読切小説
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白い地獄の中で
 一面の雪の中に吹雪が荒れ狂っていた。風と雪が、生ある者に悪意を持って荒れ狂っているようだ。雪の中で、木々や山肌が厳然とした態度で存在している。
 雪の中に二人の男が倒れている。二人とも血を流し、黒い服は雪に覆われている。流れ出した血も固まっており、雪の中へ消えて行く。
 一人の男が微かに動く。手を伸ばそうとするが、震えるばかりでまともに動かす事が出来ない。男の体中は凍傷にかかっており、もはや動かす事は出来ないのだ。
 男は酷寒の中で、身も心も凍えていた。体は冷え切っており、次第に凍り付いて行く。冷たさと痛みに支配された体は、心を痛めつけて凍らせていく。
 男は、白い地獄の中で死なねばならぬ理由を思い返していた。

 グリゴリーの所属する部隊は、雪中行軍を命じられた。山のふもとを通り、雪原を抜けろと言う命令だ。雪中での行軍の知識と技術が必要であり、その為に実際に体験する者達が必要だとの事だ。現在は、王と大貴族の間で領地争いが起こっており、グリゴリー達王軍は大貴族の軍と交戦する可能性が高い。敵と戦いながら、酷寒の中で雪中行軍せよと言うのだ。
 無謀な命令だ。隊員に死ねと言っているようなものだ。だが、雪の怖さを知らない兵も多く、自分達に命じられた事の意味を分かっていない有様である。少数の兵は雪の恐怖を知っていたが、命じられた兵達は逆らう事は出来ない。命令に不満を漏らした兵は激しい制裁を受け、そのうちの一人は死んだ。全身を殴打された後、酷寒の営倉に放り込まれたのだ。兵達は監視されており、逃げ出す事は出来ない。兵営から逃げ出した所で、人の通れる所は監視の目が光っている。あとは酷寒の雪原であり、一人で渡れる訳が無い。不満を持っている兵も、おとなしく従うしかない。
 グリゴリーは、自分に命じられた事の意味を分かっていた。兵隊として取られる前は、寒冷地として知られる村で農奴として働いていたのだ。逃げようと考えたが、それが不可能な事は分かっている。結局、命令に従うしかない。
 行軍の準備は急いで行われ、情報が少ない上にまともに装備を整えていない。大雪に慣れていない兵達が、貧弱な装備で雪と敵の中を行軍しようと言うのだ。しかも隊長と副隊長は、急に任に就く事を命じられた者である。予定していた者が災難にあった為、実行三週間前に部隊長、副隊長に任じられたのだ。
 そんな中で、行軍を指揮する部隊長はやけにはしゃいでいた。下級貴族出身の部隊長は、失態を犯した為にこの地に左遷されていた。今度の行軍を成し遂げたら、出世街道に戻れると思い込んでいるのだ。この楽観主義者の部隊長は、雪の恐ろしさを分かっていないのだ。
 おまけに部隊長は、他の部隊に競争心を持っていた。この雪中行軍は、他の部隊も別の経路から行う。その別部隊よりも良い成績を出そうとして、グリゴリー達の部隊の隊長は張り切っているのだ。
 こうして愚か者の集団は、白い地獄へと足を踏み入れようとしていた。

 グリゴリー達の部隊は、二百人ほどで雪中行軍を開始した。グリゴリーを初めとする一部の兵は陰鬱な表情をしていたが、大半の兵に緊張感は無い。兵達の中には遠足気分の者達もいる始末だ。もう一つの友軍部隊を追い越して、敵軍を蹴散らしてやるとはしゃいでいた。めんどうくせえなとぼやく者はいるが、彼らにも危機感は無い。
 行軍は、初めから雲行きは怪しかった。無謀な行軍に呆れた地元民は案内を買って出たが、案内料目当ての物乞い扱いをして部隊は彼らを追い払った。雪中行軍の経験のある兵はいるが、彼らは別の場所で経験したのだ。これから通る山のふもとや雪原では無い。この地を歩き回った者はわずかにいたが、彼らが歩き回ったのは春から秋にかけてだ。未経験者の集団は、案内人無しに地図を頼りに雪中行軍をしようとしていた。
 案の定、行軍は予定通りに進まなかった。雪の中を上手く歩く事が出来ずに、遅れていく。隊長は後れを取り戻そうと強行軍を行い、兵達を疲弊させた。
 ここで部隊の根本的な欠陥の一つが露わとなった。隊長と副隊長が指揮権の奪い合いを始めたのだ。二人の方針は繰り返し対立し、隊長は自分の命令を強行し、副隊長は隊長に無断で命令を修正した。その為、指揮系統は見る見る混乱していく。
 この状態で猛吹雪にあった。地元民から天候の急変は聞いていたが、たいして気に留めていなかった。やむなく休息を取るが、辺りに風雪を上手くしのげる所は無い。兵達は急速に弱っていく。
 副隊長は帰営を主張し始めたが、隊長は行軍を強行した。せめて橇を捨てて兵の負担を軽くする事を副隊長は主張したが、それは最後の手段だと隊長は拒否する。吹雪が弱まった所を再出発したが、再び吹雪はひどくなり道に迷う。やむを得ずに橇を捨てる事を決定したが、この時に隊長だけではなく副隊長の能力も低い事が明らかになった。副隊長は、橇の荷物のかなりの部分を兵達に背負わせたのだ。これにより兵達の衰弱は激しくなる。
 夜になり、兵達は吹雪の中で雪濠を作って休息を取る。場所は山のふもとの森であり、雪濠を掘らなければ風雪をしのげない。手を擦り合わせ足踏みしなければ凍傷にかかる。まともに眠る事は出来ない。替えの手袋や足袋を持っていない兵も多く、濡れた手袋、足袋は彼らの手足を損傷していく。糧食を食おうとするが、凍ってしまった為に多くの兵が食う事が出来ない。
 グリゴリーは、懐に糧食を入れて温めていた。その為に凍らずに食べる事が出来たが、それを見た他の兵達がグリゴリーを叩きのめして糧食を奪う。鼻血を流して倒れるグリゴリーの顔に、凍った糧食が叩き付けられた。
 夜が明けても吹雪は収まらなかった。既に兵達は衰弱しており、まともに戦える状態では無い。そのまま目的地に進もうとするが、行軍は遅々として進まない。
 ここでようやく隊長は撤退を決める。ところが副隊長は、目的地に進んだ方が早いと主張する。隊長は強引に撤退を命じるが、指揮系統の乱れに拍車がかかった。
 吹雪の中を撤退するが、部隊は道を間違えて峡谷にはまり込む。この峡谷には迷い込んだ者達が他にも居た。敵である大貴族の部隊が峡谷にいたのだ。吹雪の中で殺し合いが始まった。

 グリゴリーの目の前で、同僚の兵の眼球に矢が突き刺さった。兵は、喚き声を上げながら地に倒れ、雪の中を転げまわる。白雪の上に赤黒い染みが付く。
 雪の上に伏せて矢を避けるグリゴリーの眼には、槍を振りかざしながら襲ってくる敵兵の姿が見える。敵兵の槍で突かれ、喉から血を吹きあげる兵が倒れた。別の兵は、腹を槍で抉られて臓物をこぼれ落としながら地を這いまわる。目を矢で刺されてグリゴリーのすぐ側を転げ回っていた兵は、敵兵の剣で顔を砕かれる。残りの眼球が砕けた顔から零れ落ちる。
 グリゴリーは、這い蹲りながら滅茶苦茶に槍を突き出した。まともに戦うだけの気力、体力はグリゴリーには無い。既にここまでの行軍で奪い取られてきた。敵兵の襲撃と殺戮される自軍の兵の惨状を見て、グリゴリーの残りの戦闘力もほとんど奪われる。残ったのは、恐怖に駆られた闇雲な行動力だ。支離滅裂に槍を突き出す今のグリゴリーは、少年兵以下だ。
 乱戦の最中、一人の敵兵が足を滑らした。這い蹲りながら槍を突き出すグリゴリーの前に転がる。突き出した槍が敵兵の顔を粉砕し、眼球が糸を引いて飛び散る。グリゴリーは涎を垂らしながら喚き声をあげ、繰り返し槍を突き出して敵兵の顔と頭を砕いていく。血と肉片と骨の欠片が、血と混じり合って飛び散る。
 グリゴリーは、敵兵の返り血と肉片を浴びて汚れながら、血で汚れ臓物が転がっている雪の上を這い蹲りながら逃げ回った。

 グリゴリーは、自分がどこを歩いているのか分からない。吹雪の中、他の兵に付いて進んでいるのだが、その兵達は自分がどこへ向って進んでいるのか分かっていないようだ。
 戦闘は敗北した。敵軍はこの地をグリゴリー達よりは知っており、装備も上だった。グリゴリー達を先に発見し、待ち伏せしていたのだ。グリゴリー達の部隊は打ち破られた。
 逃げ出す事に辛うじて成功したグリゴリー達は、隊長と副隊長の指揮の下で逃走をしていた。峡谷を抜け出そうとしたが、迷うばかりだ。峡谷を登ろうとしたが、転げ落ちて雪から突き出ている岩に砕かれる兵が続出して取りやめとなった。生き残った兵達は、風雪に翻弄されながら歩き続けた。
 一人の兵が道を知っていると言い出し、隊長はその兵に道案内をさせる。だが、予定地にはないはずの川に突きあたり、道を間違えていた事に気が付く。戻ろうにも吹雪の為に来た跡は消えており、部隊は完全に迷ってしまう。道案内した兵は、錯乱して喚きながら吹雪の中へ飛び出して行き、見えなくなった。
 夜になり野営をするが、兵が衰弱していたためにろくな雪濠は掘る事が出来ない。ほとんど吹きさらしのままの兵もおり、彼らは次々と死んでいった。戦闘の傷をろくに治療できない兵も多く、彼らも屍と変わっていく。
 夜明けを待って行軍する予定だったが、凍死者が続出したために夜明け前に行軍を再開する。夜が明けても吹雪はやまず、次々と兵は倒れて行く。
 グリゴリーの横の兵が、小便をしようと立ち止った。だが、手が凍傷にかかっており小便が出来ない。その兵は小便を漏らし始め、絶叫する。漏らした小便で服と体が凍り付いたのだ。小便を漏らした兵は雪の上を転げ回り、やがて動かなくなる。
 突然、前方から喚き声が聞こえた。副隊長は、兵達を見回しながら狂ったように喚いている。ここで部隊を解散する、各兵は自ら進路を見出して進軍せよと喚いているのだ。
 その言葉と共に、兵達は八方に散り始めた。力尽きて雪の上に倒れる者、喚きながら川へ飛び込む者、笑いながら裸になって雪の上を転げ回る者、ふらつきながら歩き続ける者。グリゴリーは地獄と言う陳腐な言葉しか思い浮かばなかった。
 倒れた兵から服を奪い取る者達が居た。倒れている兵の中にはまだ生きている者もおり、彼らはか細い啜り泣きの声を上げている。一人の兵は、槍で殴って泣くのを止めさせてから服を奪い取った。
 さ迷い歩くグリゴリーの足に、一つの物がぶつかった。雪の上に倒れた兵だ。その兵は、グリゴリーを殴って糧食を奪い取り、凍った糧食を顔に叩き付けた兵の一人だ。まだ生きているらしく、微かに蠢いている。グリゴリーは、笑いながらその兵の顔を踏みつけた。グリゴリーの足は凍傷にかかっており、痛みが伝わってくる。だが、グリゴリーは執拗に顔を踏みつけ続ける。やがてその兵は動かなくなった。グリゴリーはその男から服を奪い取り、自分の服の上に重ね着をする。
 前方に、隊長とその取り巻きが歩いているのが見えた。グリゴリーは、彼らの後を付け始めた。

 グリゴリーは、もう自分が生き残る事が出来るとは考えていなかった。だが、死ぬ前に気に食わない奴を殺そうとしていた。
 この死の行軍の指揮を執ったのは隊長だ。隊長の指揮の拙さゆえに、グリゴリーは苦しみ抜き、死に瀕しているのだ。隊長達は、グリゴリーと違い立派な防寒着を着ている。グリゴリーの様に重い荷物は持たなくても良い。焚き火は優先的に当たる事が出来、雪濠の最も良い所は隊長達が居た。だから多くの兵が死んでいく中で、隊長達は生き残っているのだ。
 隊長一行の一番後ろには、ある下士官が歩いていた。この下士官は、兵達を虐待する事で有名な男だ。顔の形が変わるほど殴り、反吐を吐きすぎて胃液しか出なくなるまで腹を蹴るのはまだマシな方だ。
 この男には、ある「自慢話」がある。男はある夜に酔っ払い、兵の一人に対して執拗に暴力を振るったのだ。血みどろになって倒れた兵を、その下士官は野外に放置した。その夜は酷寒の冬であり、朝に発見された時その兵は重度の凍傷にかかっていた。
 凍傷にかかった兵は、両足を切断しなくてはならなかった。軍はその兵を守ろうとせず、役立たずとして放り出した。虐待される事は弱者である証拠であり、両足を失っても自業自得という訳だ。その元兵は物乞いに身を落とした挙句、路上で凍死した。
 暴力を振るったその下士官は処罰されなかった。下士官は、物乞いになり凍死した兵が殴られて泣く様を演じ、足の無い姿で物乞いをする姿を演じて部隊内の者達から笑いを取った。執拗に演じて、執拗に自慢したのだ。
 この鬼畜下士官に、グリゴリーは繰り返し殴られ、蹴り上げられた。下士官は、雪の中に倒れたグリゴリーを「お前も両足を無くして乞食になれよ」と嗤った。「お前は自助努力を怠ったから殴られるのだ。死んでもお前の責任なんだよ」そう言いながらグリゴリーの吐いた反吐の上にグリゴリーの顔を叩き付け、軍靴で踏みつけた。
 グリゴリーは、その下士官の後ろに付く。下士官はふらつきながら歩き、後ろを振り向こうとしない。グリゴリーは、槍を構えて首の後ろを狙う。凍傷にかかった手では上手く狙えない。背中に狙いを変えて、残された力を込めて突き出す。槍は背中に突き刺さり、喚き声と共に血が飛び散る。うまく持てない槍に体重をかけて、鬼畜の肉の奥へと埋め込んでいく。
 隊長達は振り返り、取り巻きのうちの二人がグリゴリーに剣を突き出す。一人の剣で突かれて、グリゴリーは坂の下へと転がり落ちる。槍を持ったまま転がった為、槍が刺さったままの下士官も一緒に転がり落ちる。
 グリゴリーは、坂の下へと叩き付けられた。雪で衝撃は吸収されたが、全身を強く打つ。すぐ隣に下士官の体が転がって来た。顔と頭が砕けて、弾けた肉の間から骨が見える。途中で岩にぶつかったらしい。
 坂の上から人は降りてこない。この状況で、わざわざ降りて来て止めを刺す気は無いのだろう。グリゴリーは、痙攣しながら血を流す鬼畜下士官と共に横たわり続ける。
 グリゴリーは起き上がろうとしたが、力が入らずに立ち上がる事が出来ない。隣を見ると、鬼畜の顔から流れ落ちる血が急速に固まっていく。酷寒の中では液体はすぐに固まる。グリゴリーは、自分がいる場所の寒さを目で確かめる事が出来たのだ。
 グリゴリーは、自分の体が凍り付いていく事を体感していた。剣で突かれた右胸から血が流れ、血は体ごと凍り付いていく。激痛が胸を、全身を支配する。凍り付く体を実感しながら、グリゴリーは自分の人生を思い返していた。

 グリゴリーは農奴として生まれ、農奴として育ってきた。領主にとっては使い捨ての道具であり、作物を手に入れる為には使い潰して殺しても構わない存在だ。領主の部下に殴られない日は無く、グリゴリーの顔は常にあざだらけだ。領主から奪い取られた後に作物はわずかしか残らず、辛うじて餓死を逃れた。
 グリゴリーの住む場所は、冬は酷寒で知られる所だ。毎年冬になると、グリゴリーの住む村では農奴が凍死する。領主が薪に税をかけるために、わずかな薪しか手に入れられない為だ。グリゴリーは、痩せこけた体で酷寒に晒された。生き延びた事が不思議なくらいだ。
 グリゴリーが十八の年に、王の軍に兵として取られた。大貴族との戦いの為に王は兵を必要とし、領主は農奴達を王に差し出していたのだ。
 軍に入っても、毎日殴られる日々だ。痩せこけた農奴兵達は、激しい訓練を暴力で強要された。食料はわずかしか与えられず、その食料も上官にしばしば奪い取られた。農奴兵達は、自分よりも弱い兵を見つけ出し、虐待する事で憂さを晴らす。軍内部では私刑が荒れ狂っている。
 軍では自殺、発狂、虐殺は日常茶飯事だ。死んだ者は「弱者」とされ、「敗北死」の烙印を押された。士官や下士官は、死んだ者達は自助努力を怠った怠け者であり、死ぬのはその者の責任、自業自得だと罵る。農奴兵達は、自分より弱い者を見つけると「怠け者」と罵しりながら殴った。
 グリゴリーの毎日は殴られる日々であり、その憂さを自分より弱い者を殴って晴らした。グリゴリーが殴ったある兵は、気が狂って兵営内を走り回り下士官に殴り殺された。
 グリゴリーは、自助努力を怠っている怠け者だと罵られながら殴られた。農奴時代も、成功した者を嫉妬ばかりして努力を怠る怠け者だと罵られていた。
 確かに「成功した者」は努力したのだろう。領主の子供は、満足に食べる事が出来、医者にかかる事が出来て健康な体を維持できる。親の金で教育を受け、武術を学ぶ事が出来る。その恵まれた立場で、彼らは努力して富と権力を得る事が出来るのだ。領主の部下も、領主に協力して他の農奴から収奪する。密告に励み「不心得者」を見つけ出し、拷問にかけて白状させる。その「努力」によって領主の部下となる事が出来るのだ。
 士官も努力の結果、立場を手に入れた。貴族の家に生まれ、富と権力に守られている。彼らは軍学校で教育を受ける事が出来る。その上で努力した訳だ。下士官達は、他の兵達を虐待し、食糧を奪い取り、密告に励み、責任転嫁の技を磨いて生き延びて来た。その「努力」の結果、下士官としての立場を手に入れたのだ。
 グリゴリーには恵まれた立場は無く、努力しても領主の子や貴族の子の様な物は手に入れられない。領主の部下や下士官の様な「努力」はしなかったために、地位も金も手に入れられなかった。
 多分、領主の部下や下士官と同じ「努力」を自分もすべきだったのだとグリゴリーは思う。自分が貧しく地位が無い理由は、他人を踏み台にする努力を怠った為だろう。自分が犬以下の死をとげる事は自分の責任であり、自業自得なわけだ。グリゴリーは嗤う。嗤う事しか出来なかった。

 寒い、グリゴリーは呟く。既に何度呟いたか分からない。呟くまでも無い当たり前の事、呟いてもどうにもならない事だ。それでも呟く事を止める事は出来ない。
 体は凍えて、意識は混濁して行く。痛みの代わりに麻痺する感覚が全身を覆い、死の世界がグリゴリーの前に広がってゆく。グリゴリーの体は麻痺していくが、グリゴリーの心の中は未だに寒さと痛みが支配する。
 凍える記憶、苦痛の記憶しかグリゴリーの中には蘇らない。グリゴリーは一人凍え続けてきた。家族や仲間と抱き合いながら凍え死んでいく者は、まだマシだ。弱者は、家族も仲間も持つ事は出来ない。一人凍えながら死んでいかなくてはならない。
 寒い、グリゴリーは呟く。温かい物はどこにも無い。凍える人生であり、凍えながら死んでいかなくてはならない。グリゴリーの苦しみは陳腐なものだ。その事はグリゴリーにも分かっている。だが、陳腐だから苦しみが軽い訳ではない。陳腐だからかえって苦しい事もある。
 寒い、グリゴリーは呟く。意識は薄れ、体の感覚は無くなる。それなのに寒さはグリゴリーを、世界を支配している。
 無だ、俺は無を望む。グリゴリーは呟き、落ちて行こうとした。深淵へと落ちて行こうとする。
 体を奇妙な感じが包んだ。それが何なのかグリゴリーは良く分からない。感じている内に、これは温かさではないかと思い始める。次第に柔らかさも感じられるようになる。自分を包んでいる物が何なのか、グリゴリーには分からない。だが、凍える世界は消えていき、別の世界が広がっていく。
 グリゴリーは、生まれてから感じた事の無い安らぎの中でまどろんでいた。

 気が付くと、グリゴリーは毛皮の様な物に抱きしめられていた。感じた事が無いほど柔らかく、グリゴリーの体を優しく包んでいる。何よりも温かく、凍えていたはずのグリゴリーは寒さを感じていない。自分を覆う毛皮を見ると、豊かな白毛である。思わず頬ずりをすると、微かな声がすぐ左側から聞こえて来た。
 声の方を見ると、褐色の顔が見えた。柔らかい表情をした女の顔であり、薄く眼をあけながらグリゴリーに微笑みかけている。グリゴリーは慌てて置きあがろうとするが、女は宥める様に愛撫しながら抑える。
 顔だけ動かして辺りを見回すと、石造りの天井と壁に囲まれている事が分かる。グリゴリーの命を奪おうとしていた雪と風は無い。
「もう大丈夫だよ。もう凍える事は無いからね。ただ、凍傷は治っていないから動かないようにしないとね」
 女は、ゆったりとした喋り方でグリゴリーを宥める。グリゴリーは話をしようとしたが、上手く口を動かす事が出来ない。女は、何も言わずに微笑みながら愛撫し続ける。
 グリゴリーは、再び眠りに落ちて行こうとしていた。眠りに落ちる前に、穏やかな匂いが自分を包んでいる事に気が付く。温かさと柔らかさ、そして匂いは自分を安堵させ、眠りへといざなう。匂いは自分を抱きしめる女のものだと気が付く。そしてグリゴリーは眠りへ落ちて行った。

 グリゴリーは魔物達の村に保護されていた。グリゴリー達が遭難した所から少し離れた所に村は有り、魔物の足ならば晴れていれば一刻で着く。
 遭難した所のすぐ側に魔物達の炭焼き小屋が有り、熊などの活動を探るために二人の魔物が泊まり込んでいた。外の様子がおかしいので様子を見に出ると、大勢の人間達が遭難して倒れていたのだ。魔物の一人は救援を呼ぶ為に村に戻り、一人は倒れた人々の応急処置をしたのだ。
 魔物達はイエティと言う種族だ。体が厚い毛皮で覆われ、体温が高い為に寒さに強い種族である。彼女達は、酷寒の地で起こる猛吹雪の中でも活動が出来る。彼女達は、人間ならば救助を諦める猛吹雪が吹いているにも関わらず人間達を救出していった。彼女達は体温が高い上に魔力を発散している為に、彼女達が抱きしめる事により、凍傷どころか全身が凍りかけている人間達の体を回復させていった。
 グリゴリーは胸に剣で突かれた傷が有り、手足を初め体中に重度の凍傷を負っていた。それを聞いた時、グリゴリーは死んだ方がマシだったと考えた。凍傷により手足を切断する事になり、自分は芋虫のように這い蹲りながら生きて行かなくてはならない。グリゴリー達の国では、重度の障害を負った者は邪険にされ、嘲り笑われる。遠からず野垂れ死ぬだろう。
 だがイエティ達は、薬物を初めとする凍傷に対する優れた治療法を持っていた。すぐに回復する事は出来ないが、グリゴリーの手足は元に戻り、手足を切断する必要は無いそうだ。胸の傷も縫い合わせており、薬を塗り続ける事でふさがるのだそうだ。また、イエティ達は自分達の村で暮らす事を提案してきた。グリゴリー達を見捨てる様なまねはしないそうだ。
 グリゴリーは、イエティ達を警戒した。話がうますぎる、何か裏があると考えなければ低能以下だ。グリゴリーは、イエティ達を敵意と共に観察し始める。
 ところがいくら時間をかけて観察しても、裏は見えてこない。魔物らしくグリゴリー達を太らせて喰らうつもりかと考えたが、いつまでたっても喰う様子は無い。奴隷として酷使するか売り飛ばすつもりかと考えたが、それにしては面倒を見過ぎである。強いて言うなら、グリゴリー達を愛玩動物として飼っているのかもしれない。
 イエティ達は、もともとは東にある大山脈で住んでいたらしい。だが、百年程前に西に移動する集団が出て来て、その一部がこの地に村を築いて住み着いたそうだ。
 歩き回る事が出来ないので村の様子は分からないが、グリゴリーのいる家は石造りのしっかりしたものだ。風雪をきちんと防ぐ事が出来る物であり、良い造りの暖炉が有る。また、村の近くでは湯が沸く所が有り、その湯を水路から通して道路や家の下へ流しているらしい。その為に家の中はかなり温かい。農奴時代に粗末な木造りの家で住んでいたグリゴリーには、考えられない贅沢な造りだ。
 グリゴリーの面倒を見ているイエティの名は、ドージェと言う。愛嬌のある整った顔立ちをした若い女であり、手足を豊かな白い獣毛で覆われている。あまりに豊かな毛である為、グリゴリーは毛皮を着ていると勘違いしたほどだ。髪の毛は、獣毛と同じく柔らかい色合いの白色だ。彼女の纏っている服は、胸と下腹部を覆う白い服と青い襟巻だけである。その他の褐色の肌は露出している。その恰好で吹雪の中にいても寒くは無いらしい。
 ドージェは、グリゴリーの凍傷にかかった手足に薬を丹念に塗り込み、魔力を与え続けた。体を動かす事が出来ないグリゴリーの体を拭き、下の世話までしてくれる。食事の世話も辛抱強くしてくれた。一月たつ頃には、グリゴリーは歩き回る事が出来るようになった。

 ドージェは、いつも通りグリゴリーの体を湯で濡らした布で拭いてくれていた。グリゴリーの体はかなり回復しており、二,三日中には風呂に入れてくれるそうだ。ドージェの村の共同浴場には、普通の風呂の他に蒸し風呂もあるらしい。グリゴリーの国では、蒸し風呂に入る事が出来る者は貴族や領主達だ。クリゴリーは蒸し風呂に入った事が無いので、ドージェから説明された蒸し風呂の様子に興味を持ち、今から入る事を楽しみにしている。
 ドージェは、グリゴリーの体を丹念に拭いていく。首筋や肩、腕を優しく拭き、胸や腹、背中を揉むように拭く。臭いのしやすい腋を、擽らない様にしながらも繰り返し拭く。
 グリゴリーは、欲望が持ち上がって来て抑えるのに苦労している。グリゴリーは不健康な体をしているが、若い男でもある。性欲は十分に有り、ドージェの露わとなっている健康的な肌を見ていると陰茎が持ち上がってくる。今のドージェは、グリゴリーの体に密着しながら体を拭いているのだ。ドージェの柔らかい感触が、獣毛と女肉の混じった匂いがグリゴリーを刺激する。
 ドージェは楽しげに笑う。グリゴリーの陰茎が持ち上がっている事に気が付いたのだ。ドージェは、グリゴリーのズボンを脱がせて股間を露わにする。赤黒い肉の棒が震えながらそそり立っている。グリゴリーは赤面し、ドージェから目を逸らす。
「じっとしていてね、気持ち良くしてあげるから」
 ドージェは、グリゴリーのペニスを愛おしげに頬ずりをした。驚いて凝視するグリゴリーを、上目づかいに見ながらドージェは微笑む。そのまま舌をペニスに這わせて、汚れをこそぎ取る様に舐め回していく。
 ペニスに唾液を塗り込むと、ドージェは胸を覆う服をずらして褐色の肌と赤い乳首を露出させる。濡れ光るペニスを胸の谷間に挟み込み、肉の間から出ている先端を舐め回す。グリゴリーのペニスの先端から出ている先走り汁と唾液が混ざり合い、ドージェの褐色の胸の谷間を濡らしていく。出そうだとグリゴリーが呻くと、ドージェは胸と舌の動きを激しくして放出を促す。
 グリゴリーは、腰の奥底から精をぶちまけた。白濁液は、ドージェの褐色の顔と胸を汚していく。濃厚な臭いがたちまち広がり、ドージェの肌に染み込んでいく。ドージェは、臭いと味に酔ったように白濁液を貪り飲んでいく。
 グリゴリーは、目の前の淫猥な光景を荒い息をつきながら見ていた。大量に精を出したにもかかわらず、腰とペニスに力がよみがえってくる。その様子を見て、ドージェはペニスに対する胸と舌のマッサージを再開する。ペニスの先端からは、白濁液交じりの先走り汁が溢れ出す。
「今度は私も気持ち良くしてね。一緒に気持ち良くなりましょう」
 ドージェは、体を起こしてグリゴリーに覆いかぶさってくる。グリゴリーのペニスは、熱い湯泉の様な物に飲み込まれた。ドージェはグリゴリーを抱きしめ、目を細めながら頬ずりをしてくる。
 グリゴリーは、女と交わった経験は無い。農奴の中でも蔑まれていたグリゴリーを相手にする女はいない。兵になっても、弱兵であるグリゴリーは娼婦を買う金すらなかった。グリゴリーは、女の体の事は知識すらも碌にない。経験も知識も無いまま、性欲に苦しめられてきた。
 そんなグリゴリーでも、自分はドージェの中に入っている事は分かった。ドージェの蜜で濡れた肉襞は、グリゴリーを温かく包み、柔らかく締め付けてくる。グリゴリーの体はドージェの温かな体に抱きしめられて、ペニスから伝わる快楽と共にグリゴリーを登り詰めさせていく。ドージェの匂いは、グリゴリーの欲望を高めさせる。
 グリゴリーは、出しそうな事をドージェに告げる。中で出したらまずい事ぐらいはグリゴリーにも分かり、ドージェをどかそうとする。ドージェは笑いながらグリゴリーを抱きしめ、腰を動かして欲望を出す事を促す。
 グリゴリーは、ドージェの中で放った。腰の奥から精を放出し、ドージェの奥へと注ぎこんでいく。悦楽に震えるグリゴリーを、ドージェは歓喜の声を上げながら抱きしめ続ける。グリゴリーは自分の体が溶けていき、ドージェの体と混ざり合っていく様な気がしている。
 少しの間、意識が飛んでいたらしい事にグリゴリーは気が付く。ドージェは、グリゴリーの顔を覗き込み微笑んでいる。グリゴリーは笑い返し、ドージェの体を抱き返した。

 グリゴリーは、ドージェと共に村の中を歩き回っていた。空は晴れ渡り、白雪に覆われた村は輝いている。村は山の麓にあり、石造りの立派な物だ。街路の下には湯が流れており、街路の雪を溶かしている。イエティだけなら暖房設備は必要無いが、人間も住んでいるために整えられているのだ。
 村の中では、ドージェと同じ様なイエティ達が歩き回っている。雪を物ともせずに仕事に励んでいるようだ。イエティ以外にも人間の男達が歩き回っている。彼らはイエティの夫らしい。イエティは女だけの種族であり、繁殖のためには人間の男が必要なのだそうだ。人間の住む村と交流して夫を手に入れる事も有れば、遭難者を村に引き込む事もあるらしい。
「私の夫はグリゴリーよ。やっと男を食べる事が出来たよ」
 ドージェは、人懐っこい顔に笑みを浮かべながら言う。グリゴリーは、イエティに「食べられた」遭難者という訳だ。イエティは、遭難者を「食べ」既成事実を作り夫に仕立てる。そうしてイエティ達は子孫を残し、共同体を維持してきた訳だ。グリゴリー以外の遭難した兵達も村に保護されているそうだ。
 その話を聞き、グリゴリーは微笑みを浮かべた。静かに村の中を歩き、ドージェの言葉に笑顔で答える。ゆっくりと村の中を見渡し、建物と道路の配置、歩く人々の姿を観察する。
 一人の男の姿が目に入った。遭難中の殺し合いでグリゴリーを剣で刺した下士官だ。ふさがったはずの右胸が痛みを放つ。建物の脇に、棒の先端に鉄の器具が付いた農具が立てかけて有る。現在は雪解けが始まっており、雪の下に生え始めている植物を採集するために置いてあるのだ。ドージェの方を見ると、他のイエティとの話に夢中になっている。グリゴリーと下士官に注意を払っている者はいない。
 グリゴリーは農具を手に取り、後ろから下士官に迫る。下士官の真後ろに来た時、下士官は雪を踏む音でグリゴリーに気が付き、振り返る。グリゴリーは、無言のまま農具を下士官の頭に振り下ろした。
 絶叫と共に血が飛び散り、下士官は雪の上を転げ回る。グリゴリーは、鉄の農具を振り下ろして下士官の肉体を砕いていく。下士官が血みどろの顔で喚く姿に快感を覚え、グリゴリーは笑い声を上げる。この下士官は、グリゴリーの胸を刺しただけでは無い。兵営にいた時、グリゴリーを雪の上に跪かせて執拗に腹と股間を蹴り上げたのだ。反吐を吐いてもがくグリゴリーを、わざとらしく顔に冷笑を浮かべて見下ろしていた。その顔は、今は血に染まって歪んでいる。
 グリゴリーの体は、獣毛に覆われた女によって羽交い絞めにされた。人間離れした力でグリゴリーを取り押さえる。羽交い絞めにしているのはドージェだ。グリゴリーは引き離そうとするが身動きできない。
 青空と白雪が広がる世界で、血みどろの男が転げ回り、血に濡れた武器を振りかざす男が取り押さえられていた。

 グリゴリーは拘束され、村の建物の一室に監禁された。監視が付き、四六時中グリゴリーの事を見ている。ドージェはグリゴリーの所にやって来て、無言のまま世話をしている。
 グリゴリーは、自分のやった事を後悔していない。恨みは消えない物であり、恨みを晴らす事は正しい事なのだ。仮に正しくなくとも、グリゴリーは恨みを晴らす事に全力を挙げる。グリゴリーは悪意を込めた笑いと共に、血みどろになった下士官の姿と喚き声を反芻した。
 グリゴリーには残念な事に、下士官は命に別条はないそうだ。寝台に横たわりながら、グリゴリーへの復讐を誓っているそうだ。
 この事件は、騒乱の始まりだった。士官と下士官達は、権力を取り戻すために行動を始めた。暴力を用い、恐怖を与える事により兵達を支配しようとした。さらに、士官と下士官達は派閥を作り権力闘争を始める。
 兵達は、士官と下士官へ憎悪を叩き付け始めた。闇討ちを繰り返し、かつての上官を殺そうとする。一方で、士官や下士官に媚びへつらい、他の兵を密告し襲撃する兵もいる。兵同士でも争いが起こり、乱闘や集団私刑が荒れ狂う。
 この騒動に対しイエティとその夫達は、荒れ狂う兵士達をなだめすかして止めさせようとする。だが、騒動は収まらない。イエティ達は温厚で良心的であり、それは美徳だろう。だが権力欲や憎悪、加虐心に狂った人間を抑える為には役に立たない時が有る。イエティの夫達はその事を知っており、自分達で押さえようとするが後手に回ってしまう。
 その最中に、ついに殺人が起こった。底辺の兵が、底辺の兵を殺したのだ。殺された兵は、虐げられた鬱憤を自分より弱い兵にぶつけていた。事あるごとに殴り付け、食糧を奪い、誹謗中傷し、物を盗んだ。わざと任務を失敗するように仕向け、下士官に殴り倒される弱兵の姿をすました顔で見ていた。
 虐げられた兵は、愚鈍で臆病なふりをしてイエティ達を騙し、機会をうかがった。そして小刀を手に入れて自分を虐げた兵の後ろから忍び寄り、めった刺しにしたのだ。それでも飽き足らず、顔を切り刻んだ。発見された時は、被害者の顔は原形を留めておらず、切り裂かれた肉と脂肪が血まみれになっていた。誰が見ても死んでいると分かる姿だ。その様を見た一人のイエティは、叫び声をあげて気を失った。
 この事件を知ったある士官は、「ゴミ虫がゴミ虫を始末した、自浄作用が働いた」と嗤った。この意見に多くの士官や下士官、兵達が同意した。
 この事件の結果、イエティ達はグリゴリー達を分断する事に決めた。対立する者達を複数の村に分けて住まわせるのだ。イエティの村はこの周辺に複数あり、分断する事は可能だ。分けなければ対立を抑える事は不可能だと、イエティ達は認めざるを得なかった。
 グリゴリーは、今いる村から東北にある村に移る事になった。ドージェは、生まれ育った村を離れてグリゴリーと共に移住する事となった。

 グリゴリーは、ドージェに寝台の上で抱きしめられていた。十日後には、この家から出て他の村へ引っ越さなくてはならない。荷物まとめは大半が済んでいる。片付いた部屋の中で、寝台の上で抱き合っていた。
 グリゴリーは、昼間に聞いた話を反芻していた。王都から来た監察官が雪中行軍に同行しており、彼も遭難してイエティ達に保護されていたのだ。彼によれば、今回の行軍は実験であり、邪魔者の始末だったそうだ。
 王の軍は、大貴族とその背後にいる外国勢力との戦争の為に、厳寒期での戦闘を予想していた。その為に必要な装備と訓練を把握するために、グリゴリー達を雪中行軍させたそうだ。早い話が人体実験である。しかもあらかじめ大量の死者が出る事を予想し、必要無い者達をこの任に就かせた。グリゴリー達の部隊は、地方出身である事から王に対する忠誠が低いと見なされ、捨て駒にされたのだ。しかも同時期に王軍は軍事作戦を行っており、敵軍の目を逸らすために目立つようにグリゴリー達に雪中行軍をさせたのだ。つまり一石三鳥を狙ったのだ。
 王の監察官は、隊長と副隊長をおだて上げて雪中行軍をさせた。彼らは誇り高く上昇志向は強いが、頭はそれほど良い訳ではない。だます事は容易かったそうだ。適当な所で口実を設けて引き返すつもりだったが、間抜けにも引き返す前に吹雪に襲われて一緒に遭難してしまったのだ。
 監察官の言った事が正しいかは分からない。何故なら、監察官は遭難の体験の為に半ば狂ってしまったのだ。ただグリゴリーは、監察官の言った事は事実だと信じている。
 隊長は、遭難の体験で完全に狂ってしまった。子供の様に泣きべそをかき、立ったまま小便を漏らす有様だ。かつての部下達は、馬鹿にして誰もまともに相手をしない。兵達が石を投げると、泣きながら逃げて行く始末だ。
 副隊長は、遭難の際に凍死した。発見された時は体が凍り付いていたそうだ。遺体が砕けないように慎重に運んだが、体の一部は砕けてしまったそうだ。
 屑どもは自分の身で責任を取った、自業自得だ。そうグリゴリーは嗤う。
 いや、俺達全員が自業自得なのでは無いか?グリゴリーは歯を噛みしめる。俺達は潰し合いを繰り返して来た。俺達の部隊、そして王軍は潰し合いばかりしている。それどころか国中が潰し合いばかりやっている。もしかしたら、世界中の人間が潰し合いをしているのかもしれない。今だけでは無く、過去において、そしてこれから先も潰し合いを続けるのかもしれない。第一、俺は人間を、世界を亡ぼしたいと思っているのだ。
 俺達は、潰し合いの果てにどうなるのだろうか?強い奴が弱い奴を虐げ、弱い奴はさらに弱い奴を虐げる。それを人間が滅ぶまで続けるのか?
 結局、人間は誰も救わないし、救われる事も無い。人間を救ってくれる者がいるとしたら人間以外の者、例えば魔物が救ってくれるかもしれない。
 だが、誰も救わない奴らを救う必要はあるのか?そんな奴らに救われるだけの価値はあるのか?俺達に救われる価値はあるのか?
 グリゴリーの頭を、ドージェの手が撫でまわす。柔らかい獣毛に覆われた手が、ゆっくりと宥める様にグリゴリーの頭を撫で回す。
 グリゴリーは、ドージェの胸に顔を埋める。人間には無い温かさと柔らかい感触、穏やかな匂いがグリゴリーを包む。
 眠りたい、もう何も考えたくない。このまま眠り続けたい。
 グリゴリーは目を瞑り、顔を魔物の胸に押し付けた。

 ドージェはグリゴリーを抱きしめ、頭を撫で続けている。
 外は暴風が吹き荒れ、激しく威嚇する様な物音を立てている。魔物ならぬ人間がこんな夜に出歩き遭難したら、命は無いだろう。
 魔物は沈んだ表情で人間を見つめ、抱きしめながら撫で続けていた。
15/02/09 00:39更新 / 鬼畜軍曹

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