連載小説
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No where 2 side A
「お願いします」

 劇団員達の前で、頭を下げる。
 オーディションの時間は、直ぐに訪れた。
 あの日に受けることの出来なかった。1度も受けたことのなかった、最終選考。
 周囲を見れば、それなりに有名な女優や、売り出し中の若手の姿。
 その中では、未経験者(ということになっている)俺は、中々に浮いていた。

 勿論、負けるつもりは。
 この役を譲るつもりは毛頭ない。

 台詞も、演技も。何度も何度も練習してきた。あいつと二人じゃない練習は中々慣れたものじゃなかったけれど、それでも、あの日よりも一心に努力を重ねたつもりだ。
 そして何より、照明時代に溜め込んだ経験。立ち居地の気の配り方や、演技の『見せ方』。そういった新たな武器が、さらに力を強めてくれる。

 あとは、結果を出すだけ。
 オーディションの内容は簡単だ。主人公−−あいつと、あるシーンを演じて。
 主演であるあいつに、演技が気に入られればいい。ただそれだけの事だ。
 
「−−この世界が生まれる可能性は、本当に、わずか」

 静かな声で、語りかけるように。
 俺がやる役は、ヒロイン。主人公−−あいつに寄り添って、恋をする役。

「そして、私と出会う可能性はもっと低い」

 とん、と微笑みながらあいつの分厚い胸板に触れる。
 真剣そのものの、黒い瞳。
 以前見たときより、随分と逞しい顔つきになっていた。
 今の立場になるために、あいつがどれほどの努力を重ねたのか、俺は知っている。

 −−小さな心臓がとくん、と鳴る。
 上気した頬が、熱い。
 恋をした女の子のように、動きが艶やかに変わっていく。
 それは、一人で練習していたときには、出来なかった動きだった。

「−−だから、この出会いは。奇跡なんだよ」

 −−役に入り込めている。

 俺は、そう思う事にした。



−−−−−


「−−よしっ」

 オーディション合格の通知が届いたのは、それから三日後の事だった。
 自宅の黒電話で通知を受け取った俺の顔は、何時にもない笑顔。
 この身体になってから、本当に表情を作るのが簡単になった。
 事故をしたときには、あんなにマッサージやリハビリを重ねて、それでも変わらなかったというのに。世の中というのは、なんというか理不尽だ。

 それと同時に、誤魔化すのが、難しくなったと思う。
 オーデションの時も、随分と焦ったものだ。
 あいつの顔を見るたびに、どきりと真っ赤になる。
 座長の人は「表現が上手くできている」という風にいっていたけれど、本当は違う、ただ単にそういう顔になってしまうだけだ。
 嫌な顔とかも、出てしまいかねない。だから一生懸命誤魔化すように表情を変える練習をする。
 表情を作る練習をしていた俺が、表情を消す練習をする。
 なんとも因果な話である。

「と、そんなこと考えている場合じゃないな」

 時計を確認しつつ、練習場所へと走る。
 役を射止めてからが本番なのだ。
 オーディションだけで満足したら、いい役者にはなれない。
 役を射止めて、舞台の上で活躍して。それで初めて一人前。
 あいつと同じステージに立つには、まだ、遠い。

 走りながら、メールを確認する。
 昔の俺の名義で送った最後のメール。

「さよなら。もう二度と会えない
 けど、ずっと応援してる
 ずっと−−前を向いていて欲しい」

 文章としては、本当に稚拙で。
 ただ思ったことを羅列しただけのものになってしまった。
 その返事は、未だ帰ってきては居ない。



−−−−−


「カット!−−まだ、初々しすぎるな」
「……っ、すみません」
「申し訳ないです」

 舞台監督の言葉が、場内に響く。
 練習は順調とはいいがたいものだった。
 最初のうちはいいのだけれど、二人の距離が縮まってからの距離感が上手くつかめない。

 あたりまえの話だ。

 俺は、最近まで男だったのだ。
 男同士の付き合いでしか、あいつを見られていない。
 それが、表情の隠せない俺の欠点と相まって、上手く演じきれない。
 いくらあいつが上達して役者として一流だとしても、俺がしっかりしなければ舞台として成立しない。
 随分迷惑をかけてしまっている。
 焦りが心を支配して、そのせいでもっと演技が崩れてしまう。

 オマケに、あいつに対して演技以外の場所で、俺は目を合わせることが出来なかった。
 表情が勝手に暴走して、伝えたくないことまで、伝えてしまいそうだったから仕方のないこととはいえ、それでもあいつには悪いことをしていると思う。
 表情がなかったことに甘えていたつけが、こんなところでやってきていた。

「−−うーん。役作りをもっと徹底してみようか」

 頭を抱える俺に座長が提案したのは、そんな言葉。
 隣に居るあいつはその言葉で何かを察したらしく、どこか遠くを見つめていた。

「お前らの役は同棲している恋人の役、だろ?」
「は、はい」
「だったら、簡単だ−−お前ら、しばらく共同生活しろ」
「……はい?」

 共同生活……?
 いきなりの展開に、頭が追いつかない。
 あいつと、俺が?
 満面の笑みを浮かべた舞台監督は、混乱する俺の肩を叩いたのだった。



−−−−−


「ほい、夕食。できたぜ」

 俺達が以前住んでいたアパートより若干広いマンションの一室。
 壁一面の台本と資料が入った本棚のある部屋が、今のあいつの根城だった。

「今日は、リクエストにお答えして豚の生姜焼きだ」
「ありがと」

 男だった頃と変わらない口調であいつの前に皿を置く。
 家に着くなり、あいつが指摘したのがこれだった。

「もっと、自然な口調で話してほしい。ずっと演技するのは疲れるだろ?」

 普段の口調が演技だと言う事は、あいつにはバレバレだったらしい。
 演技派のつもりだったので、見破られたのは少しショックだ。
 とはいえ、気楽なのは確かにありがたかった。
 ずっと演技し続けるのは、たしかに疲れるのだ。あいつの心遣いに感謝だ。

「−−美味い」
「そいつはどうも」

 がっつくあいつを見ながら、蜂蜜で漬けた豚肉を使った生姜焼きを、一口食べる。
 うん、良い出来だ。
 あいつの好きな甘辛い味が、柔らかい豚肉に良く絡んでいる。

「懐かしい、味がする」
「……そうか」

 あいつと目を合わせないように、俺は隣の味噌汁に手を出しながら生返事を返す。
 最初は、レシピを変えようとも思った。そうすれば俺だっていうつながりの一つが絶てたのだから。
 だけど、このレシピは。
 肉を柔らかくするためだけでなく、いつも頑張っているあいつの体力を回復するために蜂蜜をいれたこれは、あいつのためのものだから。
 気付いたときには、この生姜焼きを作っていた。
 
「……」

 上目遣いに、あいつの姿を見る。
 この角度なら、あいつとまっすぐ目が合うことはない。
 こうして過ごすようになってから、すでに二週間の時が経っていた。
 あの頃のように、家事は当番制にして、今の状態に慣れようといろんなことをした。
 デートシーンを練習するために、二人で買い物に行ったりもした。
 けど、あいつと目を合わせることは−−、あの黒い静かな瞳とまっすぐに向き合うことは、出来なかった。 



−−−−−−

 あの晩−−デートの練習をした、その日のことだった。
 

「……っ、あっ……」

 出来る限り声を出さないように俺は布団の端を噛む。
 かみ跡が、白い布団の上に残って、唾液がじわじわとしみこんでいくのも気にせず、強く、強く。
 襲い掛かるのは、ぴりりとした電流のような快楽。
 布団と、歯の隙間から小さな声が、漏れ出てしまう。

 俺は、自分を慰めていた。

 右手が別の生き物になったように、そこを嬲る。
 小さく隆起した豆を撫で、時折奥へと指を進める。
 ぐちゅりと、水音がするたびに、勝手に体が跳ねて、そのたびにくぐもった音が出て行く。
 左手も侵略に協力的で、勝手に俺の乳首を攻め上げて、全身が空虚な幸福感に包まれる。

「−−っ!?」

 同棲して、しばらくたってからは毎日。
 俺はこうして自分を慰めるのが癖になっていた。

 こんな事してはいけない事は分かっている。
 あいつの部屋を汚してしまうし、バレたらきっと、嫌われるかもしれない。
 もしかしたらもうバレてしまっていて、心の底ではあいつに軽蔑されているのかもしれない。

 けれど、とめられない。
 やめようと、思っているのに。嫌なはずなのに。
 この部屋に居るだけで、あいつと暮らしていると考えただけで。
 勝手に、手が動く。
 毎日、行為の終わりには自己嫌悪が襲ってきて「これで最後にしよう」なんて考えているのに。
 まるで、麻薬みたいで−−止められない。

「はぁっ……ふっ……っ」

 視界の端には、ソファで寝息を立てるあいつの姿。
 それが、狸寝入りだった事に気付かないまま。

 俺は、快楽に溺れていた。
16/11/05 18:12更新 / たんがん
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■作者メッセージ
今回は、二人共あとがきは無しです。

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