連載小説
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ホーンズトレイル
ギュム、ギュム、ギュム、ギュムと蹄が雪を踏み締める音だけが、開けた雪道にリズミカルに鳴り続ける。
風は凪いでいるので、それ以外の音がまるで聞こえない。
関所の雑音と彼等を見送る声援も、出発するとすぐに聞こえなくなった。
外気にさらされた目の回りがひりつくように痛いが、それ以外の全身も凍えるのには十分な寒さだ。
サラと接している場所だけが、ほのかに温かい。
半ば欠けた月が獣の脚跡一つ無い雪道を照らす中、ホワイトホーンの背で揺られているのは、雪国での始めての冬を迎えたラティにとって現実感が感じられない体験だった。
「名字は北国の名前みたいだけど、こういう光景は初めて?」
サラからの不意の問いかけに、ラティは緩みかけていた手を再び握りしめる。
背中の相手が我を失いかけた様子を察したらしい。
「先祖は北国の人らしいですけど、僕は産まれてからずっと南の方で生きてきたので」
「そう。私は産まれてからずっと雪国育ち」
さっきからサラは全速力を出していない。
半端に緩んで締まった雪は足にまとわり付き、歩くだけでも酷く疲労する。
その為に駆け足程度の早さでテンポ良く歩を進めているので、二人が雑談をする余裕が生まれていた。
「綺麗でしょう?息を吸うのも辛いような寒さの中に居るのに、ここは涼やかな心地よさに満ちてる」
寒さに強いホワイトホーンならぬ身のラティは、流石に心地よさを感じる事は無かったが、この風景の静謐な美しさには同意していた。
生命に溢れている地では決して感じる事が出来ない、この天地に生きている物が自分達だけになったような、不快ではない孤独さ。
「ジパングから来た人は『ゼン』の世界だ、って言ってたわ」
「『ゼン』ですか」
「そう、『ゼン』。『ゼン』を極めれば、炎の中ですら涼しく感じるようになるんだって言ってたけどね」
炎を涼しく感じられるなら、雪山でも暑く感じれる事も出来るのだろうか?そうだったら今すぐ欲しいのに。
つまらない事を考えているラティを揺らしながら、二人は雪山の中へと進んでいく。

ある程度山道を進むと、サラは本来の山道をそれて、辛うじて道だと分かるような細い道を進み始めた。
「あの・・・本当にこっちで良いんですか?」
「間違ってないわ。向こうは二本足の為の道だから」
変な事を言い始めたとラティは思ったが、不案内な自分が口を出す話では無いので黙っていた。
しかし、細い道がたどり着いたのは急峻な崖である。
「・・・これ、崖じゃ無いですか」
「道よ。あたし逹だけのね」
腰の両脇に下げた革のケースからピッケルを一丁ずつ取り出す。
他の種族では通る事が不可能な峻険な場所でも、雪山を住処としてきたホワイトホーンなら通る事が出来る。
つまり、曲がりくねった山道をショートカットする事が可能であり、これこそが、この山岳地帯をホワイトホーンが驚異的なスピードで移動できる理由だった。
ホーンズトレイル。
近隣の住民逹は、この彼女逹だけが通る事が出来る道をそう呼んでいる。

何もする事がないので、黙って崖を見上げるサラと一緒にラティも崖を見上げるが、雪山に不慣れなラティの目には、とても登れそうな場所には見えない。
確かに足ががりになりそうな岩は幾つも張り出しているが、冬の夜の事なので完全に凍り付いている。
装備を整えて時間をかければ登れるだろうが、とても近道には見えなかった。
「・・・本当に登れるんですか?」
「ちょっと黙ってて。脚を掛ける順番を考えているから」
崖の真ん中で行き止まりました、では済まない以上、どのルートで行くかというのは重要なポイントだった。
「・・・OK。崖登りの最中にぶら下がられると命に関わるから、しっかりと私に密着していてよ?」
後退りすると、助走を付けて一気に飛び上がる。
脚を掛けた岩棚は凍り付いていたが、ホワイトホーンの頑丈な蹄は氷面にガッチリと食い付いてホールドしてくれる。
そして、驚くほどの跳躍力。
人では跳び移れないような距離でも、平然とリズミカルに跳び移っていく。
手に持ったピッケルは半ば飾りであり、大半を脚だけで登っていくクライミングは、人間のそれとは全く違う異質な物である。
最後の一足を蹴り抜いて雪庇の切れ目めがけて跳び上がれば、もうそこは崖の上だった。

「この先もこれくらいの調子なら楽勝なんだけどね・・・」
ピッケルを革ケースに収めながら、崖上に続いている道を走り始めるが、背中のラティが不自然に静かな事に気付いた。
「ちょっと、大丈夫?もし、漏らしちゃったのなら、正直に言わないと凍り付いて大変な事になるわよ?」
「・・・んや、大丈夫・・・」
崖を登っている最中、背中のラティは運悪く目を開いたままだった。
と言うより目を閉じる事も忘れるような有様だったので、崖を駆け上がっていく光景の一部始終を一等席で眺める羽目になったのだが、騒ぐどころか指一本動かす事もままならない状態だった。
崖の斜面が滑るように進んでいった光景は、まるで空を飛んでいたとしか思えない。
「いつもあんな場所を登るんですか?」
「あれくらいなら訓練したホワイトホーンは大体登れるけど?」
駆け出しながらサラが答える。
ホワイトホーンの蹄は雪原を走る事に適した広い形をしているので、本来なら岩登りにはあまり向いていない。
しかし、その蹄で急峻なホーンズトレイルを駆け上がるのが、フェリンツァイスのホワイトホーン逹である。
「もっとも、人を乗せてトレイルを登るのはあたしくらいだけど・・・」
人を乗せてホーンズトレイルを登るのは基本的に禁止されているのだが、サラはこの規則破りの常習犯なのであった。
そのせいで、物流組合で一番のホワイトホーンでありながら、実は彼女はほとんど人を乗せた事が無い。
数少ないこれまでの乗客は、腰を抜かすか気を失うかのどちらかだったので、組合の方でサラに人を運ばせる事を止めたのである。
そういうサラにラティを運ばせたのは、それだけ急を要する事だったからなのだが、当のラティにとっては災難以外のなにものでもなかった。
(そうか、これが嫌だから新入りの僕に任せたのか・・・)
温厚なラティでも腹が立つ様な理不尽ではあったが、人助けの最中に腹を立てるのも馬鹿らしい話である。
ましてや、サラにわめき散らした所で八つ当たりにしかならないのだから、ラティは腹を括って黙っていることにした。
こういう所を考えるに、結局は我慢強さという面でも、やはりラティはこの役にうってつけではあったのである。
17/02/10 19:19更新 / ドグスター
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