連載小説
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前編
「ぬぅ……一宿一飯の恩があるとはいえ、気が進まぬのぉ」
見るからに困りきった難しい表情を浮かべ、腕を組んで歩く一人の青年。
云々と唸りながら歩く青年を一言で表すなら、異様。
産毛の一本も無い禿頭は陽光で輝き、それなりに整った顔の左半分は炎を模ったと思しき紅い刺青が彫られ、筋骨逞しい一九三センチの熊の如き巨体を包むは真紅の神父服。
首に掛けた帯―何故か白い染料で般若心経が書かれている―もワインを思わせる深紅で、ネックレスのように首に巻かれた数珠もルビーの如き赤、と小物に至る全てが赤尽くし。
神父のような坊主のような和洋折衷のその姿は、その巨体もあって威圧感に溢れており、このまま人混みの中を歩けばモーゼの十戒宜しく人混みが左右に分かれるだろう。

「魔物を滅せよ、か……」
禿頭の青年の名は赤尉紅蓮(セキジョウ・グレン)。
唸る紅蓮が向かうのは、現在彼が世話になっている『ネルカティエ』近辺の森。
『魔物』が集落を作り、生活しているこの森はネルカティエにとって不愉快な存在であり、紅蓮はその集落を森ごと壊滅させろ、という命令を受けたのだ。
「ネルカティエ、実に不愉快極まる思想の持ち主よ……」
忌々しげに呟く紅蓮は歩く足を止めず、何故こうなったのかを思い出していく。

×××

『貴様達が異界の戦士か……一見しただけでは、戦いとは無縁そうな若者だな』
事の発端は一ヶ月前……夕食を取っている最中に耳鳴りに襲われ、光に包まれた紅蓮は、見るからにファンタジックな石造りの大きな広間に居た。
夕食の饅頭―勿論、食いかけ―を手に持ったままの紅蓮の前には、中世欧州を舞台にした映画にでも出てきそうな豪奢な服を纏った恰幅の良い壮年男性が一人。
豪華な椅子に座る男性の直ぐ横には紫色に染まった白衣を着た学者風の美女、その二人を挟むように純白に輝く鎧を纏い、槍を携えた兵士達が立っている。

『あぁん? 誰だよ、この脂肪一〇〇%のデブ親父は』
『貴様! 王に向かって何だ、その態度は!』
突然の事に戸惑う紅蓮の横で、黒革のツナギの少年が敬意もへったくれも無い粗野な口調で目前の壮年男性は誰だと問う。
無論、その敬意の欠片も無い態度に壮年男性の傍に立つ兵士達が一斉に槍を向ける。
『はっ! 槍向けられた程度で怯む俺様じゃねぇっての! 俺を怯ませてぇなら、股間の肉槍でも見せてみやがれ! ま、こんな所で包茎チ○ポは見せらんねぇよなぁ!』
だが、何本もの槍を向けられても怯むどころか嘲笑うように黒革のツナギの少年は挑発し、その下品な挑発に兵士達は顔を真っ赤にして一歩踏み出す。

『露骨な挑発はしない方がいいと思いますがねぇ』
『皆の者控えよ、無礼者に礼節を説くのは後だ』
一触即発の空気が流れる両者を止める二人……黒革のツナギの少年を止めたのは草臥れた緑色のスーツを纏う痩躯の少年、兵士達を止めたのは『王』と呼ばれた壮年男性。
『ちっ……』
『は、はぁ……』
二人の制止で黒革のツナギの少年は舌打ちしながら高級感に溢れる真っ赤な絨毯に胡坐で座り、兵士達は不満そうな顔で元の立ち位置に戻る。

『身内が無礼を働き、申し訳ありません。其方に控える方々の反応からして、貴方は高貴な身分の方だと思われますが……』
誰が相手でも絶対に態度を変えないのを知っているのか、苦笑を浮かべたモノトーンの服の少年が一歩前に出ると、品の良さを感じさせる動作で壮年男性の前で膝を付く。
『ほぉ? 貴様は其処の黒いのと違って、礼節を弁えておるようだな……如何にも、儂の名はゴールディ・アスハム・ネルカティエ、このネルカティエの王だ』
『黒いの』とぞんざいな扱いに憤って立ち上がろうとする黒革のツナギの少年を手で制し、モノトーンの服の少年は『話を続けてくれ』という視線を王に向ける。
『貴様達を呼んだのは、『魔物』を欠片も残さず滅ぼしてもらう為だ』
ゴールディと名乗った『王』の言葉に困惑する紅蓮達だが、彼等を無視してゴールディは話を続ける。

この世界は紅蓮達が住む世界とは異なる場所にある異世界。
この世界には『教団』と『魔物』、二つの勢力が日夜争っている。
この世界を創造した神・アザトースを唯一絶対の神として信仰し、『清く、正しく』という教義を貫く事を良しとする武装宗教組織、ソレが『教団』。
アザトースと敵対する絶対悪・魔王に従い、人を喰らい、人を堕落させ、人を破滅に導き、この世界を支配しようと目論む悪しき存在、ソレが『魔物』。
教団は魔物を滅ぼすべく活動を続けているが、一五年前に起きた『レスカティエ』の陥落と奪還の失敗から劣勢を強いられている。

レスカティエは教団勢力の都市国家の中で二番目の規模を誇っていたが、魔王の娘であるリリムの『奇襲』で陥落、奪還を試みるものの見事に失敗した。
教団の権威回復、レスカティエ奪還を目指して作られたのが『ネルカティエ』だ。
ネルカティエはレスカティエの奪還を当面の目標に、最終的には魔王の殺害を可能とする人材を輩出する事を目標としている。
ネルカティエが紅蓮達をこの世界に呼んだのは戦力増強の為で、伝承では異世界から召喚した者には魔物を滅ぼすに足る力を持った者が多いという。
少しでも多くの人材が欲しいネルカティエは伝承に一縷の望みを賭けて異界召喚を試み、その結果、紅蓮達が召喚された。

『じゃあ、何だ? 俺達に勇者をやれ、って事か?』
『勇者、ですか。アタシ達とは縁の無い言葉が出てきましたねぇ、へぇっへへへ……』
呆れた表情を浮かべる黒革のツナギの少年にゴールディは頷き、痩躯の少年は卑屈そうな失笑を漏らす。
『では、魔物という存在がどのような存在か……ソレを私達に教えてもらえませんか? 誰と戦うにしても、相手の事を知るのは大切な事ですので』
相手を知る・知らないで戦い方が変わる、と付け加え、『魔物とは何か?』とモノトーンの服の少年はゴールディに問う。

『貴様達がソレを知る必要は無い』
『……………………は?
その言葉に、予想の斜め上以上のゴールディの答えに、紅蓮達は間抜けな声を漏らす。
『魔物は滅ぼすべき絶対悪だ、ソレ以上でもソレ以下でもない。勝手に増えては群れ集うゴミの事を知る必要は無い』
聞こえなかったのか? と言わんばかりに、『知る必要は無い』と言い放つゴールディ。
はぁ!? ふざけんなよ、糞親父! 勇一が言った事が分かんねぇのかよ!? 知る、知らないで戦い方は変わるっつぅのに、相手を知らねぇままで策が立てられっか!』
『何度も言わせるな……貴様達は地を這う虫けらを踏み潰すように、目前に現れた魔物を殺せばいいだけだ』
無論、納得出来ない黒革のツナギの少年は反論するが、彼の反論を受けてもゴールディは聞く耳持たぬ態度で同じ言葉を繰り返す。

『…………っ!! だぁかぁらぁ、ちゃんと俺達に』
『話は終わりだ……専用の部屋を用意した、今日は其処で休むがよい。魔物を一匹残さず滅ぼすまで、貴様達には滞在してもらうからな』
黒革のツナギの少年の反論を強引に終わらせたゴールディは玉座から立ち上がり、傍らに控えていた美女と兵士達を連れて広間から去っていく。
『人の話を最後まで聞け、このデブ糞親父ぃぃ――――!!』
紅蓮達四人が残された広間に、怒り心頭の黒革のツナギの少年の叫びが空しく響き渡った。

×××

「ゴールディ、と言ったか? 全く、あの王は戦を何と心得ておる」
ブツブツと不満を漏らしながら、魔物の集落がある森を目指して歩く紅蓮。
「戦は部屋の掃除と訳も勝手も違うと言うに……王が王なら兵も兵よ、前線で戦う兵すら王と同じ答えとは如何なものか」
この世界に呼ばれてから今までの一ヶ月、『魔物とは何だ?』と何度も聞いたが、王であるゴールディは勿論、前線で戦う兵士達も王と同じ答えしか言わなかった。
魔物は滅ぼすべき絶対悪、魔物は世界を侵すゴミ。
何度聞いても同じ言葉しか返さないネルカティエの王と軍人は壊れた蓄音機か、一つしか言葉を覚えていない鸚鵡としか言いようがない。

「ぬ……此処が件の森か」
ブツブツと不満を言っている間に、どうやら例の森に着いたらしい。
顔を上げた紅蓮の前には青々と茂る森が見渡す限り広がっており、命令でなければ森林浴でも満喫したくなる程だ。
「はてさて鬼が出るか蛇が出るか、若しかしたら大蜘蛛かのぉ……」
何が出てくるのか、一抹の不安を抱えながら紅蓮は森の中に足を踏み入れた。

×××

「そして、いきなり道に迷った小生であった……」
地図も無しに森へ入れば迷うのも当然で、森に入って早々紅蓮は迷子になっていた。
ガサガサと腰辺りまで伸びた草を掻き分け、時折顔に付いた蜘蛛の巣を払いつつ、紅蓮は道無き道を只管歩き続ける。
「ぬ、ぬぅ……魔物ではなく、ゲリラかロビンフッドが出てきそうな雰囲気よ」
誰の手も加えられていない、未開としか言い様のない草木の繁栄に紅蓮は苦笑を浮かべる。
歩けど歩けど人影は見当たらず、本当に集落があるのかと疑い始めた頃だ。
「む……?」
不意に紅蓮の鼻が甘い香りを嗅ぎ取った。
蜂蜜の香りを何倍、何十倍と濃くしたような、ねっとりとした甘い香り。
本能を直接刺激する甘い香りを嗅ぎ取った紅蓮は、花に惹かれる蝶の如く甘い香りの本を目指して進む。

「〜♪ 〜〜♪ 〜♪ 〜〜♪」
紅蓮は漸く人を見つけたが、御機嫌な様子で鼻歌を歌う人は『人』とは若干言い難い。
簡単に表現するなら巨大な花に腰掛け、全身に蔦を絡ませた全裸の少女。
短く切り揃えられ、左右の短いツインテールがチョンチョンと揺れる薄紅色の髪。
その髪には髪と似た色合いの花が一輪、簪のように挿されており、少女が腰掛ける巨大な花は簪にされた花を大きくしたような花弁を持っている。
ソレだけなら『巨大な花に収まり、オシャレとして蔦を絡ませた裸族』と言える―かなり苦しいが―が、少女を『人』と言えなくしているのが少女の肌と接地面。
若草を思わせる淡い緑色が少女の肌の色であり、花弁を支える萼に当たるであろう部分に生えた根が、鼻歌の調子に合わせるようにウネウネと蠢いている。

「……何ぞ、アレは?」
愛でるような視線で周囲を見渡し、鼻歌を歌う少女に紅蓮は首を傾げるしかない。
「……まぁ、話は出来そうだし、道を尋ねるとするか」
人とは言い難いが人に限りなく近いのだから、意思疎通は出来るだろうと見越した紅蓮が一歩踏み出した時だ。
―パキッ!
「え……だ、誰!?」
足元に落ちていた枝を踏んでしまい、枝の折れた音で少女に気付かれてしまう。

ぬぉ!? 何と言うお約束な失態……って、待てい。小生は道を聞こうとしたのだから、気付かれた方が良いではないか)
『長年の癖』か、相手に気付かれた事を心中で悔やむ紅蓮だが、よく考えてみれば集落に繋がる道を聞こうと思っていたのだ。
「いやぁ、驚かして悪かった。言葉が分かり、話が通じるなら聞きたい事があるのだが」
驚かせた事を謝りつつ、紅蓮は草を掻き分けて身体を強張らせる少女に話し掛ける。
無論、言葉が分かり、話が通じる事を祈りながら、だ。

「……………………」
「……もしもし? もしも〜し?」
此方に敵意が無いのが分かっているのか、逃げようとしない少女だが、何故か紅蓮の顔を無言でジィッ…と見続けている。
不安になった紅蓮は、少女の顔の前で手を振って反応を確かめる。
「…………え、あ、ご、ゴメンね!? え、えっと、ボクに何か用?」
目の前で手を振られて正気に戻ったのか、顔を仄かに赤くした少女は手をパタパタと振り、慌てながら紅蓮に自分に何の用なのかを尋ねる。

「うむ。小生、この森にあるという集落に用があるのだが、道に迷ってしまって、な……故に、集落への道を知っておるのなら、恥を忍んで聞こうと思った次第で」
自分で言っておきながらバツが悪いのか、頬を掻きながら少女に道を尋ねる紅蓮。
「集落って、セイレムの事? なら、ボクが案内してあげるよ」
「おぉ、ソレは忝い」
すると、集落―セイレムと言うらしい―への道を知っていたらしい少女は道案内をすると言い、紅蓮は萼に生えた根を使って歩き出した少女の後を追う。
「ま、待ってよぉ〜」
「……………………」
が、少女の歩く速度は亀よりも遅く、何時の間にか追い抜いてしまった。

×××

「佐久夜殿、このまま進めばセイレムか?」
「うん、そのまま真っ直ぐ進めばセイレムだよ」
木花佐久夜(コノハナ・サクヤ)と名乗った少女の案内に従い、紅蓮は鬱蒼と茂る草を掻き分けて進む。
「ねぇ、紅蓮……ボク、重くない?」
歩みが遅い佐久夜に合わせるとセイレムに着く前に夜を迎えてしまいそうだ、と判断した紅蓮は彼女を背負って進む事を選択。
渋る佐久夜―どうやら、彼女は花と離れられないらしい―を説得して、彼女を収める花を背負って紅蓮は道無き道を進んでいるのだ。

がぁっはっはっはっ、安心めされい! 小生、この程度の重さでへこたれる程のヤワな鍛え方はしておらん! 身体に絡まる根っこの棘がチクチクと地味に痛いだけよ!」
重くないか? と不安げに尋ねる佐久夜に、紅蓮は豪快に笑いながら大丈夫だと答える。
因みに、背負われる佐久夜は落ちないように萼に生えた根を紅蓮に絡ませている。
「……やっぱり、ボク降りるよ」
「いやいや、痛いと言ってもツボ押しのような心地良き痛み、気に病む必要は無いぞ」
根に生える棘が刺さって痛いという言葉で申し訳なくなったのか、背中から降りると言う佐久夜に、紅蓮は慌てて気にするなとフォローする。

「ツボ押し?」
「うむ、マッサージの一種でな。身体の彼方此方にある……」
佐久夜を背負い、彼女と雑談を交わしながら進んでいくと、急に開けた場所に出た。
東大や早稲田といった名門大学すら余裕で収まる程に広い其処には、丸太で造られた質素ながら頑丈そうな家々が疎らに並んでいる。
「あっ、此処がセイレムだよ!」
「おぉ、漸く着いたか」
目的地に到着し、佐久夜を降ろした紅蓮が一歩前に踏み出した瞬間だ。

―ヒュンッ

「むっ!?」
「うわぁっ!?」
何処からともなく矢が紅蓮の足元に突き刺さり、いきなり飛んできた矢に紅蓮は足を止め、佐久夜は驚きを隠せない。
「当然、と言えば当然か」
招かれざる客に対する、手荒な歓迎に溜息を吐く紅蓮……姿こそ見えないが敵意に満ちた複数の視線が紅蓮に向けられており、どうやら先程の矢は警告のつもりらしい。

「あいや、待たれい! 確かに小生はネルカティエの者だが、お主等と争う気は一切無い! 小生は純粋にお主等と話がしたいだけだ! 小生の言葉に、嘘偽りは一片も無いぞ!」
敵意を向けられているという事は、紅蓮が何者なのかを知っているからこそ。
嘘を吐くか、誤魔化すよりは正直に言った方が得策だと判断した紅蓮は目的を大声で告げ、彼に敵意を向ける者達の反応を確かめる。
「その言葉、本当かしら? その場凌ぎの嘘じゃないでしょうね?」
すると、ガサガサと近くの茂みが揺れ、その中から弓を構えた女性が現れ、現れた女性は男なら誰でも口説きたくなる程に美しい女性だった。
但し、頭の捩じれた真っ黒な角と腰に生える蝙蝠のような翼が無ければ、だが。

「然り! 先程も言ったが、小生の言葉に嘘偽りは一片も無い! 言葉で信用出来ぬなら、小生に敵意も害意も無い事を証明しよう」
露骨な警戒と弓を向ける美女を前に何を考えたのか、いきなり紅蓮は服を脱ぎ始める。
「はぁ!?」
「わ、わ、わぁ!?」
突然のストリップショーに弓を構える美女は目を丸くして驚き、周囲に隠れている者達もいきなりのストリップショーに困惑を隠せない。
当然、紅蓮の背後に居る佐久夜も両手で顔を隠すが、顔隠す指の隙間からチラチラと彼のストリップショーを覗き見ている。

「どうだ! コレにて小生は丸腰どころか、象さんがパオーン! これでも信用出来ぬと言うなら、小生必殺の象! 大回転裸身の舞を披露するぞ! どぅわ〜はっはっはっ!
腰に手を当てて豪快に笑う紅蓮だが、萎えて尚大蛇のような立派な逸物を堂々と晒す彼の姿は間違いなく変態である。
「わ、分かった、分かったわ! 分かったから、裸踊りはしないでちょうだい!」
「うむ! 分かってもらえて小生は嬉しいぞ!」
このままでは裸踊りされてしまうのが分かったのか、美女はそそくさと弓を下ろし、弓を下ろしてもらえた事に紅蓮は腕を組んで暑苦しい笑みを浮かべる。

「はぁ、貴方に敵意が無いのは分かったわ。貴方、私達と話がしたいって言ってたけど」
「然り! お主等魔物が一体どのような存在なのかを、小生は知りたいだけよ!」
紅蓮の奇行に呆れたらしく、額に手を当てて俯く美女に、紅蓮はセイレムを訪れた理由を素っ裸のまま告げる。
「ふぅん……なら、私の家で話をしましょう。案内するわ」
そう言うが早いか、美女は先導するように踵を返して歩き始めるが、数歩も進まない内に紅蓮に振り返る。
「その前に服を着てちょうだい、若い子や独身の子には目の毒だから」

×××

「で? 話って何かしら?」
「うむ、少々長くなるが順を追って説明しよう」
服を着た後、紅蓮に弓を向けた美女……セイレムの長たるキザイアの家に招かれた紅蓮は、自身の素性とセイレムを訪れた理由を簡潔に語る。
自分は異世界からの来訪者である事、行く当ても帰る方法が無い為ネルカティエの世話になっている事、セイレムを森ごと殲滅しろと命じられた事。
紅蓮が異世界の来訪者という事にキザイアと佐久夜は驚き、完全殲滅を聞いた途端露骨に顔を歪めさせる。

「はぁ……穏やかに生活してるだけで何も悪い事はしてないのに、どうして教団は私達を目の敵にするのかしら」
一通り説明を受けたキザイアは呆れた溜息を吐きつつ顔を俯かせ、紅蓮の隣に立つ佐久夜も心底嫌そうな表情を浮かべる。
「小生が聞きたいのは其処だ……何故ネルカティエ、もとい教団は魔物を敵視するのか? 魔物が如何なる存在かを問うても、あの肥満王共は悪だ、塵だの一点張り。埒が明かぬ故、こうして話を聞きに来たのだ」
溜息交じりに紅蓮は同意するしかない……無知は罪なのを知らないのか、知っているにも関わらず無知のままでいようとするネルカティエの面々には呆れるしかない。

「さて、私達魔物が何なのか、だったかしら?」
長くなるけど、と前置きしてから魔物が何なのかを語り始めるキザイアに、紅蓮は静かに彼女の話に耳を傾ける。
「魔物は人食い、というのは事実。だけど、ソレは過去の話であって今は違うわ」
曰く、魔物が人を喰らい、人を殺していたのは変えられない事実だが、六〇年前の魔王の代替わりで全てが変わった。
全ての魔物は嘗ての名残……異形の怪物であった頃の面影を残しながら見目麗しい美女へ変わり、魔物は人を喰らうのではなく愛するようになった。
魔物は人間との共存を目指すようになり、彼女達は自分と家族、仲間を護る為だけに力を振るうようになったそうだ。

「む? それでは、どうやって魔物は子を為すのだ?」
「どうするも何も、人間の男とヤるだけよ❤」
ぶほっ!?
魔王の代替わりを機に魔物は全員美女になった。
その言葉に首を傾げながら紅茶を口に含む紅蓮に、キザイアはニヤニヤと笑みを浮かべて左手の親指と人差し指で輪を作り、その輪の中に右手の人差し指を出し入れする。
その露骨でオヤジな表現に、紅蓮は口に含んでいた紅茶を盛大に噴き出す。
「うわわっ!? ぐ、紅蓮、大丈夫!?」
「げほっ、ごほっ……う、うむ、小生大丈夫。し、然し、そ、ソレはどういう事であるのカナカナカナカナカナカナカナカナ?」
慌てて大丈夫かと問う佐久夜に紅蓮は大丈夫だと答えるが、動揺が抜けきっていないのか、蝉になっていた。

「ふふっ……私達魔物は人間の食べ物も普通に食べられるけど、一番の御馳走は『精』と呼ばれる命の力なの」
「そ、ソレと性交に何の関わりが?」
子作りと食事に、一体何の関係があるのか……異世界の住人である紅蓮には全く分からず、袖で紅茶を拭いながら紅蓮は二つの関係性をキザイアに問う。
「関係はあるわよ。精は唾や汗にも含まれてるけど、たっぷり精が詰まってるのは人間の男の精液なの❤」
どぅほっ!?
満面の笑顔で答えるキザイアに紅蓮は噴き出し―今度は紅茶ではなく唾だが―、袖で口元を拭う紅蓮は『早く答えてくれ』と視線で訴える。

「だから、私達魔物は食事と子作りが同じなの」
曰く、人間の体液に含まれる『精』と呼ばれるエネルギーが魔物の主なエネルギー源。
人間は精を自力で作れるが魔物は自力で作る事が出来ないらしく、魔物は人間が作る精を体内に吸収し、吸収した精を魔力に変換する事で生命活動を維持している。
その精を多量に含んでいるのが男性の精液で、精を効率良く摂取するには人間の男性との性交が一番らしい。
「食欲、睡眠欲、性欲、人間がよく言う三大欲求の二つが私達は一緒でね。子供が作れる、お腹が満たされる、エッチも楽しめる、と一石三鳥なの♪」
「ぬ、ぬぬぬ……連中は『魔物は人を喰らう』とよく言うが、ソレはまさか?」
実に楽しそうなキザイアに、嫌な予感を感じた紅蓮は恐る恐る尋ねる。
「その予想は大正解♪ 確かに私達は人を食べるけど、ソレは『性的』な意味で、ね❤」
「ぷ、プロメテェェ―――――ウスゥ!!
予想通りの答えに頭を抱えて仰け反る紅蓮は意味不明の奇声を上げ、その奇声にキザイアと佐久夜は怪訝な表情を浮かべるしかなかった。

「う、うむ……お主等魔物が、連中が言うような邪悪な存在ではないのは分かった」
「私達の事、分かってもらえて何よりだわ」
禿頭の天辺まで真っ赤に染めたまま頷く紅蓮に、キザイアは柔らかな笑みを浮かべる。
人間を愛し、人間との共存を目指す魔物。
話を聞く限り、ネルカティエの言うような邪悪さを微塵も感じられない。
快楽と欲求に忠実な快楽主義者だったのは予想外だったが、ソレさえ除けば平気で同族で殺し合う人間より遥かにマシである。
「でも、私達の事をもっと知りたいなら……」
「し、知りたいなら?」
柔らかな笑みが一転、妖艶な笑みを浮かべるキザイアに紅蓮は思わず身構える。
心なしか、キザイアの目が獲物を狙う猛禽類のように見える。

「私と、エッチしてみる? お互いの事を知るなら、エッチが一番早いわ♪」
「ぬぁんと!?」
「だ、駄目ぇ!」
突然の言葉に紅蓮は目を見開いて驚き、その言葉に佐久夜は紅蓮の右腕を抱きしめる。
「何が駄目なのかしら? 別に貴方のモノでもないでしょ?」
「そ、ソレはそうだけど……でも、駄目なモノは駄目なの!」
妖艶な笑みを浮かべるキザイアを睨み付ける佐久夜だが、紅蓮は右腕に伝わる感触で顔がにやけそうになるのを抑えるので必死だったりする。

(こ、コレは搗きたての餅か!? なんという柔らかさ! えぇい、鎮まれ我が息子よ! スタンダップするではない!)
佐久夜は紅蓮と同年代に見えるが胸にはグラビアアイドル顔負けの巨乳、魅惑のプニプニエアバッグの感触は些か刺激が強過ぎる。
「あらあら、胸を腕に当てられただけで顔を真っ赤にするなんて初心なのね♪」
「し、仕方あるまい。生まれてから一七年、義妹以外に女っ気の無い真っ黒黒助な家庭で育ったのだ。小生、女子には慣れておらぬ」
「「え?」」
顔が赤くなった事をからかうキザイアに紅蓮が頬を掻きながらソッポを向くと、キザイアと佐久夜は驚きの表情を浮かべる。

「な、何ぞ、その顔は……ナリは厳ついが、これでも小生はピチピチの『一七歳』だ」
驚きの表情を浮かべる二人に自分は華の一〇代と告げる紅蓮だが、『ピチピチ』という表現を使っている段階で既にOYAZIである。
「嘘……」
「ほ、本当?」
「……一応、聞いておくが。お主等、小生を幾つだと?」
凍りついたかの如く固まる二人に、紅蓮は自分を何歳だと思っていたのかを問う。
「え、えぇと……二〇代前半?」
「私は三〇代後半かなぁ、と」
「……………………ぐす」←今にも泣きそう
佐久夜の答えは実年齢に近いので許せるが、『三〇代後半』というキザイアの無情な答えに紅蓮は泣きたくなった。

「う、うぅ、ぐすっ………し、然し、一つ疑問が残る。何故、その魔王とやらは人食いの化生だったお主等を、思わず口説きたくなる見目麗しい美女に変えおったのだ?」
「う〜ん、其処は私達も分からないわ。魔王様には魔王様の考えがあって、私達をこんな姿にしたんだと思うけど」
キザイアの無情な答えに落ち込んでいた紅蓮は気を取り直し、何故魔王は魔物の姿と精神を変えたのかという疑問をキザイアにぶつける。
だが、流石にソレはキザイアも分からないらしく、佐久夜も首を傾げるしかなかった。
「まぁ、ソレは置いておくとして、キザイア殿と佐久夜殿は一体どのような魔物なのだ?」
上に立つ王の考えを民が考えても無駄だろうと判断した紅蓮は、先程から気になっていたキザイアと佐久夜の種族を問う。

「私はサキュバス、サクィーアちゃんはアルラウネよ」
「サクィーア? サクィーアとは誰の事だ?」
その問いが出るのが分かっていたらしいキザイアは即答するが、『サクィーア』という名に聞き覚えの無い紅蓮は首を傾げる。
「もう、ボクの名前は『サクィーア』じゃなくて『佐久夜』だってば! キザイアさん、わざとボクの名前間違えたでしょ!」
「あらあら。間違えるも何もソッチが本名で、佐久夜は貴方が勝手に付けたんじゃない」
すると、佐久夜が反論し、その反論を涼しい顔で返すキザイア。

「ぬ? お? コレは一体全体、どういう事なのだ?」
「『木花佐久夜』っていうのは、自分の名前をお父さんの出身地風に当て字した名前でね。佐久夜ちゃんの本当の名前は『サクィーア・コヌファナ』って言うの」
「むぅ……」
首を傾げる紅蓮にキザイアは簡潔に説明し、その説明に佐久夜はブスッ…と拗ねた表情を浮かべる。
「ほうほう、成程納得。と、いう事は佐久夜殿の親父殿はジパングの出身か」
キザイアの説明に納得し、頷く紅蓮……元の世界で言う『日本』と非常に近い『ジパング』という島国がある、というのを紅蓮はネルカティエの図書館で知っていたのだ。

「うむ、実に良い名前だ! 奇しくも当て字が女神の名、而も女性にとってはありがたい女神とは縁起が良い!」
「あ、ありがと……でも、女神様の名前って?」
「小生の故郷には、『木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)』という女神がおってな。彼の女神は燃え盛る業火の中で子供を産んだ、という逸話から安産の女神として祀られておるのだ」
「へぇ〜、安産の女神様なんだ。何だか、嬉しいね♪」
良い名前だ、と褒められた事に若干顔を赤くしながら佐久夜は紅蓮に問うと、返ってきた答えに佐久夜は感心と喜びの混ざった笑みを浮かべる。
佐久夜の満面の笑顔に紅蓮の心臓が一瞬昂るが直ぐに治まる……この時、紅蓮はこの昂りの正体が分からず、この昂りの正体を知ったのは後の事である。

「む……そろそろお暇するか」
「あら、もう帰るの?」
その後、キザイアと佐久夜と他愛のない雑談を続けていた紅蓮だが、窓の外を見てみれば空が橙色に染まっており、そろそろ帰る事を二人に告げる。
「只でさえ魔物を滅ぼせ、魔物を殺せと五月蠅い連中が、更に五月蠅くなる。取り敢えず、今日は此処で雑談を切り上げるとしよう」
どっこいしょ、と爺臭い台詞と共に紅蓮が立ち上がると、いきなり裾を引っ張られる。
「む?」
「あ、あの……え、えぇと……ね……」
裾を掴まれて振り返ると其処には顔を仄かに赤くし、モジモジとしている佐久夜。
裾を掴んだままモジモジとしていた佐久夜だが、意を決したように何処からか取り出したサッカーボール程の大きさの壷を紅蓮に差し出す。

「えっと……コレ、あげるね!」
「…………この壷、中身は何ぞ?」
差し出された壷は布でシッカリと蓋がされているが、それでも濃厚で芳醇な甘い香りが鼻を優しく刺激してくる。
「コレ、ボクの花から採れた蜜で、甘くて美味しいんだけど……」
「ほぉ、佐久夜殿の蜜か。小生、三度の飯より甘い物が好きでな、ありがたく受け取ろう!」
「ほ、本当! 良かったぁ……」
壷の中身が佐久夜の花から採れた蜜だと知った紅蓮は、目を輝かせながら壷を受け取り、断られたらと不安そうだった佐久夜も受け取ってもらえた事で顔を綻ばせる。

「あ、でも、食べる時は気を付けてね。少しずつなら大丈夫だけど、一気に食べると身体に悪いから」
「うむ、忠告承った。じっくりたっぷり、時間を掛けて堪能させてもらおう」
佐久夜の注意に紅蓮は真夏の太陽の如き暑苦しい笑みを浮かべ、礼代わりにと彼女の頭をワシワシと撫でる。
「ふわぁ……」
佐久夜の頭を撫でる紅蓮の手は、まるで春の日差しで温められた岩。
荒っぽいが優しさを感じさせる撫で方、歳の割にはゴツゴツとした武骨な手。
まるで父親が我が子に向けるような温もりに、佐久夜は目を細めて心地良さそうな表情を浮かべる。

「それでは、また後日」
「…………あ」
一頻り佐久夜の頭を撫でた紅蓮は頭から手を離し、踵を返してキザイアの家から去る。
手を離した時、佐久夜の少し寂しげな顔を紅蓮は見えていたのだろうか。

×××

「で? 話は聞けましたか?」
「うむ」
ネルカティエに戻った紅蓮は報告を手短に済ませ、与えられた部屋の扉を開けると同時に卑屈さの滲んだ声が耳に届く。
紅蓮達に与えられた部屋は質実剛健……四人が生活するには充分な広さだが、必要最低限の家具だけが揃った質素な部屋である。
声の主は入口に最も近いベッドに腰掛けた、緑色の無地のスーツを纏う痩躯の少年だ。

「結論から言えば、連中の言う事は閻魔様に舌を引っこ抜かれても文句は言えぬ大嘘ぞ。お主等も実際に会ってみれば分かるが魔物は邪悪に非ず、寧ろ見習いたい程」
「へぇ……俺達の中じゃ二番目に人を見る目がある紅蓮にそう言わせるたぁ、魔物も悪い奴等じゃねぇって事か」
自分のベッドに腰掛け、壷の封を開けながらの紅蓮の言葉に、丸テーブルの上に腰掛ける黒革のツナギの少年がリボルバーを弄りながら笑みを浮かべる。
黒革のツナギの少年の尻近くには銃の整備する為の道具が乱雑に広がっており、どうやら手に持ったリボルバーのメンテナンス中らしい。
「帰ってきて早々で悪いが、例の集落で聞いた話を聞かせてくれ」
「合点承知の助よ」
窓際に立つモノトーンの服の少年の言葉に紅蓮は頷き、セイレムでの話を語り始める。

緑色のスーツを纏う痩躯の少年の名は碧澤一心(ミドリザワ・イッシン)、黒革のツナギ着る少年の名は黒井夜斗(クロイ・ヤト)、モノトーンの服に身を包む少年の名は灰崎勇一(カイザキ・ユウイチ)。
セイレムでの話を語る紅蓮を含めた彼等四人は、『とある事情』で両親に捨てられた過去を持っている。
そんな彼等を義父が養子として一手に引き取って以来、彼等四人は血よりも濃い情で硬く結ばれた『義兄弟』である。
因みに紅蓮は七男一女の義兄弟の長男、一心は次男、夜斗は三男、勇一は六男、歳は全員『一七歳』である。

「……といった次第」
「成程、ねぇ……」
「かぁ〜! 魔物の何処が邪悪な存在だよ! アイツ等が邪悪だったら俺達は何なんだ? 極悪か? 兇悪か?」
「……呆れてモノが言えないな」
セイレムでの話を語り終えた紅蓮はフゥ…と息を吐き、一心、夜斗、勇一の三人は揃って呆れた表情を浮かべている。
自己の欲求に忠実な快楽主義者だが、平和と共存を望む魔物。
魔物の事を知らず、知ろうともせず殲滅を謳うネルカティエ。
これではネルカティエの方が『邪悪』と表現するに相応しい。

「この国は歪んでおる」
呆れる三人を前に紅蓮は静かに、ハッキリと告げる。
ネルカティエは歪んでいる、と。
「『平和に必要なのは対話と理解である。例え苦難の道を歩む事になっても、対話と理解を忘れてはならない』……この言葉は、皆も覚えておるだろう?」
紅蓮の言葉に、三人は無言で頷く……忘れる筈も無い、この言葉は彼等に愛情と『力』を与えてくれた敬愛する義父の言葉なのだから。

「だが、この国はどうだ? 相手と話し合う事も、理解しようという気を持っておらぬ。仮に小生が王と謁見し、この事を伝えても魔物は邪悪だから滅ぼせと言うだろう。寧ろ、小生を『堕落した謀反人』として始末するかもしれん」
『……………………』
「親父殿はこうも言っていた、『他者の正義を悪と断じる独善こそが最大の悪である』、と。対話と理解を放棄し、魔物を悪だと断じて独善を押し通すネルカティエが真の邪悪ぞ」
眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる紅蓮に三人は無言を貫く。
「小生等は、このまま独善を振りかざす邪悪に従うのか? 否、断じて否! 小生等の力は弱き者達を護る為の力、その力を邪悪の為に振るっては親父殿の教えを穢す事になる!」
グッ…と拳を握り締め、強い意志を籠めた言葉を放つ紅蓮。

「…………なぁ、紅蓮」
「む?」
呆れた顔で肩を竦める夜斗に、紅蓮は首を傾げる。
何か、おかしい事を言ってしまったのかと紅蓮は思ったが、
「真面目な顔でカッコいい事を言ってもよぉ……蜂蜜入った壷を片手に、口の周りを蜜でベタベタにしてちゃ、カッコ良さ台無しだぜ?」
「ぬ…………」
某黄色い熊さん宜しく、口の周りを佐久夜の蜜で汚した状態で言っても全く迫力が無いと指摘されただけだった。

「まぁ、紅蓮の言う事も分かる。分かる、けどなぁ……」
紅蓮が口元の蜜を拭い終わるのと同時に、夜斗は深く溜息を吐く。
「確かに俺達の力は戦いたくても戦えねぇ、弱い奴等を護る為の力だ。親父から学んだ力、こんなクソッタレな連中の為に振るうのも俺ぁ嫌だね。嫌だけど、さぁ……」
「皆まで言うな、ソレは私も同じだ」
天井に目を向け、遠い目で呟く夜斗に勇一は頭を振る。
夜斗の言いたい事は全員理解している……その証拠に紅蓮は深い溜息を吐き、一心は眉間に寄った皺を揉んでいる。

右も左も分からぬ、見知らぬ異世界に放り込まれた紅蓮達は、ネルカティエ以外の地理を知らない。
ネルカティエから逃げたとしても何処にどんな街があるか分からず、何も分からぬ状態で外に出るのは、海図もコンパスも無しにボロ舟で海に出るようなモノだ。
ネルカティエ以外の地理情報が欠けている以上、逃げ出した所で追手に追い付かれるか、野垂れ死ぬかのどちらかだろう。
仮に追手から逃げ切り、街に辿り着いたとしても、辿り着いた街がネルカティエと同様の思想を持った街だったら笑えない。
離れたくても離れられない、どれだけ嫌っていても離れる事が出来ない、ソレが紅蓮達の抱えている悩みだ。

「せめて、東(アズマ)達が居れば……駄目だ、そもそもコッチに来てるかも分かんねぇし」
今、此処にいない四人が居れば、何も分からぬ状態で逃げ出しても何とかなる。
義兄弟が揃えば例えどんな苦境であっても耐え抜く事が出来るし、何時か切り抜けられる。
そう固く信じているだけあって、この場に残る四人が居ないのは精神的に痛い。
「あぁ、そうだ。その事についてだが、気になる情報を入手したぞ」
「お、マジか?」
絶対に揺るがぬ信頼を寄せる義兄弟の不在に落ち込んで俯く夜斗だが、先の発言で何かを思い出したらしい勇一の言葉に顔を上げる。

「我々の召喚とほぼ同時期に、魔物側の勇者とでも言うべき存在が現れたそうだ」
教団の部隊が攻め入った地に颯爽と現れ、選ばれた者だけが名乗る事を許される勇者すら赤子の手を捻るかの如く屠り、風のように去る四人。
一人でも現れれば部隊は瞬く間に壊滅、生存者はごく僅かな為に目撃証言も非常に少ない。
この荒唐無稽を体現した四人に教団はネルカティエを中心に専属調査部隊を編成したが、生存者がいない事、僅かな目撃証言が曖昧な事もあって調査は全く進んでいないそうだ。
その為、ネルカティエは勿論、他の教団の部隊も迂闊に親魔物派領を攻撃出来ないそうだ。
「ふむ……して、その話と東達に何の関わりが?」
「コレを見てくれ」
その説明に首を傾げていた紅蓮達に、勇一は懐から四枚の紙を取り出して手渡す。
手渡された紙はどうやら指名手配書らしく、筆の荒い似顔絵の下に高額の賞金が書かれた指名手配書には、馴染み深い顔が描かれていた。

「って、ガチで東達じゃねぇか!
「……無事で何より、ですねぇ」
そう、手配書に描かれていたのはこの場にいない四人。
尤も、その内の一人は顔の上半分を覆う鉄仮面を被っている為顔は分からないが、こんな仮面を被る人物は紅蓮達が知る中では一人だけだ。
馴染みの顔が描かれた手配書に夜斗はツッコミを入れるように右腕を振り、一心は四人の無事とこの世界へ招かれていた事に安堵するような溜息を吐く。
「コレは……大方、琴乃(コトノ)の考えだな」
「私も紅蓮に同意だな……東達からしてみれば行方不明なのは我々であり、我々の行動に期待して、敢えて自分達の情報をリークしたのだろうな」
紅蓮の呟きを肯定するように頷く勇一。

目撃証言は皆無に等しいのに鮮明に描かれた、似顔絵入りの手配書。
ソレが意味するのは義兄弟達からのメッセージ。
この場にいない義兄弟の中には知略に長けた、紅蓮達の参謀役である白城(シラギ)琴乃がいる。
恐らく、義兄弟達は教団が敵視する親魔物派領に滞在しており、自分達の健在を教える為、反魔物派領に自分達の情報を流したのだろう。
義兄弟の中で一番の切れ者の琴乃の事だ、親魔物派領には尋ね人として紅蓮達の似顔絵を既に撒いてあるに違いない。

「東達がこの世界に来ており、無事なのは私も嬉しい。直ぐにでも東達と合流したいが、一つだけ問題がある」
「はぁ? 問題? 何が問題なんだよ?」
義兄弟の無事に喜び、沸き立つ三人に勇一は申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、喜びに水を差すような苦笑に夜斗は眉を顰める。
「まぁ、その、何だ……居場所が分からない」
「何と!?」
「……都合良く世界は回ってくれないって事ですか」
とはっ!? あいたた、ケツ打った……」
無事は分かったが、居場所が分からない……その苦笑の理由に紅蓮は開いた口が塞がらず、一心は肩を竦め、夜斗はテーブルから滑り落ちて尻を強打する。

「まぁ、東達が無事であり、この世界に来ているのは幸いだ。後は、何とか合流する為の手段を考えねばならないな」
この世界に居るとなれば、何時か必ず出会える。
嫌悪を堪え、屈辱を耐えれば、何時か必ず巡り逢える。
その想いが紅蓮達に希望を、前に歩き続ける為の力を与える。
ただ、不安なのは―――
「研鑽の組手以外で東達と戦いたく、ないのぉ……」
道を共に歩む仲間ではなく、道を違えた敵として再会する可能性がある事。
その可能性に、紅蓮達は暗く沈んだ表情を浮かべるしかなかった。

×××

「あら、紅蓮じゃない。貴方、毎日来てるけど、アイツ等に怪しまれないの?」
どぅわぁ〜はっはっはっ! 連中には敵地を調べると、尤もな理由で誤魔化しておる。まぁ、連中には渋い面をされたがな!」
セイレムを訪れてから二週間、初めて訪れた日から毎日紅蓮はセイレムを訪れていた。
毎日セイレムを訪れ、すっかり顔馴染みになったキザイアに、怪しまれていないか? と言われた紅蓮は豪快な笑い声と共に大丈夫だと告げる。
ネルカティエには、『地の利を知らずに戦が出来るか』と尤もな理由で出る事を告げてある。
まぁ、紅蓮の言う通り、ネルカティエの軍部は『何時まで続けるつもりだ?』と渋い面を浮かべていたが。

「して、佐久夜殿は何処に?」
「もう、またサクィーアちゃん? サクィーアちゃんなら、いつもの池にいるわよ」
「そうか、そうかの草加煎餅。では、佐久夜殿と面白おかしく世間話と洒落込もう」
佐久夜は何処だ? と尋ねる紅蓮にキザイアは呆れたように肩を竦めつつ彼女の居場所を告げ、いつもの場所に居ると教えられた紅蓮は教えられた場所へ足を向ける。
「はぁ、狙ってたのに残念だわ……」
背後から聞こえた、溜息交じりのキザイアの言葉に首を傾げながら。

「ふにゃあぁ……あっ、紅蓮! 今日も来てくれたんだ!」
セイレムから徒歩数分の距離に、二五メートルプールと同等の広さはある池がある。
その畔で根を埋め、如何にも極楽といった表情を浮かべる佐久夜は、此方に近付く紅蓮を見つけると満面の笑みと共にブンブンと手を振る。
「おうよ! 佐久夜殿との語らいは、小生にとって甘味と同じ価値がある!」
「むぅ、ボクはお菓子と同じなの?」
ぬわははははは!
その言葉に可愛らしく頬を膨らます佐久夜に、紅蓮は豪快で暑苦しい笑みを浮かべながら彼女の隣に胡坐で座る。

「何時の事だったか、組手の最中に小生の蹴りが夜斗の股間に命中してな。ポクッ! と小気味良い音と共に膝から崩れ落ちよったが、仕返しとばかりに小生もタマを蹴り返され泣きを見たものよ」
「あはは! 夜斗も紅蓮も災難だったね!」
子供の頃のちょっとしたトラブルを話す紅蓮、その話に佐久夜は腹を抱えて大笑いする。
佐久夜との雑談の話題は、大抵が元の世界の思い出だ……故郷に帰れるかどうか、という不安と寂しさを隠しながら、紅蓮は過去の思い出を面白おかしく語る。

『ねぇ、子供の頃の紅蓮はどんな子だったの?』
『ぬ、むぅ……』
この二週間弱、佐久夜と顔を合わせる度に紅蓮は元の世界の思い出を日が暮れるまで色々話したが、一番話し難かったのは子供の頃の話だった。
『小生が小僧だった頃の話は……その、おいそれと他人に話せるような話ではないのだが、それでも聞きたいのか?』
『話せる所だけでいいよ。ボク、紅蓮の事をもっと知りたいんだ』
紅蓮の事をもっと知りたいと言う佐久夜に紅蓮は肩を竦めて自嘲するような笑みを浮かべ、感情を籠めずに淡々と幼少の頃の話をする。

『……といった次第』
『そ、そう、なんだ……』
話を終えて溜息を吐く紅蓮、己の想像以上の内容に佐久夜は困惑と驚愕を隠せない。
それだけ子供の頃の話が重かった為、佐久夜はどういった反応をすればいいか分からない。
『まぁ、そのお陰で親父殿や東達と……佐久夜殿と出会えたのだ。一七年という、短くも波乱万丈な人生には感謝せねばな!』
困惑と驚愕を隠せず、暗く沈んだ佐久夜を気遣うように、紅蓮はカラカラと明るく笑う。
佐久夜に暗い表情は似合わない、という想いもあってだが。

「む……もう、こんな時間か」
「うわっ、結構暗くなっちゃったね」
他愛無い雑談を続けている内に、相当時間が経っていたらしい。
青かった空は紫色に変わり始め、気の早い星々がキラキラと輝き始めている。
もう直ぐ夜になりそうな空に紅蓮と佐久夜は他愛無い、それでいて価値在る時間の終わりを惜しむような表情を浮かべる。
「では、また……」
また明日、と言おうとした紅蓮だが口に出そうとした瞬間、漠然とした不安が胸中を襲う。

「ん? どうしたの?」
「い、いや、何でもない……また明日、こうして語り合おうぞ」
「うん! また明日ね!」
口籠もる紅蓮に佐久夜は怪訝な表情を浮かべ、何でもないと紅蓮は慌てて誤魔化す。
紅蓮にしては珍しい態度に首を傾げていた佐久夜だが、『また明日』の一言で怪訝な表情が一転、ケロリと満面の笑みを浮かべる。
その笑みにドキリとしながら漠然とした不安を抱え、紅蓮はネルカティエへと足を向けた。

―カン、カン、カン、カン、カン、カン……
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶般若心経……」
だぁぁぁ! 喧しい!
セイレムから戻ってきて早々、木魚の代わりにバケツのような兜を叩きながら般若心経を一心に唱え続ける紅蓮の姿は本職の坊主宛ら。
そんな紅蓮に夜斗は無駄だと分かっていても喧しいと叫ぶのだが、既に夜勤の兵士以外は眠っている時間帯なので、どちらも近所迷惑である。

「また般若心経の読経か……」
「こりゃ、近い内に何かありますねぇ……」
一心不乱に読経を続ける紅蓮に、一心と勇一は肩を竦める……言い様の無い、漠然とした不安を感じた時、紅蓮は本職の坊主宛らに読経を始める。
そして、紅蓮が読経する時は近い内に何かが起きる、それも悪い事が。
事実、元の世界での話になるがアメリカの同時多発テロや東北地方の大地震の時、紅蓮はその何日か前に読経をしていたのだ。
大なり小なり、何か不吉な予感を感じれば紅蓮は読経を始め、その予感は殆ど当たる為、紅蓮の読経は一心達の間ではトラブルの予兆となっている。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子……」
般若心経の読経を続ける紅蓮だが、その心は晴れるどころか曇っていく。
紅蓮流の気分転換でもある読経……大抵は二、三回、多くても五、六回で心は晴れるが、始めてから既に数えるのが面倒になるくらいに唱えている。
時刻は草木も眠る丑三つ時、既に一心達は紅蓮の読経を子守唄に―流石に迷惑なので兜を木魚代わりに叩くのは止めた―眠っている。
暗く沈んだ声で何時間も延々とループする般若心経、B級ホラー顔負けの状況である。

「えぇい、何故、一向に気分が晴れんのだ! 少々、気晴らしに夜風に当たるか……」
読経を切り上げ、深夜である事を鑑みて小さ目の声量で叫んだ紅蓮は、部屋の窓を開けて『其処から飛び降りる』。
紅蓮達の部屋はネルカティエ城の三階だが、地上までの高さは優に一〇メートルはあり、其処から飛び降りるのは自殺行為である。
無論、紅蓮に飛び降り自殺する気は無い……みるみる近付く地上を前に、紅蓮は足の裏に意識を集中する。
「ほっ、と……」
すると、紅蓮の足の裏、踵の部分から『ジェット噴射のように炎が噴き出し』、激突寸前で紅蓮は垂直に上昇、そして、瞬く間に城の天辺まで上昇する。

「むぅ、これでも気分が晴れぬとは、中々に手強い……な!?」
夜風に当たっても晴れぬ気分に顔を顰める紅蓮は、ふと目を向けた方向に見えた光に目を見開き、驚愕で固まる。
人工の灯りの無い、星だけが輝く漆黒……その中で煌々と輝く橙色の光、ソレは燃え盛る炎の輝き、炎が燃え盛っているのは紅蓮にとって馴染み深い森。
そう、セイレムのある森が燃えている。
「セイレムが燃えておる! 急がねば!」
セイレムのある森が燃えているのを見た紅蓮は驚愕で顔を強張らせ、踵の炎を最大出力で噴かして夜空を飛翔する。
「この胸騒ぎは焼き討ちの予兆であったか!」
爆発的な勢いで夜空を翔ける紅蓮、その姿は夜空を切り裂く流星が如し。
徒歩ではそれなりに時間が掛かるが、最大速度で飛ばせば一〇分も掛からない。
セイレムの住民が、佐久夜が無事である事を祈りながら、紅蓮は夜空を突き進んだ。
13/12/03 07:58更新 / 斬魔大聖
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