連載小説
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前編
男は草原に立ち、剣を振るっていた。黙々とただ反復的に。周りには月光のわずかな光に照らされた草木しかない。
「ふぅ、今日はここまでにしておくか」
男の名前はアルト。ここフリード王国に所属するひとりの兵士だ。彼は毎夜、王都近郊のこの草原で日々鍛錬をしている。それは彼がこの国の兵士になってから毎日欠かしていない日課だった。
「アルトー!」
アルトが剣を収め大きな切り株に腰かけて汗を拭っていると、どこからか誰かが彼を呼んだ。
「ああ……閣下どうも」
アルトはあたりを見回すと見覚えのある女性がそこに立っていた。月明りの微かな光の中でも見間違えるはずがない。黄金の髪にエメラルドの瞳。一見、貴族向けに作られた愛玩人形のように見えるほどの美貌である。
「閣下はよせ、今日もはりきってるねアルト。鍛錬はもう終わってしまったのかい?」
彼に親しそうに話しかけている女性の名前はリーズ・フリードハイム。フリード王国ただ一人の勇者であり一軍を指揮する将でもある。
「いいえ、少しばかり休憩をとっていたところです」
アルトは嘘をついた。実際のところは疲労で体は萎え、剣を持つのも億劫だ。だが彼女の言いたいことを察しアルトは嘘をつけなかった。
「それはよかった。では休憩の後、一つ稽古をつけて進ぜよう」
リーズは長い金髪をかき上げて嬉しそうに笑った。太陽のように美しい彼女の微笑につられてアルトも笑う。
「疲労のほどはよろしいのですか? 先日まで続いていたランドベル会戦で先陣を切って魔物を相手取っていたというのに」
「ハハハ、そんなものはたいしたことではないさ。僕たちの友情よりも大切なものはないのだからね」
「……大変ありがたきお言葉です閣下」
「かしこまらなくてもいい僕とアルトの仲じゃないか。それと、ほら呼び方」
「わかりました。リーズ様」
「うーん……まぁそれでいい」
一介の兵士に過ぎないアルトと勇者リーズ、本来ならば身分としても実力としても釣り合わない二人がなぜこうして親しく話せているのか。それには実に複雑な事情がある。彼らが最初に出会ったのは今から10年前、彼らが5歳の時だ。彼らはフリードハイムという教会運営の孤児院にいた。歳も近くまたなぜか気のあった二人はすぐに仲良くなり、主に彼女が彼を無理やりつき合わせる形で常に行動を共にした。リーズある所にアルトあり、そうシスターや周りの子供たちに言われるほどに悪戯と冒険の毎日を繰り広げ、彼らの保護者たるシスターたちの頭痛と二人の不朽の友情を育んだ。このときの思い出は二人にとってかけがいのない楽しい日々であった。
だがその日々は永遠には続かなかった。ある日、孤児院に視察に来た司教の目の前でリーズが主神より勇者に選定されてしまったのだ。それ以降、二人は離ればなれとなった。かたや勇者としての修行の日々、かたや孤児院を出たものの、働き口に困った末の軍隊への入隊。それぞれがそれぞれの道へと別れてしまった。もう二度とは出会うことはないだろうとお互いが思っていた頃、転機が訪れた。それは今より1年前、アルトが初めて兵士として戦に駆り出された時だ。彼は前線にいた。激しい魔物の猛攻の前になすすべなく捉えられていく仲間たち。アルトもまた魔物に手に落ちてしまいそうになったその時、リーズが援軍を引き連れ助けに来た。戦略上の観点から前線の維持のため彼女はやってきたのだった。そして少年と少女は奇跡的な再会をはたした。
お互いがお互いに気づき、リーズがその夜に彼のもとへ訪ねて来てから今日まで二人の関係は続いている。
「さぁもう十分休んだだろう。今日もみっちりしごいてやるからな」
リーズは手をたたきアルトを急かす。肉体は既に悲鳴を上げているがアルトは立ち上がった。
孤児院にいたころから変わらない、率先して自分を引っ張ろうとする彼女をアルトは嬉しく思った。
「……お手柔らかにお願いします」
アルトは微笑み剣を構える。
「よし、いくぞ!」
2人は笑いながら剣を交えた。失った互いの時間を取り戻すように。彼らの夜はこれからが本番だ。



「この館の主人を誰と心得る! 立ち去れ!」
あくる日、アルトは王都にある場所にいた。堅牢な鉄の扉の前で彼は壮年の男に怒鳴られている。
「で、ですからこのお屋敷の主人にここに来るようにと……」
現在進行形でアルトは困っていた。アルトはリーズに呼ばれ彼女の家に訪ねてこいと言われたのだ。昨日の夜の特訓から、コテンパンにされ筋肉痛である体に喝をいれ、言われた場所に来てみれば予想以上に大きい屋敷があり、彼女の家の門番らしき人間がいたので中に入りたいと聞いたところ現在に至る。
「嘘をつくな。貴様のような身なりの人間を通すわけにはいかん」
門番の言うことももっともである。アルトの服装はつなぎとポロシャツ姿であったのだ。アルトにとってはこの服が一張羅であったが流石に一軍の将にして貴族の位を持つ人間に会う格好としては不適当すぎる。このような怪しい素性のものがいくら面会の約束があったとしても易々と通しては門番失格である。
「す、すいません。わかりました」
アルトはしょうがなく屋敷に背を向けた。
(今度は訪ねる時の格好も彼女に伝えよう。今度があればだが)
頭ではわかっていたが改めてアルトはリーズとの身分の違いを再認識してしまった。彼女と自分はもはや違う人間であるのだと。親友との約束を反故にしてしまった罪悪感と親友への言い表せない気持ちがアルトに重くのしかかる。帰路につく彼の背中は力なくうなだれていた。

「おーいアルト!」
アルトが下を向いて歩いていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返るとそこにはきらびやかなドレス姿のリーズがいた。彼女はアルトのもとに駆け寄ると彼の手を両手で掴んだ。
「す、すまないアルト……屋敷の者が迷惑をかけた……!」
「いえ、おきになさらずに。このような格好で来てしまった私に非があります」
「そんなことはない……僕が君を呼んだのだから」
哀しみからか落ち着いているアルトとは対照的にリーズは普段の快活かつ爽やかな様相をくずしている。その表情がアルトの罪悪感をさらに重くさせる。
「とにかくだ! 僕の屋敷にもう一度きてくれないか?」
不安そうにリーズはアルトに問いかける。アルトは握られた彼女の手が震えているのを感じた。
「では、申し訳ありませんがお邪魔させていただきます」
「よかった。さあ行こう」
リーズは一安心といった風に胸を撫でおろすと、アルトの腕を掴み屋敷まで引っ張っていった。いつも通りの強引な彼女なのだが、アルトはなぜか不安感を覚えた。どこか焦っている彼女らしからぬとり乱し方に。その不安が決して勘違いではなかったことをこの時のアルトはまだ知らない。

「美味しいですね。この飲み物」
「これは紅茶と言ってね」
リーズの寝室で椅子に腰かけ、二人は紅茶を飲みながらとりとめもない会話を続けていた。お目付け役のシスターが今も健在であること、孤児院の友人たちの近況など、色々なことをアルトはリーズに話した。
若き日の思い出を振り返る二人はまるで自分たちがあの幼かった時代に戻ったかのような錯覚をおぼえていた。
「なぁアルト……」
しばらく話しを続けていると、彼女は改まって神妙な面持ちになった。彼を自分の家に呼んだ本当の理由を伝えるために。緊張からか少しだけ体が汗ばむのをリーズは感じる。
「はい」
雰囲気の変わった彼女に彼も何かを察したのか、アルトは背筋を伸ばす。それぞれの緊張が形となったかのように2人の間に一瞬沈黙が流れる。
「君には僕の隣にいてもらいたいのだ」
「は……?」
間髪入れずアルトは素っ頓狂な声を上げた。
「あ、いえそれはどういった意味でありましょうか」
いったい彼女はなにを言っているのであろうか。アルトはどうにか混乱する自分の脳内を整理し発言の意味を問いただす。
「察しが悪いな。僕と結婚してくれと言っているんだ」
帰ってきた答えはとてもシンプルなものであった。ロマンチックとは程遠い無骨な答えにアルトは自分をからかう冗談かなにかなのかとそれを訝しんだが、彼を見据える彼女の眼には嘘偽りのない愚直な熱意が宿っていることに気づく。それはこの告白が冗談ではないことをアルト自身に理解させるには十分であった。
「えぇ……」
「嫌……か? 僕のこと好きじゃないのか?」
再び混沌へと叩き落され困惑するアルトに対し、リーズは不安そうな表情を見せる。彼女の思考もまたアルトと同様に平静ではなかった。自らの気持ちをついに吐露してしまった照れ臭さや、またなかなか帰ってこない告白への返答に様々な感情が巡る。渦巻く感情と比例するように己の血流が加速するのが二人にはわかった。
「い、嫌じゃないけど……」
「そうか!」
アルト自身、リーズのことは嫌いではないし幼い時から恋慕に近しい気持ちもあった。ただそれ以上に彼にとって彼女は尊敬すべき人間であり、忘れ難き友情を育んだ無二の親友であったのだ。
そのうえ自分たちはいまだ成人もしていない年頃であり、そういった要素すべてが恋愛のその先である結婚という状況を飲み込ませるのに邪魔していた。
「で、でもさ……色々あるじゃないか僕たちの間には」
歯切れ悪くアルトは言葉を選び、なんとかまとめた自分の考えを述べていく。混乱しているためか自分の口調が昔のものへと戻っていることに彼はは気づいていない。
「関係ない君の気持ち次第だ!」
煮え切らない彼に対し業を煮やしたリーズは勢いよく椅子から立ち上がった。まるで獲物を狙う肉食獣のように息を荒くし彼との間合いを徐々に詰めていく。
「……少しだけ考えさせてくれないか色々頭が混乱している」
じりじりと逃げ場をなくすように迫るリーズ。その気迫に押されてアルトはベッドへと追いやられる。
「駄目だ、いま答えてくれ」
もはやどこにも逃げる場所などはなかった。彼に残されていた選択は二つにひとつである。このまま押し倒されるまで沈黙するか、自分の彼女への想いを伝えるかだ。
「……」
悩みに悩みぬいたすえ、とうとうアルトは観念したように彼女の望む答えを口にした。
「どうぞよろしくお願いしま……ンっ」
アルトが言い切る前に彼の唇を彼女の唇が勢いよく塞ぐ。その勢いのままベッドに押し倒される。それはとても長い接吻であった。もがく彼のことなど全く意に介さずその行為は続いた。
「そう言ってくれるって信じてたよ」
「お、お前いきなりなにすんだ……」
しばらく後、二人は唇を離した。酸欠と羞恥心から顔を背ける彼と対照的にそれを愛おしそう見下ろす彼女。力の差は歴然であったが女性に組み敷かれてしまったという事実はアルトの精神を酷く辱めた。
「フフ……いいじゃないか、好き合っているのだからこれくらい」
そう言ってリーズはアルトの首筋を指でなでる。こそばゆい感覚に彼は微かに喘ぎ声が漏らした。
「ッ……今日はもう帰らせてもらうぞ!」
「そうだね、色々な手続きは後日にしよう。また明日ここに来てくれ」
乱れた服を整え二人はベッドから立ち上がった。いっこうに収まらない赤面した顔を手で隠しアルトは彼女の部屋を後にした。



「……」
リーズは寝室の窓から屋敷から帰るアルトの後姿を眺めている。
「ああ、アルトやっと僕のものになるんだね。もう離さないよ。鎖に繋いでしまいたい」
彼女は窓を介し徐々に小さくなるその姿を視姦し自慰にふけっていた。その瞳はまるで汚れた川のように暗く濁ってる。
「ずっとずっと一緒にいようね。あの頃みたいにまた過ごせるなんて夢みたいだ」
秘所からは夥しい愛液が垂れ流され、カーペットを汚す。アルトと対面していた時からは想像もできない程に彼女は醜い劣情を溢れさせていた。
「それを邪魔するものは許さない……誰だろうと」
「狂ってるわね、あなた」
日が傾き茜色に染まる室内に突如として影が現れる。鮮やかな光さえも飲み込むほど黒く。影はリーズのそばに歩み寄る。
「準備はもうできてるかい?」
リーズは影に尋ねる。影は揺らめきながら愉快そうに笑う。
「ええ、おかげさまでね。しかし勇者ともあろうものが私達と手を組むなんてね」
「約束は忘れてないよね?」
「もちろん」
「そっか、じゃあ明日はお願いね」
その一言を聞くと影は頷きたちどころに消え去った。残された少女はただ窓の外を見る。彼女の頭の中には少年との華々しい毎日だけが夢想されていた。
「アルト……死ぬまで一緒だよ、死んでも一緒だけどね」
18/05/13 18:52更新 / 単3
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