白提灯

男、 榊 悠希 (さかき ゆうき)は、自室で自慰行為に励んでいた………

部屋は片付いておらず、様々な物が散乱していて足の踏み場も無い状態だった

「くっ…うぅ………んん?」

一仕事終えた悠希氏は、猛りが収まらない愚息を眺め、不信感を感じ初めていた

「どうなってんだ?」

もうこれで三発目だった…原因はわかっていたようだが それでも悠希は三回連続など夢の世界だと思っていたので、さすがに心配になった

「こりゃまずいな…一旦中断だ、まず部屋の掃除を終わらせないと」

悠希はそそくさと方付けを済ませるとズボンを履き、部屋に散乱した物の分別を始めた


「えっと これはゴミだな、これは要る物で、…あー、土曜日が待ち遠しいぜ…シエルさんとお家デート…」

ムクムクムク

「いででででで!」

悠希の意思とは裏腹に、本能でジーパンのまたがみを持ち上げつつ、強制的に掃除を敢行するのだった

昔の新聞や雑誌を発見して読み耽ってしまったり、ずっと見つからなかった物が不意に出てきて 嬉しいような空しいような気分になったりと、強敵が多数立ちはだかった大掃除だったが 、あっという間に時は過ぎ、現在時刻は23時を回りました…掃除も終盤に差し掛かったところだった

うわー、俺の部屋って和室だったっけ、何だか畳が懐かしい気分だな

とか何とか思いつつ、畳の上に寝そべった悠希の目に、あるものが映った

「………何で…俺の部屋にあるんだ?」

悠希は引き吊った顔で起き上がり、汚いモノでもさわる様な仕草で、部屋の角に掛かった古ぼけた提灯を取り上げた。 …埃まみれになったそれを悠希は掃除するでもなく、部屋の外に持ち出した



台所まで、なんとか人差し指と親指の先端に提灯をぶら下げたままたどり着いたが…この提灯やったらと重い!…そろそろ指の疲労がマックスで取り落としそうだ …そんな事したら床が埃まみれになって掃除の手間が増えちまう、もうひと踏ん張り!

流し台では悠希の母親が食器を洗っていた

…一応聞いておくか

「母さん、俺の部屋にこの提灯置いた?」
「なぁになぁにー?」

水を止めてこちらに振り返った母親は、これまた 御器被り様 でも発見したのかという表情でこちらを睨み付けてきた

「…あんたまさか…っ!」
「あーはいはい、何でもねぇよ … 明日燃えるゴミの日だったよな? 」

そう言いながら悠希は勝手口を開け、外に置いてあるデカイゴミ箱に提灯を放り投げた…蓋が閉まっているので入る筈も無いが…
悠希は溜息を吐くと、つっかけを履いて外に出た

「…一緒に捨てといてくれよ、よろしく」

勝手口の扉は閉めたが、扉を閉め終えてもなお、母さんの冷たい視線を背中に受け続けている様な気がしていた



思い出したくも無い……






悠希は提灯を再度取り上げ、叩き付ける様にゴミ箱の中に放り込み、耳が痛い音が鳴るほど思い切り蓋を閉めた…

何度か深呼吸した悠希は、トボトボ歩き出し 家の表に回り込んだ



「あーあー、聞くんじゃなかったなぁ…」

もう一度 母さんのあの顔を見るのは嫌だ、玄関から入る事にしよう…つっかけは 後で勝手口に戻しておけば良いか…



部屋に戻った悠希は、残りの物を押し入れに突っ込んで掃除を終わりにした、モチベーションが限界の様だ…お疲れ様です。

何年かぶりに綺麗になった自分の部屋を見て、少し心が洗われた悠希は、若干元気になった

「………うん…うん、 折角のデートまで引きずる訳にはイカーン!! よし、シエルさんの夢を見よう! そうだ!それがいい!」

部屋の電気を消してベッドにダイブした悠希は愛しの彼女を思い浮かべる事にした


「シエルさんのあのナイスバディを思い出せ…! あの銀色の髪の毛と言い、深紅の瞳と言い………シエルさんって何処の国出身なんだろ、アルビノって言うのかなぁ、あーゆーの… んなこたぁどーでもいんですよ! そんなことより、あのOPPAIですよOPPAI! どーやったらあんなに成長すんだろか」

…ムクムクムク

「いででででで!」


なんとか落ち着こうとする悠希だったが、静まり返った部屋には余計に大きく時計の音が響き渡るのであった…



「…寝れん!」


男の悲しい性である。













小さい頃の自分が一人で泣いているのが見える…
あーもう! 鬱陶しい泣き声だ! 側にいって蹴たぐってやろうか!
と思う程イライラする………
子供の泣き声とは煩いものだが、自分の声だと鬱陶しさ倍増だ
くそったれ! 寝れないじゃないか!このクソガキめ!………自分だけど…

むぅ、親父の気持ちがわかった気がする…



「うえぇぇぇぇぇぇえええ」


はぁ…いつ泣き止むんだか………というより、何で泣いてんだ?
早く寝ないとまずいって、もう8時過ぎ…あれ? さっき11時だったじゃん

………あぁ、夢か

「うえぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇ」

…ヤバい本気で苛立ってきた

「おい、そこな少年! 何を泣くことがある?」

こうなりゃ強行突破だ、過去の自分を壊すのは今の自分DA!

「グズッ…お兄ちゃんだれ?」
「俺は…」

えっと…この場合、自分の名前を言うのはまずいかな?…

「私はっ!と、通りすがりのドッペルゲンガーさ! ハハッ、ハッ…」
「どっぺるげんが?」
「ま、まぁ、その話題は終わりだ、 そんな事より、何で泣いてるのかお兄さんに話してご覧よ、解決策が見付かるかもしれないよ?」
「かいけつさく?」
「うるせーな! 何で泣いてんのか言ってみろっつってんだよ!」
「ひぃ!」

っとマズイマズイ、ここは大人になったところを見せ付けてやらねば

「…っというのは冗談サ! ハハッ! さぁさ話してご覧なさいな!」
「お兄ちゃん怖い グズッグズッ…うえぇぇぇぇぇぇえええ」

えぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇ

子供って………俺って………

あー、何か泣きたくなってきた、なんでだろ…

あっ!
そうだ思い出した!…というより、思い出さされた? 暗闇の中には小さい頃の俺と、もうひとつ………これしかないじゃないか

「少年よ、コイツが怖いのだろう?」

俺はトイレの扉の木目を指差した

「…うん」

そうだそうだ思い出したぞ、俺は天井とか壁の木目が 人の顔に見えて…気持ち悪くて仕方なかった………懐かしいな

「少年、その木目はな、縦に見たらジイサンの顔に見えてキモいかもしれんがな、なんと横向きで見るとカエルさんに見えるのだ!」
「…ホント?」
「あぁ、ホントさ! 色んな動物が隠れてるからな、探してみると中々面白いぞ!」
「やってみる!ありがとう!お兄ちゃん!」

ハッハー! ガキなんてチョロいもんだぜ! 意外と素直で可愛いじゃんか俺は!
…っとと…今のは恥ずかしいな

「あとね お兄ちゃん」
「おおっと、何だ? 言ってみ?」
「玄関にお化けがいるの」
「…玄関に?」
「うん、玄関のちょうちんがね、かってについたりきえたりして 怖いの…」

そりゃおめぇ怖えってモンじゃねぇよ!ポルターガイストってヤツだひいいいいいいいい!命の危険すら感じるだろうが!

「…少年よ、そういう時は、見てないフリをするのが一番…だと思う、多分…」
「でも、それじゃぁ怖いままだよう」

そりゃそうなんだが、俺はお祓いなんてできないからなぁ…うーん、困った

「あ!お父さん帰ってきた! もう寝るね!」
「え? あ、そう…おやすみ」
「またねー」


少年は闇の中へ消えて行った

そうだった、親父はすぐに殴る人だったからな…怖くて、帰ってきたのを確認したら速攻で布団に直行だったな

うーん…何だっけ? 何かもっと、幸せな夢を抱いて眠る筈だった希ガス…

「ゆうきや、こっちゃおいで」

あれ、婆ちゃん?! 何で?! ………って、夢だった

「あぁ、少年なら寝ましたよ」
「これ!あんたの事だよ!」
「俺?!」
「そうそ…ちょろっとこっちゃ来んしゃい」

あんだこれ?…しかもこの呼ばれ方は、怒られるパターンのやつじゃんか…

「まぁ座りな」
「な、何でしょうか お婆ちゃん」

と、とりあえず正座だ…

「…友達は!大切にせんといかん! 何べんも言うたじゃろが!」
「はっ、はひぃ!」
「わかればよろしい」

へ?もう終わり?

「あんたももう大人、強ーく言わんでもわかろう?」
「婆ちゃん、何を…」
「そんじゃ、あたしゃ帰るよ」
「ちょっ待っ…!!」


婆ちゃんは、上の方に吸い込まれて行った…

昔に比べて随分と小さくなったみたいだ… いや、俺がでかくなったのか?…はぁ 最後に見た時よりはいくらか肥えてるみたいだし…まぁ、彼の世ではちゃんと食えてるみたいで…安心した

しかし、“友達は大切に” ねぇ…
友達…か

友達ってなんだろう………














「はぁ…」

悠希は 鏡を見て深いため息を吐いた

「なーんだこの顔?」

目の下には深い隈が刻まれている、冷水で何べん洗っても変化は無い………当然の事だが  
少し作り笑いをしてみた…

……気持ち悪…

「うーん…なーんか嫌な夢でも見たのかなぁ」

何度頭を捻っても答えは出そうに無かったので考えるのは止めて頬を両手でひっぱたいた

パシン!

「よし!考えても仕方無い、 学校行くか」


悠希はあらかじめ 母親が準備してくれていた朝食をたいらげると、流し台のたらいに食器を入れた

「わりぃ母さん、今日は洗い物パス」

そう言いながら、荷物を肩に掛けて急いで家を飛び出した

「…おっとっと」

数メートル走った所で鍵をかけ忘れた事に気付き、戻って来た悠希だが、焦って鍵が中々回らない

「あれ?おかしいな? …ふぬぬぬぬぬ!」

マズイ、あんまし力入れると折れっかも
何か様子がオカシイ、しっかりと奥まで差し込んでる筈なのに鍵が回らない、中に何かが詰まってるみたいだ…

「焦ってはイカーン!ここは指テクで…!」

その時だった

「悠希君いますかー?」

背中から聞こえたのは同じクラスのシエルさんの声だった

え?!何で?!…ってかヤバい! 今の指テクの下り聞かれてたかも!!

「お、OPP…おっはよう」
「ゴメンねー唐突に訪ねちゃって、でも入れ違いにならなくて良かったよー♪」
「う、うん、そだね…」

カシャン…おぉ

シエルと呼ばれた女の子が来た途端に鍵がすんなり閉まった、偶然かも知れないが… まぁ悠希にはそんなこと、もうどうでも良くなっているようだ


大丈夫…か?聞かれてない? …まぁ、それならいいが
それにしても、男を惑わす魔性の声だ… 声を聞いただけで、なんと言うか…こう…抱き締めたくなってしまう………だぁぁぁぁあ!! いかんいかん! 朝っぱらからこんなことを考えてからに!

二人肩を並べて通学路を歩いているが、悠希は何故か一人で謎のパントマイムを披露している…本人は気付いていないようだが

「…悠希君?」
「おわぁ! な、何?」
「ふふっ、悠希君って面白いね」

シエルさんが笑いかけてきてる、ヤバい!心臓が爆発する! ついでにアソコも爆発する!ぐがぁぁぁぁぁ!

「ねぇ、明日… 楽しみだね♪」

あっ!………ぶねぇ、とどめ刺される所だった…踏ん張れ息子よ!

「う、うん 楽しみだ」
「えへへ♪」

やめてください、死んでしまいます! 息子のHPはもう0よ!



悠希はシエルの顔をなるべく見ないように学校までたどり着いた、 すれ違う生徒たちの驚きと疑いの視線をかいくぐって教室に逃げ込むと、荷物を机の脇に掛け、やっとこさ一息吐けるかと思いきや…

現実はそう甘くないモノだ


「いよおう!ユウキー!」

無駄にデカい声を裏返りそうになるほど抑揚を付けて挨拶して来た奴がいる…こんな奴一人しかいない

「なんだ、大地か 何用でござるか?」
「なんだとは失敬な! …って何だその顔?!おめぇ、超美人転校生と堂々登校してきたから、てっきりはしゃいでんのかと思って釘刺しに来てやったら…」
「あぁ………」
「あんだよ、もうヤンキー共だかシエルちゃん親衛隊だかに のされたのか?」
「いや、なんか良く眠れなくてさ」
「へぇ…何だか知らねえけど、超美人が彼女だとやっぱり悩みが多いのなぁ」
「バッ!まだ彼女じゃねぇよ!」
「まだ…ねぇ…」

大地は不敵な笑みを浮かべて来た…腹立つなぁもう… まぁ、昔からだから慣れてるけど

「おはよう悠希…精が出るね」
「何だよ展弘(ノブヒロ)まで…」

普段あまり喋らない展弘は黙っていれば何の被害も無いが、一言に無駄に重みが乗るので要注意人物だ…コイツも昔からの付き合いだからな… あと、展弘はメチャクチャ女子にモテる…

ふっふっふ…だが!、だが今は俺の勝ちだ展弘!かっかっかっか!

「…いや、転校生と一緒に家を出て来たそうじゃないか」
「はぁ!? それマジかよノブ!!」
「…え?」何で知ってんの?
「あぁ………ああ!そうか!わかったぞユウキ! 寝不足なのは、転校生と一緒に夜な夜な精が出てたからか!!」
「おっおいバカ! そんなわけあるかよ!」
「心配すんなって!お前も男だ!!あんな可愛い娘が近くに居たら気もおかしくなるよなーアッハッハ!!」

おいおいおいバカ!…やべぇ 、なんかむこうの女子の視線がこっちに集まってんぞ! し、死ぬ!殺されるって!

「悠希と大地マジキモーイ」
「ナンナノー ホントアリエナーイ」

うわぁ、会話の内容が…んで、展弘は?w

「ハッハ! ボキャブラリーの乏しい女子共め! キモいと有り得ない しか わからんのか?!」
「おい、大地やめとけって…女子に口喧嘩じゃ勝てないからさぁ」
「ユウキ!お前にはプライドという物が無いのか!? あそこに居る女子共だっていつかはなぁ…!」
「バカ!もうやめとけってば!」
「ノブもそう思うだろう!?」
「…」

こ、れ、は、ひ、ど、い

「もうサイテー!」
「シエルちゃんも何かいいなよー」
「え、私!?」

おお!救世主来たる!!
ここで彼女が、関係無い とか もうやめよう だとか言ってくれれば事は収束へと向かうぅぅぅぅぅ!


「えぇ…えっと…うん\\\\」


…は?!……何?今のエロボイス…
顔を赤らめてモジモジする描写にエコーがかかった気がするんですけど…
えーっと…ちょっとまってね、今頭のなか整理するから………
って…あるぇ? なにこの視線…






ボク………しぬの?
















悠希は心身共にズタボロの状態で帰路を歩いていた、そろそろ家に到着…する筈だ………


「はぁ…久しくいじめとか受けて無かったから、耐性が低下したかなぁ、…昔はこのくらいいつもの事だったのに…っていうか、シエルちゃんファンクラブって何? いつの間にできたの?」

考えた事が口に出るくらい疲れているようだ

「帰り際で、シエルさんに素っ気ない態度取っちゃったし、何かシエルさんの頭に角生えてる幻覚見るし………明日、会ったら何て言えばいいのだ…?」



「はぁ…」


普段の倍以上の時間を懸けて、悠希は家にたどり着いた。

「ただいまー…」

誰もいない玄関に悠希の声が響く、すると玄関の明かりが点滅した

!?

劣化した蛍光灯がチカチカしているだけだった

しかし、疲労困憊と、この情景とが相まって悠希の脳裏に昔の光景が映し出された














痛い…痛い… でもそれだけだ

あぁ、何の事は無い、石をぶつけられただけだ、おでこから血が出てるだけだ…
目に入らなくて幸いだった…

家の門にだどりつくと、玄関の中に掛けてある提灯に勝手に火が灯った

何の事は無い…いつものことだ

誰もいない家の鍵を開けると、俺は家に上がり込む、そうすると、提灯の明かりも消える…たった、それだけの事だ

最初の頃は怖かった…でも、何でも慣れだ

一人でいるのも、殴られるのも、ある程度なら耐えられるようになった…このまま行けば、いつか感じなくなるだろう…

この提灯のように………


いや、違う…この記憶は………違う…
この提灯は 爺ちゃんの形見で…それで…

それで…

なんだっただろうか…

小さい頃、道に迷った時、迎えに来てくれた気がする
…いや、あり得ない、 きっと親が迎えに来てくれたのを記憶違いしてるだけだ、提灯はひとりでに出歩かない

じゃあ勝手に点滅したのは何故?

…わからない

いや、………わかりたくない?













「ハッ!」

悠希が正気に戻ると、玄関の前で十数分は経過していた

「…わからないなら」

悠希は家に荷物を放り込んで鍵を閉めた

「調べるのみ!」

ごみ捨て場に向かって、悠希は走った…ただひたすらに走った

悠希は提灯に対して酷い嫌悪感を抱いていた… しかし、それだけじゃない何か別の感情がソコにはあった…気がしていた


「ハァ…ハァ…ハァ…」

悠希は目的地まで走りきると、両手を膝に付けて息を整え、辺りを見渡した

「まぁ、…残ってる訳ねぇわな」

ごみ捨て場は綺麗に片付いていた………当然の事だ

「くそっ!回収車はどこに向かう?…そんなの知らねえよ!」

行き止まりは思っていたよりもずっと近くだった
悠希は自分の力なさに悔しさを感じると共に、自分の無駄としか言い様の無い行動に 呆れた。









家に帰ると、玄関では母親が待ち構えていた

「あ、どこ行ってたの」
「ちょっと忘れ物とり行ってた」
「…そう」

悠希の姿を見て一瞬驚いたようだったが、特に何をするでもなく家に上がらせると、台所の方へ歩いて行った

「夕御飯、冷めちゃうよ」
「あぁ、食べる」

母さんはボロボロになってる俺に、あえて理由は聞かなかった…心配してくれてるようだ、どうやら提灯の事は忘れてるのかな?…ならばいちいち蒸し返す事も無いか…


夕飯を済ませて風呂も入った俺は、寝る前に外のゴミ箱の中を見てみた

………まぁ…綺麗だこと

恐らく親父がごみ捨てに行ったのだろう、あの人は生真面目だから、ゴミ箱の中まで塵一つ残さないのだ

「あーやめだやめ! 」

そうだ、もう、俺の力じゃ何ともならん…
無駄な事はしないに限る

「さて、明日のためのその一!」


「よゐこは早く寝るべし!!!」

さうだった、明日はシエルさんと…
忘れるなんてどうかしてるぞもう!
シエルさんなら、今日の事は謝れば許してくれるだろう…

さぁさ! 寝ましょ寝ましょ!

悠希は愛しい人の記憶を抱いて眠るのであった…
つもり は満々だった …











「……………」

…なんだろう、砂嵐がかかってその部分だけ見えない聞こえない

何が邪魔してんのさ 俺は この娘が見たいんだ…
ん?…この娘?誰だそれ?

ふっふっふ……仕方ない! この私を本気にさせたな!……夢の中だからこそ可能な超必殺!!!

下着の裏まで可視光線!!

可視光線の意味が違うとか、そこを突っ込んだ君は負けだぜっ キラッ(爽やかな笑顔)


…ん、見えた いや、思い出したと言うべきか?
黒髪おかっぱで、前髪を伸ばしていて顔が良く見えないあの髪型…白い生地の変な和服…胸の所に見覚えのある家紋が入ってる…あと、この橙色にあたたかく灯る炎………この娘は…知ってる


ん?…こっちを見て何か言ってる?


…次の瞬間、鼓膜が破れるような…全身の毛がよだつような………まるで、何十人もの人間の断末魔を一纏めにしたような…暴力的な“音”が 悠希の脳と胸をつんざいた

………う…ぁ…

悠希は、この世の全てを失うような喪失感を伴う、凄まじい恐怖を感じた

ただただ暗闇の中で、もがき苦しんだ

それでも、悠希はその娘の事が知りたかった

助けを求めるように必死に手を伸ばした

するとその娘は、静かにこちらへと近づき、旁で自分の周りをその灯りで照らしてくれた

…とてもあたたかい、あたたかい………

その手を握ろうと、悠希はさらに手を伸ばした…
しかし、その娘は手を取ってはくれなかった

そしてその娘が何かを喋ろうと口を開けた瞬間だ

………またあの“音”

悠希は涙を流し、悲鳴を上げて 地面を転げ回った
…それでも、その娘は助けの手は差し伸べては くれなかった

悠希は見捨てられたのだと思った…こんなにも欲しているというのに…
悠希はただひたすらに泣いた…近くに誰かがいる時は絶対に泣かないと決めていた悠希だったが、今この時、悠希は目の前のその娘に見られているのにも関わらず、大声で泣いた…

いつしか悠希は子供の姿になっていた
子供の姿になってもただただひたすらに泣き続けた

それでも、その娘は絶対に手を触れてはくれなかった…慰めの言葉をかけてくれる事も無かった
悠希は泣くのをやめようと思った

…泣くというのは、人に助けを求めるという事だ…誰も助けてくれないのなら、泣く必要などない、無駄だ………無駄にも程がある…

悠希は元の姿に戻った…そう、元の姿だ、大抵の事を諦められるようになった半分大人の姿だ、 悠希は暗闇を自分の足で去る事に決めた、多分適当に歩けばそのうち出られるだろう

そして目の前のその娘に、一瞥をくれてやろうとした時だった



…その娘は

…泣いていた

泣いていたのだ、自分が、恥ずかしげもなく、ガキのように泣きじゃくっているときから、隣で一緒に泣いてくれていたのだ

その娘は再び何かを伝えようと口を開いた
悠希は咄嗟に両の手で耳を塞いだ
また、あの“音”が来る………そう、思ったからだ
しかし、その“音”は来なかった、 目の前のその娘はしっかりと言葉を紡いだ

…だが、耳を塞いだ悠希には、その声は届かなかった

半分大人になった悠希は、その娘を見捨てることが最善だと判断した、 しかし、半分大人になった悠希には、その娘の涙を見ることが出来るようになってしまっていた。

なんて言ったのさ?もう一度聞かせておくれよ

しかし、暗闇がだんだんと、遠ざかって行くのを感じ始めていた

夢ってのはいつもそうだ、タイミング悪い所で消えちまう…そんで、起きてる時の自分は覚えちゃいないんだ…何がなんだかさっぱりだ



………また…会えるよな?
















「…ケホッ」

目が覚めたのは朝の4時だった
怠そうに身を起こした悠希は、洗面所へと向かった

鏡を見ると、そこには酷い顔の自分がいた…目が真っ赤だ、腫れてる…とりあえず顔を洗った………冷たい水が気持ちいい

幸か不幸か、外は大雨だ


そのまま寝付く事もできず、居間に向かうと親父がコーヒーを飲んでいた
いつもなら、もう会社に行く時間の筈だ…あぁそうか、今日は土曜日だ… 普段親父は、朝4時に家を出て、午前1時頃に家に帰って来る…が、休日は朝7時に出て夜9時には帰って来るのだ…  …正直、死んじまわないか心配だ、どんな会社なのだろうか…休暇など滅多に無い

とりあえず、親父は子供の頃の刷り込みもあって 会うのはなんだか怖いので、大人しく部屋に戻ろうかという所だった

「ねぇ…お願いだからもう捨ててちょうだいよ、それがあると思い出すのよ」

母さんの声だ…起きてたのか

「一応、親父の形見だからなぁ、捨てる訳にもいかんだろう」
「でも… 」
「まだ言うのか、悠希はもう大人なんだぞ? 現実と空想の区別くらいつくさ」
「…私黙ってたけど、その提灯何回か捨ててるのよ!?」
母さんは少しヒステリック気味になってる…昔みたいだ
「ならば何故ここにある?」
「だからっ!」
「………」
親父はため息を吐いた
「…良いか?、子供というのは誰しも夢を見るものだ、悠希は友達が居なかったから、かまって欲しくて、その理由づけにこれを利用したに過ぎないんだ、ごく簡単な事だろう?」
「違うわ! それのせいで悠希は友達ができなかったの!それのせいでいじめられてたのよ!!」
俺は、胸が潰れそうな気持ちになった
「…幻想を抱いてるのはお前だ、提灯にそんなことは出来ない」
「じゃあどうして捨てても捨てても戻って来るの?……悪霊でも憑いてるんだわ!」
「いい加減にしろ!」

親父の怒鳴り声を久方ぶりに聞いた…

「お前がいつまでもそうだから、悠希に影響が出るんだ! 歩けと言われて歩く提灯があるか? 喋れと言われて喋る提灯があるか?! …そんなものは無い……当然の事だろう」

パキン…と、頭の中で音がした…今の親父の台詞で全て思い出した

「なんなのよ! 父親ぶって偉そうに! あなたは仕事の事しか考えてないくせに!…一度だって……私が………何度も何度も………呼んだのに…」
母さんは泣きじゃくって もう何と言っているのかわからない…
今の台詞には、親父も何も言い返せないようだ
「…もう出てく!」
母さんがこちらに向かって走って来た………
来た………来た…

…まずい………まずいまずいまずい!!

音を立てないように全力で部屋まで歩いた




…カタン

「ぷはぁ…ハァ…ハァ…」

扉を閉じたとたんに息苦しくなって大きく息を吐いた、 知らぬ間に息も止めていたみたいだ


………


とりあえずベッドに横になることにした

「…母さん」

あんな風に思ってたのか




眠く無い…

眠くは無いが…

目を閉じた















一番最初は最悪だった

お化けとかそういうのが大嫌いだった俺は、それだけで大泣きした

正直、家に帰るのが嫌になる位だった

だけど、何回かやってるうちに、慣れた
むしろ、その灯りをとてもあたたかく感じた 優しさというものか…

親父も母さんも働いてるから、俺は良く婆ちゃんの家に遊びに行った、…ガキが歩いて行ける距離だった

婆ちゃんは俺の話を良く聞いてくれたし、色んな事を教えてくれた

そんなある時だ、俺はなんとなくいつもと違う道から家に帰った
…最初の方は探検みたいで楽しかったけど、だんだんと暗くなってきて、最後には、また大泣きした

こっからだ、話がおかしくなってくる

その時、例の提灯が迎えに来たのだ
最初は灯りを持った人かと思ったけど、だんだんと近づいて来るとはっきりと わかった
あ、うちに置いてある提灯だな って……

一般的な丸い提灯に比べて、細身で円筒型の、取手が付いてるヤツだ
白い和紙に、見慣れた家紋が入ってる…婆ちゃんちの家紋だ

しかし、提灯がひとりでに浮いてきたのだ、あの時の俺が…というより、普通正気でいられる筈がない

俺はそれを見た瞬間、泣くのを止めた…怖すぎて泣けなかった…そんでもって…

あぁ…これは消したい記憶ベスト5に入るな

怖すぎて小便を漏らしたんだ…

そのうえ、その事実にうちひしがれて、また大泣き………クソみてぇガキなだなおい…

そこでだ、提灯は何をしたかと言うと…

…人の姿に化けたと言おうか

俺は泣くのを止めた、今度は怖かったからじゃあ無い… 何て言うか、 きれい…だったからだ


そして、そのお姉さんは俺を抱き締めて、頭を撫でてこう言った

「大丈夫だよ」

俺は、失禁した恥ずかしさで終始下を向いていたが 、元々提灯だったと思われる正体不明の美人なお姉さん に引っ張られて家までたどり着く事ができた…

家に帰ると、半泣きの母さんと、会社から 家に呼び戻されてキレ気味の親父がいた…隣を見ると、もうあのお姉さんは消えていて、玄関の脇に提灯は戻っていた…その後、親父にしこたま怒られた
婆ちゃんは婆ちゃんで、母さんから散々文句を言われたらしい、その日から 歩いて婆ちゃんの家に行くのを禁止された

…まぁ、時々は隠れて行っていたが


次の日、俺は自分から提灯に話しかけた…半信半疑だったのと、寂しかったのと…
婆ちゃんち禁止令が出てからまだ1日しか経ってないのに、婆ちゃんの家に行く訳にも行かず 時間をもて余していたというのもある

「ねぇ、あそぼ?」

すると、どうした事だろう、提灯の灯が大きくなり、提灯全体を包み込み、終いには高々と火柱が上がった 俺は火事になるんじゃないかと心配したが、火柱はあたたかく、家に燃え移る事は無かった
そして、火柱が消えると、中から あのお姉さんが出てきた

「あそぼ」

お姉さんは俺に、ニコッと笑いかけた
それだけでも、俺は嬉しくて家中を駆け回った

それまでは、ほぼ100%婆ちゃんと遊んでたが、次第に提灯のお姉さんと遊ぶ比率の方が増えて行った
だが、友達ができた事を自慢したくてしょうがなかった俺は、時々婆ちゃんの家に足を運ぶのだった

…その話を信じてくれるのは婆ちゃんだけだったから…


俺は毎日、提灯のお姉さんと遊んだ

お腹燃えてて熱くないの? …とか、 髪切らないと目が悪くなるよ? …とか
大抵の場合 俺から話しかけていたが,お姉さんが困ったような笑みを浮かべると、なんだかとても嬉しい気持ちになった

お姉さんが大好きだった

お姉さんがいれば他は何でもいいと思った

そんなことだから俺は、他の事をおざなりにし過ぎた



ある時だ、先生からかかってきた電話に、母さんが顔を青くしていた…

母さんは俺の事をとても心配している様子だったが…俺は、友達ならいるから大丈夫だと言った

クラスメイトにいじめられる事はあったが、別に気にならなかった… いや、気にならなかった訳じゃ無いかも知れないが、わざわざ こんな暴力的な奴らとつるむ事も無いと割り切っていたのか…

俺は、大丈夫だった

………俺は…

だが、家の人は大丈夫では無かった
先生からの報告が相次げば親は心配するだろうし、血を流して帰宅すれば、気が気でないかもしれない、今なら分かる

そして、母さんは‘’原因‘’を欲しがった

うちの子が、なんの理由も無しにいじめられる訳が無い…とでも思ったのだろうか、
いじめられる奴というのは大抵の場合、そいつ自身に原因があるものなのだが… 俺も当時は分からなかったが今なら分かる




ここまで来ればもう分かるだろう

原因として矛先を向けられたのは…

…あの提灯だ




まぁ俺も俺だ…

この提灯は本当に喋るんだ! 母さん達には分からないんだ! …なんて、意固地になって主張し続けた
ここまで来るともう病気だ

どうしてもその提灯の存在を証明したくなった俺は、知り合いを呼び出して、提灯に向かって必死に頼んだ
姿を現してくれ、いつもみたいに話しかけてくれ

しかし 提灯は 、俺以外の人がいるときは姿を現さなかった…

「嘘つき」

今考えると 虫酸が走る思いだ

そんなヤツが近くにいたら、多分 怖くて 気持ち悪くて、距離を取るだろう

そして、この頃、 提灯は話さなくなった、二人きりで何度呼んでも出てこなくなった …俺は、人を呼んだことを怒っているのかと思って、怒りがおさまるのを待つことにした


そんな事ばかりやっていたのだ、次第に噂も広がり
周りの保護者達からも疑念の目で見られるようになった…母さんは、全てが敵に回ったような思いだったろう… 当時は知らなかったが、親どうしの嫌がらせも多々あったらしい、…大人になってもそういう奴はいるようだ

母さんはヒステリックを起こしかけていた

いや、多分あれはもうその領域に達していたのではないだろうか? 俺のために耐えていたのだとしたらと思うと…

そして、俺は病院に通うようになった

俺は精神科の先生が大嫌いだった
最初はこちらの言っている事に話を合わせて適当にあしらいつつ、だんだんと話を逸らして 諭すように向こうの考えを詰め込んで来る
こちらの話はお構い無しだ、聞いてるフリをして全く耳を傾けてはくれない、愛想の良いフリをして、瞳の奥は冷たかった …俺を蔑むのが…俺を聞き分けのない子供だと笑うのが ひしひしと伝わってきた、 そして、一番腹が立ったのが、 その事実に俺が気付いていないだろうと 甘く見られた事だ …確かに常識知らずで頭も悪かったかも知れない
でも、その人が 自分を悪く思っていれば何となくわかった



婆ちゃんが死んだのはこの頃だ、少し萎んだ婆ちゃんは、自分の死期が近い事に気付いていたらしく、しきりに 「あたしゃそろそろ逝く」 と言っていた… 当時の俺は、どこに行くのだろうと不思議に思っていたが…

それと、その頃の婆ちゃんは俺に同じ事を何度も繰り返し言った

優しさってのは、してもらってる側にはわからない事があるものだ、いつか気付いてやれ…だそうだ
そうすればその人は報われる…と

母さんと親父の事だ…今なら分かってやれる

あと、友達は大切にしろ…だ


婆ちゃんが死んで、俺の味方は誰一人いなくなった
…少なくとも、その時はそうとしか思えなかった


そして、拠り所の無くなった俺は、ストレスを発散する術もなく

毎日、毎日、何度も、何度も、繰り返し同じ言葉を聞かされた

物が喋る訳が無い、それが当然の事だ………と

毎日毎日毎日

何度も何度も何度も何度も

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日何度も何度も毎日毎日何度も何度も何度も何度も毎日毎日何度も何度も何度も何度も



気分が悪くなって吐いた


頭がおかしくなりそうだった…いや、なっていた


毎日いろんな人から発せられるその言葉が


…重なり…増幅し…反響し


不快な“音”となって襲って来た


もう耐えられなくなった

良い子にしていればいつか反応があると思っていた提灯は、いつまで経ってもただの提灯だった

毎日繰り返される言葉が現実なのだと思い始めた

あの思い出は全てが嘘で、みんなの言うことが本当で…

怖くなった…絶対的な味方だと思っていたものに裏切られたような気分だった

信じたくない…怖い…怖い…


必死で提灯に話しかけた


太陽が空を横断する間中
夜の闇が濃くなって…やがて明るくなるまでの間中
体の節々の痛みが…やがて無くなるまでの間中

声が枯れるくらい叫んで

涙が出なくなるまで泣いて

最後の一握りの思い出が擦り切れるまで信じた


………そして



















俺はやっとの思いで夢から覚めたのだ…

自分の産み出した幻覚に打ち勝つ事ができたのだ…

ごく普通の学生として学校に通い

友人と笑い合い

比較的楽しい毎日を送れるようになった



婆ちゃん、俺は ちゃんと 母さんと親父の優しさに気付く事ができたよ… これからちゃんと親孝行して、恩返ししていくよ… 婆ちゃん、俺は ちゃんと 友達と仲良くやってるよ …展弘も大地も良い奴らでさ、あいつらは、俺が周りから避けられてる時から時々話し掛けてくれてさ…














だけど何だろう

胸にポッカリと穴が空いて、風が吹き抜けて行くような気分だ





悠希は目を開けて時計を見た

「11時か…」

ヨロヨロと起き上がり、カーテンを開けて窓の外を見ると、車が二台とも無い

「親父は良いとして、…母さんはマジで実家に帰ったパターンか? …しかし、酷い雨だ」


悠希が台所に降りると、テーブルの上に 作り置きの朝食と、置き手紙があった"ゆーき へ"と書いてある
悠希は 置き手紙をポケットにしまうと、"チンして食べてね" という貼り紙を捨てて、朝食という名の昼食を食べ始めた

「…固っ」



昼食を平らげると、自分の使った分と 流し台に重ねてある食器を洗った

それが終わると、家の中の掃除機掛けを始めた
…自室の掃除は怠っていたが、家の掃除はある程度こまめに行なっているようだ

「♪〜〜〜〜♪〜♪〜〜  …はぁ」

上機嫌に鼻歌を歌っていたかと思ったが、急に陰った表情で外を眺めた

「…寂しいなぁ」

掃除機を片付けた悠希は、弾かれたように床にぶっ転がり、身悶えしながら暴れ始めた

「ぬわぁぁぁぁぁぁあ!! なんなんだよもう! 雨なんか降って無ければ…今頃シエルさんと… うぎゃああああああ!!」

…うん、キモい

「チクショウ、電話番号でも聞いとくんだったなぁ…あ、シエルさん電話持って無いんだった」

悠希はある事を思い出した

『どうしても会いたくなったら呼んでね♪』

と言って教えられた言葉があった

「んー?、何だっけか…   ハッ!」

悠希はバネのように起き上がり、仮面ライダーの変身ポーズのような格好で叫んだ

「シャムシエル!!!」

どごおおおおおん!

「はひぃ!」

庭の方で雷音らしきものが鳴り響き、凄まじい閃光が走ったのを見て、悠希は情けない声をあげた

「なんだなんだよなんですかぁ?!…雷落ちたかな?」

恐る恐る玄関の方まで歩いて行くと

「………え?」

玄関の曇りガラスに人影が映っていた

…このどしゃ降りの中で?…傘も持たずに?
鍵を持って無いとなると親父でも母さんでもない…

ピンポーン

悠希は玄関のチャイムにビビって体を震わせた

「出ていいのか?………ってか出なきゃダメだよね?」

ピンポーン

再びチャイムが鳴る

悠希は側にあった箒を持って玄関の鍵を開けた

「どっ、どうぞ」

玄関がゆっくりと開いて行く…
そして、
悠希は目をまん丸に開けた

「こんにちは♪」

そこに立っていたのはシエルだった

「こっ!…こここんにちは!」
シエルは不思議そうな目で悠希の方を見た
「あ、これ?…いや、掃除してたんだ アハハ…」

悠希は箒を玄関の脇に放り投げてシエルに向き直った、そして大変な事に気付く

「うああ! 大変だ!」
「どうしたの…?」

どうしたの? と首を傾げられただけで悠希の下腹部は大変な事になったの だが、 悠希が指したのは、…シエルの服が雨に濡れて若干透けていることだった、悠希にとってみれば、大変なんてもんじゃあ無い

「えと!…あーっとえっと!」
「?」
「シエルさん風邪引いちゃうとまずいから…シャワー浴びなよ!………あれ?」
咄嗟に思い付いた言い訳がこれかい!
「まぁ、あれだよ とりあえず玄関にずっと立たせるのは悪いからさ…」
「でも…\\\…」
シエルはモジモジした

やめてくれええええええ! 頼むから俺の視界内でそういう事しないでくれ! とりあえず早く浴室に行って貰おう そうしよう

「あ、そうか着替えが無いのか…着替えなら貸すよ」
「本当? じゃあお言葉に甘えて」
「風呂こっちね」

ふう…死ぬかと思った…

「悠希君も一緒に入る?」

シエルは半裸だか全裸だか状態で、壁の影から肩から上だけ出して来た

「……………え?」

悠希は半分石化した

「…いや、俺は………朝シャワー浴びたから………いいや、うん」
「そっか、残念」

うぎゃああああああああああああああああ!!!
ぶうぉわあああああああああああああ!!
ふ・い・う・ち!
残念…って、本当に残念そうな顔せんでくれ!
ってか、今シエルさん裸だった…?
だだだだだだだダメだ!想像してはイカーン!!

悠希は落ち着こうと、自分の太ももをつねった

「痛っ…はぁ」

息子は落ち着かないようだが、思考回路を何とか作動させる事ができた

さて…

浴室から水の音が聞こえ始めた…

………ハッ!、いかんいかん!
そういえば、着替え用意するって言ったけど、この場合何を着せるのが最善なんだろうか…下手な服を用意する訳にもいかないし …かといって、母さんの下着借りようにも、サイズとかわかんないしなぁ… よし、ここはひとまず

悠希は、母親の服と 自分の服の中でも 女でも着れそうな服を適当にいくつか見繕ってカゴにいれ、脱衣室まで運んだ

「シエルさん、ここに着替え置いとくからー、着れそうなの選んで着てね」
「ありがとー」

…扉一枚越しに…シエルさんの…裸………ハッ!

だーかーらー! ダメだっての!

悠希は再び自分の太ももをつねって脱衣室を後にしようとしたが、ふと シエルが脱いだ服が目に入った

ブラジャーなんぞ母さんのしか見たことが無かったが
…比べるとかなりデカイ…デカイ …そして心なしか 良きかほり が…

悠希はシエルの服に手を伸ばそうとした

キュッ

シャワーのお湯を止める音が、悠希を現実に引き戻した、シエルが浴室から出たのと同時に、悠希は居間の座椅子に座った…ものすごい速さの忍び歩きだった

うわぁ、何してんだよ俺は… 動悸が止まらん…心臓がいくつあっても足りないでござる…

しばらくして、シエルが脱衣室から出てきた

「お待たせー♪」
シエル氏登場
「へ?」
シエルの服のチョイス

和柄のTシャツ (ノーブラやっほい)

以上!

「へ?」
「えへへー♪似合うかな?」
「…」

いや、待てよ… とりあえずTシャツがデカイ からギリギリパンツは見えてないよ、確かに… まさかズボンを履き忘れるなんてあり得ないだろうし、…シエルさんは家では下着で過ごすタイプなのか? 指摘すべきかしないべきか…

「…似合わない?」
「ん、あぁ…似合ってるよ、すんごい似合ってる、うん」
「良かった♪」

チクショウ! いちいち仕草が可愛すぎるし…
その服装で居られるのは…嬉しいけどとっても困る! えーっと、えーっと…どないしよ…

如何にしてズボンを履かせるか思案していた悠希だが、シエルの不審な視線に気付き、その視線の先を追いかけた

…提灯? あれ、キレイになってる…親父が掃除したのか …しかし何か気になる事でも有るのだろうか

シエルは真剣な表情で、居間の角に掛かる提灯を見ていた

「シエルさん? …どうかした?」
「…浮気しちゃ嫌だよ?」

………

シエルのイタズラっぽい笑みに当てられて、悠希の思考はぶっ飛んだ

まずい、まずいぞ

「と…りあえず、俺の部屋行っててもらっていい? あ、こっちね 俺は…お茶持って後から行くから」
「うん」

とりあえず距離を置く事に成功だ…

悠希は台所で、冷蔵庫から麦茶を取り出して 自分のコップに並々注いで一気に飲み干した

「ふはぁ…落ち着けー落ち着けー…」

悠希は深呼吸して、麦茶とコップ2つをお盆に乗せて自室へと向かった

そして、部屋の扉の前でもう一度深呼吸…
ヨシッ!と気合いを入れて悠希は部屋の扉を開けた

次の瞬間目に飛び込んで来たのは、自分のベッドに寝転ぶシエルだった、仰向けで膝を立てている

パンツが………丸見えじゃないか!

バタン!

悠希は部屋に入らずに扉を閉めた
そのまま部屋の前をいったり来たりしていたが、覚悟を決めると、恐る恐る扉を開けた

今度は床にちょこんと正座していた

あ、これなら…

悠希はちゃぶ台を取り出して わざとシエルの前に置き、見えないようにして、その上にお茶を置いた
対面に座った悠希は、ようやく何とか落ち着いて話ができるようになった

「さてと…なにしようか?」
「えっ?ナニしよう?」
「うん…特に何も決めて無かったから、 …って」

…なぜそこを強調する?!なぜそこで顔を赤らめる! …気付かなかった事にしよう…うん

悠希は2つのコップに麦茶を注いで、一つをシエルの前に差し出した


………

二人はお茶には手を付けずに向かい合って
沈黙の時間が流れた
シエルは時々ニコッと笑い
悠希は時々顔を背けて下を向いたりした

…こうして見るとやっぱり可愛いってもんじゃ無いなぁ、  顔は整ってるし、胸でかいし、形良いし、…形? は?!…ノーブラ!!!?

…今さらですか

母さんのじゃあやっぱり小さかったのかな…あーまずい、息子よ、お前は正直者だな


実際の所、悠希はもう限界だ… それもそうだろう、あまり女性とは交流など無かった悠希だ このような魔物的容姿の女と同じ空間にいれば後は時間の問題だ、 悠希は 釘付けだった Tシャツ一枚を高々と持ち上げる2つの山…支えも無しに悠々とそそりたち、彼女が動く度に振れるように感じた … ウエストは丁度良い肉付きでキュッと引き締まっており、肌が大量に露出された太股は ほつれの無い絹のようだった

そこへシエルはとどめを刺しにかかった



「ねぇ悠希君」

唐突にシエルさんはちゃぶ台に両手をついて、こちらを覗き込んで来た…前屈みになってるせいでTシャツの襟から中身が見えてる… まずいって

「ん?何?」

悠希は視線を逸らしながら返事をした

「こっちを見て」
「えっ…と」

シエルは視線を合わせようとしない悠希のアゴに手を添えて、優しく自分の方へと顔を向けさせた

「悠希君…」

悠希の目に映ったシエルの瞳は 潤んでとても物欲しそうに 赤く不気味な光を放った …悠希は後ろに仰け反った しかしシエルもそれに追従して前へ前へと体を乗り出した

ちゃぶ台に乗り上げたシエルの膝がコップに当たり、畳の上に麦茶がこぼれた

「あっ…あっ」

悠希は必死にこぼれた麦茶を口実に逃げ出そうと考えるが、口をパクパクさせるだけで言葉にならなかった

「後でいいから…ね?」

そうこうしてるうちにもシエルは悠希へと迫って行く

後ろへと下がり続けた悠希だが、ついに終わりが来た… トンッ と悠希の背中が壁にぶつかった

「あっ?!」

シエルは、欲しい物に手が届いたような…肉食獣が獲物を捕らえたような恍惚とした表情を浮かべながら 半ばパニック状態の悠希にのしかかるように体を重ねた… 足を絡め、首の後ろに手を回す…シエルの胸が悠希の胸板と接触し、柔らかそうにその形を変形させていく

「シ…エルさん?」
「悠希君…悠希君…」

シエルは甘えるような声で悠希を呼んだ…嘘偽り無く、あなたが欲しいと、懇願するように…何度も何度も呼んだ………


ぐあああああああああ
無理無理無理無理無理! ハァ!ハァ!ハァ!ハァ!

恐らく普段の悠希であれば、ここでいっぺん果ててしまいそうな所だが、悠希は何故か間一髪の所で堪えていた

「シエルさん!待って!」
「っ…」

シエルは大人しく言うことを聞いて悠希から離れ、悠希の前に女の子座りになった

「私の事………嫌い?」

シエルは悲しげな表情で問いかける… 誰が嫌いなどと言えようか、もちろん悠希は、その身をシエルに明け渡すつもり満々だった

「嫌いじゃないよ…むしろ………」
「むしろ?」

答えは出ている筈だった
…しかし、口から出すこと叶わず

二人はしばらく硬直した

悠希はその時間を凄まじい長さに感じた

………

沈黙破ったのは悠希のほうだった

「…ごめん」

悠希はその一言だけ言い残すと、逃げるようにその場を後にした、 全力疾走で、靴も履かず 家を飛び出して行った
















馬鹿かおまえ、何がしたいの?
あのまま行けば 天国だったのに
今頃シエルさん…どんな顔してると思う?

俺の中の小さい俺たちが激しく俺を批判してくる

最低の男ダナー
敵前逃亡もいいとこだ

………

私のこと…嫌い?  かぁ…
その時の情景が思い浮かんで身震いした、 シエルさんは、めちゃくちゃ可愛いし、良い娘だと思うし… ぶっちゃけ、初めて会った時はそれだけで頭が茹で上がって、天にも昇れそうな気分だった 嫌いな人にそんな状態になる筈が無い …多分

ならば何が気に入らないのだ?

嫌いな訳が無い、むしろ…むしろ…
………その後の言葉が出てこない


全身びしょ濡れになりながら悠希は雨の中をフラフラと歩き、時々立ち止まっては 灰色の空を眺めた


………好き

多分そう言いたかった筈なのだが、何かが引っ掛かって、喉の奥で言葉が詰まってしまった
本当に好きなのか?
嘘偽りは無いのか?
と、ブレーキをかける自分が居た… 好きと言おうとすると 嘘を吐いてる気がして 罪悪感がこみ上げる… じゃあ俺が本当に好きなものは何だ?…

一瞬 橙色の灯りが脳裏を横切った

…おい待て待て、お前まさか、まだそんな事…
嘘だろ!?
そんな理由であのチャンスを不意にしたのかよ!?
夢に恋するとか…お前、病気だろ

「うっせえ! わかってるよ!」

叫んでみても、俺の中の小さい俺たちは黙らない、肩身が狭くなるくらい散々文句を言われた 一人取り残してしまったシエルさんの事を思って 再び罪悪感がこみ上げる…

何やってんだろ………俺


フラフラと歩いていた悠希だが、どうやら目的地も無く歩いていた訳では無いらしい、川の側にたどり着いた悠希は、雨で流れが強くなっている川を眺めた

…別に飛び込もうとか考えてる訳じゃない、ここに来ると落ち着くのだ、この川には何度も遊びに来てる …昔婆ちゃんと来た事もある、雨が降って無ければ、全く脅威では無い水量の川なのだが…

悠希は音をたてて勢い良く流れる水をしばらく眺めた



…あ、先客がいたのか

ふと、対岸で突っ立っている人に目が行った…黒いワンピースのようなものを着た小さな女の子だ、頭に乗っている大きな三角帽が印象的である …女の子は水が流れている直ぐ傍に立っていた

…危なっかしいな 大丈夫か?

悠希は不安になったので、その女の子から目を離さないようにした

…?!

にわかには信じがたい事が起きた 
…女の子が消えたのだ、悠希がまばたきをすると、そこにいた筈の女の子はいなくなっていた

案の定かよおい!

悠希は、女の子が川に落ちたのだと認識した、…人が急に消えるなんて現実的では無いからだ、人は急に消えたりしない………当然の事だ…と

人を呼んだ方が絶対に良いが、…生憎連絡手段は無い それに、そんなことやってたら手遅れになっちまう、目の前で死なれて夢に出られるのはご免だ

悠希は川に飛び込んだ …悠希としては、勝算無しに飛び込んだ訳では無い、ある程度 川の恐怖を把握していて、川の中でも冷静な判断ができる自信があった …勿論、悠希がそう思い込んでいるだけだったが

足が付かない程深い訳じゃない、溺れるには十分な深さかもしれないが、女の子が見つかりさえすれば、流されながらでも岸にたどり着ける

勢いが増しているせいで、川の水は淀み、水中が見えない

これだけ流れが早いんだ、どっかに引っ掛かってなければもっとずっと先の方だ…

悠希は川の流れに沿って、川を下って行った それまでは行った事が無い離れた場所までだ

「おーい! …って、返事なんかするわけねぇよな…もうダメかmぶfぁ!?」

他よりも若干深くなっている場所で、悠希は足を滑らせた、川底の起伏のせいで水の流れが複雑になっており、悠希は水中で切り揉み状態になった

…ん

両手両足を伸ばしても地面にも水面にも触れられない、泥で濁った水の中では 視界も役には立たない

…うーん、これはダメだな、終了だ
…って、判断だけ冷静でも意味無いっての、…川に飛び込んだ時点で冷静じゃあ無いか…ハハハ!


あー情けねぇ、最後に女の子とあんな事やこんな事できるチャンスを…  それでも、思い浮かぶのはシエルさんじゃなくて あの娘か… 

…やべぇ本格的に苦しくなってきた



















「…がばっ!はぁはぁはぁ」

悠希は急に何かに腕を捕まれ、物凄い力で引っ張られて水面に顔を出した

酸素濃度が上昇してきた、視界がはっきりしてくる…水面に出られたのは分かった、だがまだ安心するのは早い、とりあえず岸までたどり着かないと…

ふと、引き上げてくれた その手が離れていくのに気付いた…

「お、おい!大丈夫か!?」

その人は力無くうなだれて流されかけていた
悠希は急いで肩に手を回して引き寄せた

「おい!しっか…り」

悠希はあることを思い出した … 水難救助では、意識の無い人の方が運搬し易い、悠希はその人を起こすのをやめ、岸に向かう事にした

くっ…あれ?………力が…入らない

今の悠希の体力では、抱えた人を流されないようにするだけでも かなり厳しい状態だった、むしろ人を抱えて留まれるだけ、称賛に値した 悠希は水流の抵抗を受けないように、抱えた人を下流に流し、流れに逆らわないようにはしているものの、抵抗を全く受けない筈もなく、腕にはずっしりと重みが のし掛かった

………


「………寒い…まずい…死ぬ」

飛び込んだ時よりも、若干水面が上昇してきた気がする …この人、腕の中でピクリともしない …もう死んでるんじゃないのか?

悠希はその人に目をやった

…見覚えがある… 白い和服に、婆ちゃん家の家紋…抱えているので顔は見えないが、こんな服を着ている奴が他にいる筈ない …そして、水の中で揺れる炎………確信的だ、何で今まで気付かなかった?

悠希は本能で認識するのを避けていたのだ

…ここで立ち往生している時から、俺の中に2択が浮かんでいた


1, この人と一緒に、ドザエモンになる!

2, この人を見捨てて、最後の力で脱出を試みる!


これは、あくまで極論だ

本当は3番で、助けを待つってのに賭けていた 正直望み薄だが、…俺は自分の判断で他人の命を左右するのが怖くて、判断しかねていた

だがどうしたことだ? 腕の中にあったのは、俺の幻想だったのだ …多分、命の危機に瀕した今、また 何かにすがり付きたくなったのだろう…それで幻想を造り出した……… 溝から抜け出したのは…

………おそらくたまたまだろう

さぁここで問題だ、俺が判断しかねていたのは 、人の命を背負うのが嫌だっただけで、それが自分の造り出した幻想だとわかったら、何を迷う事があろうか

…それに、コイツは俺の助けを呼ぶ声をを無視し続けた薄情者だ、…俺の信頼を裏切ったのだ

当時の 恨みや怒りが 蘇って来た

…そうだ、この際 ここで永遠に消えて貰おう、コイツは、俺の心の弱い部分なのだ …すがり付きたい…誰かに助けて欲しい… という甘えなのだ



…俺はゆっくりと腕を離していった



「…ごめんなさい…さよなら」


………聞き逃さなかった

離れる寸前に、手で掴み掛かった、文句を言ってやらないと気が済まなかった

こういうのを 怒り心頭 というのか

「もう一回言ってみろ」
「………ごめんなさい」
「今さら何のつもりだ? どの面下げて謝ろうってんだ?」
「………」
「何とか言えよ! また 俺をそうやって からかうつもりか?…人の不幸を見るのがそんなに楽しいのか? あ?!」
「…ごめんなさい」

頭の血管が切れそうだった、 …川の中でなければ手が出ていたかもしれない

「何だ? ごめんなさいごめんなさいって? どうせだ、本当の事を言ってみろよ! クソガキが泣きじゃくるのを見てほくそ笑んでたんだろ? 苦しみもがくのが楽しくて仕方なかったんだろ? 」
「………」
「何を黙る事があるんだよ!!言ってみろよおら!!!」

俺の指が食い込んで痛そうにしてる…




「………私は…」


…違う、泣いてる


「…私は」




「………話しかけて あげること は できなくて………」

掠れそうなな声だったが、その時だけ、川の水音が消えたような錯覚に陥った


「応えてあげることは…できなくて…」


懐かしい声だ …柔らかくて、消え入りそうで、優しい声 …急に 目頭が熱くなって …その熱が頬をつたって………

何故…?

コイツは…

「じゃあ何で?! なんで何も言わなかったんだ 何で俺を無視した?! …なんで 」

「…あなたが…傷付いてしまうから」

傷付く?…何故?

「あのとき、俺の話を聞いてくれれば! 俺は、俺は…っ!」

俺はそれだけで…

「………」


「あのとき、一言でも話しかけてくれれば!」

それだけでなんだ?…くれればなんだ?…

「………」


「俺は、それだけで良かったのに! それだけで! 他は何も要らなかったのに!」

俺は…何を言っている

「……っ…」

「欲しかったのに …ずっと欲しかったのに! 君が! 君だけが! それだけで!」

オレワナニヲイッテイル?

「 ぅ ……ぁぁっ…… 」 

彼女が泣いてる…声を上げて泣いてる…


チガウダマサレルナ


そうだ、この女は俺を見捨てたんだ

…もしあの時、俺の声に応えてくれれば 俺はそれだけで良かったのに…

俺は…俺は………




…俺………だけは…

母さんはどうなった? 家は?…


だけど…だからって平気で 苦痛に悶える子供を無視できる 奴がいるか?…そんなことできる筈ない…そんなことしたら………


きっと………つらくて…つらくて… 心が引き裂かれそうになって………

それでも手を差し伸べる事ができなかったら…

苦しむ相手を見ていることしかできなかったら…

きっと…


………今なら分かる



コレハ マボロシ
違う

幻想なら、触れる筈が無い こんなに掴んでるのが辛い訳がない、 人を水中から引き摺り出せる訳がない………当時の事だ …ハハハ…

幻想なんかじゃない


「見守ってあげる…ことしか…」

「…あーんだよこれ…俺がどんな思いをしたことか…」

「………ごめんな…さい」

「もう…謝るな、その…あれだ…おあいこだ、俺も… 怒鳴って悪かった、ごめん」

「………」

「何て言うか…」

「………」

「…ありがとう」

唐突に思い浮かんだ言葉だ、特に色んな思いを乗せたとかそういうんじゃない、なんとなく出た …彼女はそれまで泣くのを堪えようとしていたが、その言葉を聞いたとたん、堰が切れたように 隠そうともせずに 大きな声で泣いた…

思えば、泣いてる所を見るのは初めてだ






急に全身の力が抜けた …んでもって、相当ヤバい事に気が付いた


「…うおおっ!?」

危うく手を離してしまう所だった
もはや感覚が無い …多分、今鏡を見たら 死人みたいな唇をしてるに違いない

「ハハハ!」

とりあえず笑え

「ハハハ!」

今動いたら、もう地面に足が付かない気がする
岸まで泳ごうにも、体が自由に動かないのだ、ロボットみたいな泳ぎで、流されてしまうに違いない

「ハハハハハ!」

彼女は不思議そうな顔をしている  …まぁ、とりあえず笑っとけ

「ハハハ!」

ハハハ!  …はぁ

「…悠希さん…っ!」

おほっ、初めて名前呼ばれたかも…なんかすげぇ嬉しい………その表情からして、俺が限界なのがバレたかな?

「お願い」

彼女は、俺の手を引き剥がそうとした …安心しろ、もはや一人でも助からん

「生きて…!」

絶対に離してやらんぞ…ハハハ!




………死ぬまで


「………」











…異変に気付いた

「…お…い?」

彼女の下半身がっ! 腕がっ! …無い

「おい…おい!」

水中で燃えていた炎はいつの間にか消えていた

「ちょっと待て…待てよ!」

現在進行形で彼女が消えていく…

「何で! …何でだよ! 何なんだよ!」

彼女はこちらを向いて優しい笑みを浮かべた

「…生きて」

全身に少しだけ力が戻るのを感じた …俺の一部になってる?!

「ダメだ! 待て!!ダメだ! …やっと!やっと会えたのに!」
「…大…丈夫…今の…悠希さんには…素敵な人がいる…」

俺は全力で首を振った

「きっと…あなたを守ってくれる」

違う………違う!…………勝手に自己解釈しやがって!

「ありがとう…」

………消える…消えてしまう!

「………さよなr「好きだ!君が好きだ!愛してる!」

もう何でもいいから!

「君がいなくなったら、俺はもう生きて行けない!」

消えないでくれ

「また俺を一人にするのか!? 」

頼むから…死んでもいいから …傍にいてくれ

「お願いだから…」


「………!」









悠希はキスをした、彼女から渡された最後の力を全部使って、彼女にキスをした



涙の味がする…

彼女の手応えが完全に無くなった …元々手の感覚も残っていなかったが…

あぁ…






次の瞬間だ、目を瞑っていた悠希は、瞼越しに凄まじい閃光が瞬くのを感じて 目を開けた

「天からの…迎え………?」

ではなかった…

「こっ………これは!! メラゾーマ!!」

目の前で凄まじい火炎が龍のようにうねっている、普通だったら俺はもう黒こげだな………普通なら

………でも…熱くない…懐かしい…


炎の龍にくわえられて、俺は いとも簡単に岸辺に降り立った…

龍は収束し、一本の火柱となった

これは よーく覚えてる

火柱が消えると、中からお姉さんが出てきた

いや、お姉さんと呼ぶには …少し大きくなり過ぎたな、俺は…

提灯のキミは、あの頃と全く変わって無かった

とりあえず俺は彼女を抱きしめた
愛しくて愛しくて仕方なかった

そして、体を離して顔を見た …指で前髪を退ける …小さい頃からずーっと気になっていた事だ

目が合うと彼女は顔を真っ赤にして目を逸らした …小さい頃想像していたイメージとは違って、キリッとした目で、かわいいというよりは、美しいという方が合ってる

もう一度キスをしようとしたら、彼女は両手で俺の肩を突き放した…

俺はかなりびっくりした、拒否された事に 後頭部を殴られたようなショックを受けたが… それで少し冷静になって 考えたら直ぐに分かった、大雨が降ってるとはいえ日中の屋外で口付けなど… それに、いつから俺はこんなに積極的になったんだ? …急に恥ずかしくなって、顔が燃えるように熱くなって…

「…ごめん」

…彼女も顔を真っ赤にしている

「ううん違うの…でも、我慢できなくなっちゃうから…」

そうかそうか……… へ?何が?

「ねえ、悠希さん…」
「な、何?」
「あの…力を使い過ぎて お腹空いちゃって…」

あー!なるほど!腹減ったのか!

「そうか、なら早く家に帰ろう! いくらでも食わしてやるから」
「…は、はい…よろしくお願いします!」

飯を食わせると言っただけなのに、なぜかとても嬉しそうに恥ずかしそうに、にっこりと笑った… 俺も嬉しくなって家に帰るのが楽しみになってきた!

何があったかなぁ… とりあえず卵があったから卵焼きとー、それよりも喉が渇いた、帰ったら麦茶をがぶ飲みしてぇ…

麦茶…?



悠希の脳内に川にたどり着く以前の記憶が蘇って来た


…しっしっしっシエルさんがぁぁぁぁ!!
ハッ! さっきの女の子は!?

土手を登り終えて川の方を見渡すと、対岸に黒服の女の子が立っていた …こちらの方をみてニコッと笑ったかと思うと、踵を返して反対方向に歩いて行った

「なんだったんだ?」
「どうかしたんですか?」
「あ、いや、何でも…」

そんなことよりも、シエルさんが!シエルさんに!シエルさんを!
ぐかああああああああああああああ!
どうすればいいのだああああああああ!
どうすれば!?どうすれば!?どうすれば!?

…そういえば、ずっと見守ってたって言ったよな… 俺がシエルさんの名前を呼びながらなんかしてんのも …見、ら、れ、て、た!?

悠希は 提灯のキミの心配そうな視線を他所に、奇怪なパントマイムを披露しながら家に帰るのであった

いや、キスより恥ずかしいだろそれ…



















川に架かる橋の上から、悠希達を見ている人がいた… いや、人では無い …捻り上がった角、蝙蝠のような羽、尻尾まで生えている

「悠希君…………グスッ」

よく見るとシエル氏だ、やたらと露出度の高いレザーの服を着ている、…そして驚くべき事に、傘も持たない状態で 雨に全く濡れていない、 雨粒はシエルに当たる前に 見えない何かに衝突し、シエルの周りに球体を作るように滴り落ちている

ゴッ

急にシエルの後ろの空間に亀裂が走り、大きな黒い穴が空いて 中から人が出てきた …こちらもシエルだ

「姉さん、御愁傷様…」
「あ!レイラ! …また邪魔したでしょ!」
「邪魔は…してないわ………魅惑の魔法をいくつか無効化しておいたけれど…」
「もう!、それが邪魔って言うの!」
「あら、そうなの …じゃあ、そういう事でいいけれど…」
「もーう!…はぁ… 悠希君、可愛かったのに… グスッ 」

シエルはしゃがみこんで、地面をいじりだした…
穴から出てきた方のシエルは、シエルと全く同じ造りの顔をしているが、シエルとは違い、喋る声も大人しく、どこか疲れたような抑揚の無い顔をしている… 着ている服も異なり、露出の殆ど無い、真っ黒なローブだ

シエルが地面に書いた魔方陣から、何やら布を取り出した… これは…

…悠希のトランクスだ…

シエルは、トランクスに顔を押し付けて匂いを嗅ぎ始めた

「クンクン 悠希君の匂い…」
バシン
「いだっ」
「やめなさい」

レイラに後頭部を叩かれ、シエルは魔方陣の穴のなかにトランクスを取り落とした

「だっでぇ〜 グスッ」
「フェアじゃあ無いでしょう?…姉さんが本気を出したら」
「でもぉ…………」
「それに…あの人には、あのパートナーが合ってる………と思う」
「ぶー」

膨れているシエルと、後ろに立って腕を組んでいるレイラの元に、大きな黒い三角帽を被った黒服の小さな女の子が歩み寄って来た

「あ、テア…お疲れ様…ありがとうね」

レイラは女の子の帽子を外し、頭を撫でると、女の子は嬉しそうににっこりと笑った   そして、シエルは口をあんぐりと開けた

「ちょっと待ってよ! 魔女まで使ったの?! しかもテア!」
「あら、言って無かったかしら?」

シエルは、立ち上がって橋の手摺をバンバンと叩いた

「何よ何よ! みんなして私を貶めて…この間なんか、
リリムが狙った男を落とせないとか()www
って、魔チャンネルに書き込まれたんだから!!冗談じゃないわよ!もー帰るー!!」
「あ…そう」

シエルは拳を突き上げた

「ドレエエエイク!!」

そう叫ぶと、天高くから巨大な翼竜が降りてきた

「どうしたのですかシャムシエル様、おお、ライラヘル様もご一緒でしたか!」

 竜が二人の事を呼ぶと、二人は急に機嫌が悪くなった

「ねぇ…次その名前で呼んだら………って言ったよね?」
「テア…こっちにおいで」

レイラはテアを黒い穴に避難させて 穴を閉じた

「ですがしかしあのですねぇ!! 私めが お二方を愛称で呼ぶなど おこがましいにも程がぁ」

「…言い訳は不要…全ては結果」
「そゆこと、お前みたいな無粋な輩は…!」

「触手の森の最深部まで飛んでけぇ〜!!」

レイラが人差し指をクイッと動かすと 竜は易々と宙に浮き、シエルがそこに向かって右ストレートをかました


どごおおおおおおおおおおん!!


凄まじい雷光が走り、一瞬にして竜は消し飛んだ…







その一部始終を、たまたま通りかかった展弘が見ていたが、それはまた別のお話
























………後日談


トントン
「入るぞ」
「あ、あぁ」

親父が部屋に入って来た… 母さんと違って 必ずノックをしてから入ってくる 、かなり紳士的だ

「…何?」
「………」

親父は、俺の向かいに置いてある提灯をまじまじと見た、 …元々かなりボロボロになってしまっていた提灯だったのだが、今は新品のような輝きを放っている

「ものは大切にしろよ」
「あ、はい…」

今 一瞬親父が婆ちゃんと被った

「えっと…それだけ?」
「いや、今から母さんと出かけて来るから、家の事よろしく」
「ああ、わかった」

それだけ言うと親父は部屋を出ていった

「あっぶねぇ〜、バレるかと思ったぜ」
「…はい」

さっきまで提灯が置いてあった場所には女の子が座っている

「さてと、話の続きだけど…」
「えーと…やっぱり、名前は悠希さんが考えてくれたのが良いです…」
「えー、…そっちの意見も…」
「ゆうきー!」

ダン!

「うわぁ!母さん!」

いや、そんな勢いで開けたら、扉が壊れるから!

「お母さん行ってくるね、洗い物一週間分貯まってたら許さないからね」
「わ、わかってるよ…」
「行ってきまーす!」

カタン

「………」
超絶ビビった…

提灯がちゃぶ台の下で横倒しになってる

「…もう出てきても大丈夫だよ」
「………」
ちゃぶ台の下から這い出してきた女の子は苦笑いをした

ったく、最近は母さんのテンションが高過ぎて困る …あの一件から、親父は休みを取るようになり、二人の時間を作る努力をするようになった

なんだか親父の方は、余計に疲れているように見えるが… まぁ母さんはかなり楽しそうだ

そういえば、あの一件の後 シエルさんは学校を転校した、…翌週には既に日本に居なかったらしい、お別れの挨拶も無しだとかで、シエルちゃんファンクラブとやらは相当堪えていたようだが………良い気味だ
しかしその後だ、展弘が 「土曜日は一緒にいたらしいじゃないか」 とか言うもんだから…あー、思い出したくない

俺も別れの一言ぐらい… と言うか めちゃくちゃ謝罪したかったのだが、部屋には、‘’お幸せに‘’ と書いた紙が置いてあっただけで、もう居なくなっていた…


…謎過ぎる …何者だったのだろうか?


「悠希さん、あの…」
「え!?あ、何?」
「私…」

顔を赤らめてモジモジしている
これは…空腹の合図だ…

「………」
「…ダメ………ですか?」
「い、いや そんなことないよ…ハハハ…ハ」

これってどうなんだ?
そんなことして、空腹が満たされる筈が無い……それが当然の事だ…普通ならね
………やっぱり俺の幻想?

彼女の炎が大きくなって、俺に触れた …すると……


…これは、明日の朝までコースか?





















テアは川で拾った手紙を開いた、一度濡れてボロボロになってしまっているので、一部しか読めない



ゆーきへ



…………デートに行ってきます

処女作よりも先に公開する事になろうとは…………

ここまで長々と見てくださった皆さんありがとうございます!
あわよくば感想など頂ければ幸いです

では、またの機会にも

2014/6/5 修正を加えました。

15/05/16 11:52 灰色ポーン

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