アザミを手折ることなかれ

 へぇ! それじゃあアンタは、あの有名なアカデミーの学生さんなのかい!?

 なら、末は博士か大臣かって感じだな。
 いやいや、そんな謙遜なんかしなさんな。
 だって、アレだろ?

 年齢、性別、思想信条、その他諸々の要素を問わず、あらゆる者を受け入れる中立国家の最高学府。
 卒業生には偉人、英雄、豪傑はもちろん、世の人々から全力で唾を吐きつけられる大悪人までズラリと勢ぞろい。
 入学するのも卒業するのも極めて難しい、“天才の聖地”。あるいは、“廃人の産地”。

 ……ってヤツだろ?
 あぁ、知ってる知ってる。アンタの学び舎は、この国でも十二分に有名だよ。

 それで、そんな凄いアカデミーの学生さんが、こんな食堂のすみっこで何やってんだい?
 そっちからこの国まで来ようと思ったら、それなりの長旅になっちまうだろう?

 ふむ……あぁ、へぇ〜。
 秋季休暇を利用しての一人旅、ねぇ。
 さしずめ、アレかい? “親魔物国家をぐるりと回って見聞を広め、後の学問と人生に役立つ何かを見つけることを目的とした、旅という名の野外調査”って感じかい?

 ほぉ、だいたいそんな感じ、か。なるほどねぇ。
 いや、感心感心。絶対に大事だと思うよ、そういうの。
 自分の知らない物事や価値観に触れるっていうのは、すごく意味のあることだから。
 特に、若いうちは体も元気だし、何より頭と心が柔らかいからね。
 時に慎重に、時に大胆に行動して、色んなことを経験すれば良いよ。

 ん? あぁ、俺かい?
 俺は、この街にねぐらがある、しがない行商人さ。
 女房と一緒に魔界豚の背中に乗って、香辛料の類をあっちこっちに売り歩いてるんだ。
 女房は……ほら、あっちのカウンターの方。フェアリー達が集まってお喋りしてるだろ?
 あの髪を紺色のリボンで結んでるのが、俺の女房さ。
 五年くらい前に、行商先でフェアリー・ハグって触手に捕まってる所を助けてね。
 あら……こっちの視線に気づいたのかな? 手ぇ振ってら。ハハハ、可愛いだろ? いつも元気で明るい、自慢の女房なんだよ。

 それにしても……今日はいつにも増して混んでるなぁ、この店。

 最近、有名な美食案内本に取り上げられたって話は聞いてたけど、宣伝効果バツグンだなぁ。
 うん、そうなんだよ。ここは何を食っても本当に美味くてね。
 人間の大将とウシオニの女将さんの二人で切り盛りしてたんだけど、今じゃ忙しくなっちゃって従業員が三人もいるよ。

 贔屓の店が有名になって嬉しいような、寂しいような。常連客としては、複雑な気持ちだねぇ……料理もなかなか来やしねぇし。
 でもまぁ、そのおかげでアンタと相席になったんだから、これも一つの縁なのかね。


 あぁ、いきなり話が変わって悪いんだけどさ。

 アンタ、反魔物国家の方には行かないのかい?
 確か、アカデミーのある中立国家は、大きな海峡を挟んで武闘派の反魔物国家と向かい合ってたろ?

 ……ふ〜む、そうかい。
 来年の春季休暇では、そっちの方を旅する予定なのかい。
 うん、やっぱり感心感心。
 この世界の形を知りたいと思うんなら、あっちこっち色んな所に行ってみないとな。

 あぁ……それじゃあ……ふふふ。

 来年に向けてのお楽しみって意味も込めて、ちょっとした話をしてあげようか。
 ここ最近、俺みたいな行商人の間で、まことしやかに囁かれてる話さ。
 あまり気分の良い内容じゃないかも知れないけど、『この世界にはそういう部分もあるんじゃないか』って思うような、ドロリとした噂だよ。

 この世界は地獄ではないけど、天国って訳でもない。
 悪い奴ばかりではないけど、良い奴ばかりで構成されてる訳でもない。
 中には、時には、「お前は最低だな」って宣告したくなるような連中もいる。

 これは、そういう連中と、そいつらが辿る末路についてのお話さ……。



 とある反魔物国家の都市に、連続強姦魔が現れた。

 その犯行の手口は、単純にして残忍。
 人通りの少ない道を歩いている女性に忍び寄り、背後から全力で殴り倒した上で陵辱する。
 十二日の間に七人が襲われ、そのうち二人は意識不明の重体……。

 そんな事件の内容は瞬く間に知れ渡り、都市に暮らす女性達は皆恐怖して、家の中へと引きこもった。
 無理もない。
 犯行現場は、貧民街から高級住宅街まで様々。事件の発生時刻も、早朝から深夜までと様々。
 加えて、標的となった女性達の年齢も、十代から五十代までと様々。
 つまり、いつ、誰が、どこで襲われるのか、全くわからない状況だったのだから。

 とはいえ、いつまでも家の中で震え続けている訳にもいかない。
 優雅な貴族階級ならばいざ知らず、一般層や貧民層に位置する女性達には、日々の務めというものがあるのだ。
 それゆえ、そうした女性達は信用できる男性に護衛を頼み、それが難しい場合は標的にならないよう、出来る限りみすぼらしく、汚らしい格好でそそくさと動いた。

「まったく、どうして私達がこんな思いをしなきゃいけないのよ。毎日毎日、怖くて怖くて、落ち着いて家事も出来やしないわ。もう本当、騎士団でも自警団でも、うちの旦那でも隣のおっさんでも誰でもいいから、さっさとケダモノ以下のクソ野郎をとっ捕まえてよ!」

 募る恐怖と苛立ちから、女性達の表情はどんどん険しくなっていった。
 一方、女性達の逆巻く感情を受け止めるハメになった男性達もたまらない。

「あぁもぅ、勘弁してほしいぜ。毎日毎日、カミさんの機嫌が悪いったらありゃしねぇ。この街には魔物よけの立派な堀と城壁があるのに、その内側でこの有り様かよ。何でも、騎士団の連中は貴族様の警備に忙しくって、こっちのことは放置らしいじゃねぇか。自警団の連中も素人に毛が生えた程度だし……ったく、冗談じゃねぇよ!」

 そうした人々の恐怖心や苛立ちは奇妙な噂を生み出し、それがまた新たな混乱を招いていく。
 曰く、被害者は全員が長髪の女性だった。だから、髪を切れば助かるらしい……。
 曰く、犯人は赤に興奮する変質者だという。だから、赤いものは身につけない方が良いらしい……。
 その他にも真偽不明の流言飛語が生まれ、消え、また生まれを繰り返していった。


 犯人である男は、自らの所業が轟き、警備体制が強化され、女性達の警戒心が高まるのを見ると、静かに待ちの体勢に入った。そして、心の中でこう呟く。

 刺激されて毛を逆立てている相手に、手を出す必要はない。

 五日、十日、十五日……。
 男の思惑通り、時間の経過と共に警備体制は緩んでいった。女性達もまた、「奴はこの街から出て行ったんじゃない?」などと言い始めている。
 自分が何もしなくても、獲物達は勝手に混乱し、安心し、楽になりたい一心で高め続けておくべき警戒心を解き始めた。だから、男はこう思った。

 さて、そろそろか。

 『容赦なく狩る者』として、腕を振るう快感。
 『憐れに狩られる者』が見せる、恐怖に引きつった表情と、絶望色の悲鳴。
 男は、それらの要素を大いに気に入っていた。
 ひと度、倫理と良心の鎖を断ち切ってしまえば、あとは自分でも驚くほど簡単だった。

 なぁんだ。こんなことなら、もっと早くにやっておくべきだったな。今まで自慰と妄想に費やしていた時間は、一体何だったんだろう。やろうと思えば、いつでもやれたことなのに。
 実った果実をもぎ取って齧ることを覚えるように、男はその『狩り』の味わいと楽しさに酔っていた。

 最後の犯行から、十七日が経過した夜。
 男は、『狩り』の第二幕を開始するために動き始めた。


 街へ出て、ふらふらと歩く。

 目に力を込める必要も、シャカシャカと気張って歩く必要もない。
 普通にしていれば、自分の姿は誰の目にも「ただ散歩をしているだけの気楽な男」にしか見えないのだから。

 住宅地を抜け、商店街を周り、酒場通りを突っ切って、貧民街の境あたりまで進む。
 そこで何気なく視線を巡らせ……良し、と思う。

 貧民街の奥へと続く目立たない路地に、短髪の女が入っていく。

 油の切れかけた街灯は、情けないほど小さな明かりしか提供していない。
 それゆえ、その顔つきまでは確認できなかったが、服装と歩き方から若い女だと解る。
 貧民街にねぐらを持っている娼婦か、それとも飲み屋に勤める女給崩れか。

 いずれにしても、アレで良い。

 男は今晩の“獲物”を決定し、ごく自然な振る舞いで短髪の女の後を追う。
 埃っぽく、かび臭い貧民街の道を、“獲物”はすいすいと歩いて行く。
 途中で立ち止まることも、不意に振り返ることもしない。

 男は、思う。
 土地勘のある奴の方が、やりやすい。
 知っている場所だという安心感が、“獲物”の警戒心を緩ませる。
 人気のない場所や路地を避けることもせず、労せずして自分の求める状況が完成していく。

 こんなにありがたいことはない。

 細く、暗い路地。
 差し込んでいるのは、薄い薄い月明かりだけ。
 左右に立っているのは、住宅ではなく、半分朽ちているような古い倉庫。
 地面に転がっているのは、雨風にさらされてすっかり変色した、しかしそれでも十分に凶器に成り得るであろう、片手で握れる角材。

 さて、お前はどうなるのかな。

 男は角材を拾って右手で握り、素早く“獲物”との距離を詰め、その背後に迫る。
 そして何のためらいもなく、それを“獲物”の右後頭部に向かって振り下ろした。

 ……っ!?

 殴った男と、殴られた“獲物”と。
 その驚愕の度合いは……明らかに、前者の方が大きかった。

 男の手には、確かな手応えがあった。
 振り下ろした角材は無防備な“獲物”を捉え、乾いた音を発して砕けた。
 だから、“獲物”である短髪の女は吹き飛び、流血し、昏倒しなければいけないはずなのだ。
 そうならなければ、おかしいはずなのだ。

 それなのに、この“獲物”は吹き飛ぶどころか、ふらつくことも、叫ぶこともしない。
 数秒の静寂の後、“獲物”はゆったりと振り返り、男と向き合った。

 こいつは……!?

 今、両者を照らす光は、薄い月明かりだけ。
 けれど、たったそれだけでも、男は理解出来た。
 眼の前に立っている“獲物”が、人並み外れた美しい女であることを。

 その短髪は金糸よりも深い輝きをたたえ、顔立ちは高名な彫刻家が魂を込めて彫り抜いたように整えられている。
 そして何より、その瞳。
 夕焼けを網で押さえ込み、女の眼窩へ押し込んだのかと思うほどに煌めく、橙色の瞳。

 そんな瞳が、男を捉えていた。
 手を伸ばせば簡単に触れられるほどの距離で、男を捉えていた。

 こっ、こいつ、こいつ……こいつはっ!?

 男は獣のような唸り声を発しながら、“獲物”の……いや、目の前に立つ女の顔面めがけて、右の拳を叩き込んだ。
 路地に、肉と骨とがぶつかり合う、鈍い音が響く。

 さっきの一撃で倒れなかったのは、あの角材がボロボロに腐っていたからだ。
 この路地は、暗い。だから自分は、それに気づかなかったのだ。
 ただそれだけのことだ。だから、この拳を振り抜けば、全ては予定通りに……。

 男の拳に押し寄せた感触は、確実に相手を捉えたという、再びの手応え。
 それを上回る勢いでもたらされた感覚は、自分の拳が砕け割れてしまった激痛。

 がっ……あ、ああぁぁぁっ!?

 固く閉ざされた巨大な城壁に向かって、全力で拳を打ち込む。
 男の脳裏に浮かんだのは、そんなイメージだった。
 男の拳は、女の鼻筋のあたりに吸い込まれていった。
 普通の女なら、いや、屈強な男であっても、鼻骨と前歯が砕け折れ、唇が引き裂かれてしまうはず。

 それなのに、そのはずなのに、女は身じろぎ一つしない。
 ただ悠然と、口元に笑みすら浮かべながら、拳をおさえて苦悶する男を見つめている。

 はっ……ぅあ……ぬああああああっ!!

 最後の一矢を放つ弓兵のような覚悟で、男は左の張り手を見舞う。
 女は依然として身じろぎ一つしないまま、その手を受け入れる。
 路地に、パァンと乾いた音が響いた。
 
「もう、気は済んだかな?」

 いたずらっ子を見守る母のような、慈愛に満ちたあたたかな声。
 それが、男が初めて聞く今晩の“獲物”と決めた女の声だった。
 男は返事をすることも、女の頬に触れたままになっている手を下ろすことも出来ず、ただ目を見開いていた。

「君は、いけないことをしたね。たくさん、いけないことをしたね」

 女は自分の両手を、男の左手首にそっと添える。
 その手の冷たさに、何故か男は戦慄を覚えた。

「良いことをすれば、ご褒美がもらえる。悪いことをすれば、罰を受ける。それは、当たり前のことだよね」

 お前は……何を言っている? お前は、一体、何なんだ!?

 その時、男は気付く。
 声が出ないことに。体が動かないことに。
 そして、女の瞳の色が夕焼けのような橙色から、血のような真紅に変わっていることに。

「君に酷いことをされた子には、ボクとボクの友達が力を貸したよ。怪我を直し、体の機能を元に戻し、辛い記憶は消しておいた。物事の辻褄が合うように、周りの人達にも優しく魔術をかけておいたよ」

 お前……俺にも……魔術を……お前は、お前は……!?

「意識不明の二人も、明日か明後日には目を覚ますと思う。君は、人殺しにならずに済んだ訳だけど……それ相応の罰を受ける覚悟は、出来ているよね? だって君は、悪いことをしたんだから」

 男の左手首に添えられた女の手に、力がこもる。
 細く、しなやかな手が、硬直してしまった手首をギュッと押さえつけて来る感覚。
 やがてそれは、ミシミシと骨が軋む恐怖へと変わり……。

 や、や、やめ……やめ……ああああああああああああああああああああっ!?

 バキリと、鈍い音がした。
 男の全身を信じられないほどの激痛が駆け抜ける。
 しかし、男には動くことも、叫ぶことも、涙を流すことも叶わない。

「痛いよね。怖いよね。訳がわからないよね。次に自分が何をされるのか、次にボクが何をするのか、何一つ理解出来なくて辛いよね」

 女は、男の左手首からそっと手を離す。
 関節部分が駄目になった人形のように、男のそれはプラプラと垂れ下がり、揺れていた。

「君に酷いことをされた子も、同じだったんだよ? うぅん……きっと、もっと、怖かったと思う。君に、それがわかるかな? その辛さが、悲しさが、理解できるのかな?」

 ……っ……っっ……!?

「君には、少し難しいことかなぁ」

 女は悲しげに呟きながら、男に一歩近づく。
 そうして、腫れ上がっている男の右手を取り、その手首に手を添え……左手首と同じようにした。

 ヒっ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁああああアアアアアアアああああああっ!?

「ボクは、捻くれ者の人間が好きだよ。捻くれ者のヴァンパイアちゃんと同じくらい、興味深い存在だと思ってる。愛しても良いくらいだよ。でも、残念だけど、ボクは君がキライだな。君のような卑劣漢は、ちょっと、許せないんだ」

 桁外れの痛みと恐怖によって錯乱状態に陥った男の耳に、女の言葉は届かない。
 それでも女は男と正対し、右の拳を固めて告げた。

「殺しはしないよ。それは約束してあげる。ただ、君が犯した罪は、きちんと償ってもらうからね」

 女は、男の顔面めがけて拳を振るう。
 男の目には、その拳が巨大な砲弾のように映る。

 やめっ……許して……お願いっ……頼っ……ぁぁああああっっっっっっアアああ……っ!!


 白目を剥き、泡をふき、失禁して、男が倒れる。

 気を失う間際、男は自分の頭が粉々に吹き飛ぶ感触を味わったはずだ。
 だが、男の頭は元の形のまま崩れてはいない。
 砕き折られたはずの両の手首にも、傷ひとつ付いていない。

「これくらいのお灸は、必要だよね?」

 女が、細くしなやかな指をパチンと鳴らす。
 すると魔術の風が女を包み込み、その姿を変えていく。
 風がおさまった時……そこには、赤羽をあしらった漆黒の帽子を被った、一人のダンピールが立っていた。

「そりゃそうでしょ。私から見れば、それでもずいぶん優しいくらいよ」

 ダンピールのつぶやきに応える声。
 その主は、路地の奥から蛇の下半身を動かしながら現れた。
 
「私なら、催眠魔術も使わないわ。小細工抜きにギリギリ絞め落としてたわね」
「……殺さないように、加減できるのかい?」
「さぁ? 途中でラミアの血が騒いじゃったらゴメンナサイって感じね」
「……サラっと恐ろしいことを言わないでおくれよ」


 ヴァンパイア・ハンティングの旅をしていたダンピール。
 人間に化けてこの街に溶け込み、小さな雑貨店を営んでいたラミア。

 酒場のカウンターで知り合った二人はすぐに意気投合し、世間を騒がせている事件について話し合った。
 何事に対しても即断即決の二人の会話はゴロゴロと勢い良く転がり、一つの結論へと至る。

 私達が、犯人を捕まえよう。

 酸味のキツイ葡萄酒をぐいと飲み干しながら、ラミアが言った。

「協力者に困ることはないわ。この街には、私の他にも世間に溶け込んで暮らしてる魔物がたくさんいてね。彼女達の力を借りれば、被害者の救済もクソ野郎の追跡も、完璧に出来ると思うわ」

 鶏の照り焼きをフォークで刺しながら、ダンピールが頷く。

「なるほど、それは心強いね。では、『被害者救済班』と『犯人追跡班』を編成した上で、相互に連携を取りながら事を進めていこう。あと……犯人を特定、確保した後は、どうしようか? 人間による法の裁きに委ねた方が良いと思うかい?」

 ダンピールの問いかけに、ラミアは「冗談!」と吐き捨てるように答えた。

「法の裁きなんてもったいないわよ! 物事には、限度ってモノがあるの。この事件の犯人は、それを飛び越えた超クソ野郎なのよ。だから、タダで済ます訳にはいかないわ。捻り殺したりはしないけど、それなり以上の形にはなってもらうわよ」

 ラミアの物騒な言い回しを受け止めたダンピールは、モグモグと鶏の照り焼きを食べながら、眉間にしわを寄せて首を傾げる。
 するとラミアはいたずらっぽく「ふふん」と笑い、ダンピールに耳打ちをした。

「それは……噂に聞いたことはあったけど、本当なのかい? 本当に、『そんな場所』が?」

 伝えられた言葉に震え、その美貌を驚きの色に染めたダンピールが問う。

「えぇ、本当よ。クソ野郎には、そこで『勤勉に働いてもらう』わ」

 勝ち気そうな雰囲気の、けれどもダンピールに優るとも劣らぬ美貌のラミアが、怪しく微笑む。
 そして二人は、しばしの間黙りこみ……やがてしっかりと視線を合わせて頷き合った。


「はいは〜い、お疲れ様で〜す♪ “お荷物”の受け取りに伺いましたぁ〜♪」

 憐れな姿で倒れている男。
 その有り様を見下ろす二人の頭上から、あどけない少女の声が届く。
 ラミアが軽く手を上げて、それに応えた。

「はい、いらっしゃい。ちょっと汚いことになってるけど、よろしく頼むわね」
「あららぁ〜、お漏らししちゃったんですねぇ〜。でも、大丈夫ですよ〜。これから先、何だかんだと盛大に出してもらいますから〜♪」

 何だかすごい会話だな……と、ダンピールは思う。
 赤いとんがり帽子と外套が印象的な、空から降りてきた少女。
 見違うことなく魔女である彼女は、ポケットからひも状の魔術具を取り出し、流れるような手際で男の手足を自らの杖に縛り付けた。

「は〜い、それでは“お荷物”は頂いて行きま〜す♪ ご協力、ありがとうございました〜♪」

 登場から退場まで、三分足らず。
 魔女の杖にぶら下げられたまま上昇して行く男の姿を見て、再びダンピールは思う。
 南方の国の人々が豚の丸焼きを作る時は、確かあんな感じだったな……と。

「ふぅ。とりあえず、これで一仕事終了かしらね」
「え、あぁ。被害を受けた人達への手当ては、もう少し丁寧に重ねてあげる必要があるけど……とりあえずは、一段落だね」
「そうね。じゃあ、ちょっと一杯やりに行きましょうか。救済班と追跡班のみんなも、あのお店に集まってるはずだから」

 そう言うと、ラミアは音もなく己の下半身をスカートに包まれた人間のそれに変え、大股で歩き出した。
 ダンピールも、彼女に続くように一般的な女性の姿に変化する。

「良いことをすれば、ご褒美がもらえる。悪いことをすれば、罰を受ける。それは、当たり前のこと……」

 夜空を見上げながら、男に伝えた自分の言葉を小さな声で繰り返す。

「君は、どこで道を間違えてしまったんだろうね」

 そして、男のこれからを考える。
 非道な行為を重ね、多くの罪なき女性を苦しめ、身勝手な精の力をまき散らし、けれども最後はその匂いを辿られて倒され、魔女に持ち帰られた男の未来を。

「……もうボクは、一生飲めないな。アレ」
「おーいっ! 何してんのーっ!? 置いて行っちゃうわよーっ!」
「あぁ、ゴメンゴメン! すぐ行くよ!!」

 路地の終わりで手招きをするラミアに軽く手を上げて応えながら、ダンピールは駆け出す。
 その足音が去った後の路地には、男が振るった角材の欠片だけが残っていた。



 人と舞台は代わり……とある反魔物国家の中規模都市。
 男は、その首長の長男として生を受けた。

 幼い頃より、父から跡取りとして厳しく躾けられ、鍛えられ、教育されて来た男は、長じて誰からも信頼される、たくましい人物となった。

“学問を身に付けろ。歴史に学べ。手本となる人物を見つけ出せ”

 男は父の言葉に従い、かつて東方に君臨していたという大王に憧れた。
 貧相な出自に挫けること無く次々と奇跡的な成功を収め、最終的には世界の三分の一を治めたとされる伝説の人物である。

 男は《彼》の生き様に心酔し、あらゆる資料をかき集めては読み漁った。
 そうした中で、男は知る。
 《彼》が、残忍で、凶悪で、官能的な趣味の持ち主であったということを。

 征服した土地や国の長を敢えて殺さず、猿轡を噛ませた上で柱に縛り付け、その眼前で大切な妻や娘を犯す。
 狂気の宴の中で《彼》は人外じみた精力を爆発させ、相手が死ぬか発狂するまで腰を打ち付け続ける。
 その傍らでは美しい衣装に身を包んだ小姓達が楽器を打ち鳴らし、時には彼らも“犯し手”として、裸に剥かれた女に食らいつく。
 それでも相手が屈服しない場合には、多種多様な獣をけしかけて舐めさせ、齧らせ、犯させる……。

 ……近年の研究において、《彼》はその存在自体が疑問視されている人物である。
 仮に存在していたとしても、時の流れと共に様々な誤解や脚色、あるいは創作などが加えられ、逸話そのものが事実無根のでっち上げと化している可能性も高い。
 ましてや、それが大王と呼ばれ、羨望から怨念までありとあらゆる感情を寄せられる人物あったならば、なおさらに。

 けれども、男にとってそんな事はどうでも良かった。
 男は、ただひたすらに痺れ、憧れ、勃起した。

 想像するだけで、達してしまいそうだ。何だこれは。最高じゃないか。俺も死ぬまでの間に、絶対に真似をしよう。惨めな雑魚と憐れなメスの涙の中で、腰を振って、振って、振り続けてやろう……と。


“つまらない理想など捨てろ。政治とは現実だ。物事の真理を見極めろ”

 その言葉の意味を理解することは、簡単だった。
 父の仕事ぶりを、ただじっと静かに観察していれば良かったのだから。

 準備、根回し、縁故に手蔓。
 カネ、女、民衆向けの臭い演技と綺麗事を塗りたくった演説。
 おべっか、追従、より強い者への鞍替えと間抜けな背中への闇討ち。

 政治には、そういう部分がある。当たり前に。当然に。
 美しい世界やら、人間の善性やらを信じている奴には理解できないだろうが、それが世の中を動かしているのだ。
 親魔物国家だろうが、反魔物国家だろうが、そこに人間がいる限り、政治というものはそういうものなのだ。権力とは、そうしたものの末に生まれて来る金色の果実なのだ。
 なるほど、父さん。あなたは見紛うことなく、『政治屋』だ。

 男は、そんな風に納得し、皮肉ではなく父を賞賛した。
 この世がクソであるならば、自分達はそこで上手に生きる蝿になれば良い。
 父は、自分に『政治屋』としての優れた嗅覚と、よく動く手を授けてくれた。
 これらの授かりものは色々な意味で役に立ち、自分自身を救い、良き道へと導いてくれるだろう。

 父さん。あなたのお陰で、俺は良い仕事と素敵な余暇を過ごすことが出来そうです。
 ありがたい。本当に、ありがたいことです……と。


 父の右腕として働くようになった男は、遺憾なくその力を発揮した。

 中でも、経済問題に関する処理能力は天下一品だった。
 ヒト・モノ・カネの動きに敏感であることはもちろん、都市同士の大型交渉から街角の小さな商店の経営状態に至るまで、種々の問題を事細かに理解していた。

「あいつには、特別な才能がある。私には無い、鋭い感性も備わっている。この街の将来は、安泰だ」

 父は、愛息子の活躍を素直に喜んでいた。
 周囲の人々もその認識に賛同し、次世代の担い手との縁を深めた上で、既得権の確保と拡大に力を込めようと決意した。

 ……当の男本人が、単純に自分の将来と楽しみのために働いているということには、誰も気付いていなかった。

 面倒な仕事をきちんとこなし、金勘定と物事の動きを素早く見極め、優しく気さくな若様としての自分を売り込む。
 そうすれば、自ずと多くの情報と人脈が手に入り、自分のやりたいことがしやすくなる。
 
“つまらない理想など捨てろ。政治とは現実だ。物事の真理を見極めろ”
 父さん、わかっていますとも。
 甘い夢や理想で政治は出来ませんし、物事は決して動きません。
 だから私は、どこまでも怜悧であるよう努め、自分自身を磨いて来たのです。

“学問を身に付けろ。歴史に学べ。手本となる人物を見つけ出せ”
 父さん、わかっていますとも。
 私は、《彼》に憧れています。
 残念ながら、《彼》のように世界を揺るがす大王にはなれませんが、それでも自分の世界を満たすことが出来るようになりました。

 私が買い取り、将来の邸宅とするべくあれこれと手を加えたあの館。
 父さんに隠し事をする訳ではないのですが、あの館は素晴らしい場所になりました。
 どんなに叫んでも外には一切声が漏れない広い寝室とか、そこに置かれた豪華なベッドとか、敢えて拷問部屋風に仕上げた地下牢とか。その他の部分も、父さんにお見せ出来ないことが残念です。

 実際の使い心地も、本当に、本当に、非の打ち所がないのですから……。


 例えば、父と娘が二人だけで、細々と営んでいる食堂。
 例えば、若夫婦が歯を食いしばりながら、ギリギリの経営状態を維持している服屋。
 例えば、今月の借金の支払いに青ざめ、進退窮まって泣いている三流の貴族。

 などなど、その他にもたくさん。
 自分の街を少し見渡しただけでも、金に困っている人間はゴロゴロいた。

 だから男は、そんな人々に優しい笑顔でこう伝えた。

『お金にお困りですか? ならば、私が何とかしましょう。利息の心配は必要ありません。秘密の保持も安心してください。ただ、今からお伝えする二つの条件を飲んでいただきたいのです。一つは、私がそうするように、あなた方にもこの秘密を絶対に厳守していただきたいということ。そして、もう一つは……』

 美しい調度品が並ぶ、館の大広間。
 男は、その場所で条件承諾のサインをさせることが好きだった。

 夫や、兄や、父親が、時に青ざめ、震え、頭を掻き毟り、涙を流し、唸り声を上げ、よだれを垂らしながらペンを走らせる。
 その傍らには、女中達の手によって美しく化粧をされ、素肌が透けて見えるほど薄い布地のドレスに身を包んだ妻や、妹や、娘が呆然と座っている。

 男は、そこで繰り広げられる混沌とした感情と、葛藤と、絶望のドラマに痺れた。
 そして、悪魔との契約よりも悪辣なそれが完了する瞬間に興奮した。

 発狂寸前の感情を載せたペンが走り終わった所で、暗い目をした傭兵達が大広間に入って来る。
 傭兵達は素早く“生贄ども”を抱え上げると、完璧な防音処理が施された館三階の寝室へとそれらを連れ去って行く。
 男は傭兵達の仕事ぶりに満足しながら、悠然とその後に続く。

 拷問を受ける兵士のように猿轡を噛まされ、太い樫の柱に縛り付けられている惨めな雑魚。
 一方、必要以上に豪華で大きなベッドに放り出され、これから我が身に降りかかるであろう現実に怯えきっている憐れなメス。

 よし。

 傭兵達は男の言葉に深く頭を下げ、退室する。
 そこで柱の雑魚が唸り声を上げたり、縛りから逃れようとした場合は、その腹を全力で殴りつける。
 また、自分に犯し尽くされる定めのメスが逃げようとした場合には、大声で制した上で、こう告げる。

 俺の許しなくそこから一歩でも動いたら、お前は傭兵共の玩具だ。その後は……遠い異国の娼館へ出荷するか、八つに裂いて犬にでも食わせるかだなぁ?

 愛する人を差し出すだけでも生き地獄であるはずなのに、その一部始終を見せつけられることになるなんて。あぁ、あぁ、何ということだ。こんなことが許されていいのか。どうしてこんなことになったのか。悪いのは契約書にサインをした自分なのか。それとも、目の前にいるこの男なのか……。

 そうして男は、“生贄達”の心が折れる音を聞く。
 その音が男をさらに勃起させ、危険なクスリのように頭の芯を痺れさせた。


 禁忌を破る。

 何と甘美な響きなのかと、男は思う。
 いつもの館と、いつもの寝室。
 ただ、今晩の“生贄ども”は、いつもと一味も二味も違っている。

 顔面蒼白になって、ベッドの上で震えている豊満な体の乙女。
 猿轡を噛まされ、太い樫の柱に縛り付けられているのもまた、魅惑的な肉体の娘。
 さらに、今晩はもう一人。
 両手両足を荒縄でくくられ、目隠しをされ、床に転がされている、熟した雰囲気の女。

 恐怖と怒りと絶望に震える女達の体を包んでいるのは、黒い僧衣。
 そう。遂に男は、神に仕える存在……教会暮らしの修道女に手をかけたのだ。

 教会に付属している孤児院を運営するために、彼女達は無理に無理を重ねていた。
 寄付を募っても成果は上がらず、教団への支援要請を繰り返しても、毎度示される返答は『無価値なる活動である』という一言だけ。
 これは、神が私達に与えたもうた試練なのか。それとも、何もかも全てにおいて私達が間違っているのか……。

 深い焦りと苦悩の狭間にあった彼女達に男は蛇のように近付き、大小様々に揺さぶり、館に迎え入れた所で、一気に勝負に出た。
 いつも楽しみにしている大広間でのサインを敢えて省略し、いきなり傭兵達に命令をかけて、この寝室へと運び込まさせたのである。

 その理由は、至極単純。
 ただただ、我慢できなかったのだ。

 修道女という、禁断の果実に手を出した興奮。
 さらに、彼女達が美人で名高い母娘であるという事実。
 父の前で娘を手に掛けることには慣れて来たが、母の前で娘を、さらに娘の前で母をという形は初めてのこと……それも、修道女を僧衣のままで弄ぶなんて!

「お願いです……お、お願いです……やめてください……近寄らないでください!」

 ベッドの上で、豊満な体の乙女……次女が震え、泣く。

「ふっ、うぅぅっ! ぐ、ぐうぅぅぅっ!!」

 柱に縛り付けられている、魅惑的な肉体の娘……長女は、猿轡の奥から怨念の篭った唸り声をあげる。

「私がっ! 私がお相手しますから! だから、だから娘には手を出さないで! お願いだから、やめて! やめてくださいぃ!」

 手足を縛られ、床に転がされている熟した雰囲気の女……二人の母が、悲痛な叫びで請い願う。

 あっははははははははははは! 最高だ! 最高すぎるっ!!

 男は痛みを感じる程に勃起している自分自身を感じながら、手を叩いて笑う。
 完成した。自分が求めていた究極の愉悦は、この形だったのだ。
 これから自分は、この母娘を犯して、犯して、犯し尽くす。
 既に精力剤は飲んだ。水と食料も運び込んだ。さらに、明日明後日の二日間は休暇にしてある。
 時間はたっぷりある。精力は漲りの極地にある。
 イケる。ヤれる。バカになれる。

 俺は今、最高の状態だっ!!


 そして男は全裸になり、ベッドの上で子犬のように泣き震えている次女へと近づく。
 まず、初めの数回は僧衣のままでいこう。

「やっ、イヤっ! 来ないで! 来ないでえぇぇぇ!」

 そして明日になったら、僧衣を手で引き裂こう。ここで刃物を使うのは野暮すぎる。

「イヤっ! いやあァァァァ! 姉様あぁぁ! 母様あぁぁ! 助けてえぇぇっ!!」

 腰が抜けて動けなくなった女は、ただ呆然とするか、狂った鶏のように叫び続けるかだが……それにしたってウルサイな、こいつ。
 手形が残らない程度に、軽く頬を張って黙らせるか。

 ベッドに近づいた男は、あまりの恐怖に身動き出来なくなった次女に馬乗りになる。
 そこから左手で顎を掴み、右手でその頬をバチンと張った。

「…………」
「…………」
「…………」

 叫び、唸り、懇願していた三つの声が途絶える。
 男はそれに満足し、柱の長女と床の母親を見て、いびつな笑みを浮かべた。

 そうだ。そうして黙っていろ。まずは、こいつが処女を散らす様を拝むんだ。

「……ふ〜ん」
「……あぁ、そう」

 男は、全く予想外の反応に驚く。

 関心無さそうに鼻を鳴らしたのは、長女だ。
 乾き切った平坦な声を発したのは、母親だ。

 ……何だと!?

 男は、寝室の空気が変わったことを感じた。
 ほんの数秒前まで、魂の叫び声をあげていた女達が、何か別の生き物になったような気がしたのだ。

 言い知れぬ恐怖と混乱を感じた男が、二人の様子を再度確認しようと目を凝らした時。
 組み敷いている次女が、うんざりしたような調子で言った。

「おい、いい加減にどけよ、粗チン野郎」

 次の瞬間、男は信じられないような力でベッドから投げ出された。
 か弱い乙女であるはずの次女が勢い良くブリッジをして男のバランスを崩し、蝿を追い払うように右手一本で振り飛ばしたのだ。

 したたか床に打ち付けられた男は痛みに顔を歪め、けれども急いで立ち上がり……そこで、あり得ないものを見た。

 バチバチ、ブチブチと音を立てながら、柱に縛り付けられた長女が、その縄を引きちぎっている。
 女にはもちろん、屈強な男にも決して不可能な、あまりにも強引な脱出方法。
 それを、長い黒髪と僧衣越しでもわかる豊かな胸を持った娘が、事も無げに成し遂げている。

 次に、同じような音が床から聞こえて来る。
 まさかと思った男が目撃したのは、やはり手足の縄を力尽くで引きちぎっていく母親の姿だった。
 母親は縄をちぎり終わると上半身を起こし、左手の人差し指でひょいと目隠しを取る。
 そして、軽く首を動かして部屋の様子を確認し、「二十畳くらいかしら」と呟いた。

「それで? テメェはいつまでその粗末なモノを膨らましてんだぁ、オイ?」

 ベッドの端に手をかけ、持ち上げるようにしゃがみこんだ状態で、次女が男に問いかける。
 しかし、男は何も答えられない。
 連続して繰り広げられる理解不能な現象によって、思考回路が停止してしまったのだ。

「おいおい。何とか言えよ、このクソ……野郎がっ!!」

 『ちゃぶ台返し』
 ジパングの人間ならば、次女が見せた動きをそう表現しただろう。
 だが、姉に負けず劣らずの豊満な肉体を持つ乙女が吹き飛ばしたものは、小さなちゃぶ台ではなく、陵辱の舞台であるはずの豪華で大きなベッドだった。

 あ、あ……。

 酸欠の金魚のように口をパクパクさせながら、男はベッドが宙に舞う様子を見る。
 あのベッドを動かすためには、八人以上の男手が必要であるはずなのに。
 それなのに、こいつは一人で……少女の面影をほのかに残している、細腕の女が、どうして……。

 一瞬の飛行を楽しんだベッドが、窓ガラスとその周辺の調度品に突き刺さる。
 それにともなって発生した盛大な破壊音が、男の思考を強制的に中断させた。

 あ、うぉ、うおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおっ!!

 とにかく、傭兵だ。傭兵共だ。
 あいつらを呼んで、こいつらを排除しなければ。
 そうしなければ、きっと何かが起こってしまう。恐ろしい何かが、起こってしまう。
 こいつらは、こいつらは、絶対に良くない存在だ。良くない何かだ!

 最早、男の頭の中に、女達を嬲って味わうなどという考えはなかった。
 目の前にいるこの三人の女は、人間ではない。断じて違う。
 だから、とにかくまずは傭兵達を呼び寄せ、こいつらを始末させなければいけない。
 男は転がるようにドアを開け、廊下に向かって吠えた。

「あらまぁ、馬鹿みたいに叫んじまって」

 右手で自分の後頭部を撫でながら、長女が言う。

「思考がまとまらないなりに、何とかして助けを呼ぼうとしてるんでしょ。それにしてもアンタ……また派手にぶっ飛ばしたわねぇ」

 窓辺に突き刺さったベッドの方へ進みながら、やれやれといった調子で母親が言う。

「いや、思ったよりも軽かったからさ。それがわかってたら、この棚には当たらないようにしたのに。ほら、見てみろよ。上等の酒があったんだけど、もう粉々のビシャビシャ。ラベルしか残ってねぇ」

 バツの悪そうな表情を浮かべながら、めちゃめちゃに壊れた調度品を指さして次女が言う。

「あ、マジだ。おいおいおい、もったいねぇなぁ」
「物に罪はないんだから、面白半分に壊すのやめなさいよ」
「ん〜、面目ねぇ」

 窓辺に集まった女達は、ああだこうだと話し始めた。
 男の叫び声に驚き、手に手に武器を持って駆けつけた傭兵達が半円状に取り囲んでも、慌てる素振りすら見せない。

 き、貴様ら、一体何者だ! 人間に化けた魔物の類か!?

 いつの間にかパンツを穿き、白いガウンに袖を通した男が大声で叫ぶ。
 その声に振り返った次女が、ニンマリと笑って言った。

「お、偉いぞ粗チン野郎。ちゃんとパンツを履いて、残念なモノを仕舞ったんだな」

 その言葉にプッと吹き出した長女と母親が続く。

「そりゃまぁ、パンツくらい穿くだろうさ。猿でも教えりゃ服を着るんだから」
「あらあら、お友達もたくさん駆けつけてくれたのね。えっと、ひいふうみぃ……廊下で身構えている子と粗チンちゃんも含めて、合計十六人か。なるほどね」

 傭兵達に動揺が走る。
 いつでも油断をつけるよう、こいつらからは見えない場所に配置した者の人数までピタリと当てた? まさかこいつは、こちらの気配を察して? いや、そんなことを出来る訳が……。

「人間の使用人さん達は、たぶん今ごろ夢の中よ。私達の仲間が、誘眠魔術で眠らせちゃったから。だから、今この館で戦うことが出来るのは、私達だけ。この部屋は防音対策も万全みたいだし、色々と愉快なことが出来そうね」

 聖母のような優しい微笑みとともに、母親が言う。
 しかし、男と傭兵達は言葉の中に含まれていた『戦う』という単語に反応した。
 恐怖と苛立ちが混ざり合ったような声で、男が叫ぶ。

 やかましいっ! 訊かれたことに答えろ! 貴様らは、一体何なんだ!?

 女達は一瞬顔を見合わせた後、不敵に笑う。
 次女が、どこか芝居がかった調子で口を開いた。

「やぁやぁやぁ! 遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我らこそは遍く三千大千世界に並ぶ者なき無双の三鬼! 腕に覚えし者あらば、名乗りを上げよいざ組まん! この首みごと討ちとりて、明日の来光に掲げて見せぃ!!」

 館全体の空気をビリビリと震わせるような、超大音量の名乗り。
 それに合わせて、三人の女達は己の顔の前でバチンと手を合わせる。
 次の瞬間、それぞれの体は深い藍色の煙に包まれ……。

 あ、お、おぉ……。

 男と傭兵達は戦慄し、後ずさる。
 五秒ほどの間を置いて消え去った煙の向こうに立っていたのは、惜しげも無く素肌をさらした赤と青のオニと緑のオーガ。
 反魔物国家にいるはずのない、怪力と狂乱の魔物達だった。

「さて、と。お仕置きの前に、大切なお知らせがあるのよ」

 逃げ出すことも斬りかかることも出来ず、かかしのように立ち尽くす男達に向けて、修道女の母親に化けていたアオオニが口を開いた。

「私達の古い仲間なんだけど、形部狸っていう、煮ても焼いても食えないのがいてね。そいつから、あなた達に向けた手紙を預かってるの」

 虎柄のバンツの尻辺りから手紙を取り出すと、アオオニは聞き取りやすい澄んだ声で手紙を読み上げ始めた。


『屈辱&陵辱体験風俗 “ ゴムタイナ ” 閉店のお知らせ。

 悪人の毒牙にかけられる、可憐な乙女になってみたい。
 悲惨な形で処女を散らされ、ただ泣き叫ぶだけの少女の気持ちを味わいたい。
 恐ろしい陵辱の罠にかけられ、官能と屈辱にまみれた夜を過ごしてみたい。

 愛すべき姉妹たる魔物の皆様が抱くダークエロス系願望を抜群の迫真性で満たして参りました当店でございますが、肉棒として利用しておりました男が超えてはいけない一線を越え始めましたため、残念ながら閉店させていただく運びと相成りました。

 性のエネルギーに満ち溢れた未婚の肉体を持て余し、ちょっと楽しい一夜をご所望されておりました皆様におかれましては、誠に申し訳ございません。
 極めて近いうちに、次なるサービスを提案・提供させていただきます故、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。

 また、【精液の質が悪い】・【モノが小さい】・【顔面がうっすらと不細工】・【なんかムカツク】などのご指摘をいただいておりました肉棒の男につきましても、次なる提案の際には皆様にご満足いただける二枚目を取り揃えさせていただく所存でございます。

 今後とも、狸印のマル秘風俗ネットワークをよろしくお願いいたします。


 ……ということで、首長のバカ息子よ。
 お前さんには、本日:現時刻を持って、戦力外通告を言い渡す。

 その心が持っている二面性も、珍妙な陵辱への憧れも、金を利用した胸クソの悪い揺さぶりも、我々魔物は全て知っていたんだよ。

 例えば……そう。
 その館の改築図面を引いたのは、誰だと思う?
 必要な各種資材を発注したのは、誰だと思う?
 館に勤めている女中達は、誰だと思う?
 お前さんに近付き、取り入り、様々な情報や人脈をもたらしていた面々は、誰だと思う?
 お前さんと父親の政を支えつつ、実は監視の目を光らせていたのは、誰だと思う?
 そして何より……お前さんが陵辱して来た女達は、どこの誰だと思う?

 どこからどこまでが人間で、どこからどこまでが魔物だったのか。
 その答えは、敢えて明かさぬようにしておこう。
 ただ、一つ思い出してもらいたい。
 お前さんが犯した女達の“具合”は、本当に最高だっただろう?
 ということは、彼女達の正体は……? 彼女達の夫や親族の正体は……?

 さぁさぁ、しっかりしておくれよ、お前さん。
 これで話は終わりではないのだからね。

 お前さんは反魔物国家の人間でありながら、教団の修道女に手を出したね?
 抗う術を持たない母娘に牙を向き、犯し尽くそうとしたね?

 これは、いただけない。実にいただけないよ。

 我々魔物は教団が好きではないけれど、それでも弁えるべき一線というものがあると知っているんだ。
 だが、お前さんは人間でありながら、その線を踏み越えてしまったねぇ?
 今日はオーガ種の三人に変幻の術をかけてみたのだけれど、この手紙が読まれているってことは、お前さんが《人間のクズ》であると証明されてしまったということだ。
 修道女達が本物の人間だったら、今頃は……ってね。

 よって、戦力外通告に加えて、無期限の勤労奉仕の刑を言い渡すよ。

 なぁに、心配することはないさ。
 お前さんの命を奪おうって訳ではないんだからね。
 お前さんと違って、我々魔物は人間の命をかけがえの無いものとして考えているんだから。

 さて……それでは、もう気も済んだだろう?
 悪いようにはしないから、無駄な抵抗はやめて、三人の指示に従いなよ。

 狸印のマル秘風俗ネットワーク 主宰者より』


 アオオニが手紙を読み終わるのと同時に、男は膝から崩れ落ちて激しく嘔吐した。
 男の近くに立っていた傭兵達は一様に驚きの表情を浮かべ、吐瀉物から飛び退く。

「あぁあぁ、汚えなぁまったく。上等のガウンがげろんげろんじゃねぇか」

 長女に化けていたオーガが心底嫌そうな表情を浮かべて、一歩後退する。

「ホント、見てらんねぇ。で……とにかく、よ。その馬鹿の身柄は預かっていくから、傭兵の兄ちゃん達は引いてくんねぇかな?」

 次女に化けていたアカオニが、軽く右手を上げて傭兵達に声をかける。
 その言葉に傭兵達は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに武器を構え直して鋭い視線を返した。

「あらまぁ、大した忠誠心だこって」
「そうまでして仕える程の男でもないのにね。ねぇねぇ、ちょっと。いつまでもゲロゲロ、ゲホゲホ言ってないで、この子達に引くように伝えてよ」

 呆れながら腕を組むアカオニ。
 アオオニは、「やれやれ」という顔でため息をつきながら、吐瀉物の前に座り込んでいる男へ声をかけた。

 男は、混乱の極地にあった。

 自分の全ては、魔物に見られていた。知られていた。監視されていた。
 それだけでも耐え難い程の衝撃なのに、自分が抱いていたのは人間に化けた魔物だった、と?
 あたため続けて来た夢の世界。それを現実の形にしたこの館。
 そのかけがえのない愉悦の世界の中で、自分はおぞましい魔物の体を貪っていた、と?
 確かに、メス共の“具合”は最高だった。
 青い果実の味わいも、熟した肉の香しさも、全てがこの世のものとは思えなかった。
 だが、あの快感の全ては、魔物の肉体によってもたらされたものだった、と?

 ブルブルと震え続ける己の両手を見つめながら、男は今日に至る愉悦の日々を思い出す。
 荒くなった呼吸を整えることもせず、腰を振って、振って、振り続ける自分。
 しかし、組み敷いているのは憐れで可憐な人間の女ではなく、異形の魔物。
 魔物は喘ぐことも微笑むこともせず、ただただ冷えきった視線を自分に向ける。
 そして、心の中で呟くのだ。

 “ ねぇ、さっさとイってよ。粗チン野郎 ”

 男の頭の中で、バキリと音が鳴る。
 今、己の心が折れた。鈍い音と共に、折れた。
 その事実を理解しながら、いや、理解したからこそ、男は叫ぶ。

 かかれ! 斬り捨てろ! あいつらを殺せえぇぇぇっ!!

 その声に弾かれるように、四人の傭兵が鋭く動く。
 片方の二人は、槍とショートソードでアオオニを狙う。
 もう片方の二人は、山刀とダガーでアカオニを狙う。
 飽きるほど訓練と実践を重ねて来た、二対一での殺し方。
 こうして自分達が動き出したならば、どの方向へ逃れようと、もう相手の運命は変わらない。

 ガツ……と、鈍い音がした。

 斬りかかった四人、それ以外の傭兵、そして男が、驚愕して目を見開く。
 アオオニとアカオニは身じろぎ一つせず、自分に向けられた刃を全て受け入れた。
 二人のオニは、全くの無傷だった。

「こんなオモチャで、何しようってんだ? アタイ達を刃物で仕留めたいって言うんなら、髭切か膝丸でも持って来いよ」

 左肩に打ち込まれた山刀と、腹部に差し込まれたダガー。
 必殺の刃は、しかし、アカオニの薄皮一枚を裂くこともなく、受け止められていた。

「そんな物の名前を出したって、こっちの人には通じないわよ」

 右肩に打ち込まれたショートソードと、腹部に差し込まれた槍。
 アオオニはそれらを意に介すことなく、アカオニの言葉に笑った。

「う、うおぉぉぉぉぉぉっ!」
「いや、もういいって」

 雄叫びを上げ、次の攻撃へ移ろうとした傭兵に、アカオニが冷たい声で応える。
 二人のオニは一切の予備動作無く一歩を踏み出し、左右の人差し指と中指だけで、斬りかかって来た傭兵達の頬を叩いた。

 防音処理が施された室内に、“ビチっ”という、重く生々しい音が響く。
 そこから一秒ほどの間を置いて、四人の傭兵達は折り重なるように倒れた。
 哀れ極まりなく、白目をむいた状態で。

「ひぃぃっ!?」
「だ、ダメだ! バケモンだっ!」
「逃げろ、逃げろ、逃げろ!!」

 こんな奴らに勝てる訳がない。
 俺はまだ死にたくない。
 そもそも、契約の中に『魔物と戦え』などと書かれてはいない。
 各々の恐怖と考えに支配されながら、廊下に控えていた者も含めて、十人の傭兵達が逃げ出した。

 なっ!? お前ら、何を、どこへ……っ!? たっ、戦え、このクズ共がっ!!

 狼狽える男の声に耳を貸す者など、誰も居なかった。
 傭兵達は我先にとドアに殺到し、大きな足音を立てながら走り去って行く。
 そうして足音が遠ざかり、男が脱力してうなだれようとした時……。

「キャっハハハハハハハハハハハ! ねぇねぇ、遊ぼうよぉ〜♪」
「わぁ〜、素敵なお兄ちゃんがいっぱいだぁ〜♪」
「誰にしようかな♪ 何をしようかな♪」

 館に、無邪気に笑う少女達の声と、絶望に塗りつぶされた傭兵達の悲鳴が響いた。

「まっ、魔物!? 奴らだけじゃなかったのか!?」
「向こうの廊下は駄目だ! こっちのドアから回れば……ま、あ、アアァァァ!?」
「何だ!? どうした!? あ、う……そんな……あ、ィエエエエエっ!?」

 二人のオニとオーガが、顔を見合わせてクツクツと笑う。
 もうすっかり驚き疲れた男が、呆然とした面持ちで三人を見る。

「ねぇ? 記憶に無いかしら? この館のあっちこっちに置いてあった、可愛らしい人形のこと。あれって、いつ、誰が、どこで買って来て、どういう理由で飾ってたのかしらね?」

 アオオニの言葉に、男は戦慄する。
 確かにこの館のあちらこちらには、精巧極まりない造りの人形が飾られていた。
 男に人形を愛でる趣味はなかったが、それらが間違いなく高価なものであろうということは理解出来た。
 だが、男が意識したことはそこまでだった。
 人形達は、この館を買い取る前からそこにあったのか? それとも、所有権が男に移った後で、誰かが意図して置いたものだったのか?

「テメェが腰を振る以外のことに興味なんか無かったんじゃねぇの? だから、ほれ……この館がクノイチ達の潜入訓練に利用されてることも知らねぇだろ?」

 アカオニが言い終わると同時に、紺と紫の忍装束に身を包んだ二人のクノイチが、突然現れた。

「どうも」
「あいよ、ご苦労さん。お前さん方がとっ捕まえた連中とこいつらは、打ち合わせ通りの方向で」
「承知」

 オーガと言葉を交わし終えたクノイチ達は、折り重なって倒れている傭兵を二人ずつ小脇に抱え、現れた時と同じように突然消えた。

 あ、ぃえぇぇ……。

 へたり込み、意味の分からない唸り声を上げている男を無視して、オーガがフッと笑う。

「さぁて、と。それじゃあ、たった一人で残った勇気ある男と殴り合おうかねぇ!!」
「…………」

 傭兵は、総勢十五人。
 そのうち四人が倒され、十人が逃げた。
 主の傍らに残ったのは、十五人の中で最も大きく、最も強い、寡黙な男。

 ぐいと踏み出す最後の傭兵と、オーガ。
 二人のオニは、場の主役を譲るように下がる。

「来なよ」

 オーガの言葉が、開戦のゴングとなった。
 最後の傭兵は手にしていた戦斧を投げ捨て、拳を固めて踏み込む。
 右、左、右、右、左……。
 よどみない動作から繰り出される拳。
 室内に肉と骨とがぶつかり合う音が生まれ、響き、消えていく。

 十発、二十発、三十発。
 最後の傭兵は、その拳でオーガを撃って撃って打ち据える。
 反撃の暇も与えぬ猛ラッシュ。
 普通の人間ならば、とうの昔に肉塊に変わっているであろう戦い。
 しかし、オーガは倒れない。
 それどころか、至極の交響曲に耳を傾ける聴衆のように瞼を閉じ、どこか恍惚とした雰囲気さえ漂わせている。
 その様子を確認した傭兵は喉の奥から唸り声を絞り出し、さらなる拳の雨を見舞う。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 鍛え抜かれた拳が割れ、流れ出た鮮血によって肘から先が紅に染められた頃、最後の傭兵の持久力は遂に限界に達した。
 両膝をがくりと床につき、大きく口を開け、苦悩するように酸素を求める。
 オーガはその荒い呼吸に頷き、静かに瞼を開いた。

「見事。見事だよ、アンタ。拳の強さ、打ち込みの角度、急所の突き方、連打の精度……その全てが素晴らしいよ。かつてのアンタは、間違いなく最高クラスの拳闘家だったんだろうな」

 頭上に響く、オーガからの賛辞の言葉。
 だが、最後の傭兵は、ただ荒い呼吸を続けるだけだった。

「でも、膝と腰を同時に壊したんだろうな。それも、かなり酷く。自分でも気付いてると思うけど、アンタの腰の回転は、時々ぎこちなくなるんだ。踏み込みにヌルさが出てる瞬間もある。もったいないよな。本当、もったいないよな。これだけの男がリングを降りて、流れ者になって、こんな傭兵稼業に身をやつさなきゃいけないなんて」

 オーガはしゃがみこみ、最後の傭兵と目線を合わせる。
 そして、呆けた顔で両者の戦いを見ていた男を顎で指し示し、問いかけた。

「アンタも、あの馬鹿の所業にゃウンザリしてたんだろう? どうする? アンタが望むなら、ここから無事に出て行けるよう話をつけるよ。それとも……」

 そこで最後の傭兵は左手を小さくあげ、オーガの言葉を遮った。
 再び、両者の視線が深く交わる。
 最後の傭兵が、口を開く。

「馬鹿でも、クズでも、俺の雇い主だ。契約を交わした以上、主と運命を共にするさ。それに、あれだけ殴っても傷ひとつ付いていないお前の顔を見ていたら、何だか色々なことにサヨナラ出来そうな気がするんだよ」

 オーガは何も言わず、ゆっくりと頷き、膝立ちの姿勢をとった。
 戦いという形で肌を合わせ、互いを理解した二人に、もう言葉は必要なかった。
 次の瞬間、“どぅ”と低い音が響き、最後の傭兵がゆっくりと崩れ落ちる。
 オーガの拳がその腹を撃ち抜き、彼の意識を刈り取ったのだ。


「最低の男に雇われた、最高になれたかもしれない男、か。やるせなくて嫌になるわね」

 オーガの傍らへ歩み寄りながら、アオオニが言った。

「まったくだな。色々あるのが人間の面白ぇ所だけど、同時にきっつい所でもあるぜ」

 窓を一つだけを開け放ち、外から吹き込んで来る風を感じながらながら、アカオニが言った。

「……そうだな。アタシも、そう思うよ」

 最後の傭兵を綺麗に寝かせてやりながら、オーガが同意した。
 そうして「ふぅ」とため息を付き、ギロリと男を睨みつける。

 ひぃ……!?

「昔のアタシらなら、テメェのことも八つ裂きにしたんだろうけどよ。今じゃそれもムカツいて仕方ねぇから、これで勘弁しといてやるよ」

 心底不愉快そうに顔をしかめたオーガが、男の額に向かって唾を吐きつける。
 吐き出された唾は弓兵の矢よりも鋭く飛び、狙い通りに着弾して男を激しくのけぞらせた。

 がっ……!

 唾によって受けた衝撃。のけぞり、床に頭を打ち付けた衝撃。
 それら二つの衝撃によって、男はあっけなく失神した。
 その有り様にアオオニは肩をすくめ、アカオニは苦笑する。

 オーガもまた「チっ」と舌打ちをした後、男の首根っこを掴んで持ち上げ……ゴミを捨てるように窓の外へと放り投げた。

「わっわわわわっ! あ、危ないじゃないですか! 落としちゃったら大変ですよぉ!」

 三階から放り出され、落下して地面に叩きつけられる運命にあったはずの男を魔術で受け止めた声。

「そうなったら、そうなった時のことじゃねぇの?」
「そんなの困りますよぅ! 私がバフォ様に叱られちゃうじゃないですかぁ!」

 口を尖らせながら、年代物の箒にまたがった赤いとんがり帽子と外套の少女……魔女が抗議する。
 その必死な口ぶりに、アカオニは「悪かったよ」と笑って謝った。

「その他の回収作業も含めて、万事諸々順調かしら?」
「はい、おかげさまでバッチリ進行中ですよぉ。リビングドールちゃん達も、素敵な“持ち主さん”と出会えてニッコニコでしたぁ!」

 アカオニの隣に立ったアオオニの問いに、魔女は満面の笑顔で答えた。

「それじゃあ、アタイ達も撤収だな。報酬の支払いが、あの狸経由ってのが気になるけど……絶対ピンハネするぜ、あいつ」
「そうなったら、そうなった時のことじゃねぇのですかぁ〜?」
「あっ、コイツ!」
「ニャハハハハ〜♪ それじゃあ、お疲れ様でしたぁ〜♪」

 アカオニから一本取った魔女が、魔術で男を箒に括り付け、飛び去って行く。

「フフフ。やられたわね」
「ちくしょう。おチビのクセにしっかりしてやがんなぁ」

 魔女の背中を見送り、二人のオニは室内へと向き直る。
 そして、静かに佇み、最後の傭兵の顔をじっと見つめているオーガを見やった。

「お……すまん。それじゃあ、帰ろうか」

 オーガは二人の視線に気づくと、どこか憔悴したような調子で言った。
 アカオニとアオオニは一瞬顔を見合わせた後、わざと明るい声を出した。

「ほら、そんな顔しないの。その子は取って食われる運命じゃないんだから。『お勤め』が終わったら、あなたが迎えに行ってあげればいいじゃないの!」
「ん、まったくだ! 明日は明日の風が吹くんだよ。だから、今晩は美味い酒を呑もうや! ショボくれたオーガなんて、巨乳のバフォメットくらいおかしいぜ!」

 アオオニが、左肩にそっと手を添える。
 アカオニが、右肩をパチンと叩く。
 左右から寄せられた温もりを受け止めて、オーガが笑う。

「だな。その通りだ。それじゃ、今晩もドカンと呑もうかね!」
「そうこなくっちゃ!」
「おぅよ!」

 友の言葉に笑顔で応え、二人のオニが歩き出す。
 オーガもその後に続き、部屋を出る前に振り向いて、呟いた。

「じゃあな。縁があれば、また」



 その施設は、魔界のどこかにあるのだという。

 薄暗く、終わりの見えない、長い長い回廊。
 そこには、薄桃色の溶液に満たされた半透明の大きな繭が、ずらりと果てしなく並んでいる。

 その繭に近付き、目を凝らせば見えるもの。
 それは、子宮の中で眠る胎児のように体を丸めている、人間の男。

 衣服の類は、何も身につけていない。
 しかし、頭部は西瓜よりも大きな、黒い球状のマスクに包まれている。
 そして、男性器には、異世界の甲虫を思わせるような、特異な形状の器具が取り付けられている。

 男達は、その繭の中で夢を見る。

 過去の過ちを深く悔い改め、自分を一心に愛してくれる魔物と出会い、幸せな時の中で激しく愛し合う夢を。
 黒い球状のマスクの中で、男達は幸せそうに微笑む。
 夢の中で愛し合う度に男性器が膨らみ、特異な形状の器具の中へと射精する。
 何度も、何度も、何度も……。

 そこは、魔物が罪深き男達を裁くために作り上げた刑務所なのだろうか。
 あるいは、甘い快感で味付けをした強制労働施設なのだろうか。


 あなたは、疑問に思ったことはないだろうか。

 この世界に存在している、【精によって作られた、魔物の栄養補給のための薬品】。
 “酷く味気ない”・“ちっとも美味しさを感じない”と不評の嵐ではあるものの、「まぁ、無いよりは良いんじゃないの。それなりに使おうと思えば使えるし」と何とか市民権を得ている、そんな薬品……。

 その薬品の原材料となっている『精』は、一体どこから来ているのだろうか。

 献血ならぬ献精や、売血ならぬ売精の制度を設けている国や地域は、確かに存在する。
 けれども、そうした国や地域で得られる精だけでは、薬品の生産量にとても追いつかないだろう。

 安定して・継続的に・一定量の精を確保するということ。
 そのためには、それに応じた人数の男達に協力してもらう必要が生まれる。
 だが、普通の献身的な男性では、夫を求める好色な魔物達に攫われてしまうだろう。「そんな献精なんてもったいない! あなたの精は、一滴残らず私がいただくわ!」と。

 だから、こうしてみてはどうだろう。

 反魔物国家を中心に、罪を犯した男達や危険な思想を持った男達を捕らえ、攫い、秘密の施設へと運びこむ。
 そこで『程良い改心』を促しながら、『継続的な献精体』として勤労奉仕をしてもらう。

 決して命は奪わない。体に傷などつける訳がない。
 過去の過ちと向き合い、しっかりと悔い改めた上で、平和な土地へと解き放ち、意義ある第二の人生を歩んでもらう……もちろん、その傍らには素敵な魔物が寄り添って。

 そうすれば、世界は平和になる。
 大変な悲しみをもたらす巨大な悪の華は、決して咲かない。
 道を踏み外す残念な人間も、いなくなる。


 その施設は、魔界のどこかにあるのだという。

 薄暗く、終わりの見えない、長い長い回廊。
 そこには、薄桃色の溶液に満たされた半透明の大きな繭が、ずらりと果てしなく並んでいる。

 そして、繭の数は、今日も、明日も、わずかな増減を繰り返し続けている……。



 ……お〜い、学生さんよ!

 大丈夫かい? 何か、ボヘ〜っとなってるぞ?
 ほら、注文してた料理もやっと来たんだし、冷めないうちに食いなよ。美味いぞ?

 ん〜、あぁ……メシの前に聞かせる話としては、ちょっとキツかったかね。
 けどまぁ、最初に言った通り、これは全部うわさ話だからな?
 俺みたいな行商人達の間で囁かれてる、確かめようのない与太話なんだから。
 だから、そんな衝撃受けまくりの顔をしないでくれよ。な?

 え? 俺はこの話を信じてるのかって?
 そうだなぁ……うん。
 俺は、信じても良いんじゃないかって思ってるよ。

 これも最初に言ったことだけど、この世は良い奴ばかりじゃないんだ。
 学生さんもこれから先の人生で思い知ることになるだろうけど、本当に冗談抜きのクソ野郎ってのは、結構な数いるんだよ。
 さらに腹の立つことに、そういう連中が巨大な権力や利権を振り回してたりするんだよなぁ。

 で……時々だけど、そういうクソ野郎が不意に失踪した、なんて話があってね。
 大抵は、「遂に暗殺された」とか「逮捕・拘束を恐れて逃げた」とかって結論に達するんだけど……俺は、魔物さんの仕業じゃねぇのかなぁって思うんだよね。
 いやまぁ、本当、何となくだよ? 根拠を問われると困っちゃうんだけどね?
 でも、“そういうことになった”んじゃないのかなぁ、と。


 ん、フフフ……アッハッハ!

 だから、そんな顔しなさんなって!
 最高学府の学生さんが、こんなオッサンの話に目を白黒させちゃダメだよ。
 もっと物事を論理的に捉えて、真理の光で照らし出さなきゃ。
 
 ふぅ……さて、と。
 くだらない話を聞かせて悪かったね。学生さんはゆっくりメシを食っていきなよ。
 ん、俺かい? 俺はほら、もう食い終わったよ。学生さんがボヘ〜っとしてる間にね。
 早メシ早なんちゃら芸のうちってヤツさ。商売人の食事は、だいたいこんなモンよ。

 それじゃあね。
 与太話に付き合わせたお詫びに、払いは俺が持って行くよ。
 あぁあぁ、いいんだよ。路銀の節約がてら、オッサンに甘えときな。

 若いアンタにゃ、未来がある。
 色んな物をその目で見て、その手で触れて、その足で探しなよ。
 そうして得た経験の全ては、アンタを良い男に変える糧になってくれるはずさ。

 ただ、無茶と悪事はほどほどにな。
 無茶は重ね過ぎると死んじまうし、悪事に手を染めたら……魔物さんに繭送りにされるかもしれないぜ?

 なぁ〜んてな、アッハッハ!
 それじゃあ、良い旅を! 縁があったら、またどっかで会おうぜ!!

・魔物さんに嫌われる人間は、救い難いレベルのクズ野郎である。
・度し難い罪を犯した人間に対する、魔物さん流のペナルティーとは?
・『魔物娘図鑑T』に登場した“栄養補給のための薬品”の原料はどこから?

……という三点からあれこれ考え、今回のお話を編んでみました。
まさか自分が、「暴力表現」や「ダーク」のタグを使う日が来るとは。



さぁ、しまっちゃおうねぇ。しまっちゃおうねぇ。

人間としての道を踏み外した悪い子は、繭の中へしまっちゃおうねぇ……。

13/12/22 07:50 蓮華

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