「はぁ」
　筆が全く進まない。いやほんと、ここ何週間か一ミリも動かない。
　原因ははっきりしている。春深ちゃんだ。
　そう、彼女と付き合い始めてから描くイラストの量ががっつりと減ってまったのだ。
──なんだか言い訳みたいなことを喚いているが、別に彼女が悪いとは言っていない。より正確に言うなら、彼女はきっかけでしかなく、やはり原因は僕にあるのだろう。
　もちろん、度重なるデートで暇な時間が減ったというのもある。しかし、一番の原因は僕が幸せになってしまったことなのだ。
　「幸せ」。以前の僕がそう感じる機会はそこまで多くなかった。アイミンのライブに行き、イラストにアイミンの愛をこめる時ぐらいしか幸せと感じる瞬間は無かったのだ。だから、今まではそれらが僕の人生における優先度の上位を占めていたのだ。
　だが今は違う。
　今は春深ちゃんがいる。
　大切な大切な恋人が──



「──さい！　──ずみさん！　一見さん！　起きて下さい！」
「んあ……ん？　もう着いたの……？」
　どうやら寝ていたらしい。ついつい揺れが気持ちよくて眠ってしまった。それにここ最近本当に満足に眠れていないのだ。
　原因は──今目の前で僕を揺さぶっている彼女なのだが。
「うぅ……君はどこまで僕の安眠を邪魔するんだい？」
「これからの三日間、私と二人きりで一つの布団で寝るっていうのに何言ってるんですか、ほら、行きますよ」
　その言い方だと夜眠らせてくれない、みたいに聞こえるんだけども。
　嘘だろ？　──マジで？
「いえいえ、夜だけじゃありませんよ……♥」
「え？　……ええー！　いやいやいやいや！」

「一体なんのための温泉旅行なのさー！」

　今僕たちが来ているのはとある温泉街。至る所で様々な効能を持つ温泉が沸くということでかなりの名地なのである。度々雑誌やテレビで紹介されている。さらに有名なのは温泉だけでなく周りの景色もそう。昔ながらの日本を残している建物が所狭しと並んでいて、なんだかタイムスリップをした感覚になると話題なのだ。
　そんなところに何の用かというと……ぶっちゃけ本当にただの旅行である。一週間とちょっと前、突然春深ちゃんに『温泉に行きませんか！』と誘われたのだ。
……あー、でもそうか僕的にはあまり用事がなくても彼女にはあるのか……
　僕と二人きりになれるのだから。
　そして昼も夜もなく一日中エッチなことする、みたいな──



　しかし、別段昼間はそういうことではないようだ。
「ん〜やばい！　このお団子おいしい！　そしてこっちのカステラも──ん〜百点満点！！」
　いったん荷物を旅館に置くと、春深ちゃんは温泉街に繰り出し、そこらのおいしいものを食べ歩き始めた。
「うん！　ほんと、最高だね！」
　と、僕もきなこラテを飲みながら頷く。しかし、どことなく僕の心はもやもやとしていた。
　もちろん、最高だと思う気持ちに嘘はない。実際最高に美味しいし楽しい。しかし、如何せん僕はそろそろ若さというものを手離しかけているところだ。何が言いたいのかというと、胃がそろそろ死ぬ。あと糖尿病にならないか心配だ。やはりJKの若さにはついていけない……
「はぁ〜前から食べてみたかったんですよ！　ここのスイーツ！」
　恍惚の表情で言う春深ちゃん。
　それを見て僕はあの日のことを思い出す。
　そう、彼女と初めて会ったあの日のことを。
「……」
　あの時の僕は、正しい選択をしたのだろうか。
　未だに僕は悩んでいる。そう、未だに。
　僕なんかが春深ちゃんの恋人になって良かったのか、と。
　最近は特にだ。彼女との交わりに僕はついていけなくなっている。あまり健康的な暮らしはしてこなかった、僕の体力とかその他諸々は早々に衰えてしまった。だから彼女の全力の愛を、僕は全力で受け止められないでいる。
　だから、とても申し訳ない気持ちになる。彼女が好きであるからこそ申し訳なくなる。
　それならもっと、彼女はこんなおっさんではなく、若々しい男と出会えた方が良かったのではないか……前に彼女に戒められたこの感情が燻ぶり始めていた。
「？　どうしたんですか？　一見さん？」
「ん、いや、何でもないよ」
　だが、燻ぶりは燻ぶりでしかない。
　彼女への愛に適うわけはないのだ。
「ふふふ……もしかして……夜が待ちきれないとか♥？」
「え、いや、その」
　まぁ、そうではないとは言い切れないな。



「ふぃ〜」
　さて、時は変わってエッチシーンの前に入浴シーンである。しかも春深ちゃんのではなく僕の。
　せっかくの温泉なのだからゆっくり入ろう、ということでここだけは別行動である。
「はぁ……」
　すごい……みるみる体力が回復していく……
「これは天使も回復しますわ……」
　こういうことを恥ずかしげなく言えるのも、人がいないからである。おかげでかなり開けっぴろげでも恥ずかしくない。
「ふふふっ、一見さん♥そんなに広げてたら可愛い女の子に襲われちゃいますよ♥」
「ぬおおおおおお！？」
　めちゃくちゃ開けっぴろげでいると、温泉の湯気の中から春深ちゃんが登場。もちろんこれはテレビ番組などではない、タオルなんて巻いてなくて、その豊かなむっちむちの裸体を晒してしまっている。
「ちょちょちょっ！！　なんで！？」
「あれ？　知らなかったんですか？　ここって魔物娘カップルのために混浴になってるんですよ？」
「うそぉ！」
　あ、マジだ。
　なんか縁の所にある石盤に『混浴エッチOK』って書いてある。
「え……ていうか、エッチオーケーって……」
「えぇ、ですから」
　ちゃぽんと湯に入り、すすすと近寄ってくる。
　やべぇ……その巨乳って浮くのか……！
「はい♥」
「うおおおっ！」
　彼女が僕の肉棒に触れる。それだけでどうしようもないほどの快楽が襲う。バッキバキに膨れ上がってしまった。
「くはぁ……な、なんだこれ？」
「くすくす」
　彼女はいたずらっぽく笑いながら、先ほどの石盤を指す。
「効能：精力増強・感度上昇……この温泉絶対おかしいよ！」
「まぁ、温泉には魔力が含まれてますからね♥」
「うああおっ！」
　シコシコとお湯の中で上下に擦られる。それだけでセックス並みの気持ちよさ。
　すぐに出てしまいそうだ……これが本番になったらどれほどになってしまうのだろうか。
　早漏とかってレベルじゃないほど早打ちになりそう。
「ちょっ、まって、やばい！　出る！　出るからストップ！」
「出しちゃってもいいんですよ♥この温泉自浄作用付きですから中でびゅーびゅーせーし出してもすぐ綺麗になるんですよ♥」
「ほんっと、何から何まで都合良すぎる！！」
　びゅるるるるるっ！
　彼女が手のひらで先っぽを包み込んだタイミングで果ててしまう。
「はぁ……♥すごぉい♥」
　彼女は手をお湯の外に出す。どうやってやったのか、どろりとたっぷりの淫液が手のひらに乗ったままだった。
「ぷるぷるしてて♥匂いも濃くて……♥ちゅるるるっ♥じゅるっ♥ぷちゅ♥ちゅっ♥くちゅ♥んちゅ……ごくんっ♥」
　そのままそれを進みあげ、少し咀嚼した後に飲み込んだ。
「一見さん♥どのくらい溜めてたんですか♥？」
「い、いやそんなに……ていうか！　春深ちゃんが毎日搾り取ってくるじゃないか！」
「あらぁ？　そうでしたっけ？」
　そう言って彼女は向かい合うように僕の腰の上に跨がってくる。そしてゆっくりと腰を下ろし一発撃ってもまだギンギンの僕の肉棒を向かい入れていく。
「んんっ♥あああっ♥す、すごいぃ♥あついぃぃぃっ♥」
　いつもはもっと余裕を持てている春深ちゃんだが、お湯の熱さと感度上昇のせいで瞬時に表情がとろけてしまう。
「はぁ♥はぁ♥か、かじゅみしゃん……♥ち、ちからぬけてうごけまひぇん……♥」
　いや、とろけるどころの話ではない。のぼせてしまっている。ぐでんと力を抜いてその柔らかい体で僕に寄りかかってくる。
「休憩……する？」
「や、やぁ……♥このまま……このままわらひのこひょ、おかひへ……♥らいひょうぶれふから……♥」
　そんなこと言われても心配なのだが……
「わ、わかった……じゃあキツくなったら言ってよ」
「はひ……キツくなったらイきまひゅ♥」
　ふにゃんとした笑顔。いつもの気丈な笑顔と違って庇護欲と同時に嗜虐心が湧く。とにかくめちゃくちゃエロい。
　だからついつい一発目から。
「おごぉぅ♥！　ぁ……──ひ、ひきにゃり、おくぅ……♥」
　本気を出してしまった。
「あ、ああ、ぁ、ひっ♥うあっ♥ゾリゾリってぇ♥オチンポがぁ♥！」
　熱い。お湯のせいか彼女の膣内がめちゃくちゃ熱い。そして分泌される愛液のせいでトロトロとしている。
「ひゃんっ♥あうっ♥かじゅみしゃん♥！　かじゅみしゃんんんっっ♥！」
　一度下から上へ突き上げると、彼女の体は狂ったように跳ねる。温泉の水面が激しく波立つ。
「あううぅぅぅっ♥はっ♥はっ♥はぁぅっ♥いぐっ♥いぐうっ♥！　あああああああああっっっ♥！」
　春深ちゃんは絶頂する。その絶頂すらもこの温泉は引き伸ばしてしまうらしい。彼女は長い時間痙攣し続けていた。
「ぁぅ……かじゅみしゃん……♥」
　そしてそのままぐったりとしてしまった。
　まだ僕は達していないのだが仕方ない。部屋に戻って休むとしよう。



「……ぃよいしょっと」
「ううん……」
　苦労した。浴衣を着せるのもそうだが、背負って運ぶのもだ。……正直言おう、JKはさすがに重い！
「はぁ……疲れたぁ」
　布団に春深ちゃんを転がし、僕は座って一息つく。
　疲れた……しんどい。
　やっぱり、しんどいのかな……色々と。
「はぁ」
　一息と共にため息も。
　ふと、鞄の中を漁ってみる。すると……あった。
「……持って来ちゃったなぁ……」
　パソコンの類は持ってこなかったが、絵を描く道具は持ってきた……と言っても紙数枚と手になじんだ鉛筆やペンだけだが。
　書く気もないのに念のためとつい持ってきてしまった。
「……」
　何とはなしにペンを握り、紙の上に線を描いていく──

──結局、アイミンのイラストは全く描けなかった。

「ふぁ……」
　朝……というか昼近く。起きてみると春深ちゃんはいなかった。
『昨日はすみません！　揺さぶっても起きなかったので一人で歩き回ってますね』
　置き手紙にはそう記されていた。
「……」
　すみません……か。本来は僕が言うべき言葉だ。あの後夜更かししてこの様なのだから。
「……」
　とりあえず喉が渇いたので水を飲むことにした……なんだかひどく落ち着いてしまっている気がする。こういう時は普通慌てて彼女を追いかけるものなのではないだろうか……
「……はぁ」
　それも、なんだかしんどい。
　だが微塵たりとも彼女のことを嫌いになったりはしていない。そこだけは保証できる。ただ、その「好き」に体が追いつかないのだ。
　ズレが、改めて僕と彼女の間にあることを痛感した。
「……」
　まだ疲れは残っている。
　今のうちに休んでおこう──



「はぁ……はぁ……一見、さん」
　夜。やはり彼女は誘いをかけてきた。それに乗っかって彼女を抱いていると急にまじめな顔をして問いかけてきた。
「どうした？」
「一見さんは……やっぱりしんどいですか？　私と付き合うの」
　一瞬、時が止まったかと思った。完全なる図星。火照っていた体が急に冷める。
「……いや、そんなことはないよ。なんでそんな急に」
「だって、今日だってすごい眠り方してましたし……最近、いっつもやつれた顔してますし……それに」
　彼女は僕の鞄に目をやる。
「ずっとアイミンのイラスト描けてないじゃないですか。別に描きたくないって思ってるわけでもないのに」
「……」
　気付かれていたか。
　当然の結果か。疲れを隠す力も元気もなかったのだろう。
「確かに少し疲れてるかもしれないけどもそれは春深ちゃんのせいじゃないよ」
　僕は春深ちゃんの頬を撫でる。
「……一見さんは嘘つきです。私わかってるんですよ？　私と付き合ってからアイミンのイラスト描けてないの……正直に言わないと暗示かけちゃいますよ？」
「……わかった。正直に言うよ」
　観念する。何故ならば彼女の瞳が赤くギラギラと光っていたからだ。この調子ならば本当に暗示をかけてくる、そう怖じ気づいてしまった。
「そうだよ……確かに、僕は疲れてる」
「しんどい……ですか？」
「……」
　僕は黙って頷く。
「……ごめんなさい。私、はしゃぎすぎてましたよね」
「いや、君が謝ることじゃないさ。悪いのは」
「いえ、私なんです……私が多くを望んでしまったからなんですよ」
「多くを……」
　そんなにも、彼女はたくさんのものを望んでいただろうか？
　わからない、ただ一つ言えるのは。
　僕にはもう背負いきれないかもしれないということだ。
「……ねぇ、一見さん」
「なんだい？」
「休憩、しませんか？」
「いや、でもまだ君も満足してないだろう？　僕はまだいけるさ」
「違います。今のこのセックスのことじゃなくて……」

「この関係のことです」

　突きつけられたらその言葉。僕の心はどうしようもなく、どうしようもなくなっていく。
　ざわざわと、苦しくなっていく。
「え、き、休憩？」
「そうです。しばらくお互いに顔を合わせないんです。この温泉旅行が終わったらそうしましょう」
　彼女は笑顔で言う。だがその笑顔は──あまりにも見ていて辛いものだった。
「……わ、わかった」
　僕は頷いてしまう。
「じゃあ、そうしましょ？」
　心が痛む。全部僕のせいなのに。僕のせいなのに、彼女にばかり無理をさせてしまっている。
　僕は。
　この子の恋人失格だ。



　その後は、旅行の終わりまで何事もなく楽しんだ。
　そう何事もなく。特別なことなんて何一つ起こることも起こすこともなく。
　無難に時は過ぎていった。



「……」
　そして旅行が終わった次の日。
　Twitterを覗いてみると『鰆の味噌汁』は消えていた。
　ラインは……無駄だろうから開いていない。