連載小説
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第八章 天を仰ぐは誰がために:ドラゴニア
―1―

 結局、気絶するまで交わりを繰り返し、おれと呈は気が付くと自分の部屋のベッドで寝ていた。二人して目が覚まして、お互い抑えきれずすぐにセックスした。
 猿のように、という言葉が似合うのだろうけれど、呈は蛇でありおれはその番いだ。ならばおれも蛇というのが正しいだろう。蛇人間とかいう冒涜的な怪物ではないけど。
 そして一度終わってもう一度、となりかけたところで母さんたちに行為の声が丸聞こえだと直接伝えられた。ついでに昨日おれたちを家まで運んでくれたのが母さんたちと呈の両親だということも。
 冷や水を浴びせられたというのはこのことだろう。しかし顔面は山火事に遭っている。誰かに見せながらセックスすることに耐性のないおれたちは、当然のことながら一度パニックになってから冷静さを取り戻した。
 町中では至る所で見せつけるようにヤっている人たちが多いが、おれたちはああはなれそうにない。
 おれたちだけ気まずい空気の中、昼食に出されたのはお赤飯とちらし寿司。大量発生したときにでもしか捕れないはずの魔界甲殻虫のフライや、定番のドラゴンステーキなど、ドラゴニアの料理もテーブルいっぱいに並んでいた。
 そして、当然のように割烹着姿の呈の母とその夫さんも同席している。
「これなに? ワインご飯?」
「ジパングのおめでたいときに食べる豆ごはんだって。精通迎えたでしょ?」
「ええっと、お母さん? どうして、ちらし寿司なのかな?」
「だって、大事に大事に取っておいたもの、散らしたでしょう?」
 おれたち揃ってうな垂れる。うふふと笑う母と義母は残酷なまでの微笑みをたたえていた。
「それに呈もようやく脱皮して一人前になったもの。お祝いはしないといけないわ」
 脱皮。聞き慣れない単語におれと呈は顔を見合わせる。
 どうやら、おれたちが運ばれるときに呈の下半身の蛇体が脱皮を始めていたらしい。
 大人になったこと、激しい交わり、温泉に浸かっていたことが主な理由だとか。
「そ、その皮はどこあるの、お母さん?」
「うふふ、もう処分しましたよ」
 絶対嘘だとわかる意味深な笑みを浮かべる呈の母さん。容姿は呈をそのまま大きくしたような感じだが、意外と呈みたいに子供っぽいところもあるみたいだった。
「そこはかなとなく、小馬鹿にするようなことを思われた気がする」
 そんなことはない。
 しかし、脱皮していたのか。通りで朝身体を重ねたとき、妙に蛇体が柔らかく感じたわけだ。それに呈の反応も激しかった。ちょっと触れただけで感じて。
「ひゃんっ!?」
 裏の筋をなぞるとこんな風に可愛い声をあげ、ぐええええ……。
 当然ながら蛇体に締め付けられた。
「ス・ワ・ロー!?」
 怒らせてしまった。ふふ、とは言えそれは愚策。弱点を自ら晒すとは。反撃は容易。締め付けている蛇体に軽く手を這わせればぐふぅうううう!?
「ハッ!? あわわ、ご、ごめん、スワロー! つい鳩尾を殴っちゃった!」
 ご飯を食べたあとでなくて心底良かったと思うおれであった。

 天の柱の大規模修繕まで残り一週間。登頂の時間も含めると数日しか準備の時間はなかった。
 もう呈と結ばれた以上、焦る必要はないのだけれど、二人で話し合って今回のチャンスに臨むことに決めた。
 あえて困難な道を選ぶ。天の柱を駆けのぼる竜車が示す困難な道のりと同じだ。
 今日いっぱいは準備に徹する。呈の装備の確保や天の柱の現状に関する情報収集だ。
 天の柱に登る際の装備は、おれの場合はまず防寒着各種。シューズは軽量と頑丈さを兼ね備えた特注品のブーツで壁などに引っ掛けやすい構造となっている。それからサイドポケットが幾つもあり、見た目以上に物が入るリュックの上部には毛布と寝袋を巻きつけている。
 腰回りは鉤爪つきのアラクネ印のロープが収まる円筒状の巻き取り機。魔界銀製のナイフピッケルとドラゴンオーブの軽量ランタンは、それぞれ紐がついていて腰ベルトのカラビナと繋がっている。
 携帯食料は当然ながら飲料も欠かせない。飲料は体力回復も兼ねた「竜の生き血」で確定。もちろん本物の生き血ではなく、ドラゴニアで幅広く売られている魔界葡萄の果実水だ。その効果は折り紙付き。
 重要なのがマジックアイテム。母さんの魔力を入れた重力軽減の風魔石。ワイバーンのブレスを数度レジストできる外套。ドラゴニウムと魔界銀を用いて精製した、魔力を拡散させる粉塵。一時的に物や姿を透明化するルーンが描かれた使いきりの護符、インビジブルシール。着火と消炎の魔宝石。アラクネの糸を設置するワイヤーキューブ。
 あとは傷薬やポーションの類、手ぬぐいなどの小物入れに入るもの。煙玉やら緊急回避用のアイテム数種。
 以上がおれの大方の装備。これだけでも結構な重量だが、不思議と以前よりは軽く感じられた。
 ただこれはあくまで人であるおれの装備。下半身が蛇体である呈には、当然ながら変更を求められる。蛇体ゆえの恩恵と弊害があるのだ。
「まぁ、そうっすね。蛇の下半身の幾か所に小さめのアイゼンを着けるのはどうっすか?」
 キサラギの店に訪れて、良いのがないかと聞いたところ、彼女が提案したのは皮ベルトにアイゼンが生えたものだった。
「これなら壁にも引っ掛けられて、尻尾を本当の意味で足替わりにできるっすよ」
 呈の身体的特徴による弊害は足がないということだった。つまり垂直の壁を登るのが困難なのである。しかし、この装備なら尻尾を足と同じように使うことも可能。アイゼンは鋭利だが、魔界銀製なので身体に対する危険はない。
「準備いいね」
「っす。夜なべして色々装備考えてたっすからね!」
「身体の重さはどうしましょう。ぼくはまだ小柄な方だけど、それでもスワローよりもずっと重いし」
 呈を抱きかかえてみた。そんなに重く感じない。前よりもずっとずっと軽く感じる。
 呈の身長は五Mほど。何も食べてないってことはないはずなのに、痩せたのか?
「ス、スワロー……キサラギさんの前で恥ずかしいから」
「スワッち意外と大胆になったっすねぇ。お赤飯食べたからっすか?」
 にやにや笑う狸キサラギにおれは空笑いで返す。さすが刑部狸。情報収集が早い。
「うーん、軽い」
 おれは努めて冷静に呈の体重の感想を述べる。応えたのはキサラギだった。
「それは二人が交わったおかげでしょうね」
「どゆこと?」
「番いとなった魔物娘夫婦は交わりを繰り返して精と魔力を交換し続けることで、体力も筋力も魔力も精もどんどん向上していくんっすよ。まぁ体力筋力は頭打ちがあると思うっすけど、魔力と精はそれこそ無限に増えていくっす。ヤレばヤルほどにね」
 だからこうも呈が軽く感じるのか。まさかこれほど劇的に変わるとは。いまなら、天の柱から落ちたあのときみたいに支え損ねるということはないかもしれない。
「一通り、訓練を終えたら天の柱登頂までは交わり続けることをお勧めするっす。やっぱり魔物娘とその夫にとって一番の訓練はセックスっすから。……まぁ一番増すのは性感っすけどねぇ」
 とキサラギが棚から引っ張り出してきたのは、青と緑のまだら模様の魔宝石だった。
 呈にそれを握らせ、力を発揮したかと思うと呈の体重が大幅に軽くなった。片手で軽く全体重を支えられそうなくらい軽い。
「足場が脆いとこではこれを使うといいっすよ。リムさんの魔宝石ほどの出力はないぶん長持ちするから、これで体重を軽減できるっす」
「いいんですか? すごく高いものなんじゃあ」
「大丈夫、もう十分お代はいただいてるっすよ」
 奥の居間にて、呈の装備が並べられていく。基本装備はおれと同じ。先ほどのアイゼン追加と、重さ軽減のため円筒状の巻き取り機は一つだけにした。あとはおれの身体とつなぐための命綱。万一不安定な足場で滑落してもおれが支えられる。他にも蛇体専用のボディスーツ。ファリアさん率いるサバトから仕入れた超極薄透明の防寒着だった。というかこの店の品はほとんどがファリアさんのサバトから仕入れているものらしい。
「え? 知り合いだったの? ミクスとも?」
「うちのお得意様っす」
 それ以上答えることはなくはぐらかされてしまった。思えばキサラギとミクスは妙に似ている部分があるような……気のせいだと思いたい。
「わーわー、すごーい見てみてスワロー! 着てるのに全然着てない着心地! 触っても肌触り変わんないよ!」
 興味津々に装備などを触ったり取り付けたりしている呈を見ていたら、自分が気にしていることが馬鹿らしくなった。まぁファリアさんのサバト製品なら心配はないだろう。あの人はミクスと違って真面目というか常識人だし。
 キサラギに準備してもらったものを一通り呈に装備させる。いつもの着物とは違って、パンパンのフル装備。リュックも背負って荷物も全乗せして、身体の輪郭は完全に失せてしまっている。
「思ってた以上に動きにくいね。あと暑い……寒がりなぼくでも暑い……」
「まぁ慣れるにはちょっとかかるだろうな」
「その恰好のままセックスしたらすぐ慣れるっすよ」
「「……」」
 無視しようと思ったけど、呈は乗り気なようで目を輝かせて鼻を鳴らしていた。うーん、最高にやりにくくないかこの服装じゃあ。
「そうそう、キサラギに聞きたいんだけど、天の柱の内部状況はどう?」
「崩落状況っすね。まぁ当然のことながら悪いっす。大規模修繕の直前なわけっすから。中に住んでるお知り合いのワイバーン氏に話を伺ったところ、普通の通路でも崩れたりしてるとこがあるみたいっすよ」
「できるだけピックアップしてくれない? 地図をアップデートしておきたい」
 天の柱内部の地図は一応ある。広く高い塔であるため、かなり省略して分量が多くならないようにしてはいるが、それでもかなり嵩張る量だ。
「それならこれを使うといいっす」
 キサラギが出してきたのは何の変哲もない、黒くて薄い金属の板だった。が、キサラギが手を輝かせて魔力を通すと、明るく鮮明な地図の絵が黒い板に浮かび上がる。
 装備の違和感をぬぐい切れない呈もそのときばかりはこっちに意識が奪われたみたいだった。
「外の世界の実用化前の技術をパクッてこっちの技術と組み合わせて作ったやつみたいっすよ。原理はよくわからないけど、魔力を通せば記憶させた情報が映るみたいっす。番いの儀で使われる水球に映像を映し出す魔法を発展させたものだとかなんとか。ゆくゆくは大容量の記憶媒体にするみたいで、インデックスと仮称しているみたいっすね」
 よくわからないけど、これなら紙が嵩張ることもない。重さはそこそこあるけど問題はないだろう。何より、適当に映像に触れればそこを弄ることができた。これは便利だ。
 キサラギにピックアップしてもらった要注意ポイントをインデックスに入力し、天の柱の内部状況の把握は大方済んだ。あとは中に住んでいる魔物娘次第だ。人里に住んでいないワイバーンは気性が荒かったり、気難しかったりするからな。
「スワローは何度か天の柱に挑んでいるんだよね? いままでどれくらいの場所まで登ったことあるの?」
「呈と初めて会ったときに登ってた場所が最高かな」
 つまりはヒトにおけるすねの辺りまで。
「あれだけ崖とか登れるのに?」
「んー、いままで十二回挑戦してるんだけど、ずっと中に住み着いてるワイバーンに邪魔されて……」
 あの高笑いはいまでも耳に残っている。背中のリュックをガシッと足で掴まれて外にポイポイされること十一回。全部そのワイバーンにおれは登頂を妨害されていた。
 その話をすると呈は奇怪な渋面を浮かべる。複雑極まる感情が入り混じった表情だった。
「そのワイバーンさん、スワローのこと好きとかじゃない、よね?」
 ああ、これちょっと怒ってるな。背筋が少しばかり寒くなる。が、ぴったりと呈はおれにフル装備のまま引っ付いてきた。巻き付いても来た。あ、確かにボディスーツ着けてるのもわからないくらい肌の感触が変わっていない。蛇の鱗はつるつるだ。
 呈がおれの胸元でぽつりと呟く。
「ぼくだけがスワローのものなんだから」
「嫉妬する呈ちゃんも可愛いっすねぇ」
 キサラギ、それおれの台詞だから。
 会ったこともない女性に嫉妬している呈が愛おしくなって、おれは無言のまま髪を梳く。先が蒼くなった呈の耳の耳を弄ると、呈はわかりやすく感じた声を発した。
 結局この耳に関することはわかっていない。ファリアさんに今朝方診て貰ったけど、特に異常はないそうだ。放っておいても心配ないらしい。おれも精通を迎えたこともあって、一応診察を受けたが、問題はないそうだ。
 あえて呈の変化に理由をつけるならば、交わったことで大人の身体になったからかもしれないとのこと。呈の魔力は水の魔力。それが表面化した結果が、耳の蒼色であるらしい。まぁ、体調に問題がないなら気にすることではない。こうして感じやすいのも変わらないみたいだし。
「うう、スワロー……我慢できなくなっちゃうからぁ」
「ああ、悪い悪い」
 恍惚としかけていた呈の耳をぱっと話す。ほっと呈は息をついて、ゆっくりとおれから離れた。危ない危ない。このままだとキサラギの前で致すところだったかもしれない。
「残念っす」
 キサラギの呟きは無視した。
「話を戻すけど、おれが壁登りを本格的にしようと思ったのもそれが原因だな。中で悠長に登ってると、すぐそいつに見つかるからな。とは言っても、外は外で見晴らしいいせいでバレやすいけど、中に住み着いてるワイバーンからは見つかりにくいから」
 ようはタイミング。あとは中と外で分けて登る距離を短くし、登る回数を細かくすることだ。登っている最中に見つかる危険性をできるだけ減らすためにも、壁登りは細かく分けるのが重要だとようやくわかったのだ。
「まっ、そのワイバーンがおれを好きならすでに持ち帰りされてるだろうし、多分大丈夫」
 多分。
 そう呈を安心させつつも、あの高笑いワイバーンはきっと立ちふさがってくるんだろうなと、おれは嫌な予感を感じざるを得なかった。

―2―

 装備準備とその翌日をかけて呈に、一通り不安定な足場の移動と壁登りの仕方を教えた。
 意外なことに、魔物娘だからという点を差し引いても呈の動きは悪くない。というか単純移動ならおれよりも素早く動けるくらいだった。
 午後の食事を終えたあとおれたちは竜翼通りを下へ降りている。本来ならまだゆっくりできはしなかったのだが、呈の異常な呑み込みの早さで昼食を竜翼通りで食べる時間ができた。
 しかし、まさかおれが習得するのに数か月かかったのを一日足らずで物にするとは。嫉妬というか、複雑な心境だ。
「ぼくの家は山の中腹にあるから。よく山の中を走り回ったりしてたんだ。それにお父さんが狩りの仕方を教えてくれたりして、野兎なら仕留めたこともあるんだよ?」
 なるほどね。人見知りだからと言って引きこもりとかではなく、むしろアクティブなくらいだったのか。ていうか狩りって。蛇が野兎……丸呑みしたりしたのか?
「スワローの想像してるようなことはしてないからね? 基本的に弓だよ、ゆーみ」
「弓、か。結構扱える?」
「ちょっと練習したら思い出すと思うけど……言っておくけど、ワイバーンさんに当てられるほど上手じゃないからね?」
 まぁそこまで求めるほどおれも馬鹿じゃない。止まっているところに狙い通り当てられるならそれで十分。
 それに基本、天の柱で魔物娘に遭遇したら逃げか対話による説得だ。なるだけ後者で解決したいが、必要なら前者、最悪撃退という形になるけども、そうなるとほぼ無理に近い。屋内とは言え、機動力に長け、ブレスもあるワイバーンに真っ向から挑んで勝てるわけもなかった。
 負ければ、あの高笑いワイバーンみたいに天の柱からポイされるだろう。ああ、あの高笑いワイバーンには説得は通じないんだろうなぁ。
「でも装備に弓入れるのはいいかもな。キサラギにいいの準備してもらおう」
「うん! 頂上に登るためだったら、何でもするよ!」
 かなりご機嫌になったらしい。スキップするように蛇の腹を跳ねさせながら這う呈の背中を見ながら、おれはある考えが頭から離れなかった。
 どうしようか。
 呈へのプレゼント。
 おれたちは天の柱を踏破すれば結婚する。というか、できるならば鐘鳴らした瞬間に番いの儀を行いたいくらいだ。が、如何せんどうすればいいか。呈はドラゴンじゃないから爪とかもないし、番いの首飾りは作れない。
 かと言って、おれが結婚首輪を贈っても白蛇である呈が喜んでくれるだろうか。ドラゴニアではメジャーな結婚首輪だけど、他の場所じゃないだろうしなぁ。なにより、首輪は相手をペットか何かに見ているように感じてしまう。既婚者の竜たちを見れば、そんなことはないと断言できるんだけども。
 普通にエンゲージリングを送るべきか。お金はまぁ……なんとかしたい。ただ、キサラギは借金とかツケは駄目だから要対応。
「スワロー、悩みごと?」
 おれの歩く速度が遅くなっていたらしい。呈が慌てて引き返してきておれの顔を覗き込んできた。心配そうな顔をする呈の首から顎にかけてをこちょこちょとする。猫みたいに目を細めながらされるがままになる呈。
 呈のことだからきっとどちらでも喜んでくれるんだろう。でもどうせなら呈が一番喜ぶものを渡したい。さらには驚かせたい。サプライズだ。
「贅沢な悩みなのかな、うーん」
「よくわからないけど、悩んでることあったら何でも言ってね? ぼくは、その、す、スワローの恋人なんだし」
「呈……」
 それにもうすぐ奥さんにもなる。
 ああ、本当に贅沢な悩みだ。ただでさえ幸せなのに、もっと呈を幸せにしてあげられる悩みを抱いているのだから。
「やぁやぁ、お二人とも。とっても幸せそうだねぇ。まるで猫又とそのご主人のようだ」
 いつの間にかおれたちの隣にいたミクスからそんな言葉を投げかけられた。ここが道の往来だと思い出して、慌てて手を下げる。
「先日は済まなかったね。呈ちゃんを唆したせいであんなことになってしまって」
 何の用かと尋ねる前にミクスはそう切り出した。
 そして、深くおれたちに頭を下げる。黒い髪が垂れて、坂になった地面に着いた。
「ごめんなさい、呈ちゃん。いまはこうして謝ることしかできないけど、困ったことがあったら力になると誓うよ」
 面と向かって突然謝られて、おれは固まったまま声を発せなくなった。呈も同じらしい。
 プライドとかそういうのがあるタイプじゃないけど、こうも素直に謝ってくるとは。そもそも、呈を唆した云々もミクスは自分が悪いとは思っていないと考えていた。
 だから、こうまっすぐ謝ってくるのは意外だったし、おかげで返答に窮した。
「ミクスさんは悪くないですよ」
 そう言ったのは呈だった。頭をあげたミクスが驚いたように目を瞬かせる。
「土砂崩れに巻き込まれたのはぼくの不注意であって、ミクスさんのせいじゃないです」
「んー、でもね」
「ただ、スワローがもしも巻き込まれていたんならぼくはきっと、スワローの不注意で巻き込まれていたんだとしてもあなたに対して怒っていたし、許せないと思っていたと思います。だから、ぼくよりもスワローに謝ってください。スワローに心配をかけてしまいましたから」
 そう言われて、ミクスは目を見張ったあと、白い瞳を優しく細めた。そうしておれに向き直る。
「ごめんなさい、スワロー。君の最愛の人を危うくぼくは失わせてしまうところだった」
「……いや。呈が納得してるならいいよ、おれは。それに、途中はどうあれ仲直りするきっかけをおれたちはもらったし。だから……その、ありがと」
 最後は完全に尻すぼみになってしまった。ああ、ミクスに礼を言うのも、面と向かって謝られるのもなんだか恥ずかしい。驚いた顔してたくせに、いまはもうにまにまにやにやしているじゃないかミクスめ。言うんじゃなかった。
「ぼくからもありがとう、ミクスさん。ミクスさんのおかげでぼくたち結ばれたんだもん」
「……」
 眩しいものを見るように目を細めて微笑むミクス。しかし、腰に手を当ててから、首を左右に何度も振ってぽつりと呟いた。
「あーあ、僕にだって良心の呵責くらいあるんだぜ? 昔の魔物じゃないんだからさ」
 ミクスは呈の手を取り、おれから呈を引き剥がした。
「ミ、ミクスさん?」
「スワロー、呈ちゃん借りるね」
「いや、普通に嫌なんだけど」
 ミクスに呈を好きにさせるとか死んでも嫌なんだけど。
「あっはー、当然ながら信じてもらえないよねー。まっ、今日だけは僕を信じてくれよ。まだまだ幼い呈ちゃんに魔力の扱い方をレクチャーしてあげるだけだからさ」
「魔力の扱い方、ですか?」
「ファリアさんならわかるけど、ミクスが?」
 自称とは言え、リリムという魔王の娘の種族ではあるから魔力の扱いに長けていることはわかる。だがそれなら常識人かつ魔術に長けたバフォメットであるファリアさんの方が適任じゃないのだろうか。
 単にファリアさんが忙しいから代わりにミクスっていうことならわかるけども。
「あー、あーあー、意外と僕って舐められてるね。まあ、しょうがないか。でも、僕は身体が虚弱だったからその分、膨大な魔力を繊細に扱えるよう鍛えたんだよ。ファリア以上にね。だから、似た感じの呈ちゃんにレクチャーするのに僕以上の人材はいないさ」
 虚弱? 魔物娘なのに?
「まぁ呈ちゃんが嫌なら無理にとは言わないけど」
「やります」
 ミクスに背中から抱き付かれた形になった呈は彼女を見上げて迷いなく即答した。
「それでスワローの力になれるなら。ぼくはやります」
「いいね。躊躇なくそう答えられる君のことはやっぱり好ましく思うよ」
「……おれはついて行っちゃいけないの?」
「君はいまはやるべきことがあるだろう。そっちを“いまのうちに”済ませるといい」
 殊更いまのうちにと強調させて、ミクスは呈の手を引っ張って竜翼通りを下っていく。
 確かに、呈のことをミクスが預かってくれているなら、バレることなくキサラギにプレゼント相談できるけども。まぁキサラギがミクスにこのことを教えても呈に伝わることはないだろう。からかわれることは覚悟しなきゃいけないが。
「じゃあ、呈、頑張れ」
「うん。頑張るよ」
 手を軽く上げて見送り、二人が店二つ分ほど下ったところでミクスが振り返った。
「呼び捨てありがとう、スワロー。やっぱり飾らない君の方がよっぽど好ましいよ」
 初めて魔王の娘リリムらしく、艶色に笑んだミクス。ピンク色の魔力が発散しているように一瞬見えた。周囲で、来たばかりらしい観光客の男たちの視線が彼女に釘付けになる。
 隣で呈が愕然としながら、抗議するようにミクスに怒鳴る。そんな二人を苦笑しながら見下ろして、おれははたと気づく。
「ていうか、ミクスもおれのこと呼び捨てにしてるじゃん」

 キサラギの店に行くと、母さんと義母さん(予定及び確定)がいた。
「母さん、と真白さん……どうしてここに?」
 二人はキサラギと何やら楽しそうに談義していた。贈り物だとか、番いの儀だとか、衣装とかそんな言葉が聞こえたような気がしたけど、はっきりとは聞き取れなかった。
 おれが来店したことに気が付くと三人して、妙に背筋を伸ばして咳払いをする。怪しすぎる。
「も、もう、スワローさん。私のことは真白お義母さんと呼んでくれていいんですよ?」
「は、はあ……」
「そうそう! もうすぐ呈ちゃんとも結婚することになるんだし! 真白さんに他人行儀は駄目よ?」
「それより二人は何を」
「それでスワッちはどうしたんっすか? 装備で足りないものでもあったっすか?」
 三人して盛大にはぐらかそうとしている感が否めない。
「いや、天の柱の頂上行ったら呈にプロポーズしたいからそのプレゼントを……ハッ!?」
 しまった!? 何をおれは馬鹿正直に喋って――。
「「「にまにまにまにま」」」
 ああああああああああああああああッ!? すごいいい笑顔されてるっ!?
「まさか、あのぶきっちょぶっきらぼう鈍感不貞腐れボーイのスワローが……プロポーズのためのプレゼントを買おうだなんて思ってたなんて」
 母さんがオーバーリアクションで涙を拭いた振りをしてみせる。やばい、すごく恥ずかしいんだが。親にこんな考えを話すとか穴に入りたいくらいなんだが。
「女は男を成長させるってのは本当だったのね……ウェントも私が襲ってからとても情熱的に成長したし」
 当時のことを思い出してかうっとりする母さん。やめて、恥ずかしいから。
「こんなにも想われて呈は幸せ者です。夜はやはり、蒼い炎で浸した聖さんのように激しいのでしょうか? ああ、二人の艶姿を想像すると私も疼いてきます」
 腰をくゆらせる二人の母に、おれは頭痛しかしなかった。
「まぁまぁ、それだけ母として嬉しいってことっすよ。それでスワッちは何を買うか決めてるんすか? テーちゃんがここにいないってことはサプライズしたいってことっすよね?」
「キ、キサラギッ!」
「な、なんで感極まっているんすか?」
 目の前が涙で滲む。今回ばかりはキサラギの存在に感謝してもしきれなかった。からかわれずに普通に話が進む、それだけで息が詰まりそうなほど嬉しい。
 昨日の朝から母さんたちと話をする度にこんな感じだったものだから、一層のことだった。
 奥の畳床の居間で四人でテーブルを囲みながら、相談会となった。母さんたちには離席して欲しかったが、よくよく考えれば言わばおれたちの人生の先輩な上に、既婚者の女性である。貴重な意見をもらえるチャンスでもあった。おれ一人だと失敗する可能性が高い。からかわれることはその対価として諦めて、母さんたちには同席してもらうことにした。
「それで何を渡すかは決めてるんすか?」
「うーん、それがまだ」
 候補はあるけれど、どれが呈をより喜ばせられるかわからなかった。決まってはいないが、おれは天の柱の頂上でのプロポーズに際してプレゼントを贈りたいと考えている。
 プロポーズ自体は鐘を鳴らそうと約束しあった時点ですでにしているに等しいが、やはり鐘の前で鳴らす直前にド直球に告白したいのだ。もっと言うと、呈の驚きから喜びに変わる表情が見たい。
 なんてことを考えていたら顔がにやけてしまっていたようで、二人の母に優しい微笑みを贈られた。恥ずかしい。
「呈ならスワローさんの贈り物であれば何でも喜んでくれると思いますが、スワローさん自身が何でもいいというわけではないのですよね?」
「うん。やっぱり渡すからには呈が一番喜ぶのがいいし。何でも喜んでくれるからってそこはおざなりにしたくない」
「ふふ、やっぱり呈は幸せ者です」
 むしろ真白さんの方が幸せそうにしていない? と言いたくなるのを堪えておれは考えていた案を出すことにした。
「エンゲージリングか結婚首輪を考えてるんだけど、どっちがいいかな?」
 個人的にはエンゲージリングに傾いている。
「ドラゴニアだと結婚首輪が主流ね。指輪は人化でもしないと入らないもの」
 ワイバーンの母さんは指が竜の爪となっている。指輪となると相当なサイズになってしまうし、すぐに抜け落ちてしまうだろう。
「でも呈は白蛇だし、エンゲージリングでも問題ないから。真白さん、ジパングでは結婚のときはどうするんですか?」
「そうですねぇ。ジパングではエンゲージリングもその結婚首輪、ですか? それを贈る風習はありません。庶民間では互いに同意が得られればそのまま夫婦となります。少し裕福になると持参金や結納などお金や物品が婚約の証として用意されることはありますね。ただ、私と聖さんの場合は少々異なっていまして。私が水神様の巫女でしたので、聖さんには私の家へ婿入りしていただく形になりましたが、その際は聖さんの身一つでした。私にはそれ以外まるで必要なかったので」
「なんだかドラゴニアよりも複雑そうねぇ」
「ふふ、とは言っても妖怪や魔物娘の場合はこことさほど変わりないと思いますよ。持参金や結納などはあくまで人同士の婚約や結婚の一般常識ですから。ジパングでもお互いが求め合えばそれで夫婦です。私の場合は、聖さんに求め“させ”ました」
 笑みが黒く見えるのは気のせいだろうか。あまり考えない方がいいのかもしれない。
 まぁ、そういう意味ではもうすでにおれと呈は夫婦ってことかもしれない。
 呈の待っている家に帰ってきて、ご飯にするかお風呂にするかそれともなんて聞かれたり……ああ、駄目駄目、これ以上にやけてどうする。話が進まない。
「ですがスワローさん。呈がジパング出身だからとは言え、その風習に迎合する必要はありません。郷に入っては郷に従え。むしろ呈はここドラゴニアで一匹の竜としてあなたと結ばれたいと思っているはずです」
「呈が竜として……」
「はい。ああ、そういえば、結婚首輪がどういうものかお恥ずかしながら私は知らないのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
 真白さんの質問は至極当然のものだった。これまでジパングに暮らしていては知るはずもない。答えたのは母さんだった。
「名前の通り、エンゲージリングの首輪バージョンね」
 と母さんが首元に手をやる。どちらかと言うとチョーカーに近いくらいの細さの、薄いグレーの首輪がぴっちりと母さんの首に巻かれている。中心にはハートと竜の意匠が混じり合ったようなルーン文字が、母さんの髪色と同じ赤栗色で小さく描かれていた。
「これの素材は野生の魔界獣ね、ウェントが狩ってくれたのをそのままなめして作ったの。この文字は私とウェントの名前をルーン文字で書いたものね」
 何気に初耳だった。
「結婚首輪っていうのは、男性側が雌竜に永遠の愛を誓うための贈り物ね。これは雌竜にとって真の雄竜を夫に迎えたという誇り高い証になるの」
 そう話す母さんの声音は優しい。当時のことを思い出すようにゆっくりと首輪を撫でている。
「もちろんデザインなら色々あるっすよ。竜の鱗を散りばめたものとか、魔宝石を埋め込んだものとか。オーダーメイドで好みのものも作れるっす。まぁうちじゃあ、あまり売れるもんじゃないから置いてないっすけどね」
 キサラギの追加情報におれは頷く。こう話を聞けば結婚首輪も悪くないと思えた。けど、やっぱり首輪はなんだか抵抗感が否めない。
「スワローさん」
 じっと母さんの話を聞いていた真白さんがおれに向き直る。立ち振る舞いを正して、ヤマトナデシコらしくお淑やかに微笑んだ。
「私は呈に贈り物をするなら結婚首輪をおすすめします」
 微笑みはそのまま、しかし瞳は真摯におれへと向いていた。
「私たちは娘が、一生を捧げたいと想える相手を見つけられるよう、その願いが届くようにと『呈』と名を付けました。その相手であるあなたがいま、呈を欲しいと想ってくれています。そして呈もあなただけのものになりたいと願っています。なら、結婚首輪は呈をあなただけの雌竜に変えてくれる一番の証となってくれるのではないでしょうか」
「……」
 雌竜。呈はおれだけの雌竜。胸底がじんわりと熱くなった。嗜虐心とか征服欲とか、そんなものが満たされることに期待しての熱では断じてない。
 おれ自身も呈の唯一の雄竜になれる。結婚首輪はその証ともなるのだと気づいたからだ。
「どっちかは決まったみたいね」
「っ……!」
 母さんの言葉に頷くとばんばんと豪快に背中を叩かれた。ワイバーンの力で殴られたおれは盛大にテーブルに突っ伏すこととなる。加減というものを知らない母竜め……。
「話はまとまったみたいっすね。うちとしてはひとつ提案なんですけど、エンゲージリングの仕様も入れてみるってのはどうっすか?」
 おれは背中をさすりながら、顔だけあげてにんまりと笑むキサラギの方を見やる。
「結婚首輪には色々デザインとか施せますし、ルーン文字で描いた指輪に小さな魔宝石をつけるんっす」
「いいわね、それ。魔宝石にはもちろん」
「スワローさんの魔力を込めるのですね?」
 三人息ぴったりで答えを出してしまった。なんか、おれいなくてもこの結論に至ってたんじゃないかと思えるくらいの雰囲気。さすがに気のせいだろうけど。
 まぁ、結論としては悪くないどころか最高だった。真白さんのお墨付きもあるし、呈を驚かせるかつ喜ばせるは多分達成できそう。問題は。
「お金なら大丈夫よ」
「はっ?」
 おれの心を軽々と呼んだ母さんがぐっと竜の手で親指をあげる。なんでおれの周りの奴らはこうも心を読んでくるんだ? 流れ的には読まれても仕方ないかもしれないけどさ。
「とりあえず、スワローの部屋物色してお金になりそうなものをピックアップしておいたわ。色々、ドラゴニア中回って物拾って来てるでしょ? あとはもともとの所持金でどうにかなるんじゃないかしら」
「すごい聞き捨てならない台詞を聞いた気がしたんだけど」
 おれは質問した。しかし、無視されてしまった!
「どうせ、親のお金は借りたくないって言うんでしょ?」
「ん、まぁ……」
 全部バレバレだ、これ。
 呈に以前、ブレスレットをあげたとき、あれは厳密にはおれのお金でプレゼントしたものじゃなかった。キサラギから気を利かせてもらったものだ。
 でも今回ばかりは自分が得たお金で呈に贈りたい。
「オーダーメイド代で足りない分は、そうねぇ」
 と母さんがキサラギの肩をがしっと抱く。耳元にそっと口を寄せると。
「マジックアイテムの実験台にされたお代で賄わせてもらうといいんじゃない?」
「ひょえっ!?」
 キサラギが大口を開けて仰け反った。が、がっしりと肩を掴んでいる母さんは決してキサラギを離したりしない。
「な、なんでそれを……」
 キサラギがおれに目配せするがおれは首を横に振る。このことを話した覚えは全くない。
 マジックアイテムの実験台。言葉通り、新開発したマジックアイテムの実験相手になるという仕事だった。装備を買うためにお金では賄えない分をそれで補ったのだ。
 内容は色々。身体が小さくなったり、触手化したり、竜化したり、女体化したり。他にも爪先から上方が見える視界を一つ得たり、歩くだけでスカートだけをめくらせるつむじ風を発生させられるようになったり、女性物の下着そのものになったりと、何故かソッチ系の性癖の持ち主が欲しがりそうな能力を付与されたり。他にもネタ方面に尖った内容も色々。よくドラゴニアの竜に襲われなかったなぁと思うばかりの実験をされていたような気がする。本当に子供でよかった。……本当に子供だったから襲われなかったのか?
「うふふー、呈ちゃんでもないわよ? あくまで独自調査というか、実験後のスワローの匂いが微かとはいえ変わってたらさすがに気づくわよね? 母親舐めんなよ?」
「知ってていままで黙ってたんっすか!?」
「弱点は知らない風に装っていた方が効果的なのよ? こういうときのためにね」
 えげつない。
「ッ! ……はぁ。一昨日のこともあるっすからね……加工料はうちがまけてもらえるよう交渉するっす」
「ありがと、キサラギさん! ま、お代はきちんとスワローに払わせるから心配しないでちょうだい!」
「っす〜」
 ぺたんと耳がへたれてしまっている。ここまで来ると逆に申し訳なかった。別に実験台は同意の上だし、その分の対価はもらってるんだけどなぁ。
「あ、スワローも親に黙って危ないかもしれない実験に臨んだんだからペナルティ課すわよ?」
「はぁ!? いや、あれは装備整えるためだし、魔物娘の実験台だから危険なことは」
「問答無用」
 母さんがぐわっと翼を広げた。竜の威嚇行動。見慣れているおれもさすがに驚いて目を瞑ってしまう。
 何かしら来る衝撃に耐えるようにじっと待つが、訪れたのはふっとおれを包む被膜の温かさと、頬を包む柔らかい感触だった。
 母さんはおれを抱いてくれていた。
「ちゃんと、天の柱の頂上まで行って、呈ちゃんを幸せにしてあげなさいな」
「……」
「そしてスワロー、あなた自身もね」
 殊更その言葉を強調して、天の柱におれが臨む理由を母さんは理解した上で、その言葉を選んでくれた。
「うん」
 喉奥から込み上げるものを抑えるのに必死で、おれは紡げたのはその一言だけだった。
 それでも母さんはただ黙って微笑んで、おれの頭を撫で続けてくれた。

―3―

 準備は終えた。
 さらに話し合って弓などの装備・アイテムの追加、キサラギからもらった(というより借りた)インデックスを用いての登頂工程の確認と修正を済ませた。
 呈のミクスによる魔力のレクチャーもその日のうちに終え、身体能力を向上させる魔法まで習得したらしい。単純に自身の身体能力を底上げする魔法はともかく、他人にまで付与できる魔法を短時間で覚えられたのは驚嘆に値するというのはファリアさんの談。
 あと、おれが母さんたちと相談している間、何やら呈の方では父さんや聖さんと会っていたらしい。男が魔力を注がれたときの感覚はどんなのかを聞いたりしたとか。……魔力注がれるって気持ちいいのだろうか?
 それから二日。おれと呈は母さん相手に鬼ごっこを繰り返した。天の柱内でのワイバーンからの逃走のための練習である。初日の結果は惨敗。幾ら呈に魔法でバフをかけられてもものの数分。早いときは開始十数秒で組み伏せられた。マジックアイテム禁止とは言え厳しい。母さんの追いかけっぷりは旧魔王時代当時のドラゴンやワイバーンは本当に怖かったんだなって思うくらいの迫力だった。呈は半泣きだった。
 その日の夜に父さんに短い時間だけど組手をしてもらった。主に戦闘においての体捌き、簡単な転ばせ方や迫る手や尾の叩き方など。また自分と相手の体格差によって変化する対処法など。身に着いたかは別として一応一通り叩き込まれた。
 結果としては一本も勝ちを取れなかったけど、使用武器は体格とおれの記憶と相談してカランビットというナイフに決めた。ナイフピッケルはおれの体格には大きすぎるのである。元より武器でもないけども。
 呈も父である聖さんから障害物の駆け方や身の隠し方など教わっていた。弓の指導も受け、感覚を取り戻すことができたみたいだ。
 そうして、ようやく逃げ切れたのは二日目終盤の数回。母さんの動きのパターンが読めてきてから、呈と連携して建物や障害物を利用しかく乱することでようやく掴んだ勝ちだった。ただ、直接の勝ちには繋がっていないけど、近接もある程度は捌けるくらいにはなった。父さんとの短い組手が功を奏した形だ。まぁ近接になった時点で逃げ切れないから負け確定だったけど。
「これで、はぁはぁ、もう帰ってくる度に抱きつかれることは、ない、な……はぁはぁ」
「……そうね」
 息を切らせながら倒れ伏して言うおれに、母さんはちょっとだけ寂しそうに笑っていた。
 鬼ごっこ以外の時間は呈とのセックス。寝る間も惜しむくらい際限なく交わり続けた。母さんたちに精のつく料理をたっぷり作ってもらって、たらふく食べて、ひたすら交わって、互いを貪り合った。キサラギの言っていたことを実践した形だったが、正直言われていなくても我慢できなかっただろう。鬼ごっこの最中も何度か呈にムラムラして集中力欠いて捕まったし。
 そうしてやってきた天の柱登頂当日。荷物の準備を済ませたおれはリュック等装備をつけようと思ったが、呈に止められた。
「ぼくね、スワローは天の柱に行く前に会っておいた方がいい人がいると思う」
「呈」
「あの夜以来会っていないんでしょ? きちんとお話済ませておいた方がいいんじゃないかな」
 少しばかり逡巡して、おれは不安そうに顔を曇らせる呈の手をぎゅっと握った。
「うん。ちょっと行ってくる。ありがとう、呈」
「いってらっしゃい」
 晴れた表情になった呈に見送ってもらっておれは荷物を置いたまま外へ出た。
 行く場所は決まっていた、のだがそこへ行く前に当の本人が洞窟の中へちょうど入るところだった。
 ラフな布服を着たアッシュブロンドの長髪の青年。おれの兄貴分にして親友のセルヴィスだった。布袋を肩にかけていて、おれに気づくと一瞬視線を彷徨わせた後、おれをまっすぐに見据えてきた。
「……時間、あるか?」
「……うん、ちょうどセルヴィスに会いに行こうかと思ってた」
 身を翻す彼をおれはゆっくりとした歩調で追う。互いに無言のまま、柵のある崖の前までやってきた。
 朝日はまだ完全に目を覚ましてはおらず空は薄暗い。吹き抜ける風は足元から頭の頂点まで突き抜けそうなほどに冷たかった。
 青暗い空の下ではまだ地上も眠りに沈んでいて、麓の様子ははっきりとは見えない。ぽつぽつと魔宝石や赤い竜灯花だけが徹夜していた。
 おれは柵の隙間に足を突っ込んで座る。宙ぶらりんになった脚の踵で適当に崖を蹴った。
「ん」
 柵に背中を預けたセルヴィスが竜細工のガラスコップをおれに差し出してくる。上向きの竜の口は丸い筒状になっていて、そこから湯気が立ち上っていた。受け取ると微かな熱が掌に広がり、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。中身は薄茶色だった。
「サンキュ……熱っ!」
 一気に煽ったせいで唇を火傷した。ガラスコップはそんなに熱くないのに中身はできたてのドラゴンステーキくらい熱い。分厚いからか?
 落ち着いて飲んでみると、中身はホルスタウロスミルクのビター味だった。ミルクの甘味に魔界豆の仄かな苦みがおいしい。セルヴィスが飲んでいるガラスコップの中身は真っ黒。魔界豆のコーヒーだろう。
「……」
「……」
 しばらく沈黙が流れて、おれがどう切り出そうか迷っていると。
「……悪かったな」
 セルヴィスはこちらを見ずに、湯気を立ち上らせる竜の口を見下ろしながら呟くように言った。
「あのときは、言いすぎた。確かにお前のことわかってなかったよ、俺は」
 ふぅ、とセルヴィスが深い息をはく。
「確かにきついよな。自分じゃない自分がいるってのは。おれも、ラミィと出会う前は自分の居場所がわかんなかったよ。根無し草で、世界中転々としててさ。世界のどこにも居場所なんてなかった。お前の吐き出した気持ち聞いて、思い出したよ」
 自嘲するように笑うセルヴィスの脚を軽く拳で叩く。呆気に取られた彼におれも自嘲気味に笑い返した。
「いや、セルヴィスの言う通りだったよ。あれは単なる意地だった。なんもないおれが一人で何か成し遂げたかっただけだったんだ」
「はっ、謝りこそしたけどあのときの言葉を撤回するつもりはねぇよ」
「ふん。いまは二人で成し遂げるって変わっただけだけどな。やり切ることには変わらん」
「意地っ張りめ」
 薄笑いを浮かべながら、おれはセルヴィスと空いた手で軽く拳を数度、上下と左右で叩き合った。照れ隠しの仲直りの挨拶だ。
「ありがとな、セルヴィス」
「なんにもできてねぇよ、俺は。お前と呈ちゃんが本当に想い合ってたから仲直りできたんだ」
「違う」
 自分を安く見るように言うセルヴィスにおれははっきりと告げる。
 そういうことじゃない。
「思うんだ。セルヴィスと一緒にいるとさ。馬鹿やったりしたりするとさ。……兄貴がいるときはこんな感じなのかなって。兄貴に叱られるのってこんな感じなのかなって」
 目を見張るセルヴィスから顔を逸らして、おれは空を見上げる。数多の記憶にあるおれじゃないおれの兄たち。そのどれでもない、おれだけの兄貴。
「おれが今日までおれでいられたのは、母さんや父さんのおかげもあるけど……兄貴のおかげでもあるんだよ。馬鹿みたいなことしたり、話したり、要らない知識くれたりな」
 息を吸う。緊張はなく、すぐに言葉は出た。
「おれは兄貴の弟だ」
 返事は特になかった。しかし、少しの間があった。盛大にセルヴィスが大笑いする。それこそ崖下にまで響くほどの大きな笑い声だ。
「な、なんで笑っ、っつ、髪くしゃくしゃすんなこのっ!」
 セルヴィスの手をどうにか振り払おうとするが両手まで駆使して一向に振り払えなかった。
「はっはは! ったくお前はよぉ! 俺があのとき言えなかったこと先に言いやがって! いまから言おうと思ってたのによっ!」
「し、知るか!」
 柵から立ち上がって、セルヴィスから離れる。くしゃくしゃになった髪を適当に直しながら、いまだ笑気が抜けきっていないセルヴィスの方を向いた。
「人が真剣に話してるのに」
「悪い悪い。あまりに嬉しくてな。ああ、お前の兄貴でよかったよ」
 ようやく笑気が抜けたタイミングで日の出がやってきた。竜口山から赤いブレスが空を焼き焦がす。
 そして、セルヴィスが炎々と燃える焔の外套を布袋から取り出したかと思うと、おれの前に差し出した。
「行くんだろ、今日天の柱に。持ってけ餞別だ」
「いや、餞別ってこれ」
 赤竜の外套。ドラゴニア女王デオノーラ様が吐いた焔によって作られた魔法防具。竜騎士がデオノーラ様より直接賜る貴重な品のはずだ。
「いやいやいや、駄目でしょさすがに。人にあげちゃ駄目なやつだろ?」
「別にあげるなんて一言も言ってねぇよ。これ以上の耐火装備はねぇからな、持ってけ、絶対に役に立つって」
「でも、こんなの使ってるの見られたらセルヴィス怒られない?」
 非常時に遭難者に預けるのはともかくとして、そうでない人に渡していいはずがない。誓いの竜槍と対をなす、竜騎士を象徴する装備の一つでもあるのだ。
「じゃあ、非常時以外はリュックの底にでも押しこんどけ。とにかくおれはお前にこれを預けたいんだよ。ちょっとくらい兄貴らしいことさせろよ」
 無理矢理おれに赤竜の外套を持たせ、セルヴィスは崖に背を向ける。
「あげたわけじゃねぇぞ、絶対に返しに来い」
「あ……」
 全く。本当にお節介で、心配性な奴だ。おれの兄貴は。
「……ただでさえ荷物多いのに、こんな重いもの持たせるなよ」
「はっ、もっと重たいもんとっくに背負ってるだろが。いまさらどうってことないだろ?」
 違いない。
 おれは笑って、セルヴィスの隣に並んだ。その方角には天の柱がある。遠目でも薄ぼんやりと雲を突き抜ける影の姿が見えた。今日の空気はとても澄んでいた。
「行ってこい」
「ああ、行ってくる」
 その短いやり取り以上の言葉はもうおれたちには必要なかった。

 そして。
 おれと呈は天の柱へと二人で向かった。
17/10/08 18:02更新 / ヤンデレラ
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■作者メッセージ
次の話でようやく天の柱突入となります。
ずいぶんと回り道したもんだ。

しっかし、スワローのショタ成分が物の見事に消えた気がする。

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