連載小説
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Nr.4 Who killed Cock Robin?



 「チャーリーは手筈通りに、他はそのまま追い立てろ。」
 丑三つ時の街道。光といえば月の放つ僅かな光しかなく、鼻を摘まれても分からないような闇が広がる。歩くことすらままならない世界、虫でさえ息を潜めたその中を、鎧がこすれ合う音と足音、そして鈴を転がしたような声が響く。
 広げた黒い布地のようなそこを、白甲冑の女性が一人、息も絶え絶えで走り続けている。清純と忠実を象徴する白の鎧と、左腕の盾に施された金の十字の装飾、たとえ下町の孤児であろうと、その女性が法と正義の番人たる教会の騎士である事は一目でわかるだろう。
 しかし彼女の手には、清廉を示す姿にはおよそ似つかわしくない異形の剣が握られている。闇と同化する黒い刀身と、その鍔に施された真っ赤な瞳の装飾。その眼はギョロギョロと周囲を見回し、時に労わるような眼を持ち主の女騎士に送っている。剣を持つ右の腕もまた、甲冑と対照的な禍々しい黒に包まれていた。
 彼女が突然立ち止まり、背後に剣を振るった。姿どころか音も無く夜闇から飛び出た銀色の斬撃を、彼女の剣が受け止める。続けざまに別の方向から刃物が迫るも、これも難なく剣ではじき返してみせた。
 彼女の人の眼には、敵の姿どころかまともな視界すら映ってはいない。だが彼女の頭は、しっかりと夜を見通していた。今となっては彼女の眼は剣の鍔のそれと、赤く変色した魔物の右眼だけだった。
 背後からの不意打ちも足甲で蹴り飛ばし、彼女は再び走り始めた。少し走れば、またすぐに息が切れる。彼女は今ほど、豊満な自身の胸を恨めしく思った事はなかった。
 胸の錘を睨みつけていた彼女は、前方左右から迫る二振りの刃に気づく事が出来なかった。火に飛び込む羽虫のように、彼女は顔と大腿とを横薙ぎに一閃されてしまう。
 彼女の視野が一つ減った。今の彼女は眼を閉じたサイクロプスに似て、鼻の上に真一文字の線が引かれている。文字通りの血の涙を流してさえいなければ、そういった姿の魔物と言われても頷ける姿だった。
 石と砂利とを頬に感じると、彼女は剣の鍔の眼で転んだ自分の姿を認めた。両脚の健を断たれ、勢いそのままに倒れ込んだようだ。
 彼女の前に、二人の人影が降り立った。黒い外套、というよりは夜の闇をそのまま切り取ったような外套に身を包んだそれらは、顔をフードで隠し、辛うじて伺える口元も黒い布に包まれていた。外套から覗く彼らの具足は、小腿全体が大きな刃物になっている。
 それぞれの脚の刃に鮮血が付いているが、彼女の眼は敵の得物より、8歳児程しかない彼らの背丈に釘付けになっていた。
 「こんな子供に…と考えているのだろう。」
 幼さの残る声、しかし奇妙な壮大さを含んだ声。
 二人の間に、同じ背格好の人影が一人現れた。それに続いて、彼女の周りを六人の小さな人影が取り囲む。
 「あと一息で領外。案ずるな、お前は間違いなく強者だった。おかげで予定が狂いそうだ。」
 統率者らしき言葉の主が、外套から右手を出した。その手には銀色をした片手で持てる大きさの、剣の柄ほどの太さしかない道具が握られていた。L字に近い形で、無骨な鉄塊が剥き出しになっている。
 彼が親指で道具についた突起を弾き上げると、カチャリと小さな音が鳴った。次にそれを、彼女の額に押し当てる。
 彼の人差し指が、先ほどとは別の突起を倒そうとする。道具後部の小さな金槌のような部位が、勿体ぶった指の動きに合わせ、ゆっくりと倒れる。
 彼女は直感していた。こいつが指を引き切った時、私は死ぬのだろうと。戦士としての勘が、そうに違いないと確信していた。
 金槌状の部位の動きが遅くなる、どうやら引ききる間際で少し重くなる作りのようで、持ち主も不満気に眼を細めた。その一瞬、瞬きよりも短いその一瞬を彼女は見逃さなかった。
 彼女は剣を振り上げ、そのまま相手の手首を斬り上げた。六人は素早く背後に飛び退くと、闇の中へと溶けてしまった。
 想定外の手応えに、彼女は息を呑む。見ると足元に、道具を握ったままの右手が転がっていた。
 彼女はここに来るまでの間に、何人かの同胞を躊躇なく斬り捨ててきた。その魔剣が人命を奪わない物だと知っていたからだ。だが予想に反して、相手の手首はしっかりと切り落とされてしまっていた、手袋ごしでもわかる小さな子供の手だ。彼女の胸を、突き刺すような罪悪感が襲う。
 けれども今の自分は他者の心配をしている場合ではないと、彼女は乱れかけていた自分の心を抑えつけた。騎士生活で養った精神力ですぐさま平静を取り戻すと、断たれた健を強引に魔力で繋ぎ直し、親魔物領の方向へと脚を走らせた。
 彼女が地図における領の境界線を通り過ぎると、彼女を追う足音の群れもピタリと止んだ。国境が目に見えていると思える程に正確だった。
 彼女は道の脇に生えた木の裏に飛び込むと、幹の端から剣だけを出し、走ってきた方向を伺った。
 暗闇の中を赤い眼が見通す。その中に動く者の姿はなく、追手のない事に胸を撫で下ろした。そのまま剣を地面に突き刺し見張り代わりにすると、彼女は木の幹に身を預け、胸に手を添え呼吸を整え始めた。
 彼女は手さぐりで左腕の盾を外し、次に左腰に帯剣した官給品の剣を鞘ごと外すと、その場に座り込んだ。朝昼と汗水流し、夜は今の今まで走り通しだった彼女にとって、初めての休息だった。
 親魔物領に入ったとはいえ、末端の集落でもまだまだ遠いだろう。体力も限界、魔物の魔力にも未だ慣れない、ここでひと眠りしてしまおうか。まだ不安が残るしもう少しばかり進もうか。彼女はあれこれと考え、一先ずは傷口を塞ごうと、顔にぱっくりと開いた一の字にそっと手を乗せた。
 治癒魔術で目元の傷を癒す。傷口を塞ぐだけのつもりだった彼女だが、術を終えた頃には傷は綺麗に消え去り、両目とも光を取り戻していた。これから先を剣の眼だけで生きていく事に不安を覚えていた彼女だったが、嬉しい誤算だった。
 また、以前よりも使える魔力が増え、更に魔術の行使もやりやすくなった事を実感していた。騎士としては非凡だが術師としては下の下だった魔術も、魔物になっただけでこんなにも扱いやすくなるものかと、無邪気に興奮を覚えたりもした。
 身体の疲労は取れないが、沸き上がる活力と、得体のしれない飢えに押され、彼女はもうしばらく進む事に決めた。立ち上がった彼女は一応の防具として盾を左手に持ったが、官給品の剣はそのまま捨ててしまう事にした。
 こうなった原因であり、ここまで逃げ延びれた理由でもある魔剣に手を伸ばそうと振り返った時だった。
 彼女の目の前の闇に、ぼんやりと光る空色があった。二つ、円形のそれは眼のようで、彼女は始め獣かとも思ったが、その下に浮かぶ赤い三日月が、それが人の顔である事を教えてくれた。
 笑みを浮かべたソレが、ゆらゆらと女騎士に近寄る。両脚の刃は勿論、外套の袖から出た両の手には、彼らの体格に不釣り合いな大人用の長剣が握られている。夜を纏ったその姿は、魔物以上に魔物らしかった。
 彼女は魔剣を掴もうと手を伸ばそうとしたが、何度やっても手が剣を掴むことは無かった。見ると、禍々しい甲冑のようになっていた右腕は、肩口の当たりから綺麗に切り落とされてしまっている。痛みすらなかった。
 目の前の敵は距離を詰めるだけで、得物を振るうような事はしていない。彼女は舌打ちと共に、後ろへ下がるのを止めた。
 次の瞬間、彼女は四つの箇所を前から来たそれと、背後にいたもう一人によって同時に突き刺されていた。的確に健を捉えたそれらは、彼女から四肢の自由を奪い取った。前のめりになった彼女を、前にいた人影が蹴り飛ばす。
 「チャーリーが仕留めた。ブラボーとデルタはそのまま帰投。俺らとチャーリーはもう一つ済ませてから戻る…ああ、デブリーフィングは明日の朝だ。」
 仰向けに倒れ、そのまま地面に張りつけにされた彼女は、間近で自分を見下ろす二対の空色と、木の上の二つの人影を見上げていた。幼くも凛々しい声が、淡々と何かを虚空に向けて話している。
 空に浮かぶ月に視線を移す。青白く光るそれは、綺麗な円を描いている。冷たく、無機質で、怖いぐらいに整っている。宝石のようと言えば聞こえはいいが、今の彼女にはただ不気味な、死んだ獣の瞳や虫の卵に似て見えた。
 まるで、こいつらの眼のようじゃないか。
 薄れゆく意識の中、彼女は生まれて初めて毒づいた。

 
 
 森から二里ほど離れた場所に位置する川沿いの村。村と言えど石張りの道と煉瓦造りの建物がほとんどで、通りは馬車が余裕をもってすれ違う事が出来るほど広く、街路樹と水路が景観を彩る。
 朝方ではあるが既にちらほらと人が見える。店を開ける準備だったり新聞の配達だったりと目的は様々で、その全てが魔物だった。
 大通りに面して建った診療所。その中の一室にて、ワーキャットのミネットとマンティスのフェルカ、そしてリッチの女医とが寝台を挟んで向かい合って座り、神妙な顔付きで睨みあっている。
 寝台には白髪の子供が目を瞑って横たわり、色素の欠いた白い肌の全てを晒している。ピクリとも動かず、背丈と同じ程の長さの太く大きな尻尾も、寝台の横に力無く垂らしている。
 「先生…どうですかにゃ……。」
 「……………残念ですが。」
 女医の一言に、ミネットは泣き崩れるように、無防備な彼の下腹部に顔を埋めた。
 「あ…あんまりだニャッ…こんな…こんな…ッ!」
 鼻で大きく息を吸うと顔をあげ、今にも泣きだしそうなしかめ面で声をはり上げる。
 「オスメスどっちだかわかんニャいだにゃんてぇええッ!!」
 感極まって涙を流しつつ、彼の太ももに頬ずりするミネット。女医は人間か魔物かの判別すら出来ないと言ったのだが、ミネットの耳はそこらの人々より都合よくできているらしい。
 どさくさに紛れて太ももを揉みしだく彼女を、彼はジトりと怪訝そうな視線で睨みつけた。かといって逃れようと暴れるわけでもなく、微動もせずに横になり続けている。
  彼らを視界の端におきつつ、フェルカとリッチの二人は淡々と彼の健康状態について話し合っていた。
 「中はほぼ無傷、心配ない。…でも心配、来週も来て。」
 言いつつ彼女は、フェルカに白い砂の入った瓶を手渡した。リビングドールが傷口を隠すのに使う化粧品のようなもので傷薬ではなかったが、これが彼女の今できる精一杯だった。
 女医が立ち上がり、寝台でミネットにいいようにされている彼に起きて良いと手で合図をした。彼は尻尾でミネットの顔を押し退けつつ寝台から飛び降りると、ぶかぶかな羊毛の上衣とこれまたサイズの合っていないブーツ、そしてミネットとおそろいの首輪を身に着ける。
 すぐに背後からミネットが覆いかぶさるも、接吻を迫る顔は彼の手で抑えられた。
 彼が目覚めてからというもの、ミネットはずっとこの調子だった。始めのうちはまんざらでもなかった彼も、ベッタリとしてくるミネットにさすがに参っている様子だった。
 「この後はどうするつもり?」
 女医の言葉に、フェルカは窓から見える教会を指さした。
 「この子の親を探す…。教会なら名簿があるはず。」
 探すという言葉を女医が聞き返す、フェルカは要点を掻い摘んで説明した。女医は話を聞き終えるまでの間、ミネットに襲われ抵抗している彼を、すこしもじもじしながら眺める。
 全てを聞き終えると、リッチはしばしの間床を見つめ、今までより小さな声で囁いた。
 「…体内を透視したけど異常は無かった。でも、あれは親がいるような身体じゃない。」
 言い終え、そそくさと奥に戻ろうとする女医の肩をフェルカが掴み、引き留める。奥の部屋では白衣に眼鏡をかけた痩せ身の男性がおり、書物を認めていた。彼は入り口で立ち止まったリッチとマンティスを、柔和な笑みを浮かべ眺めている。
 「あの子については、私より本人が詳しいはず…。」
 言葉を待たずそれだけ言うと、女医はフェルカの手を振り払い、扉を閉めてしまった。突き放されたフェルカは少し寂しそうな表情だったが、今の彼女はそれどころではなかった。
 診察のため身体を弄るうちに、彼の身体から漂う雄の臭いに充てられ、更にミネットと彼のじゃれ合いに自分と夫の姿を重ねて妄想していた女医は、早い段階から下腹部にむず痒い感覚を覚えていた。始めは意識して服とこすり合わせる事で誤魔化していたものの、かえって切なくなる一方で、今では旦那の一物でなければ収まりが付かない所にまで至っていた。
 「お友達なんだろう?もっと親切にしてあげなきゃ。」
 男性が女医に声をかけた。か細く力無いが、優し気な声色をしている。女医はというと早々に一糸纏わぬ姿となり、大きなベッドの上で脚をくねらせ、誘うように寝そべっていた。
 「兄さんには関係ない…。診察はちゃんとした、それ以上は私の領分じゃない………それより…♥」
 男性は苦笑すると、筆をそっと卓の上に置いた。
 「まだ朝だっていうのに…まったく仕方のない子だ。僕はタフな部類じゃないんだから。」
 小言を言いつつも眼鏡を外すと、男性は服を脱ぎつつ、彼女の待つベッドへと歩み寄った。薬品の香りに満たされた室内が淫らな臭いで上書きされるのに、そう時間はかからなかった。
 「お前は男だニャッ!男なんだニャァァァッ!」
 一方診察室では、ミネットが彼の両脚を強引に開き、股に顔を埋めた姿勢のまま、空しい願望を吐き散らしていた。その後頭部には、しなりの効いた彼の尻尾が鞭のように幾度となく振り下ろされている。
 フェルカはそっと溜息をつくとミネットから彼を取りあげ、小脇に抱えて診療所をあとにした。
17/03/02 19:37更新 / Snow Drop
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■作者メッセージ
5539文字となります。
ご無沙汰しております。
なかなか時間を作れず、三か月も時間が開いてしまいました…PS4とは恐ろしい物です。

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