連載小説
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永い呪縛
このケピアカーナの宮殿には地下に一室だけ空き部屋がある。
この宮殿での私の部屋だ。
ここには明かり以外何もなく、あったとしても私が持ち込んだ毛布くらいだ。
明かりも暗く、五人で満杯になるほど狭い。私の場合下半身が蛇なので約二人分幅を取るので余計に狭い。ほぼ物置部屋だ。
だが、それ故にここに居ると、押し潰れそうだった心が何となく和らいだ。
一人と言うのは、とても落ち着く。わざわざ他人を気にせずに済むからだ。
そう。一人の時は何も言われなくて済む。人からの期待も失望も、何もかも気にしないで済む。
だが、今頭に浮かぶのは私に頭を下げるナヌタビアの顔。
「何故、国に拘る……?」
形を保つ意味は?
「何故、責任に拘る……?」
見えもしない物を感じる意味は?
「何故、私なんだ……?」

『頼む!我が国を、ケピアカーナを導いてくれぬか!この国を導けるのは汝しかおらんのだ!』

ナヌタビアの一言が脳裏に焼き付いていた。
あの時、一時的にだがナヌタビアの毒は効力を失っていた。
強い感情がそれを抑えていたからだ。
『国を守りたい』と言う感情が。
私は、彼女が何故そこまで必死になるのか分からなかった。
「私は……」

その時、部屋の扉がコンコンと叩かれた。

「……ッ!」
「ネテプ、居るか?」
落ち着いた声と呼び方で相手がジュードだと分かる。
「ぁ……ああ。居るぞ」
一瞬返事しようか迷った。もう少し独りで居たかったからだ。
「入っても?」
「……構わない」
本当は断りたい。だが、何となく人恋しい。
「入るぞ」
扉が開かれ、直後にバタンと閉められた。
「…………」
「すまん。少し狭かった」
そうだ。彼は蛇嫌いだった。こんな狭いと入れないか。
「……クッ、はははは‼」
私はその様子が凄く可笑しくて堪らなかった。
まるで一種の条件反射だ。笑うしかない。
「ははは、はぁ……!」
数分してやっと笑いが引く。まだ余韻が残る私に、ジュードは様子を伺い話しかける。
「大丈夫か?」
「……ああ、はは、良く笑った……!」
私は呼吸を整え、扉を背にもたれる。
今ジュードは扉の真ん前に居る。もしも私が扉を開き、彼を引きずり込んだらどんな反応をするのだろうか?
きっと驚いて対処しきれず捕まるか、はたまた鼠のように素早く逃げるか。
恐らく後者だろう。
「ネテプ」
「なあ、ジュード」
ジュードは私に何か言おうとして、私はそれを遮って彼に尋ねた。
「お前は何故政治家になったんだ?」
ジュードは、先程私を弁護してくれたが、恐らく用件は私に王になるよう頼みに来たのだろう。何となくだがそう思った。
「……正確にはその補佐なんだが、……まぁ、なんと言うか、家が政治家の家系でな。親からしょっちゅう勉強を強いられていたよ」
「なりたかった訳ではないのか?」
「ああ、そうだ。反発しようにも出来なくてな。気付けばずるずると決まった道を歩かされたよ」
「…………」
私は何となく既視感を覚えた。拒みたくても拒めずにいた自分の姿が脳裏に居た。
「今となっては引き返す事も出来ないんだ。どうやら僕には政治以外に居場所がないらしい」
「それはどういう事だ?」
笑い混じりの溜め息の音。何故か耳が痛い。
「他に居場所がないんだ。特にやりたい事もあまりないし、政治以外で上手く仕事に就ける自信もない。それに気付けば世界情勢だの何だのが頭に浮かんでキリがないし、さっきだってこの国のあり方に口を出したばかりだ」
「…………」
自分の居場所か。考えた事もなかった。
私は今の自分の事しか見えず、先の事などこれっぽっちも考えていなかった。
「ネテプは、何故王になりたくないんだ?」
ジュードに問われ、返答しようとする。だがふと気付く。
「…………そうやって絆して王にならせる気か?」
「そんなつもりはない。その手は僕も嫌いだ」
「……はは、そうか。……なら話そう」
「良いのか?」
「ああ、お前のその言葉は信用できる。……過去の話になるが」
私は過去を振り返り、ジュードに語り聞かせる。
「アポピスについては、説明したな?」
「ああ。ファラオを堕として一国を奪う、とかだったか」
「そうだ。だがまぁ、そのほとんどはファラオの『王の力』によって阻まれてしまっているがな」
「『王の力』?」
「ファラオの威光の力だ。ファラオを前にすれば膝間付き、ファラオが命令すれば抗う事ができず従ってしまう。正に王の力だ」
「……だがナヌタビアは」
ジュードは怪訝な声をあげた。
無理もないか。今のナヌタビアからは威光を全く感じない。
「ああ。奴は私の毒で堕ちた。私が『王の力』を破ってな」
「逆らえたのか?」
「ああ」


ここからが本当に過去の話だ。
私の親も、王に敗れ、軍門に下ったアポピスの一人だった。
母は後に国を訪れた旅人と結ばれ子供を授かり、敗北の苦渋を忘れられる程の幸せな家庭を築いた。

「良し、ネテプ、パパはお仕事に行ってくるからな」
「ハーイ!」
「あ、あなた、お弁当」
「おっと、すっかり忘れてた」
「さぁネテプ、パパに『いってらっしゃい』は?」
「いってらっしゃい!」
「おう、いってきます!」

幼い頃は本当に幸せだった。
だが、それも長くは続かなかった。

私の父が事故で死亡したんだ。

その頃から母は変わった。
母と私は国を出て、色々な土地を旅して暮らすようになった。
母は父の死を自分のせいだと思い込んだんだ。
父が死んだのは自分がファラオに負け、父を労働者として働かせてしまった自分の責任だとな。


「……それは考えすぎじゃないのか?」
「そうだ。いくらなんでも過去を掘り返しすぎだと思ったよ。事故とはほとんど関係ない筈なんだ。でも言えなかった」
母の父を喪った後悔は手を伸ばすのも躊躇うほどとてつもないものだった。
「当時の母の様子に、私は父を亡くした悲しも忘れる程彼女に恐怖した」


それから母はファラオが治める国を次々と襲うも敗れ、その度に父に謝っていた。
「あなたが亡くなったのは私が国を奪えず平和にできなかったからです。ごめんなさい」
ガチガチと顎を震わせ、まるで呪文の様に繰り返していた。
時が経つに連れ、母はだんだんと衰弱していった。食事が喉を通らず、精神不安定と精の枯渇も母を蝕んだ。その行動は常時ふらついた状態で、襲いかかったファラオにさえ心配される程に酷い状態だった。
それでも彼女は自分の身も考えず行動し、度々私に叫んだ。
「私達アポピスには王を打ち破る義務と責任があるの!本当の平和を実現しなければ、またお父さんの様な犠牲者が増えるの!」
義務、責任、平和、そして王。母はいつもそれを口にしていた。
父の死で母はそう言ったものに強く拘る様になった。
しばらくして母は倒れ、この世を去った。
最期に私に言い残して。
「ネテプ、お願い。王になって、……人々を救って」
その言葉が私を縛る呪いと化していった。


「母が言った言葉が、深く胸を刺した。あの言葉が、死に際の表情が、私を縛り付けた」
「…………」
「私は、母の真似事を続けた。いつも側に母の姿がある様で怖かった……。母がこっちを睨んで私を監視している様な感覚が絶えなかった、義務だとか責任だとかが頭から離れなかった……!だからファラオを襲うのを続けた」
ジュードは反応に困っているのか返事がない。
私は構わず続けた。
「そのうち脱け殻の様に襲い続けたよ。襲ったのは六、七人だが、国から国への移動時間を考えれば途方もなかった。そして、私の心は何処かへ消え失せ、人形の様にただやっていた」


そんなある日だった。
私はこのケピアカーナにやって来た。
そして、ナヌタビアを襲った。
「ほう?正面から向かってくるとは珍しい。汝、名は?」
「ネテプシェリティ」
私は素直に名乗った。別に名など知られてもどうでも良かったからだ。
「ほう、素直だな。知っておるぞ。汝はこの短期間で幾人もの王を襲っておるそうだな」
「そうだな」
ナヌタビアはクスリと笑う。
「ファラオも中々多いでな。苦労は察するぞ」
「なら私の苦労をここで終わらせてくれ!」
私はファラオに襲いかかった。真正面から爪をたて、牙を剥き、全速力でナヌタビアに飛び掛かる。
「『止まれ』」
「ーーッ!」
私の動きが、金縛りにあったかのように動かない。『王の力』だ。
「『膝間付け』」
「ーーグッ!」
私の体は床に手を付き膝間付かされる。

ああ、またか。また失敗か。

この時私は、成功する気もなく襲撃した。出来ない事が分かっていたからだ。襲う事はもうただの義務でしかなかった。
だが、後のナヌタビアの提案で、私は誰もが、自分さえもが思いもしなかった力を出させた。
「汝、家族は居らぬのか?」
「……!」
「その様子を見る限り居らぬのだな」
「だから何だ」
この時、自覚はなかったが母の顔が思い浮かんだと思う。正直カッとなって覚えていないからな。何にカッとなったか、それは。
「ならば、ここで作らぬか。家族を」
「ーー!」
「我が軍門に下り、家族を作らぬかと言っている。男ならいくらでも居るし、誰か気に入った者を夫とし、子供も産めば幸せな家族を作れるぞ?」
「……」
私は、一瞬それでも良いかと思った。
この亡き母に縛られた生活を終わらせたかった。
しかし、私は一種のデジャヴを感じた。
「ーー嫌だ……」
万が一に幸せな家族を築くとしても、何かの不幸で夫か、あるいは子供が亡くなるかもしれない。
「嫌だ……!」
そしたら私は、……母の様に狂ってしまうかもしれない。そうなればまた、こんな生活を死ぬまで行うかもしれない。
「嫌だ‼」
それが私の胸を締め付けた。

「私は、……母の様にはなりたくない‼」

その時、何かに縛られる感覚がなくなった。
「ーー何!?」
「うあああああああああああああ!!!!!」
ナヌタビアに飛び付き、首筋を噛んで毒を流した。


「途端に、日の光が姿を消し、国民は狂ったように発情し始めた。そして、皆が私を王と崇めた」
「……」
私の独白に、ジュードはただ聴いてくれていた。
「ナヌタビアを倒した時は大層喜んだよ。『これで母の呪縛から解放される!』とな。でも、今度は皆が『王になれ』と言ってくる!」
母から押し付けられた義務と責任が今度は別の形で襲ってくる。
そう思うと視界が滲んだ。
「見えもしない概念の癖に、平気でまた私を締め付けようとしてくる!」
頬に熱い何かが伝う。喉に何かが込み上げ、嗚咽が漏れる。
「私は、もうこれ以上、義務にも、責任にも……縛られたくない‼」
まるで締め付けられた様に痛む喉からひり出した最大限の悲鳴。
「……分かった」
その悲鳴に応える様に、戸が開かれる。
扉に背もたれていた私は後ろに倒れそうになるが、ジュードが支え、……そして抱き締めた。
「君は、充分闘った。苦しんだ。なら、もうそれ以上苦しむ必用が何処にある」
私の頭に、ジュードの掌が乗せられ、優しく撫でられる。


「僕が、君を救ってやる」


後に、ケピアカーナはジュードの手によって大きく変わることになる。
「まずは、『王』をなくそう」
この一言によって。
そして私は一つ気付いた。

私を抱き締めるジュードの腕が、痙攣を起こした様に震えていた事に。
16/04/13 08:38更新 / アスク
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■作者メッセージ
大抵人の過去を自白させるのってどうにかなんないんですかね。俺。
人に歴史ありって言いますけど、何気誰にでもやってる気がする。……そうでもないか。うんわからん。

実は最初ジュード君には「責任とかは辛いけど頑張ろうよ」みたいなセリフを言わせてネテプを引っ張る予定だったのですが、書いてる内に何か違うな、って思って変えました。
修正文字数約千文字!……は冗談で精々百文字。

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