読切小説
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はじめてのえすえむ
「先輩、この後ヒマっすか?」

 そもそもの始まりはその台詞だった。丸山一郎が部下の梅田からその言葉を聞いたのは、丸山が今日の仕事を終え、帰り支度を済ませていた時であった。
 上司の席まで近づいてきた梅田が、彼に向かって満面の笑みを浮かべながらそう言ったのである。当然、丸山はそれに反応した。
 
「暇って? なんだい急に?」
「いや、言葉通りっすけど。この後何か予定とかは無いんすか?」
「予定か……」

 特にない。丸山は何も考えず、その旨を素直に答えた。彼は梅田がそう問うてきた理由の追及よりも、彼の問いへの返答を優先した。お人好しであった。
 
「あ、無い。そうっすか。無いっすか。無いのかー、いやーよかったなー」
 
 一方の梅田はそれを聞いて、ますます喜色満面になった。どうしてそこまでニコニコしているんだ。丸山は一層疑問に思った。
 流れに身を任せるように、丸山はそのことを尋ねた。
 
「どうしたんだ、そんなに嬉しそうにして。何か理由でもあるのか?」
「いや、大したことじゃないんですけど。ちょっとこの後、俺につき合ってほしいなーって思いまして」
「君に?」
「はい。ぜひ来てほしいところがあるんすよ」

 丸山からの問いに、梅田は笑顔で答えた。二十代の若者が見せる、瑞々しさと軽薄さが同居した眩しい笑みだった。
 随分嬉しそうだ。そんなことを考えながら、丸山は梅田に尋ねてみた。
 
「どこに行くつもりなんだ?」
「駅前のクラブっす。セパレイシアっていう名前の」
「ああ。あそこか」

 梅田から名前を聞いて、丸山は全てに合点がいった。なぜ梅田がこうも嬉しげなのか。なぜ自分を誘おうとしているのか。
 全てを理解した上で、丸山は申し訳なさそうに梅田に言った。
 
「でも俺、そういう所行ったことないんだよなあ……。大丈夫かな?」
「大丈夫っすよ。俺の馴染みの店っすから。それにこういうのは、何事も経験っす」
「いやでも、ほら、なんていうか、怖いじゃん」
「そんな怖いものでもないっすよ。怖いのは最初だけっす」
「本当?」
「本当本当」

 疑り深い上司に、梅田が笑顔で言い返す。もっとも、何故丸山がここまで慎重な態度を取るのかについては、梅田も十分理解出来ていた。
 理解していたが故に歯がゆかった。尊敬する上司の偏見――もっと言うなら妻への偏見を拭い去りたいと、彼は常々思っていたのだ。
 
「行ってみましょうよ。絶対変な事にはなりませんから。体験してみれば絶対病みつきになりますから」

 だから梅田は一層しつこく食い下がった。そして丸山もそれを受けて、内心まんざらでもない気分になっていった。
 梅田への信用と、自分の中に燻る好奇心が、彼の心境を傾けさせたのだ。
 
「……わかったよ。そんなに言うなら、ちょっと行ってみようじゃないか」

 そして丸山はとうとう頷いた。腹を括った。梅田もそれを聞き、さらに嬉しそうに笑みを浮かべた。
 
「マジで? やった! じゃあすぐ行きましょう! 準備してください!」

 早口で梅田がまくしたてる。丸山は苦笑を漏らしながら、大仰に立ち上がった。荷物をカバンに押し込み、スーツを羽織ってネクタイを締め直す。
 未知の世界を前にして、彼の心は期待と緊張で張り裂けそうだった。
 
 
 
 
 クラブ「セパレイシア」とはSMクラブである。マゾヒストの男性を対象とした、魔物娘の経営する店だ。それぞれに宛がわれた個室で、思い思いにプレイを楽しむスタイルを取っている。
 オーナーは魔物娘。店で働く「従業員」も、当然ながら全員魔物娘。人間のスタッフは皆無。もっと言うと、実際にサービスをするのは専ら独り身の――夫に飢えた――魔物娘である。故にここは「出会いの場」としても機能していた。一応、所帯持ちの従業員もいるにはいたが、彼女達は全員裏方に徹していた。
 梅田の妻、メドゥーサの「キャシィ」も、そこで働く従業員であった。
 
「あら、ナオト。お仕事終わったの?」
「おう。そっちは?」
「見てわかるでしょ。まだ仕事中」
「そうなのか? じゃあ帰った方がいいか?」
「べ、別に迷惑とは言ってないでしょ! す、好きなだけいればいいじゃないっ」

 キャシィが愛する夫の存在に気づいたのは、彼が店の自動ドアを開けたその瞬間だった。妻に名前を呼ばれた梅田もまた嬉しげに言葉を返しつつ、キャシィの待つ受付口に向かって歩いていった。互いの距離が狭まる間も二人のやり取りは続き、そして梅田と丸山がキャシィの座る受付前まで来た時には、キャシィの顔は真っ赤に茹っていた。
 
「ところでそっちの人間は……」

 そしてそこまで来て初めて、キャシィは梅田の隣にもう一人いることに気づいた。気づいた後、彼女はその男を一瞥し、即座にその正体に気づく。
 
「ま、丸山……さん! 久しぶりじゃない……です!」
「どうも。お久しぶりです。無理して敬語を使わなくても大丈夫ですよ」
「そんな、とんでもない! いろいろお世話になったのに、そんな恐れ多いわ、です! はい!」

 慣れない敬語に悪戦苦闘しつつ――視線も泳ぎ気味だった――も、キャシィが丸山に声をかける。丸山もそれを受けて小さくお辞儀をしつつ、へりくだった口調でキャシィに言葉を返す。それがさらにキャシィのペースを崩していく。
 キャシィと丸山は、こうなる前から周知の仲だった。正確には梅田とキャシィが恋仲になった後、丸山が二人の関係を取り持ち、色々と二人の相談に乗る中で知り合いとなったのである。二人の結婚式で仲人を務めたのも彼だった。
 ちなみに丸山がここまでお節介を働いたのは、単に梅田が自分の部下だからであった。お人好しである。
 
「それはそうと、丸山、さん……様! は、今日はどんな用で?」
「いや、ちょっと梅田の奴に誘われまして。初体験しに来たわけですよ」
「なるほど。……まさか、こういう所に来ること自体が?」
「初めてです」
「へ、へえー……」

 驚いたような、呆れたような顔でキャシィが声を上げる。直後、キャシィが頭の蛇共々、彼の隣にいた梅田を睨みつける。
 無茶振りにも程があるだろう。メドゥーサの持つ全ての瞳がそう告げていた。
 
「な、何事も経験だろ? そんなに睨むなって」
「……はあ」

 自身の妻から糾弾され、狼狽する梅田からキャシィが視線を逸らす。その後改めて丸山に目を向け、念を押すように話しかける。
 
「あの、本当にいいの? ここってつまり、まあ、そういうお店なんだけど……」
「はい。私もそういう場所だということは理解して来てますから」
「そうなの。そこまでわかってるなら、まあ私もそれ以上は言わない、んですけどね」

 梅田と交際を始める前から、キャシィはここで働いていた。梅田はここの常連であり、彼はここでS嬢をしていたキャシィと出会い、運命を感じ、そのままゴールインしたのである。このことは丸山も周知のことであった。
 
「それじゃあ、丸山さ――まはソフトコースで。いいですね?」
「あ、はい。一番痛くない奴でお願いします」
「かしこまりました。それからあんたは私が虐めるから」

 丸山の受けるコースを決めた後、間髪入れずにキャシィが梅田に言い放つ。言われた梅田は「優しくしてくれよー?」とニコニコ笑うばかりだった。
 勝手の分からない丸山は、ただ苦笑を漏らすだけだった。
 
 
 
 
 一度決まると、後はもはや流れ作業だった。キャシィが慣れた調子で丸山に彼の使用する部屋と時間を告げ、その後彼にリストを渡してきた。
 そこには魔物娘の顔写真がずらりと載っていた。人間の女性は一人もいない。ここまで魔物娘の顔がずらりと並んでいると、さすがに壮観である。
 
「これは?」
「あなたのお相手一覧よ。そこから気に入った娘を一人選んで指名するシステムになってるの、です」
「決め手がわからないのですが……」
「そういう時は直感で決めてもいいわ。大丈夫。魔物娘は人間と違って、みんな親切だから♪」

 ハズレを心配する必要はないですわよ。今度は比較的流暢な調子で、キャシィが言葉を締める。まさかこんな場所で「親切」と言う言葉を聞くとは思わなかったが。
 そんなことを考えながら、丸山は差し出されたリストを注視した。そして直感のままに、魔物娘の顔写真の一つを指さした。
 
「じゃあ、この子で」

 そこにいたのは、大人びた雰囲気を持ったダークエルフだった。特に彼女を選んだ理由は無く、本当にたまたま目についただけである。
 これで大丈夫なのだろうか?
 
「了解。じゃあすぐ呼ぶから、丸山様はさっき言った部屋で待っててちょうだいね」

 キャシィはそんな彼の葛藤などお構いなしだった。場の雰囲気に慣れていない丸山は、最早なすがままだった。
 
 
 
 
 数分後、丸山は指定された部屋の中で一人待ちぼうけを食っていた。部屋は自分の住むマンションよりはずっと広く、部屋を照らす照明は薄暗い程度に抑えられていた。室内にはバスルームに続くドアの他には、ダブルサイズのベッドくらいしか目立つものは見当たらなかった。
 天井に意味ありげなフックが見えたが、丸山は努めて気にしないことにした。
 
「おまたせ」

 出入口であるドアの方から声が聞こえてきたのは、丸山がその天井のフックに意識を傾けたまさにその時だった。我に返った丸山が慌てて視線をドアへ向けると、そこには一人の魔物娘が立っていた。丸山が指名したダークエルフである。
 
「あなたが今日のお客さんね?」

 腰を左右に揺らし、煽情的な足取りで丸山の方へ近づきながら、ダークエルフが穏やかに問いかける。こちらに近づいてくるダークエルフを見た丸山は無意識のうちに一歩後ずさり、それを見たダークエルフは楽しそうに笑みを浮かべた。
 
「安心して。別に取って食おうってわけじゃないから」
「でもその、この後、あれなんですよね?」
「あれ?」
「え、SMやる、んですよね」

 躊躇いがちに丸山が問いかける。ダークエルフがそれを聞いてニコリと笑う。
 
「その通りよ。あなたもそれをわかっててここに来たんでしょう?」
「え、ええ。まあ」

 ここに来て、丸山は怖気づいていた。やはり怖いものは怖い。
 そんな彼の心境を一目見て察したダークエルフは、口元に手を当てて上品に笑いながら彼に話しかけた。
 
「そんなに怖がらなくてもいいわよ。SMって言っても、いきなり痛いものから始めたりはしないから」
「そ、そうなんですか?」
「もちろん。あなたはSMが何のイニシャルか、わかるかしら?」
「えっ」

 いきなりそう問われ、丸山が目を白黒させる。彼は硬直したまま口を動かそうとしない。緊張で完全に頭が停止していた。
 そんな丸山を見ながら、お構いなしにダークエルフが指を鳴らしてそれに答える。
 
「SはサービスのS。Mは満足のMよ」
「……はあ?」

 思ってたのと違う回答だ。丸山が頭の機能を取り戻し、そう違和感を覚えるのは、ダークエルフからそれを聞いた数秒後のことだった。
 
「どういう意味なんです?」

 やがてようやっと意識を取り戻した丸山が、控え目な声で尋ねる。片足に重心を置きながら、ダークエルフが頷いて答える。
 
「それだけ相互理解が必要なプレイだってことよ。ただ暴力を振るえばいいってものじゃないの。お互いが気持ちよくなるために何が必要かをしっかり把握して、必要以上の責めは絶対にしない。それが愉しいSMプレイを行う上での絶対条件なの」
「な、なるほど」

 ダークエルフの言葉に、丸山は思わず感心してしまった。どうやらSMとは、自分が思っている以上に奥の深いものらしい。
 そこにダークエルフが追い打ちをかける。
 
「もしかして、鞭とロウソクでいじめるのがメインだと思ってた? 縄で縛って痣だらけにするとか、そういうハードなのを想像してたのかしら」
「それは、まあその……はい」

 頷くしかなかった。実際丸山はSMに対してそのようなイメージを抱いていた。それ以外に何があるのだろう?
 そのことを丸山が尋ねてみると、ダークエルフは愉快そうにクスクス笑った。
 
「もちろん、それ以外にもたくさんあるわよ。初心者向けの、あなた向けのソフトなプレイも当然あるわ」
「そうなんですか」
「ええ。今日はそんなソフトなプレイで行こうかと思っているわ。SMの入口、入門中の入門からね。あなたも最初から痛いのは嫌でしょう?」

 ダークエルフが尋ねる。それを聞いた丸山は反射的に首を縦に振った。
 
「お、お手柔らかにお願いします」
「任せてちょうだい。ちゃんと気持ちよくさせてあげるから」

 そう断言するダークエルフは、明らかに楽しそうだった。それを見た丸山の脳内では緊張と恐怖と興奮と期待が激しく渦巻き、まさにパンク寸前であった。
 
 
 
 
 その後ダークエルフは、本番を始める前に簡単な説明を行った。ここでは自分が責める側であり、丸山が責められる側であることを、口頭で告げたのである。
 
「もう一度言っておくけど、必要以上に痛いことはしないから安心して。それともしプレイの途中で不快に思ったり、痛いと感じたりしたら、遠慮なく言ってね。遠慮したり我慢したりするのは厳禁よ」

 その上で、ダークエルフが念を押す。奴隷調教のイロハを熟知しているが故の配慮である。何事も最初が肝心なのだ。
 一方の丸山は魔物娘の詳しい生態には疎かったので、ダークエルフがこの時何を考えているかまでは頭が回らなかった。彼はただ、ダークエルフの言葉にただ頷くしか出来なかった。
 
「まあそういうことだから。あなたも協力のほう、よろしく頼むわね」
 
 ダークエルフの説明はそこで終わった。そしてダークエルフは間髪入れずに、早速最初の命令を飛ばした。
 
「じゃあまず最初にお風呂に入りましょうか」
「へっ?」

 全く想定外の言葉に、丸山が目を白黒させる。そんな彼に向かって、ダークエルフが注釈を加える。

「SMプレイで大切なのは、互いを思いやり、信頼すること。前も言ったけど、相互理解が大事なのよ。お互い初対面なら猶更ね。でもそこでもし、汚れやニオイをこびりつかせたまま本番を初めたら、相手はどう思うかしら?」
「嫌な気分になる、と思います」
「その通り。そんな状態でプレイをしても、信頼なんて生まれようがないわ。だから本番前に、必ず体を綺麗にしておく必要があるのよ」
「な、なるほど」

 丸山は思わず感心してしまった。自分が勝手に想像していたSMプレイのイメージが音を立てて崩れていく。しかしそこに落胆や失望はなく、代わりに燻っていた期待や好奇心がむくむくと顔を覗かせていく。
 
「そうとわかったら、さっそく浴室に行くわよ。どうせだから私が洗ってあげるわ。あ、お風呂場で本番は始めないから、そこは注意してね」

 ダークエルフが釘を差す。最後の一語を聞いた丸山は、ちょっとだけがっかりした。
 しかし落胆してもいられない。丸山は早速ダークエルフと共に浴室に向かい、そこで服を脱いで二人でシャワーを浴びた。
 そこから先は、いたって普通の流れだった。それぞれが体を洗い、湯船に浸かり、汗を流した。「こういうこと」に慣れてない丸山は、背中だけダークエルフに流してもらった。その間、丸山は努めて相手の裸体を視界に納めないよう腐心した。
 
「ところであなた、何か要望は無いかしら? 細かい事でもいいから、今の内に教えてほしいんだけど」
 
 ついでとばかりにダークエルフはそこで、具体的にどのようなことがしたいか、何をされるのが嫌かについて、丸山に対し事細かに聞いてきた。本番前の最終確認である。
 
「やっぱり痛いのは嫌ですね。苦しいのもちょっと駄目かな」
「なるほど。じゃあ緊縛とかは?」
「全身縛られるのもちょっと嫌ですね。ソフトな方がいいです」
「ハード系はアウトか。わかったわ。じゃあ言葉責めとかはどうかしら。どの程度ならいけそう?」
「キツすぎるのは嫌、ですね。叱られるのには慣れてないので。出来るなら優しめでお願いします」
「優しめならセーフ、ね。了解よ」

 それに対して、丸山は正直に答えた。ダークエルフもまた真面目にそれを聞いた。真剣な雰囲気にあったので、丸山の愚息はそれまでの緊張も相まってすっかり萎れていた。
 
「……はい。じゃあこれで質問は終わり。長い間ごめんなさいね」
 
 彼女が質問を終えるのと、二人が体を洗い終えるのは、ほぼ同時だった。その後心身共にさっぱりした二人は服を着直してから浴室を出て、並んでベッドに腰かけた。
 ダークエルフが口を開いたのは、そこで一息ついた後のことだった。
 
「さて。体も綺麗になったところで、そろそろ本番を始めましょうか」

 ついに来た。丸山は無意識のうちに背筋を伸ばした。それから彼はゆっくり首を動かして隣のダークエルフの方を向き、恐る恐ると言った感じで彼女に問いかけた。
 
「それで、今日は何をする予定なんですか?」
「そうねえ……あなたSMは初めてなんだし、今回はとてもソフトな内容で行こうと思っているわ」

 ダークエルフが答える。丸山はそれを聞いても全く安心できなかった。
 そんな丸山を見たダークエルフが「本当に初心者向けのプレイなんだから、安心なさいな」と笑って告げる。追撃とばかりに、ダークエルフが彼の肩にそっと手を置く。
 
「大丈夫。絶対嫌な思いはさせないから。私を信じて、私の言う事に従って」

 耳元で囁く。熱のこもった、それでいて信念に満ちた力強い言葉。それを聞いた丸山は抵抗を諦めることにした。
 肩から力を抜き、背筋を曲げる。捨て鉢になったともいえる彼の心境の変化を見たダークエルフは、ただにっこり笑って「いい子ね」と呟いた。
 
「それじゃあ、まずはスーツを脱いでちょうだい」

 最初の命令。唐突に放たれたそれに若干困惑しつつ、素直にそれに従う。スーツを脱ぎ、ベッドの上に置く。その後ダークエルフの方を向き、次の指示を待つ。
 
「次は私がやるから、じっとしてて」

 おもむろにダークエルフが顔を近づけてくる。突然のことに心臓が高鳴る。太ももの上に両手を置いたまま、丸山が緊張で硬直する。
 そんな彼の首元に、ダークエルフの手が伸びる。細い褐色の指がネクタイを捕らえる。そしてそのまま薄皮を剥くように、丁寧にそれを緩めていく。
 魔物娘の吐息が胸元に吹きかかる。彼女の存在を間近に感じる。風呂に入っておいてよかった。そんなことを思いながら、丸山が疑問を口にする。
 
「あ、あの」
「動かないで。今のあなたは私のモノなのよ」

 優しく、しかし有無を言わさぬ口調で、ダークエルフが丸山を黙らせる。効果覿面、丸山はそれきり口を噤んだ。
 やがて丸山の首筋からネクタイが外される。自ら取り外したそれを見つめながら、ダークエルフが丸山に言い放つ。
 
「今日はこれを使うわ」
「これ? ネクタイを?」
「ええ」

 見当がつかなかった。きょとんとする丸山にダークエルフが再び口を開く。
 
「目隠しよ」
「目隠し?」
「これであなたの視界を塞ぐの」
「ああ、そういうことですか」

 納得した丸山にダークエルフが顔を近づける。間近に迫る美女の顔に気圧されながら、丸山が尋ねる。
 
「もう始めるんです?」
「もちろん。優しく締めるから、リラックスしててね」
「は、はい……」

 そう言われた丸山は腹を括った。目を閉じ、視線がまっすぐ前方に伸びるように顔を固定する。
 あなたとっても良い子ね。我が子を褒めるようにダークエルフが声をかける。それを聞いて少し嬉しくなったところで、丸山は両目の周りにネクタイの滑らかな感触が当たるの感じた。
 瞼の隙間から差し込む光が閉ざされ、視界が完全な黒に包まれる。気配が横から後ろへ移り、背後で何かを縛る音が聞こえてくる。直後、彼はほんの僅かに自分の頭を締め付けられるような、窮屈な感覚を覚えた。
 
「も、もう縛ったんですか」
「ええ。目隠しはこれで完了よ」

 ベッドの軋む音が真横から聞こえた直後、前方からダークエルフの声が聞こえてくる。しかし彼女が本当はどこに存在するのか、全くわからない。自分が今どういう態勢にあるのかもわからなくなってくる。下手に体を動かすことも出来ない。
 視覚を削がれただけで、こんなにも心細くなってしまうのか。数秒経って後、丸山は一気に恐ろしくなった。その彼の心の動きを見透かしたように、ダークエルフが声をかける。
 
「落ち着いて。今ここにはあなたと私しかいないから。私の言う事をちゃんと聞けば、あなたも無事に帰ることが出来るわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。あなたを好きにできるのは私だけ。それを忘れないでね」

 さりげなく釘を差す。一瞬丸山の体が硬直するのを見て取った後、ダークエルフが再度命令を飛ばす。
 
「じゃあ次は、両手を前に伸ばして」
「手ですか?」
「そう、手よ。まっすぐ前に伸ばして」

 言われるがまま、丸山が両手を前に突き出す。ダークエルフはその手首をそれぞれの手で掴み、彼の掌が重なるようにそっと手を動かしていく。
 三度目の命令は、丸山の二本の手がぴったりくっついた直後に下された。
 
「そのまま。じっとしてて。すぐに終わるから」

 丸山が無言で首を縦に振る。その後ダークエルフが懐をまさぐり始める。何が起こっているのか、丸山はさっぱりわからない。今は彼女の命令に従うしかない。
 数秒後、ダークエルフが喋りを再開する。
 
「じゃあ、今からあなたの手を縛るからね」
「し、縛るんですかっ?」

 丸山の上ずった声が返ってくる。そんな彼を落ち着かせるように、ダークエルフが手にしたものを見ながら彼に言い返す。
 
「安心して。縄とかは使わないから。今日はハンカチで、あなたの手を縛らせてもらうわ」

 ほら、触ってみて。そう言いながらダークエルフが、持っていたハンカチを丸山の手元に近づける。丸山は指でその感触を確かめ、それが確かにハンカチであることを理解する。
 
「それに『あそび』もしっかり入れておくから。ガチガチに縛り付けたりはしないから、安心してちょうだい」

 なだめるようにダークエルフが語り掛ける。それを聞いた丸山は頷いた。頷くしかなかった。
 あとはされるがままだった。ダークエルフが手に持ったハンカチで丸山の手首をまとめて縛り上げ、しっかり余裕を持たせた上で緩く結ぶ。おかげで丸山の手はある程度自由に動かすことができ、実際に動かしてそれを確認した丸山は心の中で大きく安堵した。
 
「これでよし。じゃあ――」

 刹那、ダークエルフが丸山の胸に手を当てる。
 次の瞬間、ダークエルフが勢いよく丸山を後ろに押し倒す。
 
「うわっ!」

 丸山が思わず声を上げる。ふかふかのベッドの上に背中から倒れた丸山の体が、小さくバウンドする。
 その丸山の体を無理矢理ベッドに押し付けるように、ダークエルフが馬乗りの姿勢でマウントポジションを取る。腹に来る重みと暖かさを感じ、丸山も誰かが自分の上に乗ってきたことを悟る。
 
「ここから本番よ」

 顔を近づけ、耳元でダークエルフが囁く。突然のことに丸山は体を硬くしたが、ダークエルフに馬乗りにされていることと両手を縛られていること、何より視界を塞がれていることによって、全く抵抗することが出来なかった。
 
「黙ってじっとしてて。ご主人様に従いなさい、子豚ちゃん」

 鳥肌が立つほど優しい声で、ダークエルフが丸山を咎める。それから彼女は相手の反応を待つことなく、ワイシャツのボタンを一つ一つ外しにかかる。
 
「痛いお仕置きされたくなかったら、いい子で待ってるのよー?」
「うっ……」
 
 シャツと肌が擦れあい、ボタンが外れていく音が聞こえてくる。ダークエルフの熱い吐息が、剥き出しになった胸元にかかる。魔物娘の放つ石鹸の匂いが鼻腔をくすぐり、滑らかな指触りを下腹部に感じる。
 視覚を遮られた弊害であった。他の感覚が鋭敏になり、いつも以上にそれらの感触をハッキリ知覚してしまう。そしてそれが故に、丸山の心は否が応でも「次」を期待してしまうのであった。
 
「さあ、ズボンも脱ぎましょうね」
 
 ボタンをすべて外され、上半身の前面が露わになる。間髪入れずにダークエルフが今度はズボンのベルトを外していく。
 血が下半身に集まっていく。股間が燃えるように熱くなり、音を立てるように硬度を増していく。
 
「あらあ?」

 それに気づかないダークエルフでは無かった。ベルトを完全に取り去り、ズボンのチャックを下げきったところで、彼女は目敏くそれに反応した。
 
「……誰が硬くしていいって言ったのかしら?」

 ズボンを足首まで一気にずり下げた後、ダークエルフが下着越しに屹立するそれを握りしめる。丸山が思わず情けない声を上げ、それを聞いたダークエルフが彼に聞こえるような声量でクスクス笑う。
 
「元気でとてもよろしい。でも私の許可なしにここまで大きくするのは、ちょっといただけないかしら」
「す、すいません」

 相変わらず穏やかな口調のダークエルフに対し、丸山が反射的に謝罪する。自分でも非常に情けないと思えるほど、その声色は弱弱しく怯えきっていた。
 しかしそれを聞いた「ご主人様」は、特別気分を害するようなことはなかった。リラックスした表情を浮かべながら――当の丸山には見えなかったが――空いた方の手を剥き出しになった丸山の胸板に重ねる。
 
「それじゃあ、堪え性のない子豚さんのために、一肌脱いであげるわね」

 胸元にじわりと広がる手の熱と感触を感じながら、丸山の両耳がその言葉をはっきりと捉える。しかしそれだけだ。抵抗は出来ない。
 無抵抗のまま、丸山の下着がずらされる。布地と肌が強く擦れるのを痛いほど知覚する。
 直後、股間周りが外気と触れ、寒気と解放感を同時に味わう。丸山が小さく呻き、ダークエルフが嬉しそうに目を輝かせる。
 
「素敵な反応してくれるわね。お姉さん、そういう初心なリアクション大好きよ」
「か、からかわないでください……」
「からかってないわ。本当のことを言ってるだけなんだから」

 顔を真っ赤にする丸山にダークエルフが答える。直後、その丸山の上にダークエルフが覆い被さる。
 丸山の胸板に、服越しでもわかるほど豊満なダークエルフの胸が押し当てられる。むにゅん、と音が出たかのように、たわわに実った二つの果実が押し潰される。
 
「な、なにを……!」
「なにって、本番よ」

 慌てふためく丸山の眼前で、ダークエルフが囁く。そそり立つ肉棒から手を離し、代わりに両足を使って優しくそれを包み込む。
 足の裏は氷のように冷たかった。あまりの冷たさに丸山が背筋を反らす。そうして彼の体が浮きかけたところを、ダークエルフが全身で押さえ込む。
 二人の体が重なり合う。体温と匂いをより間近で感じる。
 
「今からあなたを堕とす」

 鳥肌が立つほど冷たい声色で、ダークエルフが告げる。
 
「あなたを堕として、私色に染め上げる。これはそのための第一段階」
「う、あっ、えっ?」
「何も考えなくていいわ。今はただ、私で感じてくれればいいの。目隠しされ、縛られながら、私の声と体でイク。それがあなたに唯一許された行為。それ以外は何もしなくていい」

 心に刻みつけるように、ダークエルフが丸山の耳元で囁く。足の裏で肉棒を撫でながら、上半身を揺らして乳房を胸板にこすりつける。
 
「命令よ。私でイキなさい」

 有無を言わせぬ宣言。丸山もただそれに頷くしかなかった。
 
「素直でよろしい。いい子ね」

 首を縦に振った子豚の頭を、ダークエルフがそっと撫でる。その暖かな感触を受けて、丸山は思わず安堵の表情を浮かべる。
 一瞬、芯から心を彼女に許す。それに気づかないダークエルフではない。
 
「それじゃ、調教開始よ」

 楽しげに言い放つ。両足に力を込め、本格的に肉棒を扱き始める。腰から下が別の生き物になったかのように、的確な足捌きで肉棒を擦り上げていく。
 三回ほど扱いたところで、丸山の口から苦悶の声が上がり始める。それを聞いたダークエルフが、彼の顔の真横で大袈裟にため息を漏らす。
 
「なあに? もう限界なの?」
「は、はい……っ! こ、こういうの、初めてで……っ」
「それにしたって早過ぎよ。早漏さんね」

 優しく、軽口を叩く程度に相手を罵っていく。慣れていない人間にはこの程度でも十分効いた。実際丸山の顔は、快楽と恥辱で茹蛸のように真っ赤になっていた。
 そこに追い打ちをかけるように、ダークエルフが丸山の耳に噛みつく。前歯で揉みしだくように、唾液を絡めて甘噛みする。
 耳元でにちゃにちゃと音がする。そのひどく淫らな水音が、丸山の脳をさらに溶かしていく。
 
「あはっ、また硬くなった」

 一層硬度を増した肉棒を足裏で感じながら、面白おかしくダークエルフが口を開く。丸山はもう口もきけなくなっていた。歯を食いしばって、目の前の快楽に耐える以外のことは出来なかった。
 それでも限界は間近に迫っていた。我慢の蓋は既にガタガタで、いつ決壊してもおかしくなかった。
 ダークエルフの口元が妖しく歪む。
 
「誰が我慢していいって言ったのかしら?」

 そう呟き、耳元から顔を離す。代わりに今度は彼の頬を舐める。何度も何度も、吐息を吹きかけながら彼の顔を涎塗れにしていく。丸山の顔面がべたべたになっていく。
 
「まあ凄い。今のあなた、とってもひどいことになってるわよ。これだけされてオチンチン硬くしたままだなんて、あなた相当なものね」
「うっ、くっ、ひうっ……」
 
 冷たくぬめった感触が顔面を通り過ぎていく。そうして舐められ、罵られる度に、丸山の最後のタガにヒビが走っていく。彼の理性はボロボロになっていた。その証拠に、彼の顔はあらゆる感情がごた混ぜになって歪みきった、とても見ていられないものになっていた。
 頃合いだ。虐めすぎるのもよろしくない。早々にダークエルフがトドメを刺す。

「さっさとイケ。変態」

 鋭く、突き放すような罵声。
 
「ひっ――」
 
 恐怖のあまり、丸山が息をのむ。反射的に精神が緩む。
 刹那、堤防が決壊した。
 
「ああン、来たァっ!」

 肉棒が震え、白濁液を天に向かってぶちまける。生臭い精液をびゅるびゅると、際限なしに吐き出していく。その震動を足越しに感じたダークエルフが歓喜の声を上げる。
 
「いいわ、いいわ! もっと出しなさい! 命令よ!」
「あ、ああ、うああっ」
 
 白くねばつく液体がダークエルフの腿に降り注ぐ。熟成された雄の臭いと焼けつくような肌ざわりを受け、その感覚に心躍らせる。丸山は命令通り、呻きながら射精するしか出来ない。
 その丸山に、ダークエルフが追撃をかける。
 
「変態! 変態! いいわ、もっと曝け出しなさい、変態!」
「ひいいっ、ひいいいいっ!」

 もはや操り人形だった。一言罵られる度に、彼は肉棒から精液を撃ち出した。恐怖と快楽が根元から混ざり合い、自分が何で肉欲を満たしているのかわからなくなってくる。考えることすら出来なくなってくる。
 そして彼はやがて、考えるのをやめた。代わりに今はただ、この快楽の渦に身を任せることにした。
 この初めて味わう感覚、文字通り死ぬほど気持ちいい感覚を、一秒でも長く味わっていたかったのだ。
 
「ま、まだイク、イクイクイク――」
「いいわよ。しっかり最後までイキなさい。ちゃあんと見ていてあげるから」

 丸山が人生で初めて味わう地獄と天国は、当分続いたのだった。
 
 
 
 
 そこから先の事は、丸山はよく覚えていなかった。今回はあれだけで終わったのか、それともあの後もプレイを続けたのか。それすらも覚えていなかった。最初の絶頂があまりにも強烈すぎて、その後のことがまるで頭に入ってなかったのだ。
 文字通り、彼の思考回路はショートしてしまっていた。プレイ後に浴びた熱いシャワーの感覚は辛うじて覚えていたが、そこでの出来事にしたところで、記憶から完全に抜け落ちていたのだった。
 そんな彼の脳も、一つだけ確かに覚えているものがあった。
 
「今日の所はこれでおしまい。どう? 楽しかった?」
「は、はい……とても良かった、です……」
「気持ちよかった?」
「はい……とっても、気持ちよかった、です……」
 
 快楽。今後の人生観を変えてしまう程の凄絶な悦楽。
 「気持ちいいこと」を味わったという事実だけが、丸山のふやけた脳味噌にハッキリ記憶されていた。まさに奴隷の焼き印のように、それはしっかりと彼の脳裏に刻み込まれたのだ。
 
「じゃあ、また会いたくなったら、ここで私を指名しなさい。私もあなたのこと気に入ったし、いつでも歓迎するわ」

 来た時と同じスーツ姿に着替え、呆然とベッドに腰かける丸山に対し、隣に座っていたダークエルフが名刺を差し出す。丸山もそれを受け取り、そこに書かれている文字をまじまじと見つめる。
 シシリー。そこには確かに、黒い文字でそう書かれていた。
 
「シシリー、さん?」
「そう。私の名前。本当は最初会った時に言っておくべきだったんだけど、まあノーカンってことで」
「次に来た時に、受付でこの名前を呼べばいいんですか?」
「そうよ。シシリーさんはいますか、って言えば、向こうもそれでわかってくれるはずよ」

 ダークエルフのシシリーはそう言って、丸山の肩にそっと手を置いた。
 
「あなたの調教は、まだ始まったばかり。次回も、期待しててね♪」

 まるでこれ以降も彼がここに来ることが確定しているかのような口振りだった。しかしこのシシリーの見積もりは、しっかり的を射ていた。
 たった一回のプレイで、丸山は完全に虜になっていた。
 
「は、はい。じゃあ時間が空いた時に、また来てみますね」
「ええ。その時はよろしくね。私がまた天国に連れて行ってあげるから」

 彼に元々素質があったのか、それともダークエルフの手腕が凄まじかったのか。今となってはどうでもいいことだった。
 丸山がシシリーに惹かれた。今最も大事なのはそれなのだ。
 
「また会いましょう、子豚ちゃん♪」

 気をよくしたシシリーが、耳元で丸山に囁く。その言葉は彼がセパレイシアを離れ、梅田と一緒に駅に向かった後も、彼の頭からこびりついて離れなかった。
 
「それで、どうでしたか? 初体験の感想は?」

 駅に向かう道中、梅田が楽しそうに問いかける。丸山はどこか遠くを見たまま、呆然とそれに答えた。
 
「……うん。凄い良かったよ」
「でしょ? だから言ったじゃないっすか。絶対病みつきになるって」
「うん。本当に病みつきになりそうだよ」
「マジっすか。いやー、そこまで言われると、俺も誘った甲斐があるってものっすよ!」

 一人ではしゃぐ梅田の言葉は、丸山の耳には届かなかった。彼の頭の中はシシリーでいっぱいだった。
 彼は梅田の想像以上に、どっぷりはまり込んでしまっていた。後戻りできない程に。
 
「……うん。また行こうかな」

 彼の道は、こうして開かれたのであった。
17/05/18 22:29更新 / 黒尻尾

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