読切小説
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魔物化に乗り遅れたバフォメット様
 
 ―その日の事を私は一度だって忘れたことはない。
 
 群がる羽虫のような人間との戦いの日々。灰色の土壌を踏み荒らす低俗なサルどもとの最中、突如として世界中に莫大な魔力が爆ぜた。津波のようなそれに飲み込まれた同族たちはその場に蹲り、その姿を見る見る内に縮めていったのを良く覚えている。一体、何が起こっているのかさえ理解出来ない私の前で同族たちは人間へと近づいていくのを私は信じられない心地で見ていたのだ。
 
 ―私がそれに対応出来たのはあくまで運が良かったからに過ぎない。
 
 低能な人間の魔術師どもが放つ魔術から身を護ろうと周囲に防護膜を張っていなければ、或いは私が魔力だけで言えば同族の中でも飛び抜けていなければ、私もそれに飲み込まれていただろう。
 
 ―私の兄上のように。
 
 兄上は私などよりよほど優秀であった。魔力が高い半面、身体的強さに劣る私に比べ、兄上は双方に優れていたのである。折れ曲がった山羊の角も美しく、逞しい四肢がどれだけのメスを魅了してきた頃だろう。性格も最上位の魔獣であるバフォメットらしい誇り高い性格で、皆を引っ張る才能を持っていた。
 
 ―その時の兄上は一人の人間と戦っていた。
 
 勇者という魔物にとって忌々しい名前を冠する男との一騎打ち。それは始終、兄上が優勢であった。当然だろう。兄上に勝てるものなど同族の中でも滅多にいない。しかし、それでも他のことに気を配れる余裕があるほど軟弱なサルなどではなかったようだ。ほんの一石で人間に転びかねない闘いの中…兄上はその魔力に気づくのに遅れてしまったのである。
 
 ―そして……そして…兄上の身体はどんどんと小さくなっていき……――
 
 
 「…あ」
 
 そこで私の意識は覚醒した。まるでこれから先を思い出したくないと言わんばかりの意識に思わず自嘲めいた笑みが浮かぶ。しかし、どれだけ現実から逃げようとした所で事実は決して変わらない。あの日、私の兄上はそれまでからは考えられない小さな身体になり、その威厳もまた……―
 
 「…やめよう」
 
 これ以上の事を考えるのは兄上に対する不敬だ。どんな姿になっても私は兄上を敬愛しているし、尊敬してる。私がさっき浮かべようとしていたのはそれからは大きく外れた行為だ。そう自分を戒めながら、私はベッドからのそりと身体を起こす。
 
 ―瞬間、私の視界に並び立つ試験管やビーカーが目に入る。
 
 机に上に並べ立てられたそれらは兄上の身体を元に戻そうと研究し続けた成果である。しかし、それが結実する気配は一向になかった。完全に兄上の身体に根付いた淫魔の魔力を引き剥がす為に様々な角度からアプローチを続けているが、見通しすら立たないのが現状である。その無力感に押し潰されそうになる自分を鼓舞しながら、私はベッドから立ち上がった。
 
 ―瞬間、部屋の姿見に山羊頭をしたバフォメットの顔が目に入る。
 
 魔王の代替わりから絶滅危惧種にもなったと言える魔物本来の姿を持った私。しかし、それは決して誇れるものでも何でもなかった。私の価値観から言えば、曲がりくねった角は不恰好であるし、瞳にも濁りが少ない。太い四肢は一般的なバフォメットよりも短かった。獣毛に覆われた身体は同族に比べると貧相でなよなよしたイメージが強い。
 
 ―本当…兄上に似ても似つかない醜さだな。
 
 兄上は同性である私から見ても惚れ惚れするような理想的なバフォメットだった。全身が気高さと美しさで出来ているようなその姿にどれだけ憧れたかは分からない。しかし、鏡に映る醜い魔獣にはその面影が一切、見えなかった。兄上と血が繋がっているとは思えないその姿から逃げるように私が視線を背けた瞬間、コツコツと廊下を歩く足音が聞こえる。私と兄上を含めて三人しかいないこの屋敷でそんな足音をさせるのは一人しかいない。
 
 ―…またアイツか…。
 
 胸中に浮かぶその言葉と共に私は溜息を吐いた。そのまま私は試験管やビーカーに殆ど占領された部屋の中にある唯一の衣装棚へと近づいていく。そのまま適当な棚を空け、一番上のバフォメットサイズのバンダナをそっと首に巻いた。無論、軟弱な人間とは違い、強靭な獣毛に覆われたバフォメットに衣服など必要ない。しかし、これらは全て兄上が私に贈ってくれたものなのだ。自分の醜さに自己嫌悪し、着飾る事に無頓着であった私に身嗜みを整える習慣を与えようと贈ってくれた兄上の気持ちを無駄には出来ない。
 
 ―コンコン
 
 「…空いている」
 
 その瞬間、部屋に響いたノックの音に私は不機嫌さを隠すことなくそう返した。それにゆっくりとバフォメットサイズのドアノブを回し、老齢に差し掛かった男がおずおずと入ってくる。サバトの紋章が刻み込まれた兄上手製の黒いローブを見せびらかすようなその男に私は敵意を隠さない視線を向けた。それに男は顔に怯えを浮かばせる事すらない。私がその気になれば捩じ切るのなんて容易い人間の身でありながら、兄上のお気に入りだからだろうか。何処か余裕すら見せるその姿に私はムカムカとしたものを抱えてしまう。
 
 「ベイカー様。おはようございます」
 「…あぁ、おはよう」
 
 しかし、それを癇癪と共に出す訳にはいかない。別にこの男が傷つこうと死のうと私は喜ぶだけだが、兄上は決してそうではないのだ。長年、自分の運営するサバトで補佐をし続けてくれたこの老齢の司教は兄上のお気に入り――より具体的に言えば情人である。それを失った兄上がどれだけ悲しむかは想像に難くない。そして尊敬する兄上のそんな姿を見たくない私としては、この男を忌々しく思いながらも手を出せないのである。
 
 ―そもそも…なんでこんな年老いた男を…!
 
 あの日以来、姿形が変わった兄上が男を好むのは百歩譲って理解しよう。しかし、この男が兄上に相応しいとは到底、思えない。若い――いや、若いと言うよりは幼い人間のメスの姿になった兄上に相応しいのはもっと年若い健全で健康な男だろう。それこそあの日、兄上が刃を交わしていた『勇者』のような男が相応しいはずだ。しかし、兄上が選んだのはそのような『勇者』ではなく、最も自分に忠実に仕えた老齢の司祭なのである。
 
 「今日もシャーリー様が腕によりを振るわれて朝食をご用意されております」
 「分かってる。…毎朝、同じセリフを言って飽きんのか。それともお前は人形か?」
 「どちらでもありません。私はただシャーリー様とベイカー様の忠実な下僕であります故」
 「下僕…な」
 
 その下僕と兄上――司祭の言うシャーリーが毎晩、行なっているであろう淫らな行為を想像するだけで吐き気がする。バフォメットと人間が生殖行為をすると言う事だけでも耐えられんのに、兄上の身体がこの男に好きにされていると思うだけで癇癪を起こしそうになってしまうのだ。そんな自分を必死で宥めながら、私は扉の前に立つ司祭を追い払うように手を振った。
 
 「ならば、とっとと出て行け。お前がそこに立つと私が出られんだろうが」
 「はい」
 
 私の嫌味に口答えも何もする事無く、男はそっと部屋から出ていった。その後姿にこれ見よがしに溜息を吐いてやってから私は一歩二歩と足を踏み出す。それだけで司祭の背中に追いついた私はテクテクとバフォメット用の大きな廊下を歩く男の後ろに着いていった。本音を言えば、その背中を超えてとっとと先に進んでやりたいが、そんな事をすれば兄上が悲しそうな顔をするのである。兄上の希望としては私とこの司祭が仲良くする事なのだろう。先々代の魔王様と先代の魔王様の闘いで両親を失い、唯一の肉親となった私を気にかけてくれるのは嬉しいが、このような気の遣われ方は少し重苦しい。
 
 ―…まぁ、コイツも私に嫌われているのは理解しているだろうし…。
 
 毎朝のようにこうしてコイツと共に食堂へと向かっているが、その間、私達の間に会話は殆ど無かった。最低限の事務的な会話をする程度でそれ以外のプライベートにはこの男も踏み込もうとはしなかったのである。当たり障りのない事を第一に考える人間らしい自衛手段だが、その空気の読み方だけは評価してやっても良いだろう。
 
 ―実際…この男は優秀だ。
 
 兄上を支え続けたこの司祭の手腕は私も知っている。兄上が権力闘争に巻き込まれ、その立場を危うくしていた時だってこの男は裏切らなかったどころか値千金の働きを幾つもしてみせた。人間の身でサバトの司祭を任せられていた手腕は決して伊達ではなく、兄上の勢力を広げるのに大きく寄与していたのである。誇り高いバフォメットである兄上に「人間の中であの男だけは認めても良い」と言わしめた手腕は晩年になっても衰える事がなく、膨れ上がったサバトを安定させるのに一役買っていたのだ。
 
 ―それでも…私はこの男を認めることが出来ない。
 
 それはきっと嫉妬なのだろう。私と同じく誰かを支える側で能力を発揮するタイプであるにも関わらず、兄上に選ばれたこの司祭に私は嫉妬してるのだ。どうして私ではなかったのかという憤りを私はこの男にぶつけているに過ぎない。そう自己分析出来てはいても、感情の整理は一向に捗らなかった。
 
 ―…本当、嫌な男だな私は。
 
 そう自嘲気味に胸中で呟きながら、私はそっと窓の外へと視線を向けた。曇天からわずかに差し込む光が魔界の中心――魔王城の一画にあるこの屋敷の庭を照らしている。紫や滲んだ黒色の植物が揺れる庭の向こうからメスどもの嬌声が響き、敏感なバフォメットの鼓膜へと伝わっていた。鼻の抜けた情けない声の重奏の中にはきっと私と共に戦場を駆けた者も含まれているだろう。もしかしたら私と同じバフォメットもそこには加わっているのかもしれない。
 
 ―…くそ…!
 
 そう考えるだけで妙な苛立ちが私の胸を打ち、大きな掌を握りしめさせる。自分でも理解不可能な焦燥感に駆られるのは別に一度や二度ではない。まるで皆に置いていかれ、一人だけその場に立ち止まっているような焦りに私は……――
 
 ―いや…そんな事あるものか…!
 
 私が感じているこの焦りは魔物の行く末に関しての事だ。人間という低俗な種がいなければ繁栄することが出来なくなってしまった今の魔物の行く末にを案じているだけである。そして、人間と交わり、軟弱化しつつある魔物――いや、魔物娘と呼ぶべきだろうか――に苛立ちと危惧を抱いているに過ぎない。それ以外の要素などそこには一切無く、私が未だに当時の姿であり続けるのも私自身の意思である。
 
 ―そうだ…それ以外には何も…!
 
 「…どうかされましたか?」
 「っ!!」
 
 そこまで考えた瞬間、いつの間にか私の前を歩いていた司祭が立ち止まり、振り返っているのに気づいた。老齢に差し掛かった男は気遣うような視線を私の顔へと向けている。一体、どうしてかは分からないが、私の感情の動きに感づいたらしい。
 
 「…なんでもない…」
 
 だが、兄上であるならばともかく、敵意すら向ける相手に気遣われても惨めなだけだ。何せ私がこの男を殺そうと思ったのは一度や二度ではないのだから。何とか兄上から引き剥がそうと計画した事も両手では足りない。そんな私に対して勝者の余裕すら見せつけ、手を差し伸べる姿に自分が負け犬であるという自覚が沸き上がってくるのだ。
 
 ―いや…元々、負け犬で惨めだがな。
 
 あの日、私は魔王から放たれた魔力に抵抗する事に成功した。それから今までずっと当時の姿を保っているのは一種のあてつけのようなものである。淫猥なサキュバス同然の存在に堕ちた貴様らが失ったものはここにあるぞと喧伝する為に私は今の姿を維持しているのだ。しかし、そんな私に対して殆どが目をくれない。視線を向けたとしても、そこにあるのは物珍しさが殆どで、私の期待する羨望などはまったくないのだ。それどころか、何を誤解しているのか同情めいた視線さえ向ける魔物娘も決して少なくはない。私が意地を張っているだけであると言う事を見抜くそれらの視線に居心地の悪さと共に惨めさを感じたのは一度や二度ではなかった。
 
 「…それにしては顔色がお悪いですよ」
 「っ…!人間であるお前にバフォメットの顔色なんぞ分かるものか!!」
 
 その度に心に積もる鬱屈とした気持ちを発散するように私は大声をあげた。誰もいない広い廊下を私の声が響き渡り、窓をガタガタと振るわせる。しかし、目の前の司祭はそれでも尚、平然としていた。まるで私など取るに足らない存在であると主張するような堂々とした姿に私の噛み締められた歯がギリッと悲鳴をあげる。
 
 「分かりますとも。何年、お二人に仕えてきていると思っているのですか」
 「人間ごときが…生意気な口を…!」
 「えぇ。私は貴方に比べれば…何の力もないちっぽけな人間です。しかし…お二人に対する忠誠心は他の何者に引けを取るとは思っていません」
 「だったら…黙っていろ!」
 
 鉄すら噛み砕く鋭い犬歯を剥き出しにして威嚇するも男が怯む気配はまったくなかった。それに私の心がまたざわつく。その余裕一つ一つが気に入らない私がその頭を噛み砕く想像を浮かばせた瞬間、司祭が再び口を開いた。
 
 「私は諫言を口にするのも臣下の勤めであると思っております。それが気に入らなければ幾らでもお斬り下さい」
 「なっ…!」
 
 そっと私に向かって膝を折る男はその首筋を私に晒した。どんな姿勢であってもすぐさま殺すことの出来るはずなのに、その無防備な姿を見る私は怯んでしまう。この司祭の言う忠誠心とやらを体現するような姿に私は確かに気圧されていたのだ。
 
 「それに…宜しいじゃありませんか。私は所詮『人間』なのです。愚痴を吐く先として適当に利用するのも悪くはないと思いますが」
 
 ―それに一理あると思ってしまう自分もいて…。
 
 私は自分で自覚していた以上に弱っていたのだろう。これだけ嫌っている相手に歩み寄られて、心情を吐露したいという感情が沸き上がってきていた。相手が兄上であればそれは迷いなくそのまま吐き出されていた事だろう。しかし、この男は兄上とは似ても似つかない愚物であり、私がこの世で二番目に嫌っている――勿論、一番目は魔王だ――男だ。そんな相手に弱みを握られるのはどうにも我慢出来ない。
 
 ―しかし、生意気な口を利いた人間に対する怒りは収まってしまっていた。
 
 例えコイツは私に殺されても絶望を抱きはしないだろう。それどころかその忠誠心を体現出来たという満足感を胸にして逝くはずだ。怒りのまま爪を振るうのは簡単だが、それではまったく面白くない。何せそれは相手の思い通りになってしまうのも同義なのだから。そう思うと怒っている事さえこの男の思い通りな気がして馬鹿らしくなってしまう。
 
 ―とは言え…ここで矛を収めるのもコイツの思い通りなのだろうな。
 
 バフォメットの顔色が分かるといったこの男の言葉は悔しいながら虚偽ではないのだろう。少なくとも私が怒りを霧散する方法を取られたのは事実だ。何十年という時間が人間にとってはどれだけのものかは知らないが、この司祭が私たちのことをある程度分かっているというのは認めざるは得ないのかもしれない。
 
 「…顔をあげろ。興が冷めた」
 「はい」
 
 こういう時だけ従順に従う老齢な男に内心、溜息を吐いた。まったくもって厄介な男である。敵にすれば恐ろしいし、味方にすると面倒くさい。よく兄上はこんな男を傍に置いているものだとさえ思う。
 
 「行くぞ。朝食が待っている」
 「そうじゃぞ。一体、何時までじゃれあっておるのじゃ」
 「っ!?」
 
 ―凛とした幼い少女の声に私の視線は弾かれたようにそちらへと向けられた。
 
 瞬間、私の目に飛び込んでくるのは黄金色の美しい毛並みだ。魔界の微かな日の光りの中でもキラキラと輝くようなそれはまさに最高級と言うに相応しい代物だろう。その獣毛を四肢に備えた相手の頭からは美しい曲線を描く羊の角が生えていた。バフォメットであれば誰もが目を惹かれるであろうその角の形は何度見ても惚れ惚れする。
 
 ―だけど…その顔はバフォメットからは似ても似つかないものだ。
 
 たわわに実った小麦色の髪をツーテールに纏め、アクセサリーとして山羊頭を模した骨をつける姿は可愛らしい。その下の顔はふっくらとした曲線を描き、血色の良い肌色を晒している。深い夜の闇を削り出したような瞳はランランと輝き、その下にある鼻筋もすぅっと通っていた。唇はルージュを引いたように真っ赤で艶やかに光っている。
 
 ―その身体も同様で…。
 
 それを支える首から肘までの殆どの肌を相手は見せつけていた。ぷにぷにとした柔らかそうな身体で隠されているのは乳房の頂点くらいのものである。アクセサリーとして金の腕輪とサバトの紋章が入ったネクタイを垂らしているが、それも肌の露出度を下げるには至っていない。下腹部以下はそれが多少はマシだが、内股を晒す独特の形をしたタイツは目に眩しい。
 
 ―しかし…それが今の平均的なバフォメットの格好であり…私こそが異端なのだ。
 
 そう思うと胸の奥がズキリと痛む。種族としてはまったく同じはずなのに、私こそが正しいはずなのに、『普通』から弾き出されてしまった自分。司祭の3/4ほどに縮んだその姿を見るだけでそれをどうしても意識してしまう。しかし、毎朝それを経験している私はそれを振り払う方法を知っている。勿論、それは別なものに意識を向けるという…いわゆる逃避だ。
 
 「に…姉さん…どうしてここに…」
 「どうしてもこうしてもあるか。アレだけ騒げば妾のところにも声が届くというものよ」
 
 ―そ、そう言えば…。
 
 既に食堂付近にまで接近していた中でアレだけ大声をあげれば、兄上――生物学上は姉ではあるが私にとっては何時だって兄だ――だって気づくだろう。剣呑なその雰囲気に様子を見に来たとしてもおかしくはない。その事に今の今までまったく気付かなかった自分に胸中で小さく舌打ちをしながら、私の背筋は怒られる子どものようにすっと伸びていった。
 
 「まぁ、心配するような事はなかったようじゃがな。ベイカー、良く我慢したな」
 「…え…?」
 
 てっきり怒られると思っていた私は誇るような兄上の言葉に肩透かしを喰らってしまう。だって、私は兄上の情人に酷い言葉を吐いたのだ。咎められこそすれこのように上機嫌になられる要素など何処にもないだろう。しかし、目の前の小さな兄上の顔に浮かんでいるのは紛れも無い笑顔だった。
 
 「お兄ちゃんも良くベイカーの事を嗜めてくれた。礼を言うぞ」
 
 ―その言葉に私の胸が張り裂けそうなほど傷んだ。
 
 私にとって兄上とは目の前に居る小さなバフォメット以外に誰もいない。私にとって残された肉親は兄上だけなのである。しかし、兄上はまるでそれが間違いだと言わんばかりに司祭を『お兄ちゃん』と呼ぶのだ。何処か甘い響きを伴ったそれを私は聞きたくない。認めたくない。しかし、聡明なはずの兄上はそれを汲み取ってはくれず、私に辛い言葉を何度も口走るのである。
 
 「勿体無いお言葉です」
 
 流れるような動作でそっと胸に手を当て、頭を下げるその姿に兄上もまた誇らしそうな笑顔を強める。当然と言えば当然のその姿に私の胸が小さく傷んだ。しかし、折角、褒めてくれた兄上の前でそんな姿を見せれば幻滅されるかもしれない。その考えが脳裏に浮かんだ私は何も言えずにその場に立ち尽くしていた。
 
 「さぁ。急ぐぞ。折角作った朝食が台無しになってしまう」
 「はい」
 「…えぇ」
 
 その言葉と同時に兄上がそっと司祭へ向けて手を伸ばす。小さくなったと言えど、未だに人間を真っ二つにする力を秘めるその腕をとても無造作で自然に男がぎゅっと掴んだ。そのまま仲良く手を繋ぎながら、二人は私の前を歩いて行く。その姿は恋人同士と言うよりは祖父と孫にしか見えない。しかし、二人がどれだけ想い合っているかはしっかりと繋がれたその手を見ればすぐに分かる。
 
 ―…目の毒だな。
 
 とは言え、毎朝…いや毎食、これ以上を見せられている私からすればざわつく心を抑えられない訳じゃない。そう心で何度も唱えれば、少しは心も落ち着いてくれた。しかし、コレから先にまた『アレ』が待っているのを否応なく考え、ずんと心に重苦しいものがのしかかるのを感じるのである。
 
 ―そんな事を考えている内に食堂へと辿り着き…。
 
 バフォメット――勿論、私の方の――が優に十人は座れる大きなテーブルを中央に座したその空間は廊下に負けず劣らず広々としていた。天井は高く、私が手を伸ばしてようやく指の先が届く程度である。私よりも遥かに小さい司祭や兄上からすればちょっとした家サイズの広さに感じるだろう。
 
 「さぁ、今日も自信作じゃ。遠慮せずに一杯食べるのじゃぞ」
 「えぇ。姉さん」
 
 心なしか胸を張って誇らしげに言う兄上は司祭と手を繋いだまま、テーブルの脇を通って対面側へと移動してしまう。この屋敷の家長として上座へと向かう兄上の姿を見ながら、私はそっと専用の椅子に据わった。バフォメット用の椅子の使い心地はまるで変わらず、私の心を少しだけ慰めてくれる。それに大きく息を吐いた後、私は目の前に並んでいる料理が相変わらず肉ばっかりであることに気づいた。
 
 ―また気を遣わせてしまったな。
 
 私の身体がバフォメットにしては貧弱であり、それをコンプレックスに思っているのは兄上も知ってくれている。だからこそ、兄上が作る料理は肉類が中心になっていた。しかし、元々の体質なのか、それでも私にバフォメットらしい筋肉はつかない。そんな自分に私自身は半ば諦めているものの、兄上はそうではないようだ。朝食だというのに私の前には胃がもたれそうなメニューが並んでいる。
 
 ―それに…付き合わせてしまっていて…。
 
 どれだけ私が貧弱であると言っても、人間ほど軟弱ではない。朝から肉料理が中心であっても胃がムカムカする事などはないのだ。しかし、それは老齢に差し掛かる、しかも人間の男では話が別だろう。私と兄上は似た料理ではあるが、司祭が何時も使っている場所には野菜中心のヘルシーなものが並んでいた。
 
 ―私が巨大な身体を維持し、発展させる為に必要なカロリーと人間の食べる料理…その両方を用意しているのは…。
 
 きっととても大変だろう。兄上は魔術にも優れているが、それでも数時間仕事になるはずだ。しかし、兄上はそれに対して不平不満や文句を告げた事はない。寧ろ私や司祭の食べる姿を見て嬉しそうに頬を綻ばせてくれる。何度も大変だろうからそこまでしなくても良いと言おうとしたものの、その兄上の笑顔を見るだけで何も言えなくなってしまうのだ。
 
 「よいしょっと…」
 
 そんな事を考えている内に二人が対面へと移動したらしい。気合を入れる声と共に特徴的な美しい角がよじよじと登ってくるのが見えた。本来の意味でのバフォメット用に調整されたテーブルで兄上が食べようとするとその椅子もまた特注の大きなものにならざるを得ない。別に別々のテーブルで食べても良いのでは、と何度か具申したものの、「家族とは一緒に食事をするものじゃ」と一蹴されてしまった。
 
 ―家族…と言われるのは文句なしに嬉しいんだが…。
 
 「それじゃあ…頂きますじゃな」
 「頂きます」
 
 ―司祭のその声は兄上の後ろから聞こえた。
 
 大きめのその椅子に兄上と司祭は一緒に座っているのだ。司祭が大きく広げた足の間に兄上がちょこんと座る姿は文句なしに可愛らしい。だが、そこにはまったくバフォメットとしての威厳は見えず、私の頭を痛ませる。
 
 ―けれど、それはほんの小手調べのようなもので…。
 
 「ほら、早くあーんするのじゃ♪」
 「もうちょっと待って下さいね。今、切り分けてる所ですから」
 「早くっ♪早くっ♪早くっ♪」
 
 ―…お前は誰だ?
 
 私の肉料理を作った余りを集めたような兄上の皿から司祭の手が切り分けるのに合わせて、聞き分けのない子どものように兄上は急かす。何処か甘いものが混じった兄上の声を聞くようになるとは正直、今代の魔王になるまで想像もしていなかった。けれど…目の前にある光景は間違いなく現実である。それを嫌というほど自覚した私は逃げるようにそっと骨付きの肉塊を手に取り、口へと運んだ。
 
 「はい。あーん」
 「あーん…♪んぐんぐ…っ♪」
 「どうです?」
 「んぐ…っ♪うむっ♪お兄ちゃんが口に運んでくれただけでとても美味しいぞ♪だから、今度は妾がお兄ちゃんにお返しをしてやろう♪ほら、あーんするのじゃ…っ♪」
 「あーん」
 
 ―…本当、目に毒だな。
 
 基本的に兄上は今の姿になった後でも私の事を気にかけてくれている。恐らくその身を預けている司祭の次に私の事を大事に思ってくれているのだろう。だが、それでもこうしてたまに…いや、毎食といって良い程に頭のネジが飛ぶ。まるで世界が自分たち二人で出来上がっていると言うようなバカップルそのものの姿に胸焼けすら感じるのだ。
 
 ―こんなのを見せつけられるくらいなら一人で食べた方がマシかもしれんとさえたまに思う。
 
 だが、同時に兄上の気持ちを無駄にしたくないとも思うのだ。その二つに挟まれた私の心がキリキリと痛む。それを抑えつけるように好物である肉を胃へと流しこむが弱くはなれど収まってはくれない。自然、食事の速度が緩み、先にバカップル二人の方が完食へと至った。
 
 「ベイカーはどうじゃ?今日の味付けは」
 「とても美味しいですよ」
 
 今の姿になってから毎食料理を作るようになった兄上の料理はとても美味しい。私の味覚に直撃する味付けや匂いは他の者では出せないだろうとさえ思う。この世でもっとも美味しい物をあげろと言われれば私は躊躇なく兄上の料理をあげるだろう。しかし、そんな料理でさえ、胸に走る鋭い痛みを消してはくれない。
 
 「ふむ…そうか。それなら良いのじゃよ。では、妾は後片付けに入るからの。食べ終わったら厨房へと自分で運んできて欲しいのじゃ」
 「分かりました」
 
 兄上の言葉にそう返した瞬間、兄上と司祭が手を取り合って床へと降りていくのが見えた。本当に仲睦まじいその姿が床へと降り、厨房への扉の向こうに消え去るのを待ってから私はそっと溜息を吐く。そのまま手の中に残る鶏肉の山賊焼きへと自棄食いをするようにかぶりついたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…あぁ、しまった」
 
 そう思わず口に出したのは朝食後の事だ。兄上に食器を返してから部屋へと帰った私は今日の実験に使う大事な触媒が切れているのを思い出したのである。他ではどうしても代用できないそれがなければ、今日の実験は進まないだろう。
 
 「…買いに行くかな」
 
 街へと出るのは気が進まないが、出なければ今日一日を無駄に過ごす事になってしまう。それに今日を無駄にした所で何かの突破口が開ける訳ではないのだ。ここは素直に買いに行くべきだろう。
 
 ―まぁ…本当に嫌であればあの男に行かせれば良いんだが…。
 
 しかし、私とて一応、分別というものがあるのだ。あの司祭を認めている訳ではないが、この屋敷のお邪魔虫は私の方であるという自覚はある。今だってあの男は兄上と一緒に色々と作業しているはずだ。それを私の私用で邪魔してやるほど私は厚顔無恥ではない。面倒くさいがここは私の足で出るべきだろう。
 
 「ふぅ…」
 
 そこまで考えて自然と出てくる溜息に魔力を載せ、私は術式を展開する。庭と門の境にある開けた空間であれば、転移しても誰かを踏みつぶす事はあるまい。念のため転移先の様子を部屋の窓から確かめ、そこに誰もいない事を確認してから私はそっと唇を開く。
 
 「<<ジャンプ>>」
 
 そのキーワードで展開していく魔術が私を包み、視界を歪ませる。一瞬の浮遊感の後、私の視界に小さな丘ほどの大きさがある鉄格子状の門が目に入った。昔からずっとこの屋敷を護ってくれているその門にはバフォメットの手による最高峰の防護魔法が掛けられている。並の魔物では突破するどころか傷一つ着けられないであろうそれを内側からそっと開きながら、私は舗装された石畳へと踏み出した。
 
 ―そこはもう歓楽街と言っても良いような様子で…。
 
 肌の大半を露出する女たちが男と仲良く手を繋いで歩いている。その身体からは多かれ少なかれ人間とはまったく違う部位が見られるのだ。誇り高い種族であった頃の名残を見せる女たちはほぼ例外なく魔物娘と思っても良いだろう。しかし、その表情は誇り高さなど欠片もなく、誰もが頬を緩ませ、嬉しそうな表情を見せていた。
 
 ―それは『幸せそうな』とも言える表情なのだろう。
 
 しかし、私はそれを到底、受け入れる事が出来ない。誇りを失い、人間に恭順するような姿が幸せであるなど認められはしないのだ。勿論、私がそれに羨望を抱くことはないし、同じようになりたいなどと思う事はまったく、欠片も、これっぽっちもない。兄上をあんな風にし淫魔に屈してやるものかという気持ちが私の中では一番強いのだ。…そのはずだ。
 
 ―…まぁ、その治世の手腕は認めなければならんがな。
 
 こうして舗装された石畳も並び立つ様々な商店――勿論、如何わしい用途に使う物を売っているのが殆どだ――も先代の魔王様の時代には決してなかったものだ。当然だろう。魔物としての本能を強める方向へと進んでいた先代の治世では魔王城の中は荒れ果て、城下町はさながらゴーストタウンそのものであったのだ。闘争本能を掻き立てられた魔獣が暴れる事など珍しくはなく、区画や道路の整備を行おうにもすぐさま壊されるのが現実だったのである。
 
 ―さらに言えば…魔物の敵は魔物が常識だったからな。
 
 人間の上位種であり、捕食者である魔物が人間に負ける例と言うのは圧倒的に稀有なものであった。外敵らしい外敵が見当たらない魔物にとってその敵は同じ魔物たちであったのである。友人同士であった魔物同士が些細なキッカケから殺し合うことなどそう珍しい事ではない。魔物が人間を殺し尽くし、世界の覇者にならなかったのもきっとこの辺りに原因があるのだろう。そう思える程に魔物同士の争いは珍しい事ではなかった。
 
 ―そのような価値観の中で治世が安定するはずがない。
 
 力こそ全てであり、下克上上等の価値観は施政者である魔王の座をあっちこっちへと移動させる時代を作っていたのだ。僅かな忠誠心を持つ魔物――デュラハンや私の両親を始めとする上位の魔物など――はその度に殺されていたのである。
 しかし、今はそのような価値観はまったくない。あるのは人間至上主義とも言うべき吐き気を催すような価値観だ。だが、そのお陰で現在の魔王の治世を安定させ、一貫した政策を打ち出せているのは確かである。私は魔王のことが嫌いではあるが、力による直接的支配ではなく、価値観による間接的な支配を選んだ点は評価しなければならないだろう。そして、両親のような魔物を増やさないで済んだのは少しだけ感謝をしなくくもない。
 
 ―とは言え…この乱痴気騒ぎはどうにかして欲しいものだがな。
 
 魔物娘の特性上、ラブホテル――異性の二人が入り、性行為を行う専用の宿泊施設なのだそうだ――はそこら中に乱立してるが、見られるというリスクが興奮するのか路地裏で甘い嬌声をあげている魔物娘も少なくはない。流石に路上で痴態を見せびらかすものはいないが、少し裏路地へと入れば男と女が絡みあうそれはもう最悪な――魔物娘からすれば最高な――光景が見られるだろう。
 
 ―これももう少し場所が違うと変わると聞くが……。
 
 魔王の区画整備によってこのあたりは丁度、歓楽街が配置されてしまったのだ。淫靡な商店が立ち並ぶ城下町の中でも特にそれらを集められたこの場所は勿論、それを目当てとする淫らな者たちが集まるのである。城下町の他の区画では人間の女が好みそうなオープンカフェやブティックが中心の場所もあるらしい。そのような所では流石にこのような乱痴気騒ぎが行われていないそうだが、あまり外出するのが好きではない私がこの目で確認した訳ではなかった。
 
 ―引越し…を考えないでもないのだがな…。
 
 しかし、両親との思い出が染み付いたあの屋敷を手放すのは余りにも辛い。私にとって我が家とはあの屋敷のことを指すのだ。それに何より…このような魔物とも言えぬ魔物娘どもに囲まれたから逃げ出すというのはまるで魔王に敗北した気にもなるのである。そのような心情を抑えて、別の場所に移動したいとはあまり思えなかった。
 
 ―まぁ…ここにもメリットはある。
 
 人混みの中から背中が飛び出る私に対してあまり視線が集中しないのだ。兄上と同じく自分たち二人で世界が完結しているような連中が殆どで私に視線を向ける暇などないのだろう。時折、チクチクと好奇心と同情が混ざった視線が突き刺さるが、それは決して多くはない。その一つ一つに「私は別に意地でこの姿でいる訳じゃない」と叫んでやりたかったが、それを実行には移さない程度の理性は働いていた。
 
 「おっと…」
 
 そんな事を考えている内に目的の店を通りすぎようとしていた。そんな自分に苦笑を浮かべながら、私は身体を小さく折り曲げた。そのまま人間サイズに調整された扉に身体を突っ込み、じわじわと店の中へと入っていく。
 
 「…ふぅ」
 「いらっしゃーい」
 
 そんな私を出迎えたのは幼い少女の声だった。ふと店の奥にあるカウンターに目を向ければ、ゴブリンの姿が目に入る。これまでも何度となく触媒を買いに来たからだろう。その顔には絶滅危惧種となった魔物を見た驚きはない。
 
 ―もっとも…そこまで大袈裟に驚かれたことは今までなかったが。
 
 どれだけ驚いたとしても精々、声をあげる程度で逃げられた事などはない。それも当然だろう。なにせつい百年近く前には皆それほど変わらない姿だったのだから。珍しくはあるが、その後に生まれた子どもでも恐怖心を抱くほどではない。こうして私が外を出歩く頻度は少ないが、その間、私が恐怖の視線を向けられた事は一度としてなかった。
 
 「また実験のお買い物?」
 「あぁ、そうだ。大事な触媒が切れてな」
 
 半ば顔馴染みとなったゴブリンにそう返した瞬間、私の耳はクチュクチュという水音を捉えた。街中でも聞いたその音に私は肩をそっと落とす。だが、ここはこの歓楽街にあるにしては触媒の数も豊富な魔法店だ。これからも触媒を買いに何度も足を運ぶことになってしまうだろうから、あまりとやかく言って店主の不興を買う訳にはいかない。そう思って自分を抑えこもうとしたが、鳴り止まない水音に商品を選ぶことも出来ないのも事実だった。
 
 「別に止めろなどと言わんがな。せめて客がいない時だけにするつもりはないのか?」
 「あんっ♪いや…これも仕事…だし…ぃ♪」
 「仕事?」
 
 汗を浮かべて顔を紅潮させる姿は正直、楽しんでいるとしか思えない。よく見れば後ろから店主の下半身を隠すカウンターの部分から男の喘ぎ声も聞こえている。まず間違いなく性交中だろう。店の営業中にシておいて仕事だなどとは到底、信じられない。
 
 「そ…♪サバトから新入荷した魔法薬の効果を確かめるのに…んっ♪じ、自分でもどれだけ効果あるかも知らないのに…お客に売れるはずないでしょ…?」
 「もっともな意見ではあるが、そんなのは店を閉めた後か休日にやれ」
 「やだもん…お店が終わった後はらぶらぶエッチする予定が詰まってるんだから…あぁっ♪」
 
 ―…言い訳じゃないか。
 
 しかし、ただでさえ性交のことで頭が一杯なゴブリンが今はこうしてセックスに励んでいるのだ。どれだけ言った所で止めるつもりはないだろう。そんな誇りもなにもない姿に私はこれ見よがしに溜息を吐いてやりながら並び立つ商品棚の奥に鎮座する商品を取り出す。禍々しく曲がりくねった紫の枝には私が欲している魔力が灯っていた。性格や頭の中はアレではあるが、相変わらず目利きは確かなようである。
 
 ―…まぁ、だからこそたちが悪いとも言える訳だが。
 
 別にこのゴブリンに限った話ではない。昔からは考えられない能力を手に入れた魔物娘というのはかなり多いのだ。それらの殆どは有用であり、魔界の発展に大きく寄与している。だが、それらは殆どが人間のオスを手に入れる為に磨かれた新しい技術や能力なのだ。それを手放しに喜ぶ事など出来ない。
 
 ―だが…それらの技術や能力は日常生活にも応用されていて…。
 
 人間を悦ばせる為の技術や人間を楽しませる為の能力。それらが応用され、物流にまで食い込んでいる。その技術で成り立っていると言っても過言ではないこの城にとって最早、魔物娘は必要不可欠なものになっていた。今更、それらが元の魔物に戻った所で大混乱が起こるだけだろう。そう冷静に現状を認識できる自分もいた。
 
 ―実際…私はどうしたのだろうな…。
 
 ようやく見つけた触媒を幾つか籠に突っ込みながらそんな事を思う。例えサキュバスの魔力を兄上から分離させる方法が確立出来た所で兄上がそれを望むとは到底、思えない。ならば、と魔王に挑んだ所で返り討ちに合うのが関の山だ。そう。私がどうした所で私が望む兄上はもう戻っては来てくれない。そんな事は私にだって分かっているのに…研究を続けるのを止められなかった。
 
 ―ある意味…自己防衛のつもりなのかもな…。
 
 何時か自分が何かの手違いで彼女らのようになった時に戻れる手段を欲しているのかもしれない。そんな言葉が脳裏に浮かんだが、私はそれをすぐさま打ち消した。どの道、私は止まれないのである。私の目的が何であっても、突き進むしか道はない。そう言い聞かせるように結論づけながら私は籠に入れた触媒を店主の待つカウンターへとそっと載せた。
 
 「勘定を頼む」
 「ん…じゃあ…銀貨一枚…ね…♪」
 「…安すぎはしないか?」
 
 店主曰く趣味でやっているこの店の値段がアバウトなのは別に今に始まった事ではない。それは基本、安い方にアバウトなので特に今まで口にしなかったが、このクラスの触媒でこの量を買おうとして銀貨一枚はあまりにも安過ぎる。このゴブリンが今更、私を騙そうとしていると思わないが、然るべき所で買おうとすれば金貨数十枚は下らない買い物なのだから。警戒心が持ち上がるのも自然の成り行きであろう。
 
 「だって…触媒そのものがあんまり…きゅぅ…っ♪売れない…し…ね…♪それは殆ど貴方への義理で入荷してる訳だし…さぁ…♪」
 「…なら、せめて原価くらい払わせろ」
 「だから…んく…それが原価…♪言ったでしょ…?最近はそんな触媒なんて見向きもされないで皆、魔法薬とかそんなのに夢中なの…♪」
 「…むぅ」
 
 商売というのは基本的に需要と供給で成り立つものだ。どれだけ価値があった所で需要がなければ、ゴミクズ同然である。それなのにも関わらず、私だけの為にこうして触媒を入荷しておいてくれてるこのゴブリンには感謝しなければいけないだろう。
 だが、その一方で見向きもされない触媒に悲しいものを感じるのだ。勿論、今だってサバトを中心に魔術や魔法薬の開発が進んでるが、それはかつてと違い淫欲を満たす為のものが中心である。それを開発する為にも触媒が必要にはなるだろうが、どんな魔物娘の身体にも宿るサキュバスの魔力を適当なものに込めるだけで触媒としては一級品となるだろう。
 
 ―これも時代の流れ…と言うやつなのかな…。
 
 今、私が買おうとしている触媒は時代が時代であれば入荷に数ヶ月待たなければいけないほどの有用さを持つのだ。魔王軍からの供給を待たなければいけないほどの希少価値があった時代も私は知っているのである。文字通り一世を風靡した時期もある貴重な代物が銀貨一枚程度で購入出来るのはありがたい半面、妙に寂しい。
 
 「では、お言葉に甘えようか」
 「はぁい…♪あ、それとサキュバスの魔力を抽出した栄養薬の試供品も余ってるんだけど…」
 「要らん。興味ない」
 
 ―相変わらずお節介な…!
 
 誇りを失ったという一点を除けば私はこのゴブリンをそこそこ気に入っている。目利きも素晴らしいし、私をあまりジロジロ見ないのも悪くない印象だ。だが、こうして顔を出す度に自分と同じ存在へと私を引きこもうとするのは性質が悪いとしか思えない。正直、お節介以外の何者でもないのだ。
 
 「…そうは言っても…さぁ…貴方、とても辛そう…ふぁぁっ♪…大事なお話してるのにそこだめ…ぇっ♪」
 「……」
 
 ―はっきりと言い当てられるその言葉に私は反射的に自分の顔に手を当てた。
 
 この街に置いて最早、異形としか言いようがない私の顔は思ったよりやつれていた。兄上と司祭とのじゃれ合いを毎日、見ているからだろうか。それともまるで突破口が見えない研究に心が荒みつつあるのかもしれない。少なくとも…たまに顔を出す客と店主という関係でしかないゴブリンにまで言い当てられるほど酷い顔をしているのは確かだろう。
 
 「何に悩んでいるのか知らないけれど…『こっち』に来ればきっと楽になれる…よ…♪」
 
 ―そう言ってゴブリンはメスの笑顔を浮かべた。
 
 それは愛される悦びを知ったものの表情だ。愛す事の悦びを知ったものの表情だ。想いを通わせる悦びを知った表情だ。ひだまりのような幸せが永遠に続く悦びを知った表情だ。そんな事は私にだって分かっている。きっと兄上もアイツの前でこんな表情を毎日、見せているのだろう。そう思うと胸が疼くように傷んだ。
 
 「…その心遣いだけ受け取っておこう」
 
 その疼きが何度も断っているのにもかかわらずお節介を繰り返そうとするゴブリンに対する怒りをなだめる。その怒りの代わりに私の心に満ちるのはどうしようもない閉塞感だ。まるで何処にも行き場のないようなそれに息苦しさと無力感を感じる。それに萎えそうになる胸を奮い立たせながら、私は持ってきた金貨を入れた革袋から数枚を手に取った。
 
 「受け取れ。釣りは要らん」
 「ちょ…お、多すぎるってば…ぁんっ♪」
 
 そう言って、ゴブリンは私に金貨を返そうとするが、人間のオスと繋がっている状態では立ち上がれまい。カウンターの向こうに立つ私に金貨を突き返すなどは無茶を通り越して無理であろう。それに内心、「ざまぁ見ろ」と子どもっぽい感情を湧き上がらせながら私はそっと触媒を手に持った。そのまま頭の中で魔術を構成しながら、口を開く。
 
 「これからもお前との付き合いは続くだろうからな。途中で仕入れをやめないようにさせる前金だとでも思え」
 
 ―その言葉をキーワードに私の視界が一気に書き換わる。
 
 次の瞬間、私の視界に入ってきたのは見覚えのある木々であった。どうやら無事、私たちの屋敷に転移するのは成功したらしい。言い逃げの為に転移魔術を使うなんて子どもらしい事をしてみたが、割りと悪くはない気分だ。魔物娘たちに一矢報いた気さえするのだから。
 
 ―まぁ…八つ当たりも良い所だがな。
 
 とは言え、あの店主としても悪い取引ではなかったはずだ。本来の適正価格には届きはしないが売ろうとした額の数百倍で売れたのだから。魔物娘の中では割りと勤勉な――勿論、週の半分は定休日であるし、店も夕方前には閉めるが、他の店のように突発的に休みにした所を見たことがない――ゴブリンがそれをどう使うかまでは分からないが、きっと義理立てして途中で仕入れを打ち切るなんて事はしないだろう。
 
 ―その先行投資と思えば悪くない。
 
 そう胸中に言葉を浮かばせながら、私はそっと屋敷へと向き直る。そこには小さな山ほどの大きさを誇る建造物があった。人間よりも遥かに大きいバフォメットが家族で住んでいたのだから当然だろう。だが、そこには幾つか修繕の後が見えるのである。
 
 ―名誉の負傷…と言えれば楽なのだがな。
 
 かつて力による支配が全てであった時代にはこうして屋敷を襲撃される事は珍しくなかった。そしてその目的は大抵、強い力を持った両親の命か、私と兄上の身柄の確保だったのである。前者は勿論、敵対者の勢力を削ぐ為に、後者は両親に対する人質にする為に…だ。
 
 ―それはとても有効な戦術だろう。
 
 最上位の魔獣とは言え、情を完全に捨て切った訳ではない。そして、どれだけ強力な種族であっても、子どもであれば確保するのはそう難しくない。それは別にバフォメットではなく、他の上位種族も同様だろう。だからこそ、両親たちは政敵の襲撃を恐れ、子どもたちに繋がりを作らせる事は滅多になかった。たまに盟友とも言える間柄の相手の所へ子どもと共に遊びに行く事はあっても、今のように気軽に街へと遊びに出かける事など許しては貰えなかったのである。当然、そのような状態で友人など出来るはずもなく、私にとって遊び相手とは兄上を意味する言葉だった。
 
 ―だが、護られた世界の中でも狙われた回数は片手では足りず…。
 
 屋敷の傷は大抵、その時つけられたものだ。故に私にとってそれらの傷は自身の恐怖の記憶と結びつくのである。それを乗り越える為にもいずれ目立たなくなる程度には直そうとは思っているものの、大工技術よりも先に研究を完成させたい。無論、今の時点でもジャイアントアントなど優れた技術を持つ魔物娘を迎え入れればすぐさまに消えるのだろうが、屋敷に兄上以外の魔物娘を迎えたくない私にとってその選択肢はないも同然だ。
 
 「ふぅ…」
 
 他にもやりたい事はたくさんある。料理も覚えて兄上の負担を軽くしてあげたいし、その他の家事だって私が出来る事はあるはずだ。しかし、それらを覚えるには時間が圧倒的に足らず、まず1つずつ片付けようと私は研究に注力している訳である。しかし、その研究すら未だに見通しが立たない。無能としか言いようがない自分に嫌気が差すのを感じながら、私はそっと屋敷の扉へと手を掛けた。
 
 「ただいま…っと」
 
 瞬間、私の目に広がるエントランスはガランとして誰もいなかった。それも当然だろう。この広い屋敷には私と兄上とあの忌々しい司祭しかいないのだから。特に兄上と司祭はくっついている事が多いので、実質的に私と兄上しかいないも同然である。
 
 ―この時間ならきっと執務室かな。
 
 兄上にとって一番の趣味はサバトを運営する事であった。今は恐らく――あんまり考えたくはない事ではあるが――違うであろうが、それでもサバトの運営を趣味にしている事は変わりないだろう。特に今は黒ミサが近い時期だ。新規加入者の名簿や新しい組織編成などに頭を悩ませている頃だろう。
 
 ―そう…だな。少しは手伝うのも良いかも知れない。
 
 自室へと足を進ませる私の胸にそんな言葉が浮かんだ。私はサバトを持ってはいないが、兄上の仕事を手伝ったことは少なからずある。書類の捌き方では兄上どころか恐らくあの司祭にも及ばないだろうが、兄上は書類を処理する以外に料理や掃除までしなければいけないのだ。その負担を軽減する程度の働きは私でも出来るだろう。
 
 ―どうせ研究は煮詰まっていた事だしな。
 
 このまま自室に帰って研究を再開した所で目覚しいほどの結果は得られないだろう。ならば、忙しい時期くらいは兄上の手助けを優先しても良いかもしれない。あの司祭と同室にいなければいけないのは癪だが、兄上のことを思えば我慢できるはずだ。うん。そのはず。いや、ちょっとは覚悟しておいたほうが良いかも知れない。
 
 ―…ん?
 
 そんな事を考えながら兄上の執務室へと足を向けていた私に半開きになった扉が目に入る。そこは昔、ここに住み込んでいたメイドたち――勿論、魔物である――が暮らしていた場所だ。敵対者の襲撃によって図らずも命を落とした彼女たちの部屋は今も空室のはずである。それなのにそこが開いていると言う事は……―
 
 ―兄上が掃除でもしているのかな?
 
 私よりも遥かに彼女らとの付き合いが長かった兄上はこうして時間を見つけては掃除をしている。きっと書類を処理するのにでも煮詰まって、別の仕事から先に手をつけようといたのだろう。ならば、私の手助けは兄上にとっても必要なはずだ。そう考えた私は扉を開けようとドアノブに手を掛け…――
 
 「もう…何を拗ねておるのじゃ?」
 「…拗ねてなどおりません」
 
 ―…え?
 
 聞こえてきた兄上と司祭の声に思わず腕を硬直させてしまう。勿論、二人が一緒である事を私が考えなかった訳がない。掃除していたとしても二人は一緒であろうという認識が私の中にはあるのだから。だから、私が腕を硬直させたのはそれではなく、その声に込められた響きの方で…――
 
 「ふふ…そんなに頬を膨らませて…愛いお兄ちゃんじゃのぅ♪」
 「膨らませてなどおりません。シャーリー様の気のせいでしょう」
 
 ―司祭のその声は私が聞いたことがないくらいに不機嫌であった。
 
 何時だって自分を抑えて、忠実に尽くそうとしてきた男の不機嫌な声。それとは対照的に兄上の声は甘く、そして楽しそうであった。何処かイタズラが成功した子どもを彷彿とさせるその声は私だって聞いた事がない。今の姿になった後も兄上はとても理知的で、司祭さえ絡まなければ冷静で威厳ある声を紡ぐ人なのだから。そんな兄上が心の底から楽しそうな、子どもっぽい声をあげるだなんて…私には正直、信じられず、身体を硬直させてしまうのだ。
 
 「そんなに妾が黒ミサで女と絡み合うのが嫌なのかえ?」
 「新規加入者の魔女化には必要な行為ですから仕方ないでしょう」
 「妾はそのような当たり障りのない返事を期待しているのではないぞ。妾が求めておるのはお兄ちゃんの本心じゃ。…それともお前の忠誠心は疑心無く本心を打ち明けられぬ程度のものだったのかえ?」
 
 ―その言葉は司祭にとっては拒めるものではないだろう。
 
 鋭くわざわざ何時も呼んでいる『お兄ちゃん』ではなく、かつてのように『お前』と呼んだ兄上が一体、どういう意図を持っているかが男に分からないはずがない。きっとこの忠誠心を試すような言葉を司祭は拒めないだろう。その証拠に扉の間から微かに見えるシワの刻まれた顔には諦観の色が浮かび始めていた。
 
 「不安…なのです。私はこのように年老いていますから…」
 「それで…若いぴっちぴちの女に妾を取られるのではないかと思った訳じゃな?」
 「…さらに言えばシャーリー様は元々は男性です。私などより女性の方が相応しいのではと…」
 「えいっ♪」
 「のわっ…!!!」
 
 そこまで言った司祭の言葉を遮るように兄上が司祭へと飛びついたのが分かった。そのままバランスを崩し、床へと押し倒された司祭の上で兄上がニヤリと笑みを浮かべる。獲物を前にした猫のようなその笑みには何処か艶さえ感じられた。思わず生唾を飲み込んでしまう女豹のような表情から私は何度も目を背けようとしたが、惹きつけられたように視線を外せない。
 
 「お兄ちゃんは幾つか勘違いをしておるようなので訂正しておくぞ。一つ、魔物娘が美醜で男を選ぶ事はない。二つ、妾の心は既に女で、身体もまたお兄ちゃん専用のメスじゃ♪三つ、故にこの世でお兄ちゃん以上に妾に相応しい相手なぞおらぬ。四つ…魔物娘が百合だの同性愛に目覚める事はない。性交に対するスパイスや仲間を増やす手段として使うだけじゃ。五つ…だから、取られるなんぞと勘違いするのではない。…まぁ、嫉妬していてくれたのは嬉しいのじゃがな♪」
 「う……」
 「さぁ…以上の事を勘違いしていたお兄ちゃんは…妾に何かする事がないかえ?もし…今、妾が一番、して欲しい事をしてくれれば…次の黒ミサから手段の変更なども考えない訳ではないのじゃが…♪」
 
 ―それは明らかにオスを誘う為の言葉であろう。
 
 微かに見える兄上の横顔には陶酔と共に欲情が浮かんでいた。紅潮した頬以上に真っ赤な唇をぺろりと艶やかな舌で舐める仕草などは人間のメスに欲情する趣味などないはずの私が思わず興奮を浮かべるほどである。それが人間である男に我慢出来るはずがない。上にのしかかる兄上の背中にそっと手を伸ばした司祭はそのまま自分の方へと兄上の身体を押し倒すように力を込めて…そして――
 
 「んっ…♪ちゅぅ…♪」
 
 そのまま唇同士を触れ合わせた瞬間、兄上の口から艶やかな粘体がそっと司祭の口へと入り込む。それを受ける司祭もまた自分の舌を突き出し、二人の間でくちゅくちゅと音を立てるのが聞こえた。二人の間で艶かしく動く舌の動きにまるで私は魅せられたように目を離せない。まるで最初から一つであったようにスムーズに絡み合い、唾液を塗り合わせるそれはとても性的で…何より美しく思えるのだ。
 
 ―そんな…バカな事があるものか…!!
 
 そう胸中で否定するものの、幸せそのものと言ったような兄上の表情がそれを阻む。目を閉じてうっとりとした表情を見せながら舌を動かす姿は決して悪いものには思えないのだ。寧ろ…心の底から幸せを享受しているその表情に強い羨望を感じ、私も同じものを浮かべたいとそんな欲望さえ……――
 
 ―違う…!そんな事ない…!あんな…あんな誇りも何もない表情を羨ましいと思うなんて…!
 
 だが、あそこにいるのはかつて私よりも遥かに誇り高く、素晴らしい兄上だったのである。その兄上が…人間に虜にされ…幸せそうな表情を浮かべているのだ。なら…私であれば…兄上より様々な面で数段、劣っていた私であれば…一体、どれほど幸せになれるのか……――
 
 「ふふ…♪中々じゃが…これじゃあ30点しかやれんぞ…♪残りの70点はどうすれば良いか…分かっておるな?」
 「勿論ですとも」
 
 目の前の光景の肯定と否定。それを何度も繰り返す私の前でいつの間にか二人の唇は離れていた。滑らかに動くその唇の間には透明な粘液がつぅっと糸を引き、司祭のローブを濡らす。しかし、二人はそれにまったく気を払う様子もなく、お互いの身体をまさぐり合う。お互いの肌を撫でるように愛撫しながら興奮を高めあう姿に私の身体は限界に達した。
 
 ―もう…こんなの見ていられない…!!!
 
 その言葉だけを胸に浮かばせた私はその場から脱兎のように逃げ出した。ダンダンと足が廊下を叩くような音が響くものの、それに気を配ってはいられない。先ほど見た兄上の姿から、そしてそれを肯定した自分から逃げるように私は足を全力で前へと出し、走り続ける。そのまま視界の端に見えてきた自分の部屋の扉を乱暴に開け、逃げこむように足を踏み入れた。
 
 「ふー…っ!ふーっ……!!」
 
 そう息を荒上げているのは勿論、走ったからなどではない。どれだけ貧弱であろうとも家の中を走った程度で疲れるほどバフォメットの身体は軟弱ではないのだ。私が呼吸を乱しているのはそちらではなく、先ほど見た光景に興奮した所為で…――
 
 ―くそっ!くそっくそっくそっくそっくそっ!!!!!
 
 そんな自分を認めまいとする破壊衝動が目の前のテーブルへと向かった。決して結実しないであろう忌々しい研究の成果を私の獣毛に満たされた腕が薙ぎ払う。自然、ガラスで作られた試験管やビーカーは割れ、薬品を床へと零した。だが、少しずつでも前進してきた証であったそれらの悲惨な最期を見ても私の破壊衝動は収まらない。そのまま自分を罰するように思いっきり腕をテーブルへと叩きつけ、それを真っ二つに叩き割ったのである。
 
 「はぁ…っ!!はぁ…ぁ!!」
 
 ドゴン!!と部屋中に鳴り響いた破壊の音を聞いても、私の気分は一向に晴れなかった。それどころか破壊衝動はどんどんへと内側へと向かっていく。他者ではなく自分の肉体を壊そうとする欲求に私は抗うことが出来ない。テーブルを破壊した時と同じく握りしめた拳を全力で膝へと振り下ろそうとした瞬間、部屋の扉を小さく叩く音が聞こえた。
 
 ―トントン。
 
 「……」
 
 ―トントン。
 
 控えめではあるがしっかりとしたその音に私の怒りが再び外へと向かった。魔物娘である兄上が始まった性行為を中断するとは到底、思えない。きっと目の前に立っているのはあの老齢の司祭だろう。神経を逆撫でするそのノック音に私は今まで自分を抑え込んでいた理性を半ば見失った。あの忌々しい男を扉ごと弾き飛ばしてやろうと脳裏に攻撃魔術を浮かばせた瞬間、扉の向こうから微かな声が聞こえる。
 
 「ベイカー。聞こえておるかえ?」
 「にい…さん…」
 
 てっきりあの司祭であろうと思っていた私から怒気がすぅっと抜けていく。それに比例するように握りしめた私の腕からも力が消えていった。だらんと力なく重力に腕が従うのを呆然と見る私の心には「どうして」と言う言葉が幾つも並んでいる。まるで数珠つなぎにでもなったようなその言葉は決して途切れる事はなく、私の心をどんどんと埋め尽くしてった。
 
 ―だって…そんな…あり得ないじゃないか…!
 
 一度、獣欲に囚われた魔物娘がそれを押さえ込めるはずはない。ましてや兄上は最高位の魔獣であるバフォメットなのだ。その身に孕むサキュバスの魔力もまた他とは比べ物にならない。強力な分、それだけ淫らな今の兄上が目の前にぶら下げられた性交というご馳走を無視して私の所に来るなんて…そんな…そんな事…っ!――
 
 「…のう。ベイカーよ。もう…良いんじゃないか?」
 「な…んの事ですか…?
 
 かろうじて兄上の言葉に応えた私の声は震えていた。まるで怯えるようなそれは自分の感情がまったく整理出来ていないからだろう。怒ったほうが良いのか、喜んだ方が良いのか、それとも落ち込んだ方が良いのか、悲しんだ方が良いのか。怒気が消えた穴を未だ塞ぐことが出来ず、ぽっかりとした虚無感を感じる私は自分が今、どんな感情を抱いているのかさえ明確に判別出来ないのだ。
 
 「そんなに片意地を張らずとも…お前だって分かっておるんじゃろう?」
 「だから、何の事ですか!!」
 
 思わず荒上げた声に扉の向こうから怯んだ気配が伝わることはなかった。こんな風に兄上に反抗した事は一度だってなかったはずなのに、まるで兄上はそれが予想通りのように受け止めている。それが悔しいのか、或いは悲しいのかさえ分からない私はそのもやもやとした感情を表現するように再び手を握りしめた。
 
 「お前は…魔物娘化出来なかったと言う事じゃよ」
 「っ…!!」
 
 「しない」のではなく、「出来なかった」。その言葉の意味を私は正確に理解した。しかし、それは今まで私が内心、ずっと目を背け続けてきた事である。絶対に認めまいとしてきた事なのだ。それを言い当てるのは…敬愛する兄上であっても許せそうにはない。
 
 「私はっ!!」
 「そもそもおかしいのじゃよ。極地的に魔王様の魔力を弾く事が出来たとしても、ずっとそれを続けられる訳はないのじゃから。全ての魔物娘から供給され、無限にも近い魔力を誇る魔王様に対し、お前はどれだけ優秀じゃとしても有限の魔力しかない。寝ている時も起きている時も魔王様の魔力を弾き続けるなんて不可能なのじゃ」
 
 しかし、言葉を遮ろうとする私に構わず、兄上は言葉を続ける。それを否定出来る要素は私にはなかった。当然だろう。それは私だって内心、気づいてた事なのだから。ずっと気を緩ませずに魔力による防御を続けることなんて不可能であり、私自身、それを続けられていなかった自覚があるのだ。
 
 「何が悪かったのかは分からぬ。しかし…お前はずっと世界で唯一、取り残される不安を感じておったのではないか?だからこそ…妾を元に戻す為と銘打って…分かりやすい大義名分を掲げて、『仲間』を増やそうと研究を続けておったのじゃろう?」
 「それ…は……」
 「そして…だからこそ、お前は他の魔物を…魔物娘を厭うた。見下した。そんなものにはなりたくないと、昔の方が良かったと思い込もうとした。自分では同じ存在になれぬが故にそれが下らないものであろうと吐き捨てねば心の平静が保てなかったのじゃ」
 「……」
 
 ―断定口調なそれに反抗する気持ちさえ私の中には残されてはいなかった。
 
 鋭く胸に突き刺さる兄上の言葉は私がずっと目を背けてきた内心を全て抉り出していく。無理矢理、白日の下に晒されるそれらから目を背けようとしても、もう遅い。自分でも自覚してしまったそれらからはもう心の中で染みのようにジワジワと広がり、どれだけ逃げ出そうとしても離れてはくれないのだ。
 
 ―嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…っ!
 
 胸の中にゆっくりと広がるそれを引き剥がすように私は胸板を掻きむしった。だが、そんなものでその事実から逃げられるのであればとうの昔にやっている。爪が食い込み、皮膚が裂けて血が流れでても、一生、目を背けていたかった事実は消えてはくれない。消えるはずがない。痛みさえ自分を誤魔化してはくれないという辛い現実から逃げようと私が口を開いた瞬間、扉の向こうでそっと兄上が唇を開く気配を感じる。
 
 「でも…それの何が悪い…?」
 「え…?」
 
 予想外の許容の言葉に私は思わず呆然とした言葉を返した。だが、それに応えてくれたのはドンと言う鈍い音である。まるで扉を乱暴に叩くようなそれに私は思わず後退った。それを感じたのだろうか。魔術で何重にも防御されている扉を叩く音はどんどんとヒートアップし、激しくなっていく。最高位の耐衝撃防御術式が掛けられているはずの扉はまるでそれを感じられず、少しずつ歪んでいくのだ。あまりにも普通ではないその光景に私が数歩後退った瞬間、限界を迎えた扉が部屋の中へと飛び込んでくる。
 
 「それが例えどんな理由であろうとも妾の弟は普通では成せない研究に手を出したのじゃ!それを誇りこそすれ、どうして恥じようか!」
 「え…?」
 
 扉と共に昼の光が差し込んでくる部屋に兄上の小さな身体がズカズカと入り込んでくる。まるで後光を背負っているように照らされたその顔には自慢するような色さえ浮かんでいた。それが私には分からない。歪んだ理由で研究を繰り返している中、私は兄上さえも見下していたのである。それはきっと兄上だって分かっているだろう。それなのに…どうして、そんな風に自慢そうに言えるのか。私には理解出来なかった。
 
 「その研究に疲れた所で誰がお前を責められる?誰がお前を笑える?それが出来るのはな、ベイカーよ。何事も真剣に努力したことのない奴だけじゃよ」
 「あに…うえ…」
 「そして…手に入らないものを羨む事をお前を誰が断罪出来るじゃろうか。それが出来るのはこの世の何も欲しがらぬ死人のような奴だけじゃ」
 
 ―そう言って…兄上は私を抱きしめてくれて…。
 
 その小さな身体では私の全てを包み込む事は出来ない。だが、私の首をそっと抱き抱えてくれる兄上の身体からはまるで私の心を暖めるような体温が伝わってくるのだ。それに私の山羊の瞳からポタリと一粒涙が零れ落ちるのを感じる。今まで必死で抑えてきた感情が身体の中に収まりきらず溢れているようだ。それを反射的に拭おうとした私の手を兄上の手は優しく押し留め、私の代わりに頬を拭ってくれる。
 
 「だから…そう自分を責めるでない。お前はお前で居て良いのじゃ。お前の在りたい自分であろうとして構わんのじゃよ」
 
 ―あにうえ…。
 
 優しい許諾の言葉に私の胸が少しずつ落ち着いていく。自虐や破壊衝動でぐちゃぐちゃになった心が一つに纏まり、凪の海のように穏やかになっていくのだ。兄上の優しい言葉一つでこうも穏やかになる自分が誇らしい反面、恥ずかしい。とうの昔に成人しているというのに、これではまるで子どものようではないか。胸の奥底から沸き上がってくるその言葉に思わず頬に熱が灯るのが分かった。
 
 「その為なら妾が手を貸そう。お前がありたいと思うお前になる為であれば…何だってしよう。…本当はそれもお前から言って欲しかったのじゃがな」
 「だけど…っ」
 
 今の時点だって兄上のおんぶ抱っこにも近い状態なのだ。炊事洗濯掃除の全てを兄上に任せているのである。サバトの運営もしなければいけない兄上の負担は今でも決して少ないとは言えないだろう。その上、私の手伝いまでするとなれば、あの男との時間だって取れなくなってしまうかも知れない。今でも私はあの司祭が決して好きではないが、私が奴に抱いていた感情は嫉妬と羨望が殆どなのである。それを自覚して尚、兄上との時間を邪魔してやりたいと思うほど惨めな性格をしている訳ではなかった。
 
 「お前は少し遠慮し過ぎじゃ。もうちょっと妾に頼っても良いのじゃよ。お前の我侭くらい全部、受け止めてやる。お前は…妾の大事な大事な…たった一人の弟じゃからな」
 
 ―しかし、その遠慮も優しく兄上によって溶かされてしまう。
 
 優しく穏やかな手が私の醜く捻くれた角をそっと撫でてくれる。何処か母性すら感じさせるその暖かな手つきに私の口から思わず長い溜息が漏れでた。今まで内に溜め込んでいた様々な不純物を吐き出すような長い長い息の後、もう少しだけ甘えても良いのではないかという考えが鎌首をもたげる。だが、それを口にする前に…私には一つ確かめなければいけない事があるのだ。
 
 「兄上は…今…幸せですか…?」
 「んーむ…」
 
 私の疑問の声に兄上は視線を彷徨わせ、右手でそっと頬を掻く。それはまるで答え辛い質問をされたと言わんばかりの表情だ。だが、それは幸せでないと言うよりも言うべきか言わないべきかを迷ってるようなものである。てっきりストレートに幸せであると即答されると思っていた私はそれに小さな驚きを覚えた。
 
 ―どうして…なんだ?
 
 押しの強い兄上であれば即答してもおかしくなかったはずだ。いや、私自身そうして欲しかったのだろう。そうすれば色々な事に諦めがつく。惨めな自分から少しはマシな自分へと変われるキッカケになったはずだ。だが、現実はそうではない。私がトドメとして欲した言葉を兄上は口にしてくれず、困ったように視線を彷徨わせている。
 
 ―やっぱり…私は重い…のか?
 
 私さえいなけれなこのような大きな屋敷に住む必要はない。いや、兄上以外の魔物娘を屋敷に入れる事を拒否している私さえいなくなれば、兄上のサバトから幾らでもメイドを引き込む事が出来るだろう。兄上がそれをしない、或いは出来ないのはきっと私の存在が重荷になっているからだと気づいていた。それをこうしてまざまざと見せつけられるような姿に私の心にまた苦々しいものが溢れ始める。
 
 ―そんな私に気づいたのか兄上は決心したように口を開いて…。
 
 「…妾はな…ずっと重かったのじゃ。両親の期待。お前の期待。その他同族の期待。妾はそれをずっと背負っておった。その為に人並み以上の努力をした。人並み以上に結果を出した。しかし…両親亡き今、それを褒めてくれる人はいても…それを止めてくれる人はおらなんだ。それこそ…お前ですら…な」
 「っ…!」
 
 ―兄上の口から呟かれる独白が私の胸に突き刺さる。
 
 確かに私は兄上を止めようなどと思ったことがなかった。私にとって兄上は完全無敵の完璧超人であり、私などが意見できる存在ではなかったのである。自然、私は兄上の偉業を讃えるだけで、その内心にまったく気を配ろうとはしなかった。兄上は期待で押し潰される事などなく、その心までもが鋼で出来ており、理想的なバフォメットであると決めつけていたのである。
 
 ―だから…か…。
 
 胸中を抉られるような言葉に兄上が逡巡していた意味を私は悟った。兄上に依存していると言っても良い私に向けられたその言葉は少し前であればきっと半狂乱になっていた事だろう。自分の本心と多少向き合い、心が落ち着いている今でなければ、また暴れていたかもしれないとさえ思う。それを兄上もまた気づいていたからこそ、アレだけ迷ったのだろう。
 
 「あやつはそうやって期待を背負い自分を追い詰めていく妾に何度も諫言を口にした。だが、あの男にそう言われるほど顔色を悪くしていたのに妾は自分自身が倒れるまでそれに気づかなんだのじゃよ。…そして倒れた妾を必死になって看病したのは…諫言を何度も口にし、妾が遠ざけようとしたあやつじゃった」
 
 ―そんな私の前で兄上の言葉は続く。
 
 出来れば聞きたくない惚気話も今は素直に受け止められる。きっとあの男は兄上をサバトの長として尊敬していただけでなく、一人の男として見ていたのだろう。同族内でも一目置かれていた兄上を血の通う生き物であると見ていたからこそ、あの司祭は兄上の変化に気づくことが出来たのだ。それは…きっと『理想的なバフォメット』という偶像を兄上に重ねていた私には到底、出来なかった事だろう。
 
 ―…きっと今朝に言った言葉も嘘じゃないんだろうな。
 
 あの時、あの男はバフォメットの顔色が分かると言った。その時はマトモには取り合わなかったものの、こうして兄上の話を聞いていると真実味を感じられる。一体、どうしてかまでは分からないが、きっと嘘を言っていた訳ではないのだろう。
 
 「その時、妾は思ったのじゃよ。この男であれば妾を甘えさせてくれる。一人のバフォメットとして見てくれる。…まぁ、それはこの姿になる遥か前であったが故に表に出る事はなかったのじゃが」
 
 そう言って兄上はそっと顔を赤らめた。何処か乙女さえ感じさせる――勿論、外見は幼い人間のメスなのだが――姿に私は魅入られる。ほぅと恋慕を込めて息を吐き出す姿は、儚くも美しく…まるで人間が描く絵画のようだ。悪魔の証である角や獣毛こそ生えているもののその姿は天使などよりはよっぽど美しいだろう。
 
 「そんな男に妾は今、心から甘えられる。そして…心だけでなく身体でも繋がる事が出来る。さらに…傍には唯一の肉親であるお前がいてくれるのじゃ。これを幸せと言わず、何を幸せと言えば良いのか妾には分からぬよ」
 「兄上……」
 
 ―その美しい姿と優しい言葉に私の心は陥落した。
 
 本当は…本当は幸せであると言われれば、この家から出ていくつもりだったのだ。兄上にもあの男にも知らせず、遠い魔界の片隅で自分の身体を魔物娘に変える研究を始めようと思っていたのである。だが…そんな…そんな風に言われて、私がここを離れられる訳がない。私だって…本心では兄上と一緒にいたいのだ。ずっと傍にいて…こうして暮らしていたいのである。
 
 「兄上…私は…私は…」
 
 ―それは猛毒であると私の中の何かが言った。
 
 一度飲み下してしまえばもう二度と吐き出せぬ真性の猛毒。神代の時代より続くそれを飲み込んではいけないと私の中の何かが警告した。だが、それでも私はもう止まれない。止まらない。甘美で醜悪な『愛』とも『欲望』とも言われるそれを飲み下そうとするように私の口はそっと開いていった。
 
 「私は…貴女と同じ姿になりたい…!」
 
 ―その言葉と共に私の中へと猛毒が入り込む。
 
 もう逃げられない、離れられないそれに私の中のどんどんと薄れ、消えて行く。だが、私はそれに安堵感すら感じていた。自分が『自分ではない自分』に書き換えられているのに、それが途方もなく暖かいのである。それは…それはきっと兄上がこうして抱きしめ…私を変える為に魔力を注ぎ込んでくれているからだろう。
 
 「大丈夫じゃ。妾は悪いようにはせぬ。何時だってそうだったじゃろう…?」
 「えぇ…」
 
 安心させるような兄上の言葉に私はそっと目を閉じる。これから…どうなるのかは分からない。兄上の魔力で私が魔物娘になれないかもしれないし、中途半端に魔物娘になってしまう可能性だってあるだろう。だけど…だけど、兄上に任せておけば大丈夫。そんな予感が私の中にはあった。
 
 ―あぁ…暖かい…。
 
 その安堵感と信頼感に包まれた私の瞼はゆっくりと降りていく。まるで鉛でも加わったようなそれに私は抗う事は出来ない。そっと瞳を閉じ、安寧としたそれに身を委ねた。その内、私を包む安堵感と信頼感が眠気へと変わり、私の意識を闇へと引きずりこんでいく。
 
 ―きっと起きた時には…。
 
 何もかも変わっているだろう。そんな言葉を思い浮かべながら私は眠りへと身を委ねる。そのままずるずると暖かい闇に包まれながら私は自分の身体が小さく縮んでいくのを感じたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―朝と言うのは基本的には辛い時間だ。
 
 どんな季節だって布団の誘惑をはねのけるのは難しい。後五分と汚泥のような眠りに身を委ねておきたい気持ちは何時だって消えてはくれないのだから。
 
 ―だけど、私はそれを抑えつけ、ゆっくりとベッドから身を起こした。
 
 「んんんんーっ!」
 
 そのまま大きく背筋を伸ばして、眠気を弾き出す。身体の奥へ眠気が引っ込んでいく感覚は悪くはない。何時までも感じていたい訳ではないが、何となく「勝った」感がするのだ。文字通り自分に打ち勝った手応えを感じながら、私はベッドから降りる。そのまま衣装棚の前に立ち、今日の「こーでねいと」を考え始めた。
 
 ―んーむ…そう…だな…。
 
 ふと窓へと目を向ければ、今日もまた曇天の空が広がっている。まるで薄い墨を零したような空から私の頭の中に黒が連想された。ちょっとばかり「あだるてぃっく」で「せくしぃ」なそれは今の身体には不釣り合いな色だろう。しかし、そのギャップが人の目を惹きつける事を私はもう知っている。
 
 ―アイツもチラチラと私の方を見ていた訳だしな。
 
 以前、黒を着た時に惹きつけられるように私をチラ見した男の顔を思うだけで喜悦が私の胸を包んだ。何処か愉快なそれと共に私の身体がポッと暖かくなる。思わず頬が緩み、顔がだらしなくなってしまうのを感じながら、私は衣装棚を勢い良く開いた。
 
 ―そこには何十着と衣服が並んでいて…。
 
 しかし、それは全て水着以下と言っても良いくらいの面積しかないものばかりだ。胸の先や秘所だけを覆う「びきにたいぷ」の衣服は本来であれば「せくしぃ」な大人の女性が身につけるものだろう。しかし、衣装棚の内側に取り付けられた鏡に映るのはどう控えめに言っても幼い少女と言ったような姿だった。普通の少女と違うのはその頭にねじれた山羊の角と腕が獣毛に覆われている事だろう。
 
 ―よしよし♪今日もぷりちーだなっ♪
 
 しかし、私にとってはそれはチャームポイントでしかなかった。人とは違う異形の腕や角は私にとって誇りであると言い換えても良いのかもしれない。だって、それは私が最高位の魔獣であるバフォメットであるという証なのだから。それに心を震わせこそすれ、落ち込む事などはない。
 
 ―んー…だが、少しばかり肌に張りがないかな。
 
 昨日ちょっと夜更かししてしまった所為だろうか。心なしか肌に張りがない気がする。とは言っても、鏡に映るのはぷにぷにした染み一つない美しい肌だ。艶やかに光る唇にも、まったく陰りは見えない。濃青色の瞳もキラキラと少女らしい輝きと老獪な深みを持ち合わせている。もしかしたら気の所為なのかもしれない。
 
 ―とは言え…美容には気を使わないとなぁ…。
 
 そう胸中で呟きながら私はそっと白地の「ぱじゃま」に手を掛ける。腕から伸びる鋭い爪を器用に動かしながら、私が上着を脱ぐと背中にデカデカと印刷されたクマの絵が目に入った。かなりデフォルメされた可愛らしいクマをバックプリントとする「ぱじゃま」は姉上から贈られた私のお気に入りである。正直、少女…いや、幼女趣味が過ぎるとは思うものの、それが私にとても似合うのも事実だった。
 
 ―まぁ、似合うのであれば活用しなければ…。
 
 男の目を引く方法があるのに、それを行わないのは愚鈍の極みだ。全力で自分を磨かないものでは激化する闘いは生き残れないのである。油断すれば目の前で鳶に油揚げをかっさらわれる事も考えられる以上、常に最高の自分を演出しなければいけないのだから。
 
 ―とは言え…私の場合は…その油揚げが未だに見つからん訳だが。
 
 そう思うと思わず口から溜息が出てしまう。まだ見ぬ私の旦那様の為に自分を磨いてはいるものの、これだ!!と言えるような男が見当たらないのである。姉上は焦らず、周りを見ていけば良いと言ってくれたが、仲睦まじい二人を見ると妙に胸がもやもやしてむかむかしてしまう。
 
 ―それを無くすためにも早く相手を見つけたいんだがなぁ…。
 
 「はぁ…」
 
 ―トントン。
 
 あまり芳しくない自分の婚活状況を思い浮かべ溜息を漏らした瞬間に、私の部屋をノックする音が聞こえた。この時間に私の部屋をノックする奴など一人しかいない。もうそんな時間かと時計を見れば、朝食の時間を示していた。
 
 ―相変わらず馬鹿正直なほどに時間に正確な奴だ。
 
 だが、その馬鹿正直さは嫌いではない。少なくともだらしがない奴よりはよっぽど信頼がおけるだろう。もっとも…こうして私を毎朝、呼びに来る男は姉上の無上の信頼を愛情を受ける人間だ。姉上を尊敬する私からすれば、それだけで信頼できる相手である。少なくとも…ノックなど要らないと言うくらいには。
 
 「もう起きている。入れ」
 
 それでも馬鹿正直にノックする男に苦笑にも似た笑みを浮かべながら、私はそう返してやる。そのまま私は自分の「ぱじゃま」へと手を掛けた。そのままズルリと下へ下ろせば毛の一本も生えていないぷにぷにとした恥丘が晒される。糸のように細い筋が一つ通る以外はなんの穢れも傷もないそこに私は満足しながら、足をあげ、「ぱじゃま」を完全に脱ぎ去った。
 
 「失礼しま…うわぁぁっ!!」
 「ん?」
 
 そんな私の後ろから聞こえてきた悲鳴のような声にそっと振り向くとシワを顔に幾つも刻んだ男が両手で顔を覆っている。その肌は心なしか赤く、まるで初心な少年のようだ。少なくとも歳相応には見えない姿に私の顔に思わず喜悦の笑みが浮かぶ。
 
 「な、なんて格好をなさっているんですか!?」
 「着替えの最中だったのだ。仕方ないだろう」
 
 だが、次の瞬間、男から出る咎めるような言葉に私は唇を尖らせながらそう応えた。叱られるのは子ども扱いされているようであまり好きではない。ましてや今回はあっちが私の部屋に入ってきたのである。裸で廊下を出歩くならばともかく、自室でどんな格好をしようと勝手だろう。
 
 ―それに…。
 
 「そもそも姉上の裸で見慣れているだろう?」
 「そ、それとこれとは話は別です!!」
 
 姉上の情人である男にとってまったく別らしい。それに嬉しいような寂しいような妙な感情が胸の中に宿った。一体、それがどうしてなのか私には分からない。だが…心の何処かではきっとそれに気づいているのだろう。気付かない方が良いという言葉が胸を突いた。その言葉に従った私は自分を誤魔化すように勝ち誇った笑みを浮かべ、ゆっくりと男の方へと近づいていく。
 
 「ふふん…♪と言うことは発情しているのか?」
 「んなっ!!」
 
 ペロリと真っ赤な舌で舌なめずりをした私の言葉に相手は心外そうな反応を見せた。だが、私とそう変わらない姿をする姉上に欲情出来るということは私にもまた欲情出来るという事である。それは世間様一般では「ろりこん」と呼ばれる特殊性癖であり…場所によっては後ろ指を指されかねないものであろう。
 
 ―だからこそ…それを弄る材料にもなって…♪
 
 「よいよい。言わずとも分かっている。「ろりこん」にとってこの身体は垂涎モノである事くらい私も知っているからな」
 「ち、ちちち違います!!!」
 
 ―ふふ…やっぱりコイツをからかうのは面白いな♪
 
 思った通りの反応を見せる姿に思わず喜悦が溢れる。やはり玩具としてこの男は最高だ。思わずもっともっと弄ってやりたくなってしまう。だが、あんまりこうして遊んでいては朝食を用意して私たちを待ってくれている姉上が拗ねてしまうのだ。コイツを弄るのは楽しいが、あまりそればかりやっている訳にはいかない。
 
 ―それに…別に弄るのは言葉でなくても出来るしな…♪
 
 「まぁ、良い。それより着替えるからもう少し待っていてくれ」
 
 そう宣言してから私は男からそっと踵を返した。そのままふりふりと形の良いお尻を振りながら、衣装棚の方へと戻る。そして既に目当てをつけておいた「はんがー」を手に取った。その「はんがー」から手際よく衣服――もしくは布と言った方が近いかも知れない――を外した私は男へとそっとお尻を突き出しながら、それを身につけようとする。
 
 ―だが、背中で結ぶ衣服は一人で身につけるのは難しい。
 
 ましてや私は決して小回りが良いとは言えない大きな腕を持っているのだ。その爪を細かく器用に動かせても、可動域の問題が立ちふさがる。勿論、『本気』になれば他愛もない問題ではあるが、わざわざここで本気になる必要などはない。何せ私が一人で結べないと相手に印象づける事の方が重要なのだから。
 
 「んっしょ…うんしょ…あーん。やっぱり一人じゃ結べないなぁ。誰かに手伝って貰えればなぁ」
 「……私がやりますよ」
 「え?本当か?いやぁ、すまんな」
 
 ―計画通り…!!!
 
 気まずそうな言葉ではあるものの、はっきりと言質を取った私は内心、会心の笑みを浮かべた。なんせこれでコイツは瞳を開かなければいけないのである。私の傷一つない肌を見て、興奮を抑えなければいけないのだ。一体、その時にどれだけ困った顔を見せてくれるのか。今からでも楽しみではある。
 
 「じゃあ…早く来てくれ…もう待ち切れないんだ…っ♪」
 「ぅ…」
 
 フリフリと振った私のお尻に男の視線が突き刺さるのを感じる。鋭く強いその視線には確かに欲望が混ざっていた。ビリビリと肌を刺激するそれに思わず口から浅い溜息が出てしまう。何処か熱が篭ったそれに触発されたように私の身体もまたポカポカと暖まっていく。
 
 ―やだ…濡れちゃいそうだ…♪
 
 裸を興奮した目で見られるというだけで妙に胸が高鳴り、子宮がキュンと疼いてしまう。流石にまだ愛液で濡れるほどではないが、そう遠くない未来にぴっちりと閉じられた大陰唇の上からでもはっきりと分かるような愛液が零れ出すだろう。
 
 ―その時に一体、コイツがどんな表情を見せるんだろうな…。
 
 ふと浮かんだその疑問が急速に身体中へと広がっていく。まるで好奇心が身体の内側を這い回るようにムズムズとした感覚に包まれていくのだ。全身がその好奇心を満たそうとしているようなそれを実行に移そうとした瞬間、私の後ろに大きな男が立つ気配を感じる。
 
 「では、失礼して…」
 
 その言葉と同時に男の大きな手が私から紐を取り、背中で結んでいく。大きくてゴツゴツしたその手は何処か硬い印象が拭えない。だが、その手が私の肌に残していくのはとても柔らかく、暖かい感覚だった。触れた部分がズキズキと疼くようなそれに私の口から甘い吐息が漏れ出る。
 
 「んっ…♪くぁ…っ♪」
 
 押し殺した声と共に漏れるそれは決して意識して出しているものではない。あくまで自然と溢れてしまうものなのだ。しかし、ロリコンである男にとってそれは性的なものを彷彿とさせるのだろう。バフォメットの聴覚は男の口から漏れる吐息がどんどんと短くなっていっているのを察知していた。
 
 「ふふ…♪我慢出来ないのであれば…その剛直をねじ込んでも良いのだぞ…♪姉上には特別に秘密にしてやろう…♪」
 「か、からかわないでください…!!」
 
 その言葉と同時に男の指が結び終えた。その瞬間、男の身体は逃げるように遠ざかり、私から離れていく。それに妙な物寂しさを感じたのを誤魔化すように私は深く溜息を吐いた。まだまだからかい足りないが、姉上も待ってる事だし、今はここまでにしておくべきだろう。
 
 ―それじゃあ下も…っと。
 
 そう胸中で言葉を紡ぎながら私はそっと足を下着のような形状の衣服に通した。そのままするするとあげて秘所と密着させた瞬間に私の奥からドロリと愛液が溢れ出る。もう少し早ければきっと男に見られていただろう。そう思うと寂しいようなホッとしたような妙な感情が沸き上がってくるのだ。
 
 ―まぁ、きっと気のせいだろう。
 
 そんな風に自分を誤魔化しながら私は衣装棚の横にある装飾棚から幾つかの装飾品を取り出す。姉上から譲り受けたそれらで自分の身体を飾り立てていくのだ。露出度が高い分、装飾具を身に付けられる部分は多いが、あんまり身に付けすぎるとごちゃごちゃし過ぎてケバくなってしまう。幾つかの組み合わせを鏡で確認するのを繰り返した後、私はバフォメットサイズの指輪を中指に挿し、「さいどている」にした髪にピンク色の「しゅしゅ」を絡めた。
 
 「よし。これでどうだ?」
 「お似合いになっていますよ」
 
 そのまま見せびらかすように両手を広げて、振り返った私に男が嬉しい言葉をくれる。それに思わず笑みが浮かぶのと同時に私の足が男のほうへと駆け寄った。そのままぎゅっとその手を掴んでやると、それだけで顔を赤くするのが分かった。
 
 ―ふふ…本当に初心な奴め♪
 
 これよりももっと凄いことを毎日、姉上としているにも関わらず、手を握られただけでそんな風な顔を見せる姿は本当に可愛らしい。もっともっと弄りたくなってしまうほどだ。だが、今日はちょっとした「とらぶる」があった所為で普段より時間が圧してる。今もきっと食堂で待っているであろう姉上を拗ねさせない為にも早く向かうべきだろう。
 
 ―そう胸中で考えながら、私は手を引いて歩き出し…。
 
 「ほら、早く行くぞ兄上」
 「何度も言うようですが…その呼び方止めませんか?」
 
 男――兄上は私の言葉にそう返した。だが、彼が姉上の恋人であるのは疑いようがない事である。別に私としては姉上との結婚に反対している訳ではないので、兄上と呼んでも差し支えないと思うのだが…どうやら本人が気に入らないらしい。こうして毎朝、無駄な抵抗を続けている。
 
 「前から言っているだろう?「あなた」か「ダーリン」か「兄上」から好きなものを選べと」
 「それ実質、選択肢ないじゃないですか!?」
 「当然だ。他のものを選ばせるつもりはないからな」
 
 キッパリと言い放ってやった言葉に兄上がガクリと項垂れた。何処か叱られた子犬を彷彿とさせるそれにまた笑顔が浮かぶ。だが、ここであんまり弄り過ぎると反応が悪くなるのも確かだ。ここはそろそろ飴を与えてやるべきなのかもしれない。
 
 「寧ろ兄上は誇るべきだと思うぞ。バフォメット二人から兄と呼ばれる人間なぞ滅多にいないだろうからな」
 「そりゃそうですけど…そういう問題でもなくてですね…」
 「ん?」
 
 口篭る兄上にそっと首を傾げるがモゴモゴと唇を動かすだけでそこから何かしらの言葉は出てこない。常日頃、耳に痛い言葉を繰り返す男の姿にはそこにはなかった。あるのは言葉を濁らせる優柔不断な姿だけである。それにイラッとはしないが、普段が普段だけにとても不思議だ。
 
 ―それほどまでに言い難い事なの…かな?
 
 そう思うものの、別に呼び方など一義的なものであるし、そこまで目くじらを立てる理由のほうが少ないのだろう。特に今回に限って言えば別に蔑称な訳でも、関係を偽っている訳でもない。その他に理由があるのかと思って脳裏を探ってみたが結局、思いつかなかった。
 
 ―まぁ、本人が言うのを待つしかないかな。
 
 そう思考を売り切りながら、私は兄上を引っ張っていく。だが、滅多に見れない優柔不断さは兄上の身体からキレすらも奪っているらしい。普段、歩幅の小さな私達に合わせて歩いてくれている兄上の身体はそれが信じられないほど鈍く、私が引っ張らなければ前に動いているかさえ疑問なほどだ。
 
 ―これは…ちょっとした起爆剤が必要かな?
 
 このままノンビリしてては何時まで経っても食堂にはたどり着けない。勿論、人間よりも何倍にもなる力を使えば、兄上を運ぶのは簡単だろう。しかし、折角、こうして手を繋いでいられるのに、そんな無粋な真似はしたくない。そう考えた私は脳裏に浮かぶ幾つかの言葉の中から最も過激でインパクトの強いものを選択する。
 
 「兄上…好きだぞ♪」
 「えっ…?う、うわぁっ!」
 
 予期せぬ私の言葉に意識が現実へと戻ってきたのだろう。信じられないような視線が私を貫いた。しかし、ほぼ無意識で前へと出ていた兄上の足が蘇った意識と齟齬でも起こしたのだろう。自分の足で自分の足に引っかかるという器用な真似をした兄上の身体が私の方へと倒れてくくる。
 
 ―あ……。
 
 それを避けるのは簡単だった。人よりも何倍に優れたバフォメットの目はその動きを緩やかに捉え、腕も足も逃げる準備が整っている。後はそれらに命令を出し、全力で動かせば良いだけだ。だが、まるで私を押し倒すように迫ってくる兄上から私は意識を離せず、そのままゆっくりとバランスを崩して……――
 
 「痛っ!」
 「も、申し訳ありません!大丈夫ですか!?」
 
 床へと打ち据えられた身体から自然と痛みを訴える声があがる。それに兄上が気遣うような声を掛けてくれるが、大丈夫じゃないはずなどなかった。何せ身体こそ幼女ではあるが、これでも私は最上位の魔獣なのである。鋼鉄製の剣を振るわれても無傷な私に、この程度でダメージを与えられるはずなどない。
 
 ―でも…これは…。
 
 真紅の絨毯へと背中を預ける私と、その上に四つん這いになり、押し倒しているような姿勢の兄上。その構図だけで私の胸はまったく大丈夫じゃない速度で脈打つのだ。ドクンドクンと鼓膜さえ震わせるそれを聞きながら、私はそっと唇を開いた。
 
 「…大丈夫じゃない」
 「え…!?ど、何処かお怪我を…!?」
 「大丈夫じゃないから背中を撫で撫でしろ」
 「か、畏まりました…!」
 
 私の言葉に従順に従う兄上の手がそっと私を抱き起こし、背中を優しく撫でてくれる。一度二度と繰り返されるそれはかつて姉上にやってもらったものを彷彿とさせるほど暖かい。だが、その時とは違い、私の心はまったく穏やかにはなってくれないのだ。まるでどんどんと異常が広がるように感情がざわめき、鼓動が激しくなっていく。
 
 ―これ…何だろう…?
 
 鼓動はどんどんと激しくなっているというのに、それがまったく嫌ではない。心も身体もざわついていくといるにも関わらず、それを抑えようとする気持ちは私にはまるで無かった。それは…きっとそのざわめきが甘く…悪いものとは思えないからなのだろう。寧ろ、何処か身を委ねたくなるものさえ感じるそれに私の瞳はゆっくりと閉じていき……――
 
 「ほほぅ。中々、面白そうな事をしておるのぅ」
 「あ、姉上!?」
 「し、シャーリー様!?」
 
 瞼が閉じきる寸前に聞こえた不機嫌な声に私と兄上が弾かれたようにそちらへと視線を向ける。そこにはフリルがたっぷりついた子ども用の「えぷろん」を身に付け、頬をひくつかせる姉上の姿があった。両手を腰に当て、ずいっと胸を反らせるその姿は明らかに拗ねるを通り越して怒っている。
 
 「二人が来るのを待っておったのに……」
 「あ、あの…これは…」
 
 怒りの感情をオーラのように立ち上らせる姉上が幽鬼のようにゆらりと揺れてこっちへと近づいてくる。何処か恐ろしいその姿に兄上は弁解の言葉を口にしようとしているのだろう。だが、兄上の口からは気圧されたように言葉が出ず、パクパクと開閉を繰り返すだけ。それも当然だろう。同じバフォメットである私だってその怒りの前には縮こまってしまい、兄上の胸に隠れるようにしがみついているのだから。
 
 「二人だけでいちゃついてるとか酷いぞ!!妾も混ぜるのじゃ!!」
 「え…えぇ…!?」
 
 ―そう言って姉上は私達の方へと飛び込んできて…。
 
 そのままもみくちゃになった私達が食堂へと足を運んだ頃にはもう料理は冷め切っていて、さめざめと涙を流す姉上を励ますのに苦労したり…その後には三人で屋敷の掃除をしたり…そん穏やかな時間が続いていく。それは『かつて』の私では到底、考えられなかった事で…――
 
 ―私…今とっても幸せだ…♪
 
 その言葉を胸に私は今日も大好きな姉上とからかいがいのある兄上と一緒に楽しい時間を過ごしていくのだった。
 
12/08/13 12:52更新 / デュラハンの婿

■作者メッセージ
別に中二病全開でも良い。俺TUEEEEEE!でも良い。銃や戦車を持ちだしたタイムスリップ戦記物でも良い。
そもそも私が書いてる作品だって世界観を完全に反映しているとは言い難い。
でも、『魔物娘は人間の男が大好きだ』という世界観の根幹設定を完全に無視するのは二次創作としての形すら成していないと思う。
根幹設定度外視して穿った見方をしたいだけならばオリジナルでやれば良い。
少なくとも図鑑世界が好きで二次創作やっている身からすればそう思えてならんのです。

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