読切小説
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淫落
1

 そこは、一言で表すなら神域という言葉が相応しかった。礼拝用に並べられた木製の長椅子こそ古びてはいるが、その他はそこらの教会と比べても落ち度は見当たらない。懺悔する者を慈悲深く見つめる聖母像は、ただそこに存在するだけでその場にいる者の心を穏やかなものにする。床や壁にも手入れは行き届いており、普段から入念に掃除されているのが一目で理解できる程だった。だが、何よりもこの場所を神域として格上げしている存在は?と問われれば、町の男は口を揃えてこう言うだろう。「それはあのシスターの――ムーサの――おかげだ」と。

「大丈夫ですよ。神は全てをお許しになられています。ですから、もう泣く必要なんてありません」

 柔らかくも、はっきりと芯があることを感じさせる声でこう言われると、どんな罪人であろうと涙して神様の存在を一瞬でも信じるだろうと、酒場で飲んだくれる男たちですらそう口にするほどに、ムーサは美しかった。
 一本一本がその身の清らかさを表すような白い髪に、端整な顔立ち。そして修道服の上からでもわかるほど自己主張の激しい胸に、くびれた腰、弧を描く尻。もし教会ではなく、経つ場が娼館であったならば連日通い詰める男が続出するだろうと、下卑た顔で語らう群れが酒に溺れ、そして己が腕で抱けないことを悔やみながら財布に木枯らしを吹かせて去るのが町の日常だった。
 強引に抱き寄せることは、おそらく誰にでもできるだろう。だがムーサという女は、心理的に男たちの欲求をすんでのところで抑えていた。
 単にムーサを抱けばその者は他の男たちから袋叩きに遭う、というのもあるだろう。しかしそれ以上に、ムーサは存在が稀薄だった。抱きしめてしまえばもうそのまま散ってしまうのではないかと思わせるほどに、存在が稀薄。
 その稀薄さが男たちの心に余裕を失くし、ただ神々しい偶像崇拝にも似た心境をもたらしていた。が、それはあくまでも男たちの観点からであって、ムーサ本人が意識していることではなかった。
 当のムーサ本人はといえば、祈りの時間や仕事の時間を除けばあとは夢想に耽ったりすることもしばしばある、年相応の乙女だった。
 だがシスターという身分であればそこまで自由な時間はなく、ほんのひと時を同じシスターであるアリッサと雑談で過ごす程度にとどまっていた。
 恋がしたいという願望は確かにあるが、それよりも神に仕える身でありながら色恋に現を抜かすことではいけないと自らを律せない精神ではなかった。今はその時ではない。まだまだ辛坊の時と己に言い聞かせ、極めて純粋な欲求も忘れるように祈りなどに没頭していた。ある意味、ムーサは自分に対して堅物だったのかもしれない。
 だからこそだろうか?
 ムーサは今、動けないでいた。
 教会に寝泊まりしているムーサやアリッサは交代で夜の見張り番もしている。魔物の噂が絶えない中での役立たずの……言ってしまえば形骸化した措置だったが、ムーサもアリッサも極めて真面目にその任をこなしていた。今日もまた、いつものようにムーサはアリッサに交代の時間を知らせるべく、アリッサの部屋の前に立っていた。
 そして、そこから動けない。

「……アリッサ?」

 ドアの向こうからは、アリッサのものと思われるくぐもった声が微かに聞こえてきていた。最初はたちの悪い風邪でもひいてうなされているのかと心配になり、急いで部屋に入ろうとした。だが、そこでムーサの何かが反応し、ドアを開けようとした手はぴたりと止まってしまった。
 くぐもった声には違いない。違いないがその声に微妙な違和感を感じていた。ムーサとアリッサは長い付き合いだったが、そんな仲でも聞いたことがない声色。どこか心の奥を擽られ、背徳を犯しているのではと錯覚させる艶が声に含まれていることに、ムーサは気づいた。

「……」

 息を殺す。
 悪い事だとは頭の隅で理解しつつも、僅かに動揺した心にたった波紋が広がるのを止められず、ムーサはそっとドアを開いた。片目程度の隙間から部屋の様子を窺おうとして、今度は絶句した。
 ドアを僅かでも開いてしまったからだろうか、先ほどよりも明瞭さを増したアリッサの声が、間違いなく部屋の中で行われている行為がそれであると、明白に告げていた。
 声だけではなく、水音が、息遣いが、ベッドの軋む音が、遮られていたはずのものが全てムーサの耳と目にとどき、ムーサは自分の息が荒くなるのを感じた。
 未だかつて見たことがない光景。経験がないということはそれだけで刺激を増幅させ、ムーサを昂揚させた。
 神に背く行為だと言い聞かせ、正気に戻ろうとしても視線はベッドで自慰に耽るアリッサの姿に釘づけになってしまう。

「あぁぁもう、最ッ高」

 蕩けた表情を浮かべて快楽を享受するアリッサは身体を弓なりに仰け反らせると、ビクビクと痙攣してベッドに完全に突っ伏した。行為がひと段落して残ったのは、部屋の外まで漂う噎せ返るような淫臭と、完全に淫靡に染まった空気だった。
 脱力したアリッサの姿を見て我に返ったムーサは慌てて自分の部屋に駆け込んだ。ベッドに潜り込み、震える自らの身体を抱く。
 いくら修道服に身を包み、神に禁欲を誓ったところでそこは人間だ。堪え切れない欲求は確かにあるし、そこをどうにか我慢するか、人目につかない場所で発散するのは暗黙の了解ではあった。そういったことにはムーサも致し方ないことだとは思っていたし、見かけた時には諌めはするが、同情する心も持ち合わせていた。
 だが今しがた目にしたそれは、その光景はその度合いを明らかに超えていた。ムーサにすら毒になるような、女の本能を擽られる息づかい。アリッサの姿が何度も脳裏でリフレインし、その艶姿を刻み付けていた。
 女の幸福を享受して蕩けきった顔に、汗ばんで艶めかしい美しさを纏った肌。そして何よりも教理も戒律も全てがぐずぐずに腐食し、蝕まれてしまったかのような空気。

「嘘……あんなの、幻よ。神が私に試練を与えているんだわ……」

 口にし、冷静になろうとすればするほど、やけに鮮明になったアリッサの痴態はリアルさを孕んで精神を弄んだ。
 違う違うと何度も唱え続け、ようやく本当の冷静さを取り戻しかけた時、自室のドアが開く音にムーサの身体は小さく跳ねた。ベッドに潜り込んでいるせいで、その姿を確認することはできないが、その気配と纏わりつくような空気はさきほどムーサが肌で感じ取ったものに酷似していた。
コツン、コツンと硬質な音が部屋に響き、徐々にその距離が近づく。それに比例してムーサの心臓の鼓動も自身の鼓膜を震わせるほどのものになっていった。緊張感が極限にまで高まり、頭が沸騰しきったせいで理性などとうに瓦解したムーサにとって、一秒が途方もない時間に思えた。
 間違いなくすぐそこにいる。それだけはわかっているのに、どうして動けないのか。石像になってしまった自分を憎らしく思いながら、ただひたすらに息を潜めるしかない時間が拷問のようにムーサには思えた。

「ねぇ」

 その時間を破る声は、恐ろしいだとか気持ち悪いだとかを通り越したものだった。抵抗することを心が認めていない声、とでもいえばいいのか。

「いるんでしょ、ムーサ」

 自分の名を呼ばれ、ムーサはただ困惑しながら震える以外のことができなかった。傍にいる人物は間違いなくアリッサであろう。
 付き合いもそこそこにある、信頼のおける人物であり、気を許せる仲間であったはずだ。脳内での常識と先ほどの光景が擦り合わされ、生理的嫌悪感を掻き立てる不整合性にムーサは生唾を飲んだ。
 自慰を覗いてしまった罪悪感も多少含まれてはいる。だがそれよりもムーサの心を満たしていたのは、自分の中でのアリッサの姿が音を立てて崩れてしまったことによる動揺だった。あまりにも差がありすぎる姿を目に焼き付けてしまい、動揺した結果だった。
 もっとも、一番の要因は。
(なんで、なんであんなに幸せそうに?)
 快楽という未知のモノへの恐怖と好奇心だった。
 わからないモノは当然恐怖の対象となる。だが、その未知なるモノを味わって喜悦の混じった声をあげるアリッサの姿を見てしまったムーサの心には、相反する二つの気持ちがない交ぜになっていた。
 わからない。自身に問いかけてもあれを味わいたいのか、それとも恐怖の対象としているのかがわからない。その困惑がさらに動揺に拍車をかけて、ムーサをその場にとどまらせていた。邪な期待とそれと同じくらいの恐怖に押しつぶされそうになりながら。

「ねぇ、ムーサ、見てたんでしょう?」

 背筋をなぞられたような錯覚を覚え、ムーサの心臓がどくんと跳ねた。ばれていた。自分が自慰を偶然とはいえ盗み見ていたことを。

「あなたも内心、いいなぁって、思っていたんじゃない?うらやましいなぁ、気持ちよさそうだなぁって」

 完全に発情したそれの声がムーサの耳に明瞭さを持ったまま届き、何かが疼くのを知覚した。味わったことのない、身に覚えのない感覚。あるいは身に覚えがあっても、抑制していたはずの感覚。ひとたび口にしてしまえばその芳醇さを忘れられなくなる果実。

「別にいいの。あれはね、女の本能なんだから。疼きを抑えていれば、それは無意識のうちにいやらしい毒になって身体を犯しちゃうのよ。そうやって毒されて汚れていった身体が、素敵だと思う?思わないわよね。だから、仕方のないこと、神様だって、認めてくれることなの」

 神様。
 その単語が僅かにムーサの明文化できない部分を動かした。認められる行為ならば、それが赦しを得ているならば、神の言葉はこれ以上ない免罪符となって気持ちを安らかにしてくれる。
 薬物が与える効能に似た安心感に包まれ、ムーサはゆっくりと身体を起こした。

「だからね、あなたも堕落しましょ?堕落神様だって受け入れてくれるわ」
「ひっ」

 そして、絶句した。
 アリッサの姿は普段のものとは変わっていた。人間の姿こそ、そのままのアリッサではあるが、その背後で揺れる尻尾と尖った耳が人のものではないことくらい明らかだった。
 自慰を見てしまった時にはなかった、人ではない部分。神とは対極的な、禍々しさと淫靡さを漂わせた存在になっていたアリッサの姿に、か細い声をあげることしかムーサはできなかった。

「かわいい。ムーサ、私がすぐに堕としてあげるから……」

 ねっとりと纏わりつく女の妖気に逃れることはできず、覆いかぶさってくるアリッサに対しての講義の声はすぐに口づけによって封じられていった。

2

 手早く服を脱がされ、裸にされたムーサは怯えを隠そうともせずに瞳を潤ませてアリッサを見つめていた。それがアリッサの心を炙り、官能を高めるとも知らずにムーサは「やめて」と震える声で懇願するばかりだった。

「だぁめ。そういうのは、言ったらお約束事になっちゃうんだから」

 言いながらムーサの胸を指先でなぞると、小動物のようにアリッサは初々しい反応を返し、その姿だけで視覚を楽しませた。堕落のさせがいがある。一人そう胸中で呟いたアリッサは精緻な指の動きで敏感な箇所を摘み上げた。
 ベッドの軋む音が背徳感の塊のような行為であることを改めて二人の脳内に刻み付け、自然と二人の頬が紅潮していく。
 整った美貌がぐちゃぐちゃになる様を想像したアリッサはいやらしい笑みを浮かべながら、ぴんと勃起した乳首を口に含んだ。

「ひぁっ!?」

 たまらず声をあげたムーサの口には即座に尻尾が突っ込まれ、文字通り言葉を失った。くねくねと蠢く尻尾に目を白黒させながらも、きっちりと乳首に与えられている間断ない愛撫にも反応し、ムーサの回路は半ば崩壊しかけていた。
 組み敷かれ、甘い声をあげはじめたことにより、官能が炎に炙られる。悩ましい女のくぐもった嗚咽が自らのものだと自覚しかけたムーサは、慌てて自我を取り戻そうとする。
 このままではまずい。堕落どころではない。もっと深い何かへ誘われてしまう。
 何か言葉を吐き出そうとしても、口に挿入された尻尾によって口から洩れるのは涎と自分のものかわからない声にならない音だけだった。
 アリッサの指が秘裂をまさぐり、ムーサの頭の芯に鋭い衝撃が走る。気持ちいい、それだけでは説明できない快楽が脳の神経を焼き、感覚を麻痺させていった。

「あぁぁ……ぐっしょり。もう牝になっちゃって」
「!?」

 乳首から口を放し、唇が滑らかに曲線をなぞって下腹部へと到達した瞬間にムーサは絶叫した。
 絶頂に導かれたから……ではなく。
 自身が変えられて、孵られてしまうという直感が過ぎったためだった。
 愛液にまみれた股間は淫らな水音をたてながらアリッサの口技に酔い痴れ、ガクガクと腰を痙攣させる。許容量をとうに超えた快感にムーサの身体が弓なりに逸れ、尻尾が口から引き抜かれる。たらたらと尻尾の先から涎が滴となってシーツに染みを作る光景は淫靡そのもので、蹂躙されたことを何よりも明白に表していた。

「う、ぁ……」
「気持ちいいでしょう?嬉しいでしょう?まだまだこれからなんだから」

 身体を密着させ、二人の乳房がいやらしく歪んだ。

「堕落しましょ」

 問うアリッサの瞳を息も絶え絶えになりながら見つめるムーサの目には、普段とは違う色が確かに灯っていた。
15/11/11 21:56更新 /

■作者メッセージ
そんな話でした。楽しんでいただければ幸いです。
イブシャケさんに「エロだけの話書こう(意訳)」と言われてチャレンジしてみました。エロどこいった。

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