連載小説
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その9 エピローグ それでも星は巡る

「これは冗談でも嘘でもない。一片の曇りもない真実だ。」

男の話が終わった。其処には男の話を静聴していた多くの者達がいた。
だが、誰も動かない。誰もしゃべらない。
マネキンの様に動かない皆の様子を見て、演説していた男が再び口を開いた。

「ごく最近まで私も知らなかったとはいえ、貴様たちを騙す形になった事を謝罪する。
話を聞いて去りたいものは去るがいい。付いていけぬと感じたなら背をむけろ。
罰を与えたり追撃したりなどはしない。それが今まで尽くしてくれた貴様たちに対し、
私が取れる数少ない礼儀だからな。」

そう言ってデュケルハイトは頭を下げた。
その姿に場は騒めき始め、一気に喧々囂々(けんけんごうごう)とし始めた。
普通であれば絶対に見せぬ謝罪の姿に、集まった将達はその言葉が嘘偽りない事を実感した。

緊急の招集の元、各地を治める将が皆集められた。
そこでデュケルハイトは自分が知る事となった、この国の実情を彼らに暴露したのだ。
その中には当然シルバとゴルドの姿もあった。

「兄者・・・・・・どういうことだべ? おらさっぱりわがんね。」
「・・・貴様に理解出来るように説明できる自信が無い。
この国を出たいなら今から自由に出ていい、
デュケルハイト様のそういうお許しが出た。
それだけ理解しておけばいい。」
「そが、で兄者はどうすんだべ?」
「・・・我は、ダラムス様とハイドラ様に恩義がある。
御二方が抜けぬというならついていくまで。」
「ふーん、ほんじゃおらも兄者についてぐべ。そうすりゃ間違いね。」
「少しは自分で考える事だ。貴様なら恐らく、外でも受け入れ先の一つくらいあるはずだ。」

ゴルドはぴたりと人差し指をシルバの額に当てて言った。
だがその人差し指をキョトンと見ていたシルバは、
やがて笑顔で言った。

「考えでっぺよ。兄者、考えでおら兄者にづいてぐって決めたんだべな。」

その笑顔は幼き日、生まれ落ちた日の事をゴルドに思い出させる。
ゴルドは嘆息して呟いた。他人には判らぬくらいに口角を上げながら。

「愚弟が。」

だがそんな風に穏便に済むところばかりでは勿論ない。
無言でデュケルハイトの居る檀上に背を向けるローブを目深にかぶった男、
そしてその男の肩に手を掛け、男の歩みを遮るもう一人の男がいた。

「何処行きやがる。」
「決まっていよう。離せ・・・火傷するぞ。」

強引に行こうとする男、だが睨み付ける男の握力は尋常ではなく。
ローブは今にもはちきれんばかりにギュギュッと音を立てていた。

「何様だ。おこがましいぞ!」
ローブ男が身を翻すと同時に、掴みかかっていた男が突然燃え上がった。
全身を一瞬で、足元から吹き上げたかのような火が覆い尽くす。
男のシルエットは黒く炎に浮かび上がり、
彼は人間トーチとなって轟々と燃える。
だが離さない。その握力は微塵も揺るがずローブごと男の肩を握り続ける。
耐火性があるのかローブは燃えぬものの、流石に煙を上げている。
そしていきなり炎が大きく翻る。燃えているためモーションが判りづらいが、
男は火達磨になりながらも、大きくもう一方の腕を振りかぶっていた。

拳で体を殴ったとも思われぬような、大音量のくぐもった低音が衝撃波と共に響く。
人という質量と床の摩擦を無視するように、
殴られた男は両足を付けたまま地面を火花を上げて高速で滑っていく。
足をつけている箇所は燃え上がり二本のフレイムロードを地面に描く
事前に察知していた周囲のものが道を開ける様に跳び退る。
そして迫る壁に対し腕を上げ壁に体が激突する前に、
ジェットコースターのようなその勢いを腕一本で殺す。

燃え上がった男は、パンチの際に発生した音速越えの衝撃波で自身の炎を吹っ飛ばしていた。
燃える前の姿から一変、黒い甲冑の表面に血管が走ったような鎧を付け、
首元から上は、先を魔女の爪の様に曲げた六角錘に、
顔を出す穴をあけた様な特徴的な兜で覆われている。
「火傷するにはちとぬるいんじゃあねえか? 炎将。」

一方、殴られた男もその一撃でローブがはじけ飛び、
中の姿を晒していた。履いていた靴も摩擦で焦げ臭い大気となり裸足だった。
その服の下からはこれまた奇妙な姿が現れる。
男は中心で左右非対称になった仮面をつけている。
片方が泣き顔、もう片方が笑顔をした悪魔の様なデザインである。
そして体は黒いタイツの上から外骨格の様に骨を纏ったような奇抜なものだ。
「もうその名で呼ぶのは止してもらおう。
私はもう此処を出て行くのだから、予言しよう、この国の亡びはもはや避けられん。
だがその前に貴様は殺していくとしよう。撫でられた事は兎も角、
服と靴を台無しにされたお代位は頂いていく。」

ローブの男は塵を払う様に殴られた胸を撫でる。
強がりなどではなく、拳はその外骨格に遮られまるで効いていないようだった。

「殺すたあ大きく出たな、やってみろ。」
「造作も無き事。」

ローブの男は背中から骨と被膜によって形成された翅を生やし、
そして手首の所から外骨格を変形させ、恐竜の爪の様な外向きのブレードを形作る。

両者ともに大地を蹴って肉薄、再び轟音を響かせるかと思われた。
だが両者共に気づくと180度反転、後ろに向きを変えられていた。
背中合わせになった二人の間には、
何時の間にか黒いマントを羽織りヘルメットの様な兜を被った男がいた。

(俺の一撃を・・・ちくしょう。)
(二人分の虚を同時につくか。)

黒マントは両者の呼吸の間を読むと、意識の隙間を縫う様に一瞬で中央に躍り出ると、
二つの攻撃を同時に風車の様に受け流して、その勢いで彼らの体を強引に流させたのだ。

「やめい、戯けめらが・・・」
「あんたか・・・じじい。」
「グレゴール翁(おう)・・・まさか貴殿まで止めますまい?
それとも途中まで一緒に行きますかな。貴殿とてこの国に義理立てする立場ではないはず。」
「・・・キリエル、太古に武力で平定され、傘下に入ったお主らが抜けるのも仕方のない話じゃ。
とはいえ、皆も混乱し浮足立っておる。ゴルザの戯けが忠義から先走ったのも水に流されよ。」

戯け呼ばわりされてゴルザと呼ばれた男は納得が行かぬ様子だ。

「だがよじじい、勝手を許したら示しがつかねえだろう。この国が分解しちまう。」
「若の言われた事を貴様が台無しにしてどうするこの不忠者。
何か考えがおありなのじゃろう。しばしお言葉を待とうぞ。」

ぴしゃりと言い返されて黙るゴルザに代わり、
キリエルと呼ばれた外骨格男が割り込んでくる。

「ふむ、翁は残られるか。腕を買われ客人として此処にいるだけというのに。
先など無い此処に何故固執なされる?」
「・・・濁った沼しか水の合わぬ魚もいる。それだけの事じゃて。
只力を求め続け、勇者という立場を追われ、行き着いたのが此処じゃった。
そうしているうちに世界は変ってしまった。
わしの如きむさい老骨には、今更新天地を探すは少々骨じゃ。
御主こそ、何ぞ外にあてでもあるのか?」

グレゴールの問いにキリエルは答える。

「ふふ、元々我らは原初よりあるもの、聖なる火を崇める者達。
外では教団の影響力が揺らぎ、その信仰が薄れてきていると聞きます。
我ら一同その混乱に乗じ、巡礼者となって一から諸国に再び布教していくつもり。
道は険しかれど、我らが理想、我らが信仰を再び広めるという目的の為行くのです。」
「そうか・・・達者でな。敵として会わぬことを願っておるわ。」
「私も、其処の馬鹿は兎も角、翁とはやりあいたくありませんな。」
「んだと?! ちっ、さっさと行けや。」

また掴みかかりそうになった自分をゴルザは抑え、
ブスッとした顔で檀上のデュケルハイトの方へと向き直った。
そしてキリエルは翅や爪などをしまうと、そのまま一度も振り向かずに其処を立ち去った。

3人の起こした小競り合いは場の混乱を一時的に止め、
3人の話し合いとキリエルの離脱は、
その後の離反者達と周囲の者達の摩擦を、少なからず減じる役目を果たした。
半分以上は残ったが、それでも少なくない人数が踵を返してその場を去った。

そんな様子を檀上から黙って見ていたデュケルハイトであったが、
もう動く人影が無いと判断した後、再び話し始めた。

「未だに私の意を汲み、離反者を見逃しあまつさえ此処に残ってくれている皆に、
深く感謝の意を伝えたい。私は国が国なら王太子、次期この国のトップになる立場だが、
この国の長に寿命は無い。そしてこの国の長が武力での侵攻をほぼ諦めているのが現状だ。
先ほども話したように我らの果たすべき目的は、
大司祭様達率いる新たな同胞達が遂行してくれている。
そしてこの国はまことに泥船と言っていい、時代に取り残されただ沈むのを待つ定めの残骸。
乗っている我らはそれを待つ者達だ。私もこの事実を知り多いに悩み迷った。
この国を解体し大司祭様達の勢力に献上する。
その後残された皆で新たな植民先となる星を探し旅立つ事も考えた。」

そのデュケルハイトの言葉に、一部の者達が動揺と騒めきを持って返す。
声を上げぬ者達も内心では皆、多かれ少なかれそんな事が出来るのか?
それで本当にいいのか? という問いが渦巻いていた。

「皆の不安は判る。もしするとしても、連れていけるのは半神である将達までになるだろう。
他は信徒共々、此処に残して大司祭様達に面倒を見てもらうのが現実的だ。
だが、此処に残ってくれた皆は考えているはずだ。
それでいいのか? と・・・義理も義務も立場も無い。
だからやる必要など全くない。勝機も勝算も展望すら無い。
投げ出したって誰も後ろ指など指さぬだろう。
だが、それでも・・・それでも私はこの国の有り方を、
私のしてきた事を投げ出すつもりは毛頭無い。」

先ほどとは違う意味での騒めきが会場に広がる。

「愚か、やけっぱち、向こう見ず、意地になっているだけ。
そう思っているか? だが考えてみるがいい、
困難な状況自体は何も変わっていない。
後は我々がどう自身と折り合いをつけるかというだけの話なのだ。
そして私は・・・今まで暗闇の子として恥じぬように、
この国を率い皆に命を下してきた。情報を集め奸計を巡らし、
隙あらば奴らの喉元に喰らいついて、その勢力や領土を削り頂いてきた。
その成果は掛かった年月を思えば微々たるものだ。誤差の範囲と言ってもいい。
大局で見ればあっても無くても変りの無い揺らぎの一つ。
だというのにそんな事を続ける理由はな、それが私だからだ。
地位も名誉も義務も、全てを捨ててまっさらになって考えた。
そして私は理解した。始まりは義務でやっていた事だったが、
私も結局はそれをけっして嫌ってはいなかったという事を・・・
自身も楽しんでやっていたという事を・・・私は私の意志でやりたいからやる。
これからも武を持ってこの星に覇を唱え続けよう。
何、主神がこの星の覇権を握っていた期間は、魔王がそれを覆して今に至るまでより遥かに長い。
そんな盤石と思われた天界の体勢も時と意志が覆してしまったのだ。
やってみる価値はあるというものだろう。
そして、この場に残ってくれている皆は思惑はそれぞれ違うだろうが、
この国の有り方を肯定してくれていると信じる。
甚だ心もとない私だが、もう一度その命を預けて欲しい。
そんな皆の為、そして何より私自身の為に、
私は再び夢を見よう。そして親愛なる貴様らにも同じ夢を見せてやる。
だがもう一度だけ言う、茨の道だ。
覚悟亡き者は去るが良い、迷いのある者は不用だ。
全てを受け入れて、それでも尚此処に立つ者だけ残るがいい。」

それだけ言い切ると、デュケルハイトは皆を端から一瞥していった。
だが、今度は誰もその場を動くものはいなかった。
デュケルハイトを含め、その顔には皆覚悟があった。
絶望的な状況下でも、下水に咲く一輪の花の様な希望がその顔にはあった。
誰も何も言わなかったが、その顔とその場の空気が何より雄弁に語っていた。

「同士諸君。我が生涯にて最上の感謝を。」
デュケルハイトはもう一度皆に頭を下げた。
会場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。

彼の少し後方に佇んでデュケルハイトを見るシェリダンの顔は、
澄ました穏やかなものであった。
(為さりたい様になさいませ。何処へも、何時までも御傍におりますゆえ。)


※※※


薄暗い部屋に響く大きな音、
そして同時に響く甘い嬌声。
「ッンア♥」

裸に近い格好で特殊な紐で縛られ吊るされているのは、
魔王の第四王女デルエラ本人だ。
その白く肉付きの良い臀部と太ももは紅葉の様な跡がいっぱいついていた。

「心配したんだぞ。」
バシン! 「あゝ♥」
「どうして父さんと母さんが出てくるまで待てなかったんだ!!」
バッシン!! 「んん♥」

その紅葉を蒔いている本人は彼女の父親だ。
妻の求めに応じて絡み合ってる間に、
娘が勝手に動いて危険な事をしたため現在お仕置き中なのだ。

「申し訳ありませんお父様。」
「・・・・・・まあ、そのなんだ・・・大変な時にゃんにゃんしてた俺達も・・・」
「もう少し・・・強くしていただけると・・・」
「あん?!」

腕組みして神妙にしてた父は、
娘が舌を大きくだして発情した犬の様に蕩けているのに気づく。

「こんなに愛して頂いたのは久しぶりですもの♥・・・もっと強く♥♥
愛を刻み込んでくださいお父様ぁ♥♥♥」

「お前・・・今どういう状況だか判ってる?」
「ええ、存じております。お母様に少々飽きてこられたから、
お仕置きと称して久しぶりに愛娘の尻を思う存分、
撫でて摩って叩いてしまいには突込みたくなった。そういう事ですわよね。
いけないデルエラに、もっときついお仕置きして・・・・・・パ・パ♥」
「ちっげええよ。後なにさらっとあいつに聞かせらんない事口走ってんだこの非行娘。」
「何を聞かせられないのかしら・・・」

おう ゴッドよ 

その時の父親の顔を端的に言い表すならその台詞が相応しい。
彼の背後にはぴったりと何時の間にか妻の冷たい笑顔があった。
彼にもっとも恐ろしいものは何かと聞いたら答えるだろう。
その妻の笑顔が一番恐ろしいと・・・

――――――――

「ハッ?!」 ピキィイン!!
「どうしたのぉ〜〜〜?」
「・・・・・・いえ、今誰かが私に救いを求めていたような・・・」
「・・・聞こえないわぁ、波のお〜、音じゃなあぃ〜〜?」
「・・・・・・それもそうですね。
どうせ・・・今更私なんかに祈り救いを求めるものなど・・・
聖都に行っても・・・誰も私に気づいてくれないのですよ。
信心などと皆口だけです。信仰の象徴たる私が不敬な偽物扱い。
噂には聞いていましたが、下界の退廃はもう留まるところを知りません。
ある哲学者は言いました。神は死んだ!! 全く持って至言です。」
「えぇ〜〜〜、貴方がぁそれを〜〜言っちゃうのぉ?」
「ヒック・・・どうせ・・・どうせ主神だとか言っても行き遅れの売れ残り。」
「駄目よ〜、諦めたらそこで乙女終了なんだからぁ、もう・・・だいぶ飲んでるわねぇ。」
「ヒククッ・・・葡萄酒おいちぃ・・・」

男にとって幸か不幸か、ゴッドに祈りは届かなかった。

――――――――

「誰が誰の何に飽きたって?」
「フフ、どんな御馳走だって毎日食べればたまには少し違う味付けが欲しくなるもの。
お母様の血を引く娘、お父様にとって少し違う味付けにこれ以上相応しいものもないかと。」
少々挑発的にデルエラが言う。だが彼女の母親はその言葉を取り合わない。

「・・・あなた。」
「は・・・はひ。」
「悪かったわね。」
「え?」
「男親に娘のお仕置きを任せてしまったのは私の失敗でした。
貴方は優しいものね、こんなうらやま・・・じゃなくて甘やかした手緩い沙汰では、
この子にはお仕置きたりえませんわ。」
「・・・判った、任せるよ。俺は行った方がいいかな。」
「駄目よあなた。この子へのお仕置きタ〜イムには貴方の協力が不可欠。」
「そ・・・そうか。で、どうするんだ?」

そう言った男の前にツカツカ歩み出る妻、
そしてデルエラの数m隣で止まると、
普段謁見の際に玉座で羽織っている余所行きの豪奢なマントを翻した。
そして翻ったマントが床に落下したその向うには、
その一瞬でデルエラと同じ様に肌に紐をくいこませ、
天上から吊るされている雌の姿があった。

ちなみに普段から裸マントというわけではなく。
その一瞬で紐を出して結ぶと同時に、
衣服は魔力で畳んで箪笥の中に飛ばされたのだ。
早着替えと早緊縛は魔物(しゅくじょ)の嗜み。
彼女が何時も年頃の娘達に言い聞かせている言葉である。
それを彼女は余りにも鮮やかに実践した。

無論速さだけにかまける様な視野の狭い言葉ではない。
あくまで夫の求めあらばそれくらい出来て当然、
それぐらいの心持ちで常に己を磨くべし、
という彼女の母としての、娘たちへの熱いエールなのだ。

マントの向う側では、その瞬間を見ていたデルエラでさえ目を見張っている。
「流石ですわお母様。この私の眼を持ってしても、三結び目までしか追えない何て。」
「いいえ素晴らしいですよデルエラ、貴方こそ流石です。
今のを三つまで目で追える何て、きっと今それが出来るのは貴方以外では長女だけです。
ですがそれはそれ、貴方へのお仕置きはきっちりと行います。」
「具体的にはどうするんだ。」
「勿論、先程あなたがデルエラにしていたように、
私にキツイお仕置きをするのです。この子の鼻先でね。
そしてその間、貴方はこの子にびた一文触れてはいけません。
視線でさえ勿体ないというものです。」
「そ・・・そんなっ!! 何て恐ろしい事を考えつくの。」

デルエラの絶望的な悲鳴が上がる。
そんな彼女を見て母は神妙に語る。

「デルエラ・・・貴方の前では母として振る舞う事も多いですから忘れがちでしょうが、
私は魔王、必要とあらば誰よりも残忍になれるのです。」
「流石ですわお母様。舌先に禁断の果実をぶら下げられたかのようなこの仕打ち。
魔物にとって何がもっとも残酷か、誰よりも理解しておられる。」
「・・・そんで、きつくってどれくらいきつくだよ。」

父は母と娘のテンションに若干ついていけずも、
己の役割を果たそうと何とか頑張っていた。

「そうね、最高にキツイのをお願いするわ。
この城で初めてあなたと会ったあの時くらい激しく。」
「お前に犯された方じゃなくって俺からお前にした方だよな?
・・・・・・れ・・・レギュレーション大丈夫かな〜。」

夫は思い出したくもない事を思い出したようで、苦虫を噛み噛みした様な顔をしていた。

「ああ、流石ですお母様。そればかりは・・・御父様から私には生涯頂けぬご褒美。
で・・・でも、そんな素晴らしいものを見れるだなんて、それはそれで・・・」
「あら・・・あらあらあら、珍しく察しが悪いのねえデルエラ。
視線ですら勿体ない、この言葉から察するべきよ。」
「そ・・・それは、でもそんな。ああ! 残酷すぎますお母様。」

デルエラは一瞬で黒い球体に覆われ、外から音も映像も一切受け取れぬようにされる。
そして中には彼女の母の声が念話で響いていた。

{絶望とは希望を手折る事で鮮烈さを増します。
貴女は目と鼻の先にありながら、けして触れも感じも出来ぬものに焦がれ身を焼かれる。
それが私からの貴方への仕置きです。猛省なさいデルエラ、
此度の件、一つ間違えば惨事になっていましたよ。}
「申し訳ありません。お母様・・・」

(でも、魔王としてのお母様を久しぶりに観れて、それは嬉しく思ってしまいますわ。)

黒い闇の中でブラブラとぶら下がるデルエラ、
彼女は外で父と母の遊戯がひと段落つくまで数日、地に脚を付ける事を許されなかった。

「さあ、あなた、激しく、甘く、熱く、優しく、私を殺して。」
「御望みのままに。」


※※※


「ぬ〜〜〜〜〜〜、う〜〜〜〜〜〜。」
「これは酷い。」

少女は死人の様な唸り声を上げながら、寝汗とあるもので布団をびっしょり濡らす。
接地面の多い上半身よりも、下半身の方が多くの水分を吸収しているのは、
彼女が出しているものが汗だけではない証左と言えた。

「僕がいけないんです。僕がミアお姉ちゃんより先に起きれなかったから。」
「うーん、成程、ミアちゃんはおねしょを克服したわけじゃなかったわけか。」

悪夢を見てるらしき少女の傍らには、輝く白い甲冑で全身を覆った騎士と、
透くような銀髪に赤い瞳をしたショートカットの優しげな少年がいた。

「・・・はい、ミアお姉ちゃんは寝つきが良くてちょっとやそっとじゃ起きません。」
「そうだね、僕も知ってるけど、熟睡中はたぶん隣で城一つ吹っ飛んでも起きないと思う。」
「です。でお姉ちゃんは僕におねしょを見られるとすごくガッカリするんです。
だから僕、お父さんの書斎とか図書館で必死に勉強しました。
二度とお姉ちゃんのガッカリを見たくなかったから。」
「それで覚えた唯一の魔法が水分の蒸発とおねしょ成分の分解というわけか。
初歩の水魔法とそこそこ高度な解毒魔法の合わせ技・・・また随分と器用な覚え方だね。
順番に習得するよりある意味難しいはずだけど、お姉ちゃん思い何だね。」

ツァイトの言葉に少し語弊があったか、少年は頬をかきかき補足した。

「・・・ミアお姉ちゃんはその・・・隣に居ても安心できるっていうか。
他のお姉ちゃん達もとっても優しいんだけど、
何かよく判らないギラギラした目で僕の事見てる事が時々あって・・・」
「ああそうか、魔物の貞操観念や性欲はよく判んないけど、家族や兄弟も全然OK何だっけ?
独身時代なら行き過ぎたスキンシップも、兄弟同士のハグとかキス感覚なのかもねえ。」
「僕まだ小さい所為か、お母さんやお姉ちゃん達のそういう感覚は判んないんです。
お母さんは何も言わないけど、僕がそういう事言うと少し残念そうな顔をします。
お姉ちゃん達に比べると、そういうのが凄く遅いんだそうです。」
「お父さんもそんな感じ?」
「お父さんは・・・元々人間だった事もあるせいか、
お前はお前だから焦んなくていいって、頭撫でてくれます。
少しずつ、どうなりたいか周りの人達を見て考えてみるといいって。」
「そうだね。焦る必要なんて全然ないさ。僕も君に比べれば少しだけお兄ちゃんだけど、
まだまだ全然そういうの見つかってないからさ。」
「ツァイトさんも?」
「うん。」

「ぬが〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
そんな二人の話を中断するように、一際大きな唸り声を上げてミアが布団を蹴飛ばした。

「だから今回ミアお姉ちゃんが無理したのは、
僕が久しぶりに夜更かしして熟睡しちゃって、
ミアお姉ちゃんより先に起きれなかったのが原因なんです。
ミアお姉ちゃんは青い顔で違うのです・・・違うのですって頭を抱えてました。
起きた僕を見てこの世の終わりみたいな顔してました。
今回ツァイトさんを巻き込んで無茶したのも、見られたおねしょの汚名返上の為だと思うんです。」
「・・・ミアちゃんもたった一人の弟の前では、姉として格好をつけたかったんだろうねえ。
それだけ君の事を好きなんだと思うよ。」
「はい、判ってます。お姉ちゃん、あの後ずっと悪夢にうなされて起きても元気が無いんです。
聞いた話だとツァイトさんは時間を操作して記憶を跡形も無く消す事も出来るとか。
消して欲しいんです。ミアお姉ちゃんを苦しめる恐怖を・・・」

ミアは直接殺意を向けられたわけではなかったが、
それでも闇の上級神、その戦闘時の魔力に鼻先で晒され、
完全にあてられてしまっていた。

「御安い御用さ。そのために態々来たんだ。これをこのまま放置したんじゃ。
あの人に頼まれたお目付け役失格だ。色んな意味で顔向けできない。
・・・・・・それにしても・・・この技を君に使う事になろうとはねえ。」

ツァイトはぴしりと右手の指をしっかり伸ばして構えた。
そしてそのまま若干不可思議な姿勢でチョップをうなされる少女の頭へと振り下ろした。
「イヤァッ!」
「リャオタン!!」
「な・・・何て冒涜的な角度何だ?!」

その時、宇宙的数式によって求められた非対称性の、
非幾何学的直線の軌道で振り下ろされた多次元宇宙に通じるチョップの衝撃が、
ミアの御凸から海馬へと抜け、あの日あった全ての出来事を、
混沌の中心付近に坐する犬の舌へと吹き飛ばして供物へと変えてしまった。

その衝撃は流石の爆睡姫の沈んだ自我も揺り起こしたようで、
彼女は眠い目を擦り擦りしつつ、意識を悪夢より取り戻していた。
そのわずかな間に、聡い少年は自分の為すべき事を為していたため、
彼女の下半身付近にあった、世界地図の切れ端は綺麗に消えていた。

「・・・おはようですね。何か珍しい組み合わせなのです。」
「おはようミアちゃん。寝覚めはどうだい?」
「何時だって快眠快起、乙女の美貌の秘密は夜にありなのです。」
「そっか、良かったお姉ちゃんが元気そうで。」
「・・・ん? エスト、何か元気無くなるような事があったですか?」
「いやいや、寝汗かいてたみたいだからさ。何か悪い夢でも見てたのかなって。」
「・・・本当ですね。まあレディは過ぎた事を気にしないものなのです。
何はともあれ、喉が渇きました。何か飲み物持ってくるのです下僕1号。」
「はいはい此処に。」

時間を停止して何処からか持ってきたらしく、
ウンディーネの水をグラスに入れて二つ、
ツァイトの腕にはお盆と一緒に、それらがカランと氷入りで載っていた。

「うむ、流石の対応ですね。下僕っぷりがだいぶ板についてきたのです。」
「まあ付き合ってそこそこになるしねえ僕ら。はいエスト君も。」
「ありがとうございます。」

一人は失った水分を、もう一人は失ったMPをその水から補給する。
腰に手を当てて同じタイミングと角度で飲み干す二人を見て、
ツァイトは兜の中で微笑んでいた。
(やっぱり姉弟だねえ。さてさて、君達も僕も、これからどんな風になっていくんだろうね。
今日吹く風は何処へ向かうか、母上、今日も健やかな一日であらんことを。)


※※※


ごつごつとした岩肌に弾ける波しぶき、
天気は悪くないというのに波濤が海岸線をぐねぐねと大きく曲げる。
そんな船にとっては難所と言える場所に立つ二つの影があった。
ダラムスとハイドラの二柱である。

「そろそろ時間ね。」

そう言って海原に一瞥くれるハイドラ、
だが彼女らの周囲には見渡す限りの海と空、
そして武骨な岩肌で形成された海岸線が伸びているだけだ。
海を行く船影も、空を飛ぶ鳥も、岸を歩く人影も見えぬなか。
それでも彼女らに焦りの表情は無い。

「今頃デュケルハイトの方はどうかしらね。」
「一触即発、諍イ必至、後ハ規模、ビッグカスモールカノプロブレム。」
「まあ炎魔人キリエル、狂魔人エノメナ、異端魔女ギ=ランボらへんは揉めそう。
よくもまあ御父様はこんな事を許可したわよね。」
「迷ワズ不合理ナ決断。理解出来ヌト仰セ。
故二、心ノ研究進ミソウトノ事、メイビ―、喜ンデイル。」
「我が父ながら御気楽なもんだわ。抜けた人材の穴埋めも楽じゃないっつうの。」

そんな悪態をつくハイドラの数m先、浪間から何やら白いものが浮かんでくる。
ゆらゆら水面下から現れたその白いものの下には人の頭が付いている。
白いそれはフリルの付いたカチューシャだ。
その下には澄ました女性の顔と、黒のワンピースに白いエプロンドレス姿。
ザ・ヴィクトリアンメイドと言った装いの女性が、
無表情に海中から険しい岩肌を上がってくる様は大変にホラーでシュールだ。
素材は防水加工をしてあるのか、水気を吸って生地がヘタレた様子は無い。

そんな彼女の様子を見てもハイドラ達はまったく動じない。
そこからメイドが彼女達の待ち人なのだろうと推察するのは難しくない。

「あんたがミスターX? 違うわよね。
初対面の商売相手に人形寄越す何て礼儀がなってないわ。」
「・・・しばしお待ちを。マスターと御繋ぎいたしますので。」

彼女の頭頂部からモーター音と共に、ラジオのアンテナの様な細い金属の折り畳み棒が伸びる。
そしてパクンと胸部が衣服ごと前面に押し出されると、クルリと反転し元の場所に収まる。
どうやら上半身は服の様に表面が加工されたボディだったようだ。
脚と分離しているスカートは別物だろうが、その継ぎ目が何処かは見た目では判別出来ない。
凸だった胸が機械的な凹に代わり、其処が震えて男の音声が飛び出す。

「テステス、マイクテス、聞こえているかね。」
「良く聞こえているわよミスターX、それとも人形作家(クリエイター)と呼んだ方が?」
「好きにするがいい、それはそうとそちらはペンネーム母なる魚人で相違ないな。」
「ええ、貴方のビジネス相手よ。」
「フム・・・魚人は兎も角・・・どこに母の要素が?
そうか・・・母なる海の水平線に掛けておるのだな。」
「・・・てめえ何処を見て言ってる?」
「シスター、ビッグカスモールカ何テ些細ナプロブレムダ。
恥ジライ&感度コソインポータント。」
「・・・ダラムス兄ぃがそう言うなら・・・それはそうと何で本人が来ない?」
「決まっとるだろ。自分らが周囲からどう思われてるか自覚しとらんのか?
私はまだ脳みそコネコネされてやるつもりはない。」
「どっかの菌類と勘違いされてるのは腹立たしいけどまあいいわ。
分を知り怖れを忘れない人は好きよ。優秀なら尚の事ね。」
「なあに、貴殿こそ大したものではないか。見させてもらったあの人形、ヴァハと言ったか?
ゴーレムの亜種に見えるが、どの様に魔物化を防いでいるのか大変興味深い。
それに人間大の大きさが大量に集まって巨大化という機能も判っているな。」
「私は機械人形(メカロイド)と呼んでる。巨大化したのはギガ。
でまあぶっちゃけるとうちの国は諸事情で人手が大量に不足しそうなのよ。
そんでヴァハの量産と新型の開発にあんたの手を借りたいのよ。」
「フム、どのようなものを考えている?」
「領土防衛のための人手がごっそりだからね、それを補うために巨大な浮島を改造して、
ヴァハの製造工場兼、領土防衛用の移動要塞にしたいのよ。
新型は其処の守護神になってもらう予定。」
「ほほう・・・良いセンスだ。移動要塞と合体変形して更なる巨神になるというアイデアはどうだ?」
「・・・有事には島から動力を繋いでパワーを上げる構想はあったけど・・・あんた大馬鹿ね。」
「馬鹿と天才は紙一重というであろう。
ならば大馬鹿と大天才も紙一重なのだ。無論私は後者だがな。」
「フフフ、気に入ったわ。素敵な大馬鹿さん。」
「和やかなところ申し訳ありませんが、そろそろ商談に移られた方が宜しいかと。」

今までだんまりを決め込んでいた上の口からメイドの声が響く。
「何だエンブリオ、乗ってきた所だというに無粋極まる。」
「乗ってきたから御停め致しました。マスターはそうなると脱線著しく、しかも長いですから。」
「俺モ・・御嬢サン二同意ダ。」

良識派の待ったが、マッドでサイエンスティックな場の雰囲気にアクセントを利かせる。
渋々といった様子で自称大天才Drシェムハはビジネスの話に移った。

「アレを大量に作るとなると素材となる魔界銀が大量にいる。
加工しやすい手頃な大きさの浮島も探さねばならん。
加えて突貫工事でそれを要塞化して工場も立てねばならんな。」
「浮島はもうあたりをつけてあるわ。
だから魔界銀を大量に出来るだけ安く仕入れるルートを紹介して欲しいのよね。
無論ただとは言わない。買い取った分に応じてこれだけ貴方に支払うわ。
それとは別に要塞と工場の設計も手伝って欲しい。無論それは依頼料を別に払う。」

ハイドラは何時の間にかダラムスの掌に握られていた羊皮紙を広げ、
エンブリオの目の前に提示した。

「・・・問題ない。それとアテだがな、ジパングにでかい廻船問屋をやっている狸の知り合いがいる。
そいつを通じて銀を大量に先物買いする。
イワミとかいうジパングの山から良質の銀が大量に取れるらしい。」
「・・・ジパングって明緑魔界が多い場所よね? 
そんなところに魔界銀が取れる山があったかしら。」
「いいや、あそこはただの銀山だ。魔界銀などとれん。」
「・・・どういう事よ。」
「だから取引した後にイワミやその周辺を魔界にしてしまえばよい。
受け取るころには程よく魔力が沁みて銀が魔界銀化しているだろう。
我らは魔界銀よりは遥かにレートの安い、銀の値段で魔界銀を仕入れられるというわけだ。
これをイワミ以外にも同時多発的に世界中の銀山でやる。
無論私一人でやれば流石にばれる、そっちの人手を借りる事になるだろう。
二度は使えん手だが、当面の必要量を相当安く仕入れられる計算だ。」
「魔界化は魔王に利する行為だけれど、今回ばかりは仕方がないわね。」

ハイドラがエンブリオを見上げる形で手を差し出す。
そしてメイドは主に代わり、契約成立の握手を交わすのだった。


※※※


歩く歩く、緑の野原を男達が行軍していく。
男達の格好は剣や鎧を纏っており、その乱れぬ行軍からも統制のとれた軍だと判る。
だが男達の格好はだいぶくたびれていた。
包帯を巻いたり、当て木をして折れているであろう腕を固定している者もいた。

男達が目指すのは国境線、彼らのホームであるドルジエフ領内である。
彼らはアロガントが率いていた一団である。
エスクードにのされ、チェルヴィの乱入で逃亡した彼らは。
用心深く身を暫く潜め、周囲に脅威が無い事を確認した後、
色々と遠回りして追っ手やつけるものがいない事を確認しつつ帰国した。
彼らは本来、存在しない事になっている遠征部隊である。
国として知らぬ存ぜぬ、と言うためには入国するところを誰にも見られてはならないからだ。

もしそれが果たされず。彼らが賊軍として何処かに訴えられた場合、
国としては君たちを庇う事は出来かねる。
出立前にそんな風に宰相に言われ、アロガントは額に皺を寄せたものだ。
以前なら指の一本でも折って鳴かせてやるところだが、
今そんな事をすれば、彼らを追い出したがっている連中に口実を与える事になる。
相手もそれをわかっているのだろうが、
冷や汗の中に優越や嘲りが潜んで居る事を彼は見逃さない。

(そろそろ・・・潮時かもしれんな。)

そんな風に思いながら彼は行軍し国を出て行ったのだ。
そんな彼の部隊はさしたる戦果も無く。
ただ傷ついての帰国となっていた。

そして部隊が国境線を越え、帰投ルートとなる渓谷の入り口に近づいた時にそれは起きた。
先頭を歩いていた男が突如横殴りに吹っ飛ばされた。
その頭には銀色に輝く矢が突き立っていた。

部隊の兵は狙撃場所と思われる渓谷の上部へと目をやる。
其処には彼らも見覚えのある人影があった。

「遅かったなゴロツキ共、馬車襲撃の礼はさせて貰うぞ。放て!!」
ケンタウロスのスースが其処にはいた。
彼女が率いているのは彼女と一緒に護衛を担当していたメンバー以外にも、
アロガントの一団が見知っている者達がいた。
この国に所属する彼ら以外の部隊である。

自分達は裏切られたのだ。という事を兵達が理解した直後に勝敗は決まっていた。
スースの号令で備え付けられていた弩二台から二つの大きな矢が放たれた。
その矢はその勢いと質量でグングンあるものを引っ張っていく。
結ばれた綱が引かれ、二本の矢は彼らの頭上外側を通り越して後方に落下した。
そしてそれに引かれる形であるものが彼らの上に降ってくる。

先頭を矢で足止めして位置を調整された一団に、
事前の計算通りに、アラクネの糸で編まれた巨大な投網が襲い掛かる。
彼らは皆動きが取れなくなる。如何に練度の高い兵であろうと、
この状況で訓練も無しに一丸となって抜け出すのは不可能だった。
隣の兵が身をよじれば、その動きによって自分に絡む糸が不規則に締めあげてくる。
兵達は互いが互いを縛っているも同然の状態に陥り、
その後に降らされる矢の的となった。
彼らが全員昇天するのに然したる時間もかからなかった。

無論最初の一本も含め、矢は全て魔界鉄製であり、
昇天の意味もまああちらの意味である。
射られたものは暫く悶絶した後、脱出など忘れたかのように、
各々自分のフェイバリットなおかずを夢想しつつ股座をいじり始めた。

谷の入り口はすぐに栗の花の香でいっぱいになった。
スース達は彼女の指示で彼らをその場に残して立ち去った。

後に彼らが国境線の見張りから聞いた話では、
同日、国境線付近に何処からともなくアマゾネスの集団が現れて、
またすぐに各々が男を担いで何処かへ立ち去ったとかどうとか・・・

しかし大勝を治めたスースの顔色はしぶいものだった。
「居なかったな。」
「ええ・・・いればこうも上手くはいかなかったとはいえ、首魁を取り逃したのは残念です。」

護衛メンバーの騎士の言う様に、投網に掛かった集団の中にアロガントの姿は無かった。
スースとしては彼への借りを熨斗付けて返したかっただけに、
この戦果は大変不満なものであった。

そんな渓谷の様子を、指を丸めて望遠鏡の様にして遠めから覗いている男。
彼こそスースが探している男、部隊長のアロガントである。

「あ〜あ〜、やっぱり潮時だったみてえだな。」

其処にはアロガントと、部隊内でも彼への忠誠が高いものや昔なじみ数人だけがいた。
最後の追っ手の確認をしてから追いかける。
お前達は先に行ってろ。そう部隊に言って彼らを囮につかったのだ。
自分がもし国の連中の立場で、彼らを奇襲するならあそこ以外にないと踏んでいた。
正しくその通りに部隊は一矢も報いれぬ大敗を喫した。
自分があの場にいても、展開が少し違うだけで勝敗は変わらなかっただろう。

アロガントの本領は個人的な武力でなく。
この危機回避能力の高さにあると言える。
幾ら強い力があって武勲を上げても、
身の程をわきまえず強力な魔物に挑む奴は、
二つ名が貰える程の実績を積む前に魔界行きになる者が多い。

彼は本来漠然としか見えぬダモクレスの糸が、
何時頃切れるのか、そのギリギリを見切る事に対して天才的だった。
損きりの達人とでもいうべきか、負けたり撤退したりは珍しくないが、
その負債が決して彼や部隊にとって致命的な事にならぬよう立ち回るのだ。
その彼の手腕を評して、彼と仲の悪い宰相は山猫ならぬドラ猫野郎だと吐き捨てたとか。

「っち・・・どうすっかなあ。」
「政情の不安定な地域でゴロツキ相手に、
違法な取引や情報交換する盗賊酒場ってのはどうです?
隊長女と酒とつまみに五月蠅いじゃないっすか。」
仲間内で主に炊事担当の古株が言った。

「あほう、俺は飲み食い専門だ。とはいえそういう綱渡りこそ俺の本領ではある。
候補の一つに入れておくぜ。だがまあ取りあえずはこれよ。」
アロガントは懐から古くさい紙を取り出した。

「戦利品の一つっすね。でもだいぶ前のもんじゃねえですか。」
「ああ、何回か前の遠征で考古学者を乗せた一団からかっぱらったやつよ。」
「宝の地図ですかい?」
「現存すりゃ世界をひっくり返す発見だとか言ってたがな。
場所が国から遠すぎたし、今更海賊の隠し財宝に憧れる歳でもねえからよ。」
「そんな事言って、しっかり持ってるじゃないですか。」
「ふん、臭うんだよ。何かえれえもんがあんじゃねえかって、
俺の鼻にプンプン匂いやがってんのさ。こうなりゃそれに掛けてみんのも悪くねえ。
そうは思わねえかお前ら。冒険すんのに歳は関係ねえ。」

アロガントが見回す彼の部下達の瞳に迷いはない。
こういう時の決断で彼らのボスがしくじった事は一度も無かったからだ。

そうしてゴロツキ勇者くずれの残党は、
夢を追い生まれ故郷を離れて異国への旅路につくのだった。


※※※


「ママ〜〜〜〜〜〜」         「チェルヴィ―ーー」

                ヒシィッ

巨人用に仕立て直したアスクレピオスの杖の様に、ワーム二体の巨体が巻き付き合う。
彼女達の感動の再開を他所に、周囲にあった岩や木々が少しばかり放射状にすっ飛んでいった。
そのうちの一つが彼女達から少し離れたところにいた男性二人の所にも降り注ぐ。
だが大岩や巨木は皆空中で壁に激突したように弾かれ、
彼ら二人の所には小石一つとして届くことは無かった。

無事に生還したエスクードとチェルヴィが、
彼女の両親に連れだって会いに行った際の最初の一コマだ。

大きく力強く体を絡め合い、互いの愛の深さを主張しあう母と娘とは裏腹に、
初対面の息子と父の空気は何とも微妙なものであった。

「・・・あの・・・」
「何だね!」

キッ!! と言わんばかりの視線で男はエスクードを何度も何度も上から下まで嘗め回す。
まるで何処かに嫁の落ち度はないかと探す姑の如しであった。

「ええと・・・お義父さん。」
「君にオトウサンなどと呼ばれる筋合いはない!!」

我慢できんとばかりに、エスクードの対面の男は彼を思い切りはたいた。
彼は手を抑えて悲鳴を上げつつゴロゴロと転がっていった。
暫くすると鈍い音がした。そこらにとんできた岩にぶつかって止まったらしい。

頭部の形状に若干の隆起が見られたが、
彼は精一杯口を引き結んで何かに耐えつつ再び彼と対峙した。

「だ・・・大丈夫ですかオト・・・いやあのええと・・・」
「何が聖騎士だ。あんなに純朴で可愛かったあの娘が・・・あんなガングロに。
チェルヴィ、そんなチャラオと何てお父さんは絶対に許しませんからね!!」
男は今度はチェルヴィに向かって吠えた。

母相手に迫力あるごろにゃんスリスリを披露していたチェルヴィだったが、
愛するパパが何か自分に言ってるのに気づき動作を止めた。

「ガン・・・グロ? チャラオ?? ママ―。」
通訳プリーズという娘の首傾げに対し、母も困惑気味に返す。
「ガングロは確か・・・おでんとかいう北の方の神様が持つ槍か何かだったような。
チャラオは簡単。ギターとかいう楽器の子供みたいなやつさね。」
「凄ーい。ママもっの知り〜〜。」
「ふふん。」

鯨の潮吹きの様に鼻から息を吹き上げるチェルヴィの母だったが、
やはり彼女達は親子だった。

「でもお、きたのおでんのやりがなんでギター?」
「さあ? チェルヴィに会えてパパは興奮してロックなソウルが溢れてるのかもしれないわね。」
「そっか〜〜、パパ―・・・ロケンロー!!」

絡まってない尻尾の先でピコピコ蛇ダンスをしだすチェルヴィ。
もっともサイズ的にはピコピコという擬音は少々過小に過ぎるかもしれない。

そんな娘の(白)痴態を前にして父親は相好を崩しまくって大興奮だ。
「宇宙一可愛いよ!!」
「えええ・・・いやあのね。チェルヴィ・・・ガングロとチャラオって言うのはね。」
「親子水入らずに口挟んでんじゃねえ!!」

だらっしゃーと気合一閃のローキックが父から放たれる。
彼は小指十本くらい同時にタンスにゴンゴンした様な顔で、再びゴロゴロと転がっていった。
今度は横たわる巨木の茂った枝葉に突っ込んだらしい音が響いた。

産まれたての小鹿のような歩みで、彼がエスクードの前に立つまでの間に、
母娘には言葉の本当の意味の伝達が完了していた。

「そっか、もじもじでチェルヴィまっくろくろだもんね。だからパパおどろいちゃったんだ。」
「そ・・・そうだ。お前からも何か言ってやってくれ。大切な娘の嫁入り前の体をこんな。」

横目で親でも殺されたかのような殺気を飛ばしつつ、父は伴侶に助け舟を求める。
だが母親の方はつれない返事だ。さあ乗りなと出された舟は泥で出来ていた。

「ちっちゃいよあんた。いやアソコは最高だけどもさ。
あんただってワイトの女王様からの手紙で娘の体の事や、
この子がどんな目にあって来たかは知ってるだろ。
なのに生きて再び会えた。向日葵みたいな笑顔と一緒にね。
この人が色んなものから娘を守ってくれた証拠じゃないか。
それだけであたしゃ親としてこの人に尻尾を向けて寝られないよ。
それを何だい黒いとか白いとか、グチグチといいかげん娘離れしなよあんた。」

容赦の無い一撃が父のハートを貫いた。
図星をさされて心と一緒に気力で持っていた足もおれた。
崩れ落ちて丸くなる父親に対し、
巨大化を解いた彼の伴侶が優しく巻き付いて背中をさする。

「ほらほら・・・本当は会って礼が言いたかったんだろ?
娘を助けてくれてありがとうってさ。」
「うん・・・」
「でもそれ言ったら続きを言わなきゃいけないもんな。
だからって何時までも駄々をこねたら、世界一可愛いあんたの娘の笑顔が曇っちまうよ。
大好きなパパと愛する男が不仲だなんて、悲しいったらありゃしないからね。」
「うん・・・エスクード君。娘を宜しく頼む。宇宙一幸せにしてやってくれ。」

背中を向けて丸まって、とても情けない姿だが、
それでも今の顔を見られるよりはマシという判断なのだろう。
そんな彼に対し、エスクードは頭を下げて言った。

「はい。娘さんの笑顔は私の太陽です。そんな心からの笑顔を絶やさせぬよう。
愛し続け愛され続けたいと思います。」

そんなエスクードの隣に元のサイズに戻ったチェルヴィも何時の間にかいた。

「パパ、ママ、チェルヴィをこういうからだにうんでくれてありがとね。
おかげでチェルヴィ、おじさんとであえたよ。」

それを聞いて、父と母の涙腺が決壊した。
幸せの涙だった。此処にあるのはそれだけだった。


※※※


一連の騒動から数年後、エル地方の首都マウロを擁するリギシャ国を始めとした教団圏の国が、
魔界国家と国交を結び幾つか親魔物側に寝返る事となった。
とはいえ、彼らの門戸は反魔姿勢の教団国にも変らず開かれていた。
その為エスクードの養父であるルザイ司教、
彼と縁のある中央の司教の一人オルデンが、
直参の勇者や兵を連れ訪問したいという要請を出した際にも、
マウロの門は開け放たれたままであった。

都の入り口で彼らを迎え入れたのは、
護衛の聖堂騎士団を一人もつけぬルザイ本人の姿であった。
オルデン達一行は驚き警戒しながらも、
かつて訪れた事のあるマウロの街並みを見回しながら歩いた。
都市の中央にある、まるで荘厳な城を思わせるカテドラル。
其処が会合の場所となっているため、
其処まで彼らはルザイ司教自らの案内でマウロを進む。

「遠路遥々来ていただいたというのに、馬車の一つも用意しない無礼を許してほしいオルデン。」
「構わんさルザイ、我らの目的はかつて模範的な聖都であり、
大聖堂まであるこの国が堕落したとの報を受け、
その内実がどのようなものか己が目で見るために来たのだから。」

聖堂騎士団は教団内でも一般的な騎士団より、
格上の地位と待遇を約束されたエリート集団である。
設立には所属する都市に大聖堂がある事、
団員に中央から御墨付けを貰った聖騎士がいる事などの条件がある。

「我らとしましても、かつての同胞と都市や国の単位で事を構えるのは極力避けたいのです。
ですから面識もあり信頼も於ける貴方様を通し、まずは話し合いをと・・・
会談を受けて頂きありがとうございました。」

オルデンの護衛であろう勇者がルザイに道すがら話しかける。
彼はフリーデン=フライハイト、ルザイとも以前に面識のある男であった。

「こちらこそまずは会話を交わす選択をしてくれたことに感謝を。
それでどうかね? 堕落した聖都の感想は。
勇者である君の口から率直な意見を聞かせて貰いたいフリーデン君。」
「はい・・・何というか、思いのほか静かだと思います。色んな意味で。」
「確かに、同じ堕落したレスカティエの映像は我らも目にしているが、
それとはまるで別物だな。かつてと変わらぬ気品と雰囲気がこの都市にはある。」

オルデンもフリーデンの言葉を継ぐように、周囲を見回しながら言った。

レスカティエは遥か昔に陥落した、
かつての教団第2位の位置づけであった宗教国家である。
その様子をスパイしようとして正攻法で教団は失敗し続けた。
情報収集に放った者は誰一人として帰っては来なかったからだ。
だがしかし、意外な方法で彼らの目的は果たされた。

黙って潜入しようとしたものは、下手に懐に深く入りすぎた結果、
魔力の影響で女は魔物化、男は我慢できず自首するか魔物にとっ捕まるかであったが、
遠目から魔術の最大望遠で直接覗き見する。ただそれだけで多くの情報が得られたのだ。
無論その事をレスカティエ側は気づいていたわけだが、
特に対応策も取られる事なく見逃された。
其処のボスであるデルエラに取って、国境や都市部を見られる事での戦略的損失より、
見られている事で、プレイのスパイスになるというメリットの方が遥かに大きかったからだ。

そうして教団中央に持ち込まれたレスカティエの映像は、
今では閲覧禁止映像として第13聖都に保管されている。
見れるのは一定の力量や資格を持つ極一部のものだけだ。
彼らが何を見て教団にどのような激震が走ったのか、
それを今は語るまいが、想像するのは然程難しくは無いだろう。

「ご婦人、その魔力、貴方は・・・魔物ですよね。」
フリーデンがおずおずとではあったが、
都市を見回すうちに目が合い、会釈としてきた女性に話しかけた。

「ええ。」
彼女は優し気な笑顔でくしゃりと自身の髪に手を置くと、
まるで手品の様に手の下から角が生える。
次は両耳を隠すように手のひらで覆い、離した下には尖った耳があった。
もこもことスカートが捲れ上がると、
前からは見えぬように後ろ側から延びた尻尾がヘビの様に頭をもたげる。

「サキュバス・・・人化の術か。」
「そうです。」
「何故人の姿を? 此処はもはや親魔国であるはずなのに。」
「勇者様ですよね。でしたらお分かりかと思いますが、
此処から見渡せる中には私以外にも多くの魔物がいます。」
「え・・・ええ。」

そのサキュバスの言葉に、他の兵達がギョッとして周囲を見渡す。
確かによく見ると肌を晒さぬ衣装や帽子、アクセサリーで判りにくくなっているが、
角のある者、尖った耳の者、尻尾の有るものなどが散見される。

一部の種族を除けば、基本肌を晒し異性へのアピールをする魔物達が、
此処では皆、あまり肌を晒さぬ健全な衣装で街を歩いているのだ。
過激派に落とされたレスカティエの光景を見知っていたからこそ、
オルデンやフリーデンは驚愕していた。

「彼女達にはアラクネの職人たちが編んだ特性の服を着て貰っている。
特殊な糸でルーンを編込んであり、魔力の発散や周囲への誘惑の力を抑え込んでもらっている。
もっとも地の素材が良いからね、隠せているとは言い難いし、
却って隠すことで煽っているような気がしないでもないが。」
「ふむ・・・あの紋章は何だねルザイ。」

オルデンは住居に時折ついているルーンらしきペイントを指さす。

「中の音や振動、匂いの漏れを防ぎ、
更に魔力を吸着させることで周囲に駄々漏れさせんためのものだ。
無秩序に隣人や周囲を魔物化したり、魔界化させたりを防ぐことが出来る。
アレをつけている家は基本魔物の夫妻が住んでいると思ってくれていい。」
「音や振動は何のためです? ルザイ司教。」
「この国では基本的に昼間の魔物達の行動を法で制限させて貰っている。
耳や尻尾、角程度なら五月蠅くは言わんが、大きく人とは違う異形の者は、
人化の術を使えねば入国できん決まりだ。
都市の方が受け皿としてその手の娘たちには対応しておらんからな。
他にも外での不必要な露出はやめて貰っているし、
昼時に男性を襲えば合意の有無に関わらず追放となる。
その分、家の中ではご自由にというわけだ。
中で何をしようが、外の者にはけして聞こえぬし感じぬ。
まあ夜は色々と解禁されるからその限りではないがね。
夕暮れ時、カテドラルから響く鐘の音が鳴り始めたら帰宅する。
そうすれば、羽目を外した彼女達とは会わなくて済むというわけだ。
逆に素のままの彼女達でも構わないというなら、
黄昏時を過ぎても外にいればいい、
其処で起きる事については関知しない事になっている。」

ルザイ司教は立ち並ぶ家々を指して言った。
だがそれに対してオルデン司教は憮然としていった。

「棲み分けと言うわけか。其処までして共に暮らす必要があるのか?」
「知ってのとおり此処は大聖堂があるような都市だ。
皆敬虔な教団の信徒だ。その教えや思想を是として生きてきた者達だ。
主神様が魔王と和解為され、
我々の魔物への此れまでの扱いが誤りであった事が判ったとはいえ、
その教えの全てをいきなり否定されるわけでもない。
彼らは未だ性に対してなどの幾つかの思想で、魔物達とは相いれない部分も多い。
魔物達の魔力の発散を自由にするという事は、その者達にとっては思想的な侵略に近いからな。
だから彼女達には、今少しはその奔放な生き方を我慢してもらう。
その代わり、我らは仇敵としてきた彼女達を生活に受け入れる。」
「双方に少しずつ我慢してもらうというわけですか。」

フリーデンは笑顔で手を振ってくれている先ほどのサキュバスに、
部下達の何人かが手を振り返しているのを見ながら言った。

「そうだ。私は選んでもらいたいのだ。自らの意志でな。
彼女達と共に歩む未来を、だがどうしても受け入れたくない。
という者達も否定はしない。そういう者達は夜は家に閉じこもり、
昼にしか外出しなければ、今まで通りのままに天寿を全うする事も叶うだろう。
選択肢があり、それらについて過不足ない情報を与える。
選ぶのはこの都市に生きる彼ら自身というわけだ。」

ルザイは語った。それを聞いたフリーデンは改めて周囲の街並みを見渡す。
人と魔物、双方に笑顔があった。互いに尊重し合い認め合う。
そんなこの都市の空気は来たばかりの彼にも見て取れた。
もはや彼らはこの都市でも、けして革新的な少数派ではないのだろう。

「親魔物国家宣言前から、試験的に少数の魔物を移住させていたそうですが、
共存を始めた当初は反対も多かったのでは? ルザイ司教。」
「ふむ・・・それがそうでもなくてな、
出来の良い義息子と新しく出来た可愛い義娘。
二人の姿が信徒達の持っている魔物というものへの負のイメージを、
かなり払拭してくれたようで結構トントン拍子に話が進んだよ。
投票も行ったが受け入れ反対は2割程だった。今やれば1割を切るだろう。」

そうこうしているうちに目的の建物が見えてきた。
「おお、やはり荘厳で素晴しい様相だ。
神の御心が現出したようではないか・・・ん?」

オルデンは下から上へと眺めていくうえで違和感に気づいた。
以前の記憶と何かが違うのだ。
その違和感の正体は、彼らが歩いた先、
カテドラル前の広場に屹立していた。

それは巨大な十字架が逆さまに広場にぶっ刺さっていた。
今は空を向いた根元の砕けた石の色はカテドラルと同様である。
オルデンの記憶が確かならば、
十字架はカテドラル中央の尖塔、
その登頂部に燦然とそびえ立っていたのではなかったか。
信仰の象徴と言ってもいいその十字架が折れた上に、
逆さまになったままで放置されている現状にオルデンは無言で激怒した。

「そう怖い顔をするなオルデン、カテドラルとその座は私のものだ。
ならばその一部をどう扱おうと私の自由であろう。」
「ふざけるなルザイ、ご丁寧に台座までつけて逆十字の周囲にロープを張るなど、
我らに喧嘩を売っているとしか思えぬ。」
「相変わらずシャレの判らん奴だなオルデン、
これを折ったのは私の娘だよ。新しく出来た方のな。」
「そう言えば、あの聖騎士がワームとくっ付いたとは聞いたが。」
「オルデン・・・夫婦の営みをする際、達した時に体はどうなる?」
「知るか・・・魔物どもの乱れようなど一々考えたくも無い。」

完全に臍を曲げてしまったオルデンは取り付く島もない。
代わりにフリーデンが答える。

「仰け反って硬直しますかね。司教。」
「惜しいな、更に足がピンと真っすぐ伸びるを追加で正解だ。」
「・・・それで何が言いたいルザイ。」
「何分ワームは知ってのとおり力が強い。達した瞬間ピンと伸ばされた脚。
というかヘビの様な下半身で大きく跳びあがってしまってな。
屋根をぶち破って、更にはあの十字架の根元に突っ込んでへし折ってしまったのだ。
幸い夜中だったので広場には誰もおらず、けが人は出なかったがな。」
「磔刑に処せ! そんな不届き娘は。」
「非難や反発が相当あったのでは?」
「無論そういう声も多くあった。だが私はそれも好機と考えたのだ。
彼女に罰として労働を課し、その代わりに許すという採決を取り、
賛成多数で可決された。そうして彼女は力仕事を中心にだが、
土木工事や灌漑工事、田畑の開墾、重い荷物の輸送など様々な仕事を通じて、
都市の皆と知り合いになっていった。無論エスクードという手綱をつけてだがね。
あの子は此処の英雄だ。そんな彼と一緒なら取り付く島もないような扱いはされぬし、
知り合ってさえしまえば、皆彼女の笑顔と裏表のない性格でいちころというわけだな。
魔物と言う恐怖と忌避の対象だったものは、愛すべき隣人として皆に認知されていった。
そうして機は熟したと感じた時、私はこの国を親魔物国とする事と、
十字架をこのままにする事を皆に申し出た。」
「何故です? ルザイ司教。」
「信仰の対象である十字架を、このままにする事で彼女達への謝罪とし、
また我々が彼女達にしてきた事を忘れない碑の代わりにするためだ。
私の様に彼女達を信じきれぬもの、正義の代行という己の地位や名誉を固辞するもの、
教えを盲信しそれを実直に行使するもの。理由はそれぞれだが、
魔王が今の代になって以来、我々は余りに長く彼女達の差し伸べて来た手に対し、
手酷い仕打ちと裏切りを重ねてきた。だというのに何食わぬ顔で受け入れるのは、
余りに恥知らずというものだろう。そうではないかオルデン。」

ルザイはしっかりとオルデンの眼を見据えて言った。
お前はどうなのだ? と言外に斬りかかったようなものである。
そのルザイに対しオルデンも一歩も引かぬ視線を送る。
広場の中央、そびえ立つ逆十字の前で静かな戦いが始まっていた。

「黙って聞いておれば、自らの意志で選んでもらうだと?
下らん。何という欺瞞、何という怠慢。
貴様はもっともらしい理屈をつけているが、
その実はこの国が堕落する事を手助けしているだけではないか。
迂遠なやり方をすれば許されるとでも思っているのか?
人は弱く、脆く、過ちを犯す。信心と信念を思って襟を正し続けねば、
水の様に低きに流れ続ける事をやめられぬもの。
お前はそんな者達の鼻先に人参をぶら下げて、食べるか食べないかは馬の自由だという。
そんなものは自由でも何でもない。選んでいるかもしれんが選ばされてるだけだ。」

鉄の意志とでも呼ぶべきものがオルデンの眼には宿っていた。
彼の心に触れることが出来たなら、
その触りごごちと温度は鉄のそれによく似ているだろう。
そう思われるほどに強い光が彼の目には見て取れた。

「お前なら、まあそう言うだろうなオルデン。
神学校の学徒だった頃から、規律の権化などと揶揄されたお前なら。
私情が入ってる事を否定するつもりはない。
かわいい娘や孫と大手を振って会えぬなど、人の親なら悲しすぎるというものだ。
だが別にこのやり方は誤魔化すためではないよ。
急激な変革は軋轢を生むし、意図せぬ所で大事なものを踏みにじってしまう危険がある。
だから慣らすためにこんな歪なやり方を取っているのだ。」
「そうだ。規律だ。規律こそ社会に必要なものだ。
我らは常に正しくあらねばならん。絶対の信心を捧げる対象として君臨し続ける。
それでこそ人は迷いを捨て、弱さを克服できるのだ。
例え主神様がその言葉を翻そうと、その方針を変えるべきではないのだ。」
「お前とてその弱い人間の一人であろうに。」
「だからこそだ。人としてその弱さも醜さも知っているからこそ。
人を導く灯台として、信念を持って其処を目指す為の信仰が必要なのだ。
それは磨かれた珠の様に傷一つあってはならない。
真実がどうかなど関係無い、我らは正しき道の道標、人々の祈りそのものだ。」

浴びせかける様なオルデンの言葉に対し、
ルザイは大きく嘆息をついた。

「オルデン、正しさの奴隷になるな。
主神様でさえ誤るのだ。まして我ら人なら言わずもがなだろう。
我らは常に何らかの過ちを犯していると言っても過言ではない。
教団の教えを絶対の正しさとし、信仰の対象として皆を導くという貴様の考えも判る。
だがその正しさを絶対としてしまった時点で、貴様はどうしようもなく間違っている。
後に気づいた過ちを認め、そこを正すという事が出来ぬという。
どうしようもない欠陥がその思想にはある。」
「奴隷だと?」
「ああ、間違いなどあってはならない。
常に不完全な人にそんな考えを適用すべきではないのだ。
間違ってもいいさ、只それに気づけたなら、出来る範囲で正していく。
そうやってまっすぐではないかもしれないが、
右にそれたり左にそれたりして、我々は明日へと歩いていけばいい。」
「後悔するぞ? そして貴様は気づくのだ。
進んでいると思っていた先が、ただただ落日の坂を下り下りていただけだったことに。
その時になって坂之上を見上げてももう遅い。
低きに流れた人々にその坂を登る事は出来ない。」

二人は互いに譲らず少しも目をそらさない。

「・・・・・・かもしれん。
だがそうなったらまた何とか坂を上る方法を皆で模索するとしよう。
私は取りあえず、今いるところに満足していないし。
貴様ほど人々に絶望もしていない。」
「・・・・・・昔からそうだ。貴様はそうやって楽観的に何でも決める。」
「私には先の事など判らない。そう謙虚になっているだけだ。
それに規律とは誰のためのものだオルデン? 
人の為であろう。魔物を敵と偽り、それとの戦備えのために重税を課す。
一方で孤児やスラムといった貧困を放置するような規律など馬に喰わせろだ。」
「・・・もういい、平行線だな。もう会談をする必要すらあるまい。フライハイト。」

オルデンはフリーデンの方へと目配せすると、軽く指を鳴らした。

「司教!!」
フリーデンは反射的に手を腰の剣に掛けようとするが、
本当に宜しいのですか? と目で強く訴える。
だがオルデンの瞳の奥の炎は一切揺らぎを見せない。
それに対しフリーデン、彼の額には深い皺が刻まれ、
唇は強く引き結ばれる。

「どうした・・・やれ! フライハイト。」
「・・・・・・・・・出来ません。」
「何だと、貴様。」
「この人は・・・斬れません。この街も人々も・・・斬ってはいけないんです司教。」

事前に話し合いが破断した場合、武力に訴える事が決定していたのだろう。
かつての同胞が住まう堕落の都を攻め落とす事を、彼らは決意して此処に来たのだ。
だが現実は違った。この都市のあり方を見せられ、二人の議論を聞かされ、
フリーデンも彼の率いる兵達も、戦う事への士気は限りなく下がっていた。

「此処に来て、何故裏切る貴様ら?」
「判らないかオルデン、彼らもお前のいう所の弱く迷える人々と言う事だ。
だが教団の規律が作った社会に生かされている以上。
それを否定しては彼らやその家族は生きていけない。
だから今まで疑問を持っても、異を唱えたり逆らう事はしてこなかった。
だが私は彼らにこの都市を見せることで提示した。
こんな世界や生き方もあるのだと、そして彼らは自身の心で道を選んだ。
それだけのことだ。」
「愚か者共が!! ならば自分でやるまでの事。」

オルデン司教が無造作に腕を振るうと、
フリーデンはその裏拳の形に顔をひしゃげて吹き飛ばされた。
この部隊で最強の勇者はオルデンその人であった。
フリーデンはカテドラルの大扉を吹き飛ばし中へと消えていった。

「さらばだ、愚かな旧友よ。」
オルデンは無造作に貫手を放ち、ルザイの心臓を貫こうとした。
だがその瞬間、ルザイの胸元が光り輝きオルデンの一撃を遮った。
彼が首から服の中に下げていた魔法石、それにエスクードが事前に込めていた局所結界魔法だ。
武力に訴えず。話し合いでと言って聞かない義父に対し、
ならせめてこれをとエスクードが持たせたものであった。

「聖騎士か、賢しらなものを!!」
ならば砕けるまで追撃するだけと、揺るがぬ意思でオルデンはもう一方の腕を振るう。
そうしようと思った・・・だが、彼はそれが出来なかった。

「な・・・これ・・・」
大聖堂入口より、怒りと共に膨れ上がった攻撃的な魔力が彼に浴びせられていた。
オルデンは蛇に睨まれた蛙であった。

「ルザイ殿・・・わしに大扉をぶつけたのは・・・その阿呆かの?」
入り口にはちっこい背とは裏腹に、巨大な大扉を角に刺したままのバフォメットが立っていた。
後ろから吹っ飛んできたフリーデンと大扉が、中で彼女の後頭部を直撃したようであった。
衝撃自体は別段痛くもかゆくも無かったが、角にぶっ刺さった大扉を見て、
彼女は手下の魔女たちに指をさされて爆笑されてしまったのだ。
ご機嫌はとても麗しいとは言い難かった。

「ば・・・何で・・・カテドラルから大悪魔が出てくる。」
「紹介しようオルデン、彼女はブリジット、
あのセイラームでかつてサバトを開いていたバフォメットだ。」
「むぅ・・・ルザイ殿のお知り合いか? 司教には大変な恩義があるしのう。
あの一件以来マレウス機関のアホ共が、執拗にメンバーを追いかけるせいで、
特定の土地に中々居つけなかった流浪の我らの受け入れ先をと、
あの建物の地下を貸していただいている身じゃからのう。
ブホッだとかプークスクスといった、
この身に刻まれた屈辱も許さざるを得ないのう。
そうじゃろう? 無礼な御仁、ルザイ殿の知己なのであろう?」

その声音には有無を言わせぬ迫力があった。
それ以上事に及ぶならお前は恩人の知り合いではなく、
ただの無礼者でいいのだよな? という言外の圧力。

言葉と魔力に気押されつつも、
その内容のあまりにのぶっ飛びっぷりに、
竦んでいたオルデンもキレの良い突っ込みを入れざるを得ない。

「大聖堂の地下にサバトだと?! どこまで私物化すれば気が済む!!」
「仕方なかろう。あそこの地下は大規模な納骨堂だったのは知っていよう。
新居が出来るまでの間、結界を張って義息子と義娘の仮住まいとしてたんだがな、
どうも夜にお盛んすぎたせいで、納骨堂内の骨が全部スケルトンになってしまったのだ。
魔力で満たされた今となっては、もうただの納骨堂としては使えん。
どうしたものかと考えていたら、ちょうど彼女達が住まいを探していたのでな。
受け入れ先として名乗りを上げたというわけだ。
大丈夫だ。スケジュールの管理はしっかりして、
上でミサ等をする際は地下から出てこないような取り決めになってる。」

そんな事を話していると、のされたフリーデンが魔女たちに運ばれてきた。
フワリフワリと糸の切れた人形の様に、魔法で宙に浮かされたまま運ばれ、
そのまま広場にくたりと寝かされた。

「もう御父様。」「もう御爺様。」
「「また無茶をなさって。」」
「いやあすまんすまん、オルデン、娘と孫だ。
魔女になる前だが、娘の方とは面識があったろう?」

魔女の内の二人がプリプリとルザイ司教に怒っていた。
姉妹にしか見えねえ、という雑兵の呆気にとられた呟きが漏れ聞こえる
その二人を見てオルデンが更に目を見開く。

「メーテルか・・・確かに面影が。」
「お久しぶりですオルデン司教、老けられましたわね。
色々互いに申し上げたい事もありましょうが、
私たちは今此処で皆仲良くやっております。
だからどうか、静かに見守っていては頂けないでしょうか?
どちらの言い分が正しいかは、時間が証明してくれるかと。」

祈る様にオルデンの怜悧な瞳を見つめ返す魔女メーテル。
そんな彼女の顔に司教の鉄拳が降って落ちるか、
もしそうなったら即座に応戦する準備を持って、
ブリジットは二人を見守っていた。

「撤収する。フライハイトを起こしてやれ。
ルザイ、こうなっては会談も破談だな。」
「ありがとうございますオルデン司教。」
「礼など言うな、センチになったわけではないからな。」

膝をついて祈る様に謝辞を述べるメーテルに対し、
オルデンは不愉快そうに踵を返してズンズンと立ち去っていく。
来た時と同様に、兵達を先導し一瞥もくれずにその場を立ち去った。

最悪まとめ役のルザイさえ暗殺してしまえば、
自分達は帰れなくとも、この都市と周辺国の新たな体制は瓦解する。
それだけの求心力に人脈、そして広い知見とバランス感覚が彼にはあった。
オルデンはそれだけに覚悟を持ってこの場に挑んでいた。
だが、状況がもはやそれを許さない。
周囲に伏せてある都市攻略用の軍を動かしても、
ブリジットと言うバフォメットと刺し違えられるかどうか・・・
オルデンはそれなりの力がある勇者であるがゆえに、
彼我の戦力差を正確に理解してしまう事が出来た。
加えて部下達の士気の低さである。
時間をかければあの聖騎士とその妻であるワームも現れるであろうし、
それにこの都市は想像以上の魔窟だ。
これ以上藪をつつけばどんな虎の尾を踏むか分からない。
オルデンは鉄の意志と同時に冷徹なまでの判断力も兼ね備えた男だ。
その決断は早く的確であった。
話し合いも武力の行使も目が薄い以上、
こんな所に一時でも留まるのは、
待機している軍に掛かる兵糧の無駄と言うものだ。
狼煙が上がり伏せてあった軍の撤退は速やかに行われていた。

そんな中、僧侶の回復と気付けの魔法を掛けられ回復したフリーデン、
彼は来た時とは逆に部隊の殿を務める事となった。
そして後ろを振り向いてこちらを見送る皆を見る。
深々と頭を下げるルザイ司教とその娘や孫ら魔女達、
アカンベーしてこちらを見送るブリジット。
フリーデンは足を止めて振り向くと、
佇まいを直して彼らに敬礼した。
オルデンはそんな彼を遠目に睨みながらも、
後にその敬礼を咎める事はしなかった。

アカンベーに敬礼をかえされたブリジットが、
顔を赤らめておののいていたのは・・・また別のお話。


その後、マウロは教団信徒と魔物の共生関係の新たなモデルケース、
聖魔都市として内外に其の名を知られる事となる。
その都市を訪れるのは、魔物達やすでに新魔体制の国より、
今までは反魔体制だったり教団の敬虔な信徒の多い国、
それらの国が自発的に魔物達に寄り添う第一歩として、
インフラや行政の手順を参考にしたり、
共同生活のノウハウを学びに来ることが多かったという。
後にこの都市は、人と魔物が手を取り合う現代の教科書にて、
教団と言う反魔物主義の人々が、魔物と自発的に手を取り合い始めた。
その歴史的第一歩の先駆けとして記載され、
長く広く人々の記憶に留まる事となる。
15/10/29 20:37更新 / 430
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■作者メッセージ
答え合わせ ガングロ=グングニル チャラオ=チャランゴ

いやあ終わった、楽しんで書いたけど反省点も多かった作品。
プロットが二転三転してるというのがその最たるとこ、
第一話投稿時点では邪神側の登場キャラは一人も考えてなかったというあれっぷり。
頭の中の妖精さんが暴走しすぎた感。

次回は少し話の規模とか話数をスモールにして、
きっちり制御して書いていこうと思う所存。

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