連載小説
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中篇
「ふう、今日も暑い…な。」
緑川徹は畦森家の所有する山の中を、荷物を背負って歩いていた。
行き先は畦森家が何年か前に建てたという山小屋で、そこにたどり着くまでの道中、背の高い広葉樹の原生林を歩いている。ところどころに生える相当の樹齢だと分かる背の高い樹木の木影によって直接日差しを浴びない分、通り抜けていく風に涼しさを感じることはできるが、完全に暑さから逃れられるわけではない。さらに頭上から降り注ぐ大音量の蝉時雨が暑さを助長させるように響き渡る。徹は一つ大きく息を吐き出し、タオルで額の汗をぬぐう。かれこれ一時間はこうして山中を歩いているので、汗が滝のようにながれてしまう。荷物に接する背中に汗がたまることで生じる独特の不快感に辟易しつつ、全ての原因であるこの暑さが早く引いてほしいものだとしみじみ思っていると、ずっと森だった目の前が開けペンションのような建物とそれに隣接して建てられた鍛冶場が見えてきた。

そこには現在一人の魔物娘が住んでいる。
名前は毛利佳也子といい、種族はサイクロプス。彼女はここで、畦森家の当主である畦森涼子の注文にこたえるという形で鍛冶仕事をしている。徹は数か月前から、涼子の注文を伝え出来上がった現物を回収する仕事を受け持っていた。彼女が作る刃物は多岐にわたり、包丁一本だけの時もあれば、大きな太刀が十本近くだったりすることもある。ただどうやら涼子は希少なサイクロプスが作る刃物を商品として売買するのではなく、あくまでも親しい人に贈呈するために作らせているようだった。
「これも、そうだもんなあ…。」
徹は、自身の腰に下げられている小ぶりの鉈に視線を向ける。
柄は樫の木で作られ、杉で作られた鞘に納められている鉈は、まさに佳也子が作りだしたもの。徹の弟が幼馴染である娘さんと結婚したことで親戚関係となった涼子は、徹が山仕事をしていることを知ってわざわざこれを製作するよう佳也子に頼んだのだそうだ。

「これは…すごい……」
徹は譲ってもらったその日から鉈を使ってみたのだが、純粋に驚いた。
それまで使っていた鉈は一体何なのだろうかというほど、佳也子が作り出した鉈はよく切れる。杉などの針葉樹をまっすぐ高く育てるために行う枝打ちなどをしていても、竹を間引くために切り倒しても、木端を薪などに利用するためさらに細かくしていても、力を籠めなくても嘘のようによく切れた。しかも刃こぼれすることがなく、研ぐ必要がないと思えるほど切れ味が持続している。ここまでサイクロプスが作り出す刃物は人が作るものと違うのかと、徹は身をもって知ったのだった。そして平凡な山男の自分が、市場に出ればおそらく手が出せないほど高価な値段になるであろうこの鉈を手にすることができる特別さや優越感にも似た感情を感じずにはいられなかった。

しかし、徹はこの鉈からただ特別さだけを感じたわけではなかった。
本当に不思議なのだが、この鉈は使うたびに愛着がどんどん深まっていくような気がしてならない。ただの冷たい刃物のはずなのに、鉈を振るたび丹精に鍛えられた鋼からは優しさや思いやりといった暖かい気持ちが伝わってくるかのようだった。それはまっすぐに徹の心に入ってきて、この鉈を使える喜びや感謝が自然と溢れ出してきた。そしてこの不思議な鉈を一か月も使い続けていると、鉈を作り上げたというサイクロプスに会ってみたいという気持ちが、どうしても直接感謝の気持ちを伝えたいという気持ちが募って仕方がなかった。

「……なるほど、ね。」
いよいよ仕事中でさえそんな気持ち抑えることが難しくなり、手が疎かになってしまうようになった徹は、なんとかこの思いを製作者の方に伝えられないかと涼子に相談した。涼子は徹の言葉を黙って聞いた後、しばらく目をつむって何かを思案したかと思うとぼそっとつぶやいた。
「徹君のいいたいことはよくわかったわ。」
「じゃあ!」
「ええ、彼女…毛利可奈子ちゃんが作業をしている場所まで案内するわ。ただし…」
「?」
「一つだけ条件があるわ。」

その条件というのが、この山の管理と佳也子との橋渡しをするというものだった。

サイクロプスはめったに人前に現れないという先入観があったせいか、てっきり鉈は遠い人が踏み入れないような山奥で作られたと思っていたので、近所に製作者である佳也子が住んでいるということにも驚いたのだが、その彼女との連絡役になれという涼子の言葉に二度驚くとともに、彼女の真意が計り知ることができなかった。「あの山道をなんども往復するのは、さすがに疲れるもの。私だって女の子なんだから〜♪」と本人はそう言っていたが、転移魔法など高位の魔物娘らしくなんだってありで、どうとでもできる涼子がどこまで本気でそう言っていたのかは分からない。しかし、徹にしてみれば自分の願望をかなえる機会をもらえたことにかわりない。一も二も無くその条件を喜んで受け入れたのだった。

「初めまして、緑川徹です。これからよろしくお願いします。」
初めて佳也子と会った時のことは、今でもよく覚えている。
最初に私が事情を説明するから、後ろに控えていてという涼子の言葉に従っていた徹は彼女の数歩後ろに立っていた。そうしてしばらく涼子が佳也子と話をしているのを待ち、涼子から紹介された徹は佳也子と対面した。
「………!?」
山小屋の玄関に佳也子は呆然としたように立っていた。
紫水晶のように透き通った美しい髪の毛、雲一つない青空を溶かし込んだように綺麗な肌、額に生えた一本の角、大きめの胸を締めるように皮のようなビキニを纏いニーソックスと丈の短いホットパンツをはいた…そしてなによりも目を引く、見ているとどこまでも引き込まれるように澄んだ一つの大きな眼。まさに伝承通りのサイクロプスの姿を佳也子はしていた。いわゆる単眼と呼ばれる種族にこの時初めて出会ったので珍しさや驚きは確かにあったが、嫌悪を感じることはなかった。むしろその大きな瞳の美しさに不思議な魅力に引き込まれてしまったぐらいだ。

「実は、自分は涼子さんから佳也子さんが作られた鉈をいただきまして、今日はどうしてもお礼を言いたくてお願いして連れてきてもらったんです!」
「………。」
徹はいてもたってもいられず、佳也子に話しかける。
その言葉を聞いた佳也子はようやく我に返ったように数度瞬き、さっと視線を徹の腰に下げられた鉈に走らせた。
「本当に、佳也子さんの作られたこの鉈には感謝するばかりで、不思議なんですが使うごとに暖かい気持ちが伝わるようでものすごく愛着がわくというか………………………」

だが、佳也子に会えたということで最高潮に舞い上がっていた自分は、彼女への賛美や鉈を持つ幸せ、感謝の気持ちを途切れることなく口にし続けてしまった。それは涼子によって止められるまで一方的に続いた。

「はいはい、今日はそれぐらいにしておきなさい。徹君。急にそんなに話しかけたら佳也子ちゃんだって困っちゃうでしょ?」
「……それから、え?」
涼子の言葉でやっと冷静になった自分が改めて佳也子を見ると、彼女は困ったように視線を地面に落としていた。彼女の様子を見て、初対面なのに無礼なことをしてしまったと慌てて徹は謝った。これから涼子との橋渡しをしなければならないというのに、彼女に嫌われてしまったら台無しだ。そんな不安や心配が一気にあふれてくる。
「ああ、す、すみません。つい熱くなっちゃって。一方的に話し続けてしまいました。お気を悪くされてしまったら申し訳ありません。」
「…………。」
「まあ、徹君もやっと佳也子ちゃんに会えてヒートアップしちゃったみたいだから許してあげてね、佳也子ちゃん。」
その様子を微笑ましそうに見ていた涼子が、見かねたように助け船を出してくれる。
佳也子は涼子の言葉を聞き無言だったが、それでもかすかに首を縦に振ってくれた。少なくとも自分の言動で彼女を不快にさせてはいないということが嬉しかった。ほっと溜息をつく徹の様子を見ながら涼子は言葉をつづける。
「さて、佳也子ちゃん。もう一度いうけれどこれから注文や現物の受け渡しは私の代わりに彼がしてくれるわ。なにかあれば彼に言ってちょうだいね。」
「………。」
「じゃあ、徹君。改めてだけどこれからよろしくお願いするわね。」
「はい、わかりました。佳也子さん、どうぞよろしくお願いします。」
「………。」
本当に微かだったが、佳也子は再び頷いてくれた。



こうして徹はそれ以降の数か月、彼女のもとへ通っている。



ドン、ドン
「佳也子さん、いらっしゃいますか。徹です。」
鍛冶場から煙が立ち上がっていないので、彼女は少なくとも鍛冶場にはいないと判断していつものように玄関の戸を叩き挨拶の言葉を口にする。
「………。」
「ああ、佳也子さん。こんにちは。」
しばらくすると佳也子が玄関のカギを開け、顔を出す。
いつものようにこちらと視線を合わせないように俯きながらではあるが、それでも応対する態度にとげとげしさや硬さはあまりないように思う。ここ数か月で徹に信頼感を抱いてくれたのかと思うのは自惚れだろうか。
「出来上がった刃物を預かりに来ました。注文の包丁一本、鋏一本、切り出し二本は出来上がっていますか?」
「………はい。」
佳也子は静かに頷く。
そしてゆっくり体を翻したかと思うと、戸を開けたまま室内に入っていく。これは彼女が住んでいるこの山小屋に入ってくれという一つの合図なのだ。彼女と親交を交わしていくなかで最初は戸惑うことばかりだったが、徹は彼女の意思を少しずつではあるが理解できるようになっている。
「失礼します。」
軽く頭を下げ挨拶した後、徹は隣に置いていた荷物を再び背負い山小屋へと入っていった。



いつものように居間に入ると、机の上に氷の浮かんでいる緑茶の入ったコップが二つ並んでいた。
「………どうぞ。」
「ああ、喉が渇いているので助かります。」
席に着きごくごくと流し込むように緑茶を飲んでいく。
氷の冷たさと緑茶の齎す爽快感が、先ほどまで感じていた不快感を吹き飛ばしてくれる。コップの中身を一息に飲み干し、思わず感嘆の声を上げてしまう。
「ぷはぁ…いやあ、生き返りました。ありがとうございます。」
「………。」
その様子をじっと見つめながら佳也子も一口お茶を含んだ後、布にくまれた刃物を取り出した。
「ああ、それですね。中を確認させていただきます。」
佳也子から受け取り、柔らかなフェルト生地の包みを解いていく。
すると黒い鞘に収められた包丁が一本、皮の入れ物に入れられた鋏が一本、プラスチックのケースに入った二本の切り出しが顔をだす。そのどれもが思わず見とれてしまうほど、日常の美と呼ぶにふさわしい美しさを放っている。
「確かに、注文の通りです。ちゃんと涼子さんにお届けしますね。それで、次の注文なんですが……」
「………。」
徹は彼女の新作を大切にしまいつつ、涼子からの注文を伝えた。




………………………………………………




「以上が、今回の依頼分です。よろしくお願いします。」
いつものように注文を伝えてくれた徹が、仕事を終えたことからくる安堵感からかほっとしたように微笑んだ。
「………。」
佳也子はその笑顔が眩しく感じて、視線を自分が持っているコップに落としてしまう。
徹はある時からこうして涼子との橋渡しをしてくれている。最初に会ったとき、まくしたてるように自分の作った鉈を褒める彼にとても面食らったが、それ以上に自分の思いを熱弁する彼の目に今まで出会った男性のような嫌悪感や異物を見るような色が浮かんでいないことに驚いたのを覚えている。その時もそうだが、今彼がこちらに向けている瞳にも一切の曇りはなく、真っ直ぐに視線が私に向けられている。

その視線が何を意味するのか、佳也子はいまいち計りかねている。
最初は、林業に携わるという彼がほかにも道具を欲して佳也子に近づいてきたのかと、だから佳也子の機嫌を損ねないように感情を隠し、笑顔を浮かべているのだとそう考えた。しかし、その目測は外れた。それから彼が何度佳也子のもとを訪れても、彼が刃物を望むことはないし、態度を変化させることはなかった。いや、むしろ数を重ねるごとに親しさや好意が増しているような気さえする。

とにかく緑川徹という男は、今までに出会ったことのないタイプの人間だった。

「ああ、それと…よっと。」
何度向けられても慣れない彼の視線に戸惑っていると、徹は横に置いた鞄から荷物を取り出し始めた。
「頼まれていた、鉄を冷却するために使う油を買ってきましたよ。種類はこれでよかったですか?」
「………はい、これで大丈夫です。」
目の間に銀色の缶が置かれた。
彼の視線が自分から外れたことと、仕事へ意識が切り替わったことで佳也子の口から声が出る。徹は佳也子の言葉を聞き、またも安心したように微笑みメモ帳に何やら書き記した。
「それならこれから頼まれたら、同じものを買ってきますね。」
「………はい。」
どこまでも彼がまじめだと再確認しつつ、油をこちらに引き寄せていると、徹が再び鞄から何かを取り出し始めた。

「それと…これなんですが、よければどうぞ。」
「………これ、は?」
差し出されたのはピンク色の可愛らしい包装紙に包まれた箱だった。
油の入った銀色のスチール缶を見た後だからか、デフォルメされた小さな動物が包装紙に印刷されたその箱が余計に可愛らしく見えてしまう。しかし彼に頼んでいたのは油だけだし、この中に何が入っているのかわからない私は彼に説明の言葉を求めた。すると少し気まずそうに笑い、指で顎をかきながら徹は答える。
「中身はクッキーです。」
「………。」
「佳也子さんのように山の中で生活をされていると、口にする機会がないんじゃないかと思いまして買ってきました。どうぞ食べてください。」
確かに徹が言うようにこの生活を始めて、菓子などを口にする機会はかなり少なくなった。時折涼子が差し入れとして持ってきてくれるときぐらいのものだろう。別段甘いものが苦手でもないし、わざわざ持ってきてくれたので断るのも彼に悪いと思い、受け取ろうと箱に手を伸ばしたが徹の言葉で思わず動きを止めてしまった。

「とっても仲のいいことでも有名なホルスタウロスの“親子”が経営されているお菓子屋さんのクッキーで、店内に併設されているカフェもすごく人気の評判店なんですよ。」
「……!!」
明るい口調で放たれた言葉が突き刺さる。
それまで避けてきた異性の口から、親子という言葉が飛び出し思わず体が強張ってしまう。どうやら自分と母親の関係を涼子から聞かされていないようだが、それでも改めて親子という言葉を口にされると美しい母親のことを考えてしまう。自分とは何もかも違う母親の姿が、脳裏にちらついて仕方がない。
「ど、どうしました佳也子さん?」
「………っ。」
「もしかしてクッキーは嫌いでしたか?」
「………そうじゃ、ない…」
なんとか声を絞り出し、首を横に振る。
すると徹はますます心配そうに顔をゆがめ、佳也子の身を案じてくれる。
「ならどうしたんですか。なにか自分は言ってはいけない、失礼なことを言ってしまいましたか?」
「…………。」
「佳也子さん。」
低く落ち着いた声で名前を呼ばれた。

「佳也子さんが何を思い悩んでいるのか…自分には分かりませんが、もし自分が力になれることがあるのなら、いつでも遠慮なくいってくださいね!!」

目の前の男は、真剣な顔でさも当然のことだといわんばかりに言い放った。

佳也子を見つめる目は、先ほどと変わらずどこまでもまっすぐで、優しいものだった。

「…………。」
佳也子は、わからなくなっていた。
母のように美しくもなく、愛想をふるまうこともできない自分のために、何の打算もなくこんなことを言い放つ目の前の男が、緑川徹という男が佳也子は分からなくなった。冷静に考えようとしても頭は一つも言うことを聞いてくれず、混乱する思考は意味のないことばかりを脳内に再生する。そのもどかしさでどうにかなってしまいそうだった。
「………なんで」
「え?」
だから震える声で、彼の真意を確かめるため質問する。
「…………あなたはなんで、私のためにそこまでするの?」
「それは…」
すると質問された彼の目に、初めて動揺が浮かぶ。
徹は一言つぶやいた後、躊躇するように唇を戦慄かせ一つ大きく息を吸ったかと思うと、佳也子が想像もしなかった本心を打ち明けた。

「それは、佳也子さんが好きだからです。好きなあなたに笑ってほしい…ただそれだけなんです。」

若干頬を朱に染め、目の前の男は隠すことなく佳也子への好意を口にする。

その言葉を聞いた瞬間、夏だというのにぐっと室内の温度が下がったような気がした。
「そういうわけで、もしよければクッキー…食べてみてください。佳也子さんがおいしいと思ってくれれば自分は嬉しいです。」
呆然とする佳也子とは対照的に機敏な動きでこちらにクッキーの入った箱を差し出した後、徹は椅子から立ち上がった。その動きに思わずびくりと身を固くしてしまう。佳也子の様子を見た徹は、一つ決心したように表情を引き締めて別れの挨拶と自分の思いを口にした。

「それでは、注文の品ができあがるころにまた来ますね。」
「………。」
「佳也子さん。信じてもらえないかもしれませんが…さっき言った言葉は偽りのない自分の本心です。それだけは信じていただけないでしょうか。」
「…………。」
「…。また、来ます。」
徹はこちらに一度頭を下げ、部屋を出ていった。

こうして、室内は外から聞こえる蝉の根だけが空しく満ちていった。
佳也子は一人残された部屋で、呆然と菓子箱を見つめることしかできない。しばらくの間、佳也子はその場を動くことができなかった。


14/08/07 20:07更新 / 松崎 ノス
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■作者メッセージ
展開が遅く、エロも無くてすみません。

いつもある程度関係が出来上がった夫婦を主人公に据えているので、二人が関係性を深めるにはどうしたらいいか悩みっぱなしです(笑)。

次の後編でようやくエロが登場予定ですので、もう少し待っていただけると幸いです。

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