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たまには散歩してみませんか?

○名前:ミルフ=バートン
○特徴:バルトワン特別部隊隊長。実はけっこう腕の立つ32歳独身。
 しかし不幸の星に生まれたが如く、初任務に失敗したり、部下と色々あったり。
 そしてこれからも苦労を重ねるであろう悲しい定めを負っている。
 弄られキャラ。













 暗い暗い森の中。がさごそがさごそ音がする。
 夜の闇がお日様を隠して。見下ろすのは冷たい色の星と月。
 星が瞬くのは悲しいから。今日命を落とす彼を彼女を思って瞬く。
 月が輝くのは楽しいから。今日命を落とす彼を彼女を思って輝く。
 さぁ気をつけよう。さぁ気をつけよう。
 今日は三日月。怖い怖い三日月の晩。
 楽しくて仕方が無い月が、堪えきれずに笑っている。

「あー、懐かしいな、その歌。」
「やっぱり知っているのか。」
「あったりまえだ。俺らが子供んときに流行ってた歌だろう?」
「いやもっと前からあったんじゃねぇのか?」
 森を行軍するのは兵士達。
 先頭の兵士が煌々と燃える松明を持ち、後を10人ほどがついて行く。
 ロウで固めた硬革の装備と槍や剣で武装した姿は異様である。
 獣のようで獣ではない。異様な姿。
 一見すると鉄の鎧を買う金が無い貧乏兵士に見えるが、硬革は鉄よりも軽い。
 この軽さという要素は長距離の行軍においてその真価を発揮する。
 とある貴族の話だ。
 彼は見栄えの良さから全身を板金鎧で固めた兵士を率いて意気揚々と戦場に向かった。
 だが、彼の部隊は戦場に辿り着く前に全滅してしまったという。
 そんなことが実際にあったかどうかは定かではないが、傭兵達の間では誰もが知る有名な逸話だ。
 閑話休題。
 兵士達は別に傭兵でも貴族でも無い。
 どこにでも居るような若者達ばかりだ。
 それもそのはず。彼らは領主の応募で集まった力有り余る若者なのだ。
 僅か1月ばかりの訓練を積んだだけの素人集団。実戦経験は、ついこの間1つ増えたばかり。
 その唯一の実戦経験は、一方的な敗北でしかなかった。
 しかも半数は今もなお立ち上がる事も出来ない重傷を負っている。
 倒れた仲間を気遣うでもなく、残った彼らは鼻歌交じりに任務に取り掛かっている。
 気楽で暢気で深く物事を考えていない、どこにでもいる若者なのだ。
「俺の親父がよく言ってたぞ。「いいか、小僧ども。言う事を聞かんと、夜の森の放り出すぞ」ってな。」
「あーあー、俺も聞いた。夜の森にはこわーいお化けが出るんだってな。」
 どっと笑い声が沸く。
 彼らの話題は仲間の一人が歌った歌の事だ。
 大人も子供も良く知っている、夜の森のお化けの歌。
 迷い込んだら最後、誰も生きては帰れない。
 歌の締めくくりはそんな風で、子供を脅すには都合のいい後味の悪さを残す。
「狼なんか怖くねぇ!」
「狐も猫もへっちゃらだ!」
「おれたちゃ誰だ!」
「俺たちだ!」
 楽しく盛り上がった彼らは、同じ様に子供時代に楽しんだ唄を歌う。
 やんちゃな男の子なら一度はした事があるだろう。
 勇者ごっこだ。
「魔物なんてこわくねぇ!」
「魔王だってへっちゃらだ!」
「おれたちゃ誰だ!」
「俺たちだ!」
 子供らしい単純な歌を歌いながら行軍して、魔物に見立てた木や置物をやっつけるのだ。

 だから彼らは気づいていない。
 夜は深く、闇は暗い。
 何者かが潜んでいてもわからないほど、深くて暗い森の中。
 楽しげな行進を観察する何者かが居る事にも、彼らは気づいていない。
 夜の森は魔物の森。
 今宵彼らは、夜の恐ろしさを知る事になった。







「どうしたんだネイル。全員集めて。」
 気づけば昼、気づけば夜。何事もスローペースなおおなめくじのネイル。
 俺たちに宿を提供してくれている彼女は、基本的に何もしない。
 泊まりたければ泊まればいい。えっちしたければすればいい。
 万事が万事そんな調子だ。
 その彼女が急に全員を集めるように指示した。
 家の外に根付いているアルラウネのルーネも会話に参加させるらしく、ルーネを中心に俺たちは集まっている。
「んー。団体さんが来るってー。」
「団体さんいらっしゃーい? いっぱいえっちー?」
「馬鹿ルーネは放っておいて。どうせ俺らの追っ手だろ。」
「そう考えて間違いはねぇだろうよ。」
 予想していた事だ。いずれは追いつかれる。
 俺もガイツも動揺していない。むしろやっと見つけたのか、というぐらいだ。
 動揺しているのはマリンだ。
 捕まった時の事でも思い出したのか、顔が青ざめている。
「追っ手が、来たのですか。」
「心配しなくて良い、マリンさん。今度もかるーくおっぱらってやる。」
 ガイツが震えるマリンの肩を抱き寄せる。
 いつものえろボケおっさんの顔じゃなく、頼り甲斐のあるおっさんの顔だ。
 つぃ、と服を引っ張られて、隣を向く。
「ん、どうしたコリン。」
「また罠、作ろうかー?」
「いやいい。今回は罠なしだ。」
「えー。危ないよー。」
 眉をひそめて心配そうにするコリン。
 どうにもこの家に来た時からはすごく心配性になっているみたいだ。
 子供っぽさが抜けてきているのかわからないけど、胸の奥がしんみりときちまう。
「問題ないって。コリンがいるんだ。帰ってくるに決まってるだろ?」
「……、うん。」
「わかいねー、青春だねー。」
「黙れ馬鹿ネイル。」
 ネイルは基本的に何もしないが、呼吸するように俺らを茶化してくる。
 前に聞いた話だと、マリン・コリン二人揃ってえらいめに、いやエロイ目に合わされたそうだ。
 曰く、「男の子も女の子も大好きなのがおおなめくじの特徴ー」だとか。
 それ以来、マリンはネイルから常に一定距離をとっている。
「小僧。おまえ、やる気か?」
「やる気出すに決まってるだろ。ここでとっ捕まったら、今までの苦労が水の泡だ。」
 渋い顔をするおっさんに軽く請け負ってみせる。
 おっさんは俺が具体的にどうするのか予想がついたらしい。
 普段からえろぼけで救い様の無い「お姉様!」なおっさんだが、人情に厚い所がある。
 まぁ、あれだ。
 そこがガイツの甘い所でもあるのかもしれないけど。

 ネイルが聞いた話では、運が悪ければ明日にはここに来るという。
 つまり今晩、連中が何も考えていない馬鹿なら夜の森を抜けてくるはずだと。
 俺とガイツの共通見解は、森を抜けてくる。
 一つは馬鹿だから。
 もう一つは、そもそもこの森に魔物が少ないからだ。
 いや、この森だけじゃなくて、このバルトワン領内の魔物の数が少ない。
 それもこれも、苛烈なまでの反魔物活動による成果だ。
 もはや魔物は領内に点在する森に追いやられている。
 その魔物たちでさえ、何度かの襲撃で数を減らしている。
 だからこの森では様々な種族の魔物が協力し合って生活しているのだとか。
「ハンナが見たってー。」
「誰だそりゃ。鳥か? 狼か?」
「ろりっこのハーピー。」
 まて。何でろりっこ、とつけた。
「ロリ王ー。」
「よしわかった。そこ動くなよ。」
「甘いー。」
 何の遠慮も無くナイフを投げつけるが、どろりとした粘液に阻まれてナイフを止められた。
「もう、レックス! 他人様にナイフを投げてはいけないと言ったでしょう。」
「言葉の凶器が俺に刺さった。」
「ロリ王ー、ロリ王ー。」
「だったら直接やってやる!」
「ああ、もう。」
「気にしなくて良いぞ、マリンさん。あれは一種のコミュニケーションってヤツだ。」 
「レックス、がんばれー。」
「どうでも良いから、えっちしたいー。」
 お前は本当にそれしか言えないのか、馬鹿花。


 作戦はいたって簡単。
 折角だからという事で他の魔物たちにも協力してもらう形で、敵を撃退しようって魂胆だ。
 魔物たちへの連絡はネイルがしてくれるという。
 どうやって?という疑問に対し、ネイルは意味ありげに笑うだけで教えてくれなかった。
 ともかく俺の伝えたい内容は伝わったし、夜の闇でも魔物たちには俺と敵との区別がつくようにしているから俺が襲われる事も無い。
 後はやるだけやって、撃退する。
 慣れた夜の闇。月明かりも微かな夜の森に身を潜める。
 こうやって息を殺していると、じいさんと一緒に居た頃を思い出す。
 風の無い夜は本当に静かで、初めの頃は普段とは違う世界に胸が躍った。
 今は逆に心は落ち着いたまま、夜に溶ける様な静けさで満たされている。
 夜を笑う者は夜の恐ろしさを知らない。
 夜を恐れる者は夜の豊かさを知らない。
 夜を知る者は唯々静けさを求めるのみ。
 じいさんの口癖だった。
 未だにその心境はわからない。
 俺は静けさを求めた事が無い。
 ただ、呼吸のリズムを変えて心を冷やせば、心が静かになる。
 この方法が一番楽だから、「こういうこと」をする時はいつもこうしている。
 草木の音一つしない、風の音もしない漆黒の闇。
 何の気なしに頭に手をやると、ごわごわとした生地が僅かにへこむ。
 コリンがいつも被っている探検者帽子だ。

「あたしの帽子。ちゃんと、持って帰ってきてよー?」

 自分の代わりだと思って持って行ってくれ、と俺は解釈した。
 いや、ちゃんと生きて帰ってくれって事かも知れない。
 意識を傾ければ、コリンの匂いが僅かに感じられる。
 まるでコリンに背中を預けているような、なんともいえない安心感が胸を満たす。
 冷えた心に温かさが染み渡る。
「あー、なんか。幸せだなー。」
 ネイルが聞けば絶対に茶化すだろう発言をさらりと言ってしまう。
 夜に味わう「別世界感」はどうやら今も昔も変わらないらしい。
 変におかしくなって、声を殺して笑う。
 夜の住民としては陽気に笑うのは失格も良いところだ。
 けど今の俺はそんなことより、寒空の日光みたいに暖かなこの気持ちを、ないがしろにしたくは無かった。


「……、……!」


 遠くから声が聞こえた。
 敵が来た。そう感じたらいつもの調子が戻ってきた。
 嬉しいも悲しいも憤りも何も無い。
 ナイフの位置を確認して、音を殺して歩き出した。












 最初の異変は、松明の火が消えたことだった。
「わ、わわあぁあああ!」
「落ち着け! 火が消えただけだろう!」
「ひ、火を、火をつけろ! 何が来るわからなあな!」
「落ち着けって言ってんだろ!」
 火が消えて漆黒に包まれる。
 その恐怖は、心細さは、若い兵士達の陽気さを粉々に打ち砕いた。
 慌てふためく兵士。周囲を確認せずに剣を抜き放ち、危うく仲間を切りそうになった兵士。
 ある兵士は大きく後ろに下がって仲間にぶつかり、二人揃って地面に倒れた。
 応戦するどころの話ではない。誰も彼もが平常心を失っている。
 古来より兵法に「恐怖に陥れる」という類の物がある。
 恐慌に陥った兵士に敵も味方も関係ない。
 混乱して同士討ちをしてしまい、それがまた新たな混乱を生み出す。
 逃げ出すものが居れば全員揃って逃げ惑う。
 たった一人の人間相手に千の兵士が壊滅の危機に陥る事もある。
 熟練の兵士でさえ「恐怖」は厄介な代物なのだ。
 ろくな訓練も実戦経験も無い彼らに、夜の恐怖は荷が重すぎた。
「ひ、ひを、ひをつければ!!」
 松明を持っていた兵士が火を起こして明かりを灯そうとする。
「ちくしょう、火がつかねぇ! 代わりに誰か点けてくれ!」
 火をつけることに執心していたのが幸いだった。
 逃げ惑って木の根に転倒する事も無く、仲間にぶつかる事も無い。
 また火をつける役に何かあってはいけないという兵士達の共通意識にも助けられた。
 明かりがつけばこの恐怖から逃れられる。
 本能的にその事をを知っていた彼らは、松明役の周囲を数人で固めて彼を庇っていた。
「ひぐっ、ぎぁああ!」
「いでぇ、いでぇよぉお!」
 悲鳴は続く。恐怖は積もる。
「動くな! 下手に動くと同士討ちになるぞ!」
 幾分か冷静さを取り戻した兵士が声を上げる。
「同士討ちで死ぬなんて馬鹿なことなりたくなけりゃ、一旦落ち着け!」
 しかし苦痛の声は減らない。
 むしろ、増す一方だ。
「ぎぁああっ!」
 そして隣でも悲鳴が響く。
「いい加減にしろ! 同士討ちで全滅したいのか!」
 言って、彼は気づいた。
 比較的列の後ろの方に居た彼は、夜の闇に目が慣れるのが早かった。
 だから気づいた。気づいてしまった。
 同士討ちでやられてしまったであろう兵士達は、みな地面に倒れこんでいる。
「……おい。」
「い、いで、てが、てがぁああ!」
 恐怖で暴れた兵士が斬った、刺した、そういう事だと思っていた。
「まさか。」
「ひぎぃああああ!」
 そもそも、松明の火がいきなり消えたのは、何故だ。
 彼は後ろに居たのでよくわからなかったが、「風も吹いていないのに火がいきなり消える」なんてことはありえるのか?
「ぎ、ぁあああああ!」
 もしかすると、松明の火は消えたのではなく、
「消されたってのか、……?」
 恐ろしい事実に気づいてしまった彼だが、ふと自分の腕に何かが生えていることに気づいた。
 触ってみると、ソレは枝だった。
「……い、ぎぁあああああ!!」
 枝が刺さっている。そう気づいたと同時に激痛が走り、痛みの余り膝をつく。
 彼は殺されるのかと怯えたが、その時間は少なかった。
 ふっ、と。
 彼の意識は闇に落ちた。


「楽勝だったな。」
 静けさが戻った森に、声が響く。
 しゃべれるのは俺一人だから、俺の声なんだけど。
 夜の森独特の静けさが、俺の声を他人の声のように響かせる。
「もう、終わったのかい。」
「ん? ああ、終わった。」
 いきなり後ろから声をかけられてビクリと肩を震わせる。
 俺は気配を殺す事は出来ても、気配を読む事は出来ないんだよ。
「殺しちまったのかい?」
 近付いてきたのは頭から獣の耳、体のあちこちに毛皮で覆われた女性。
 ワーウルフだ。
 土を踏みしめる音や、微かな羽ばたき。
 どうやら他にも魔物が潜んでいたらしい。
「そう見えるか?」
「そう見えるから聞いてるんじゃないか。」
 唸り声交じりにワーウルフが牙を見せる。
 いや、怖いって。
「別に。殺してないって。殺したらあんたらに来てもらった意味が無いだろ。」
 それもそうかと、ワーウルフは納得したように怒気を引っ込める。

 今回の作戦で魔物に協力してもらうと言うのは、なんてことはない。
 森にやってきた兵士がどれくらい居るにせよ、何人かは魔物の方で「お持ち帰り」してってくれってことだ。
 魔物たちにしてみれば願ったり適ったりの話なのは知っている。
 なぜなら討伐やら何やらで人間を連れて帰るのが難しい。
 けれど馴染んだこの土地から離れたくも無い。
 そうやってバルトワン領内に残った彼女達にしてみれば、男を、あるいは夫をものにする絶好の機会なのだ。
 俺としても兵士達の処分にちょっと困る所があったし、この方法なら誰も困らない。
 どうせ兵士達もいい思いをするんだ。むしろ感謝して欲しいくらいだ。
「それにしても見事なもんだね。ずっと見ていたけど、ああも鮮やかにやってのけるなんてすごいもんだよ。」
「別に。火を消せば後は楽なもんさ。」
「それだよ、それ。あんなやり方でああもあっさり火を消すなんてさ。見ていて目を疑ったよ。」
 姐さん気質なワーウルフが妙に熱の篭った口調で褒めてくるので、ちょっとだけ後ずさりする。
「そうか?」
「ああ、そうだよ。」
 特別な事はして無いんだけどな。
 火って言うのは空気が無いと燃えないってじいさんが言っていた。
 布をかぶせると火が消えるってのは、そういう理屈なんだと。
 だから俺は松明に水で湿らせた布袋をかぶせて火を消しただけなんだ。
 後は混乱した兵士達の手を切ったりして武器を無効化して。
 反撃してくるなよーと祈りながら腹に2発、頭に2発。
 そうやって片っ端からやっつけていっただけなのだ。
「ねぇ、この人かっこいいよ!」
「私は彼のほうが好みねぇ。」
「あ、私も!」
「こらケンカしないの。で、その人は私が貰うわよ。」
「あ、ずるーい!」
「……参加しなくて良いのか?」
「構わないさ。余り物には福があるっていうだろう?」
「どこの名言だ、そりゃ。」
「あたしの、だよ。」
「あっそ。」
 楽しそうに笑うワーウルフを置いて、俺は森の中を走り出す。
「あ、ちょっと、どこ行くのさ!」
「次の所だよ。」
 別働隊がどうせいるはずなんだ。
 早い所行かないと、間に合わないかもしれない。

「あーあ、行っちゃったか。忙しない坊やだねぇ。」
「何をえらそうな事言ってんのさ。ほら、残り物も何も、全部持っていかれちゃったよ。」
「ああ、構わないさ。あたしが欲しいのはそん中にゃなかったからね。」
「んー、もしかしてあのちっちゃい子?」
「さーって。今日も一人で過ごすとしようかね。」
 折角の男を取り損ねたはずのワーウルフなのだが、尻尾を揺らして去っていく。
「あの子って確かコブつきだったよね。はー、やれやれ。」
 物好きだなぁとか言いながら、一つ思うのは。
「恋に恋する女の子って所かなー。あのちっちゃい子も、罪作りだねー。」
 子供っぽい声の主はなんとも言えない笑みを浮かべ、パタパタとワーウルフの後を追いかけて行った。






 一方その頃。
「隊長、現在の所異常なしです!」
「そうか。」
「隊長、第二捜索隊、人数に欠けありません!」
「そうか。」
 ミルフ隊長は部下達を連れて森を歩いていた。
 最初は40人近く居た彼の部隊は海の一件で半数にまで減ってしまった。
 彼は汚名を返上すべく、「人魚の血」を捜索し続けた。
 むろん彼とて無為に時を過ごしていたわけではない。
 魔物たちがどれだけ急ごうとも、空を飛ぼうとも、誰にも見つからずに逃亡する事などできない。
 だから街道、町、村。様々な場所を探して回った。
 見つからなかった。しかし彼は焦ってはいるものの落胆していなかった。
 先に町や村に探して回ったのは、もし怪しい連中が居た場合は知らせてくれといい含める為でもあった。
 報せてくれれば金をやる。
 捕まえたなら追加金をやる。
 村には一人や二人くらい、金に困っている者が居るし、金の亡者といっては失礼だが執着心の強いものも居る。
 当然の事ながら各地を点々とする行商人も金の事となれば目の色を変える。
 ミルフは彼らを使って人目に付く場所に即席の包囲網を作り上げたのだ。
 幸いな事にセンハイム公から追加報酬も頂いた。
 森へ来る途中に出会った商人には、金額の上乗せを伝えた。
 話を聞いた商人の表情の変わりようからすれば、期待が出来る。
 金のためなら親さえ売るのが商人の恐ろしい所。
 彼らは利益の出る範囲で自身の包囲網を形成し、積極的に探してくれる事だろう。
「隊長、魔物の姿はありません!」
「そうか。」
「隊長、明かりの確保問題ありません!」
「そうか。」
 ミルフは元々、人目につく場所に「人魚の血」が逃げたとは思っていない。
 逆なのだ。
 村や町など、休むに適した場所へ彼らを逃がさないために彼は手を尽くした。
 逃げる範囲を狭め、追われる恐怖で疲弊した相手を確実に補足し、叩きのめす。
 目的は「人魚の血」の回収であり、もはや生死は不問。
 魔物が生きていたならなおよし。死んでいても構わない。
 腕だけでも構わない。「人魚の血」を手に入れろ。
 だから彼もまた手段を選んでいない。
 剣で、刃で、追われる恐怖で、逃亡者を追い詰める。

 彼の作戦は概ね問題ない。むしろよく頭の回る方だといってもいい。
 だが残念な事に、誤算が3つある。
 1つ目は逃亡者が森での生活に慣れているため、心身の疲弊は彼の予想よりも少ないという事。
 2つ目は森での生活が恐ろしいのは魔物が居るからであり、魔物と共に行動している彼らが魔物を恐れなくてもいいのだという事実に気づいていないという事。
 3つ目は気づかなくても仕方の無いことだが。
 嘗て領内を震え上がらせた殺人鬼「影無しのレックス」が逃亡者の中に居た事だ。
「隊長、敵影ありません!」
「そうか。」
 8人居れば大体の事には対処できる。
 見つけてもいきなり襲い掛からず、全員揃ってから襲い掛かる事。
 部隊を二組に分けて行動した彼の目論見は、3つの誤算が理由で既に瓦解していた。
「隊長。」
「ん、なんだ。」
「その微妙な距離は何なのでしょうか。」
「……。先頭の兵士が不意を討たれても対処しやすくする為、一定の距離を空けることに意味がある。」
「おお、なるほど! さすが隊長!」
「すごいです隊長!」
「……、そうか。」
 部隊の半数が既にやられ、お持ち帰りされている事を知れば彼は逃げるという手段を選んでいたのかもしれない。
「なんだ。こんな夜更けに遠足か?」
「貴様その声は、あの時の小僧か!」
 現実は厳しい。既に逃亡さえ適わぬ状況に陥っているとは、彼は気づいていなかった。
「やれやれ。あんたはあの時の可愛そうなおっさんか。」
「お、おっさ、俺はまだ若いぞ!」
「嘘付け。ひげもじゃの顔で若いとは嘘だろ?」
「う、わか、わかいんだよ!」
「そうだ、隊長はまだ独身なんだぞ!」
「肌だって体だって若々しいんだ!」
「……お前達の説明の仕方は生々しいな。」
 何かを察したのか、松明の明かりに照らされた少年は顔を引きつらせている。
 ある意味で唯一の理解者でありながらも事の原因である彼を、ミルフは
「殺す、殺してやルゥうううううう!!」
「落ち着いてください、隊長!」
「そうです、落ち着いてください隊長!」
「ええい、はなせ、はなせぇえええ!!」
 八つ裂きにしたいくらい憎んでいた。
 ミルフ=バートン。32歳、独身。
 彼の心は、松明よりも激しい炎で燃え上がっていた。

「く、ぜー、ぜー、くそぉ。」
 大粒の涙を溢れさせながらも必死の兵士達の制止のおかげで冷静さを取り戻す、ミルフ。
 若い頃(今も若いと主張しているが)の彼は村娘達からラブコールを受けていた好青年だった。
 しかし戦場で名を上げるのが夢だった彼は誰の好意も受け取らず、戦場へと身を投じた。
 戦場での彼は強かった。
 英雄には遠く及ばず、彼より強い兵士は沢山いたが、それでも彼は強かった。
 戦場を渡る合間に立ち寄った街でも、彼は人気者だった。
 何時からだろう。彼は人気者ではあっても、一向に恋人が出来ないことに気づいたのは。
 いい雰囲気になる事は多かった。
 でもなぜか上手くいかなかった。
 その事実を認めたとき、かつてライバルであった戦友を亡くした時と同じ様に、涙が零れ落ちた。
 ……閑話休題。
 冷静さを取り戻したミルフは、近付こうとしない少年に強い警戒を抱いた。
 以前は彼と彼の仲間の狡猾な罠にかかり、思い出したくも無い酷い目にあった。
 故に同じ目には二度と合うまいと心に深く誓ったのだ。 
「ほれほれー、こっちこいよ、可愛そうなおっさんー。」
「ぐ、くく、ぐぅううううううう!」
「抑えて、抑えてください隊長!」
「そうです、抑えてください!」
 暴れだそうとする隊長を必死で押さえ込もうとする兵士達。
 手に脚に纏わりついている姿に懸命さが現れているが、かなり危険な位置で隊長を抑えている兵士も居た。
 怒りに我を忘れかかっているミルフはその事に気づいていない。
 面白い玩具を見つけた様に少年は散々からかった挙句、ナイフを腰から引き抜く。
「あー、面白かった。そーいやさ、あんた気づかなかったか? あんたらさ、道が妙に歩きやすくなかったか?」
 ナイフに気をとられたミルフは彼に言われるままに来た道の事を思い出す。
 生い茂る丈の高い草はあまりなく、確かに歩きやすかった。
 彼はもっと鬱蒼とした、道なき道を歩いた事がある。
 その経験からすれば今晩の道は歩きやすかった。
「ん、道?」
 そう、少年は道といった。
 まるで自分達が通ってきたルートを知っているかのように。
「ま、まさか!」
 にんまりと笑う少年。彼の持つナイフがピンと張られた紐に当てられている。
「ぐんない、おっさん。」
 プツン、と紐の切れる音が聞こえた。
「う、うわぁあ!?」
「な、なんだ、なにか降ってきたぞ!」
「なんだよこのどろって、甘くて、どろどろの。」
「さよーならー。」
「まて、貴様逃げる気か!」
 最後までミルフをからかい続けた少年は夜の闇へと消えていく。
 もし彼が冷静だったなら、あまりにも自然に消え行く彼に不審さを感じただろう。
 だが、彼は冷静ではなかった。
「く、この、はなせ、はなせお前達!」
 そして兵士達も冷静ではなかった。
「……。」
「……。」
 静かな森に響く荒い呼吸の音。
 ミルフの顔に、一筋の冷や汗が垂れる。


「おーおー、やってるやってる。意外とやるなぁ、あのおっさん。」
 人間死ぬ気になれば何でもやれるんだなぁと感心する。
 まさかあの状況から抜け出すとは思わなかった。
「けど一人だけ金物装備しているんだ。すーぐ体力が尽きちゃうんじゃないか?」
 馬車馬の様に走るとはよく言うが、あれは脱兎の如くだな。
 兵士たちが走り去るのを見送ると歩き慣れた道を戻っていく。

「いよー、たーだい、まっ!?」
 最期の言葉は濁音を付けた方がいいぐらい変な発音になった。
 なぜかって? 息がつまったから。
「ちょ、コリン、いたい、俺、おれる、ほね、おれるぅううう!」
 俺の姿を見るや否やコリンが全力で駆け寄り、抱きついてきた。
 ただ勢い余って俺の腹に頭が直撃して、角がめりこんだ。
 そして今は体の骨よへし折れろとばかりの怪力で抱きしめられている。
「お、ち、つ、け。」
「〜〜〜〜!!」
 このままだと俺はコリンに殺される!
 遠く輝く星空にじいさんの輝きを見たような気がする。
 俺もう駄目だ、と思っていたら大量の水が襲い掛かってきた。
 不幸中の幸いか、息も出来なかったので俺はむせ返る事はなかった。
「少しは落ち着いた? コリン。」
「……、ん。」
「あーったく。小僧ども、とっとと家に入れ。頭は冷やしても良いが、体冷やしても得な事は無いぞ。」
「りょーかいだ。」
 水に濡れたコリンの背中を優しく叩く。
「帰るぞ。」
「うん。」
 腕の力を抜いたコリンはようやく顔を上げる。
 そのコリンの顔へ、水に濡れて重くなった帽子をかぶせる。
「わ、ぷ!」
「ほれ。返したぞ。」
 痛い思いをした仕返しに、そのままぐしゃぐしゃに撫でる。
「うん、ちゃんとかえってきたよー。」
 帽子越しに嬉しそうな声が返ってきた。


「それにしても。本当に撃退できたんだな?」
「魔物たちが頑張ってくれたお陰だよ。」
「みんな、がんばり屋さんー。」
 乾いたタオルに二人して包まりながら、今日の成果を簡単に纏める。
 俺のやった事は、やや過小評価気味に訂正して。
「もぅ。レックスは弱いんだからー。無茶したらやだー。」
「そういうなって。俺の見せ場なんてたまにしかないんだぞ。」
「でもやだー。」
「はいはい。」
 服はすっかり濡れているので、俺もコリンも裸のまま布に包まっている。
 丁度コリンを後ろから抱きかかえるような体勢だ。
 以前なら二人が裸になったらそのままえっち直行だったけど、最近のコリンはあまりえっちしたがらない。
 いや、えっちはするし甘えてくるのはむしろ増えた方だ。
 ただ何となく、こうやってただくっついているだけの時間が増えた気がする。
「ん、どうしたんだネイル。」
 視線を感じて見上げた先にネイルが居る。
 相変わらず眠いのか退屈なのかよくわからない表情だ。
 訊ねても反応が無い。いや、単に反応が遅いだけか。
 何時返事が来るのかと待っていると、不意にネイルが口を開く。
「ありがとー。」
 礼を言われた。表情一つ変えずにいきなり言われたので、反応が遅れてしまう。
 俺が呆気にとられている間にネイルは粘液を天井につけながら離れていく。
 どうやら言いたい事は言ったから寝るようだ。
 朝までにはお気に入りの窓際に辿り着けるだろう。
「ねー、レックスー。」
「なんだ。」
「外、出ようー。」

 替えの服に着替えた俺たちは板張りの屋根の上に座っていた。
 妙につややかな屋根は、ネイルの粘液効果のためだろう。
「ねー、レックスー。」
「なんだ。」
「なんでもないー。」
 さっきからずっとこんな調子だ。
 変に空気が重い。そんな気がするから、会話が続かない。
 コリンが何かを聞きたがっている。それだけはわかる。
 長年の付き合いってほど一緒に居たわけじゃないけど、コリンのことは良くわかる。わかっているつもりだ。
 何を聞こうとしているんだろう。
 何をためらっているんだろう。
 まさかとは思うけど、子供が生まれるとか?
「……。」
 自分で考えて、まさかなとは思うものの、なんとも居心地の悪いというか変な気分だ。
 コリンの事は好きだ。これは絶対だ。
 コリンもきっと、俺の事が好きだ。
 でも家庭を持つかどうかは、きっと別の話だ。
 俺は人の背後にそっと忍び寄る以外、なんの取り得も無い小僧だ。
 もう少し、何かいい所でもあればいいんだけどなぁと我ながら思う。
「ねー、レックスー。」
「ん、なんだ。」
「……、あのねー。」
 言いよどんでいるコリンの頭を抱きかかえる。
 ポンポンと子供をあやすように背中を叩く。
 少し固かったコリンの体から力が抜けて、次第に眠っている時みたいな柔らかな抱き心地に変わっていく。
「あのねー、レックスー。」
「ああ。聞いてるぞ。」
「あたし、レックスの事ー、大好きだからー。」
「ん、そうか。俺もコリンが好きだ。」
「大好きだからー。ずっと一緒にいるんだよー。」
 ぎゅう、とコリンが抱きついてくる。
 その姿が愛しくて、俺も抱き返す。
「一緒だよー。ずっと、一緒だよー。」
「ああ。……コリン、泣いてるのか?」
「一緒だよー。離れないからー。」
 ずっと同じ様な言葉を繰り返すコリン。
 その理由がわからないけど、コリンにとっては大事な事なんだと思って。
 少しだけ強めにコリンを抱き寄せた。
 抱きしめても抱きしめても、コリンの気持ちがわからなくて。
 切なさを紛らわせるように抱きしめ続けた。
 コリンの涙は、ずっと止まらなかった。 


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「マリンさん!」
「ガイツ、ガイツぅう!!」
「く、すまねぇ、もう!」
「いいわ、わたしも、そろそろ!」
「く、くぁあ!」
「あぁああああああ!!」
「馬鹿二人ー。あーもー、レックス達の方が大人びてるー。」
「すー、すー。むにゃ、えっちー、したーぃ。」




----作者コメント

いいか、何が起こったかわからないからありのままに言うぜ(・−・
俺は今回、メインキャラ中心の話にしようと思ったんだが、
なぜか隊長が中心に話になっていたんだ!
さらにキャラを増やす気も無いのに、なぜか新キャラが続々と出てきたんだ!

……それにしても、ミルフ。
書けば書くほど哀れな境遇になっていく(’’
彼の明日はどっちだ!(。。

10/03/30 00:24 るーじ

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