読切小説
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闇と炎の王国
 頑丈な石造りの城壁が、午後の日差しの中で輝いていた。空は晴れ渡り、静かな風が吹いている。本来ならば牧歌的な光景となるはずだ。
 だが辺りには、殺戮の予感を孕む緊張感が漂っている。城壁の周りを大軍が包囲していた。兵達は槍を持ち、鉄砲や機械仕掛けの弓であるクロスボウを城壁に向けている。兵の間には、黒々とした大砲もある。城壁の上には、包囲軍を迎え撃つ軍が待ち構えていた。銃眼からは鉄砲やクロスボウが覗き、城壁の上には大砲が設置されている。
 城壁は責めにくい造りであり、包囲軍にとっては脅威だ。だが、包囲軍の士気は高い。ぎらついた目を城壁に突き立て、突撃の合図を歓喜の震えと共に待っている。包囲軍の兵士は、修道士の様な黒服を着て赤いマントを羽織った者達に指揮されていた。指揮者達の黒服の胸には、金色の糸で聖具の形に縫い取りがある。赤いマントにも、聖具の形の金色の縫い取りがある。
 彼らの中心には、指導者である女戦士が屹立していた。金で縁取りされた青い鎧をまとい、銀色に輝く剣を掲げている。黄金色の髪は日の光に輝き、背には純白の翼を広げている。人間離れした白い美貌を城壁に向け、青氷色の眼を突き立てている。女は人間では無い。神の戦士であるヴァルキリーだ。
 傍らで、黒服に赤いマントの男が控えていた。無個性な顔は無表情だが、眼には狂おしい熱が宿っている。男は、城壁と包囲軍、そしてヴァルキリーを見渡している。
 やっと、ここまで来た。長年這い蹲り続けて、ようやくここまで来た。俺の宿願が達せられる時が来た。
 男は目から狂熱を放ち、歓喜に打ち震える。男が長年夢見て来た復讐をする機会を手に入れたからだ。男は、血の川が流れる城塞都市の姿を思い浮かべて恍惚とする。
 さあ、殺戮の時が来た!

 アヒムは、貧しい農家の生まれだ。父と母と共に、痩せた畑を耕して生きて来た。農奴では無かったが、苦しい生活をしている事は変わらない。領主や主神教団は、アヒム達から容赦なく税を取り立てた。アヒムは、領主の部下や教団の取立人の前に這い蹲り続けた。
 その貧しく惨めな生活も壊された。戦争がはじまり、別の領地の領主の軍が攻めて来たのだ。アヒムの村は蹂躙され、虐殺、凌辱、略奪が荒れ狂った。アヒムの父は槍で刺され、母は馬蹄に頭を砕かれた。
 死の間際に、父はアヒムの人生を決定する話をした。アヒムは、父と母の子では無い。父母は、川上から小船に乗って流れて来た赤ん坊を拾って育てたのだと。その時、赤ん坊の側に指輪が置いてあったそうだ。父は、血で濡れた手で指輪をアヒムに渡すと、力尽きて死んだ。
 その指輪は金製であり、紅玉がはめてあった。良く見ると紋章の様な物が彫られている。アヒムは指輪を受け取ると、血に飢えた敵兵達の間を掻い潜り、村から脱出しようとする。荷車や樽、柵の陰に隠れ、麦畑に這い蹲りながら逃げた。幸い、敵兵はこの土地に疎いらしく、アヒムは逃げ延びる事が出来た。
 自分の出生は気になったが、それよりも自分の生活をしなくてはならなかった。戦火に焼け出されたアヒムは、職を求めて各地を放浪したが、ろくな職を得られなかった。農家で生まれ育ったのだから農業は出来るが、得られる仕事は領主の畑で下働きをする事くらいだ。農奴とどちらがマシか分からない。手に職を身に付けている訳でもない為、町に行っても大した仕事は得られない。荷担ぎ人足や工事現場の下働き、商店の使い走り、清掃夫くらいだ。生きるギリギリの収入しか得られない。
 アヒムは貧しい生活を憎み、そこから這い上がろうとした。ちょうどそのころ、アヒムの住む国の各地では戦乱が起こっていた。国を支配する皇帝の権威の低下、諸侯同士の勢力争い、主神教徒同士の路線闘争などによって戦争が起こっていたのだ。そこへ外国や主神教団の介入が有り、戦乱に拍車がかかる。アヒムは戦乱に乗じて傭兵となった。
 傭兵生活も、アヒムにとっては苦しいものだった。兵士としての経験は全くなく、本来ならば傭兵団に雇われるはずはない。だが、戦争で人手不足で苦しんでいる傭兵団があった為に、アヒムは傭兵になる事が出来た。アヒムは、基本的な訓練を暴力と共に叩き込まれる。そして兵士として出来上がってない内に最前線へ投入された。その後は、死と隣り合わせの毎日を送る羽目となったのだ。
 苦しい日々の中で、アヒムは自分の出生の事を妄想して慰めた。俺は、何処かの名家の血を引いているのだ。指輪に刻まれた紋章は、名家の物だ。俺には、富と権力を受け継ぐ資格があるのだ。そう妄想する事で自分を慰めた。
 下らない妄想である事は、アヒム自身が分かっていた。だが、苦しい日々の中では、妄想で自分を支えるしかない。金も権力も能力も無いアヒムには、妄想ぐらいしか自分を支えるものは無かった。
 アヒムは、気が付いてなかった。自分の妄想が事実である事を。

 自分が狙われている事に気が付いたのは、故郷の村が蹂躙されて九年、傭兵になってから五年目の事だ。傭兵生活に慣れたが、生活が苦しい事には変わらない。帝国を初め、大陸の各地をさ迷い歩き続けていた。帝国北部で諸侯同士の戦いが有り、アヒムはそれに参加していた。
 戦いの最中に、同じ陣営にいる傭兵が自分を監視している事に気が付いた。初めは、諸侯に雇われて傭兵を監視している者だと思っていた。それにしては自分ばかり見ている。アヒムは、素知らぬ顔で警戒をした。
 危機はすぐに訪れた。敵との戦闘の最中に、流れ矢がすぐそばに突き刺さった。だが、後方から飛んで来た物だ。味方が間違って射た物かもしれない。そう見せかけて自分を射たのかもしれない。
 アヒムの所属する隊が前線で戦闘した時にも危機があった。打ち合わせでは、途中で味方が援護に来るはずであったが、作戦時には来なかったのだ。その為に隊の半数が戦死し、アヒムは辛うじて生き延びた。後に、援軍を呼ぶはずの伝令が行方不明となった事が分かった。
 明らかに異常な事態が起こっていた。戦場にはありがちな事とは言え、符号が合いすぎる。その後、酒場の屋根が崩れてアヒムの側に落ちて来た事で、疑いは確信に変わる。アヒムは、自分の命を狙う者を探り始めた。
 自分を狙っている者は、一人ではなく複数だと分かった。その中には、明らかに手だれがいる。まともにやり合って勝てる相手では無い。アヒムは逃げようとしたが、傭兵団の契約に縛られている為に逃げる事は出来ない。
 そこで、戦死した様に見せかけて逃げる事にした。わざと激戦地に志願して、戦場の混乱に紛れ込む。そのまま戦場から逃げる。極めて危険なやり方だが、刺客達とまともにやり合うよりは生き延びる可能性はある。アヒムは矢と銃弾にさらされ、槍に突かれそうになりながら逃げ回った。小便を漏らしながら血泥の中を這いずり回った。左手を槍で突かれ小指を無くしたが、何とか戦場から逃げ出す事が出来た。
 だが、逃げる事が出来たのは束の間だ。別の傭兵団に入り、今までいた所から離れた戦場で活動するアヒムを、刺客達が狙い始めた。傭兵達には独自の人脈と情報網がある。刺客達は、それを使っているらしい事が分かった。何故、刺客達はしつこく狙うのかアヒムには分からない。費用も手間もかかっているはずだが、自分に掛ける理由が分からない。
 アヒムは、傭兵から足を洗って別の職に付く事を考える。だが、刺客は自分が住み付いた地を探り当てるかもしれない。外国へ逃げる事も考えるが、傭兵の人脈、情報網は大陸中にある。刺客の執念深さを考えると、外国に逃げて済むとは限らない。
 アヒムは、危険を覚悟で刺客を雇っている者について調べる事にした。逃げ回るよりも、自分の命を狙う者を探ったほうが解決に近いかもしれない。危険に飛び込む事になるが、逃げ回るよりもマシかも知れない。
 こうして、アヒムは自分の出生について近づく事になった。

 危険を冒しながら調べ続けるうちに、刺客を雇っている者の一人を突きとめる事が出来た。刺客の一人の跡を付ける事により、突きとめる事が出来たのだ。その者が一人でいる所を襲撃し、捕える事に成功する。
 空き家に閉じ込めると、その刺客の雇主を拷問にかける。焼けた鉄の棒を全身に押し付けたのだ。ペニスと肛門に繰り返し押し付けたら、その男は泣き喚きながら白状した。
 刺客を放っているのは、帝国の公爵にして選帝侯である大貴族だ。皇帝を選ぶ権利を持つ、帝国屈指の有力者だ。彼は、自分の落胤を始末するために刺客を放っているのだ。その落胤と言うのがアヒムなのだそうだ。アヒムの持っている指輪が証拠であるそうだ。
 アヒムは、肉の焼ける甘ったるい匂いの中で考える。信じがたい話だが、符号が合いすぎる。自分は小舟で流され拾われた子だという父の話、父から渡された紋章が彫られた指輪、繰り返し刺客に狙われる事実。アヒムは、自分が選帝侯の落胤であると信じる。
 仮に本当だとしたら、自分は何処まで逃げても狙われるだろう。だったら、逆に選帝侯に復讐すべきではないか?無謀な考えだが、このまま逃げても命を狙われ続ける事になる。だったら、復讐するために動いた方が良いのではないか?
 勝算が全く無い訳では無かった。その選帝侯については、一緒に働いていた傭兵から聞いた事が有る。領内で圧政を行っている為に、その領内では農奴の反乱が起こり、盗賊団が出没しているそうだ。ならば領内に潜り込み、選帝侯に反逆する一派に加われば勝算はあるかもしれない。
 アヒムは刺客の雇主を始末すると、その選帝侯の領内に潜り込んだ。そして領内を探りまわっている内に、農奴の反乱勢力と接触する事が出来た。アヒムは、自分が経験豊富な傭兵であると売り込み、その反乱勢力に加わる事が出来た。
 アヒムは、反乱勢力の一員として野から野へ、山から山へと駆けずり回りながら戦った。傭兵生活を経験していても、苦しい戦いであり苦しい生活だ。その生活を支えるものは、父である選帝侯への憎しみだ。
 反乱勢力に加わって、事情がわかって来た。選帝侯の落胤の事は、領内では有名な話しだった。領内では、半ば公然と言われている状態だ。
 選帝侯は、女官の一人に手を付けて子を産ませた。だが、大貴族の娘である妻の眼が光っていた。また、倫理の担い手である主神教団からも白い目で見られる事となる。加えて、占い師から不吉な予言をされていた。
 この子はいずれ選帝侯を殺し、選帝侯領を亡ぼすであろう。帝国全土に混乱をもたらすであろうと。
 選帝侯は女官に生ませた子を疎んじ、始末する事に決めた。自分の臣下の者に抹殺する事を命じた。
 だが、その臣下の者は女官と密かに通じる者であり、子を助けようと図った。子を小舟に乗せ、女官から渡された指輪と共に流したのだ。そして選帝侯には子を殺したと報告した。
 その詐術は最近露見し、その臣下の者は抹殺された。子を産んだ女官は、既に病死していた。毒殺されたと囁かれている。そして、落胤を殺すための刺客が放たれたと言う訳だ。
 アヒムは、領内に掲げられている選帝侯の旗に付いている紋章を見た。自分の指輪に掘られている紋章と同じである。
 アヒムは、自分の人生を思い出していた。貧農としての苦しい生活、育ての親を殺された惨劇、下賤な職に就きながら彷徨した日々、傭兵としての死と隣り合わせの日々、刺客に狙われ死の淵を見た日々。その苦しみは、父である選帝侯への憎しみを掻き立てる。憎しみだけが支えだ。復讐する事が人生の支えだ。
 だが、復讐はいつまでたっても達せられそうにない。反乱勢力や盗賊達はまとまりが無く、各地に分散している。農奴達の中には、強者である選帝侯に這い蹲り、反乱勢力を通報する者も多い。反乱勢力は選帝侯によって次々と狩られ、嬲り殺しにされている有様だ。
 アヒムは、選帝侯を亡ぼすと予言されている落胤だと名乗り出て、反乱勢力をまとめようと考えた事もある。だが、諦めるしかなかった。アヒムには、指導者としての資質は無い。選帝侯の落胤だと名乗り出ても、まともに相手にされないだろう。指輪を証拠にしてみても、指導者としての資質が無ければ意味は無い。反乱勢力をまとめるどころか、自分が選帝侯の標的にされるだけだ。
 このままでは、俺は復讐するどころか選帝侯に狩り出されるだけだ。アヒムは、絶望に蝕まれつつある。その時、思わぬ神の使いがアヒムの前に降臨した。

 神の戦士ヴァルキリーが降臨した時の事を、アヒムは良く覚えている。曇天であり日中であるにもかかわらず暗い野に、天から一条の光が差した。その光に照らされて、蒼穹を思わせる鎧をまとい純白の翼を広げた者が降りて来たのだ。
 光り輝く戦乙女は、アヒムの前に降り立つ。戦いと逃走の日々に汚れた格好をしているアヒムに、人間離れした美貌の女は告げる。あなたを神の戦士として育てる為に来たと。
 アヒムは、茫然としてまともに応える事が出来なかった。底辺を這いずり回りながら生きて来たアヒムに、戦乙女が戦士として育てるというのだ。まともに応えろと言う方が無理な話だ。
 戦乙女の説明によれば、アヒムは高貴な血を引いている。加えて兵士として戦場経験もある。神の戦士として育てる価値があるのだそうだ。
 アヒムは、呆然としてまとまらない頭で考え続ける。戦乙女がどう考えようと、自分には神の戦士になる事は無理だ。自分の能力の無さを、生まれた時から思い知らされて来たのだ。第一、自分の目的は復讐であり、神の戦士として魔物と戦う事では無い。
 その時、一つの考えがアヒムの頭に浮かび上がって来た。この戦乙女を、自分の復讐のために利用する事は出来ないかと。
 この地に神の王国を築き上げる事を戦乙女に吹き込もうと、アヒムは考えたのだ。戦乙女の人間離れした高貴な姿と力を見せ付ければ、反乱勢力をまとめ上げる事が出来る。虐げられた民衆でありながら反乱勢力を嗤っていた者達も、反乱勢力に引き込む事が出来る。だが、反乱に協力しろと言っても、戦乙女は拒否するだろう。神の王国を築くためと言えば協力するかもしれない。
 戦乙女は、初めは渋った。彼女が命じられた事は、アヒムを神の戦士にする事だ。神の王国を築く事では無い。
 だが、アヒムは説得を続けた。今の世界は、主神の影響力は低下している。主神教団は堕落し、主神の信徒達も分裂して争い合っている。魔物や異教徒達は、ますます勢い付いている。この地の者は圧政に苦しみ、神に救いを求めているのだ。自分を神の戦士にする事よりも、この地に神の王国を築く方が主神の御心に従う事なのではないか。
 アヒムは、戦乙女に選帝侯領内を案内する。虐げられて苦しみ、荒んだ者達を見せ付けた。神に救いを求め、すすり泣きながら死んでいく者達を見せ付けた。
 戦乙女は、苦悩を浮かべた表情で神の王国建設を行う事を告げる。自分はその為にアヒムと共に戦うと。
 アヒムは、微笑みを浮かべて考えた。これで復讐が可能になるかもしれないと。

 こうして千年王国の建設が始まった。まず、アヒムが参加している反乱軍の指導者の地位を奪う事から始める。これは容易く進んだ。戦乙女は自分の力を見せ付け、神に遣わされた事を証明する。停滞の中に沈んでいた反乱軍は、戦乙女ヴァルトラウテを指導者へと擁立した。彼らは、戦乙女に掛けたのだ。
 反乱勢力を握ったヴァルトラウテ達は、他の反乱勢力と接触した。表向きは協力関係を結ぶ事だが、他の反乱勢力を乗っ取る事が目的だ。他の反乱勢力の者達も停滞に沈み、変化を求めていた。彼らは、神々しく輝くヴァルトラウテに魅了される。ヴァルトラウテは、千年王国建設へと彼らを扇動した。アヒムは、ヴァルトラウテに魅了された者達を引き込む裏工作をする。こうして分散した反乱勢力は、ヴァルトラウテの下に結集していく。
 ヴァルトラウテ達は、選帝侯領内にはびこる盗賊団も支配下に置いていった。彼らは元農奴や貧農だ。圧政に怒り盗賊団になったが、反乱を起こして選帝侯に復讐したいと考えている。ヴァルトラウテは、結集した反乱軍の勢力を見せ付けて盗賊団を威圧する。そして神の使いとしての力を見せ付ける。その上で選帝侯へ復讐する事を訴えた。盗賊団は、ヴァルトラウテの支配下に収まっていった。あくまで従わない盗賊団もあったが、ヴァルトラウテ達は彼らを力で亡ぼした。
 ヴァルトラウテ達は、選帝侯領内の民衆を反乱へと引き込み始めた。反乱勢力に加担する者に事前に町や村で工作をさせる。その上で、町や村に忍び込んで扇動演説を行うのだ。
 演説をする時間は、夕方と決めている。夕方は、仕事から帰る疲れた人々が歩く時間だ。彼らは、疲労で判断能力が低下している。その疲れた者達を、夕方のもたらす視覚効果を利用して扇動するのだ。赤い夕陽は、黒い闇へと飲み込まれて行く。その中で炎を焚いて照らす。人は、闇を恐れ炎に惹かれる性質を持つ。闇と炎で人々を煽るのだ。
 演説の前は、打楽器や管楽器で重低音を流す。赤と黒が交差する中に金の聖具の型が縫い取られた反乱軍の旗が林立し、夕日と炎に照らされる。音と色彩、炎で、聴衆の感情を高ぶらせるのだ。
 日が闇に飲み込まれる寸前に、天空から光に包まれたヴァルトラウテが降臨する。白い翼を広げる神の戦士が、輝きに包まれて大地へと降り立つ。ヴァルトラウテは光を放ち、人々を照らす。そして演説を始める。
 ヴァルトラウテは、歌うように演説する。演説を音楽と見なし、言葉を音として聴衆に叩き付けた。怒り、憎悪、攻撃、戦い、粉砕、打倒、勝利、この様な言葉を叩き付けて聴衆を刺激し、酔わせた。論理的に説得するよりも、感情を煽る事を優先して演説する。民衆は、理念を論理的に話しても動かない。情を煽り、利で釣れば動く。選帝侯が収奪するからあなた達は貧しい、選帝侯を倒せば豊かになれると扇動する。ヴァルトラウテは、声が会場全体に響く魔法を使い、聴衆全体に声を届かせる。
 ヴァルトラウテの一連の行動は、アヒムが脚本を書き、演出したものだ。アヒムは、長い底辺の生活の中で、憎悪を込めて人間を観察してきた。そして人間の弱点を見抜く事に情熱を注いできた。その観察に基づいて脚本を書き、演出したのだ。
 協力者を見つける事も出来た。アヒムは劇団の人間を味方に付け、ヴァルトラウテに演技を学ばせる。劇団の人間と協力して、演説の演出を行う。詩人と修道僧崩れを味方に引き込み、ヴァルトラウテの演説する言葉を協力して考える。こうしてアヒムは、ヴァルトラウテに千年王国の指導者を演じさせた。
 事が上手く進んだ訳は、ヴァルトラウテに演技の才能があった事も大きな理由だ。アヒムにとって、ヴァルトラウテは望みうる最高の役者だ。千年王国の指導者を演じるという、アヒムには決して出来ない事をやってくれた。
 演説は成功を収め続けた。虐げられた民衆は、ヴァルトラウテに煽られていった。反乱軍へ参加する者達は続出し、勢力を拡大し続けた。
 選帝侯側はヴァルトラウテを危険視し、殺そうと画策した。だが、演説現場で捕えようとすると、ヴァルトラウテは戦乙女としての力を使い悠々と引き揚げる。加えて民衆達が逃げる事に協力してくれる。選帝侯が反乱軍に刺客を潜り込ませようとしても、警護が厳重な上にヴァルトラウテの戦士としての力量は高い。しかもヴァルトラウテの協力者が選帝侯側の者の中に出来たため、刺客の事は事前に漏らされる。
 こうして千年王国の勢力は拡大していった。圧政を敷いていた選帝侯をしのぐほどの勢力を、選帝侯領内に得る事が出来た。ヴァルトラウテ率いる軍は、選帝侯の軍を打ち破り続ける。ヴァルトラウテは、軍の指揮官としても有能である。農奴や貧農がほとんどである軍を指揮して、戦う事を専門とする選帝侯側の軍人達を打ち破った。そして、ついに選帝侯の本拠地である城塞都市を包囲するまでになった。

 アヒムは、復讐すべき対象である選帝侯のいる城塞都市を見つめていた。無個性な顔は無表情だが、眼は興奮でぎらついている。その眼は、狂気すらはらんでいた。
 俺は、この時を待っていた。選帝侯とその犬どもを皆殺しにする時を待っていた。俺を這い蹲らせてきた奴らを、切り刻む事が出来るのだ!アヒムは、声に出さずに絶叫する。
 戦いは恐怖に満ちたものだ。だが、恐怖をしのぐ歓喜がある場合もある。復讐する歓喜は、恐怖を押しのけてアヒムを満たす。
 アヒムは、ヴァルトラウテの演説を思い出す。闇と炎の中に、ヴァルトラウテの叩き付けるような言葉が響き渡っていた。

 闇の中に炎を掲げよ。闇の中に神の印を掲げよ。世界を炎で照らせ!
 灼熱の中を歩いた事の無い者は、炎の祝福を受けない。戦わぬ者には、神は姿を現さない!
 戦いは自然の摂理であり、戦いこそが人生だ!戦いこそが万物の根源であり、戦いによって人は前へ進むのだ!
 肉食獣の誇りを思い出せ。戦いこそが生の目的だ。力への意思を持て!

 演説の内容は、アヒムが考えて詩人と修道僧崩れが手を加えたものだ。それをヴァルトラウテが、目の前の状況に合わせて演説する。アヒムにとっては自分の言葉だ。
 だがアヒムは、自分が組み立てたはずの言葉に酔いそうになる。身を焼き尽くすような力と闘争への意思。それこそが自分の人生の根源であり、目的そのものではないのか?アヒムは、神の祝福にも匹敵する歓喜に浸る。
 ふとアヒムは、自分は本当に神に選ばれた預言者かもしれないと思い始める。何もかも符号が会いすぎる。選帝侯の血を引く自分、数々の死地を切り抜けてきた自分、神の戦乙女に選ばれた自分、そして選帝侯領を千年王国へと変える事に成功しつつある自分。神に選ばれた預言者でなければ、ここまで常識を超えた事が重なるのか?
 アヒムは首を振って否定する。馬鹿馬鹿しい。偶然が重なっただけだ。千年王国だって、復讐のために造り上げた道具に過ぎない。自分は預言者だと思い込むほど、俺は狂ってはいない。
 アヒムは自分の妄想を振り払い、城塞都市を見つめる。そろそろ始まるはずだ。この城塞都市を血で染める仕掛けが。
 轟音と共に城壁の一角が砕けた。黒煙が高く上がり、砕けた城壁の破片が飛び散る。黒煙が晴れ始めると、城壁の一角が崩れ落ちている事が分かる。
 アヒムは微笑みを浮かべる。城塞都市の中に、千年王国の信徒がいるのだ。彼らは兵に紛れて、城壁の弱い部分を爆破する手はずになっていたのだ。
 アヒムは、白馬に乗るヴァルトラウテを見る。ヴァルトラウテは頷き、全軍に突撃命令を出す。城塞都市を揺るがすほどの鬨の声が上がる。
 殺戮の嵐が始まった。

 アヒムは、兵を指揮しながら豪奢な館へなだれ込んだ。館は、城塞都市の中心にある選帝侯の住処だ。アヒムが求めている者がいる所だ。既に、千年王国の軍は城塞都市内に進軍し、選帝侯の軍を各地で掃討している。
 館には兵が大勢おり、アヒムが指揮する兵と血みどろの戦いを繰り広げている。選帝侯の館は、皇帝の宮殿に次ぐ豪奢な物だ。大理石で造られ金で装飾された館は、血に汚れ泥靴で蹂躙されている。洗練された造りの館の部屋や廊下には、剣と槍が打ち鳴らされる音、そして怒号と悲鳴が響き渡っている。
 アヒムは、返り血を浴びながら剣を振るう。血みどろの戦いなのに恐怖は無い。異常なまでの力がアヒムに湧き、感情が高揚する。選帝侯の臣下達を殺戮する快楽に酔い痴れているのだ。返り血を浴びるごとに快楽は強くなる。アヒムのペニスは怒張していた。
 大広間に出ると、兵達に守られている男がいた。宝石で装飾された豪奢な鎧を身にまとい、兵を指揮している。アヒムは笑い声を上げる。復讐すべき男についに会えたのだ。
 アヒムは兵に突撃を命じる。選帝侯を殺せと絶叫する。アヒムは、剣を振るって選帝侯に向かって切りかかっていく。前を遮る選帝侯の兵に剣を叩き付け、血を飛び散らせる。血を浴びながら笑い声を上げる。
 選帝侯の目の前まで切り進み、選帝侯に向かって血刀を振りかざす。
「よう、おやじ、久しぶりだな!俺はお前の息子だよ!」
 そう言い放つと、アヒムは狂ったように笑う。選帝侯は、アヒムをまじまじと見る。選帝侯の顔は兜で覆われているが、眼の部分は空いている。選帝侯は、狂人を見る目でアヒムを見ていた。
 アヒムは剣を突き出した。剣は選帝侯の眼に突き刺さる。血潮と絶叫が同時に噴出した。アヒムは剣をさらに突き入れ、左右に動かして肉をえぐる。骨を砕き、脳を掻き回す。アヒムは狂笑しながら倒れた父の体を粉砕し、砕けた肉と骨、脳を血と混ぜ合わせる。噴き出す混合物を避けずに浴び、アヒムは笑い続ける。常人には耐えられぬ臭いに覆われながら、アヒムは笑う。
 アヒムは、選帝侯から剣を抜く。赤黒い混合物で汚れた剣を掲げる。父殺しの男は、選帝侯を打ち取った事を歓喜と共に宣言した。

 城塞都市では虐殺が行われていた。もはや勝敗はついており、降伏を願い出る者が出ていた。だが千年王国の兵は、選帝侯側の兵を片端から剣と槍で血と肉の塊に変えている。兵士以外の役人達も殺していた。武器を持たぬ彼らを、千年王国の兵達は笑いながら槍で突き、剣で切り刻む。剣と槍の犠牲になった者の中には女官もいる。
 殺された者は、兵士や役人だけでは無い。裕福な者達は、選帝侯に協力して収奪した者として虐殺の対象となった。千年王国の兵は、女子供を含む大勢の者の首をはね、腹を槍で突き刺す。彼らの屍を、立派な造りの家にばら撒く。
 主神教団側の神父やシスターも殺されている。主神教団は選帝侯と組んでおり、選帝侯の圧政を正当化していた。千年王国側は、神の名を騙る罪人と見なし、神父やシスターを激しく敵視している。教会の中には、手足を切断され腹から臓物を引きずり出された死体が転がっている。屍の中には、ペニスを切断された者やヴァギナをえぐられた者もいる。
 虐殺はアヒムが仕組んだものだ。選帝侯とその臣下の者達を憎む民衆により、千年王国の兵は成り立っている。彼らの憎悪を煽り、虐殺へと仕向けていた。さらに、その中でも虐殺に適した者達を組織し、掃討戦を行う部隊に配置したのだ。
 アヒムは、選帝侯とその犬を皆殺しにする事を望んでいる。だがヴァルトラウテは、戦乙女だが無益な殺戮は好まない。極力犠牲を出さない軍事作戦を立てる。だから、ヴァルトラウテに軍事作戦に目を向けさせて、その隙にアヒムは虐殺を仕組んだのだ。
 アヒムの計画は成功した。今、城塞都市では虐殺が荒れ狂っている。ヴァルトラウテは虐殺に気付いたが、もう遅い。
 城塞都市は、屍と血で埋め尽された。

 アヒムは、城塞都市の中を歩き回っていた。殺戮は一通り終わり、生き残った市民は屍を片付けている。城塞都市の外では穴が掘られ、屍を埋める準備が進んでいる。報告によると、選帝侯側の死者は二万人近くいるそうだ。その半分以上が、戦闘では無く虐殺によるものだ。
 都市の中には死臭が充満し、慣れない者が嗅げば嘔吐するだろう。アヒムは、その悪臭の中で微笑みを浮かべながら歩いている。
 俺の復讐は、かなり達せられた。うまくいきすぎたくらいだ。復讐する事は無理だと何度も諦めかけたが、ついに選帝侯とその犬どもを屠殺できた。
 アヒムは、笑みを抑える事が出来ない。周りに人がいなければ、大声で笑い出してしまうだろう。
 俺は、幸福とは何かを実感する事が出来た。復讐する事で、人は幸福になれるのだ。自分の人生の目的を達し、自分の人生に意味づけする事が出来る。生まれてきてよかったと実感する事が出来る。
 アヒムは、建物の窓から吊り下げられた二体の死体を眺めた。死体にはプラカードが掛けられている。男の死体には「私は、選帝侯に尻尾を振った犬です」と書いたプラカードが掛けられている。女の死体に掛かったプラカードには「私は、選帝侯の犬に股を開いた売女です」と書いている。アヒムは、堪え切れずに吹き出してしまう。
 笑いを抑えると、アヒムは考えに沈む。俺の復讐はこれで終わった訳では無い。選帝侯領には、まだ選帝侯の犬どもが残っている。奴らを狩り出さなければならない。そして戦乱を帝国全土に広げなくてはならない。帝国全土には、圧政に苦しむ者が大勢いる。奴らを煽るのだ。
 アヒムは、皇帝を初めとする帝国諸勢力は既に動き始めていると予測している。主神教団本部も動いているだろう。千年王国を亡ぼそうとする諸勢力に対する防衛態勢を整え、帝国全土の民衆を蜂起させる為の扇動を行わなければならない。
 五日後には千年王国建国宣言を行い、ヴァルトラウテは女王として戴冠する。その後軍を再編成して、選帝侯領内全土を掌握する。選帝侯領内の男子を徴兵して、軍拡をしなくてはならない。そうして皇帝を初めとする諸勢力と戦う事が出来るのだ。
 アヒムの顔に、また笑いが浮かぶ。俺が、これほど大きな事を出来るとは思わなかった。底辺をゴミ虫のように這い回っていた、この俺が!
 アヒムの中に、また自分についての疑問が湧き上がる。本当に自分の意志だけでやっているのか?俺は、誰かから動かされているのではないか?俺は、神の意志に従ってやっているのではないか?
 そうでなければ、これほどうまくいくはずが無い。現に神は、戦乙女を俺の所に派遣した。千年王国建設は、神の意思によるものかもしれない。俺は、本当に千年王国の預言者かもしれない。
 アヒムは頭を振る。俺はどうかしている。俺は預言者では無い。俺は、神を利用して復讐をしているだけだ。千年王国は、あくまで復讐のための道具だ。
 アヒムは、疑問を振り捨てて大股で街路を歩き始めた。

 部屋の中は、濃密な熱気と性臭が立ち込めていた。大理石で出来た室内は、絹と毛皮で所々が覆われている。金銀の燭台が、豪奢な部屋の中を照らしている。その部屋の中には、絹と毛皮で覆われた寝台があった。寝台の上には男と女が重なり合っている。熱気と性臭は、そこから放たれていた。
 寝台の上で交わり合っているのは、アヒムとヴァルトラウテだ。お互いに一糸まとわぬ姿となり、体中を汚し合いながら性の快楽に浸っている。二人は激しい喘ぎ声を上げ、濡れた肉をこする音を響かせる。
 二人は、今では肉体を交える関係となっている。アヒムは、ヴァルトラウテと共にいる内に、彼女に欲望を持つようになった。ヴァルトラウテは、彫りの深い整った美貌を持つ。筋肉が付き引き締まった体と豊かな胸の組み合わせは、肉感的な魅力がある。共に側で過ごす内に、ヴァルトラウテの体の甘い匂いをしばしば嗅ぐようになった。神に仕える戦士だとは分かっていたが、アヒムは欲望を抑えられなくなってきた。
 それでもアヒムは、自分の立場を考えてヴァルトラウテへの欲望を抑えようとした。娼婦を買い、激しい欲望を抑えようとした。だが、性の専門家である娼婦の技巧も、ヴァルトラウテへの欲望を抑える事は出来ない。娼婦を貪るよりも、ヴァルトラウテの側にいてその姿を見て、匂いを嗅ぐ事を望んでしまう。
 ついにある日、アヒムはヴァルトラウテを抱きしめてしまった。冷然とした戦乙女は自分を撥ね付けるだろうと、アヒムは抱きしめながら恐れ戦く。だが、ヴァルトラウテはアヒムを拒否しなかった。アヒムを抱き返し、顔を摺り寄せて来たのだ。
 その日以来、二人は体を交え欲望を満たし合った。人間には不可能な完璧さを持つ美貌と肢体を、アヒムは獣じみた激しさで貪った。ヴァルトラウテは、自分を貪る雄と積極的に体を重ねた。何故、ヴァルトラウテが自分を受け入れたのか、アヒムには分からない。分からないままアヒムは、天界から遣わされた自分の導き手を貪った。
 現在、ヴァルトラウテは千年王国の女王として君臨している。アヒムは、宰相としてヴァルトラウテを補佐している。二人は、選帝侯の館で政務を取りながら、夜はこうして体を交えていた。近日中に二人の婚約が発表され、二人の関係は公然の事となる。
 アヒムは、ヴァルトラウテに顔を寄せて口を貪る。ヴァルトラウテの顔は精液で汚れ、濃厚な臭気を放っていた。だがアヒムは、構わずにヴァルトラウテの口を貪り続ける。ヴァルトラウテも、アヒムの口の中に舌を潜り込ませてくる。二人の口の間からは唾液がこぼれる。
 アヒムは、ヴァルトラウテから顔を離し立ち上がった。怒張しているペニスを、冷たく整っている顔に付きつける。ヴァルトラウテは、粘液で汚れているペニスに恭しく口付けた。桃色の舌を汚れたペニスに這わせて奉仕する。アヒムは震えながら呻く。
 ヴァルトラウテは、ペニスから口を離して自分の胸に手を当てた。染み一つない白い胸は、既に精液と汗の混合物で汚れている。ヴァルトラウテは、滑る豊かな胸でわななくペニスを挟み込む。そのまま揉み解すように胸を動かす。白い胸の谷間から顔を出す赤黒いペニスの先端を、濡れた唇で口付け舌を這わせた。
 アヒムはヴァルトラウテから体を離し、彼女を押し倒す。筋肉で引き締まった腿に手を当て、股を開かせる。金色の薄い陰毛は、愛液と精液で濡れそぼっている。桃色のヴァギナは、液を溢れさせながら震えている。アヒムは、凶暴なほど反り返っているペニスを熱い泉の中へと埋め込んだ。
 アヒムは、熱い肉に覆われた泉をペニスで掻き回す。ヴァルトラウテに腰を叩き付け、濡れた肉がぶつかり合う音を響かせる。ヴァルトラウテは、アヒムの激しい腰使いに慣れた様子で応える。アヒムに合わせて腰を動かし、肉の渦でペニスを引き絞る。
 アヒムはヴァルトラウテに覆いかぶさり、喘ぎ声を上げる口に吸い付く。渦を巻く黄金色の髪を見ながら、舌を絡ませる。アヒムは首筋に舌を動かしていき、ヴァルトラウテの髪に顔を埋める。アヒムの顔を甘い匂いが覆う。アヒムは肩を舐め、汗で濡れ光る腋を舌で貪る。
 アヒムは体を起こし、ヴァルトラウテの泉からペニスを引き抜いた。怪訝そうな顔で見つめるヴァルトラウテを、腰に手を当てて引っくり返す。ヴァルトラウテを犬のように這い蹲らせると、後ろから股を開かせてペニスで攻め立てる。
 天界の戦士を、犬のように這い蹲らせて犯す。アヒムは、興奮のあまり激しく腰を叩き付け、部屋中に肉のぶつかる音を響かせる。ヴァルトラウテは、屈辱的な格好をして微かに顔をしかめる。だが、そのままアヒムに応えて腰を動かし続ける。
 雄と雌の交わりは、いつ終わるか分からぬまま続いた。

「人の死が多すぎます」
 ヴァルトラウテは唐突に言った。アヒムとヴァルトラウテは、激しい交わりを終えて共に寝台に横たわっている。アヒムは精臭を楽しみながら、けだるい体を横たえていた。ヴァルトラウテは身を起こし、アヒムを覗き込んでいる。
「この城塞都市で、多くの人が死にました。選帝侯領内全体でも、殺戮が繰り広げられています」
 アヒムは、横たわったままヴァルトラウテを見た。ヴァルトラウテは、青氷色の眼でアヒムを見つめている。
「神の国を築くためには、ある程度の人の死は仕方がない。主神の教えがこの大陸全土に広げられた時も、血は流れた」
 それは事実だ。一つの宗教勢力が拡大する時は、血が流れる事が多い。主神の教えも同じだった。
「必要最小限の血が流れる事はやむを得ません。ですが、今は必要のない血も流れています」
 ヴァルトラウテの青い眼差しは、アヒムの心の中まで入ってくる様だ。アヒムは背を向ける。
「行き過ぎの行為は取り締まるようにしよう。ただ、神の国を築くためには急ぐ必要もある」
 現在、千年王国の体制は急激に作られていた。財産は共有物とされ、裕福な者から没収している。また一五歳以上の男子を、兵士として徴収している。ヴァルトラウテは、その徴兵によって作られた軍を率いて、三日後に進軍しなくてはいけない。皇帝が、大軍を揃えて千年王国の領土に迫っているのだ。
 ヴァルトラウテの監視の眼が光る為に、アヒムは殺戮と破壊をしにくくなっている。千年王国の領土内で選帝侯の犬だった者を狩っているが、殺さずに逮捕して裁判にかけなくてはならない。アヒムの扇動により虐殺も行われているが、虐殺を行った者は罪人として捕えられている。
 ヴァルトラウテがいない間に、やる事をやらなくてはならない。闇と炎の祝祭を行う必要があるのだ。アヒムは、声に出さずに呟く。
 ヴァルトラウテは、アヒムの背を無表情に見つめていた。

 夕闇が広場に迫っていた。赤と黒が入り混じる世界の中で、人々が大勢集まっている。城塞都市の広場は所々に篝火が焚かれており、打楽器や管楽器の重低音と共に人々の興奮を高めている。
 何時もならば、ヴァルトラウテが演説するはずだ。だが、彼女は皇帝軍と戦うために城塞都市を出ている。この闇と炎の祝祭を主宰するのはアヒムだ。アヒムは、黒い制服に赤いマントを羽織っている。制服とマントには、金糸で聖具の型の縫い取りがある。千年王国の幹部が着る服だ。アヒムの服は炎に照らされ、金の部分が輝いていた。
「これより浄化を行う!」
 アヒムの宣言により祝祭は始まった。広場の各所には火刑台が設けられ、そこで焚かれる人々が連行されてくる。また、広場の一角に本が山積みとなっている。その周りには、篝火を掲げた兵が控えている。
 連行されている人々は、千年王国に害をもたらすと見なされた人々だ。財産没収に抵抗する人、徴兵に反対する人、選帝侯の犬だったと見なされた人々、皇帝や主神教団の手先と見なされた人々だ。彼らは、城塞都市だけでは無く千年王国の全土から集められた。本来は裁判にかけられるために拘束されていたが、アヒムは彼らを火刑台の所に引き出した。
 広場に積み上げられた本は、有害な書と見なされた物だ。主神教団の教えを広める書、宗教に関する研究書、哲学書、歴史書、詩、戯曲などだ。選帝侯は民から収奪を行っていたが、その一方で学芸の保護者であった。城塞都市には膨大な本が集められ、そして著述が進められていた。その成果を燃やそうというのだ。火刑に掛けられる者には、神父、シスター、学者、詩人、劇作家などもいる。
 本の山に火が着けられた。あらかじめ油を巻いていた為、見る見る燃え上っていく。周りを取り囲む民衆は、笑いながら本を火の中に投げ込んでいく。古代世界の知的成果、現在の学芸による成果が、民衆の歓喜の中で燃え上がっていく。
 続いて、火刑台に火が着けられた。絶叫と共に、肉の焼ける甘い匂いが広がり始める。炎は、千年王国に不要とされた人々を激しい苦痛を与えながら破壊していく。千年王国の民は、炎で焼かれる人々の周りで踊っている。
 闇に覆われた千年王国は、炎によって輝いていた。

 アヒムは、闇の中で燃え盛る炎を見ながら恍惚としていた。人間は、闇を恐れ炎を賛美する。アヒムはその性質を利用してきた。だが、利用してきたはずのアヒム自身が、闇を照らす炎に酔っている。
 これが俺の王国だ。俺は、闇と炎の王国を手に入れたのだ。俺の糞以下の人生を浄化する千年王国だ。
 アヒムは、本が、人が焼かれていく姿に陶然とする。赤と黒の王国、赤と黒の世界がアヒムの存在を歓喜で震わせる。
 俺は千年王国の預言者だ。
 歓喜の中で、自分の言葉が染み渡ってくる。闇と炎と共に染み渡ってくる。
 俺は今こそ認める。俺は、神に選ばれた預言者なのだ。俺は、自分の復讐のために千年王国を利用しているつもりだった。だが、違う。神は、俺の復讐心を利用したのだ。神は、俺に千年王国を築かせたのだ。全ては、神の意志によるものだったのだ。
 本と人が焼かれ、その周りで音楽が奏でられ人々が踊る。炎の乱舞が、アヒムを闇の中で照らし出す。
 考えてみれば当然だ。底辺を這い蹲り続けた俺が、実は選帝侯の血を引いていたという事自体が、人の思惑を離れたものだ。だからこそ、神の戦士ヴァルキリーが俺を導くために降臨した。俺は、彼女と千年王国を築く事が出来た。本来ならば、俺の意志や力では出来ない事のはずだ。神の意志と力があったからこそ達成できたのだ。
 本と人が次々に焼かれる。赤と黒の世界で、苦悶の叫びと歓喜の叫びが交差する。
 俺は、復讐のために破壊と殺戮をして来たつもりだった。だが、それは違う。俺は、神の命に従い破壊と殺戮を行ったのだ。俺のやった事は浄化だ。
 アヒムの体は震え、表情は恍惚としている。歓喜に震える自分の体を、アヒムは強く抱きしめる。
 俺は、世界を浄化しなくてはならないのだ!

「何故、人を焼き殺したのですか!本を焼き払うとはどういうつもりです!」
 ヴァルトラウテの怒号が部屋の中に響き渡った。軍を指揮する神の戦士の怒号は、常人ならば震え上がるだろう。だが、怒鳴られたアヒムは微笑みを浮かべている。
「神の王国に害しかもたらさぬ者達を焼いたのだ。焼いた本は、有害な考えを広める悪書だ」
 穏やかに答えるアヒムを、ヴァルトラウテはねめつける。ヴァルトラウテは、皇帝軍を打ち破り凱旋してきた。だがヴァルトラウテのいない間に、アヒムは裁判なしに人を火刑に掛け、知の財産である本を焼き払ったのだ。ヴァルトラウテが怒るのは当然の事だ。
「処刑は、裁判の結果として行わなくてはなりません!本を焼き払うなど、蛮行以外の何ものでもありません!こんな事は言うまでも無い事です!」
 ヴァルトラウテは、アヒムに怒号を叩き付ける。だが、アヒムは相変わらず涼しい顔だ。
「これは神が命じた事だ。罪人を地上から焼き払い、神の法廷へと突き出したのだ。彼らは、地上の法廷では無く神の法廷で裁かれるだろう。本は、実用書は焼かずに残している。神の教えに反する有害な物は、存在そのものが無益だ。神が焼き亡ぼす事を命じられたのだ」
 アヒムは、あくまで穏やかに話し続ける。
「馬鹿な事を言うのはいい加減に……」
 ヴァルトラウテは、怒号を放つ事を途中でやめた。驚愕の表情でアヒムを見る。
 アヒムの話し方は穏やかだ。表情と眼差しも穏やかであり、微笑みを浮かべている。だが、正気と狂気の境を越えてしまった者の表情であり、眼差しだ。
「世界は浄化しなくてはならないのだ。俺は神に命じられたのだ」
 狂った男は静かに話す。
 神の戦士は、千年王国の預言者を無言で見つめていた。

 アヒムは、窓から城塞都市を眺めていた。城塞都市は昼の光の中で輝いている。屍や破壊された物の後始末は済み、清潔で整然とした見かけとなっている。人によっては、千年王国にふさわしいと見なすかもしれない。
 だが、アヒムが見ているのは現実の城塞都市では無い。アヒムが夢見る千年王国を見ていた。千年王国の軍は、皇帝や選帝侯、諸侯達を打ち破る。千年王国は帝国全土に膨張する。諸外国も打ち破り、その勢力は大陸全土に及ぶ。神の代理人を僭称する教皇の率いる主神教団も亡ぼす。
 その後は、魔物達や異教徒達を殲滅する。存在そのものが悪である者達を亡ぼし、世界は浄化される。千年王国は全世界に広がる。地上は神の王国へと変わるのだ。
 世界は闇に沈んでいる。その闇の中心に光り輝く大聖堂が建つ。その大聖堂には、神にして王たるヴァルトラウテが君臨する。アヒムは、教皇にして宰相としてヴァルトラウテの側に控える。ヴァルトラウテを通して主神の光が放たれ、闇に沈む世界は輝くのだ。
 闇を照らす物は、ヴァルトラウテの光だけでは無い。闇の中にはおびただしい数の火刑台が燃え盛り、闇の中を赤く照らす。火刑台は、世界にとって汚物でしか無い者達を浄化する。火刑台は世界の果てまで続き、全世界を浄化するのだ。
 アヒムは、彼の千年王国を見ながら微笑んでいた。恍惚としながら、闇と炎の王国を見ている。
 ヴァルトラウテは、沈んだ表情でアヒムを見つめていた。

 アヒムは、執務室で千年王国拡大計画に取り組んでいた。彼の計画は、今のところ順調に進んでいる。千年王国の内部体制は整いつつあり、安定してきている。最大の問題となる食糧問題も、徴兵した者達を交代で農作業に戻す事でうまくいきそうだ。市場への強引な介入により、価格統制は進んでいる。治安も、反対派の粛清が進んだ事により、今のところ平穏さを保っていた。
 対外問題もうまく進んでいる。ヴァルトラウテ率いる軍が皇帝軍を破った事で、諸勢力はうかつに手を出してこない。千年王国側は、帝国全土に工作員達を派遣して扇動を行っている。圧政に苦しんでいる民衆は、神の戦士であるヴァルトラウテに期待していた。既に各地で反乱の手筈が整って来ている。千年王国の者を異端者と非難する主神教団は、反千年王国の扇動をしている。だが、同じ扇動ならば、ヴァルトラウテを掲げる千年王国の方が有利だ。
 アヒムは、微笑みながら執務を中断した。窓からは夕陽が差し込んでいる。室内は赤く染まり、壁に掛けられた金の聖具は輝いている。アヒムは、体を弛緩させて赤い光を浴びた。
 扉が開き、部屋の中に入って来た者がいる。アヒムは振り返り、入って来た者の方を見る。女王にして妻たるヴァルトラウテが入って来たのだろう。アヒムは、微笑みを浮かべながら迎える。
 アヒムの表情は凍り付いた。入って来た者は、ヴァルトラウテにしてヴァルトラウテでは無かった。日の光を反射していた金の髪は、月の様な銀の髪に変わっている。白く輝いていた肌は、暗い青に変わっている。純白であった翼は、闇を思わせる漆黒となっていた。いつも纏っている蒼穹の様な鎧では無く、血を思わせる赤色に縁どられた漆黒の鎧をまとっている。
 アヒムは、ヴァルトラウテの顔を見つめた。確かに、ヴァルトラウテの見慣れた美貌だ。だが、いつもの凛々しさは無く、暗く沈んでいる。闇に染められたような表情だ。
 室内からは日の光は消え、闇と紫の光が渦巻き始めていた。渦は二人を取り囲み、覆い被さろうとしている。アヒムは逃げ場所を探すが、闇と紫の光から逃れられる所は何処にも無い。
「どういう事だ!何が起こったのだ!」
 喚き散らすアヒムを、ヴァルトラウテは静かに見つめる。その瞳は、青氷色から深紅へと変わっていた。
「私達は、万魔殿へ行くのです。堕落した神の御座す所です」
 ヴァルトラウテは、静かに微笑みながら応える。
「私達は罪を犯しました。地上に神の王国を作るという、自分達の手に余る事をしようとしました。私達が地上に造り上げたのは地獄です」
 ヴァルトラウテは、アヒムを見つめる。その瞳は絶望に染まっていた。
「私達は、この世界にとって災厄でしかありません。私達の存在そのものが許されないものなのです。万魔殿は、時の止まった世界です。私達は、その世界に永遠に閉じ込められるのです」
 アヒムは、狂った様に辺りを見回して逃げ出そうとする。逃げ出せる所は何処にも無い。アヒムは金切り声を上げた。
「俺にはやらなくてはならない事があるのだ!俺は千年王国を築くのだ!世界を浄化しなくてはならないのだ!俺は、神に選ばれた預言者だ!」
 ヴァルトラウテは、喚き散らす男を悲しげに見つめる。ゆっくりと歩み寄り、その体を抱きしめた。もがく男を、抱きしめながら耳元でささやく。
「共に堕ちましょう」
 闇と紫の光は、堕ちた神の戦士と狂った預言者を覆っていく。室内は、闇と紫の光が激しく交わり合う。その中心からは、男の絶叫が聞こえる。
 闇と紫の光は、ゆっくりと消えていった。室内には誰もいない。ただ、聖具が残照を反射し、虚しく光っていた。
15/03/23 23:18更新 / 鬼畜軍曹

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