連載小説
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前編
「はぁ……」

 重いため息とともに、あたしはベッドに倒れ込んだ。
安物の薄いマットレスは、中途半端な軟らかさであたしの体を受け止める。
 俯せのまま、顔だけを横に向けて窓の外を見る。
星も月もない。厚い雲がどんよりと空を覆っていた。

「今日もダメだったよぉ……」

 あたしはアドリア。歌姫を夢見るセイレーン。
今は夢を叶えるための準備期間、いわゆる下積み時代――の、はず。


  ※※


 夕飯の時間帯、レストランの一角にある小さなステージ。
そこがあたしの仕事場。……では、あるんだけど。

 わいわい、がやがや。

「〜〜♪」

 あたしがいくら歌っても。

 わいわい、がやがや。

 誰もあたしの歌を聞いてくれない。

「〜〜♪」

 観客のいない、たった一人のステージ。

 それがもう、毎日毎日毎日毎日毎日……。


  ※※


「今日こそは、って思ってたのに……」

 そう、いい歌ならどんな騒がしい所でも聞いてくれる人はいるはず――
ううん、違う。
本当にいい歌なら、誰だって聴かずにはいられないんだ。
騒いでる人たちだって、思わず聴き入ってしまうはずなんだ。
 だから、やっぱり。

「……あたしの歌がまだまだってこと、だよね……」

 どうしたら、皆が聴いてくれるようないい歌が歌えるんだろう。
どんな歌を歌えば、人気歌手になれるんだろう。
いつもの疑問を考えながら、あたしは眠りに落ちていった。


  **


 翌日。
あたしは特にあてもなく、街のなかをブラブラしていた。
頭の中では、やっぱりいつもの疑問がぐるぐるしてる。

「歌……唄……詩……うーん……って、あれ?」

 気がついたら、目の前には見たことのない町並みがあった。
その辺の建物の壁には色とりどりのタイルが張り付けられ、大きな絵になっている。
日当たりのいい道端には棚があり、塗り立てらしい絵が干されている。
 無意識に転移の魔法でも使っちゃったかと思ったけど、振り返れば見慣れた中央通りが見える。
ぼんやりしてるうちに路地に入っちゃっただけみたい。
まあ、落ち着いて考えてみれば、あたし転移魔法なんて使えないしね。

「へえ……こんなところあったんだ」

 田舎から出てきて一年半、初めて入る場所。
路地の入口に立っている看板には、『芸術通り』と書かれていた。

「芸術かぁ……音楽関係も何かあるかな?」

 何か、ヒントが見つかるかも知れない。
何となく確信めいたものを感じて、あたしは通りへと入っていった。




 どうやらここは、名前の通り芸術に関する色んなものが集まる場所みたい。
絵画、彫刻、演劇、音楽あたりは当然として、変わったところではお菓子細工まで。
 ただ、演劇場や楽器屋ばかりで、『歌』を扱ってる店が見つからない。
道端では吟遊詩人が歌ってるけど、それはなんか違う気がするし。
 う〜〜ん……。

「あの、すいません」
「わひゃいっ!?」

 突然背後から話しかけられて、思わず変な声が出てしまう。
 振り向くと、そこにはひょろっと背の高い男性が立っていた。
短く揃えられたシルバーブロンドの髪と四角いフレームの眼鏡が、真面目そうな雰囲気を醸し出している。

「すいません、いきなり話しかけたりして」
「べ、別に構わないけど……あたしに何か?」
「あの……アドリアさんですよね? レストランで歌っている」
「!! あ、あたしのこと、知ってるの!?」

 びっくりした。
あたしの歌、聞いてくれていた人がいたんだ。
あのレストランに来てるお客さんは、あたしのことなんてただの背景としてしか見てないと思ってた。

「あ、僕はポール=ウォブレーといいます。そこの店で楽器を作らせてもらってます」

 そう言って、ポールは一軒の店を指差した。
チェロかヴァイオリンかわからないけど、弦楽器の形をした大きな看板には、『チェンバー楽器店』と書かれている。

「あの、よかったら……少し、お話できませんか?」
「え、何? おとなしそうな顔してるくせに、ナンパ?」
「え!? い、いえ、そういうわけでは」

 からかってやると、ポールは顔を真っ赤にしてあたふたする。
その様子があんまり可笑しくて、くすりと笑みが零れる。

「冗談、冗談。いいよ、付き合ってあげる」

 ぽんぽんと肩を叩いてあげると、ポールは安心したように息を吐いた。


  **


「お、ポール。なんだ、デートか?」
「ち、違いますよ!!」
「ははは、そう赤くなるな。若いんだから、存分に青春しろよ」
「だから違いますって!!」

 近くの喫茶店に入ると、ポールはいきなり店主にイジられ始めた。
真っ赤になって反論する彼に、店主はニヤニヤ度を増していく。
 ここに来る途中でも、知り合いの人たちにからかわれてた。
真面目そうだし、冗談だとわかっててもつい反応しちゃうんだろーな。
で、それが面白くてからかいのターゲットになる、と。

 少しして、ようやくポールをイジるのをやめた店主が紅茶をいれる。
いい香りのするストレートティーだった。

「あれ、いつものミルクティーじゃないんですか?」
「ああ、今日はイオが朝から病院なんでな。ところでポール、悪いんだがちょっと留守番頼まれてくんねえか」
「ええ、いいですよ。どのくらいで戻ります?」
「病院まで往復だから、1時間半くらいだな」

 さらに二言三言を交わすと、店主は奥の方へ引っ込んでいく。
蚊帳の外な感じのあたしは、意味もなく紅茶をぐるぐる回して遊んでいた。
話も終わったようなので、とりあえず出された紅茶を一口。

「……あ、おいしい」
「そうでしょう、マスターはあれで腕はいいんです」

 本当はこの店のオススメはミルクティーなんですけど、と続けてポールもカップを手に取る。
彼がカップを傾け、皿に戻すのを待ってから、あたしは本題を切り出した。

「で、あなたはなんで突然話しかけてきたの?」

 と、ポールは真剣な表情になり、体をこっちに向ける。
そして、まっすぐにあたしの目を見ながら口を開いた。

「あなたの、歌のことです」
「……あたしの歌が、何か?」

 ああ、なんだ。結局、あたしの歌への批判なのか。
そんな考えが即座に浮かぶくらいには、あたしは卑屈になっていた。
それが顔に出たのか、ポールは静かに首を振る。

「いえ、歌の批判とかじゃないんです」
「じゃあ何?」
「僕も、そんなにしょっちゅうあの店に行くわけじゃありません。でも、最近……アドリアさん、歌うのが辛そうに見えるんです」
「え……?」

 歌うのが、辛い?
セイレーンのあたしが?

「なんか、無理してるっていうか……」
「そ、そんなわけ」

 反論しようとして、でも口はそれ以上動かなかった。
あたしは本当に、無理していないと言えるだろうか。
今のあたしは――

「無理してまで歌って……楽しいですか?」
「ッ……!」

 パァン!

「観客がいないステージが、楽しいわけないでしょう!? でも、あたしには……他に何もないんだから仕方ないじゃない!!」

 そこまで言って、はっと我に返った。
はたかれて横を向いた彼の頬が、うっすらと赤くなっていく。
にも関わらず、彼は目を閉じたままで文句一つ言わない。
 あたしはどうにも耐えられなくなって、逃げるように喫茶店を飛び出した。




 その日の夜。あたしは、初めてステージを休んだ。
だからって、店はどうもならなかったらしいけど。
10/11/06 00:56更新 / かめやん
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