連載小説
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前編
―1―

 困った。

「ミュ、ミュリエラ様……。そ、その、以前お会いしたときからずっと、そのその、ミュリエラ様のこと……ぼく、ミュリエラ様のことが好きになりましたっ」
 人が主神様へと祈り捧げる場所、教会。
 その礼拝堂で目の前の少年が私にそう言葉を発したのは、日も暮れて信者たちのいなくなった頃だった。
 私の胸元くらいまでしかない背丈。不揃いに伸ばした黒髪。あどけない顔立ちは炎のように赤い。私を見据えるブラウンの瞳は、揺るぎなき決意を持った光を宿していた。
 彼の言葉に嘘偽りはないことは明らかだった。
 だがしかし、困った。
 好きとはどういうことだろう。
 恋とはどういうものなのだろう。
 愛とはなんなのだろう。
 子供を儲けることなのか。二人寄り添っていくことなのか。相手に尽くすことなのか。
 同僚は、神の子である「人」の好き合う形は十人十色あると言っていた。物理的な意味での幸せであったり、通じ合う心に意味を見出すものもいるらしい。天使の身としては決して認められないが、肉体的な充足の面もあるそうだ。
 しかし、わからない。何故、私なのか全くわからない。フーリーでもなければキューピッドでもない、「愛」を司るエロス様ではなく主神様に仕える私には難問が過ぎる。
 まず間違いなく言えるのは、彼の言葉にイエスと返答するのは困難だということ。彼に抱く感情以前に、根本的に彼と私では隔たりがある。
「君は以前、森で賊に襲われていたところを私が助けた者だな?」
 確認すると彼はぱぁと顔を明るくする。
「お、覚えていてくれたんですね。ぼ、ぼく、フィル・フェル・フオンって言います。フィルって呼んでください!」
「あ、ああ。私はミュリエラだ」
 無垢という言葉が似合うほど嬉しさに顔を輝かせる少年フィル。他の子供たちは恭しく接するというのに。どこか新鮮だ。
「はい! ミュリエラ様は悪いやつらを懲らしめて町を守ってくれてるとてもありがたいお方だって皆言ってます!」
 間違ってはいない。が、私の本質はそこではないのだがな。まぁいい。
「なら、私がどういう存在かわかっているだろう」
「はい!」
 当然じゃないですか、と言わんばかりに首肯する彼に私は嘆息する。わかっているというのにこれなのか。
「ならわかると思うが、私は見ての通り君とは違いすぎる。済まないが、君の期待には応えられない」
 そう、物理的に私とは彼は違う。背に光を携えた二対の翼が薄暗い教会を眩く照らしている。私の身体的に最大の特徴。人間にはない翼。主神様より授かりし、天使の翼だ。
「私はヴァルキリーだ」
 主神様に仕え、勇者となるべきものを見出し、高潔なる真の勇者へと導く。それが下界に受肉した私の、主神様より任ぜられし使命なのだ。
 子供らの真似事をしてその使命を放棄することがあってはならない。
「私には君たち子供らの真似事はできないよ」
「子供らの真似事?」
「? 私に好きとか、愛の感情を抱いているのだろう?」
「はい!」
 自信満々にはっきりと答えるフィル。
「ならば私の伴侶となりたいということではないのか?」
「はんりょ?」
 言い方が難しかったか。
「ああ、結婚したいとか付き合いたいとかそういう意味ではないのか?」
「? わからないです。でもミュリエラ様のこと大好きです!」
「…………」
 ま、まさか、私のことは好きだがそこからどうなりたいかわかってないのかこの少年?
「き、君は幾つだったかな?」
「九歳です!」
 くらりと来た。まぁ見た目相応ではあるが、当然ながら幼い。心も体も。
「あっ、でもでもミュリエラ様とこうなりたいっていうのはあります!」
「どうなりたいんだ?」
 もはや懐広く、慈愛をもって接することとしよう。この少年はまだ成長途中なのだ。
「お父さんとお母さんみたいに」
「それを結婚するって言うんだッ!」
 思わず突っ込んでしまった。
 びくっと仰け反るフィル。しまった怒鳴ってしまった。
 が、すぐにフィルはあどけなく笑う。
「じゃあ、僕、ミュリエラ様と結婚したいですっ!」
 頭痛い。
 まだまだ幼いからこそ、どうすればいいか迷ってしまう。
「……」
 だが、変にうやむやにするのはよくないか。フィルのためにもきっちりと答えを出してやった方がいい。
「済まない。はっきりと答えさせてもらう。君とは結婚できない」
 私の返答に、フィルはぽかんとなった。言葉の意味をすぐに理解できなかったのかもしれない。それでもしばらくあって、尋ねてくる。
「僕のことが嫌い、だからですか?」
「そういうわけではない。元より、私は人間ではない。君たち子供らの好き嫌いという感情は最初から持ち合わせていない。これから先、君と結婚することはありえない」
 ここまで無垢な花咲く笑顔を浮かべていたフィルが俯く。その面持ちは幾分か暗い。
 チクリと胸に痛みが走る。奇妙な違和というか、しこりが残った気がするが私は無視した。
「……済まないが、私はまだ業務が残っている。仕事に戻らせてもらうよ」
「…………」
 俯いたままの彼を置いて、私は教会の執務室へ向かう。礼拝堂を出るときに再度彼を見ると、まだ固まったままだった。
 悪いことをしてしまっただろうか? しかし、うやむやにしてしまう方が彼のためにならないだろう。私は天使で彼は人間。種族として相容れない存在なのだ。
 私のことは忘れてくれ。そして同じ人の番いを見つけてくれ。

―2―

 教会の執務室。黒木目の執務机が二つと部屋の両脇に多数の資料が並べられた本棚、そして中央には来客用のソファとテーブルがある。教会の司祭とは別の、私と同僚の相方に与えられた専用の執務室だ。
「愛の告白、断ったのね」
 隣の執務机に座っている私の同僚が、抑揚のない機械的な声音で問いかけてきた。
 彼女は私と同じ白の修道服に身を包んだ同僚で、私の長い髪とは反対のボブカットの金髪で、その内側の切れ長の目がやや冷たい印象を与えてくる。
 つまり私と同じ天使であるヴァルキリー。名はリミアラ。私はリミアと呼んでいる。
 いつもは淡々粛々と資料に目を通していく作業をこなしていくのだが、今日は珍しく私語をする気になったらしい。
「私に人間の真似事はできないよ。私には選ばれた子供を勇者へと導く使命がある。誰かを好きになる、という感情はよくわからないが、そういったものにうつつを抜かしている暇はない。未だに勇者となるに相応しい人材が見つからないのだから」
 いま私が目に通している資料は聖素を取り込む特殊な用紙だ。
 聖素とは魔物の魔力に侵されていない人間が持つ魔力のこと。その聖素には個人の力や素質などの情報が含まれていて、私たち天使はそれを読み取ることができる。そうして、勇者に相応しい人材を探し出すのだ。
 しかし、この地へと降り立ち数ヶ月。なかなか勇者となるに相応しい人材は見つからない。
 勇者にしようと思えば誰でもすることは可能だが、おざなりに決めた者では、主神様が目指す魔王の打倒という最大の目的を達成することはできない。
 さすがに一人一人直接会って確かめることはできないので、この地の住民より集めた用紙に目を通し、その用紙についた聖素を読み取ってその素養を推し量っているわけだ。
 天界からでもはっきりわかるほど勇者の素養がある者には、ヴァルキリーが天界から直接遣わされるのだが、私とリミアの場合は勇者を地道に探す側だった。
 別のアプローチからの魔王打倒のための勇者の捜索、ということなのだろう。
 いまは勇者の素養がなくとも成長や鍛錬で、隠された力を開花することもある。資料に取り込ませた聖素の情報は当時のものでしかないため、定期的に更新も必要となるわけだ。
「でも確かにこうも勇者に相応しい人材が見つからないからね。暇はそんなにない。魔物たちの侵攻ももうそこまで迫ってきてる」
「そういうことだ。だから口を動かさないで手を」
「それで、フィルっていう子、雑貨屋の子だっけ? ミューが北の森で助けたんでしょ」
「おい」
 おい。
「九歳。雑貨屋の一人息子。両親と三人暮らし、と」
「何故リミアがそれを知って」
 ひらひらと個人情報が記された資料を揺らすリミア。そういうことか。
「聖素からも平々凡々なのが滲み出てるわね。信仰心は厚くて、純粋無垢だけど。でもどうして北の森に行っていたのかしら。深く入り込むと魔物の生息域に触れるから、基本的に町の人たちは誰も近づかないはずだけど」
「私を見てもわからないぞ。私は警ら中にたまたま悪意を感知して駆けつけただけだ」
「警らなんて私たちの仕事じゃないのに。子供達に任せればいい」
「勇者を見出して導き、魔物を駆逐するのが私たちの使命だが、それはあくまで最終的に正しき子らを守るためだ。ならばやり方は違えど、私が動くことで一人救えたのならばそれは我が使命に勝るとも劣らない価値あるものだと言える」
「真面目ね」
 無表情に言うリミア。同期でこうして勇者を見いだせていない者同士、仲がいいと私は思っているが、いまいちリミアの思考は読み取れないのが常だった。感情を表情にも言葉にも出さず、勇者探しもあまり乗り気でないようにすら見える。
「私語は終わりだ、さっさと資料に目を通せ。こうしている間も魔物は南下してきているんだぞ」
「……この少年、あなたを気に入っているみたいだし、いっそ彼を勇者にしてみたら?」
 あまりに素っ頓狂な提案に私は吹いた。翼は椅子に座るときは仕舞っているが、驚きとともに顕現してしまい、背もたれにぶつけてしまう。痛い。
「馬鹿かお前は。聖素を読み取った上での判断かそれは!?」
「道中の旅は気難しくならなさそうで良いと思ったけどね。一緒に旅する以上、信頼関係は重要だから。魔物……魔物娘を相手にする以上はね」
「子供だぞっ!? 言っていることには一理あるが、彼には無理だ」
 私は断言する。
「まぁ確かに。彼を勇者にするなら、酒場の店主にしたほうがいいくらい」
「ああ。彼に勇者の素質は、一切ない」
 たとえ勇者となり、主神様の加護を得たとしても魔王を討ち滅ぼすどころか、魔王軍の下級兵士にすら叶わないだろう。それくらい彼には戦いの才能がない。
「……素質、ね」
「何か言ったか?」
「いいえ。まぁ、ミューは早く勇者の目星をつけることね。いつまでもこの町に居座り続けるわけにもいかないでしょう」
「その台詞そっくりそのままお返しするぞ」
「ふふふ」
 無表情のまま全く感情こもっていない笑い声を発するリミアに、私は頭を傾げる。
 まさか、見つかった、のか?
「いや、いやいやいや。嘘だよな? 嘘だと言ってくれリミア」
「さぁどうでしょうか」
 意味深。しかし全く感情を読み取れない無表情。子供達をたまに泣かせるリミアの無表情は、天使にあるまじき優越感が含まれた陰りのある表情に変貌していく。
 私がリミアに詰め寄ろうとしたとき、ノックが三回。ゆっくりとリズミカルにコンコンコン。「どうぞ」とリミアが言い、扉は開かれた。
 短く切り揃えられた白髪に、顔中に数多の皺が刻み込まれた初老の男性。柔和な笑顔を絶やさない、この教会の司祭バラドアだ。
 彼の人あたりの良さと、悩める子らに優しく説教する姿のおかげかこの町の主神教の敬虔な信者は九割を超えている。
 かと言って信者でない者がこの町で住みにくいかというとそうでもなく。誰でも分け隔てなく接する彼の人柄に、信者でなくとも信頼を置く者は多い。
「天使様、お仕事は終わりましたかな?」
「いえ、もう少し――」
「たったいま終わりました」
「はっ!?」
 机の上の資料をいつの間にか全て棚に戻したリミアが立ち上がり、バラドアに駆け寄る。どことなく軽い足取りだ。天使の翼が無感情な彼女に似つかしくないほどに上下左右に揺れる。
「おい、リミア」
「じゃあお先に。ミュー、いつまでも資料にばかり目を通して素質ある者を探すのなんてやめて、誰か決めるべきね」
「魔王を討ち滅ぼすのに妥協などできん」
 厳と私は言い放つ。あまり時間をかけていられないのも事実だが、かといって妥協できるものではない。しかし、私の考えにリミアは特に反応を返すこともなく、ジッと私の目を見つめていた。どこか探るような視線。あまり居心地がいいものではない。
 しばらく無言の空気が流れたが、先に視線を切ったのはリミアだった。
「妥協と決心は違う。ミューには覚悟が必要なんじゃないの。この人を勇者にしてみせるという覚悟が」
「…………」
「本当の意味での“勇者”にね」
 私は返答に窮し、ただ部屋を出るリミアの背中を見つめることしかできなかった。

―3―

「君は全く……私は断ったはずだが?」
 あれから数日後。バラドア司祭に教会前に少年が一人待っていると教えられ、向かってみれば本当にいた。
 手持無沙汰にドアの脇で立つ黒髪の少年。フィル・フェル・フオンと名乗った少年だ。
 彼はその小さな背丈に似合わない、身の丈の八割ほどはある鞘に収まった剣を持っていた。
「ミュリエラ様っ」
 私の姿を認めると、フィルは相好を崩して純粋な笑みを浮かべて駆け寄ってくる。剣は本物なのか、重たそうに引きずっていた。
「全く。今日は何の用だ? まだ未練があるというのであれば、もう一度断ち切ってやるぞ」
 チクリと何かが痛むが無視する。
 フィルはよろよろとしながら私の前に立つと、頭を横に振った。
「いいえ、もう結婚してって言いません」
 なんだ、意外と物分かりがいいじゃないか。
「ふむ。なら何の用だ? 済まないがあまり暇な身でもないんだ」
「ご、ごめんなさい」
 しょんぼりとするフィル。
 むぅ、そんな顔をさせたいわけではないのだが。
「だが、話を聞く猶予くらいは持ち合わせている。なんだ、言ってみろ」
 するとフィルは再び顔を輝かせて笑った。ころころと表情が変わる奴だな。
 あの資料にあった通り、心が清らかなのだろう。顔はその人間の内面を映すものだ。どれだけ隠そうとも天使である私にはわかってしまう。
「そ、そのミュリエラ様」
「なんだ?」
 ゆっくりと待つ。
 フィルはおずおずしながら、引きずっていた剣をぐっと頭の上に掲げて、まるで捧げるように跪いた。
「ぼ、僕をミュリエラ様の勇者にしてくださいっ」
「…………」
 な、ななな、なん、だと……?
「お、お前を勇者に、だと?」
 愛の告白を受けたとき以上の衝撃が私を襲った。
「ミュリエラ様は勇者を探してるって聞きましたっ! だから、僕が勇者になって、ミュリエラ様のお手伝いをしたいんですっ! お力になりたいんですっ!」
 重い剣を持つために身体をぷるぷると震わせながら、フィルは思いの丈を告白する。
 まっすぐで純真な、曇りのない願い。わかる。本気で言っているのだと、私にはわかる。
 私の役に立ちたい、勇者となりたい、そう願う純粋無垢な気持ちがひしひしと伝わってくる。
 本当に優しい少年だ。
 だが、私は言わねばならない。
「駄目だ」
 厳然と下さねばならない。
「君は勇者にはなれない」
 俯くフィルの顔が愕然としたものに変わるのがわかった。
「勇者とは一握りの、選ばれた素養を持った者がなりえるものだ。しかし残念だが、君にはその一切がない。勇者にはなりえない」
「え、あ、え、うわっ」
 ついに持っていられなくなったのか、前に倒れ込んでしまう。剣が無造作に転がり、私の足に軽くぶつかった。
「あ、ご、ごめんなさい、ミュリエラ様」
 私に剣をぶつけてしまったことでか、泣きそうな顔になるフィル。手を差し伸べてやりたいが、しかし私はしない。できない。してはいけない。
 私は膝をついて、剣を拾い上げる。ゆっくりと立ち上がるミュリエラに視線を合わせた。
「君はとても優しい少年だ。純粋で、心が清らかで、分け隔てなく誰にも優しい。それに、病に伏せっている母のため、北の森へ薬草を採取しに行っていたな」
「……はい」
 伏し目がちに言う。
 この数日の内に調べさせてもらった。詮索は好ましいことではないが、奥地には魔物が生息する北の森に足を踏み入れている以上避けられない。
 調べた結果、母親が不治の病に陥っていると知った。母親の身体に良いとされる薬草を採取していることも。
 彼ほど純粋で、それに敬虔な信者であるにも関わらず教会で見かけなかったのはこれが理由だ。仕事で忙しい父に代わり、いままで母親の面倒は彼が見ていたのだ。それこそ付きっ切りで。手が空いたときは薬草を摘みに行っているのだろう。
 祈りは全て母と同じ部屋で行っているそうだ。
 とても優しい、心の清らかな少年だ。町の皆からも、素直で礼儀正しく、かような境遇に置かれようともいつも明るく振舞っていると評判を聞いた。
 そして、畏れ敬いこそすれ、好意を抱く者などいない人ならざる私に好意を寄せてくれている。そんな分け隔てない心の持ち主だ。
 だが。
「だが、だからこそ。君は優しい少年だからこそ、問おう」
 私は剣を中ほどまで抜く。鈍く美しい銀の輝きを放つ剣は、無骨で暴力的な輝きも放っていた。
「君は悪を滅するため、この剣で魔物に刃を突き立てることができるか?」
「……!」
 フィルがついに絶望の色に顔を染めてしまった。
 そして答えられない。
 目が泳いでいる。嘘を言いたいと思っているのだろうが、それでも口にできないのだろう。
 君は優しいから。
 キリキリと胸が痛む。だが言わねば。過ちを犯してしまう前に。いまのうちに。
「君は優しすぎる。悪を絶つものは時に非道とも言える行いをせねばならない。それは君には無理だ。だがそれでいい。君の優しさは、天使である私から見ても美しく尊いものだ。だから大事にしてくれ。その優しさを抱いたまま、健やかに成長してくれ」
 私は剣を鞘に納め、フィルに返した。
 剣という暴力の形を重たそうに受け取ったフィルの頭を私は撫でてやる。
「フィル。君の優しさはこれから万人を救うことにもなるだろう。それは勇者が成す使命に勝るとも劣らない価値あるものだ。それでいい。勇者とならずとも、そう生きることが私の力になっている。君のような子供たちがいれば私も頑張れる」
「はい……」
 いまだ表情には陰りが差していたが、もう私から言えることはなかった。
 納得してくれたかはわからないが、こう説得するしか道はなかったのだ。彼のような優しい者を魔物の好きにさせたくはない。
 私は踵を返し、彼に背を向けて教会の中へ戻る。
 ドアを抜けるときについ、
「君のような子にこそ、勇者の素養があれば良かったのだがな……」
 と無意識に呟いてしまっていた。
 それがフィルの耳に届いていたかどうかはわからなかった。

―4―

 フィルと話してから、数日経っていた。勇者はいまだ見つからなかったが、私はそれどころじゃなかった。
 ずっと困惑していた。
 私の頭の中で「神の声」が常に響いていたのだ。
『フィルをあなたの勇者としなさい』
『彼を迎えるのです』
『あなたがその身で勇者として鍛え、共に歩むのです』
『あなたはヴァルキリー。勇者となる彼に全てを尽くすのです』
 そんな「神の声」が頭の中で響き渡っていた。フィルと話をした翌日からのことだ。
 私はもちろん反論した。天使としてあるまじき、造物主たる主神に背くなどあってはならない行為であるにも関わらず、私は反論してしまった。
「いけません。主神様! 彼は勇者としての素養は皆無! 剣を持てば自身を傷つけ、魔物の慰み者になってしまう!」
『そうならないようあなたが尽くすのです。その身で手取り足取り、勇者へと導くのです』
「しかしっ! 危険です! それに勇者になれても彼では魔物を殺せない!」
『魔物を殺すことだけが正義ではありません。慈愛を持ち、子供たちに勇気と希望を与える者こそが勇者。彼の子供にはその力があります』
「そうですが……ですがっ」
 魔物を駆逐するのが勇者の使命のはずだった。なんだ、この違和は。いや、主神様を疑うなどあってはならない。もう一つの勇者の成り様のアプローチなのだろう。
 だがそうであったとしても、彼を勇者になど。
 そんな問答は数日続いた。
 リミアにも相談した。「神の声」に疑問を抱くわけじゃないが、しかし同僚として私を後押ししてくれる言葉が欲しかった。
 天使なのに迷うなんて、私は天使失格だ。
「迷う必要はないんじゃないかしら。私は前も言ったわよ。彼を勇者にしてみたらって」
「むぅ。しかし」
「……はい。はい、そうですね。私の方にも声が届いたわ。後押ししてあげなさいって」
 リミアも同じ。ならばそうすることが正しいのか。フィルを勇者とし、私が導くことが。
「もう一度会って来たらどうかしら。彼が本当の本当に、本気であなたの勇者となりたいのか尋ねればいい」
 私の勇者……。
 妙な感情が一瞬だけ、私の胸にざわついた。そのときだけ、胸を苛む小さな棘が消えたような気がした。
「……勇者はこの世界を平和に導くための存在だ。私のものではない」
 それだけしか言えず、私は席を立つ。もう執務や業務に身が入りそうにない。勇者の素質がある者を探す気にもなれない。
「北の森にいるわよ、あの子」
「……」
 そんなことはとっくに知っている。
 いまも彼の聖素を感じ取っているのだから。
17/12/10 22:40更新 / ヤンデレラ
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■作者メッセージ
ヴァルキリーさんが主役の新連載でした。
おそらく前中後編で終わります。

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