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第六章:ケプリの王(帰還編)
 日が昇るか昇らないかといった頃合いに、僕はいつものように目を覚ました。
 頭上に粗末な梁は無く、代わりに豪奢な桃色の灯りをともすシャンデリアが下がっていた。眠っていたのも乾草ではなく柔らかな絨毯の上だった。
 一瞬何が起こったのかと混乱しかけたものの、僕はすぐに昨晩の事を思い出してほっと胸をなで下ろす。
 ここはおんぼろの納屋なんかの中では無く、ケプリ達が住処にしている遺跡の中だ。ケプリ達が手入れを欠かさなかったその遺跡の大広間で、僕はケプリ達の王になるべく、彼女達全員を相手に大乱交をしていたんだった。
 さっきまで、本当についさっきまで肌を重ねていたはずだったが、いつの間にか少し眠ってしまっていたらしい。
 しかし環境が変わっても身体に染みついた習慣というものはそう簡単には変わらないようだ。いつもとは全く別の、楽園のような場所に居るにも関わらず、身体に刻み付けられた体内時計は昨日までと同じように朝が来たことをしっかりと告げていた。
 身体を起こすと、湿った淫らな匂いが鼻腔に広がった。黒々とした絨毯のそこらじゅうに水たまりが出来ていて、桃色の照明を妖しく照り返していた。
 周りには無数のケプリが横たわっていて、規則正しい穏やかな吐息を繰り返していた。今までずっと愛を交わしていた彼女達も、皆疲れて眠ってしまったようだ。
 自分以外に動く者は誰も居なかった。少し寂しさもあったものの、これ以上都合のいい事も無い。
 僕は立ち上がり、足音を殺して淫らな饗宴の余韻の残る大広間を後にした。


 廊下に出ると、僕は自分の感覚に違和感がある事に気が付いた。
 遺跡の構造など知らないはずなのに、不思議と目的地に向かう経路が手に取るように分かるのだ。篝火や蝋燭という光源の全く無い廊下でも、なぜか壁や石畳までもがはっきりと見えた。
 少し不気味ではあったが、一人でも迷わず遺跡の中を歩き回ることが出来るのはありがたかった。
 薄暗い廊下に僕の足音は良く響いた。
 こんなに静かな場所は、多分生まれて初めてだ。地上の世界では、草木も眠る深夜ですら風と砂が戯れる音が止まないのだ。
 風の音は不安を誘う物でもあったが、無ければ無いで寂しいものだった。
 そんな事を考えながら何となく廊下を歩いているうちに、いつの間にか目的地である王の間にまでたどり着いていた。
 国が買える程の財宝がごろごろと転がっている黄金の部屋を見渡して、僕は嘆息する。
 とんでもない眺めだ。一つ一つの像や家具に一体どれだけの価値があるのか、どんな意味を持っているのか、砂漠に生まれて奴隷をしていたような僕にはまったくわからなかった。
 だが、明かりも無い無人の部屋に宝物だけが転がっているというのは、何だか妙に寂しい光景だった。
 僕は果樹を模した黄金の王座に置きっぱなしになっていた襤褸を拾い上げる。
 果たして僕は、この玉座に相応しい存在になれたのだろうか。
 それとも、やはり僕は襤褸を着ているくらいがちょうどいいのだろうか。
 頭を振って、僕は襤褸をまとう。
 つぎはぎだらけで綻びの目立つ、普段から着なれているはずの襤褸は、身体にごわごわとして黴臭かった。今までよくこんなにきつい匂いに耐えていたものだと驚いてしまう程だった。
 僕は一人苦笑いを浮かべる。
 どうやら僕はケプリ達の、魔物の女の子特有の甘い匂いになれてしまったらしい。昨日までの自分の事を考えると、本当に贅沢な事だ。
 おまけに一晩中眠りもせずに二十匹以上のケプリと交わって。本当、罰が当たってあれがもげてしまってもしょうがないかもしれない。
 もし王になれていなかったとしても、これだけ幸せな体験が出来たのだから、もう死んでしまっても心残りは……。無い、と言い切れはしないけれど、それでも諦めはつくというものだ。
 地上を目指すべく王の間を出ると、僕が出てくるのを待っていたかのように一匹のケプリがこちらに目を向けていた。
「……一人で、どこに行く気なの。アミル」
 硬い表情でそう尋ねて来たのは胸当てと腰巻を身に付けたアズハルだった。夜にはぽっこりと膨れていた下腹部も少し休んだ間に落ち着いたらしく、その姿はいつもの見慣れた彼女そのものだった。
 ただ一つ違うのは、僕を見ても笑顔を見せてくれない事。
 僕の身を案じるからこそその顔を曇らせているのだと分かっていても、彼女の笑った顔が見られないのは少し寂しかった。
「地上に行くんだよ。僕が王になれていたら、王国が蘇っているんだろう?」
「だったらみんなで行けばいいじゃない。どうして声をかけてくれなかったの?」
「……もし失敗していたら、僕は出頭するつもりだから。これだけやって駄目ならもうしょうがないんだ。僕が身を捧げれば、少しは時間が稼げるだろ? その間に」
「ダメだよ」
 アズハルが飛び出すように、勢いよく僕に抱きついて来る。
「そんなのダメ。そんな事になったら、私が、私達が意地でもあなたを守る。あなたはもう私達の王様なんだから。私の、大切な人なんだから」
 髪の毛から香ってくる甘い匂いがついさっきまでの激しさを思い出させる。
 可愛いアズハル。誰よりも敏感に僕を感じてくれて、どんなに疲れていても僕の求めに応じてくた。何度も何度も抱き合い、愛し合った愛しい人。
 僕はその身を押し返そうと彼女の肩に手を置き、そしてやっぱり彼女を突き放す事なんて出来なくて、その背に腕を回してしまう。
「あぁ……。こうなるって分かっていたから一人で出て行こうと思っていたのになぁ。アズハルの匂いを嗅いだら、もう諦める事なんて出来なくなっちゃうじゃないか」
 満足感に包まれたまま出て行けば、あるいは未練を忘れたまま出て行けると思った。
 でもこうしてまた触れてしまったらもう無理だ。アズハルを諦める事なんて出来ない。アズハルを二度と抱けなくなるなんて、絶対に嫌だ。
「私だけでも一緒に行かせて? アミルにいっぱい精を注いでもらったから、力だって強くなったはずだから。私一人でもアミルとアミルの大切な人達を守ってみせるから」
「ダメって言っても、ついて来るんだろ?」
 アズハルは何も言わず、僕の胸に髪を擦り付けるように頷く。
「じゃあ、一緒に行こう。本当は一人で行くのは怖かったんだ」
 赤い双眸が僕を見上げてくる。涙で潤んだその瞳は、本物の宝石以上に煌めいて見えた。
 僕は彼女の額に口づけして、もう一度強く抱き締めてから、彼女の手を取った。
「不思議だな、アズハルが居てくれるだけで何が起きても耐えられそうな強い気持ちになれる」
「耐えるんじゃないよ、何が起きても乗り越えるの。二人ならきっとそれが出来る」
 僕達はお互いの顔を見て笑い合い、そして地上を目指して歩き出した。


 遺跡には泉の水辺以外にも、街の各所に通じる出口があるらしかった。
 二人で相談した結果、僕が仕えてきた屋敷の裏に一番近い出口から地上に出ることにした。そうすれば、仮に僕が王になっていなかったとしても去勢を避けられる可能性があったからだ。
 アズハルによれば、魔法を使えば傷つけずに意識を奪ったり操ったりする事も出来るらしい。その力を使って周囲に見つかる前に屋敷の主人をどうにか出来れば、僕が王になる時間をもう少し稼げると考えたのだ。
 本当ならすぐにでも人間の去勢などという野蛮な行い自体全て取りやめさせたかったが、しかし教団に対して二人きりで戦いを挑むというのは、流石に自殺行為に等しいと諦めた。
 とうとう目指していた遺跡の出口が見えてきて、僕達はどちらからともなく足を止めた。
 呼吸を整え、改めて踏み出そうとしたその時だった。
「寂しいねぇ。あたし達はそんなに信用できないのかい?」
 不敵な声が廊下に木霊する。その向こうから、無数の足音が聞こえてくる。
 振り向くと、無数の金色の輝きがこちらに向かって近づいて来ていた。遺跡を守り続けてきたケプリ達。それ以外ありえない。
「アミル様はもう私達の王なのですよ。その王の守護が一人だけなんて危険すぎます。私達も皆お供します」
 背の高い均整のとれた美しい肢体を持つケプリのアフマルと、包容力のある女性らしい体つきをしたケプリのアズラクの二匹を先頭に、一目では数えきれない程のケプリ達がこちらに歩み寄ってくる。
「酷いよお兄ちゃん。アズハルお姉ちゃんとデートに行くなら私も連れてってよ」
 隊列から飛び出してきて、僕に飛びついて来る小柄なアスファル。
「アミル様。……どうか私も、お傍に居させて下さい」
 言葉少なに僕に寄り添い、空いている方の手を取ってくるアスワド。
 そんな僕らをまとめてアズラクが抱き寄せてくる。
「私は確信しております。アミル様はもう立派な王様ですわ。仮に何かの間違いで外の世界に何も起こっていなかったとしても、私達姉妹が力を合わせれば国だって取り戻せます」
「みんな、どうしてそんなに僕を……」
「アミル様は決して、あたし達を誰一人として無理矢理犯そうとはしなかった。乱暴にするのはあたし達が望んだ時だけで、誰に対しても優しく、あたし達の期待に応えようと頑張ってさえくれていた。
 ……そんな優しい王様の国を、あたし達も早く見たいんだよ」
 アフマルは片目をつむって僕らの脇を通り過ぎ、地上への入り口に手を掛ける。
「さぁ、今こそあたし達も遺跡を出て、外の王国に出て行くときだ」
 闇の中に真っ白い亀裂が縦に走り、そこからまばゆい光が溢れ出してくる。
 地上の光。僕達は、その中に向けて足を踏み出した。


 雨が降っていた。
 万年乾いた風が吹き、雨が降る事など年に数える程しかない砂漠の街に、大粒の雫が降り注いでいた。
 身体に打ち付け染み入ってくるそれは、ほんのりと桃色に色づいていて、少しだけとろみを帯びていた。
 そんな雨の薄衣の向こうには、昨日までとは別の世界が広がっていた。
 そこかしこに生える無数の大木。普通の青々とした樹木もあれば、紫色や桃色をした、卑猥な形にねじくれた樹木もあった。
 雑草一本生えていなかった砂の地べたにも、今は水気がたっぷりと含まれていて、見たことも無い花や植物が咲いていた。
 家屋の乾いた土壁にも色とりどりの蔦が這いまわっていて、中には土壁そのものから植物が生えているような場所もあった。
 隙を見せればどんな強靭な生き物からでも水分を奪って殺してきた枯れ果てた世界が、いつの間にかあらゆる生命を包み込み育てる潤いに満ちた世界に変わっていた。
「これって」
「新たな王が現れたことで、かつてファラオが目指していた王国が蘇ったんだよ」
 王国が、蘇った?
 周りのケプリ達が歓声を上げて跳び回り、はしゃぎまわる。喜びのあまり何匹かのケプリは翅を震わせ空に舞い上がり始め、僕の背に乗っていたアスファルもまた翅を広げて飛び上がって行く。
 空のそこかしこで金色が閃き、震える翅が光を七色に分解して地上へ降り注がせる。
 ケプリ達の舞だ。この世のものとは思えない、幽玄でいて、生命力と喜びにあふれた舞い踊り。
 そんなケプリ達の声を、僕はどこか遠くに感じていた。目の前の光景をそう簡単に信じる事が出来なかった。
 乾いた風が吹くばかりの草木一本生えない不毛の砂原が、いきなり何年も何十年もかけて育ったかのような森の中に変わってしまっているのだ、夢を見ているようにしか思えない。
 思わずぼうっと景色に見入ってしまっていたのだが、強く手を握りしめられ、僕ははっと我に返った。興奮気味に僕の手を引くアズハルの表情は、隠しようもない喜びでいっぱいだった。
 手の平からは、確かにアズハルの体温が伝わって来ていた。突然夢のように変化してしまった世界の中で、しかしこの手の熱だけは前と何も変わっていなかった。アズハルの手が、ここが現実なのだと教えてくれていた。
「やったねアミル」
 アズハルは、胸が締め付けられるような優しい笑みで僕を真っ直ぐに見上げてきた。
「これで、私達ずっと一緒にいられるね」
 歪んでゆく世界の中で、僕は何も言わずにアズハルの手を強く握り返した。


 街全体は変化したが、そこに住んでいた人々はどうなのか。
 周りから聞こえてくるのは木の葉の揺れる心地よい音ばかりで、思わず安心してしまいそうになる。
 どうやら騒ぎが起きている様子は無かったが、しかしだとしたら教団の人間達は何をしているのだろうか。
 街の仲間の奴隷達はどうなったのだろうか。
「まぁ、実際に見てみれば分かるさ」
 と屋敷の窓を指差したのはアフマルだった。偶然なのか何かを感じ取ったのかは分からないが、そこはちょうど主人達の寝室だった。
 一夜にしてこれだけ大きく変貌した大地だ。もしかしたらそこに生える樹木なども、自ら外敵を判断して動いたりもするのかもしれない。
 そうだとすれば、眠ったままの主人達が樹木の根や枝で拘束でもされているのかもしれない。
 しかしこっそり覗き込んだ窓の向こうには、僕の予想とは全くかけ離れた光景が広がっていた。
 ベッドの上で誰かが水瓶を上下に振っていた。恐らく、昨日壊れた物の代わりに買ったものだろうと予想は着いた。
 しかしなぜそんな事をしているのかが全く分からなかった。
 おかしなことをするものだとよくよく見てみると、上下に動いているモノは水瓶などでは無かった。
 肌色をして、ぷるぷると震えるそれは……。でも、そんなまさか……。
『あ、あなたぁっ。もっと、もっと激しく突き上げてくださいぃ』
『ああ、もちろんだ。もちろんだとも。もっともっとよくしてやるぞ。もっと、もっと』
 明かりの落ちた暗い部屋の中から、ベッドの軋む音と小さな男女の睦言が聞こえてくる。
 聞き覚えのあるこの声は、間違いなく主人とその奥方のものだった。
 二人とも裸で、激しく体を上下に揺すっていた。
 常に厳めしい顔を崩さないご主人が、しまりのない下品な顔で下から奥方の身体を突き上げていた。
 いつも冷静で上品さを失わない奥方が、男を受け入れその丸々とした肉体を乱れに乱し切っていた。
 信じられなかった。貞淑を良しとする主神の信徒である二人が、日が昇るようなこんな時間から、欲望をぶつけ合うような激しい交合に興じているなど。
『そろそろ、出すぞ』
『はい。私ももう、ああっ。あなたぁ』
 二人の身体が同時に震え、やがてその身体が重なり合う。
『嬉しい。ずっとこうしたいと思っていましたのよ。でも、私から誘うなんてはしたない事は出来なくて、あなたも私を見てくれなくて』
『あぁ、悪かった。だが、戒律の手前こんな事など出来なかったのだ』
『もういいではありませんか、そんな事。……抱いてください。夜までずっと。いいえ、明日の朝まで離しません』
『そうだな。ふふ、久しぶりに燃えて来たぞ』
 ベッドの上の影がぐるりと転がる。今度は奥方が下に、ご主人が上に。
 絶頂を迎えたばかりであろうに、二人は再びお互いとの行為に没頭し始める。
 僕は何とも言えない気持ちで窓から離れた。
 確かにご主人も奥方も夫婦仲は悪く無かった。異教徒である僕等に対する態度を除けば悪い人達では無いとも思ってはいた。
 しかしこうも普段から離れた姿を見せつけられてしまうと、戸惑わずにはいられなかった。
「そんな渋い顔するなって。この土地の変化の影響を受けて、今まで心の奥底に封じられていた肉体の素直な欲望が表に出て来ているだけさ。いや、ちょっと欲望が強くなってるかもしれないが」
「王国の復活には、そんな影響も? まさか街中が?」
 アフマルは苦笑いを浮かべると、誤魔化すように視線を外す。
「ねぇお兄ちゃんこっちに来てよ。すごいよー」
「凄いってよ。ほらアミル様、行ってみよう」
 さらに問いかけようと口を開きかけるが、アフマルは僕をあしらうように声のした方へ押しやってくる。
 渋々とアスファルの方へ向かうと、彼女は他の数匹のケプリと共に僕が寝起きしていた納屋の前に居た。扉の隙間から納屋の中を覗き込んでいるようだったが、一体何があるのだろうか。
「一体何が」「しっ。静かに」
 アスファルは唇の前で指を立てると、僕の手を引いた。
 身振り手振りだけで扉から中を覗くように伝えられ、僕は分けも分からぬまま扉に顔を近づける。
 子ども達の声が聞こえる。どうやら納屋の中に集まって、何かして遊んでいるようだが……。
『わぁ。男の子って、こんな風になるんだ』『あぅ。おしっこ、でちゃいそうだよぉ』『大丈夫よ。おしっこじゃないから、私の中に出していいよ』『ねぇお姉ちゃん。なんか変だよぉ』『大丈夫。お父さんたちだってやっていたんだから』『ねぇ、触って。ほらここに入れるんだよ。分かる?』『凄く。きついよぉ』『あっ入ってくるぅ』
 僕は絶句して顔を離してしまう。
 裸になった子ども達が、お互いに自分の未熟な身体を見せつけ合い、触り合い、淫らな遊びに興じていた。そして中には、だいの大人でも恥じらってしまうかのような激しい交合をしている子も居た。
 目の錯覚かと思いもう一度覗き込んでみたが、やはり見間違えなどでは無かった。僕が寝起きに使っていた納屋は、いつの間にか目も当てられない程の淫獄に変わっていた。
「子どもだからって性欲が無いわけじゃ無いんだよねぇ。むしろ余計な理性が無い分、性欲に素直なんだよ」
 アスファルがにんまりと笑いながら腕を絡めてくる。アスファル自身の事を言っているようでもあったが、この光景を見てしまうと何とも言えなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。だからぁ……」
「……そうだね。とりあえず街の様子が気になるな」
 僕はアスファルから目を逸らして立ち上がる。不満げな吐息が聞こえたので頭を撫でてやったが、その目は物足りないと訴え続けていた。
「まぁまぁアスファル。アミル様はまたいつでも相手をしてくださいますわ。それより今は王国の様子を見て回りましょうではありませんか」
 いつの間にか後ろに回り込んでいたアズラクに抱きすくめられて、アスファルは渋々と言った様子ながらも頷いてくれた。
「アミルに色々聞かせてもらっていたけど、街に入るのは私も初めてだなぁ」
「人間達の街。アミル様の、生まれ育った場所……。私も、見てみたいです」
 すかさず僕の隣にアズハルが収まり、さらにはアスワドも駆け寄って来て、反対側の手を取る。
 実家を恋人に紹介するようで何だか照れくさくなってしまうが、両手がふさがっていて誤魔化す事も出来なかった。
「みんな、あんまり期待しないでくれよ? えっと大通りは、こっちだ」
 僕は二匹のケプリの手を引き、後ろに大勢のケプリを引きつれて、通りに向かって歩き出した。


 方向は合っていたはずだった。通りに出るまでにかかった時間も大体普段感じていた通りだった。しかし僕は、その場所が生まれ育った街の、何度も行き来を繰り返した往来だとは思えなかった。
 乾いて埃っぽかった街の空気は、今はわずかな草いきれすら感じる程に湿り気を帯びていた。薄黄色の砂の道には水気が満ちて、歩き心地すらいつもと違った。
 土の煉瓦造りの家屋の、日に焼けて白茶けた壁のそこかしこに蔦が這いまわり青々とした葉を茂らせていた。道の端々には、余すところなく下草が生い茂っていた。
 街をみんなに案内してやるつもりが、まるで知らない街に迷い込んだように落ち着きなく辺りを見回してしまう。
 もっとも周りのみんなも同じように街に夢中になっているようで、僕の様子に気が付いているケプリは誰も居ないようだったが。
 しかし、これを見れば王国が蘇れば誰も傷つかずに奴隷達を去勢から解放できるとアフマルが言っていた理由も何となく分かろうというものだ。
 街中に生命力が満ち満ちている。恐らく主人達や子ども達が性交や淫らな遊びに興じていたのも、これが原因だろう。性行為というのは背徳的で淫らな事のようにも思えるが、新たな生命を生み出す事だと捉えれば、生き物の生命活動そのものだとも言えるのだから。
 動物や虫や植物は自分の子孫を残す事にいつだって必死なのだ。人間だけが違うわけが無い。
 それにしても、街一番の大通りを歩いているにも関わらず見事に誰ともすれ違わなかった。大人はもちろん、様々な遊びに真っ盛りのはずの子ども達の姿でさえ見当たらなかった。
 だが、街中が静寂に包まれているのかといえば、そうでも無かった。
 いつものように市場の賑わう活気に満ちた声は聞こえてこない物の、通りに並ぶ建物のそこかしこから卑猥な嬌声が漏れ聞こえて来ていた。その中で何が行われているのかは考えるまでも無かった。
 何しろあの敬虔な主神の信者であったご主人までもが、気が狂ったように奥方とのまぐわいに興じていたのだ。街中の人間達全てがそうなっていたとしても何らおかしくは無いだろう。
「しかし凄いな。砂漠だった街が、たった一夜でこんな緑あふれる場所に変わってしまうなんて。街の人達も、まるで人が変わったみたいだ」
「これが王国復活の第一段階なんだよ。あたし達とアミル様との濃厚な交合によって、あたし達が溜め込んでいた魔物の魔力とアミル様の人間の魔力が混ざり合って、凝縮されて、強大な力となって溢れ出してこの土地を生まれ変わらせたんだ。
 魔物達の間や教団では、魔界化とかって呼ばれてるらしい
 魔力の影響でこの通り植物は生き生きと生い茂り、人間の欲望、主に性欲や繁殖欲も剥き出しになる。
 欲望が剥き出しになると言っても自分勝手になるわけじゃ無い。あたし達魔物は人間と愛し合う事を望んでいるし、人間だって争いよりは皆で仲良くすることを望んでいるはずだからね。
 この地に魔力が定着する頃にはもう誰も争う事なんて無くなって、去勢なんて恐ろしい事誰も考えなくなるだろうさ」
 側を歩いていたアフマルが目を細めて顔を上げる。一緒に見上げてみると、桃色の雨をとめどなく降らせている薄曇りの向こうから、ぼんやりと日が差し始めていた。
 薄い雲が昇った朝日に照らされて、空全体が青味を帯びた紅色と薄紫が混じり合った不思議な色合いに染まっていた。
「まぁあたし達魔物は、魔王であるサキュバスと同種の魔力も持っているから、その影響も間違いなく出ているだろうけど……」
「魔王の代替わり。噂では聞いていたけど、なるほどね……」
 サキュバス。淫魔の魔力か。
 しかし戦いによる血を見たくなってしまうような魔力や、殺戮を望まずに居られなくなってしまう魔力よりは、誰かを愛さずにいられなくなってしまう魔力の方がずっといいだろう。
 捉え方の問題かもしれないけれど、僕は今のこの街の空気は、嫌いでは無い。でも……。
「魔界か。だんだんと人間の住める世界では無くなってくるのかな」
「それはアミル様次第だろうね。魔界にもいくつかあるらしくてね、今は溢れ出した圧倒的な魔力で魔界化が顕現しただけで、どんな方向に進むかまではまだ決まっていないみたいだから。王であるアミル様が望んで行動すれば、魔界の質も変化するだろう。
 あと、人間が住めない世界になるわけでは無いよ。ただ、魔力の影響で少しずつあたし達に近い存在に変化はしていくだろうけどね」
「王である、僕次第……」
 ぽつりとつぶやくと、手を繋いで歩いていたアズハルが少し反応した。
「後悔してる?」
 ちらりと見上げてきて、そして目が合うと俯いてしまうアズハル。その向こうのアフマルもまた、ばつが悪そうに頭をかいていた。
 正直、二人がどうしてそんな顔をするのか良く分からなかった。
「急にどうしたの?」
「いや、アミル様もこんな風になるとは思っていなかったみたいだし、みんなが救えるなんてけしかけたのはあたしだしな。……騙したみたいなもんだ」
「お姉ちゃんがしなくても、私がみんなを集めて同じ事したと思う」
「言ってる意味がよく分からないよ。これでもう誰かが去勢される事なんて無いだろうし、みんなが魔物になってしまえば奴隷なんていう制度も無くなる。いい事じゃないか」
 驚いたような二つの視線。
「でも、いずれみんな魔物になっちゃうんだよ? 人間じゃなくなっちゃう」
「アミル様の家族も、場合によっては下半身蛇のラミアだったり、蠍のようなギルタブリルになってしまうかもしれないんだぞ?」
 僕はようやく二人が何を気にしているのか理解した。つまり、街という大きな規模で後には戻れないような大きな変化を起こしてしまった事を、僕が気にしているのではないかと気にしているのだ。
「誰かが虐げられて、去勢を強要されるような街よりはずっといいよ。
 それに僕達は昔からファラオ以外にも、教団からは魔物と言われる存在を神の使いや妖精として信じていたんだ。その存在に近づける事を喜ばない人間の方が少ないよ。……単純に人間の身体より生き延びる事も容易そうだしね。といってももう砂漠でも無いからあまり関係ないか。
 教団の人達にはちょっと悪いと思うけど、ここはもともと僕達の土地。奪われた物を同じように取り返しただけなんだから、嫌なら出て行ってもらうだけだよ。
 魔物になってもいいからここで自分らしく生きていきたいならそれも良し、魔物化を拒否してまでここに残りたいなら、精々主神の信者らしく慎ましやかに暮らしてくれればいいんじゃないかな。と言っても、この様子じゃそんな人は居なそうだけど。……何?」
 アズハルとアフマルの視線が驚きからあっけにとられたような物に変わり、そして二人はぷっと噴き出してケラケラと笑い始める。
 首を傾げていると、誰かがいきなり後ろから抱きついてきた。ここまで豊満な胸を持っているケプリは一匹しか居ない。
「流石は私達のアミル様ですわ。素晴らしいお考えです。きっとこの国はいい国になりますわ」
 首に思い切り唇を押し付けられて、僕は頬が赤くなってしまったのを自覚する。不意打ちというのもあったけれど、赤くなった理由はそれだけでは無かった。
 王になるなんて夢みたいな話どころか、妄想も出来ないような話だった。だが、目の前の現実は確実に僕の力によって変化していて、王に仕えるケプリ達もまた何の疑いも無く自分を信頼してくれている。
 その事が何だか無性に嬉しくて、そして少し照れくさかったのだ。
「不甲斐無い王様だけど、いい国になるように頑張ろうと思う。だから」
「大丈夫だよ。私達は大好きなアミルの為だったら、なんだって出来るもん」
 アズハルはにっこりと笑う。アフマルも不敵に歯を見せ、アズラクはぎゅうっと強く体を押し付けてきた。
 後ろに続いたケプリ達も口々に応援の言葉を掛けてくれた。
「ところでアミル様。あまり通りに人を見かけませんが、アミル様のご家族の方たちは……」
 また赤面しそうになっていた僕にアスワドがそう声をかけてきてくれる。ずっと微笑みながら静かにしていた彼女だが、僕の家族の事をずっと気にしてくれていたらしい。
 確かにこの時間であればもう奴隷達は働かされている時間のはずだった。一緒に働いていた女奴隷のザフラさんも屋敷に居なかったし、民家や商店の労働力として使われている彼等を街のどこにも見かけないというのはちょっとおかしい。
 考え込んでいると、アスワドは強い意志のこもった瞳で見上げてきた。
「あの、私探して」
「ありがとうアスワド。でも闇雲に探しても、今度はみんながはぐれてしまいかねないよ。もうちょっとみんなで街を回ってみよう」
 気持ちが嬉しくて、握りしめる手についつい力が籠ってしまう。
 それにしてもみんなはどこに行ってしまったのか。ばらばらにどこかに隠れているのか。それともみんな揃ってどこかに避難でもしているのだろうか。そんな事を考えるうち、ふと思い出したことがあった。
 太古の王が戻った時、伝承ではその民は約束の場所で王を出迎える事になっていた。今となっては誰もただの昔話としてしか考えていなかったが、しかしその約束の場所は有事の際の避難場所という意味においてはまだ生きていたはずだ。
「ねぇお兄ちゃん! あっちの外れの広場の方にたくさん人が集まってるよ!」
 上空でアスファルが叫んだのは、ちょうどそんな時だった。


 この街の外れには、大昔から石畳で出来た大きな円形の広場があった。
 大きな祭壇を備え、頑丈な石畳が広々と広がるそこは、かつては街を挙げて神やファラオを奉るための儀式や祭典などを行っていたとされる、街にとって最も神聖な場所だった。
 ファラオが眠りにつき、土地も荒廃してゆくうちに儀式自体は廃れていったが、しかしだからと言って祭壇と広場がその役割を完全に失ったわけでは無かった。
 千年以上時間が経っても朽ちる事が無かった祭壇と広場は、長い時を経ても変わらぬ土台の頑強さと、街のほぼ全員を集められる程の広さを見込まれて、何かあった時に逃げ込む避難所として新たな役割を与えられていた。
 砂漠の民の信仰と心の支えとなっていたその場所は、今では命を守るための場所となっているというわけだ。
 ……そう。この場所は不測の事態の際に避難するための場所であって、決してこのような行いをする為の場所では無かったはずだ。
 街外れの道、いつの間にか木々が生い茂る森になってしまっていたそこを通り抜けた先に広がっていた光景を目の当たりにして、僕は思わずそんな事を思ってしまう。
「凄いね……。昨日の夜を思い出しちゃう」
 アズハルが握った手指を落ち着きなく絡めてくる。彼女の気持ちも分からなくは無かった。
 アスファルの見つけた広場。街の避難所には、奴隷に身を落とされた街のみんなが無事に集まっていた。
 安心したのも束の間、はやる気持ちを抑えつつ広場に向かった僕が見たものは、避難所という単語から連想出来る物とは全く異質の光景だった。
 そこかしこで交わされる愛の囁き。黙って顔を寄せ合い唇を重ねている者も居れば、既に素肌を晒して交わり合っている者も居た。
 もちろん相手のいない者も居た。しかしそう言った者達もそのほとんどが自分の相手を探すのに必死な様子で、冷静にこの場の異質さを理解していそうな者は極少数だった。
 街の変化に怯えて身を震わせている者も誰も居ない。恐慌状態に陥って暴走しかねない状況よりはましだろうが、しかしこれでは、もうここは避難所というよりは……。
 魔界化の影響を考えればこうなっている事も予想はついていた事だが、屋根も無い場所で、隣の人目も憚らず、そこかしこで何組もの男女が行為にのめり込んでいるさまは、昨日の自分を差し置いても圧倒されてしまう光景だった。
 アズハルは潤んだ瞳で僕を見上げてくる。しかし、空気に当てられているのは彼女だけでは無かった。
 反対側に居るアスワドもぎゅうっと手を握ってきていたし、背中に当たるアズラクの体温も少し上がっているようだった。
 アフマルも落ち着きのなく僕をちらちらと見て来ていたし、はしゃいで空を飛んでいたアスファルを始めとするケプリ達も僕の元へ降り立って来ていた。
「……後でいくらでも相手をするから、まずは家族の無事を確認させてね」
「わ、分かってるよ。アミルの意地悪」
 怒ったアズハルにぷいと顔を背けられてしまった。確かにちょっと酷い言い方だったかもしれない。僕は一言謝り、それから家族を探すべく石畳の上を歩き始める。
 結構な人数のケプリを連れていたが、周りの人達がこちらを気にしている様子は無かった。
 しかし、考えてみればこの状況も当然と言えば当然かもしれない。僕達奴隷は家族をばらばらにされ、街中に散らされて働かされてきた。愛していた連れ合いや家族、恋人と久しぶりに再会したら、他の何を差し置いても身を寄せ抱きしめたくなってしまうのは当たり前のことだ。
「あなた、あなたぁ。ずっと会いたかった……」
「あぁ俺もだ。いつもお前の事を想っていた」
「怪我は無い? 元気にしていた?」
「大丈夫さ。お前の顔を見たら今までの辛い事なんて全部忘れてしまったよ」
「じゃあ、あのね。お願い、今ここで抱いて?」
「分かった。俺ももう限界だ」
 そんなやり取りがそこかしこから聞こえて来る。
 彼等の顔には安心と喜びが満ちていて、こうして周りを見回していると、やっぱりこの街を魔界化させた事は、王国を蘇らせるべく頑張った事は、間違いでは無かったと思えた。
 まぁ、野外で周りの人目も憚らず、というのはやはりちょっと気になってしまうが。
「あ、アミル。アミルに似た匂いがあっちの方からするよ」
 アズハルが指差す先を見た途端、ぎゅうっと胸が締め付けられた。
 懐かしい姿があった。見慣れないみすぼらしい衣服をまとっていても、誰だかすぐに分かった。
 少しやつれつつも逞しさを失っていない父さん。背が伸びて、顔つきが大人びてきた妹。そして少し痩せて見える母さん。
 母さんの顔を見た瞬間、胸が熱くなって涙が零れそうになった。
 鼻を啜りあげて、雨の降る空を見上げて涙を誤魔化す。
 良かった。みんな無事だったんだ。
 少しずつ胸のつかえが取れてきて、急に体が軽くなった気がした。僕は大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、周りのケプリ達に視線を送る。
「僕の両親と妹だ。行こう」
 先に僕に気が付いたのは妹の方だった。心細そうに父親の腕にすがりついていた彼女は、僕の顔を見るなり弾かれたように立ち上がって駆けてきた。
「お兄ちゃん!」
 僕は痩せた彼女の身体を抱き止め、頭を撫でてやる。ケプリ達は気を使ってくれているのか、皆一歩引いたところからこちらを見守ってくれていた。
「お兄ちゃんのバカぁ。心配したんだからね。去勢されちゃうなんて聞いた時は、私泣きそうだったんだから。今だって、お兄ちゃんだけいつまで待っても来ないし」
「心配かけてごめんな。でも大丈夫だよ。まだちゃんとついてるし、ちゃんとこうしてここに居る」
 胸が熱く濡れていくのを感じる。僕はしゃっくり上げる妹の背中をぽんぽんと叩いてやりながら、頭を撫で続けてやった。
「お兄ちゃん。私怖い。お兄ちゃんは去勢されるって聞かされたし、私も、今度来る軍隊の宿舎に行けって言われてて……。う、ううぅ」
「大丈夫。もうなんにも怖い事は無いから。去勢なんてもうさせないし、お前も軍隊の宿舎になんて行かなくていいんだ。誰ももう嫌な思いをしなくていいんだよ」
 ケプリ達に目を向けると、アズラクが頷いた。
「昨日、アミル様から話を聞いてすぐ近隣の魔物達に援軍の要請をお願いしておきました。まだ到着はしていないようですが、そのうち着くでしょう。
 教団内に去勢という野蛮な行為を行う一部勢力があるという情報も魔界に流しておきました。ついでに今の軍隊の情報も伝えておきましょう。血気盛んな男性たちは、私達魔物の絶好の獲物ですから」
「お兄ちゃん、この人達?」
 胸から顔を上げ、僕の後ろを見て妹は不思議そうな顔をした。
「あぁ、えっと。父さんたちにも一緒に紹介するよ。父さんと母さんは」
「二人は、えっと、……あっちで抱き合ってる」
 頬を染めて指差した先には、確かに仲睦まじく肌を寄せ合う両親の姿があった。
 妹も一緒に居たためだろうか、周りに肌色も多い中、二人は幸いまだ服を着たままだった。
「無事で良かった。ずっと心配していたんだぞ」
「あぁ。あなたぁ……。もう離さないでください。ずっと一緒に居ましょう」
 愛を囁き合う声も聞こえてきて、ちょっと声をかけるのを躊躇ってしまう。しかし、これ以上待ったら余計に声をかけづらい事を始めてしまうかもしれない。二人には悪いが、ここで声をかけるのが一番だろう。
「父さん、母さん」
 二人ははっと顔を上げ、すぐに僕の姿に気が付く。
 母さんは両手で口を覆って泣きだし、父さんもそこまででは無いものの、顔を泣き笑いの形に不格好に歪ませていた。
「アミル! 無事だったのね!」
「どこも怪我してないんだろうな。あそこもまだちゃんとついてるんだろうな」
 駆け寄って来て抱きついてきた二人にもみくちゃにされるうちに、目頭が再び熱くなってきてしまう。
「大丈夫。どこにも怪我はないし身体も快調そのものだから。それより、みんないつから集まっていたの?」
「夜明け前から雨が降り出してな。日が昇ったかと思えば空はおかしな色をしているし、みるみるうちにそこら中から木が生えて来るしで、これはおかしいと思ったんだ。それでみんなここに避難してきた。なぜか教団の連中も家に籠りきりでな、おかげで皆無事にこうして集まれたんだが……。
 それよりお前は今までどこに。それにお前の後ろの方々は、……まさか」
 両親はひとしきり僕の無事を確認してほっと息を吐いていたが、僕の後ろを見るなり再び顔を強張らせてしまう。
 妹は分からないが、両親はもう気が付いているようだった。
「そうだよ。ケプリのみんなが力を貸してくれたんだ。街の地下に古い遺跡があって」
 遺跡の奥で何をしたのかまでは、流石に言えなかった。
「地上の異変に気が付いたあの方たちに助けてもらったという事か。なるほど、ちゃんとお礼をしないとな」
「え、いやその、助けてもらったのは間違いないんだけど」
 妙な勘違いをされてしまった。そう思うのも当然ではあるのだが、しかしどうやって説明するべきなのだろうか。
 迷ってその機を見失ううちに、話はみるみるうちにおかしな方へ転がり始める。
「綺麗な娘さん達ねぇ。あんたもああいう綺麗な子をお嫁に貰いなさいね」
「綺麗だけど、あのね母さん」
「母さん。今は非常時なんだぞ。そんな事言っている場合じゃないだろう。それにケプリの方々に失礼だぞ」
「あらあなた息子のお嫁さんだって親にとっては大事な事じゃない」
「確かにそうだが、ケプリはファラオ亡き後新しい王を選ぶ存在なんだぞ? 伝承に伝わるファラオが亡くなられていた事は残念だが、あの方たちはファラオに代わる我々の新しい希望なんだ」
 父さんは表情を引き締め、真摯な視線をケプリ達に向ける。その新しい希望と自分の息子が昨晩何をしたか知ったら、父さんはどんな顔をするだろう。
 苦々しい気持ちになってしまうが、しかし説明はしなければならない。
「父さん、実は」
「失礼な事はしなかったんだろうな、アミル」
「な、無かったと、思うけど……」
 思わずとっさに返事をしてしまったが、そもそも失礼とかそう言う次元の話では無いのだ。本当にどう説明したらいいんだろうか。
 頭を抱えそうになっていると、急に両親と妹が顔つきを一変させて居住まいを正した。三人の視線を辿ると、僕のすぐ隣にアズハルが立っていた。
 アズハルは丁寧に頭を下げると、真剣なまなざしを僕の両親に向ける。
「アミル様のご両親であらせられますね。挨拶が遅れました。私はアズハル。アミル様の召使の一人です」
「こ、これはご丁寧にどうも。うちの息子が皆様に失礼などいたしませんでしたでしょうか。……ええと、うちの息子を召使として召し上げてもらえると?」
 にっこりと外行きの笑顔でアズハルを出迎える両親に、僕は頭が痛くなりそうだった。
 聞き違え? まさかそんなはずは無い。父さんは言われた事が信じられずに、アズハルの方が間違ったことを言ったのだと思い込んだのだ。
 現に妹なんか信じられないと言った顔で僕を見上げている。
「いえ。私達がアミル様の召使なのです。アミル様は昨晩私達ケプリの王となるための儀式を終えられ、今は正式な私達の王になられたのです。……ね、アミル?」
 アズハルに腕を絡められては、僕は頷かないわけにはいかなかった。
「失礼な事など何もありませんでしたわ。アミル様は終始優しく、私達を抱いてくださいました。あんなに胸がときめいたのは生まれて初めてでしたわ」
 アズラクが腰をくねらせ、頬を染めながらわざわざそんな事を言った。絶対にわざとだろう。両親が何を考えているのか全て分かったうえで、あえてこんな事を言ったのだ。
 両親はぽかんと口を開いて呆然としてしまい、妹は顔を真っ赤にしてなぜだか僕を睨んでくる。
「抱…く…?」
「お兄ちゃんすっごく頑張ってたんだよ。みんなとっても気持ちよさそうにしてた。あ、もちろん私もだよ。えへへ」
「はっきり言うと、子作り。セックスです。今やあたし達ケプリはみんな、アミル様の物なんです。アミル様以上に王に相応しい方はおられません」
「不束者ではございますが、私達ケプリ一同、誠心誠意アミル様にお仕えする所存です」
 年端もいかない外見のアスファルが娼婦のように笑い、その佇まいに重臣としての気品を滲ませたアフマルが事実だけをさばさばと伝える。そこに、真面目そうなアスワドの真摯なお辞儀が駄目押しに入った。
 両親はケプリ達の言葉を聞いて押し黙ってしまう。僕を見て、後ろに控えるケプリ達を見て、何度かその間を往復した後、ようやく重々しい口を開いた。
「本当にあんたが王様になったのね。母さん詳しい事は良く分からないけど、慕ってくれている子は大事にするのよ?」
「ああ、分かったよ母さん」
 それから母さんは僕に聞こえるようにだけ「早く孫の顔を見せてね」と言って笑った。
 父さんはそんな母さんに向かって咳払いしてから、真っ直ぐ僕の目を覗き込んでくる。
「なるほど。全て理解したわけでは無いが、色々なことがあったようだな。お前が決めた事なのなら、俺達はとやかく言わん。お前が五体満足で元気に生きてさえいてくれれば、父さんたちはそれだけで満足だよ」
「ありがとう、父さん」
 そして父さんは急に破顔すると、僕の背中をポンと叩いた。
「よく分からんが息子が王になるなんて、父親としては鼻が高いよ。さぁ、王になったんだろう。みんなに挨拶をしないとな」
 そう言って僕の背中を祭壇の方に押しやる。
「え、挨拶って?」
「街がいきなりこんな風になって、みんなびっくりしているだろう。今は皆再会を喜んでいるが、興奮が醒めれば皆不安になってくる。教団の支配の次は、どんな困難に見舞われるのか、とな。
 だからお前が教えてやれ。自分が伝承に伝えられる王になった。古の王国は復活するから、もう何も心配する事は無いってな」
「で、でも僕は」
 王になるという事は、人の上に立つという事。当たり前すぎてまともに考えていなかったが、つまり僕はここのみんなの上に立とうとしているのだ。
 考えて覚悟はしたつもりだった。でも、実際に命を預かる事になる街の人々を目の前にした今、僕の身体はどうしようもなく震えてしまう。
 自分一人でみんなの運命を背負う事など、本当に出来るのか?
「いいか、アミル」
 しかし、そんな僕に対して父さんは笑いかけてくれた。小さいころ、悪戯をして母さんに叱られた僕をこっそり慰めてくれた時のように。
「頭役ってのはとにかくどっしり構えていればいいんだ。こいつは大した奴だとみんなに思われさえすれば、お前じゃなくてお前の周りの人間が勝手に動いてくれるもんさ。
 それに、お前の周りにはケプリさん達が居るんだろう」
 見回さずとも、アズハル達が頷くのが分かる。
 そうだ。僕はもうケプリの王に"なった"のだ。それに僕は決して一人じゃない。周りに支えてくれる人達がたくさんいるんだ。
 正直挨拶なんて考えていなかったし、多くの人々の命を守り切る自信もまだ無いけれど、それでも僕は力強く頷いた。
 出来る出来ないじゃなくて、やるんだ。アズハル達がそばに居てくれれば、きっとどんなことだって乗り越えられる。
「分かった。挨拶してくるよ」
 いつの間にか周りの視線は皆僕に集まっていて、ケプリ達からも期待に満ちた熱っぽい視線を向けられていた。
 どうやら今の話は全て周りに聞こえてしまっていたらしい。
 何より先に情けない姿を見られてしまったわけだったが、街のみんなには寝小便をしていた頃から知られているのだ。気にすることは無いと考えることにした。
 祭壇の前に立って振り向くと、広場中から様々な視線が僕の身体の向けられていた。
 その重圧に一瞬屈しそうになってしまう。だがその視線の中には僕を応援するケプリ達の視線も明らかに含まれていて、それを思うともうこれ以上不甲斐無い姿など見せられなかった。
 世話になってきた街のみんな。父さんに、母さんに、可愛い妹。それから僕を王として認めてくれたケプリ達を見回してから、僕は息を大きく吸って、口を開いたのだった。
 僕は王として、男も女も、幼い者も年寄りも、魔物娘も、そして教団の人達も含めて、みんなが笑って平和に暮らせる穏やかな国を作りたい。まだまだ未熟な王だけど、王国復興のためにみんな力を貸してほしい。そう呼びかけるために。
13/07/10 00:34更新 / 玉虫色
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■作者メッセージ
台無しになるかもしれないあとがき。
というわけで、砂漠の街に王が帰還し、本編はこれにて完結となります。
(まだおまけ的な後日談はありますが)

教団との激しいバトルだったり、暗黒や明緑魔界化を期待してくださっていた方にはちょっと拍子抜けしてしまう展開になってしまったかと思いますが、申し訳ございません。
魔界化というと、なんというか抗いようも無い変化だという認識がありまして、武力で抵抗する間も無い圧倒的な変化というようなイメージがあったものでこんな感じになりました。
(穏やかな心を持ちながら激しい乱交によって目覚めた伝説の王に掛かれば、きっと戦い自体が起こらないはず)
……まぁ、あくまでも街という規模ですので……大目に……お願いします。

一応補足として。街の教団の方々ですが、一応魔物化前の状態ではあるものの、魔界化の影響でエロい事以外考えられなくなっている状態、という感じです。
魔界化が進行して安定するごとにそれは更に加速していくと思われますので、まぁそういう事ですね。

後日談まで読んで頂ければ嬉しいです。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

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