連載小説
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第5話
「お待たせいたしました。『しあわせのとりさんパンケーキ』です」
「おおっ……なんつうか、すげぇな」 

 四角い皿に乗ったパンケーキを差し出すと、悠希は明らかに動揺を見せる。
 だけどこれを見れば、誰だってそんな反応をするのは分かっていた。

 悠希が注文した『しあわせのとりさんパンケーキ』が、この店で最も値の張る理由。
 それは、圧倒的なまでのボリュームのせいだった。
 
 CDよりも一周りほど大きく分厚いパンの中心部分は、鳥の形に綺麗にくり抜かれ、その穴にはパンの代わりに白と水色の生クリームがすき間なく詰められていた。
 くり抜かれた鳥形のパンの方も、裏返されて生クリームやチョコソースで装飾を施された後、生クリームの鳥の隣に、くちばしの部分を合わせて添えられていた。
 丁度上から見下ろすと、二羽のつがいの鳥が接吻をするようなデザインの一品だ。

 デコレーション武装はそれだけではない。
 二羽の鳥の周囲には、蜂蜜に漬けたイチゴや巨峰やサクランボやバナナやらのフルーツな追加装甲が施され。
 さらに皿の隅にわずかに残った空間には、見るからに甘々しそうなチョコクッキーが数枚飾られ。
 とどめに、そのクッキーの上にも、青と白の生クリームがのし掛かっている。 

 まさに甘味の大要塞。
 どこから食べても甘ったるさから逃れられない、完全なる包囲網。
 その量からして超絶甘党の大食いさん向けであり、一般的な食欲の女性が食べることなんて想定していないことがわかる。

「残さないで下さいね、お嬢様」
「お、おー……」
 
 私がわざと棘を込めてにっこりと微笑むと、悠希の唇の端が不自然に釣り上がる。
 おそらく彼女の想像以上だったのでしょう。目の前の甘味要塞を攻めあぐねている悠希の姿を見ていると、ほんの少しだけ頭痛が和らぐような気がした。
 しかし流石に心が狭いなと思い、掻き消すように続けて注文のコーヒーを下ろそうとして、それを渡す相手がいないことに気がつく。

「俊介ご主人様は?」
「トイレに行ったぜ。ん、なんだこの青いクリーム……何が入っているんだ?」 
 
 悠希は翼に装備したフォークで生クリームを何度もつつき、ためつすがめつ観察する。
 細かく説明するのも面倒なので「ブルーキュラソーです」とだけ答えておいた。
 悠希が持つフォークとナイフは、持ち手部分が潰れた輪っかになっていて、丁度ハサミのそれと似ていた。
 人間の手を持たない魔物娘でも食べやすいように改良された食器であり、魔物娘のメイド喫茶である以上、彼女らが食事に困らない設備を用意する必要があるのだ。ちなみに皿の方も底が傾斜がかっていて、液体が掬いやすくなっている。
 
「そうですか。コーヒーどうしましょう?」
「置いといておけばいい。すぐ戻ってくるさ」

 指し出した手前、置くのも戻すのも憚っていると、悠希がそう呟いてバナナをフォークに刺す。
 私がその言葉通りに、コーヒーを静かに悠希の向かいに置いた時だった。

「……なぁ、葵」

 ふいに悠希の声が聞こえて、何気なく向き直る。

「なんで……す」
 
 言いかけて、思わず息をのんだ。
 そこにいたのは、さっきまでのおどけた雰囲気の悠希ではなかった。
 彼女の表情から道化の色は息を潜め、代わりに、次の瞬間に爪を立ててきそうなくらいの危うさを漂わせる。
 そして、あの猛禽類のように鋭く、不純物が混じったような暗い瞳。
 昨日の夜に遭遇した悠希が今、目の前に鎮座していた。

 喉がグッと引き攣り、息がしづらい。
 飲もうとした生唾が引っかかり、小さく咳が漏れ出る。
 "この"悠希は、油断できない。
 今は昼間だというのに、急に周囲が暗くなったかのような錯覚を覚える。 
 しかし今は日中のメイド喫茶だ。騒いだら確実に面倒になる。
 私は瞳にだけ力を入れ、静かに警戒態勢へ入る。
 ここでまた悠希が昨日のように、刺激的な言動をしない可能性はない。

「アイツ、俊介のことなんだけどよ」

 平坦で抑揚が無く、さっきより全体的に低くなったトーン。
 それが私の耳へと届いた瞬間、喉元がぞくりと冷え込んだ。

「あの人が、どうか、したんですか?」

 震える喉を抑えて、ぎこちなく発言するも、悠希からの反応はない。
 
 数秒、間が空いた。
 初めは悠希が言い淀んでいるのかと思ったけど、原因はどうやら口に先ほどのバナナが入っているせいらしい。
 やがて派手な嚥下音が聞こえると、悠希はさらに言葉を続ける。
 
「少し変だと思わないか?」
「……一応聞きますがどういう意味で、ですか?」
「どういう意味でも構わねぇよ。アイツを見て、何かおかしなところはねぇかって聞いてる」

 どうやらふざけていっている様子ではなかった。
 悠希がフォークの先端で、サクランボをヘタのところで掬い上げる。
 先ほどから何故かパンケーキにだけは、全く手を付ける様子がない。 
 そのサクランボをパクリと咥えて、咀嚼し、吟味をしながら、私の言葉が出てくるのを待ち構えている。まるで、自分の前にメインディッシュを出されるのをじっと待っているかのような、強欲な催促の念が漂ってくる。
 その妙に扇動的な態度を見ていると、このまま私のことをサクランボごと舐る気かと思えて、尻尾の付け根辺りが落ち着かない。

「その、俊介ご主人様はここに入り浸って、長いですから。普通の男性とは趣味趣向というか、性癖というか。色々と違うとは思いますけども」

 結局根負けして、口を開いてしまった。

「それはアイツの話を聞いていれば分かる。けどそうじゃねぇ。もっと根本的なことだ」
「根本的なこと……?」
「ああ。アイツは、俊介は"お前の"ご主人様で、いいんだよな?」

 疑問系で聞かれたことに、私自身も困惑する。
 その確認が何を意図しているかは魔物娘にとって言うまでもない。

「……確かに店内では主従の関係ですが、つがいという意味では当てはまりませんね」

 結局、変に誤魔化さずにそのまま告げることにした。
 だけど、実際に口にしてみるとおかしな話だと自覚する。
 確かに俊介ご主人様に気に入られているのは事実だけど、それは私が望むべくして望んだものではない。
 それどころか、私自身は彼に嫌悪すら感じているのだ。
 一線なんてものは越えるどころか、末端も考えたことも無かった。
 自分で思うのもなんだけども、随分と歪な関係だと思う。

「そうか。見るからにダメ男って感じだし、普通のキキーモラには好みのタイプだろうとは思っていたんだが……違うか」
「ええ、残念ながら。そう言うのでは決してありません」

 思っていたよりも強めな口調で否定してしまう。
 普通のキキーモラ、という言い方のせいなのかは、自分でもよく分からなかった。

「……アタシの考えていること、言っても良いか?」

 悠希の言葉に、お返しとばかりに返事はしない。
 私は口をキツくつぐんだまま、悠希を鋭く見つめ返す。

「俊介は魔物娘全てが好きだと言っていた。だけどな、それはおかしいんだ」
「何がですか?」
「本来、魔物娘は一人の男しか選ばないだろ? でもそれは"男にだって同じ事が言える"はずなんだ」

 言われて初めて気がつく。
 どうして今まで"それ"に疑問を持たなかったのか不思議だった。

 俊介ご主人様は全ての魔物娘が好きだと言っていた。
 この店に来るたびに、彼が魔物娘への愛を途切れさせたことはなかった。
 だけど、"特定の魔物と関係を詰めた"と言う話を一切聞いたことがない。
 魔物娘のルールとは何も当人だけのものではなく、世界の取り決めだ。
 少し考えればわかることだったはずなのに、どうして何も思わなかったのだろう。

「でも、彼は……」

 言葉の最後が上手く声にならなかった。
 俊介ご主人様は私だけでなく、シュロさんのことも気に入っているといっていた。
 だから、てっきりご主人様は私のことは隠れ蓑的な扱いで、シュロさんを恋愛的に想っているのだと考えていた。
 だけど今思うと、彼の言葉や行動は魔物娘のそれにひどく矛盾している。

「俊介は葵を特別視する様子がなかった。多分、意図的に距離を詰めようとしてねぇんだと思う。理由は分からんが」

 悠希が低く唸るように告げる。
 そう。魔物娘と同様に、選ばれた男の方も一途であるべきなのだ。そうでなくてはいけないのだ。
 もちろん、未だ特定の魔物と結ばれていない独身の男性の場合は例外だ。
 白紙に問うべき問題なんて書かれていないからだ。
 しかし一度好意を寄せたのなら、魔物娘と共にあるのは必然のはず。
 魔物娘には人を惹きつける力がある。そして、人間の男はそれに逆らえないはず。

 だけど、俊介ご主人様はそれをあえて、しようとしない。
 魔物娘が嫌いだからではない。
 むしろ逆。彼は自ら好んで魔物娘に愛を謳っている。
 
 なのに彼は白紙に何も描こうとしない。
 積極的に筆を手に取り、筆先に絵の具をつけ、すでに描く準備は万端。
 だけど、そこで終わっている。好きなのに描き出そうとしていない。
 それは、"意図的にそうであろうとしないと行えない"行為だ。 
 俊介ご主人様は、魔物娘が好きと言いながら、魔物娘への恋慕や色欲や情愛を、意図的に放棄している。
 
「で、極めつけにコイツだ」

 そういって悠希が差し出したのは一枚の写真だった。
 
「アイツのブロマイドコレクションの中にあったんだ。こっそり拝借した」
「……窃盗犯の素質ありますね。貴方は」
「マジか。アタシ才能ウーマンかよ。と、まぁ見てくれよ」

 悠希から写真を受け取った途端、息をのんだ。 
 そこに映っていたのは、いや。

 ―――そこには"何も"映っていなかった。
 撮られた場所からして、このカウンター席のすぐ傍のよう。
 写真の大部分を埋める、ラメ入りのハートマークが散りばめられた店内の壁。
 端の方には、今しがた悠希が座っているカウンター席が見切れている。
 人や魔物は誰一人映っていなく、中心より少しずれた位置に丸い椅子が一つあるだけの、ただの背景写真だった。

 だけど、おかしな所はそこではなかった。

「これは……」

 写真のとある一点の異常に気づき、目を見はる。
 
 背景の中にある丸い椅子。
 その丁度真上に、それが映っていたのだ。
 うっすらと黒っぽい、モヤのようなものが。

「なぁ葵。俊介はこの店で、メイド以外と楽しくする趣味でもあんのかね?」
「知りませんよ。ですが……これは、なんというか」
 
 言いながらも、何を答えて良いか分からなかった。
 私はその怪しげな写真を何度も確認し、注視する。
 モヤというにはあまりにはかなく、見間違いと言われればそうかもしれないとすら思える。だけど何故だか、そこには"何か"がいるという妙な確信だけがあった。

 心霊写真―――

 頭に浮かんだ、その単語。
 もちろん幽霊が怖いわけではないし、霊系の魔物だっていることは知っている。
 だけどなんとなくこのモヤからは、得体の知れない何かを感じるのだ。

「この店には、ゴースト系の魔物は在籍していないよな?」
「ええ。せめて実体化できない者でないと仕事になりませんので」
「内部ではない。とすると、外部から来た可能性……いや、そいつもおかしいな」

 論議をするまでも無く、悠希は速攻で断言する。

「なぜそう思うのか、聞いても良いですか?」
「仮にそのモヤの正体がゴースト系で、俊介に取り憑いているならだ。アタシがあんだけ俊介に接近した時、思考共有してアイツに拒否反応をさせるはずだ。泥棒鳥がそれ以上近づかないようにな」

 あの馴れ馴れしさは、そういう意味があったのね。

「それができないくらいに弱い魔力しか無いのではないでしょうか? 写真からして実体化はできないのかも」
「いや、思考共有に実体云々は関係ねぇはずだ。それに力が弱いということは、つい最近取り憑かれたってことだ。いくら弱々しいからといって、こんな写真を撮っている俊介の変化に気づかないアンタらじゃねぇと思う」
「じゃあ、ここに来る前から?」
「それも無い。俊介は古参なんだろ。そんな長いスパンで取り憑いておいて、精も奪わず弱ったままとかあり得ん」

 だから外部の可能性もない、と悠希はナイフとフォークで×印を作る。
 
「じゃあ、このモヤはなんなのよ?」
「知るかよ。だから葵に見せたんじゃねぇか」

 悠希にあっさり突き返され、うっと顎を引いてしまう。
 でも、じゃあなんなのよ?
 これでは疑問が増えるばかりで、何一つ分からないじゃない。割れそうなくらいに奥歯を噛み合わせても、どうにもスッキリとしなかった。
 
 どうして俊介ご主人様は、こんな得体の知れない写真を持っている?
 どうして好きなはずの魔物娘と、距離を縮めようとしない?

 彼の真意がまるで見えてこない。
 単純なオタクだと思っていたはずのご主人様を理解できないことが、モヤや悠希なんかよりもよっぽど恐ろしいものに感じられた。
 未知の事実と妙な敗北感と、生唾を飲み込むような背徳に背筋を撫で回されている。
 なんて、不愉快なの。

「これが俊介のあの態度に関係あるかはわからねぇ。だが、こんな風に大事に隠し持っていて、何かが無いわけがねぇな」
「私は……そんなもの、一度も見せられたことがありません」

 言いながら自分の声が少し、震えていることに気が付く。

「まぁ大体、写真なんてものはな。普段近くにいない奴を、形にして側に置いておくためのもんだ。今いる奴には関係ないのが当たり前だ」

 それは一体慰めなのか、気休めなのか。
 だけど、悠希なりの気遣いだということは理解できた。
 
 私は、俊介ご主人様のことが嫌いだ。
 
 俊介ご主人様はいつも私に向かって、へらへらと笑いかけてくる。
 爽やかとは縁遠いニヤケ顔でやって来る、それが嫌だった。
 だけどその裏では、こんな訳の分からない物を持ち歩く変人であって。
 だけど私の前では、そのことをバレないようにしていて。
 
 それはつまり、俊介ご主人様も私の前では"演技をしている"のだ。
 自分の本当の姿を晒さないように、あの汗だくの身体から滲みでないように。
 "無類の魔物娘好きで、気持ち悪く、頭も悪いオタク"を演じている。
 
 何故そうまでして、隠しているの?
 こんな写真を大事に抱えて、何を守りたいの?
 私の胸の奥で燻るこれは一体、何?

 拳をギュウっという音を立てそうなほどに、力いっぱい握りしめる。
 自分が一つも知らないことが、何故だか悔しかった。

 ―――私は貴方の□□□□□□いるのに。

「はぁ。変なキキーモラに変な人間。相性がいいんだか、悪いんだか……」
「ですから。そういうのでは―――」

 ―――ズキン。 
 
 少し語気を荒げた直後、再び頭痛が疾走る。
 頭の中を殴打されるような、頭の中から何かが暴れて飛びだそうとしているかのような、内側から殴られる痛みだった。

 気を逸らせようと唾を飲み込む。それでもなお続く鈍痛に脳が嬲られる。
 私は伝票に震える手を伸ばす。
 必死にペンを握り、そこに商品を渡したサインを書き殴る。
 特に意味は無い。ほとんど頭痛を紛らわすための気休めだった。
 
「おい、どうした葵? 頭痛いのか?」
「……ご心配なく」
「何だか分からねぇけど、無理はすんなよな」
「貴方に心配されるいわれはありません。それよりも……」
 
 悠希のフォローをよそに、私は痛みを拭おうとこめかみを押さえる。
 写真を放るように突き返し、一度、大きく深呼吸をする。

(落ち着いて。他にも知るべきことがある)

 そして、顔に力を入れて悠希に向き直る。
 またしても新しい情報に、面食らってしまっていた。
 けれど今の私の目的はそれではない。
 まだ、悠希には肝心のことを聞いていなかった。

「私に何をさせたいの? 貴方の、本当の目的はなんなの?」

 あくまで平静に、かつはっきりと言い切る。
 心霊写真だとか、俊介ご主人様の歪さとか、そんなことよりも。
 私は単に、私を脅かされることが嫌いなのよ。

「さっきもそんな話した気がするが」
「あんな答えで納得できるわけないでしょう」

 先ほど悠希にはぐらかされてしまったばかりなのは分かっている。
 けどこんな写真まで見せてくる以上、彼女が傍観者でいることなど許さない。
 悠希はフォークの隙間にナイフを何度も差し込んでは抜き、それををひたすら繰り返している。
 多少は考えているのでしょう。そうでなくては困る。

「バンドメンバー探し……は確かに、仕事場での建前だ。具体的な目的ってのも今のところはねぇ」

 ため息を吐くように告げる相変わらずな言葉。
 つい肩が上がりそうになるけど、どうにか我慢する。

「だが、この店は"おかしな"ところが多すぎる。まぁアタシも、といえばそうだがな。最初は興味本位だった。だが今は正直、アンタらのことが気になっている。もう少しだけ見ていたいってのが本音だ。アタシの今後のためにな」 
「私とご主人様をセットで扱うのはやめてほしいのですけども。今後って?」
「さあね。もう少し仲良くなったら教えてやるよ。ただこれだけは何度でも言うぜ? アタシはお節介を焼きたいタイプだってよ」
「むぅ……」

 ストレートな物言いに押し黙ってしまう。
 これでもう三度目、最後の一言は悠希なりの矜持なのか。ぶれる気配は全く感じ取れない。これ以上しつこく聞いても、きっと結果は同じだ。
 あと一応、異物って自覚はあるのね。 

「さぁて、真面目に話したら腹減った。そろそろエンジン入れて喰うか!」

 早々に話は終わったとばかりに、悠希はパンケーキに改めて向き合う。
 ほんの少しフルーツだけをつまんだだけで、後はほとんど綺麗に残されている。
 さっきの刃物のような瞳はいつの間にか息を潜め、悠希の表情は道化のそれに戻っていた。

 悠希が食べるモードに切り変わったのを見届けると、私はその場で踵を返す。
 結局、何一つ分からずじまいのまま解決していない。
 もう少し色々と聞き出したいこともある。情報はまだ足りていない。
 だけど、今日はもう疲れてしまった。
 頭痛も相変わらずだし、悠希の言った通り、無理はしない方がいい。

「あ、そうだ。あと一つだけ、良いことを教えてやろう」

 モグモグと口を動かしながら悠希が言う。
 もったいぶった言い方に少し苛つくけど、このさいだ。
 聞けるものは聞いてしまおう。

「なんでしょうか?」
「ここだけの話。アタシ……実はこういう甘ったるくて可愛い系のパンケーキ、大好物なんだ」
「はい?」
「他のところじゃ恥ずかしくて食えねぇけど、ここなら目立たない。しかもこんなに目いっぱい食べられる。夢みたいだぜ」

 ニカリと笑う悠希の視線は、やけに純粋な光を放っていた。
 同時に私の鼻辺りが熱くなってくる。

「残念だったな。仕返しできなくて」
「貴方っ! さっきはわざと……」
「ははは、いや分かりやすいよなぁ。葵は!」

 悠希はそういうと満足げにパンケーキを口に突っ込む。
 要するに、最初の困り顔は悠希の演技だった。
 私の矮小な嗜虐心のことなど、とっくに見抜かれていたのだ。

「だから……この店だけの秘密ってことで、な?」

 悠希は生娘のようにペロリと舌を出すと、口元のクリームを嘗めとる。
 身なりはヤンキーの装いなのに、その立ち振る舞いはまるでごちそうを前に目を光らせる子供のようだった。
 その無垢な笑顔をじっと見つめてしまわないよう、私は目を逸らす。
 顔立ちだけは中性的で整っているけど、だからこそ余計にやっかいだった。

「……お好きになさって下さい」
「あいよー。せいぜい、お節介焼かせてもらうぜ」

 先ほどとはまるで違う、太陽のような眩しい笑顔で見送られる。
 この道化の悠希が太陽ならば、暗い印象の悠希は月と言ったところかしら。
 でも何にしたって、これはこれで面倒なことに変わりはない。
 そう思い、私はさっさとその場を離れることにした。



「ん……あれ?」

 それに気がついたのは、悠希の席から五メートルほど遠のいた頃だった。
 勘違いかと思い、立ち止まって確認してみる。 

(頭痛が引いている?)

 試しに軽く首を振ってみるも、さっきまで堪えていたのにまるで痛みはやってこない。
 まるで氷が溶けたかのように消え去ってしまっていた。
 どういうことなのか全く分からないまま、突然の快復に戸惑うしかなかった。

 一体、どうして? 
 何かが、何か引っかかる―――

 しかし考えてみても、やはり心当たりはない。
 なのにも関わらず、どうにも不安と焦りの波が、胸の奥でグツグツとせり上がってくる。

 黒いモヤが映った写真。
 矛盾した行動をとる俊介ご主人様。
 未だ目的が不明瞭な悠希。

 そして―――あの謎の声。

 一筋、頬に冷や汗が滲む。
 荒れ狂う思考の波風を振り払うように、無理矢理に歩みを早める。

 関係ない。そう、関係ないの。自意識過剰。
 あんな写真なんか、なんだって良いじゃない。
 ご主人様のことだって、皆、なんだっていいわ。
 
 それにあれも―――きっと見間違い。

 自分の目に映ったあの写真を、頭の中で焼き潰そうとする。
 だけどどうしても、あれが目の裏に焼け跡のようにくっきりとこびり付いて離れなかった。

 流石に不気味過ぎたので、さっきは悠希に一つだけ話さなかったことがあった。
 あの黒いモヤの中に、ぼんやりとそれは浮いていた。
 言われなければ気づかない。いえ、言われても気づくかどうか。
 弱々しく儚く、輪郭もはっきりとしていない。
 
 だけどあの写真を見た時に、それと私は、確実に目が合った。

(あのモヤ、笑っていた―――)
17/09/18 15:09更新 / とげまる
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■作者メッセージ
 話の展開があんまり進んでいない気ががが……
 一、二週間くらいのペースで出来ればいいなと思います。
 

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