読切小説
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郭終いの見世仕舞い
1

 真冬には違いない。ひりひりとした寒さは肌を凍てつかせ、身をこわばらせる。だというのに鵺鳥が鳴いている。細くて高い、どこか不安にさせる鳴き声だ。それは遊女という自分の身分が関係しているとは、考えたくは無かった。この格子から出られるのはいったいあとどれだけの幾年月を経ればいいのだろうか。雪女も雷鳥も牛鬼も龍も、みなここを出て行ってしまった。もちろん私以外にもまだ残っている人はいるけれど、そのほとんどはもう身受けしてくれる相手が決まったのだという。
 一人になるのだろうか。
 ぞっとしない想像をしてしまい、寒さとは別の身震いが身体を襲った。私だって魔物娘だ。なのにどうして客が一人も来ないのか。よもや婀娜っぽさが足りないわけではあるまい。だとすれば、何か殿方が求める魅力というものと私の備えているものに差異が生まれているのではないか。そう考えると途端に居ても立っても居られなくなり、店主に問いただした。自分には何か足りないものがあるのではないかと。具に備えられないのは当たり前だとしても、もし致命的な欠点があるなら教えてほしいと。
 店主は困った顔をしながら云った。

「そりゃあ、綺麗過ぎるせいじゃないかな。硝子細工のような危うさと美しさが、君にはあるから」
「なにそれ。じゃあもっと不細工になれってこと?」
「そういう意味じゃないけどね。まあ僕としても君にとって素敵な人が見つかるようにと願っているよ。そろそろこの店は終いにしようと思っているから」
「それは懐事情が厳しいってことじゃないの。どこかの義賊や詐欺師のせいで」
「大切なお客様の悪口を云うものではないよ」

 咎めるように云う店主だったが、私は納得していなかった。ちっとも答えにはなっていない。店をたたむと云ったことに多少驚きはしたけれど、それでも私は自分のことの方が気になった。初見世すら未だ決まらない遊女に、なんの価値があるのか。いくら淫靡であろうと、魅力的であろうと、抱いてくれる男がいて初めて魔物娘は、私は輝ける。幸せになれる。
 いつまでもただ籠の中の鳥でいるのを甘んじているだけでは、いずれ果実は腐ってしまうだろう。考えると止まらなくなり、瞼の裏がじんと熱くなる。
 このままではいけない。
 そう思って格子の向こうから声をかけてみても、好みじゃないのか或いは単に懐の問題か、男たちはただ通り過ぎるだけだった。ちらりと一瞥する者はいても、声をかけてくる者は例外を除いて一人といない。一度でいい。話をするだけでもいい。妙に心がざわつくこの寂しさを埋めてくれる人が欲しい。切ない吐息を吐いても、それは白く染まって冬の空気に溶けていくだけだった。
 ただ、そんな私を見て話しかけてくる奴が一人いる。

「おや、今日も浮かない顔をして。そんな辛気臭い顔をしていては折角の美貌も霞んでしまいますよ」

 嘯くように――いや実際に嘯いているのだろう――詐欺師は云った。この店から、遊郭から一人の遊女を身受けした青年。口から飛び出す言葉をいちいち信用していては身がもたないことを知っていた私は、適当に受け流していた。素性もわからない、存在が雲のように掴めない男を掴もうとしても無駄なことだ。

「あのね。私に話しかける前に、あなたにはもう相手がいるでしょう?」
「今は家で留守番させてますよ」
「一緒に出掛けようと誘う甲斐性は?」
「さすがに息も絶え絶えになっている彼女を連れ回すのは、鬼畜がすることでしょう」

 何をした。いや、想像するのは下世話か。詐欺師なんぞに攫われる、もとい身受けされてあの子は大変なのではと時々心配はしていたが、それは杞憂だったようだ。魔物娘として、女として充実した時間を過ごせているなら、それに越した事は無い。
 ほっとすると同時に、少しだけ胸の辺りが熱くなった。醜い、醜い嫉妬の灯が私を内側から炙っていく。冬の澄んだ空気に、私の澱んだ気配が微かに混じるのがわかった。

「いつかいい人が迎えに来てくれますよ。保証します。直感的に恋だとわかるほどの人が現れます」
「詐欺師の云う保証なんて、説得力も皆無ね。諧謔味なら溢れているけれど」
「おや、これでも嘘をついたことも冗談を吐いたこともないんですよ」
「ふうん?」
「騙りはしますけどね」

 では仕事があるので失礼、私もお足がそろそろ入るので。そう云って詐欺師はどこかへ向かってしまった。お足、つまりは山吹色の菓子が――あるいは菓子ではなく瑕疵が――あの詐欺師の懐にすっぽりと収まるのだろう。もともとは誰かのあぶく銭になるはずだったものが。騙され巻き上げられた人は、心中お察しする。が、あのなかなかに強かな詐欺師から巻き上げられない方が難しいだろう。
 誰とも知らぬ犠牲者にそっと憐憫の情を覚えながら、私はぼんやりと空を眺めた。どこまでも広い。けれどその広さが私には想像もつかない。周囲を左見右見しても視界に入るのは空よりも男女の色恋の方が多い。
 私の景色が変わる日が来るのか、漠然とした不安を抱くだけの日々が緩やかに過ぎていく。残酷なほどにゆっくりとしたスピードで通過すると思われていた時間は、けれどいつの間にか止まっていた。

「初見世だよ」

 唐突に店主からそう云われ、あまりにも幕切れの呆気なさに私は暫し開いた口が塞がらなかった。だけど次の瞬間には、はっと我に返りいそいそと支度を始めた。待ち望んでいたはずの初見世だったはずなのに、私の心臓はやけに五月蠅く鳴動して遊郭の中に木霊している。存在の核そのものが揺さぶられているような気恥ずかしさ、とでも喩えればいいのか。
 あれほど外を、迎える人に焦がれていた私が今この瞬間はそのまま消え入ってしまうくらいに矮小な存在に感じてしまう。
 遊郭は女性があくまでも上位であるという常識すら忘れさせるほどに、恥ずかしながら動揺と沈着を繰り返す。本当に五月蠅い鐘になってしまった心臓を抑えて、私は必死に着飾った。

「行っておいで」

 無暗矢鱈に声をかけず、ただ一言そう云ってくれた店主のことを私は久しぶりに有難いと思った。
少し冷えた床が冷たい。足裏から伝わるその冷たさが冷静さを取り戻させ、部屋の襖が開かれた時には鉄面皮を貼り付けることが出来ていた。
 現れたのは、一人の若い侍だった。女性と見紛うほどに美しく長い黒髪を後ろで括り、たなびかせ。整った、女形のような顔立ちに白い肌――白磁でできたような白い肌。ハイカラな着物に身を包んでいるとなると、育ちはそこそこのものだろう。全体的に線が細く華奢であり、風が吹けば倒れてしまいそうな印象だった。それでもその目はどこか、不思議な光を湛えていた。
 脇差と太刀がぶつかり、鞘が軽い音をたてる。

「へぇ、これはまた別嬪さんだ」

 落ち着いた、けれど芯のある声だった。余韻こそ無けれども、確かに響くものがある。

「綺麗だなあ、あんた」

 云って、ゆっくりとその場にあぐらをかいた侍は刀と脇差を傍に置くと、じっとこちらを見つめてきた。格子の向こう側で手を出せずに悶々としている、或いは冷かしているだけの人とは違う。目の前の侍は私を抱きたいと思って今こうして此処に居る。
 当たり前のことを自覚した刹那、面映ゆい気持ちになって視線を逸らした。部屋に備えられた行灯の灯りが眩しく感じてしまい、暗くなれ暗くなれと必死に願う。顔を見られたくないとすら考えてしまった。私のこの長い黒髪は自らの顔を隠すためにあるのではないか?

「うんともすんとも云わな……って、当たり前か。決まりごとは仕方ねえよな」

 言葉を交わしていたとしたら、私の顔はどうなっていたのだろうか。想像して、産まれて初めて遊郭の決まり事に感謝した。きっと、行灯ですら誤魔化せない赤さに染まっていただろうから。
 侍は旨そうに御猪口に注がれていた酒をくいっと呑むと、またこちらをじっと見つめる。恥ずかしすぎて顔に穴が空いてしまいそうな私の心境を知ってか知らずか、今度はよりまじまじと見つめられている気がした。
 ふうん、と口元を少しだけ緩めるとその視線は手元にある御猪口へと移った。

「ま、恋の胸突き八丁は無事超えたんだ。あとは楽だろうさ」

 その喩えはどうなんだろうとは思ったけど、それを口にはしなかった。

「それはそうと、この遊郭って変わってるよな。遊郭の皮を被った何かみたいなさ。俄知識を集めて作った場所ってもんかな。いや、魔物娘にしちゃあ、そっちの方がいいんだろうな」
「……」
「まあ、そのおかげでこうして」

 言葉が途切れるのと、私の視界が大きく反転するのはほぼ同時だった。何をされたのか脳味噌が理解するよりも早く、混乱する頭が自分が押し倒されたのだと判断するのにも少し時間が必要だった。

「!?」

 遅れて驚きが私を満たし、咽喉からは空気が掠れて漏れる。え、なに、なにとぐるぐるの渦巻きを作る私を置いてけぼりにして、唇に柔らかい感触があった。接吻されたと理解した時には、顔に一気に血液が集まるのがわかった。唇同士が触れ合うくらいの、軽いものではあったけど、それでも初めてだった。
 動揺が落ち着くのも待ってくれず、侍は私の衣の隙間に手を滑らせると身体に直に触れてくる。膨らみに指が這う感覚に小さく悲鳴をあげる私に、侍は怪訝な顔を向けた。

「おいおい……反応が初々しいのは愛嬌があっていいけどよ、まさか生娘ってわけでもねえんだから多少は乗り気になってくれなくちゃ閨事が萎えちまうぜ」
「じょ、冗談じゃない。初めてだよ」
「は?」
「えっ?」

 奇妙な硬直があった。時間が凍結したかのように動作が停止し、私はただ地蔵の如く動かなくなった侍を見つめる他にすることがない。七変化する侍の表情はやがて落ち着き、やや怒気の窺えるものになったかと思うと、実に忌々しげに「あの詐欺師……」とだけ呟いた。
 そこから先は侍の強引な態度がうってかわって、とても紳士的な態度になっていた。なんでも侍の云うところによると、普段は徒然に日がな一日を過ごすばかりだったのだが、偶には気分転換ということで遊郭の辺りをうろうろとしていたらしい。だが当然自分の懐具合は木枯らしが吹く有様であり、外から指を咥えてただ見る程度におさまるはずだった。遊女を抱こうなどと夢のまた夢、ならば夢のままに余韻だけで酔うことにすればいいと思い、その場を去ろうとした時に、一人の青年に出会ったそうだ。
 語らずともそれが詐欺師であることはもう私にはわかりきったことだったけれど、侍にとっては初対面。怪しむ余地はあれど疑うとまではいかなかったらしい。
 青年は親しげに話しかけ、言葉巧みに侍をこの遊郭へと誘ったとか。
 最低限の懐具合でも絶世の美女を抱ける遊郭があるのをご存じですか?私は怪しい者ではありませんよ。なに、ちょっとした客引きでして。話だけでも聞きませんか?聞きます?結構。では。実はあの遊郭にいる遊女は皆、人ではないのですよ。お察しが早くて助かります。だから必要最低限、それに経験豊富な魔性とくれば男として感じるところはあるのではありませんか?ほら、あそこの毛娼妓。あの方は経験も豊富ですが中々思う男性とは巡り会わないようです。ですからひょっとするとあなたかもしれませんよ。私の所感ですが、あなたには運がある。なんせ私に呼び止められたんですからそれはもう強運です。ほら、ほら、もうこれは行くしかないでしょう。どうせあぶく銭ならば、派手に使って女を掴んではみませんか。
 強引だが滔々と青年の口から零れる言の葉にのせられ、侍はこの遊郭へと足を踏み入れてしまい、私を指名した。私がまだ未経験だということを知らずに。老獪なやり口ではないが、軽快なやり口ではある。いや、そもそも遊郭の決まり事もあるのだから通した店主ですら一枚噛んでいることになる。
 詐欺師の被害者がまた一人――いや、私を含めて二人――増えた瞬間だった。結局すべては仕切り直しとなり、私は侍の手にした御猪口に酒を注いでいた。踊らされた身であるとはいえ、侍は申し訳なさ半分、気恥ずかしさ半分といった様子でよく回っていた舌もとんと動こうとはしなかった。

「いや、ほんとすまねえ」

 ようやく泥沼に捉われた舌が動いたと思ったらそんな一言を発するばかりで、私としてもいたたまれない。詐欺師に騙されたのは侍でも、詐欺師を煽ったのは私と言えなくはないのだから。
 間違いの申し訳なさを根太とした私の心。それはどうやら、別のモノへと根幹をすり替えようとしていることにはまだ、私自身も気づいてはいなかった。

「まあ素封家でもない俺が遊女を抱けるなんて……身の程を弁えろってことかな」
「そこまで落ち込むことは……それに、立派な侍なのだし」

 励ましの言葉も耳朶にはとどかないのか、深い息を吐く侍に対して、私は少しばかりのもどかしさというものを感じていた。
 いや、これはもどかしさ、だろうか?曖昧模糊とした自身の脳は確かな答えを見出せずにいるが、しかしこの胸を擽っているようなざわめきというか、息苦しさは何か明瞭な思惟で私を締め付けている。未曾有の感覚に善し悪しの判別もつかず、ただ戸惑う私は自然と己の唇を指でなぞっていた。
 今になって接吻の余韻が、恋人の情事の後のような心地よさにも似た――と云っては詩的に過ぎるが――熱を孕ませ、どうにも熱くて仕方が無い。言葉の端々に謝罪の薬味が含まれてはいるが、先ほどまでこの侍は本気で自分を抱くつもりだったのだ。
 無意識のうちに肩口でたわんだ衣が緩み、肌色の面積が増える。
 熱い。
 媚薬でも盛られたかのように身体が熱かった。なのに同時に寒さも感じるのはどうしたことか。気づかぬ内に動揺が心の底で波紋を立て、それが今頃になってこうして情緒を滅茶苦茶に引っ掻き回して弄んでいるのだろうか。
 あてどもなく視線を彷徨わせ、それを誤魔化していたのも暫時、誘蛾灯に誘われる蛾のように視界には侍の姿があった。要はいくら意識的に侍を遠ざけたところで、無意識的に侍を意識してしまう。
 居心地が悪そうに落ち着きない風情の侍を見ると、きっと心根は優しいのだと思う。助平ではあるが、それでも徹しきれない優柔不断さを優しいと受け取る私は、どうかしている。
 やるせない情火が私の女を淫靡な熱で炙り、吐息に艶を孕みはじめたのを自覚する。憚ることも難しく、誤魔化すための嘲笑を浮かべてみようものならその笑みに独特のとろみさえ浮き出てしまいそうなほど。
 厭わしいと云われれば、この胸はすっと楽になるのだろう。それこそ草原で深呼吸をするにも似た清々しささえ感じるに違いない。これは、ただ、ただ雰囲気に流されてしまい、勘違いをした熱病のようなものだと自分の中で区切りをつけ、仕切りをつけられることだろう。
 懇願する視線を向けてはみたが、怯懦にも言葉を濁らせてどこか苦しそうにするだけの侍を見ては、もどかしさがさらに膨れ上がるのみだった。
 向こうも、薄々勘付いてはいるのだろう。そわそわとしながらも声をかけてこないのは、此方から声をかけさせなければならないという、男の矜持のようなものだろうか。それとも単に、初心なだけか。
 思考する暇すら惜しく、私はそっと侍の手をとった。脊髄反射のように互いにびくりと痙攣し、電流を流された蛙のようになった。
 わかっているのだ。心の底では互いに理解している。何より今は、雄弁に語っているではないか。言葉を出せば語尾は掠れ、咽喉は震え、炎にも似た煌々と燃え盛る情欲の滾りにしっとりと汗を肌に浮かばせ。
 今にも折り重なってしまいそうな空気が、舌よりも雄弁に語っている。到底抵抗のしようがない、逆らえない魔物の本能が求めてしまった。
 だから、今度は私からしかけたそれを接吻と呼んでいいのかには、些か疑問が残った。が、そんなことを口に出そうとした瞬間に、口ごもる。
 賢しげに横やりを入れる理性が、蕩けた瞬間だった。代わりに唇から零れたのは、

「寒くない?」

 そんな言葉だった。
 おそらく嫣然としていたであろう私を見、侍はそっと私を抱きしめてくれた。
 嗚呼、寒い。寒くて寒くて仕方が無い。情欲で濁ってしまった灯は寒く肌を凍てつかせてたまらないのだ。

「……そ、そうだな。寒いな」

 ほら、侍とて高楊枝をしても寒いものは寒いと云っている。この寒さを和らげるのは心の中に灯るさながら蝋燭じみた火ではない。部屋に備えられた行灯のような乾きを感じる火でもない。
 生きた肌のぬくもりだけが、この寒さを誤魔化してくれる。

「んっ……」

 口づけと同時に心の深淵を覗かれている気分になり、不気味なくらいの安心感に襲われた。舌を絡ませればその都度甘美な痺れが全身に広がり、頭の中に靄がかかる。今度は先ほどのような軽いものではなく、唾液と唾液が混ざり合い、舌も口の中もとろとろになるような濃厚なものだった。粘膜が触れる歯茎の感触が心地よい。次第に荒くなっていく呼吸の音が間近で聞こえ、快楽の期待値が少しずつその嵩を増していく。
 押し倒され、身に着けていたものを剥がれ、肌が外気に晒された寒さで、つい強く唇を強請る。触れている場所が温かく、胎児に戻ったような安心感を覚える私はすっかり侍に甘えていた。自然と髪の毛は侍の手足に絡まり、肌へ撫でる様な愛撫を繰り返す。意思をもって蠢くそれに侍は一瞬ぎょっとしたようだったが、それも直ぐに慣れたようで逆に私の髪を優しく撫でた。

「上質な織物みたいだ」
「……それって、褒めてるの?」
「もちろん。すべすべしてて、艶々で……」

 髪を気に入られて、悪い気がするわけはない。文字通り生きている――私の一部の――髪を滑らせて、侍の身体へと搦める。焦れた快感に少し声を漏らしながら、侍の唇が首筋へと下りていく。口端から微かに洩れる吐息が薄い肌の表面を撫で、その擽ったさに身を捩る。
 侍の手が胸に触れ、自分の乳房が形を変える光景がひどく淫靡で気恥ずかしくなり、思わず目を逸らした。それでも胸から感じる刺激は確実に背筋を走り、柔らかな快感を蓄積させていくのだから、まったく手に負えない。
 まぎれもなく、女になってしまっているこの身体と魔物の本性は、手に負えない。
 乳首を摘まれ、途端に鋭くなった電流に私は思わず短く啼いた。それでも躊躇いなくぴんと尖った先端を口に含まれると、私の中で何かがぐらぐらと揺らめき、四肢に力が入らなくなってしまう。尖らせた舌で先端を舐られ、ぴりぴりとした感覚が身体に浸透していく。
 いったい自分はどうなってしまったのだろう。このままわけのわからぬままに溺れてしまうのだろうか。それがとてつもなく恐ろしいことに思えて、侍の肩に両手を回して必死に抱いた。
 執拗な愛撫はそれで止むことをしらず、とうとう花芯まで弄られ始めた頃には既に息も絶え絶えになっていた。髪の毛も痙攣し、その心地よさを――壊れてしまいそうな快楽の度合いを――伝え、侍に喜悦の色を浮かばせた。
 指の腹で淫核を撫でられる度に腰がせぐり上がり、咽喉はカラカラになって掠れた声を出すだけになってしまう。

「……っつ。ぁ、ぅ」

 もう遊女などいなかった。ただ性衝動に犯された男と女がそこにはいるだけだった。逃げ場もなく部屋に滞留する性の香りが鼻腔から脳髄へと届き、視界を染め上げていく。
 既に淫らな水音がするほどに蜜を溢れさせていた私の女陰に、何かが触れる。いや、口にせずともわかる。
 一瞬自分の中に杭が打ち込まれたかと思う衝撃が走り、呼吸が比喩などなく止まる。一拍、二拍と間をおいてようやく自分の頭が呼吸の仕方を思い出し、ありったけの酸素を集めようと鯉のように口を開けた。
 一つになった。そんな実感が湧くよりも早く脊髄を快楽がひた走り、牝犬のような鳴き声を勝手に私の咽喉は上げている。きっと、この身が人間だったなら、こうして喘ぐことなどなく破瓜の痛みでひたすら苦悶にのたうち回っていたのだろう。自身が魔であったことに微かに感謝を抱いたのも刹那、次々と襲い来る衝撃と快感の奔流にそんなものは流されてしまった。
 気持ちよくて、愛しくて、全てがどうでもよくなってしまっている。ヒトが見たならば、この光景を狂っていると目を逸らすのだろうか。出会って時間が経っていない男女がこうして肌を重ね、しかもその閨事は義務的なものではなく女も男も情熱的に交わしているのだとすれば。
 それを狂っていると思うだろうか。
 私なら、美しいと思う。
 出鱈目に降り注ぐ快楽の中で、そんなことを少しだが考えた。最奥を鋭い肉槍で穿たれ、その度に身体は条件反射で弓なりに反れる。行灯の灯りで汗はきらきらと妖しい光を乱反射し、網膜に侍の姿を焼き付ける。
 激しい律動で己が穴を抉られる感覚に酔い痴れ思考を麻痺させる中で、圧倒的な多幸感がじわじわと身体を啄む。子種を、精を求めてさっきから蠕動を繰り返し、熱くとろける私の雌の器官と、脈打つ雄の器官の果てが見えかけ、私は咄嗟に両足を侍の腰に絡めていた。

「はぁっ……ん、あぁ……」

 事後特有の気怠さと共に、甘やかな吐息が口から零れ、冷静さが次第にその姿をどれだけ恥ずかしいものだったのかを思い出させる。
 途端に惚けた顔を見られることが面映ゆくなり、両手で顔を覆った。またそれとは別に、一度火がついてしまった魔物の性を抑える術など知らぬ身体は、内部で収縮を繰り返し、もっともっと、頂戴、と、侍を強請っていた。
 貪欲に、ひたむきに。
 寒さを感じなくなっても、今度は心の中に空いた穴を埋めたくなってしまう。ただそれだけの願いで、私は自分から腰を振る。まだまだぎこちなさがありはするが、それでも時折侍の顔が快楽にひきつるのを見ると、愛しさで胸が満たされる。
 もう一度、あの感覚を味わいたい。迸る精を子宮に受けるあの至高の感覚を。電流――などという生易しいものではない。もっと根本的なものが、満たされても満たされぬ器が唯一溢れ、充足される。形容し難い、いや形容できるはずもないその悦びが、愛おしくて仕方が無いのだ。鴉片など月と鼈ほどに比較にならぬ、する方がおこがましい程に、狂わせる。
 私を、狂わせる。

「――!!!」

 短く呻き、私の膣にぴったりと合っていた男根が何度も細かく痙攣する。そして私は、また狂う。
 この時間が、永久に続けばいい。本気でそう思った。
 だからこそ、夜が明けてしまった時の私は幽鬼のような顔を一瞬浮かべていただろう。他の者のまぐわいの興を削ごうとも構わずに、声を荒げ喘ぎ果てたその先に待ち受けていた、唐突な甘味の終わりに、私は子どものような駄々をこねていた。
 性と官能の時が終わったことも、もちろんある。
 けれどそれよりも、重要なことがあった。

「長居しすぎたな。……そろそろ行くよ」

 立ち上がり、出て行こうとする侍にほぼ反射的に声をかけ、呼び止める。侍はどこか困ったような顔をして、私を見た。

「どうした?」

 芯のある声。あの声で、何度も私を犯した。でも。名前は呼んでくれただろうか。
 絶頂に絶頂を重ねたせいで、未だ朦朧とする意識に鞭打ちながら、私は云った。

「アヤメ」
「ん?」
「私の名前だよ」
「……そうか」

 アヤメ、ねぇ。そう口にして、あろうことか侍は再び去ろうとする。なぜ、どうして?確かに私たちは通じ合うものがあったのではなかったのか。だからこそ、交わした言葉こそ少なくとも、あそこまで濃い情交をしていたのではなかったのか。どうしてそんな腑抜けた笑顔を顔面に貼り付けているのか。確かに私は侍のことを何も知らない。
 それでもあの時間は確かにお互いがここにいることの、何よりの証明になったのではないのか。ここに来た切っ掛けこそ、暇の徒然に近いものだったかもしれない。でも、それでもあそこまで火照っていたじゃないか。寒いと、云ってくれた。

「ふざけるな」
「あ?」
「名前くらい、云って行きなってんだよ。仮にも抱いたんだろ!初めてまで貰っといて、何をキザったらしく去ろうとしてるのさ!」

 客に利いていい口ではない。それでも止まらなかった。抑えきれない。抑えきれるものではないのだ。この衝動は。

「……ユウリだよ」
「ユウリだね。覚えたよ」

 籠の中の鳥が大人しく、いい子にしていると思ったら大間違いだ。それを、この侍に教えなければいけない。隙があれば、いつだって鳥はその翼で飛べるということを。

「あんたの髪、綺麗だったよ」
「そりゃお互い様だ。ま、それでも毛娼妓に褒められるとは、なかなか光栄だな」
「また、来なよ。来なかったら私から行くからね」

 その言葉を聞いた途端、侍は目を丸くしたが、そんな事は関係ない。私が行くと云ったら、行く。だからそれはそう、決定してしまったことだ。覆せるはずもない。

「……あの詐欺師め」

 忌々しげに、けれど心の底からは憎んでいない様子でユウリは呟いた。

「一夜の夢ってわけにはいきそうにないよな、これ」

 そう云い放ち、ユウリは続けた。

「……八百夜くらいになりそうだ」
「……」
「なあ、アヤメ。その、一夜を過ごしただけってのは説得力に欠けるかもしれないが」

 お前のこと、貰っていいか?
15/11/11 21:56更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
Twitterの方でしばらく投稿しないと言っていたのですが、リアルにだいぶ余裕が出来、予想外に予定が狂ったのでまた投稿できるように。意図しないラッキーです。
さて、この郭の話もともと続ける予定なんてまったく無かったのですが、感想でどこか読み手とキャッチボールをしている感覚に捉われてました。
どこかの義賊も詐欺師も話に出す予定はないのに、意図しないところで出てくるあたり、話の中での駒としての役割に留まってくれません。
まあそれもこれで終わりです。なにせ遊女がいない方が、図鑑世界的には幸せです。
いつもより長いあとがきになりましたが、そんなこんなで。
郭終いの見世(店)仕舞いでした。レンサイモカンケツサセナイト。

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