連載小説
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番外編 魔物喫茶にようこそっ! 4
「あ〜。そういえばオーナーさんが明日のイベントよろしく頼むって言ってましたよ〜。」

店の片づけを終え、帰宅間際の私たちにマリ姉が声をかけてきた。
一日の終わり。私たちはすっかり落ち着いた気分でお茶を飲んでいた。
窓の外の灯も優しく街を彩っている様に見える。

「そうだったわね。でもまたなんであんな名前にするのかな。」

翌日はこの店で定期的に行われるイベントがある。
でも、センスにいささか疑問があるオーナーが名前をつけているので、妙におかしいのだ。
呆れたように言う私にエステルもうなずいた。

「うふふっ。『インキュバスさんお披露目パーティー。〜カップル限定DAY〜』なかなか素敵な名前じゃなくて?」

いまにも吹き出しそうなエステルの表情からは、それが明らかに冗談であることがわかる。

「やめてよエステル。口に出して言われるとこっちまで恥ずかしくなるからっ!」

「インキュバスさんお披露目パーティー。カップル限定……」

からかうようなエステルに、私も笑いながら文句を言った。

「もう!なんども言わないでよぉ……。」

エステルの混じりけのない澄んだ声。
その美声で朗読されるように言われると、きいているこっちの背中までむずむずしてくる。

「ああ〜。本当はうちの旦那様も皆さんにお披露目したいんですけどお。以外と恥ずかしがり屋さんなんですよ。」

「あら。マリ姉様の所もそうなの?わたくしの弟くんもなの。そこがまた可愛いのよね。」

「ええ〜。とっても可愛いですう!」

エステルもマリ姉もいつの間にか自分たちの夫自慢を始めている。
まあ、この子達がのろけるのは毎日のこと。複雑な気分だけどそれはそれでいい。

このイベントは、インキュバスになって間もない相方を魔物仲間に紹介する。という建前。
つまりは店の中でエッチな事をしたり、他のカップルがしている所を見たり、
色々楽しみましょう。というもの。
早い話人間たちの言う乱交パーティーのようなものなのかな。正確には乱交じゃないけど。

当然私はみんなに紹介できる彼氏もいない。店員じゃなくても参加するには肩身が狭い。
そう。私は相変わらずの独り身。否応なくその事を実感させられてしまう。
憂鬱になった私だけど、この子たちはかまわず愛する旦那様とのいちゃいちゃ自慢をしてる。

理不尽なのはわかってるけど、少々むっとした私はつい言ってしまう。

「あのねえ、あなた達の旦那様はもうインキュバスになって長いじゃないの。いまさらお披露目してどーすんのよ。」

口をとがらせて文句を言う私だが、二人は相変わらずのんきなものだ。

「えへへっ。可愛い旦那様はいくら自慢しても飽きる事はないんですよ〜。」

「そうよ。みんなに存分に見てもらいたいし、わたくしもみんなが旦那様と幸せそうにしているのを見たいわ。」

エステルもマリ姉もうっとりとしている。
旦那様との素敵な毎日を思い出してでもいるのだろうか。私は拍子抜けしてため息をついた。

「お熱い事ですね。まあ明日は楽しみすぎて遅刻なんて勘弁してよ。私一人じゃどうしようもないんだから……。」

「は〜い!気を付けまーす。」

「そんなに心配しなくても大丈夫よエレン。」

二人は私の心中に気が付かないかのように楽しげに笑った。


















「あらあら。随分とお客さま来ているわねえ……。」

「はあ。なんか今日は大変そうですねえ〜。」

それで翌朝。イベントの当日。幸いな事にエステルもマリ姉も遅刻しないで来てくれた。
いつも以上に賑わっている店内を眺めながら、二人はため息をつく。

「オーナーはいないの?まあ、いつものことだけど。」

「はい。商店街の会合でこっちにくるのは遅くなるって言ってましたよ〜。」

問いかける私に、マリ姉はいつになく真面目な表情で答えた。
イベントがあるのにオーナーが居ないのでは少々忙しくなりそう。
私も二人に同意して気合いをいれるようにうなずく。

「そうねえ。面倒な事にならなければいいけど。二人とも今日はお願い。」

「任せて頂戴! 」

「はい〜。頑張りましょう! 」

エステルとマリ姉も明るく言った。

















「エリカさんいらっしゃいませ! 今日は旦那様と一緒ですか。」

「エレンちゃんお久しぶり。」

「最近いらっしゃらなかったですけど……。」

「そうそう。じつはね……」

……

……

「あら?リーナさん。その方はもしかして! 」

「ああ。私もようやくな……。」

「おめでとうございます! 」

「いや。そう言われると照れるな……。まあ、ありがとう……」

……

……

店には続々とお客さんがやってきた。エリカさんリーナちゃん等、いつもの常連さんも多い。
どうやらリーナちゃんも旦那さんを手に入れたようだ。席で仲良く身を寄せ合っている。
親しくしている人が幸せになってくれるのは嬉しい。
でも、独身仲間が減ってしまうのはやっぱり寂しい……。

今日は例のイベントなので店にいるのはカップルだけ。
いつもは男を求めて目をギラギラさせている独身の魔物娘も多いというのに。
彼女たちは私にとって、同病相憐れむ仲間でもあり、男を奪い合う強敵(とも)でもある。
だが今日店でオトコといちゃいちゃしている連中はただの「敵」でしかない……。

つい暗いことを思ってしまいため息をついた。
私の思いは単に酸っぱいブドウみたいなもの。八つ当たりは見苦しい。
魔物娘としてこれはないな。反省して気持ちを切り替えようとした時だった。
店のドアが音を立てて開かれた。

















「いらっしゃいませ! え……。君は……? まあ! 久しぶりじゃない! 」

入ってきたお客さんを見て私は声を上げてしまった。
そこにいたのは以前私が自分のモノにしてしまおうと思った男の人。
彼も私を覚えていてくれたようで笑顔を見せてくれる。

「お久しぶりですエレンさん。あの時はお世話になりました。」

嬉しい。彼、私の名前まで覚えいてくれたんだ……。
沈んでいた気分が晴れるようで、ついついはしゃいでしまう。

「もぉ〜。そんな堅苦しい挨拶はやめてよ〜。それで、今日はどうしてここに? 」

私はもっと彼とお話ししたくて近づく。出来ればお話以上のこともしたい。
心が高揚感に包まれたその時だった。

私と彼の前に白い姿が割り込んできた。
純白の髪と血のように紅い瞳。エリカさんのように長く地を這う蛇の下半身。
どう見てもラミア属。白蛇の女性。そのひとは私の目の前に傲然たる様子で立った。
突然のことに驚く私を意に返さず、彼女は穏やかに微笑むと頭を下げた。

「お会い致しますのはこれで2度目になりますが……。このたび森宮の妻になりました有妃でございます。先だっては主人が大変お世話になりました。本日はそのお礼とご報告もかねてご挨拶に伺いました。」

白蛇は露骨に慇懃無礼な口上を述べる。
彼女の美貌を眺めてると、私は興奮から覚めてあの事を思い出した。
「妻」って言葉を強調するこの白蛇は当然彼のお嫁さん。

実は……私はこの白蛇のものになるはずだった彼に、ちょっかいをかけて奪おうとした。
白蛇と彼がこの店でお見合いをする事を知った私は、
私の体に思いっきり魔力を込めたものを、ゼリーと嘘をついて食べさそうとした。
成功目前までいったけど見ぬかれて阻止されてしまった。

彼、とっても可愛かったのに……。本当に残念。
もちろん店員は客を、しかも魔物の客のお婿さん候補の横取りなんてもってのほかだ。
でも、そんな決まりは私にとって本当はどうでもいい。
魔物の本能が、無意味な事に従う必要など無い。そう力強く叫び続けた結果だから。

事情を知ったオーナーからはやんわり注意されたけど、
だったら素敵なお婿さんを紹介してと逆ギレしたら黙り込んでしまった。

私の魔力入りダークスライムゼリーを食べていれば、今頃彼は私のお婿さんだったはず。
そう。わたしのものになっていたはずなんだ……。
それをこのおんながじゃましたんだ……。

横取りしようとしたことも忘れて、私はいつしか白蛇を怒りを込めて見据えていた。
白蛇も私のしでかした事は知ってるのだろう。敵意に満ちた鋭い笑顔を送り続ける。

緊迫した様子を察したのかな?彼は白蛇の手を握ってなだめようとした。
白蛇は、私に対する作り笑いとは打って変わって優しい笑みを見せる。
その時だった。

白蛇は彼を抱きしめ、その長い蛇体でぐるぐる巻きにする。
そして私に見せつけるように何度も何度も彼にキスし続けた。
彼のほうも、愛しい奥さんの抱擁に蕩けるようになって身を委ねている。

わかりきっているけど、白蛇は明らかに見せつけている。
これは私のものだ。妙な考えを起こしたらただじゃ済ませない。そう言ってるも同然。
熱いキスを終えて、彼女は優越感溢れる眼差しで私を見下ろした。
蛇体は相変わらず彼に絡みつかせている。まるで私から守るかのよう。

私の心に寒々しいものと熱い怒りが同時に満ちた。
けど言葉はなにも見つからない。ただ強がって笑うのが精一杯。

「え〜と……。随分とラブラブで結構な事ですねっ……。まあ…おめでとうございますっ!死ぬまでお幸せにっ! 」

負け惜しみはわかってる。でも気持ちが抑えきれずに、つまらない捨て台詞を吐く。
私はそのまま顔をそむけ、振り返りもせずに店の奥に引っ込んだ。
背中には白蛇の強い視線を感じながら……






















「エレン。オムライスあがったわよ! 」

「エレンちゃ〜ん!レジお願いします! 」

エステルとマリ姉が何か言ってるけど全く頭に入ってこない。
店の中はますます賑わい、お祭りのような騒ぎだ。みんなパートナーとエッチしてる。
私はじっと立ち尽くして、ホールの様子を虚ろに眺め続ける。

ああ。みんなたのしそう……。ほんとうにしあわせそう……。

「エレン。どうしたの? 」

私の異常な様子を見て取ったエステルが厨房から声をかけてくれる。

「うん。ちょっとね……。」

「確かあの白蛇。前にあなたが……。」

「うん。そのひとよ……。」

エステルもこの白蛇と彼の一件は承知している。
感情を見せずに答える私を悲し気に見つめて、肩にそっと手を置いてくれた。

「エレン。つらいなら無理は禁物よ。わたくしに任せて休んでいなさい。」

「うん。ありがとう……。」

優しく労わってくれるエステルの心遣いはありがたい。でも、そんな自分がとっても惨め。
私はお礼を言うと無理をして笑顔を見せた。

















相変わらず店の中は淫らな饗宴状態だ。
みんなパートナーだけの事を見つめて、幸せそうにいちゃいちゃしている。
私も体を休めながら、熱気に満ちた様子にぼんやり目をやり続ける。

見つめあって。身を寄せ合って。抱き合って。キスしあって。愛を囁きあって。
体をまさぐりあって。舐めあって。交わりあって。そして、満ち足りた様子で笑いあって。
互いの事だけを、ただひたすらに感じあって……

私の中にさっきも感じた暗く寒々しい、胸に詰まる様な重いものがどんどん満ちていく。

そのとき、あの白蛇と彼の姿が目に入る。当然彼らも愛の交わりの真っ最中。
白蛇は彼を蛇体で拘束し、上からのしかかりながら律動していた。
濃い口づけを交わし、ねちっこく舌を絡めあっている。
ふいに彼の体が切なそうに何度も震え、やがてがっくりと力が抜けた。

説明されなくてもわかっている。彼は大好きなお嫁さんの中に熱いものをぶちまけたのだ。
白蛇は旦那さんをしっかりと抱きしめると、愛情深くなんども撫で続ける。
彼も白蛇の胸に顔を埋めながら、心から安心した様に身をゆだねている。
こんなの見たくないのに……。よけい惨めになるだけなのに……。なぜか目が離せない。

二人ともうっとりとして微笑みあっている。互いの事しか目に入っていないようだ。
さっきの私とのやり取りなどすっかり忘れてしまったんだろう……。
もう私の事なんか無かったことになっているのだろう…。

心の中で抑えつけられていたものが膨らみ、こらえきれずに一気にはじけた。

あははっ。バカバカしい。もうどうでもいいや……


















私は深く息を吸い込む。
己の中に溜まったどろどろしたものを追い払うように、一気に息を吐き出す。

やってやる……。やっちゃえ……。やっちまえ……。

私はぶつぶつ呟きながらホールに向けて一歩踏み出す。
本当に私はバカだ。人間社会に染まり切っていた。くだらないルールで自分を縛っていた。
魔物娘だったら欲しい男は奪えばいい。リーナちゃんの言う通りだった。
我慢はいらない。この白蛇に戦いを挑めばいい。私も二人の間に割り込むだけだ。

奪って私一人だけのものにする。それは魔物としてのプライドが許せない。
だから彼は私と白蛇の共有の夫。ハーレムみたいにすればいい。
ごちゃごちゃ言うだろうけど腕尽く力尽くだ……。

白蛇は強力な種族とはいうけど、私だって魔法の腕前は鍛えている。
エステルのようなリリム。バフォメット。ドラゴン。
このレベルを相手にしないかぎり誰にも負ける気はしない……。

ちょうど客席ではリーナちゃんがみんなに喧嘩を売っている最中。
何やら大声で叫ぶと、旦那さんと一緒に店のステージでセックスをし始めたのだ。
散々ヤジられているが負けずに頑張っている。私もこれに便乗すればいい。
白蛇に挑戦状を叩きつければ、もっと騒ぎが大きくなって面白くなる……。

私は己を鼓舞する。心に満ちる鬱屈した力を爆発させるように魔力を開放する。
さらにもう一歩私は踏み出す。

「エレンいったい何やっているのっ! 」

衝動に身を委ねようとしていた私の耳に叫び声が響いた。エステルだ。
エステルは動揺と困惑をあらわにしながらも私の前に立ちふさがる。

「とにかく落ち着きなさい。いま楽にしてあげるわ。」

お願いエステル。今は邪魔しないで……。
何やら呪文を詠唱しようとする彼女にかまわず、私は強引に前に出る。

「エレン待ちなさっ……熱っ! 」

私を止めようと体に触れたエステルは悲鳴を上げてのけぞった。
後から聞いたところ、この時の私はまるで沸騰している様だったらしい。
液体の体が泡立ち、煮えたぎり、壮絶な有様だったそうだ。

「マリ姉様っ! お願いマリ姉様っ。力を貸してっ! 」

悲鳴を上げるエステルを無視して私はホールに乱入しようとした。
その男は私のものでもあるのよ。勝負しなさいっ! 
白蛇にそう宣戦布告しようとする瞬間だった。

「そのっ……っ。むうっ……。」

絶叫しようとする私を何かが拘束した。
それは私の顔を弾力のある柔らかい二つのもので包み込んだ。
暴れようとする私をしっかりと抱きしめ、いたわる様に愛撫し始めた。

「よしよし。もう大丈夫ですよ〜。つらかったですねエレンちゃん。」

耳朶に響いたのは、マリ姉さんのとっても優しい声。
まるでマリ姉が出すホルミルクのように私の心を甘く満たす。
気が付けば私はマリ姉の豊かすぎるおっぱいに抱きしめられていた。

「だって……。私は彼が……。ほんとうは私の旦那さんだったのに……。なのにあの白蛇が……。」

うわごとのように私は呟き続けたが、やがて力が抜け。抵抗する気力も無くした。
マリ姉は私を乳の抱擁から解放すると、憐れむように切なく見つめた。

「ねえエレンちゃん。あの白蛇さんは旦那様の事を何よりも大切に想っていますよね。
だからこそ、エレンちゃんと共有するのは絶対に許さないと思うんです。旦那さんを守るためならどんな事でもしてきそう……。」
 
すべての事情を察したマリ姉は穏やかに語り続ける。

「でも、エレンちゃんがそれでもあの男の人を欲しいのなら。どうしても気持ちを抑えきれないのなら。エレンちゃんを全力で応援します! 私はエレンちゃんの味方ですよ〜。」

マリ姉はそう言うと慈愛に満ちた笑顔を見せてくれた。

「マリ姉……。」

「あなたがそこまで思い詰めていたなんて……。気が付けなかったわたくしを許して……。」

エステルも許しを請う様に私をそっと抱いてくれた。

滾り立っていた気持ちがようやく静まる。私は正気を取り戻す。
見れば火傷したように真っ赤になっているマリ姉の豊かな双丘。
痛々しい姿を目にしていると、私の中から何かが堰を切ってあふれてきた。

「欲しいよう……。私もお婿さん欲しいようっ! 」

大声で泣き出す私の目から紫色の粘液があふれだす。そのままひたすら号泣し続ける。
エステルとマリ姉は私を優しく慰め続けた。
異変に気が付いたのだろう。店に戻ってきていたオーナーも慌ててこっちにやってきた。
私の涙は床に流れ続けて、とうとうスライムまみれのどろどろになってしまった……。

















「さてと……。みんな今日もよろしくね! 」

開店前のひととき。賑わう前のまだ静かな店内で、私はみんなに陽気に声をかける。

「エレン。大丈夫? 」

「無理はしないで下さいね〜。」

空元気を出していると思ったのだろう。エステルとマリ姉が気遣うように声をかけてくれた。

「エステル。マリ姉。色々ごめん。もう大丈夫だから……。」

私はかぶりを振って微笑む。

あの一件の後。オーナーからも無理をさせて悪かったと頭を下げられた。
これからはいい男を見つけたら、勤務中でもかまわずものにしていいと言ってくれた。
白蛇と勝負するついでに、オーナーとも喧嘩して店を辞めてやるつもりでいたのに。
それなのに心底申し訳なさそうに謝られてしまった。

どうやらみんなには心配も迷惑もかけてしまったようだ。
自分では悲劇のヒロインみたいな気でいたけど、なんかそれが恥ずかしい……。
まあ、このお詫びに今後私のできることはしていこう。

でも、好きな男を選んでいいと言われてみれば、色々目移りしてしまう。
まあ、目移りする以前に独身の男の人自体店にあまり来ないんだけどね……。

ちなみに悩んだけれど、結局白蛇の旦那さんからは身を引く事にした。
私が無理に割り込んでも幸せにはなれない。落ち着いて考えればその事はよく分かるから。

今日はお客さんが少ない。独り身の魔物娘が数人だけ。
みんなコーヒーとか紅茶を飲んで、のんびりとくつろいでいる。
私も穏やかでゆったりとした気分で、仕事中でも気兼ねなく妄想に耽った。

その時だった。

今まで嗅いだことの無いような香しく、それでいて無性に興奮する香りがする。
香りは店の入り口のドア付近から強く漂ってくる。
驚いてそちらを振り向くと、男の人が一人落ち着き無さそうに立っていた。
年齢は20代後半から30代前半程度かな?見るからに大人しそう。

あ……お客さんだ。私は笑顔を見せて挨拶する。

「いらっしゃいませ! お一人様ですか? 」

「ぅえ? は、はいっ! 」

男の人はぶるりと体を震わせ、引きつるような声を出した。
露骨におびえているけど、この店に来る独り者の男の人には良くある話。
きっと魔物の子との出会いが欲しくて、必死に勇気を振り絞って来たんだろう。
そう思うとビクビクとキョドっている姿も無性に可愛らしく見えてくる。

「どうぞこちらに……。」

「は、はい。」

私は安心させるように優しく微笑むと男の人を席に案内する。
彼が私に近寄ると素敵な香りはますます強くなる。なんか我を忘れそうなほど。

「ご注文がお決まりでしたら声をおかけくださいね!」

「ありがとう。」

私がお冷とメニューを差し出すと男の人は丁寧に会釈してくれた。
















「あの……すみません。」

「はい。少々お待ちください。」

注文が決まったのだろう。私は相変わらずひきつった顔をしている彼のもとに行く。

「え、ええと……。虜の果実100%ジュースに虜のパフェに虜のケーキお願いしますっ!」

彼は弱気を振り払うような気迫を込めた声で注文を言い放つ。
その瞬間。店内でだらけていたはずの独身魔物娘の強敵(とも)達の目がぎらりと輝いた。
みんな一斉に振り返り、男の人のほうを凝視する。

だって……このメニューを、虜スペシャルを頼むなんて、俺は何をされても構わないって宣言している様なものだから。
もしかして何も知らないで注文しちゃったのかな。そう思い彼を見る。

彼の眼差しは強い決意を秘めていた。何もかも承知している顔だった。
これを食べた結果どんな魔物娘が襲ってきてもいい。覚悟を決めているのだ。
俺は逃げない。すべてを受け入れると。

私がこの店に来てからこんな経験数えるほどしかない。
感動して思わず彼に問いかけていた。

「あの。お客さん。本当にこのメニューでいいの?わかって注文しているの?」

彼はどことなく切ない笑顔を浮かべた。

「うん。虜の果実を男が食べるとどんな事になるかは知ってるよ。」

そう。虜の果実を男が食べると、文字通り魔物娘を虜にするほど強く引き付ける。
食べた男はやってきた魔物娘にたちまち襲われることになるのだ。
うちの店の虜の果実を食べても例外じゃない。

私は魔界の食料に詳しくないお客に、わざと虜のスイーツを勧めて食べさせる事がある。
そうすれば当然のように客は魔物に襲いかかられてしまう。
面白半分にときどきやるけど、別に悪戯目的だけって訳じゃ無い。
事実、人と魔物のカップルの誕生に大きく貢献している訳だし。

「じゃあ。私があなたを襲っちゃってもいいんだ〜。ぜひそうしようかな。」

からかう様に、でも半ば期待を込めて言うとかれは照れたように言った。

「もちろん。店員さんみたいな方なら光栄ですよ。」

緊張が取れてやっと落ち着いたのかな。彼は穏やかな顔をしている。
光栄なんて言ってくれたのも嬉しくて、つい色々質問してしまう。

「ほんとうに? 私でいいの? 君みたいな子久しぶりだからうれしいな〜。」

はしゃぐ私を見上げた彼は、若干困った様子で語り始めた。

「うちの近所に住んでる魔物さんはいい人ばかりで、俺も結婚するなら絶対魔物娘だ。そう決めてたんだけど、残念ながらみんな結婚しちゃってて……。
独り者の魔物さんを自力で探せるほどの甲斐性は全然無かったしね……。」

「そうだったの……。」

「色々悩んでいたときに、魔物さんと結婚した友達がこの店を教えてくれたんだ。ここなら絶対に素敵な魔物娘と知り合えるって。俺もここで嫁さんと一緒になれたからおまえも行ってこいって。そいつの嫁さんも素敵な人なんで、腹くくって来たんですよ。」

彼は恥ずかしそうに俯いていたけど、ほっと一息ついた。
言いたいことを全部言ったんだろう。顔を上げて私を見る。
満足したような、すがすがしい笑顔。

晴れ晴れとした様子の彼を見つめてると、なぜか心が切なく締め付けられる気がする。
さっきの心地よい香りは彼からますます強く漂ってくる。
その香りをずっと嗅いでいると、私の中が蕩ける様になってしまった。
頭の中がぼうっとして、体の中心部が凄く気持ちよくうずいてしまう。

ああ。そうだ……。エステルもマリ姉も言ってた。
旦那さんと一緒になるって決めたとき、無性に子宮が熱く溶けるようになったって。
きっとこれがそうなんだろう……。まあ、私には子宮と呼べるものは無いけど。

自分で意識したとき、気持ちが抑えきれないほど高まってしまった。
私は衝動的に襲いかかりそうになるのをなんとか押さえて、逃げるようにその場を去った。

「ねえエステル。マリ姉。変なの……。いまのお客さん見てるとなんか私、溶けそう……。」

店の奥に退散した私は、エステルとマリ姉に助けを求めて訴えた。
私の粘液の体は震え、抑えきれない興奮を隠さずにぽたぽたとこぼれ落ちている。
どろどろになった私を見てもエステルは慌てずに、優しく肩に手を置いてくれた。

「おめでとうエレン!それはあの人こそが旦那さんだよって体が認めた証なのよ。
大丈夫!自分の本能を信じなさい。わたくし達魔物娘は便利に出来ているんだから。」

マリ姉もびっくりした様にその場を何度も飛び跳ねた。

「ああっ〜。エレンちゃんおめでとうございます!念願の旦那さんゲットですね〜。」

「みんなありがとう!」

二人ともとっても嬉しそうに笑顔で祝福してくれる。
それがとっても嬉しくて、ありがたくて、私もますます気持ちが昂る。

「エレン。いってらっしゃい。あなたのしたいことをすればいいのよ。」

「頑張ってエレンちゃん!」

「うん!」

激励してくれる二人に私も力強く頷いた。
よし。そうと決まればやることは一つしか無い。私はどきどきしながらカップを棚から出す。
積年の想いが詰まった私の体を……ダークスライムゼリーを垂らしてカップを満たした。
溢れる魔力を余すことなく、たっぷりゼリーに注ぎ込む。

彼と仲良くいられますように……
エッチで気持ち良い毎日でいられますように……
たくさん子供を作って、家族で楽しく賑やかに暮らせますように……

そして、ずっと幸せでいられますように……
願いと情念を魔力に込めて、祈る様に注ぎ込んだ。

仕上げにゼリーを生クリームで飾ってトレイに乗せる。

「エレン!」

彼だけは絶対に強敵(とも)達には譲れない!
大急ぎで彼の所に行こうとするとエステルが呼びかけてきた。
振り向いた私に彼女は親指を立ててウインクする。マリ姉も後ろから手を小さく叩いていた。

二人の仕草に苦笑しながらも、私は無事彼のもとにたどり着いた。
幸い周りの魔物娘は彼に興味を失ったようだ。だれも手を付けようとしてない。
私は緊張を解くように深呼吸すると、ゼリーをそっとテーブルに置いた。

「どうぞ。」

「あれ?これがそうなんですか?」

怪訝な様子の彼を見つめて私は微笑んだ。

「初めてのお客様に当店からのサービスです。とってもおいしいゼリーよ……」






















「みんなごめん!」

今日も遅刻してしまった……。私は悲痛な声を上げて店の中に飛び込む。
エステルもマリ姉もとっくにきており開店の準備に余念がない。
二人は私を呆れたように見つめると、からかう様に言った。

「エレン。いったい今何時だと思っているのかしら?」

「はぁ〜。私もエレンちゃんみたいに旦那さんとエッチして遅刻したいですぅ。」

以前私が二人に投げつけた言葉をそのまま返される。
当時の事を思い出すと恥ずかしい。何も言えずに謝ってしまう。

「二人ともごめん……。」

「いやよお。そんな深刻にならないでよ。エレンが幸せになれて私もほっとしているのよ。」

「そうですよ〜。エレンちゃんはもっと旦那さんと楽しんでくださいね。」

だが二人はこれは冗談だよとばかりに、優しくも陽気に慰めてくれる。
何も気にしないでいいと言ってくれる心遣いがありがたい。私も笑顔になる。

当然の事なんだけど、彼に私のゼリーを食べさせてからすぐ、私たちは一緒になった。
いまでは毎日が温かくて気持ちよく、素敵で幸せな日々だ。
幸せすぎて、仕事の事など忘れて遅刻してしまうほどに。

オーナーからは店を辞めないで欲しい、今まで通り来てくれとお願いされた。
出勤できる範囲でいい。待遇は今までと全く同じだとも言ってくれた。
旦那さんとセックスしていれば飲まず食わずでいけるけど、やっぱり先立つものは欲しい。
この店にも愛着がある。私もオーナーの言葉に甘えさえてもらっている。

彼は私の粘液で全身を包み込まれるのが大好き。
程よい温度で彼を温めて、優しく蠢くように刺激してあげるとすぐに射精してくれる。
きもちいいよお。と私に身を委ねて甘えてくれるのも可愛い。もっと色々してあげたくなる。
彼の精はとっても美味しいから、もっともっと頂きたいっていうのもあるんだけど……。

彼には毎日を快適に過ごしてもらいたい。
ショゴスの知り合いに頼んで、粘液の体を様々な道具に変化させる方法も学んでいる。
将来的には彼の身の回りの世話は、全部私の体を使ってしたいなあとも思う……

色々物思いに耽っていたら二人が声をかけてきた。

「エレン。こっちはもういいわよ……って、なによお。体どろどろにして! 」

「え〜と。私のほうも大丈夫です。けど、エレンちゃんは大丈夫じゃなさそうですねえ……。」

旦那さんとエッチする事考えていたんだろうとはやす二人に、私は照れてもじもじする。

「わ、私の事はいいからっ! それじゃあみんな今日もよろしくね! 」

「ええ!こちらこそお願い。」

「はい。頑張りましょう〜! 」

私たちは互いに気合を入れあう。今日もいい天気。ホールには日差しが差し込んでいる。
すっかり明るくなった店内を通り抜け、私たちは入り口の前に立った。
今日はエステルが当番だ。彼女がドアを開けるとすがすがしい風を感じる。
開店を待っていた魔物達に向かって、私たちは笑顔で声を上げた。

「おはようございます! いらっしゃいませ! 」















17/02/26 15:32更新 / 近藤無内
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■作者メッセージ
ダークスライムのエレンの番外編はこれにて終了になります。
エレンの話を書きたいなあと思ってから、もう2年以上が経ちました。
当初の構想通りに書き上げることが出来て今はほっとしています。
こんなダークスライムもありだなと、そう皆さんにおっしゃって頂ける事を祈ってます。

今回もご覧頂きありがとうございます。

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