった。
両手両脚に巻き付く四本の触手が、男の外套の袖口から伸びているのだ。
「こちらとしては、納得せずとも問題はありません」
触手が袖口の中にずるずると引き戻されるに連れ、中空に浮かぶ彼女が手繰り寄せられていく。
「これを受け入れていただければ、あなたはこの仕事の尊さが分かるでしょう」
男の目の前まで引き摺り寄せられたところで、男は彼女に左袖口から壜を一つ取り出して見せた。
金属製の蓋の付いた、こぶしが入りそうなほどの大きさのほぼ円筒形の壜である。
「ひっ・・・!」
目の前に差し出された壜の中身を目にした瞬間、彼女は引きつった悲鳴をもらしていた。
中には、薄く濁った液体が満たしてあり、そこに手足を縮めた異常に小さな、皮膚すら出来ていない赤剥けの赤子が浮いていたのだ。だが直後、彼女はそれがただそういう形をした、歪な肉塊であることに気が付いた。
表面には襞が刻まれ、所々から管が伸びており、赤黒い色と形が相まって赤子に見えただけである。だが良く見てみれば、それはただ手足のようにも見える突起が付いた、ただの肉の塊であった。
己の見たものが見間違いであることに気が付き、彼女はほっと胸をなでおろした。
「では、受け入れてもらいましょうか」
安堵も束の間、男の右袖から五本目の触手が伸び、彼女のスカートの裾を絡め取った。
「・・・!な、何を・・・!」
何の遠慮もなくスカートを捲り上げていく触手に、彼女は一瞬言葉を失った後、ようやく抵抗を始めた。だが、四肢を封じられている状態でろくに動けるはずもなく、下着どころかへそまでもが露になった。
「倒しますよ、失礼します」
男がそう呟くと、袖口から伸びる触手が伸び縮みし、彼女の身体を傾けた。丁度、腹を中空に向けるような姿勢である。
「さて、あなたは触手の森を見たことがありますか?」
女の姿勢を変えたところで、彼はそう話し始めた。
「うるさい、早く放しなさ・・・っ!!」
「大量の魔力によって生成される、あの触手の森です」
彼は女の返答など必要としていないらしく、声を上げそうになった彼女の口に、右手を拘束する触手を伸ばして先端をねじ込み、声を封じた。
「触手の森へ行ったことはありますか?あそこは人も淫魔も関係なく、とにかく魔力を啜り取る為の場所です。なぜ、魔界にそんな危険な場所が存在するのか、分かりますか?」
無論、彼女は問いに答えることは出来ない。
「理由は実に簡単です。アレは世界が魔王の手に落ちたときのための保険として、主神が作り上げたものなのです。土地が魔力で満たされれば、触手の森が発生し、魔物を喰らう」
口をふさがれている為か、女の意識が僅かに朦朧としてきた。そのせいで、男の言葉の意味の一割すら、彼女には分からなかった。
彼は壜を掲げると、軽く揺すりながら続けた。
「これから、あなたに胚を植え付けます。胚を宿すことで、あなたは森になり、母になり、すばらしいものを産み落とすのです」
男の左袖から触手が伸び、金属の蓋に絡むと、それを回し開けた。
すると、胸の悪くなるような甘い匂いが、壜の中から辺りに溢れだす。
「これからは、私があなたの生活を手助けします。だから安心して、受け入れて下さい」
男はそう言うと壜を傾け、その中身を彼女の腹の上に落とした。
壜を満たしていた液体が腹を濡らし、直後へそと胸の間に握り拳ほどの肉塊がぼとりと落ちる。
「・・・っ!!」
腹の冷たさと、肉塊の気味の悪い感触に、彼女は声を上げようとした。しかし口を塞ぐ触手は、彼女が歯を立ててもびくともせず、呻き声の一つすら漏らせなかった。
「さあ、動きなさい」
男は壜を放り捨てると、伸ばした触手の先端で、肉塊を軽くつつく。
すると、肉塊に生えた幾つかの突起後もぞりと動いた。
「んーん・・・んまぁ・・・」
直後、縮こまっていた肉塊がもぞもぞと身体を伸ばし、襞と襞の間にうずもれていた亀裂から、呻き声にも聞こえる高い音を漏らした。
折りたたまれていた突起が膨らみ、丸め込まれていた胴体が本来の形を取り戻す。
数秒後、彼女の腹の上には、二対の短い足を生やした赤黒い紡錘が載っていた。
「・・・っ!っ!っ!」
腹の上でぐにょぐにょと形を変え、もぞもぞ蠢く肉塊に彼女の背筋を怖気が走り、胴を揺すって振り落とそうとさせた。
だが、肉塊は短い足で彼女の腹にしがみつき、びくともしなかった。
それどころか、もぞりもぞりと赤黒い表皮を蠕動させながら、少しずつへそに向かって移動を始めたのだ。
合わせて、窄まった肉塊の先端部がくぱぁと広がり、その奥から何十本もの糸状の触手が姿を現した。
鮮やかな桃色をした触手が、何かを探るように彼女の腹の上を這いまわり始める。
臍を探しているのだ、と彼女は反射的に悟った。
彼女は体を揺する動きを、腰の骨が折れんばかりに大きくし、それを振るい落とそうとした。
だが、それの四肢はがっしりと彼女の腹にしがみついたまま離れず、のた打ち回る桃色の触手を臍に近づけていった。
やがて、縦長の彼女の臍に、触手の一本が触れる。
触手は先端を臍の中にねじ込むと、左右に細かく震わせながら、奥へ奥へと侵入させていく。同時に、他の触手も臍に集まり、一本また一本とその先端を埋めていった。
「んんーっ!?」
腹の中に入り込んでくる、幾筋もの細い紐状の何かの感覚に、彼女は口をふさがれたまま絶叫した。
痛いわけではない。だが、何の痛みもなく腹の中を違和感と異物感が満たしていくのは、痛いよりもおぞましかった。
触手の先端が、腹筋の間をかいくぐり、腹腔に入り込む。ぎっしり詰まった内臓の隙間に糸のように細い先端が入り込み、ねじ込んで、蠢いて、入り込んでいく。
一方腹の上では、肉塊の吐き出す触手のほとんどが臍へ殺到しており、彼女の臍は親指と人差し指で作った輪ほどに広がっていた。
触手が腸に巻きつき、胃袋の表面を撫で、臓物に絡みつき、限界まで広がった臍に新たな一本が差し込まれる。
文字通り内臓を掻き回されているわけだが、痛みはない。
だがそれでも、体内に侵入した異物に彼女の心拍は加速し、呼吸は荒くなっていた。
「んっ…んんー…ん…!」
仮に、この場に新たな人物が加われば、呼吸の合間に漏らす彼女の呻き声に、微かな色が混ざり始めたことに気が付いただろう。
興奮に火照った体を愛撫され、快感を注ぎ込まれた時に漏らすような、悦びの混ざった声。
勿論、身体を這いまわり、内臓に絡み付く触手からは吐き気を催すほどの嫌悪感を彼女は感じていた。
だがその一方で、粘液にまみれた赤黒い肉紐が肌を撫でまわし、柔らかな粘膜同士が彼女の胎内で擦りあわされることで、ある種の快感が生じていた。
サキュバスに魅入られた男が、理性では必死に拒んでいても体が反応してしまうときが、ちょうどこんな感じなのだろうか。
嫌悪感と快感がせめぎ合う意識の一角で、彼女は無意識のうちにそんなことを思い浮かべていた。
やがて、ずるずると肉塊の口から伸び、蠢動を続けていた触手が、不意にその動きを止める。
体内を掻き回される感覚が消えたことに、彼女は一瞬疑問を抱いたが、すぐにその理由に思い至った。
肉紐の動きが止まったせいで、触手が射精寸前の肉棒のように脈打っているのを感じ取ったからだ。
『あなたに胚を植えつけます』
先ほど聞かされた言葉が彼女の脳裏に浮かび、背筋を怖気が走った。
だが彼女が拒もうともがくよりも、彼女が覚悟を決めるよりも早く、生温かい感触が彼女の腹の中に広がっていった。
「っ!!」
脈打つ肉紐に、体内に広がる温もり。
仕事でも私生活でも、男が精を放つ瞬間は何度も経験してきた。
それと全く同じ触手の動きに、彼女の身体は精を受け止められるという悦びに打ち震え、心は得体の知れない物への怖気に戦慄した。
たった一掴みほどの肉塊に、彼女の心と体が真逆の震えに晒される。
「…っ!」
注ぎ込まれた体液に肉体が反応し、抱え込んだ嫌悪感ごと意識が絶頂へ引き上げられる。
肌や乳房、両脚の間など、肉塊の愛撫を受けているところから生じた、微弱ながらも峻烈なしびれが、全身を駆け巡った。
怖気に凍てつく心が、何もかもを塗りつぶしていく快感の白炎に溶け崩れ、忘我の極地へ導かれていく。
同時に、腹の上に蹲る肉塊から、徐々に温もりが薄れて行った。
すると、薄れゆく彼女の耳に、声が届いた。
「おお…受胎した…!」
隠しきれない興奮を滲ませる声に、朦朧とする彼女は、いつしか自分の胎の中に小さな違和感が宿っていることに気が付いた。
(ああ………)
頭蓋の内側で、諦めとも感嘆ともつかない嘆息を浮かべると、彼女の意識が沈みこんでいった。



「ご苦労様でした」
彼女の失神の後、丸兜の男の言葉と同時に肉塊が力を失い、肉紐をサキュバスの肉体から引き抜きながら、石畳の上へと落ちて行った。
ぐちゃり、と湿った音が通りに響く。丸兜の男は、触手に絡めた女を抱き寄せつつ、石畳の上の肉塊を左袖から伸ばした触手で拾い上げた。
「さて…まずは隠れ家に運ばないと…」
サキュバスの身体を優しく抱えたまま、丸兜を被り外套を重ね着した男は、夜の闇の中へと足早に潜っていった。
彼女の腹の奥の小さな温もりが、脈を打ち始めていた。
12/04/21 17:25更新 / 十二屋月蝕
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全ての始まりで、誰も見ていなかった始まり。
終わりの始まりで、途中経過で、一つの結果。

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