連載小説
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第1部
第1部

むかしむかしのお話しです。

中つ国のラビア半島にはアラビ王国と言う砂漠と海の国がありました。交易で栄えるこの豊かな国には何でもあります。金や銀に宝石、世界中の珍しい物です。

そういう訳で、この国の金持ちの商人達は皆、世界中の珍しいお宝を集めるのに夢中になっていました。

その商人達の中でも一際裕福な太った商人の大きなお屋敷の大きな宝物庫は世界中のお宝だか、ガラクタだかわからない物が無造作に放り込まれていました。

『サウルの子!サウルの子はいるか!』

太った商人がお屋敷に帰るなり大きな声でサウルの子なる召使いを呼び出しました。

『はい、ただいまご主人様。』

呼ばれて出て来たのは10歳くらいの召使いの少年でした。すき透るようなエメラルドの目に、褐色の肌、ターバンから覗く癖のある黒い髪の美しい男の子です。何年も前の事ですが、太った商人はこの美しい召使いの少年を偶然奴隷市場で見つけた折、一目で気に入ったので、まだ幼かった少年を奴隷商人から買いました。買ったは良いのですが、その奴隷商人から男の子の名前を聞いても知らないと言うので、太った商人は"サウルの子"と呼びました。

『おぉ、来たか!早速お前に仕事を与える。最近埃が気になってきた。ゆっくりで良い。私の宝物庫のお宝を綺麗に磨いておくれ。』

『はい、ご主人様。仰せのままに。』

太った商人は笑いながら、お屋敷の奥に入って行きました。

早速、男の子は仕事に取り掛かります。けれども容易な事ではありません。宝物庫には埃を被ったお宝やらガラクタやらが山のようにあるのです。

奴隷の少年はせっせと桶に水を汲み、布を取り、宝物庫のお宝を磨き始めました。

何でも切ってしまう見えない魔法の曲剣

象牙で出来た異教の女神

とある拷問師の鞭

絵の書かれた霧の国の紅い壺

異国の呪術に使う仮面

コブを押すと星の数ほどの計算を一瞬でしてしまう魔法の計算機

見た人の望みを映し出す魔法の水盆

黄金で出来たロマーナ皇帝の胸像

水を葡萄酒に変える酒神のリュトン

などなど……

少年は太った商人の言い付けとおり、真面目に仕事をしました。

朝になり、宝物庫の全てのお宝を磨き終えたと思い、桶を置いた時、宝物庫の隅にポツリと小さな汚れたランプが目に入りました。ひとつだけ見落としていたのです。

少年はランプを手に取ると、その不思議な模様に見惚れてしまいました。

すると、太った商人がやって来ました。

『ほぅ!もう終わったのか!いやご苦労!ご苦労!!私は良い召使いを持った。ん……?』

『まだ終わっておりません。ご主人様、おそれながら、これで最後でございます。』

『あぁ!それか!……サウルの子よ、そのランプは何でもこの世のものとは思えない、それはそれは美しい火を灯すと言うのでジプシャ王国の商人から買い付けたが、壊れていて蓋が開かず油が入らないのだ。……そうだ。気に入ったのなら、それをお前にやろう。』

『よろしいのでございますか?』

『良い良い!働きには相応の礼をせねばなるまい。どれ、遠慮するな!』

『ご主人様、ありがとうございます。』

太った商人は笑いながら仕事の支度に行きました。少年は今日一日休みをもらったので、個室に戻り眠りました。

少年が起きると昼過ぎになっていました。手元にはあの汚れたランプがあります。

少年はご主人からもらったランプを汚れたままにしておくのは忍びなく思ったので、綺麗にしようと布を取りランプを擦ると美しい銀が輝きを取り戻しました。

すると……

カタカタカタカタ

なんと言う事でしょう!ランプが独りでに震え始めました。

ランプに描かれた眼の文様が見開かれると、煙を吐き出して中から少年と同じか少し年上の踊り子の少女が出て来ました。

『旦那様〜!出して頂いてありがとうございます!んん!?……おやおやおやおや?』

宙に浮かぶ女の子は少年の顔を除き込んだ。

『わたくしめの旦那様はかわゆく、ちびっこくあらせられる!!』

少年は随分と失礼な女の子だと思いました。

『あ、あのっ、誰ですか?』

『これは失礼致しました。わたくしは火のジン(精霊)、ランプの魔人ジーニーの1人!シェヘラザードと申します!!』

シェヘラザードと名乗った女の子は仰々しくその控えめな胸に手を当てて頭を下げるとにっこりと微笑み、少年はその薄いベールの奥の笑顔に心を奪われました。

『シェヘラザードさま……?』

『"さま"はけっこうでございますよ?シェヘラザードとそのままお呼び下さい。……して、旦那様のお名前は?』

『……僕は奴隷で名前は無いんだ。ご主人様にはサウルの子と呼ばれてる。』

『なんと!名無しとは困りましたね……ん〜……』

シェヘラザードと名乗った女の子は悩んでいます。

『一つお伺いしますが……旦那様のご主人様はどの様なお方で?』

何か思いついたのかシェヘラザードは少年にそう訪ねました。

『はい。良いご主人様です。偉大な方です……』

太った商人は良いご主人で、普通一般の金持ちや王侯貴族と違いこの少年にも、他の召使いにも暴力を振るわない。召使いにも礼儀を尽くす優しい人でありました。

『では、ご自分の事をサウルの子 アブドゥル・マジードと名乗ってはいかがでございましょうか?主神教アシュマール派の始祖、聖者アシュマールが定めた99の美名の一つでございます。意味は"偉大なる方に仕える者"。』

『アブドゥル・マジード……名前……僕の……。あの、ありがとうございます。』

『いえいえいえ、お安い御用で。お名前は魔法的な契約において必要不可欠なものでございますから。……して旦那様、願い事は何でごさいましょう?』

『願い事?』

『はい。封印を解いてくださいました御礼に、何でも願い事を叶えて差し上げます。』

『なんでも?』

『あっ、はい。えーっと……基本的に何でも可能でございますが、願いが大きい場合はそれなりに対価を頂きます。』

シェヘラザードと名乗った少女は妖しく微笑みました。アブドゥルはなんだかドキドキしました。

『対価?……お礼のこと?僕、召使いだからお礼できるのは何も持ってない。じゃあ、僕が出来る事でお礼をするって事でもいい?』

『ええ!勿論!!……コホン、ただ必ず、願い事をする時に"アブドゥル・マジードの名において命ず"と唱えて下さいませ。それが願いを叶える魔法の契約でございます!さあ、アブドゥル様!このシェヘラザードに何なりと!』

アブドゥルは考えました。というのもアブドゥルには願い事が無いのです。太った商人は召使いである自分の事を大事にしてくれています。他の召使いも皆優しくて自分に良くしてくれています。寝る所にも食べる事にも困った事はありませんでした。

この国の大多数の人々より自分は幸せだと思っていたのです。

しかし……

そうして考えて、アブドゥルは気付きました。そうです。大多数の人々は召使い自分よりも幸せでは無いのです。

太った商人に連れられて、仕事の手伝いに行った時に、横柄な男に鞭で打たれている奴隷を目にしました。

太った商人はそんな事はしません。

路地裏には食べるにも住む所にも困った人々が寄り集まってこちらを見ていました。

アブドゥルには住む所も、食べる物にも困っていません。

またある時に、召使いが街の広場で裁かれているのを見ました。その召使いの女は聖典であるコランの聖なる祈りの言葉を聞いてしまいました。アラビ王国やラビエール王国を始めとする主神教アシュマール派の多くの国で、奴隷の身分の者は神さまに祈る事が出来ません。召使いの女は見せしめとして耳に煮えた鉛を流し込まれて殺されてしまいました。

その時、太った商人は『あれを見ては、聞いてはいけない。』と、アブドゥルの目と耳を隠しました。

助けたいと思っても小さな召使いの少年にはどうにもできません。

太った商人に庇われながら『どうかあの女の人を助けて下さい。』と心の中で神さまに祈りました。ですが、神さまは知らんぷりをしました。

お金持ちも、貧しい人も、身分が高い人も、低い人も、皆んな笑って見ていました。

人々はそれらの事になんら疑問に感じません。人々の倫理が、常識が、それらを当たり前の事だと定めていました。

アブドゥルは人々を憐れに思いました。自分の手で神さまを捨てているからです。

『願い事……叶えてくれますか?』

『はい。何なりと旦那様。』

アブドゥルは小さく息を吸いました。

『……サウルの子、アブドゥル・マジードの名によって命ず。僕の願い事は、この国の全ての人が幸福であるように。悲しい思いをしない、痛い思いをしない、そして不幸にならない。奴隷も王様も、お金持ちも貧乏な人も、皆んなが幸せになる。それが……僕の願い事。』

それを聞いたシェヘラザードは自分でも知らない内にアブドゥルに跪いて頭を下げていました。目の前の小さな召使いの少年が偉大な王様に見えたからです。

『……どうしたの?』

シェヘラザードは、はっ!と気付いて顔を上げました。

『いえ、何でもございません。』

『うん……。それで、叶えてくれるの?』

『旦那様の願い事、確かに承りました。……しかしながら、旦那様の願いは魔法や奇跡の範疇を超えてるのでございます。今直ぐにはとても……』

アブドゥルの願いは自分自身の為では無く、沢山の人の幸福を願うものでした。お金持ちになりたい……などと言うアブラカタブラやチチンプイプイの一言で済ませられる単純なものではありません。沢山の人々の運命に干渉する願い。それ故に魔法ではどうしようもないのです。魔法でどうにかなったとしてもそれは偽りの幸福です。

ですが、シェヘラザードはアブドゥルの願いを叶えてやりたいと思いました。それは正しく王の願いだからです。

『ダメなの……?』

アブドゥルは残念そうに項垂れました。

『いえ、いえ、いえ、いえ!叶えられないとは申し上げておりません。今直ぐにはと言う意味で……奇跡や魔法ですら少々の時間が必要なのでございます。』

『本当に!!』

アブドゥルは嬉しそうに微笑みました。

『はい。……旦那様は本当にその願いで宜しいのでございますか?』

『うん。……僕の願いだよ。』

『畏まりました。……では願い事を叶える為に先ず、旦那様をこの国の王様にしましょう。これよりわたくしはアブドゥル・マジード王の僕。旦那様がこの国の王様に在らせられれば、この国を旦那様の願いである幸せの国にする事が出来るのでございます。』

『僕を……王様に?』

『はい。先ずは勉強でございます。わたくしが知識を与えましょう。』

そうして、シェヘラザードはアブドゥルを王様にするべく勉強を教え始めました。アブドゥルは召し使いの少年です。言葉は扱えても読み書きや計算が出来なかったのです。

ランプの精であるシェヘラザードは古の学問である数学、文学、天文学、魔法学、錬金術学について膨大な知識を持っています。遠い昔に彼女がそれらの知識によって産み出されたからです。シェヘラザードはアブドゥルにとって、とても良い先生になりました。

アブドゥルは毎日毎日、朝と晩だけにシェヘラザードと一緒に勉強しました。と言うのもシェヘラザードはアブドゥルと2人きりの時にしかランプから出て来ません。願い事を叶えるランプの精の秘密を守る為でした。

シェヘラザードの事が他の人に知られてしまったら、ランプを狙う悪い人が必ず出て来てアブドゥルを危険に晒せてしまうからです。

アブドゥルは頭が良く、直ぐにシェヘラザードが持つ知識を自分の物にしていきました。

そのうちに勉強だけではもの足りなくなったので、シェヘラザードは大昔の王様のお話しや遠い国々のお話しをアブドゥルに聞かせました。



それから3年が過ぎたある日のこと……



『えぇい!どうなっておるのだ!計算が合わないではないか!』

何時も温厚な太った商人が珍しく怒っていました。商売の帳面の計算が合わないのです。会計事に詳しいユタ人の召使いと霧の国人の召使いが揃って病気になってしまったからです。

周りの雇い人達はあたふたしています。太った商人は帳面を床に叩きつけてしまいました。

『……ご主人様。帳面を見せては頂けないでしょうか?』

『好きにするが良い!!』

太った商人は怒ってお屋敷の奥へと行ってしまいました。

それから少ししてアブドゥルは太った商人の所に行きました。

『ご主人様。宜しいでしょうか?』

『おぉ、サウルの子よ。先程はすまなかった。お前が来たと言う事は、皆が呼んでおるのだろ?どれ、今行くと伝えてくれ。』

『いえ、お声を掛けに来たのではございません。ご主人様。帳面をお持ち致しました。お目通しをお願い致します。』

太った商人は不思議そうな顔をして帳面に目を通しました。するとどんどん真面目な顔になっていきました。

『サウルの子よ、これは一体どうなっておるのだ?計算が合っているのではないか!』

『はい。私が見たところ、幾つか計算の間違えがございましたので、勝手とは思いましたが、少々手直しをさせて頂きました。申し訳ありません。』

『驚いた。サウルの子よ、書記官にも難しい仕事をやってしまうとは……。』

『はい。少しでもご主人様のお役に立てればと。それから私の事はアブドゥル・マジードとお呼び下さいませ。』

太った商人はアブドゥルの言葉を聞いてますます驚きました。良い召使いと思っていたのですが、ここまで賢いと思ってなかったのです。

『 "偉大なる方に仕える者" か……。うむ……ではアブドゥル・マジードよ。お前に仕事を与える。』

それから、アブドゥルは太った商人から商売の事をいろいろと任されるようになりました。

『ラビエールの絹は……ラグラット港へ。イシュタル王国産の乳香と没薬はアラビ港……それからアロエも……』

『旦那様、ご精が出ますね。』

『……まだまだ知らない事も、知るべき事も沢山あります。それを知れたのも全ては君のおかげ。シェヘラザード……感謝しています。』

『ふふふ……我が王は良き人で在らせられる。』

アブドゥルは一生懸命に働きました。太った商人はますますアブドゥルを気に入って、彼を自分の養子に迎え入れました。太った商人は結婚をしていませんでしたからアブドゥルを後継者にと思っていたのです。

ただ、そうして働いている中で疑問が生まれました。

太った商人はアラビで一番の大商人です。交易で大きな利益を上げています。ですが、任される会計の仕事から察するにそれだけではアラビで一番の大金持ちになれるほどではありません。

それから、貿易商で働く奉公人や船乗りの入れ替わりが激しいのです。

何故だろう?と思うも分からないままでした。

それから間も無く事件が起こりました。

『この奴隷め!』

『ご主人様、お許し下さい!お許し下さい!』

昼間の大通りで男が奴隷の女を鞭で叩いていました。女はすでに鞭で出来た痣だらけです。

『なんだ、小僧。』

アブドゥルは鞭を振り上げる男と打たれている女の間に入りました。

『あなたは何故、この女の人を打つのですか?』

『この女は奴隷だ。だから鞭で打つのだ。』

女が鞭で打たれるのは女が奴隷の身分である。ただそれだけだったのです。アブドゥルはその事に怒りを覚えました。

『鞭を収めて下さい。これ以上この女を鞭で打てば、あなたは神様を失いますよ?』

『えぇい!!うるさい奴め!!』

男はアブドゥル諸共、奴隷の女を鞭で打とうとしました。

バシンッ!!!!

その時アブドゥルは男の腕を掴んで鞭を奪うと、奪った鞭で男を打ちました。

『さ、おいで!』

男が倒れているその隙にアブドゥルは女の奴隷の手を掴んで走りました。この事は直ぐに町中に知れました。

『あれはサウルの召使いだ。』

『間違いない。サウルの子だ。』

と、人々は話しました。もう此処にはいられません。女奴隷を助けながら、なんとか港に走り着くと、すでに憲兵がアブドゥル達を探していました。

『あぁ、なんということを……』

女は心配して狼狽えています。

アブドゥルはランプを擦り、シェヘラザードを呼び出しました。それを見た女はさらにオロオロとしました。

『旦那様、どうやら大変な事になっておいででございますね。』

『うん。もう此処にはいられない。逃げる為に、僕たちを皆に解らないように姿を隠しておくれ。』

『お安い御用でございます、我が王よ。……恐れながら少しばかり魔力を頂きます。』

『え?』

するとシェヘラザードはアブドゥルの唇を奪いました。魔法に必要な力を貰う為です。アブドゥルは耳まで真っ赤になりました。

それがすむと、シェヘラザードは2人に魔法をかけて2人の姿を隠しました。

『これで暫しの間、旦那様と私、それからそちらのご婦人は人には見えなくなりました。』

『あ……ありがとう。』

『さぁ、旦那様。この隙に船を!』

3人は港を歩きました。本当に誰にも見えていないようです。そして丁度、出航間近の太った商人の小さい商船が停泊していたのでその船にこっそりと乗り込みました。

やがて船は帆を広げて走り出します。

何処へ行くのかも分かりません。初めての船、初めての海、初めての風。全てが初めて見るものです。召使いの頃は想像も出来ない事ばかりでした。

やがて3日ばかりがたって、太陽と砂ばかりの異国に着きました。

アブドゥルは驚きました。人間に混じって魔物が港町の至る所で荷運びをしていたり、物を売っていたり、仕事をしていました。

それらを見るに、どうやら太った商人は魔物の国にあるさまざまな魔法の道具や薬やお酒や食べ物などを仕入れているようで、秘密に売る事によって大きな利益になっているようです。

静かになったのを見計らって船をこっそりと降りようとしたその時

『そこのお前!密航者だな!?……ん?はて、どこかで見た顔だ。』

『……そこの女、どうしたのか?なぜ傷ついているのか?』

さて大変です。密航がばれてしまいました。すぐさま憲兵が駆けつけてきます。

『……密航者と聞きました。人の子よ名を名乗りなさい。そして、何故そこの女が傷ついているか答えなさい。』

イヌのような女の魔物が聞きました。

『僕はサウルの子、アブドゥル・マジードといいます。この召使いの婦人が理不尽にも主人に鞭で打たれているのを見て助けたところ、憲兵に追われてここまで逃げてきました。私はどうなっても構いません。出来る限りの手当てをしましたが、お医者様に診せる必要があります。この人を保護してください。』

アブドゥルが名乗ったところ

『あぁ、確かこの子はご主人様の養子だ。』

『商や徴税の会計事を任されている賢い子だ。』

と船乗り達は答えました。憲兵のイヌの魔物は腕を組み、少し考えると

『……まず婦人を病院へ。傷の手当てを。それから少年は私と共に来なさい。お前の処遇を国王であらせられるネフェルタリ陛下に決めて頂く。』

イヌの魔物……アヌビスの憲兵に来るように言われ、アブドゥルは歩きました。港から数刻砂漠を歩いて連れて来られた大きな宮殿の大きな中庭を通り過ぎると謁見の間にはネフェルタリ陛下と呼ばれる美しい魔物がいました。

月の光を束ねたようなベールの下には褐色の肌と金の髪飾りが美しい切り揃えられた黒髪。美しい顔には燃えるルビーのような目。玉座には紅い大きな蛇が陛下に撫でられていて、アブドゥルが来るとその大きな蛇は静かに玉座の横に傅きました。

一目で高貴な方だと分かりました。アブドゥルは失礼にならないように気をつけながら跪きました。

『……面を上げよ。』

声がかかるとアブドゥルは面を上げてネフェルタリ陛下を真っ直ぐに見ました。

『ネフェルタリ陛下。私はサウルの子、アブドゥル・マジードと申します。この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありません。しかし、お会い出来て光栄でございます。』

優しくも威厳の満ち溢れる笑顔を向けるとネフェルタリ陛下はアブドゥルに挨拶を返しました。

『妾はこの砂漠の国ジプシャを治めるファラオ。ネフェルタリ4世である。……アブドゥル・マジードとやら。其の方なかなかに聡明な童である。名を覚えておこう。さて、此度の事……詳しく訳を聞かせてはくれまいか?』

アブドゥルはネフェルタリ陛下に事の経緯を話しました。

『……なるほど。アラビも落ちたものよ。お前達と商船の船乗り達を国に返す訳にはいくまい。安心せよ。あの女召使いと船乗り達は妾が直々に保護しよう。』

『ありがとうございます、陛下。』

『其方の父であるサウル殿の働きにより、遠くは霧の国まで届く海上貿易を開いてくれた借りに加え、家臣の婿探しを手伝ってくれている恩もある。おかげで我が国は潤った。その子息たる其方を無碍には出来ん。……して、これからどうするつもりだ?』

『父を……助けに行きたいと思います。あの女召使いの主人は王宮の高官であると聞きました。きっと父は私の軽はずみな行いのせいで捕まっていると……』

『殺されるやも知れんぞ?』

『覚悟の上でございます。』

アブドゥルの真剣な眼差しにネフェルタリ陛下は一瞬、怯んでしまいました。その昔、自身の命を欲した勇者の目を思い出したのです。

『……アブドゥルよ、覚えておくが良い。誠の勇気と蛮勇は似て非なるものぞ。サウルについては暫くは心配要らないであろう。連中とて馬鹿ではない。アラビの財を担う商人であり諸外国との重要人物であるサウルをいきなり殺す愚を犯す事もあるまい。しかし、妾はますます其方を気に入った。他の女の手付きでなければ妾の婿に迎えたい程よ。』

するとネフェルタリ陛下はアブドゥルの肩掛けのカバンに目を向けました。

『……その方、出て参れ。』

どうやら陛下は魔法のランプに気付いているようです。カバンの中のランプは独りでに震え、煙りと共にシェヘラザードが出て来ました。

『ジプシャ王国、ファラオであらせられるネフェルタリ4世陛下にはご機嫌麗しく、わたくしは火のジン、ランプの精ジーニーが1人。シェヘラザードと申します。』

シェヘラザードは仰々しく陛下にお辞儀をしました。

『ふん……ここまで逃げて来られたのは其の方の魔法があってからか。』

『左様で。卑しきこの身が微力ながらも我が主人、アブドゥル・マジード様のお役に立てて光栄でございます。』

『成る程……手付きではあるが、まだ " 事 "はすんでいないと見える。アブドゥルよ、其方このジーニーに何を願った?』

何かを納得した陛下はアブドゥルに聞きました。

『私の願い事は、私の国の全ての人が幸福であるように。悲しい思いをしない、痛い思いをしない、そして不幸にならない。奴隷も王様も、お金持ちも貧乏人も、皆なが幸せになる。それが……私がシェヘラザードに願った願い事でございます。』

それを聞いたネフェルタリ陛下は笑いました。

『あははは!!……それはランプの魔人の力を持ってしても一筋縄ではいかん願いであるぞ!ははは!それは正しく王の願いだ!!』

『ふふふ……でございますが故、わたくしはアブドゥル様の願いを叶える為にアブドゥル様をアラビの王にしようと思っております。』

『なるほど。アブドゥルよ、其方のような者が王とならば世は平和であろう。どうだアブドゥルよ?妾を娶ってはどうだ?すぐに王となれるぞ?』

『お、お戯れを……仮にそのような事で結納を上げさせて頂いても陛下は納得しないのではありませんか?』

『むっ……半分は本気だったのだが。まぁ、よい。』

アブドゥルが陛下の悪い冗談に胸を撫で下ろした所に宮殿の侍従が飛び込んで来ました。

『陛下!火急の用にて失礼致します!』

『何事だ?申してみよ。』

『申し上げます!アラビ王国より使者が来ております!陛下に用向きの上、謁見願いたいと!』

『以外に早かったな……。使者殿をここ、謁見の間に通せ。』

『はっ!!』

侍従は慌ただしく駆けていきました。

『アブドゥルよ妾の隣に。』

アブドゥルはネフェルタリ陛下の言葉に従いました。そうすると直ぐに2人のアラビ王国の使者とその護衛が入って来ました。使者のうち1人はあの時、女召使いを鞭で打っていた男でした。

『ジプシャが偉大なるネフェルタリ4世陛下にはこのような機会を与えて頂きありがとうございます。』

『楽にされよ。使者殿よ、妾とこの国になんと欲す?』

『此度は……!?小僧、やはりこの国に逃げていたか!!』

男がアブドゥルを見て声を荒げました。

『使者殿よ、この者が如何したか?』

『その小僧は私の奴隷を奪い、逃げた犯罪人だ!奪われた女奴隷と共に我が国に引き渡してもらいたい!』

『この者は妾の客人ぞ。いきなり引き渡す事は出来ん。』

『なっ……!!貴国は犯罪人を匿うと!?我が国とアラビ王の法と権威を蔑ろにするか!!』

『……"ネフェルタリの名において命ず。" 黙れ。頭が高い。礼をわきまえ跪け。』

ネフェルタリ陛下は静かに怒りを放ちました。凄い魔力です。使者とお付きの護衛達はその場にひれ伏してしまいました。

『それでよい。……さて、確かにこの者らは商船に密航し、貴国から逃げてきたようだ。しかし、我が王宮の憲兵がこの者らを保護した折、女召使いは女として生きられぬほどに傷だらけであったという。何故か?答えてはくれまいか?』

『………………』

使者の男は脂汗をかいて黙っています。

『"ネフェルタリの名において命ず " 使者殿よ、答えよ!!』

『……私が……日頃より……あの時も……私が……奴隷女を……鞭で……う打ち、打ちまし……た。くっ、な、何故口が勝手に!?』

ネフェルタリ陛下はファラオの命令によって尋問を続けます。

『では、妾の隣にいるこの童はその女召使いを哀れに思い、其の方が振る鞭から助け、故に追われたので、妾の国に逃げて来た事となる。違うか?』

『さ、左様でございます………くっ、どうなっている!?』

『……理はアブドゥルにある。よってアブドゥル・マジードと召使いの女を亡命者としてこのネフェルタリが保護する。咎を負うべき罪人は其の方であったな。のう?使者殿よ。』

『しかしっ!我が国の法では奴隷は私の"所有物"であり、その小僧は私から不当にそれを奪ったのだ!!』

『はて?奴隷は何処にいるのか?妾の国、ジプシャ王国の法では奴隷を認めておらぬ。この宮で働く召使いも奴隷では無く、召使いと言う役職なのだ。そこの中庭で塵を穿いておるケプリも例外ではなく、妾が雇い、妾が仕事を与え、妾が週に一度日毎の働きに感謝を込め、金貨2枚の給金を一人一人に妾の手から渡しておるのだ。奴隷制などと申す野蛮なものは有ってはならぬ。』

『……な、なんと勝手な!!内政干渉と捉えてもよろしいか!?』

『どうとでも捉えよ。亡命者2人は妾の国では奴隷では無い。……ジプシャの法では苦しめる者を助けよ。また、助けを求める者を拒んではならぬとある。何の問題があろうか?問題があるとすれば其方ら、アラビ王国の法である!!それこそ何と身勝手な事か!!』

『我がアラビ王国を侮るか!戦争となるぞ!!』

『……使者殿よ、その頭でどうするべきか考えるが良い。よもや飾りではあるまいな?皆の者、使者殿のお帰りである。丁重に見送り差しあげよ。』

ネフェルタリ陛下は手を掲げると玉座の隣に傅いていた紅い蛇が息を搾り出すような唸り声を上げ、スフィンクスの近衛が使者達を宮殿から追い出していまいました。

アブドゥルはこの後の事が心配でなりません。

『ネフェルタリ陛下……宜しいのでございましょうか?』

『なぜじゃ?』

『私の為にそこまで……』

『よい。其方らを亡命者として扱うが故、其方は今や妾の国の民。ジプシャにいる限り妾と法が其方を守る。妾の言葉を法と心得よ。』

『畏まりました。……ですが陛下、このままでは戦争が……』

『うむ……確実に起こるであろうな。理は此方に有るが故、あの者が其方らに謝罪をするのであれ、ないしは法に裁かれるのであれ、どちらにせよ"まとも"であれば遠にそうなっておったであろう。もしアラビが妾の言う所の"まとも"な人と法を持つ国であれば、そもそも其方らが妾の国に逃げて来る事も、女召使いが鞭で打たれる事もなかったろう。……先程妾が申した通り、問題はアラビ王国の法に……もとい、統治者である王にある。民を苦しめる法を敷いておる。故に国が腐っておる。』

『……恥ずかしながら、返す言葉もございません。』

『其方が謝らんでよい。それに……妾がここまでしたいと思ったのは其方の徳ぞ。誇りに思うがよい。』

この後、ネフェルタリ陛下はアブドゥルに部屋を与えたので、アブドゥルはそこで寝泊まりする事になりました。

その晩、アブドゥルが寝静まった頃

シュー……

陛下の紅い蛇がやってきました。

『シェヘラザードよ……シェヘラザードよ……』

蛇の口から陛下の声が聞こえてきます。それを聞いたシェヘラザードはランプの中から出てきました。

『これはネフェルタリ様の蛇……』

すると、付いて来いと言わんばかりに扉へと進んでいきました。シェヘラザードは蛇に導かれるままに、後を追っていきました。行き着いた先は陛下の寝室です。

『ネフェルタリ様、お呼びでございますか?』

『夜更けにすまぬ。入ってまいれ。』

扉が独りでに開くとシェヘラザードは中に入りました。

『其方を呼んだのは女同士の話である。其方の心を聞きたい。して、アブドゥルの事である。何故、アブドゥルの願いの為に魔法を使わぬのだ?』

『……旦那様の夢は沢山の人の運命に関わる願いでございます。ある程度の誘導は出来ます……しかし、それは魔法でどうこう出来るものではございません。ですから、私は旦那様がご自分のお力で叶えるべく、知識と教養を与えました。』

『そうか……。やはりな。その"ある程度の誘導"が王になり国を治めることか。其方の行く道も、アブドゥルが行く道も茨の道ぞ。今は良い。アブドゥルは純粋な童ぞ。しかし願いが叶い、王となった後、アブドゥルが道を踏み外す事も無いとは言えまい。その時其方はどうするのだ?』

『その時は……旦那様と一緒に……この世界を去ります。』

『万魔殿か……。』

『はい。』

ネフェルタリ陛下はシェヘラザードをじっと見つめました。

『……愛しておるのだな?』

『はい。……愛しております。一目見たその時から……』

『そうか……。アブドゥルは良い共連れを持った。妾はアブドゥルを……アブドゥルの夢を好いておる。その夢は誠の王が見る夢ぞ。魔王様と王婿殿下と同じ夢を……アブドゥルは見ておる。シェヘラザードよ、其方を友と見込んでひとつだけ妾から願いがある。』

『何なりと……』

『王の道とは常に暗闇と隣り合わせである。綺麗事だけではすまぬ。常に孤独だ。妾は孤独を友と出来たが、アブドゥルにはまだ若すぎよう。どうかアブドゥルを支えてくれ。』

『この身に変えても……』

『頼んだぞ?今日はもう良い。休むとしよう。』

シェヘラザードは一礼してネフェルタリ陛下の寝室を去りました。部屋に戻るとアブドゥルが静かに寝息を立てていました。

(こんなに可愛らしい……。寝ている時だけは歳相応でいらっしゃる。旦那様……不謹慎かも知れませんが、この度の事は旦那様をアラビの王にする絶好の機会やも知れません。わたくしは何としても、如何なる手段を使っても、旦那様の願いを叶えて差し上げたいのでございます……。おやすみなさいませ。)

シェヘラザードは静かにそう呟き、アブドゥルの頭をなで、頬に唇を落としてランプに戻りました。

シェヘラザードの元々の計画ではアブドゥルに本来、奴隷が持ち得ない知識と教養を与え、アブドゥルの主人である太った商人ないし、彼が無能であればアブドゥルを重用しそうな商人に取り入り奴隷の身分から脱する。その後は王宮に仕える徴税人等や書記官に取り入り王宮にアブドゥルを仕えさせ、権力者にある一定の信用を勝ち得た所で、シェヘラザードが水面下で魔物国化を秘密裏に進め国を落とし、アブドゥルを王とするものでした。

10年から20年にも及ぶ計画です。

しかし、思わぬところで好機とも危機とも取れる状況になってしまいました。

それから7日経って、アブドゥルはシェヘラザードと共に陛下に呼び出されました。

『陛下、おはようございます。』

『おはよう。楽にせよ。……して、アブドゥルよ。其方に仕事を与えたい。』

『何なりとお申し付けください。』

『先程、アラビ王国から書簡が届いた。内容は宣戦布告である。古くからの慣わしに従い、戦の取り決めをせねばならない。妾自らアラビに出向く故、其方に妾の侍従を任せたい。』

『……私で宜しいのでしょうか?』

『アブドゥルよ。其方はジプシャに来てからこの7日、書記官と会計官の手伝いをしておったな?大臣からの報告で大層有能と聞いておる。外交官として能力的にも問題は無い。それに……其方はこの件の当事者である。見届ける義務もあろう。護衛と共に直ぐに発つ。良いな?』

『畏まりました……。』

思いもよらない重責にドキドキしながら聞いているアブドゥルの横でシェヘラザードが嬉しそうに笑っています。

(ネフェルタリ様は一国を治める王として旦那様の良い手本となります。これはまたと無い好機でございます。)

少し呆れたようなネフェルタリ陛下の溜息を尻目に、シェヘラザードはアブドゥルの耳元でそう囁き、アブドゥルは頷くように目を閉じました。


さて、そう言う訳でアブドゥルはネフェルタリ陛下と共に船に乗り、アラビ王国に戻ってきました。

『妾はジプシャ王国のネフェルタリ4世ぞ。書簡を受け貴国へと海を越え参った。アラビ国王陛下へ目通りを願う。』

憲兵に案内され一行は王宮に入りました。

『これはこれは、ジプシャの女王よ。遠路はるばるご苦労。敵国である我が国に何の用で参った?』

謁見の間の玉座に座るのはアラビの王様です。

『書簡の内容と言い随分とご挨拶ではないか?アラビの王よ。此度の戦……考え直してはくれまいか?』

『どの口がほざく?我がアラビと我を侮ったお前が。』

『失礼ながら、貴国が起こさんと欲す戦も、奴隷制を許す貴国の法も、貴国の民の為になるとは思えん。無益をなぜ行うか?』

直接的ではないものの、アラビの王を愚王としたネフェルタリ陛下の言葉は王を怒らせるに十分でした。

『魔物め……貴様らに神の裁きをくれてやろう。』

『聞き入れられぬか……。日取りは?』

『7日後、貴国へと我が軍が向かう。何千何万の槍がお前を狙うであろう。せいぜい向かい打つ準備でもしておけ。』

『その必要は無い。妾の方は精鋭ばかりなのでな。剣も、槍も、弓も使わぬと約束しよう。』

ネフェルタリ陛下とアブドゥル達は頭を下げて謁見の間を後にしました。

『何処までも舐め腐りおって!!!』

王は持っていた扇を床に叩きつけました。

『大臣!!国中の全ての10歳から40歳までの男を集めよ!!!』

さあ大変です。これからどうなってしまうのでしょうか?
19/05/10 00:30更新 / francois
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■作者メッセージ
思いのほか長くなりそうですので連載にしました。
はてさて、どうなってしまうのでしょうか?

ヒロインが空気と言わないでっ!!

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