連載小説
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なもなきやま
ー慣れない山など歩くものではない。
ワルター=アレキサンドライトはパンパンに張ったふくらはぎを揉みほぐしながらため息を一つついた
傾斜の大きい道は歩くだけで一苦労、おまけに人の手の入らない獣道は、一般人よりも貧弱なワルターにはあまりにも酷な道のりだ

ーしかし、この山の中にしか、ないのだから

国を二つ経由し、渓谷を超え、そしてまた一つ国をまたいでその向こう側。
その高いばかりの名も無き山はしかし、伝説の薬があるのだという。自分の村を訪れた商人が言っていた。

ーこの山には途轍もない魔力を秘めた秘薬がある

一度飲めば肌は張り、潤い、砕けた骨は元に戻り、えぐられた傷は跡形もなくなり、欠損した四肢は一晩寝れば生えてくる、と

それを求めて、この地へきたのだ



「ふぅ……」

川沿いをひたすらに上へ上へと登ってゆく。この山に切り立った岸壁がないのは幸いだ。時間さえかければ、誰でも登れる。

「まぁ、その時間がどれだけ必要なんだって話だけど」

適当な岩に腰掛け、川のせせらぎに身を委ね、一息つくことにした。
もはや、山は人間にとって危険な土地ではなくなった。多くの魔物娘たちが住む山では、遭難しようが溺れようが、挙句崖から落ちようが、生き残れる公算は9割9分9厘ほど。
まぁ、貞操の問題でいえば、それはまた別の話だが

「まぁ、僕に限ってそれはない」

黒曜のような髪をかきあげれば、額は僅かに湿っていた。



「ん?」

しばらく呆けて川を眺めていると、上流から光るものが流れてきた。太陽光を反射するそれは、水とは違い、ギラギラとしかし、静かに輝いている

「なんだろう?」

幸い手の届く距離だし、川の流れも緩やかだ。水に手をつけ、すくい上げてみる

「……毛?」

指に巻きつくようになったそれは確かに毛、見事な輝きの銀毛だ。

「上流に誰かいるのか?」

この山に登る物好きが自分意外にいるのか、と、疑問に思う。
気になると確かめなければ済まない性分、ワルターは再び立ち上がり、足を引きずるように川沿いを歩き始めた

ーーー貴様は祖国を裏切った!ーーー

水が流れる 息を吸う

風が吹く 息を吐く

鳥が肩にとまる 姿勢変わらず

舞い散る花びらが髪につく 目を開かず

それは、不思議な光景だった
彼女は川の中に佇んでいる、しかし少し気をそらせば見失ってしまうほどに、それは自然と一体化していた
彼女の肩にとまっている鳥も人慣れしているわけではなく、ただの止まり木か何かと思っているのだろう。柔らかく吹く風にゆれるその白い髪はまるで貴金属のような、しかし優しいきらめきを放っている

それはそれは、とても美しい。白い人虎

言葉を失いそれを眺めていた。微動だにせず、ただ呼吸によって胸が上下しているだけの彼女を見ている、それだけでたまらない至福のようにすら感じた

「何か用か?」

鈴のような声が響く。声をかけられたと気がつくのに数秒かかった

「え、あ、え、と…… 特に用事はない、よ」

「そうか」

それっきり、また黙り込む。一度言葉を交えたからか、先ほどよりも少しだけ、その人虎を近い存在に感じる

「この山に、住んでいるの?」

「そうだ」

「なら、聞きたいことがあるんだ」

「用事はないんじゃなかったのか」

すると、先ほどまでの霧のような雰囲気はどこへやら、急にただのヒトの気配になる。肩にとまっていた鳥も慌てて飛び去って行った

「ごめんなさい、すこし、ぼーっとしたまま受け答えしてて」

「ま、構わないがな。で、なんだ?」

彼女は足を乱雑に振るい、虎のような足の体毛についた水を払いながら、訝しむような目つきでこちらに問うてきた

「えーと、この山に、秘薬があると聞いて、探しにきたんだ」

ピクリと彼女の白い耳が跳ねた

「秘薬?なんだそれは」

「この山にあるらしい、とだけ。それが木なのか草なのか、果実なのか、はたまた鉱物なのか水なのか、それすらわからないけどね」

「ふむ……私も、わからんな」

長い沈黙ののちの答えは、少なからずの落胆を覚えさせた

「こんな川辺で立ち話もなんだな。詳しく話を聞こう、少しついて来い」

「へ?」

「そばに小屋がある。茶くらいならだそう」
13/09/26 08:24更新 / アルネトリコ
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