読切小説
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溶ける夢
――そうなんだ。
 目の前の彼女が、さびしそうに言う。
 白いワンピースであることは分かるが、それ以外は薄靄のようにはっきりとしない。
 あの日、俺は彼女にもう会えないことを伝えた。親の転勤に合わせ、離れた場所に引っ越すことになったからだ。
――りっくん、大丈夫、泣かないで。
 澄野利久雄、俺の名前を、彼女はりっくんと呼んだ。この呼び方をするのは、後にも先にも彼女だけだ。
 彼女は俺よりも二つ年上だった。彼女はまだ十歳だったが、それでも当時の俺には、ずっと大人に思えた。
 目をこすり、泣いてないと強がる。
――今はお別れだけど。また会えるから。十年後に、会えるから。
 ほら、指切り……差し出された彼女の手も、記憶の靄の中に隠れ、かろうじて形が分かる程度。
――雪ねえ……。
 彼女の名前は確か……六波羅小雪。

 ◆ ◆ ◆

 携帯電話のアラームで、現実へと引き戻された。
 午前六時。遠い過去のように、ついひと月前の日常を思い出す。高校に通っていた頃よりも、ずいぶんと早い。しかし、目は冴えていた。
 まだ見慣れない天井。山積みになった段ボールを縫うように通りながら、フローリングの寝室を出る。
 身だしなみを整える。歯磨き、髭剃り、シャワー。ドライヤーで乾かした髪に、ワックスをつける。いつもよりもおとなしい髪型に……。
 クローゼットから、まだ一度も開けていない布袋のジッパーを下ろす。まっさらなスーツ。
 着替えて鏡の前に立つと、そこにはスーツを着ているというよりも、着られていると言ってよい、未成年の男がいた。
――まあいいさ、今日が終わったら、次に着るのは三年、四年後だ。
 今日は大学の入学式だ。勉強を頑張った甲斐があった。国立の大学に受かり、晴れて初めての一人暮らし。

 新年、渋谷駅前の交差点が年明けを祝う群衆でいっぱいになったというニュースを見たことを思い出す。
 学部棟で新入生向けの説明を受けた後、広場で見た光景が、まさにそのニュースのようであった。
 「部員募集」「サークルメンバー求む」「初心者歓迎」そんな看板があちこちに生えている。どうやら、新入部員の勧誘の集団のようだ。
――困ったな。
 大学の敷地から出るためには、この広場を通らなければならない。ということは、あの人ごみの中を通過しなければならないということだ。元来そういったものが苦手な身としては、それは何よりも耐えがたいことであった。
 今自分が立っている道路と広場の境目には、黄と黒の縞模様のテープが貼られている。熱心に勧誘していた学生がその線を踏み越えると、彼は慌てて広場の中に戻っていった。勧誘はそれよりも内側でしか行ってはいけないというルールがあるのだろう。
 立ち止まっている間に、後ろを歩いていた新入生が追い抜いて行った。広場に入ると、案の定、勧誘の上級生にもみくちゃにされる。
――いなくなるまでやり過ごすか。
 そう考え、道路の脇に置かれているベンチに座り、通り過ぎる新入生がもみくちゃにされる様を、呆けて眺めていた。
 集団の中に、一際目を惹かれる学生がいた。
 立ち並ぶ人々の中の隙間から、時折見える女性。身長が高い。175cm以上はあるだろう。ショートボブで、前髪がやや長く垂れ、左目がかすかに隠れている。丸い顔で、可愛らしさと色気を兼ね備えた表情。厚ぼったい唇は、薄く桃に色付いている。日に当たることを知らないのではないかと思わせる、肌の白さ。今まで見たどんな女性よりも、彼女は美しかった。
 白いカッターシャツで、中央に走る黒と赤のストライプを、白いボタンで留めている。第二、第三ボタンははち切れそうなほどであり、その下の乳房の大きさを想像させる。下はデニムのロングパンツで、大きなヒップを引き締めている。どんな男であっても垂涎物の肢体を、薄皮一枚で包んでいるだけという、ひどく危うい服装であった。
――寒そうだな。
 第一印象は、素朴で場違いなものであった。だが、次の瞬間から、彼女から視線を外せなくなっていた。無意識の内に、目で追ってしまう。人ごみの中に隠れても、高い身長のおかげで、頭頂がちらりちらりと垣間見える。
 彼女は、場慣れした印象から、おそらく新入生ではないだろう。しかし、誰に声をかけるともなく、視線をあちこちに巡らせている。
――何をやっているんだろう。
 彼女の行動と目的に興味が移った。誰かを探しているのだろうか。彼女の視線は、周りの人間の顔の間をさまよっているように見える。すぐに次の顔を見るあたり、探しているのは知り合いか、もしくは顔をよく知っている相手か。
 しばらく眺めていると、共通点に気付いた。視線の先には常に、もみくちゃにされているスーツ姿の男子学生がいる。
――この大学に、弟でも入学したのだろうか。
 そういった推理を頭の中で巡らせる。
「あ」
 思わず声が出た。彼女と目が合った。恥ずかしさで思わず視線を下に落とす。スマートフォンの画面を立ち上げ、SNSを開く。友人は皆、俺と同じように今日が入学式のようだ。写真をアップロードしている者もいる。多くは地元の大学に入った。俺は一人だ。皆の中から、俺の存在は徐々に消えていくのだろうか、という寂しさがこみ上げる。
 視界の隅に、足が見えた。俺のすぐそばに立っている。つま先が俺の方を向いている。
「りっくん」
 驚いて、顔を上げる。そこには、しゃがみ込み、顔の高さを合わせている、先ほどの女性の姿があった。真正面から見つめ合ってしまい、羞恥に顔が赤くなる。
「やっぱり! 十年ぶりだね」
 心底嬉しそうに、彼女がほほ笑む。
「雪……ねえ……?」

「ほら、こっちこっち」
 雪ねえに手を引っ張られながら、広場を突っ切る。彼女の手は、冬がしぶとく残っているかのように冷たい。その冷たさが、この状況が現実であることを思い知らせる。
 何度も、記憶の彼方に消えそうになった存在。そのたびに、別れの日を夢に見て、彼女のことを思い出していた。
 ひょっとしたら、約束の通り再会できるかも。その想いを胸に、あの時離れた場所に近い大学を目指した。半ば諦めていて、そんな非現実的なことがあるはずがない、そう思っていた。
「はいはい、失礼、失礼」
 半身になりながら、雪ねえが人ごみの隙間を、体をねじ入れるようにして通って行く。引っ張られている俺は、なすがままに、そこへ体を入れざるを得なかった。
――うっ……。
 思わず顔をしかめる。昔から、人間のにおいというものが苦手だった。他人の汗や香水、人間はそれぞれ、違ったにおいを持つ。
 嗅覚に意識を集中しないよう、ひたすら前を見て、視界を狭め、雪ねえだけが入るようにした。他人と接触するたびに、彼女の乳房が柔らかそうに形をゆがめる。十年前には存在しなかった、大人の色気に、目がくらみそうだ。
「んしょ……、ふぅ……やっと抜けた」
 広場を左にカーブを描きながら通り、黄と黒のテープを踏み越えると、先ほどまでの圧迫感が嘘のように、開けた空間に出た。
 左右に、二階建ての鉄筋コンクリートの建物が、基板上の半導体のように、整然と並んでいる。それぞれに外階段が取り付けられており、ところどころに錆が浮いている。
「もうすぐ着くからね」
 ほらほら、と促され、手をつなぎながらゆっくりと歩いた。俺の体温が彼女に移ったのか、もう冷たくなかった。
「あれ……手……」
 そうだ、もうはぐれる心配がないのだから、手をつながなくていいはずだ。慌てて振り払おうとしたが、逆にがっちりと強く握り返されてしまった。
「いいじゃん、もう少しつないでいようよ」
 向けられる笑顔。心臓が高鳴る。それを見た瞬間、もう手を離そうという気は消え失せてしまった。

「とうちゃーく!」
 そこは、周りの中でも一際古い建物であった。焦げた茶色の鉄板に囲まれており、ここだけが陰鬱な空気に包まれていた。
「蔦……」
 まだ寒さが残る時期だというのに、たくましく青々と育った蔦が、建物の半分ほどを覆っていた。
「まあまあ、夏は涼しいんだよ?」
 冬は? という問いに答えることなく、雪ねえは一番左の扉を開けた。
「みんなー、連れてきたよー」
 声を弾ませて、廊下を通る。靴は脱ぎ捨てたままだ。
――雪ねえ、思ったより雑な性格だな。
 彼女の意外な一面を見られて、少し嬉しかった。彼女と自分の靴を綺麗に整え、彼女を追いかける。
 曇りガラスがはめ込まれたドアを開けると、暖房で温められたぬるい空気が全身を覆った。
 八畳の和室。中央にはこたつが置かれ、左右は俺の頭に届く程度の高さの本棚が立っている。正面奥には窓。曇りガラスで、外の様子はうかがえない。
 その中に、男三人、女三人がいた。全員、陰気な雰囲気を漂わせていた。
 左奥に一組の男女。彼らの前にはどう見ても地デジ非対応の、古いブラウン管テレビが置かれている。自分が小学生の頃に流行った2D格闘ゲームが映っており、彼らはこちらに背中を向けている。二人の距離がやたらと近い。背が高い女性が、男性の肩に頭を預け、黙々とゲームに興じている。彼女の顔から、紫煙が細く立ち上っている。
 こたつに一組の男女。「アンタップ、アップキープ、ドローはスキップ、ランドセット」と女性がつぶやく。ゲームで遊んでいる女性とは正反対に、小学生でも通用しそうなほど、体が小さい。二人はカードゲームに興じているようだ。女性が手札を捨てるたびに、彼女の前に置かれているカードががちゃがちゃと縦になり横になり、何かカードを出すと、ガタイの良い男性が、自分の前に積まれたカードの束を延々と引き続けた。楽しいのだろうか。
 右側の本棚の前に一組の男女。男性の横に山のように漫画が積まれている。ぺらりぺらりと、二人が同じタイミングでページをめくる。同じタイミングで、おそろいの眼鏡を指で押し上げる。同時に最後のページをめくると、男性が左隣の女性に自分が持っている漫画を渡し、自分は山から一冊取り、また同時にページをめくり始めた。
「じゃあ左から」
 雪ねえはこんな空気に慣れているのか、動じることなく言葉を続ける。
「格ゲーでコテンパンにやられてるのが、三回生の真浜幹彦君。コテンパンにしているのが、四回生の仲根美菜先輩」
「んー」と声を上げ、仲根先輩がこちらに背を向けたまま、手をひらひらと振った。
「次に、カードゲームでさっき負けたのが、三回生の西尾俊春君。向かいが同じく三回生の小宮山花枝ちゃん」
 二人は、次のゲームを始めていた。
「誤った指図」
「んなっ!?」
 今度は逆に、小宮山先輩がカードをたくさん引いていた。楽しくなさそうだ。
「それで、本を読んでいるのが、院一回生の高橋慎太郎先輩。隣が四回生の木原茜先輩」
 そして……と雪ねえが言葉を続ける。
「はいっ、みなさん注目。彼が、新しい仲間の澄野利久雄君でーす」
 十二の瞳がこちらを見つめた。ゲームをしている二人は、試合が決着していないので反応しない。
 本を読んでいた眼鏡二人組が、雪ねえに合わせて小さく手を叩く。
「それじゃあ、説明するね。ここは『異文化交流会』ってサークルで、活動内容は……」
「ちょっと待って」
 彼女の話をさえぎる。
「あの、俺、ここ入るつもりないんですけど」
「え!」
 雪ねえが大げさに驚く。
「いや、俺、運動部に入るつもりなんですけど」
「なんでー? 異文化交流しようよー」
 雪ねえが背中から抱き付き、肩に顎を乗せる。
「しようよー、しようよー」
 左右の肩に交互に乗って、声を揺らす。
――ちょっと、背中に、おっぱいが……!
 左右に頭が揺れるたびにこすられる彼女の乳房は、もはや暴力と呼んでいいものであった。布越しであるのに、しっとりとした感触をこれでもか、と伝えてくる。顔が赤くなる。熱くなるのが分かる。
「だ、だって……、受験勉強で全然運動してなかったから、最近太っちゃって……」
 素直に理由を告白した。高校時代、バドミントン部に所属し汗を流していたのだが、受験に合わせて引退して以降、ずっと運動していなかったのだ。元来強制されなければ運動ができない性格である上に、食事量が引退前から減らなかったため、体重が増える一方となっていた。
「あー、運動したいの?」
 ずっと背中を向けていた仲根先輩が、後ろに倒れ、煙草をくわえた逆さまの顔をこちらに向ける。
――うわ、この人目つき悪い。
 全てを射殺すような目。恐怖で思わず目を逸らす。
「大丈夫だって、このサークル、運動するから」
「え?」
 思わず聞き返した。確か、このサークルの名前は『異文化交流会』だったはずだ。運動する要素を欠片も感じない。
「うん、するよ、運動。だから、体験入部だと思って、今日だけでもいいから、やってみない?」
 懇願するように、雪ねえが早口でつぶやく。
「はぁ、まぁ、それだったら……」
「やった!」
 俺のあいまいな返事に、大げさに喜んだ。思い返してみれば、彼女は子供の頃から、喜怒哀楽が激しかったように思う。
――でも、ここまでテンションが高くはなかったかな。
 雪ねえは、背中から離れると、部屋の奥に入り、テレビ台を探る。鼻歌が漏れていて、大層上機嫌だ。
 困ったことになった。先ほど言ったことは本音であり、こういった見るからに文化系のサークルには入るつもりがない。これまでの雪ねえの言動や態度から考えると、入部を断ったら大変な落ち込み方をするのは目に見えている。
 しばらくすると、雪ねえが何かを持って、俺の元へ帰ってきた。
「はい、じゃあ、ここに名前を書いてね」
 渡されたのは、真鍮色の金属プレートだった。両手に収まるほどの長さに、親指と人差し指でつまめる程度の幅。片方の面には、「小雪-」と書かれている。
「ハイフンの右に、りっくんの名前を書いてね」
 一緒に渡されたのは、ペンらしき棒。ペンタブに付属されたものにそっくりで、文字を書くことができる機能を持っているようには見えない。
「大丈夫、なぞるだけだからね」
 半信半疑で、ペンの先端を板に乗せる。
「おお……?」
 思わずうなる。ペン先が触れた箇所だけ、板がくぼんだからだ。原理は知らないが、これならば名前を書くことができそうだ。
 『利久雄』が板に刻まれた。
「できたよ」
 食い入るように名前を書く様子を見つめていた雪ねえの前に、板を百八十度回転させて差し出す。
「あ……うん……」
 先ほどまでのテンションの高さから一転して、彼女の声は低く、静かだった。瞳からは明るさがなくなったように見える。息遣いが、小さく、荒くなっている。
「あの」
 声をかけると、びくりと肩を震わせ、我に返ったようだ。
「あっ、ごめん。じゃあ、体験入部始めようね」
 左手に板を持ち、右手で俺の左手をそっと握る。そのまま部屋の奥へ歩き始めたので、手をつながれている俺も歩を進めざるを得なかった。
 彼女が向かう先には扉。この部屋の入口から見て右側の本棚と奥の壁に挟まれるように立っているそれは、今意識するまで、俺の中には存在しなかったほど、印象の薄いものだった。
 扉は暗い茶色だった。俺の目線の高さあたりに、横長の長方形に、さらに濃く色づいた部分があった。雪ねえがその部分に真鍮の板を合わせる。ぴったりと合わさった。
 ノブのあたりから、小さな金属音が鳴った。直後、ノブを触っていないにもかかわらず、ゆっくりと扉がこちら側へ開く。
「ふうぅー……」
 雪ねえが大きく息を吐く。背後に立っている俺には、その表情を見ることができない。しかし、声をともなう息遣いから、彼女が何か大きな覚悟と緊張を背負っているような気がした。たかが体験入部に、何をそんなに気負う必要があるのだろうか。
「がんばれー」
「小雪、ファイトだファイト」
 部員たちが、口々に雪ねえの背中に向けて声援を送る。
「ああ、ついに、小雪君にも伴侶が……。長い、長かったな……」
 高橋先輩が眼鏡を外し、浮かべた涙をハンカチで拭きながら声を絞り出す。
「ちょっと、先輩、何言って……伴侶?」
 雪ねえに引っ張られるまま、疑問を口にしたが、答えを待つ間もなく、部室と謎の部屋は閉まる扉で分断された。

 新しい部屋を見回す。大きさは部室の半分程度だったが、内装が異様だった。
 大きなベッド。部屋のほぼすべてを占拠する、巨大なベッドだった。
 それ以外は何もない。殺風景な部屋だった。
 純白で、シワなくきれいに張ったシーツ。掛け布団は薄桃に彩られている。抱き枕かと思うほどの大きな枕が二つ。
――どうやって入れたんだ、これ?
 最初に浮かんだ感想だ。そしてすぐに、ボトルシップの作り方を思い出し、一人納得した。
――何のためにあるんだ、これ?
 次に浮かんだ感想だ。こちらは納得できる答えが見つからなかった。
 そもそも、こんな部屋で運動なんてできるものだろうか。枕投げだとするならば、二人でやるのは寂しい。ベッドの上で跳ねるのは、サークルの備品であろうベッドを壊してしまう恐れがある。
 そこまで考えて、一つの仮説に思い当たった。高橋先輩の伴侶という言葉、部員たちの声援、部屋に入る前に感じた雪ねえの覚悟、それらが頭の中で線となってつながり……。
「りっくん」
 雪ねえが呼ぶ声とともに、背後の空気が冷たくなるのを感じた。それは精神的なものではなく、たしかに、皮膚で感じる寒さだった。逃げ遅れた冬が、すぐ後ろに佇んで、寄り添ってくるようだ。
 振り向く。そこに当然いるのは雪ねえだ。しかし、その姿は最前のものとは異なっていた。
 外気温にそぐわない薄着は溶け落ち、眼前に裸体をさらしていた。その肌は、薄青に染め上げられていた。
――また会えるから。
「また、会えたね」
 夢で見ていた、過去の記憶と現在が重なる。
――十年後に、会えるから。
「十年、待ったからね」
「あ、ああ……」
 記憶の靄が晴れる。なぜ、こんなことを忘れていたのか。十年前、あのころの雪ねえは、今みたいな薄青の肌だった。これが、本当の雪ねえだ。
「雪ねえ」
 目の前の雪ねえが、両腕を広げる。隠れていた乳房と、無毛の恥部があらわになる。身を包む空気はさらに冷たく、寒さが肌を刺す。柔らかなほほえみ。
――雪ねえ、暖かそう。
 荒く吸い、吐かれる息が、白く染まっている。彼女の体の中の熱を感じさせる。
 一歩、二歩。自分の体から、衣服が離れていくのを感じた。するするとほどけるように、布と皮膚の間にとどめられていた、弱弱しい熱が、寒気と混ざる。もう耐えられない。
 雪ねえの体に、腕を回す。彼女の皮膚は、外気ほどではないが、俺の肌より冷たかった。しかし、顔が乳房にうずもれると、すぐに俺の体温と溶け合い、心地よいぬるま湯のような感触になった。
「雪ねえ、ただいま」
 感極まった一言。今はただ、この一言しか言葉にできなかった。
 雪ねえの両腕が、背中を包む。一瞬の冷たさ、すぐにぬるま湯。
「おかえり」
 耳元で、優しい一言。耳から全身へ、痺れをともなった快感が流れる。
「こっち、向いて」
 ささやき。この声に逆らえない。乳房の谷間に挟まれた顔を上げる。
 見下ろす雪ねえの顔。俺を射抜く瞳は、扉に貼った板を受け取ったときよりも、さらに濁っていた。表情は、とろけていると言っていいほど、緩んでいた。今、彼女の意識の中には俺しかいなくて、感情や理性がすべて溶けきって、本能に抗う余裕がまったくないことが分かった。
 それが、たまらなく嬉しい。今、雪ねえは俺のことしか考えてない。
 俺も同じだった。今の雪ねえの顔は、今まで見たどんなものよりも美しく、もう世界にはただ雪ねえさえいればいい、そう考えていた。
「運動、しようね……」
――ああ、やっぱり、これからするのは……。
 雪ねえの顔が下りてくる。
 冷気を含んだ熱が、唇に下りてくる。眼前、焦点が合わないほどの近くに、俺の瞳を見つめる雪ねえの瞳。瞳孔から眼底を覗き込まんとする、惚けているのに鋭い視線。俺の心すべてを見透かそうとしているようだ。
「ちゅぅ……」
 吸い付く刺激。雪ねえの目がにんまりと細くなる。下唇が、雪ねえの唇に食まれている。
――あ、これ、キス……。
 ぬくもりに包まれ、思考が陶酔しきった中で、十年恋慕した女性と交わす口づけ。歓喜と快楽で、全身がとろけてなくなってしまいそうだった。
「ん……。もう、立っていられないんだね」
 唇が離れる。顔に耐えがたい寒気が貼り付く。
「あ、やだ、離れないで……」
 背伸びして雪ねえの顔に縋りつこうとしたが、足の感覚が完全に抜けてしまっていて、それは叶わなかった。
「大丈夫、楽にしていて」
 雪ねえの腕が腰に回る。右手が俺の頭をなでる。頭の冷気が、なでられた部分から徐々に払われていく。
 彼女の腕を支えにして、ゆっくりとベッドの上に腰を下ろした。
 そっと、肩を両腕で押される。なすがままになっているので、抵抗することができない。視界が部屋の上へ上へ移り、柔らかな布と羽毛が背中を包む。スプリングの反発。
 肩に乗った両手が、腕の先へゆっくりと滑る。指先がかすかに皮膚に触れ、くすぐったい。二の腕からさらに先へ。二人の手のひらがひたりと合わさり、指が絡む。恋人つなぎ。
「ずっとずっーと、このときを待っていたんだよ」
 視界を覆っていた天井が隠れ、間に雪ねえの青いシルエットが伸びる。
 彼女の両手が、俺の実在を確かめるかのように、強く弱く、力を込めて俺の手をにぎる。
「十年前、初めて見たときからずっと、こうやって、りっくんと、恋人同士になることを、夢見ていた」
 心臓が高鳴る。初めて聞いた話だった。雪ねえが、そのときから俺のことを?
「りっくん、なってくれる? 私と、恋人……ずっとずーっと、一緒に」
 顔が下りてくる。また、口づけ。リップと唾液で湿った雪ねえの唇が、俺の上唇、下唇を交互についばむ。
「こうやって、キスしたり」
 唇よりも湿った暖かいものが、唇を割り開いて入り込んでくる。力が抜けきっていて、されるがままだった。入ってきたそれは、口内を進み、こちらの舌の先端を探し当てる。二度、三度、ノック。
「んふっ」
 雪ねえの、鼻から抜ける笑い声。聞こえた直後、それは俺の舌を引っ張り上げ、ぬるりぬるりともてあそんだ。
「れろっ、んっ、こういう深いキス」
 その言葉で、口内に入ったものが、雪ねえの舌であることが分かった。
 舌と舌が絡む、恋人同士のキス。
「毎日、しようね、朝起きたとき」
 舌の下をちろちろとくすぐられる。
「講義が終わったら、移動時間に、木陰で」
 彼女のものが、俺に舌を出せとせがむ。導かれるまま外へ伸ばすと、嬉しそうに唇に食まれる。
「放課後は、この部屋で」
 ちゅうちゅうと、下唇を吸われる。舌が左右になめていく。
「私は、りっくんと、そういう関係になりたいなー。毎日毎日、キスしたいなー」
 雪ねえの全身が、掛け布団のように覆いかぶさる。心地よい重み。体のすべてが熱に包まれる。もう寒くない。
「ねえ、りっくんは、どう思う?」
 左の頬に頬ずりしながら、吐息を漏らす。鼓膜がくすぐられる。
「あっ、あっ……」
 くすぐったさと快楽が混ざり、意味のない声が自分の喉から吐き出される。
 全身が小刻みに震える。舌の根がうまく動かない。
「あっ、なっ……」
 何とか、一言だけ紡ぐことができる。
「なる……なるぅ……」
 決意を表すように、雪ねえの両手を強くにぎった。
「はぁぁ……やったぁ……」
 腹の底から息を漏らして、彼女が答えた。
「じゃあ、正式に恋人同士になったから、続きしようね」
 また口がじゅくじゅくに爛れるようなキスをされるのか、と身構えた。だが、彼女は頬ずりを止めなかった。
「あっ」
 思わず声を上げてしまう。今まで顔以外の物理的感覚を失っていたところに、はるか下方から駆け上がる刺激。
「りっくんのおちんちん、おっきくなってるね」
 耳たぶにキスを受けて、この言葉。
 まったく自覚がなかった。だが、言われてみればそれは当然の反応だ。ただでさえ情欲を向けるには有り余る肢体で包み込まれ、愛をささやかれ、濃厚な口づけを交わしたのだ。これで勃起していなければ、性的に不能だと言われても否定できないのだ。そして、俺はまだそうではなかった。
 ゆさり、と雪ねえが密着したまま、胴体を上下にこする。肉がたっぷり詰まった乳房が形をゆがめて感触を伝える。すべすべの腹がすでに包皮がむけた亀頭をなでる。
「うくっ」
 頭が反射的にのけぞる。
「……したい?」
 たっぷりと間を開けて、彼女が一言だけつぶやく。
「恋人同士なんだから、していいんだよ?」
 すりすり……腹が上下に何度も動く。痺れをともなう性的快楽。しかし、それは決して最終段階、射精に至ることは決してない。もどかしさばかり募る。
 彼女の背中越しに、ふりふりと揺れる尻が見える。親に隠れて見た、アダルトビデオで女優がやっていた動きだ。この動きで、陰茎をしごかれたら……。
「ね、しよ? 恋人だから、我慢しなくて、いいんだよ」
 それは、自分に言い聞かせているようだった。雪ねえの呼吸は、盛った犬のように、小さく、荒く。鼓膜を震わせながら、左耳に何度も吸い付き、キスを浴びせてくる。
「うん、したい、雪ねえと、えっち……」
 直後、雪ねえが背筋を丸めた。ゆっくりと上半身が上がる。二人の熱が離れ、忘れていた冷気が上半身を覆い始める。熱に溶けていた皮膚感覚が、鮮明になっていく。
「はぁ……はぁ……」
 俺の腰の上にまたがり、見下ろしてくる雪ねえ。全身からほんのりと湯気が立っている。口からは、より濃厚な湯気が、呼気にともなって吐き出される。
 陰茎が、雪ねえのつるりとした丘に組み敷かれ、先端をこちらに向けている。その口からは、とろりと透明の粘液が滴っていた。
 俺の体は、すでに準備を整えていた。もう、目の前の女に屈服する覚悟と期待に満ちていた。あとは、精神だけ。
「入れる、ね」
 いまだつないだままの手を支えに、ゆっくりと腰を持ち上げる。押さえを失った陰茎が、重力に逆らって持ち上がる。離れた腰部の間を、ほかほかと立ち上る湯気と、多量の粘液の柱がつなぐ。その粘液は、雪ねえの膣から零れ落ちていた。
「雪ねえ、すごく、濡れてる」
 感動のあまり、素直な感想を述べる。
「うん」
 雪ねえが、小さくうなずく。
「りっくんと、やっとひとつになれるって、体が喜んじゃってるんだよ……」
 ぴたりと、持ち上がった腰が止まった。真下に、期待に満ちた亀頭が、ぴくぴくと震えている。
 先ほどとは逆に、腰がゆっくりと下りる。
「ふっ、うっ」
 ひたり、と互いの粘膜が触れ合う。それだけで、熱と気持ちよさが、脳へ駆け上がる。
――このまま、全部入ったら……。
 否が応でも期待が高まる。
「りっくん……大好きだよ」
 不意打ち。答える間もなく、腰がさらに下りる。
「あっ、あっ……あぁぁ……」
 亀頭粘膜が、膣肉をかき分ける感触が、強く伝わる。柔らかなブラシのようで、優しく陰茎を包む。
 愛液溜まりとなっていた鼠蹊部に、雪ねえの尻と太ももが触れ、ぴちゃりと鳴った。
「はぁぁ……あったかい」
 粘膜のこすれが止まった後に訪れたのは、全身を密着されたときに感じたのと、同じ暖かさだった。陰茎が、亀頭の先端から付け根まで、余すところなく膣襞と愛液で包まれている。
 安心感が、ため息となって漏れる。腹の底から、大きく吐く息。
 心に余裕が生まれ、性器からの刺激以外を知覚できるようになった。嗅覚が戻り、甘ったるい雪ねえのにおいが鼻いっぱいに広がる。味覚が戻り、先ほど味わった雪ねえの舌の味の残滓がよみがえる。
「あー……あぁー♥」
 雪ねえの声だ。それは、先ほどまで何とか残っていた理性が、すべて抜け落ちた、獣のものだった。
 視覚が戻って雪ねえの姿を見た瞬間、俺は射精していた。
 それは、今まで見たどんな名画よりも美しく、今まで見たどんな女性よりもいやらしく、完成された存在だった。
 瞳孔が開き、それでもなお俺を見つめることをやめない瞳。唇の間からは舌がこぼれ、先端から唾液が粘度をもって滴り落ちる。乳首がツンと固くしこり立ち、全身が時折小さく震える。汗が幾筋か、跡を残しながら垂れ落ちる。
 どくり、どくり、と陰茎が脈打ち、容赦なく膣の最奥に精液を注ぎ込む。
――あれ? そういえば、避妊具……。
 ほんの僅か戻った理性が、何かを訴える。しかし、吐精の快楽に溺れ、そんな思考はすぐに霧の彼方に消える。
「せいえき、びゅぅびゅぅきたぁ♥」
 かくん、かくん、と前後に腰が揺れる。陰茎の脈動に合わせ、ぎゅっ、ぎゅっ、と膣肉が締まる。
「あっ、あっ、なかだしざーめんで、いくっ♥、いくっ♥」
 十年前、部室にいたときにはまったく想像できなかった、雪ねえからの口から漏れ出る淫語が、さらなる射精を促す。
 十秒、二十秒……人生で一番長い射精。睾丸の中身がすべて、それどころか、人間として大事な何かすら吸い取られるような射精。
 脈動と吐精が終わったころ、雪ねえがゆっくりと、こちらへ倒れこんできた。また密着。今度は右耳に口を寄せる。
「りっくん、好き」
「うん、俺も、雪ねえのこと、好き」
 初めてちゃんと言えた気がする。雪ねえへの好意。思えば、今まで俺には女性との付き合いというものがなかった。好きになった異性はいた。
 そういえば、あの思い出の夢は、そういうときに見ていた気がする。まるで、雪ねえが浮気を許さないと、言い聞かせているようだ。
「りっくん……好き」
 ぽん、ぽん、と俺の頭を優しく叩く。
 ぬち、ぬち、と水音がする。
「りっくん、好き、りっくん、好き、りっくん、すき……すき……」
「えっ、ちょっ、まってっ」
 雪ねえが、腰を前後に動かし始めた。背中越しに見た、あのエロすぎる腰遣いだ。
「りっくん、すき、りっくん、すき♥りっくん♥すき♥」
 陶酔しきった声。リズムよく、ささやかれる十年分の愛。
 抵抗しようと雪ねえの肩を押し上げようとしていた腕は、すぐに力を失った。そちらに力を使っていたら、すぐに果ててしまうから。それほど、性器粘膜がこすれる快感は暴力的に強かった。
 動きは激しくない。むしろ優しいものだった。だが、耐えがたいのは強さではなく、質だった。陰茎すべてを同時になで上げる肉ブラシは、抜けそうになると抵抗し、きゅっとすぼまる。腰が下りて根元をみっちりと包むと、一度だけきゅっと締まり、すぐに柔らかく、優しく出迎えてくれる。
「りっくん♥すき♥りっくん♥すき♥りっくん♥すき♥」
 一定のリズムで鼓膜が震え、思考がアイスのようにどろどろにとろける。
――これ、だめになる……。雪ねえに、だめにされる……。
「ゆきねえ、すき、ゆきねえ、すき」
 いつしか、俺も雪ねえの声に合わせて、愛をささやいていた。最初、雪ねえはびくりと体を震わせた。しかし、二言目からは安心しきったように体を弛緩させ、俺の言葉を受け入れた。
 愛液の量が増え、音の質も変化した。にじゅ、にじゅと粘度が増し、股間に帯びる熱も高くなる。
 膣肉が締まる頻度が増える。
「りっくん、あっ、あっ、すきっ、んっ、すきっ」
 声のリズムも乱れる。情欲にもみくちゃにされた思考であっても、雪ねえの限界が近いのは明らかだった。
「りっくん♥いくっ♥りっくん♥いくっ♥」
 絶頂が近いことを、素直に口にする。
「うん、俺も、いく……」
 直後、限界が訪れた。射精を欲する締まりに促されるまま、二度目の射精。一回目に劣らない量。
「あ゛ー♥」
 長い長い、喉を絞る獣声を吼え、雪ねえは牝の悦びに身を震わせた。
 絶頂の子守歌。人間の限界を超える長い射精と、緊張を抜けた弛緩によって、意識は容易く夢の彼方へ霧消した。

 覚醒。視界の先には、見慣れない天井。
 首から下は、暖かい圧迫感。これは、布団か。
 体を起こし、見回す。薄桃の掛け布団、巨大なベッド、それ以外に何もない……。
 奥の壁に、四角い光が見えた。焦点が合うと、それが扉を開けたクローゼットであると分かった。この部屋に入った時には、壁に入口以外のものはなかったはずだが。
 クローゼット内部を横切る棒には、スーツがかかっていた。雪ねえをかき抱いたときに、ほどけて消えたはずだったが。
「おはよう」
 ベッドの右側の縁に、雪ねえが座っていた。
 意識が飛ぶ前の痴態を思い出し、顔が羞恥で熱くなる。
「あ、その顔かわいい」
 つんつんと、俺の頬を指先でつつく。恥ずかしくて、雪ねえのことが見られない。
 そらしていた視界のすぐ前に、雪ねえの顔があった。そう気づいた瞬間、唇に熱。すぐに離れる。
「隙あり♥」
「えっ、あっ……」
 とっさに唇を押さえる。いたずらっ子な雪ねえの笑顔。
「ほら、ぼうっとしてないで、着替えてね。みんなにちゃんと報告しないといけないんだから」

 ◆ ◆ ◆

「はいっ、みなさん注目。澄野利久雄君、正式入部決定でーす」
 雪ねえの声に合わせて、先輩たちが拍手する。
 部室に戻ったとき、女性陣の様相が一変していた。
 仲根先輩の頭からは角、腰からは翼としっぽ。それらは黒で統一されていた。雪ねえによると、彼女はサキュバスらしい。
 小宮山先輩にも同じく頭から角が生えているが、こちらは茶色。手足がもこもこと、角と同じ茶色で覆われていた。気持ちよさそうな肉球を備えている。気高き魔族、バフォメットだ、と本人が自信満々に言った。
 木原先輩は全身の皮膚が青白かった。雪ねえとは異なり、白の方が強い。リッチという種族であると、高橋先輩が言った。
「そして、私はゆきおんなでーす」
 青い肌を戻すことなく、満面の笑みを浮かべる。
 異文化とは、この世界とゆるく薄くつながっている魔界と呼ばれる世界の文化を指しており、えっちな交流をしようというのが、このサークルの目的である、と軽く説明を受けたが、正直言うと、半分も理解していない。
「まあ、ひと段落ついたし……よっこらせ」
 咥え煙草であぐらで座っていた仲根先輩が立ち上がった。隣に座っていた真浜先輩を持ち上げる。
「次は私たちの番だな」
 ひらひらと、自分たちの名前が書かれた真鍮板を揺らし、奥の部屋へ進む。
 雪ねえの説明によると、あの部屋は現実と魔界の狭間の揺らぎの空間がうんたらかんたららしく、くっつけるネームプレートによって、内装が変わるらしい。
 他のカップルはどんな部屋なのか、少し気になった。
 自動で開く扉の隙間から、中を垣間見……。
「はい、だめー」
 視界を雪ねえの手でふさがれた。
「りっくん、このサークルのルールを教えないとだめだね」
 背中から、雪ねえが抱き着く。乳房が背中に押しあたる。
「このサークルのメンバーは、みんな大事な大事な仲間です。でも、プライバシーは尊重しないといけません。親しき仲にも礼儀あり!」
「はい」
「あの部屋は二人っきりの特別な空間なんだから、覗くなんてもっての他。分かった?」
「はい」
 おっしゃる通りなので、うなずくしかなかった。
 視界を遮られる寸前、仲根先輩の表情が見えた。
「ああ、もう、お前、またこんなだらしなく前髪伸ばして……」
 そう言いながら真浜先輩の前髪をもてあそぶ彼女の表情は、今まで見せていたすべてを射殺すようなものではなく、慈愛に満ちた、優しい表情だった。
 きっとあれは、恋人である真浜先輩以外に見せないし、見てはいけない表情なのだろう。
 普段溌剌とした雪ねえの、セックスのときだけに見せる、本能以外捨て去った、獣の表情みたいなものだ。俺しか見てはいけない、特別な表情。
「うっ」
 思い出しただけなのに、もう性欲が首をもたげてきた。陰茎に血液が集まるのを感じる。
「んふっ」
 耳元で、雪ねえがささやく。甘ったるく、熱を持った吐息。
 これから毎日、休みなく精液を搾られる学生生活になることは間違いないだろうという、確信めいた予感。俺はもう、雪ねえなしに生きられない。空白の十年を、これからの一生をかけて埋めなければいけない。
18/11/29 00:12更新 / 川村人志

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