連載小説
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序曲・1


「ひゃっはー、ふかふかのベッドだー!」

 背中から飛び込むと、純白のベッドはわたしの体を軽く弾ませた。僅かに浮き上がった体を良質なクッションが優しく受け止めてくれる。部屋のシンプルな内装も、寝具やテーブルの木目の美しさも、わたし好みのクリーンな寝室だ。それでいて天井には魔法火の照明がゆらゆらと輝き、艶っぽい光を放っている。魔界の空気を、母上の優しさを思い出す、妖しく優しい光。幼い頃から親元を離れて育ったとはいえ、わたしは紛れもない魔の娘。懐かしさが込み上げてきた。

「さすがリライア。いいセンスね」
「まったく……今まで石畳の上で野宿していたとは」

 リライアが呆れたように苦笑する。ヴァンパイアの彼女はこの町の領主であり、わたしの大切な友人。少し前までは親衛隊長を任せ、一緒に旅をしていた。

「いいじゃない、わたしも好きでやっているんだし」
「姫の貧乏旅行好きを咎めはしない。しかし折角この町に来たのなら、もっと早く私の元に……」
「んふふっ、挨拶が遅れたのは悪かったわ。この町が面白いことだらけだから、つい……ね」

 魔法火を眺めながら、この町での思い出を引き出した。旅の最中に集めた珍品コレクションは魔法の鞄に収めてあるが、本当の宝物は頭の中にしまってある。
 リリムであるわたしの寿命はほぼ無限に近いのに、そのうちたった数日出歩くだけでこうも楽しいことがあるのだ。これだから旅は止められない。

「ところで後どのくらい、この町にいる?」
「もうすぐ出て行くつもりよ。ちょっと名残惜しいけど……」

 わたしは懐に手をやり、ポケットから時計を取り出した。ゼンマイを巻いたばかりの懐中時計は今日も正確に時を刻んでいる。シンプルな文字盤、ただし普通の時計とは逆回り。黒い表面はわたしの肌にぴったりと馴染み、体の一部のようにさえ思える。

「そろそろオーバーホールの時期なの」
「なるほど」

 リライアは納得したようだ。機械時計は部品の摩耗やオイルの揮発などが起こるため、数年に一度は時計師にメンテナンスしてもらう必要がある。面倒ではあるが、帰ってきた時計の快調さを見ると、まるで時計が生き物のように思えてくるのだ。
 特にこの逆時計には血が通っているのだ。小さい頃、ある人がくれた宝物。その人の死を看取った日から、ずっと私と一緒に時を刻んできた大事な時計。

 リライアと初めて会ったとき。
 自分に初めて妹ができたとき。
 大人になって魔界に帰ったとき。
 父上と喧嘩したとき。
 リライアと一緒に旅に出たとき。
 いつも変わりなく、時を刻んでいた。

「あの町に帰るのか?」
「うん、やっぱり生まれた店でメンテしてあげたいし……その前に、この町でいい男見つけたかったけど」

 わたしの言葉に、リライアは再び苦笑した。この町には好みの男は結構いたが、皆すでに先客がいたのだ。とはいえ私の好みの男は往々にして不器用者が多いため、手助けしてあげることもあったが。私の伴侶となる人でなくとも、やっぱり好みの男には幸せになってほしい。このわたしが自分の【時】を預けてみたくなる男たちには。
 ともあれ、そろそろ別の所へ足を運んでみようと思う。まずは時計をオーバーホールに出し、それが済んだら……砂漠地帯にでも行ってみようか。それとも北国でオーロラでも見てみようか。ジパングという手もあるか。

 そんなことを考えていたとき。

「……?」

 妙な気配を感じた。空気が、というより大気が震えているような振動。今まで感じたことのない、微弱ながらも不可解な感覚だった。神経を研ぎ澄まし探ってみると、その発生源は外、それも空中にあるように感じられる。
 私は時計を懐に収め、ベッドから起き上がった。リライアも同様の気配を察知したらしく、緊迫した面持ちで部屋の窓を開ける。ひんやりとした外気が頬を撫で、私たちは窓から顔を出し……その気配の中心に目をやった。夜空には何も見えないが、何か濃密な気配を感じる。

「何が……?」
「分からない」

 親友の問いかけにも、頼りない答えを出すしかない。だがわたしはこの状況が不安であると同時に、好奇心が込み上げてくるのを感じていた。これから何が起こるのだろうか、面白いことか、つまらないことか……そう考えてしまい、不謹慎にも笑みが浮かんでしまう。リライアはわたしの性格をよく知っているため、それを見ても小さくため息を吐くだけだったが。
 そうしている内に空気の振動が強くなり、肌をぞわぞわと撫でるような感触がする。領主邸の警備をしていた者たちも異様な気配を察知し、空を見上げていた。この町は教団と睨み合いを続けているだけに不安なのだろう。万が一危険な物だった場合は、わたしが魔力をぶつけて相殺するか……

「ッ、これは!?」

 不意に、気配の中心に稲光が走った。音を立てながら激しさを増し、波動が放たれる。
 わたしははっとした。ダークプリーストが万魔殿へ行くときなどに使われる、空間転移の魔術に似ている気がしたのだ。夜空の中、その一箇所の空間に『穴』が空いているのである。

 そして、その穴を通って何かが来る。

「!」

 刹那、強風と共に、穴の中から何かが姿を現した。
 生き物ではない。人工物だ。例えて言うなら鳥……いや、翼のついた馬車のような代物。
 細長い胴体の上に翼のような板がついていて、それが風を受けてゆっくりと飛んでいる。翼には十字の紋章が描かれ、硝子張りの鳥かごのような空間には人の姿が見えた。鳥で言う尾羽の部分には翼のとは違う、鈎状に曲がった十字がある。

 攻撃魔法を使うべく掌に魔力を集中させ……止めた。十字架は教団が好んで使う意匠だけど、あんな形状の物は見たことがない。敵かどうか分からないのだ。

 それはわたしたちの頭上を通り過ぎ、建物の間を縫ってゆっくりと高度を下げていく。着地するつもりか。
 その時、寝室のドアがノックされた。

「領主様、レミィナ殿下!」

 ドア越しに執事の叫びが聞こえる。リライアは緊張した面持ちで、しかし冷静に振り向いた。

「ベン、非常事態だ。教団の新兵器かもしれん、大至急兵を向かわせて市民を近づけるな。私も行く」
「御意」

 廊下を足音が駆けていくのを聞き、リライアは窓から身を乗り出した。わたし同様、自分で動くのが好きなタチなのだ。最も領主邸にこうも近い所で異常事態が起きたのだから、高い戦闘力を持つ彼女がじっとしている訳にはいかない。

「やっぱり、この町は飽きないわね」
「……お気に召したようで何よりだ」

 笑みを見せ、リライアは翼を開いて窓から飛び出す。親衛隊長を任せていた頃から、あの凛々しさは変わらない。彼女の羽ばたいた風が、寝室の魔法火を揺らした。
 空飛ぶ馬車は大通りの方に着地したらしい。不思議なことに、わたしにはあれが悪い物には思えなかった。それどころか、何か面白いことを運んできてくれたような気がするのだ。

「さて……私も、行かない手はないよね」

12/03/03 22:47更新 / 空き缶号
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