連載小説
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前編
「よしっ。いくか…。」

街の賑わいの中、俺は震える声で呟く。胸が激しく鼓動して、きゅうっと絞めつけられている。
我ながら相当緊張しているようだ。ほんと情けない…。

目の前にあるのは一見した所おしゃれな店にしか見えない。
窓越しには人と魔物のカップルが仲睦まじくしているのが見える。
洗練された木彫のドアにはOPENと書かれている札がかかっている。

本当にいいんだな?もう取り返しはつかないぞ。例の切り札は…よし!あるな。
俺は覚悟を決めるかのように深呼吸する。汗ばむ手でドアノブを握りしめるとそっと開いた………。

















魔王の統べる王国と国交が結ばれて数十年…。魔物娘達は世の中にすっかり溶け込んでいる。
人間相手に商売をする者も多く、現に俺が入った店も刑部狸が経営するカフェだ。
魔物、それも抜け目のない刑部狸が経営する店なので、当然ただの喫茶店では無い。

独身者が店に入ると、出て行く時は必ずカップルになっている…。

そんな怪しげな噂が広まっており、来店する者が後を絶たない様なのだ。
ちなみに店に来るのは、男が欲しくてたまらない独身の魔物娘が圧倒的に多いらしい。
人魔のカップルがそれに続き、肝心の人間、特に女性はめったに来ないという。
飢えた魔物娘に襲われてお持ち帰りされる危険が高いのだ。
人間があまり来ないのは、まあ当然の事だろう。

で、なぜ俺がそんな怖い店に来たかって?
決まっているだろう?
魔物娘の嫁さんが欲しいからに決まっているじゃないか。

だが、今までは魔物娘に良い印象は持っていなかった。それどころかむしろムカついていた。
だって、アマゾネスやヴァンパイア等、魔物=女尊男卑っていう印象が圧倒的に強かったから。
街中で彼女達に嬉しそうに従っている男を見ては、舌打ちするぐらい不快だったのだ。

それが変わったのはアリスという魔物が主人公の某アニメを見た事だ。
純真なアリスと「おにいちゃん」のほのぼのとした日常描写にすっかり夢中になったのだ。
うん。やっぱり妹はいい…。特にそれがアリスみたいな素直で無垢な妹なら…。

ちなみにこんな世の中なので魔物娘が主人公の漫画アニメゲームは数多い。
二次オタの俺も二次元の魔物娘は惨事とは当然別!とばかりに喜んで見ている。
なに?相当なご都合主義だって?いいからほっといてくれ…。

あと、俺の数少ない友人の一人が、フーリーという魔物娘と結婚したこともきっかけだ。
フーリーは愛情深くとても献身的で、どんな変態プレイも喜んで受け入れてくれるらしい。
しまらない顔でにやにやしている友人を見ては、チクショウめ。という気持が抑えきれなかった。

ありきたりだが世間なんて理不尽だ。

俺だって自分みたいのが堂々と表に出ては悪いと思う。だから目立たずに隠れて生きている。
それをわざわざ探して無理やり引っ張り出してきては、ああしろこうしろとケチをつけるのだ。
正直このまま生きて行くのにも、二次元でいつまでも夢を見続けるのにも、最近疲れてしまった。
まあ、これが一番肝心な理由なのだろうけれど…。

もういやだ。アリスかフーリー。どちらかと一緒になってずっといちゃいちゃしたい…。
彼女達と一緒なら俺も生きて行ける。とうとうそんな思いが爆発しそうになってしまった。
よし!アリスかフーリーを探そう!となると可能性があるのは、あの魔物カフェしかないか…。

我ながら身勝手な願いだと思う。散々迷った末、仲良くしている会社の同僚に決意を打ち明けた。
こいつも二次オタで、ラミアのお姉ちゃんにロールされるような事ばかり妄想してる奴だ。
変態度では俺といい勝負のこいつだ。きっと賛成してくれる。
そんな必死の俺に、奴はこう冷酷に言い放ってきやがった。

「あの店で好きな魔物娘と結ばれるのは難しい。いもうとが欲しいのならサバトにでも入れ。」

今にして思えば親切な忠告なのだが、当時は反発しか抱かなかった。
サバトなんて面倒で儀式とか訳わからねえだろ。やっぱり誰にも頼れないか…と。

だが不特定多数の魔物娘が、独身男を虎視眈々と狙っている店なのだ。
好きな魔物を見つける前に、そいつらに襲われる方が早いのは当然の事だ。
俺は自暴自棄になって何も見えなくなっていたのだろう。
自分の弱いカードに自分の全てを賭けていた事にすら気が付かなかったのだ………。


















店内に入りびくびくしている俺。これから一体どうなる事かと不安が隠せない。

「いらっしゃいませ!お客様は一名様?」

「えっ。ええ…。」

「それではこちらのお席にどうぞ!」

そんな俺を迎えたダークスライムの店員は、朗らかな様子で席に案内してくれた。

「ご注文がお決まりでしたら声をおかけくださいね!」

天真爛漫な笑顔を残してダークスライムは去って行く。
彼女の愛らしい声を聞き、気さくで陽気な姿を見ていると少しほっとした。
だが、やっぱり色々心配だ。やがて注文したコーヒーが出てきたが飲む気にはなれなかった。
少しでも気分を変えようと周囲を見回したが…。だが、ええと…これはいったいどういう事だ?

まわりはカップルしかいないじゃねえかよっ!アリスもフーリーもいやしない!

サキュバスと抱き合ってキスし続ける男…
ラミアが嬉しそうに巻き付いている男…
手のひらサイズのフェアリーを愛おしげに見つめる男…
豊満な体のオークと楽しそうに話しこんでいる男…

彼氏か夫か彼女か嫁さんか知らないが、皆それぞれの番しか目に入らない様子だ。
男を求めて目をギラギラさせている、そんな独身の魔物娘なんて一人も居やしない………。

………いったいどれだけ経ったのだろう。相変わらず店内はリア充しか居やがらない…。
いちゃいちゃラブラブと本当に楽しそうだなこいつらは!
独身のアリスもフーリーも全然来ないし…。くそっ…。爆発しねえかな畜生っ!
歪んだ思いがじわじわと溢れてくる。

あ〜あ…。なんか嫌になった…。今日はもう帰ろうか…。

周り全てカップルの中、俺はたった一人だけ。あまりにも惨めになって帰ろうとしたその時だった。
店のドアが音を立てて勢いよく開かれた。

















最初に目についたのは日の光を浴びて輝く銀髪だった。金属のような光沢が一瞬目をくらませる。
視界が戻り気が付いたのはこの人は女性だという事。
彼女のきめ細やかな褐色の肌はまるで濡れている様だ。
よく目立つ長く尖った耳。スタイル抜群の体に張り付くエロいレザースーツ。
完ぺきに整った顔立ち。つぶらな赤い瞳は嗜虐的で刺すような光を帯びている。
ここまで美麗な姿は人間女性では絶対ありえない。そう。この女性は…。

げぇっ!ダークエルフ………。

俺は思わず舌打ちする。しまった!これは困った事になった…。
だってダークエルフといえば、女尊男卑グループの魔物娘の中でも最凶最悪の種族との噂だ。
人間の男を狩って奴隷にして、永遠にいたぶり続けるという話もあるぐらいだ。
奴隷にされている男の証言がほとんど出てこないのが、余計に怖さを感じさせる。

よく見ればこのダークエルフは…くそっ!独り身じゃねえか!なんでよりによってこいつが!
こうなったらあれしかない…。俺は携帯音楽プレーヤーをバッグから取り出した。
ダークエルフに気がつかれないうちに、すぐさまイヤホンを耳に装着する。
そして音量を最大にすると俯いて目をつむった。
バレバレだろうがなんだろうが、寝たふりしてやり過ごそう…。

こう見えても俺は集団の中で存在感を消す事だけは自信がある。
存在感を消す能力 だ け は魔物娘のクノイチ級だなぁ…。
こんな嫌味を言われたぐらいだ。もちろん言われても全く嬉しく無いのはあたりまえだ。
だが今はそのたった一つの特殊能力に頼るしかない………。

必死の願いも空しく、俺の特殊能力は効果を発揮しなかった。当然の事なんだけど。
ダークエルフは独身男の俺にすぐ気がついた。こちらに向かってくる足音が聞こえる。
息をひそめる俺の目の前で足音は止まった。
どうやら何か言っている様だが音楽でよく聞こえない。
俺は相変らず目をつぶって俯き寝たふりをしている。

そうだ。俺は空気だ。空気だ。俺は空気になるのだ…。
空気。空気。くうっ………………!!

我が身を空と一体化させようと無駄な精神統一しようとしていた俺。
その俺の耳に、何かが破裂するような凄まじい轟音が響き渡った。
突然の事に驚きびくっと体が震え、目が開いてしまう。

「ねえ…キミ。わたしの事、さっきから気がついているわよね。さ。顔を上げなさい…。」

清らかで透き通っていながら怒りを抑えきれない声。その声に脅されるように俺は顔を上げる。
眼の前にはダークエルフの、凍えるように美しい笑顔があった………

















笑顔のダークエルフは鞭を掴んで仁王立ちしている。周囲の客も何事かとこっちに注目している。

「………………。」

突然の事にパニックになり、声も出ずに固まってしまう。頭の中がフリーズした様だ。
さっきの音がこの鞭であることが理解できたのは、それからしばらく後の事だった。
鞭の音を聞いたダークスライムの店員も驚いてやってきた。

「お客さん!いったい何を!」

ダークエルフは慌てるスライムをなだめる様に優しく語りかける。

「悪かったわね。もう済んだ事だから…。そうそう。ついでに虜の果実100%ジュースをお願い。」

スライムは俺とダークエルフを交互に見比べて何度かうなずいた。すべてを察した様に言う。

「ふ〜ん…。そう言う事ですかぁ。まあ騒ぎにならない程度でお楽しみくださいね…。
承知しました。虜の果実100%ジュースですね。少々お待ちください…。」

お願いだから頼む…。俺はダークスライムに助けを求めようとした。
今にも泣きそうになり、すがるように見つめてしまう。
だが、彼女は小悪魔のように微笑んで、そそくさと去って行ってしまった。

え!?なんで!?畜生!俺を見殺しにする気かっ!
なにが魔物はとっても愛情深いだよ!もう信じられねえ!絶望した!

「キミはわたしが話しかけているのにずっと無視し続けたのよ。わかっているの?そんな態度は相手の心を殺すに等しいって事を…。」

ダークエルフは諭すように静かな声で言った。
俺は心の中で絶望の叫びを上げ続けていたが、不思議と言葉がすっと染み入ってくる。
あれ?意外と良いこと言うんだな…。確かに俺のした事は良くなかったかも…。
だがそんな事を思う間もなく、ダークエルフは当然のように対面の席に座り込んできた。
彼女の匂いだろうか?切なくなるような甘酸っぱい香りが俺を包み、ぽーっとなってしまう。

ダークエルフは自分の匂いに我を忘れた俺に満足した様だ。
ぞっとするほど魅力的な笑顔でうなずくと言葉を切りだしてきた。

「まあそれはいいわ。で、単刀直入に言うけどキミ。わたしのものになりなさい。」

「………………っ!!」

「まだ聞こえないのかしら?わたしのものになりなさいと言っているのよ…」

その言葉にぼけーっとしていた俺の頭が覚める。
そうか!やっぱりそう来たか。このダークエルフは俺を奴隷にするつもりなんだ…。
くそっ!そう簡単に思い通りにはならねえぞ…。俺は勇気を振り絞って言葉を吐きだす。

「………俺を奴隷にするつもりかよ?」

「奴隷?ああ。たしかに他の仲間はそうだけど、わたしの一族は違うわよ。安心なさい。キミは私の下僕になるの。毎日可愛がってあげるから有難く思いなさい!」

この命令に従うのは当然の事だ。お前はただ黙って受け入れればいいんだ…。
ダークエルフはそう言わんばかりの傲然たる笑顔で見下している。
奴隷じゃない?下僕だから有難く思え?ふざけるんじゃねえよ!
俺の心に怒りがふつふつと沸いてくる。怒りが恐怖心を押し流す。

「バーカ!んな話断るに決まってんだろうが!」

虚勢を張って罵声を浴びせる俺に、こいつは余裕の笑みを見せた。

「キミに拒否権なんか無いわよ。別に何も心配すること………」

「だったら殺せ!奴隷の平和に安住するぐらいなら死を選んでやる!」

俺はダークエルフの言葉をさえぎる。こいつの目の前に顔を突き出して言い放ってやる。
うん。我ながら名ゼリフ決まった!だが…当然死ぬ覚悟なんてある訳ない。
魔物娘は人を殺さない。広く知れ渡っているこの事実を俺も当然知っていた。
俺が何を言った所で最悪でも殺されることは無い。
それにこれだけ人が居るのでは無茶は出来ない。そう踏んでの言葉だ。

ダークエルフは表情も変えずにじっと俺を見つめ続けた。空気が重苦しい。
もしかしたら怒り狂って鞭で殴り掛かってくるかも…。そんな俺の予想はあっさり裏切られた。
こいつは瞳に蔑むような色を浮かべて冷たく言ったからだ。

「そう…。わかったわ。そこまで言うのなら無理強いはしないわ。好きになさい。」

すっと席を立つダークエルフ。意外な行動にあっけにとられてしまう。
呆けた様な俺を見てダークエルフは薄く笑った。

「でも…。いいわよね。キミ、自分が今置かれている状況わかって言っているのよね?」

思わぬことを言われて戸惑う俺に、ダークエルフは周囲を顎でしゃくった。

「うっ!!」

その方向を見て言葉を失った…。

いつ来たのだろうか。店の入り口付近を固めるようにどっかりと座りこむ二人の姿。
ひとりは漆黒の濃い体毛をなびかせ、もう一人は立派な角と若草色の肌が人目を引く。
両方ともボディビルダーすら見劣りするムキムキマッチョぶりだ。
間違いない。地獄の猛犬ヘルハウンドと戦闘狂オーガ。凶暴さでは名の知れた魔物だ。

両者はお互いに離れて席を取っている。別に知り合いでも何でもないのだろう。
だがふたりとも露骨に俺をねめつけ、舌なめずりしているのは同じだ。
俺の視線に気がついたふたりは「やらないか」と言わんばかりに胸をはだけた。

「この子達だけじゃないわよ?後ろをよく見なさい。」

ダークエルフは俺が困っているのが楽しそうだ。口角を歪めた鋭い笑顔を浮かべている。
彼女に促されてのろのろ後ろを見たが、その瞬間腰を抜かしそうになった。

褐色の肌の女が腕組みして座っていた。彼女は俺を真正面から見据えている。
爛々と輝く瞳は、俺の心臓を射抜くかのよう。いまにも襲い掛かってきそうだ。
前の二人に引けを取らない鍛え抜かれた体。その体に描かれる不思議な模様。
胸と腰を隠す以外は裸同然の体。密林の戦士アマゾネスだ。

俺の顔が知らず知らず青ざめていく。胸に重苦しいものがこみ上げてくる。
なんでよりによって…。俺が店に来た日に限ってなんで女尊男卑派ばかり…。
アリスは?フーリーは?お近づきになりたい魔物娘は一体どこに?
頭がくらくらしてうなだれてしまう。

「残念だわ。私だったら下僕の心得を、とっても優しく教えてあげるつもりだったのに…。」

ダークエルフは絶望する俺を追い込むように意地悪く言った。
泣きそうになった俺を見て喜びさらに続ける。

「でもキミは武闘派の子に激しくされるのが好きな様だから…。ま、気絶させられるまで愉しみなさいな。おしあわせにね…。」

ふっと鼻で笑って、ダークエルフは馬鹿にするように手を振った。帰ってしまうのか?
俺の前後を囲む3人は、ダークエルフの様子を見て即座に反応した。
まずい!今彼女に帰られたら俺は一巻の終わりだ。三人の魔物娘はすぐ襲い掛かってくるだろう。
魔物三人相手、しかも狭い店の中だ。間違っても逃げ切れるものじゃない…。

駄目だ!僅かの間でも時間を稼がないと。少なくともこの三人の動きを封じて外に逃げないと。
と、するとこのダークエルフ。こいつを利用するしかないのか…。
もちろんダークエルフは恐るべき相手だ。俺みたいな奴が利用できるなんて思えない。
だけどあの強者三人相手ではもっと分が悪いし…。俺は無い頭を無理やり絞って考え続けた。

よし…決めた。不本意だがとりあえずダークエルフに従おう!
俺は今にも帰ろうとするダークエルフに呼び掛けた。

「待ってくれ。言う事聞くから…。」

「それがご主人様に対する態度なのかしら!?嫌なら別に無理しなくてもいいのよ!」

「わ、わかりました!すみません…。すみませんご主人様…。」

完全に弱みは握った。そういわんばかりに高圧的な態度にでるダークエルフだ。
獲物をいたぶるような眼差しの彼女を見て慌てて詫びた。
平身低頭する俺に満足したのだろうか。ダークエルフは少し表情を和らげた。

「ふふっ。わかればいいのよ。それじゃあ、もうここに用は無いわね?行くわよ。」

「行くって、どこ…。いえ!どこにですか?」

「キミが喜んでわたしに従う様に、たっぷりと教育してあげられる所よ♥」

不安な様子を隠せない俺に、ダークエルフはウインクしてみせた。
以外にもお茶目な事するんだな…。そう思う間もなく彼女は俺の腕をつかんだ。

「さ、立ちなさい。とっても可愛くしてあげるわ…。わたし以外何も見えなくなるように…」

ダークエルフは俺の耳元で囁いた。熱い吐息を浴びていやおうなしに体が震える。

「あら?感じちゃったのかしら?いいわよ。やっぱり素質がありそうよ。キミ。」

からかうようにくすくす笑うと、ダークエルフは強引に俺を立たせて歩き出した。
こんな目に会って悔しい…。だがこれも外に出るまでだ。外に出さえすれば…。

ダークエルフは歩きながら例の三人を牽制するように睨む。
三人ともはっきりわかるぐらい悔しがっているが、強引に止められる事は無かった。
店の中では男に最初に手を付けた魔物に優先権があるんだろうか?
どうやら人間にはよく分からない暗黙の了解がありそうだ………

















………店のドアが閉じられる。良かった…。ようやく外に出ることが出来た。
しばらく歩いた後、ダークエルフも安心した様にため息を着いた。

「これで一安心。といった所ね…。」

「………………。」

「もうっ!一体なんて顔しているのよ!安心なさい。キミが素直にしていれば、とっても気持ち良くしてあげるわ!何も怖がることは無いのよ…。」

返す言葉も無い俺を見て、ダークエルフは慰めてくれた。さっきとは打って変わった優しい眼差し。
相変らず彼女に腕を掴まれているので、くっつきそうなほどの至近距離で見つめられている。
当然魔物特有のいい匂いが俺を包み込んでいて、意思を強く持たないと心が蕩けそうになる。
男を奴隷にして苦しめるっていうけど本当なのか?そんな疑問すら浮かんでくる。

だが、あらためて間近で見るとびっくりする様な美人だ。
それに彼女はモデルの様にスタイルの良い長身だ。よく見れば背丈は俺以上にある。
会社にも魔物娘は多いので、美人には多少免疫はあったはずだ。それが何の役にも立たない…。
まるでチャームされてしまった様だ。じっと見つめ続ける俺に、ダークエルフは微笑んでくれた。

「ん?どうしたのかしら?………こうして見るとキミ、なかなか可愛いわね。」

愛情すら感じさせるその笑顔に俺の心はきゅんと打たれた。不思議な甘いものが満ちていく…。

「ふふ。いい子ね…。じゃあご褒美をあげるわ。」

耳元で語るダークエルフの声が熱くねっとりとまとわりつく。
身を震わす俺に彼女はいい子いい子と頭を撫でてくれた。
温かくて柔らかい手。とってもきもちいい…。

一体なんでつまらない意地を張っていたんだろう…。
こんな素敵なひとのものにされるなんて光栄じゃないか…。
今すぐ俺を奴隷にして下さいと言ってしまえ…。

妙な多幸感が抑えきれず、とうとう跪いて靴でも舐めようかと思ってしまった。
だがその瞬間、彼女のバッグから電話の音が鳴った。即座に離される俺の腕。

「少し待っていなさい…。ええと………もしもしアネット?」

スマホを取ったダークエルフは相手と話し込んでいる。
俺の心の不思議なざわめきもなぜか収まって行く。
またこの女に対して反発心が起こってくる…。

おいおい。どうしたって言うんだよ。魔法でもかけられたか?くそったれ!
でもそんな事はまあいい。こいつにようやく隙が出来た。やるのは今しかないぞ!

俺はダークエルフに気づかれないように、バッグに手を入れペットボトルを取り出した。
そう。これが俺の切り札。
男が食べると魔物を引き寄せる虜の果実。その果汁から作られた強力な薬液だ。
これはそのまま撒くだけで、より広範囲にいる魔物を集めることが出来る。
本来は魔物と出会う機会が欲しい奴が使うものだが、今は別の使い道がある。

今日は天気も良い。しかも休日の街中だ。当然周囲には魔物の姿も多い。
これを撒けばたちまち魔物娘が殺到するだろう。混乱を引き起こすぐらいに。
その混乱に紛れて俺はさっさと逃げればいい…。
さっきまでは狭い店の中なので、これを使うと俺自身の身の危険があった。
だが外に出さえすればどこにでも逃げられる。

ダークエルフは相変わらず話し込んでいる。俺に注意は向いていない。
これこそまさに天の助け。よし。いまだ!

俺がペットボトルを投げつけるのと、ダークエルフがこちらを向くのと同時だった。

「キミっ!いったい何してるの!」

液体がダークエルフとその周囲に撒き散らされた。ずぶぬれになった彼女の怒声が響き渡る。

「………これは虜の果実?まさかキミっ!」

ダークエルフは液体の正体に気がついたのだろう。凄まじい形相になって俺に詰め寄ろうとした。
さっきまでとあまりの変化に俺が怯んだその瞬間だった。

魔物娘が殺到してきた。
サキュバス。オーク。ラミア。ゴブリン。エルフ。アラクネ…
様々な種類の魔物娘達が薬液目がけて集まって来た。

いまだ!

俺はその場から全力で逃げ出した。

「こらっ!キミ待ちなさいっ!…ってあんた達何やってるのよ。邪魔しないで!」

殺到してきた魔物娘とダークエルフはもみ合っている。互いの絶叫が響きあっている。
俺は混乱模様を背中に感じながら息が切れるまで走り続けた。

















いったいどれだけ走り続けただろう。疲れ切った俺はタクシーの中で何度も荒い息をついている。
自分では何時間も走った気がするが、実際は10分にも満たないだろう。
限界を迎えた時。たまたまそこに来たタクシーに乗ることが出来たのだ。

まあ、とにかく逃げ切った。我ながらよくやった。
へへっ…。ダークエルフの奴に一杯食わせてやったぞ。
へへへっ…。ざまあみろ!

異様な達成感と高揚感が抑えきれずに俺は何度もざまあみろと呟く。
顔には何かを成し遂げた時に浮かぶ笑みがこぼれていた………

















ムカつく奴に思い知らせてやってテンションが上がり切ってしまい、普段はやらない居酒屋での独り飲みもしてしまった。
結構飲んで酔っぱらい、用心のため遠回りしながらも最高の気分で帰宅の途についたが、なぜだろう。
徐々に酔いが冷めると共に、高揚感もすっかり冷め切ってしまった。

いくら一時気分良くなっても、所詮俺はたった一人きり。
今から誰もいない冷たく寂しい家に帰らなければいけない。
家に帰っても二次元で気を紛わすだけの日々。
あのダークエルフに身も心も調教されればどうだったんだろう…
寂しさや、つらさを感じなくなるぐらい滅茶苦茶にしてくれたのかも…

結局いつも以上の葛藤と寂寞感に囚われてしまい、ため息を着きながら帰宅した。
山の端に消えかかっている残照が、余計に物悲しさを感じさせる。
あ〜あ…。ただいま…。ドアを開けながら唇から言葉が漏れる。
誰もいないのは知っているけど、ただいまというのはいつもの癖。当然返事は無い。

「お か え り な さ い っ ! !」

誰もいないはずなのに…。そのはずなのに返事が返ってくる…。
しかもどこかで聞いたような、凛として澄みきっている美声。
だが、その声は抑えきれない怒りを、明らかに無理やり封じ込めている。

「だっ。誰だっ!」

泥棒か?沸き起こった恐怖心を振り払って叫ぶ。俺は声のする方にそっと目をやった。

輝く銀髪。褐色の肌。長い耳。絶世の美貌。怒りに震える両手には鞭を握りしめている。
悪鬼の形相をしたダークエルフの姿があった………












24/01/02 22:19更新 / 近藤無内
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■作者メッセージ
後編ではお仕置きと調教になります。たぶん次で終わるはずですが、どうなるでしょうか…
ところで、白蛇さんの婿になるのもダークエロフさんの奴隷になるのも、本質的には同じ事では?
最近よくそんな事を思います。当然の事ですが異論は認めますので…
今回もご覧頂きありがとうございます。

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