連載小説
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リリムと二つの幸福(後編)
目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。
天国とは程遠い自分の部屋。
現実の世界に存在する質素な自分の部屋。
「生きてる…?」
なぜ、自分は生きているのだろう?
昨夜、搾死させられたのではないのか。
不思議に思いながら、体を起こす。
その時、左手が妙なものに触れた。
「?」
それにはぬくもりがあって柔らかく、弾力がある。
「ん…」
続いて聞こえたのは女の声。
しかも聞き覚えのある声だ。
ハンスが恐る恐る声の方を見ると、自分とぴったり寄り添うようにミリアが寝ていた。
「うわっ!」
ハンスはほとんど転がり落ちるように、ベッドから出た。
派手な音がしたからか、ミリアの目がうっすらと開き、こちらを見た。
「ああ、おはよう。よく眠れた?」
「へ?あ、ああ…」
眠れたかと問われ、ハンスは間抜けな声で返事を返す。
だが、覚めてきた頭がそんなのん気な話をしてる場合ではないと指令を出していた。
「じゃなくて!なんで一緒に寝てるんだよ!」
…まだ完全には覚めていないらしい。
なぜ自分が生きているのか問おうとしたのに、口から出てきたのはそんな言葉だった。
ミリアは上半身だけを起こすと、優しい笑顔でこちらを見る。
「…とりあえず、ズボンはいたら?」
「あ?うわあ!」
言われて気がついた。
今の自分は下半身丸出しのあられもない姿だった。
慌てて床に落ちていたズボンを拾い、身につける。
そんな様子をミリアは楽しそうに眺めていた。
「さっきのあなたの問いだけどね。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃったのよ。家に帰ってもよかったのだけど、せっかくだからお泊りしていこうと思ってね」
それで、一緒に寝ていたということか。
「で、どうだった?童貞だったんだから、添い寝をしてもらったこともないでしょ?初めての添い寝の感想は?」
そんなことを言われても、気を失っていたハンスに感想など言えるはずもない。
「知るか!それより、なんで殺してくれなかったんだ!お前なら簡単に出来たはずなのに、なんで!!」
「あなたがなぜ死を求めるのか、興味あったからよ」
さっきまでの優しい表情を消し、真剣な顔でミリアが見つめてくる。
その言葉に、ハンスは感情を爆発させた。
「そんなの決まってる!俺には親もいない!仕事もない!財産だってない!もう生きていく意味も方法も、俺にはないんだよ!」
「だから、死ぬと?」
「そうだ!」
鼻息荒くミリアを睨みつけると、冷めた目を返された。
「臆病者ね」
「なに!?」
馬鹿にされた気がして、ミリアを再び睨もうとした。
しかし、ベッドの上に彼女の姿はなく、いつの間にか目の前にいた。
それも一歩踏み出せば体がぶつかるような距離に。
それぐらい近くにいるというのに、ミリアは顔を近づけてくる。
まるでキスをするように。
「あなたは認めたくない現実から逃げたいだけ。臆病者ではないというなら、一体なんだというの?」
赤い瞳がすぐ近くから、ハンスを射抜いてくる。
まるで全てを見透かすかのようなその瞳に、ハンスは気圧され、後ずさる。
「だ、黙れ!」
そんなことを言いながらも、体は後退し、壁にぶつかる。
「お前になにがわかる!なにも知らないくせに、知ったようなこと言うな!」
「そうね、確かに私はあなたのことを知らない。けど、知りたいとも思わないわ。でもね」
ミリアはしゃべりながら、距離を詰めてくる。
バサリという音がして、その背に天使の如き黒い翼が現れる。まるでこれから罪人に罰を与えるように。
それに体がびくりと反応し、ハンスは反射的に逃げようとする。
しかし、石像にでもなったかのように足が動かなかった。
そんなハンスの前に立ち、ミリアは言葉を続けた。
「あなたより不幸な人がたくさんいるということくらいは私にもわかる」
ミリアはそっとハンスの胸に右手を当てた。
「誰にでも目を背けたくなるような現実があるの。それでもみんな生きている。人も魔物も、ね。だから、生きようとする意志を放棄しないで」
淡々と語るミリアの言葉には思いやりがあった。
それがわかったからこそ、ハンスの怒りは静まり、別の感情が込み上げてくる。
それは悔しさだった。
ただ、なぜ悔しいのかがわからない。
「…俺にどうしろって言うんだよ…?」
今まで立っていられたのは怒りのおかげだったようで、ハンスはその場に崩れ落ちる。
「なにをしたいのか、それを見つけるのはあなたよ。これは一度しかない、あなただけの人生なのだから」
ミリアは後ろに下がると、踵を返した。
「ミリア…?」
「夜にまた会いに来るわ。その時に聞かせて。あなたがどうしたいのか」
「けど、俺は―」
「生まれた意味を考えてみるといいわ」
言いかけた言葉はミリアに遮られる。
そして少しの間を空けて、ミリアは言葉を続けた。
「それでもあなたが死を望むのなら、…その時は与えましょう」
言葉と同時に、ミリアのすぐ傍の空間が歪んでいく。
そして彼女は姿を消した。


ベッドに横になり、天井と睨み合いながら、ハンスはずっと考えていた。
なぜ、あの時悔しいと感じたのだろう。
人生がうまくいかなったからだろうか?
なんとなく、そんな気がしないでもない。
だが、ミリアが言った言葉は本当に理解できない。
「生まれた意味…」
まるで哲学者のような問い。
そんなもの、わかるわけがない。
どちらも答えが見つからない。
うまい答えが見つからず悩んでいると、商売を始めた頃に戻った気分だ。
仕入れ先や売る相手、値段、利益…、朝からそんなことを考え、気がつけばすっかり日暮れになっていた日々。
昔を思い出していたハンスがふと窓の外へ目をやると、景色は沈みゆく太陽の光で赤く染まっていた。
じき夜になる。
そうなれば、ミリアが答えを聞きにやってくるだろう。
ベッドから体を起こし、窓際でぼんやりと景色を眺める。
「悔しさ、生まれた意味…」
口にしてみたところで、やはりわからない。
それどころか、生まれた意味を理解している人なんていないだろう。
これでは答えがないにも等しい問いかけだ。
それこそ一生をかけて見つかるかどうか―
「え?」
なにかが引っ掛かった。
生まれた意味、一生、生きようとする意志。
断片的だった言葉が一つになり、一つの答えに辿り着く。
「そうか、そういうことか…」
それはあまりにも簡単な答え。
だが、これ以外には考えられない。
ハンスは自嘲の笑みを浮かべながら、夜を待つことにした。



雲一つない夜空では満月が輝いていた。
時刻はすっかり夜だ。
ハンスは椅子に座り、彼女が訪れるのを待っていた。
それまでの間に、もう一つの疑問であるなぜ悔しさを感じたのかをぼんやりと考えてみる。
真っ先に思いつくのは、人生がうまくいかなかったから。
理由としてはこれが適当だと思うのだが、どうにもしっくりこない。
そもそも、仮にうまくいったとして、その先にあるのはなんだ?
そんなことを考えた時だった。
すぐ傍のろうそくの灯りが、風もないのに揺れた。
それに気づき、俯いていた顔を上げると、窓際にはミリアがいて無表情でこちらを見ていた。
その佇まいは、慈悲深き天使のようでもあり、無慈悲な悪魔のようでもあった。
「答えを聞きに来たわ。生まれた意味を考えてみた?」
「ああ」
少しの間を空けて、ハンスは答える。
「その問いに先に答えるとな、生まれた意味なんてわからない、だ」
ハンスがそう答えると、ミリアは首をかしげる。
「わからない?」
「ああ、そうだ」
本当に踊らされたと思う。
何を生まれた意味とするかは人よって違う。つまり、人の数だけ存在することになる。そして、それは本人しかわからないことだ。
ミリアは問いかけることはでできても、他人の生まれた意味を知り得ない。
つまり、言った本人でさえ、その問いの答えはわからないのだ。
こんな馬鹿げたことを言ってきた理由はつまり。
「お前がこんなことを言ってきたのは、別の目的があったからだろう?」
生まれた意味を考えろ。それがわからないなら、探すしかない。
生きて。
「お前は、俺に生きてほしかった。だから、こんな無意味な問いかけをしたんだろ?」
ハンスがまっすぐにミリアを見つめると、ミリアは瞳を閉じた。
そして、すぐに目を開く。
それに合わせて、無表情だった顔が氷解し、穏やかな笑顔が現れた。
そんな笑顔に、ハンスは思わず息を飲む。
「ええ、その通りよ」
「なぜだ?俺は、お前にとっては食事でしかなかったはずだ。なのに、なぜ俺を生かそうとするんだ?」
しかし、ハンスの問いにミリアは答えず、ベッドまで移動すると腰を下ろした。
「人と魔物が互いに求め、愛し合う。そんな愛に溢れた世界にすることが私の、私達姉妹の果たすべき責務。でも、女しかいない私達は、愛すべき男が人にしか存在しない。あなたみたいな男でも、望む人はいるのよ。だから、私はあなたに生きてほしいの」
どこか悲しそうな顔で、ミリアはそう語った。
「…もう、死にたいとは思っていない。生きたいと思う。ただ、俺自身、なにがしたいのかわからない」
例え魔物であっても、誰かに生きてほしいと言われたら、死ぬ気が失せてしまった。
自分の覚悟など所詮その程度なのだと、内心笑ってしまう。
ハンスがそう呟くと、ミリアは立ち上がり、こちらを見た。
「何か見つけたの?」
「え?」
問われた意味がわからない。
「今さらこんなこと言うのもおかしいけどね、生まれた意味なんてわからなくても生きていけるわ。仕事が終わった後の一杯、子供の成長、そんなささやかな楽しみとちょっとした幸福があれば、人も魔物も生きていけるのよ」
ミリアはそう語りながら、こちらを見つめた。
「あなたは生きたいと言った。だから、何か生きる目的を見つけたのではないの?」
その言葉はほとんど耳に入っていなかった。
ささやかな楽しみとちょっとした幸福。
ああ、そうだったのか。
あの時感じた悔しさ。
それは自分が、そのどちらかさえも持っていなかったからだったのだ。
仕事はうまくいかず、楽しいことはなかった。
幸福などありはしなかった。
誰もが少し努力するだけで手に入れらる楽しみや幸福を、自分は手に入れることができなかった。
だから悔しかったのだ。
疑問が全て解消し、心が穏やかになっていく。
それを心地よく思いながら、ハンスは目を開け、ミリアを見た。
「ああ、見つけた。ようやく見つけた。お前のおかげで」
そう言って、言葉を続ける。
「幸せになりたい。それが、俺の生きる目的だ」
「幸せに?」
理解できなかったのか、ミリアが不思議そうに訊き返してくる。
「ああ。ただ、贅沢なんてできなくていい。普通に仕事をして、誰かと結婚して、今日も一日疲れたなって笑い合う。それが俺の幸せだ。そんな生活を送れるようになりたい」
それはごく普通の一般的な生活。
仕事に就くことと、結婚することは二つの幸福だが、それくらいなら、自分でも努力すればなんとか手に入れることができるだろう。
今日からそれを目的に生きていくのだ。
「ふふ、私もいずれはそうなりたいものだわ」
ミリアは笑顔で同意してくれた。
「ありがとう。お前のおかげで、目が覚めた気分だ」
「そう。じゃあ、生きる目的を手に入れたあなたに、一つの道を作ってあげる」
ミリアは微笑むと、立ちあがって右手を虚空にかざすと、空間が歪み、まるで渦のようにねじれた。
「あなたが望むのなら、連れていってあげる。世界の向こう側にね」
「世界の向こう側?」
「私達の世界、魔界よ。あっちはいつでも人手不足でね、働き手は歓迎されるわ。男ならなおさらね。ただ、強制はしないわ。こっちの世界にも働く場所はいくらでもあるしね。だから私はあなたの選択肢を一つ増やしてあげるだけ」
「…俺にできるような仕事があるのか?」
仕事があるのは嬉しいが、少し不安になったハンスはそう質問する。
仮に連れていってもらったところで、何もできませんでしたでは話にならないからだ。
「もちろん」
ミリアは二コリと微笑む。
「…わかった、連れていってくれ」
「いい返事ね。じゃあ、連れていってあげる。私の手を握って」
そう言ってミリアは手を差し出してくる。
ハンスおずおずとその手を掴むと、しっかりと握り返された。
ミリアの白く細い指に包まれ、同時に感じる彼女の手のぬくもりにドキドキしてしまう。
「しっかり握っててね。魔界への転移は、初めてだと気分が悪くなるから」
そんな言葉とともにミリアに手を引かれ、ハンスは歪んだ空間へと踏み込む。
その直後、急に地面が消えた。
正確には消えたわけではないが、ハンスはそう感じた。
まるでいきなり空中に放り出されたとでも言えばいいのかもしれない。
続けて上下が入れ替わるような感覚がして、ハンスは思わず目をつぶり、ミリアの手をしっかりと握る。
「着いたわ」
そんな声がして、ハンスが目を開けると、そこは不思議な町だった。
人の世界とは全く違う形の建物があちこちにある。
夜なのか、辺りは暗く、あちこちの建物から様々な光が漏れ出ていた。
「ここが…」
一歩踏み出そうとした時、なぜか体が揺らいだ。
「!?」
しかし、ハンスの体は倒れる前にミリアによって支えられる。
「大丈夫?」
「どうなったんだ?」
「急な感覚の変化に体が対応できなかったのよ。一時的なものだから、すぐによくなるわ」
ミリアの言うように体調の悪化は一時的なもののようで、一分程度ですっかりよくなった。
「もう大丈夫だ」
「そう。じゃあ、こっちよ」
そう言ってミリアはすぐ近くの建物へと移動する。
そこにあったのは、人の世界にある建物とほぼ同じ形で、『狐の尻尾』という看板が掲げてあった。
周りが不思議な形の建物ばかりなので、かえって目立っているが、ハンスにとっては見慣れた形の建物なので、なぜか安心してしまう。
そんな建物の入口に二人が移動すると、扉は閉められており、「本日休業」のプレートが下げられていた。
「おい、休業になってるぞ?」
「大丈夫よ」
ミリアがドアノブの辺りに視線をやると、カチャリと開錠される音がした。
「さ、入りましょ」
「え、おい!」
勝手に鍵を開けて、ミリアは店内に入っていってしまう。
こんなことをしていいのだろうか?
そう思ったが、一人取り残されるのは不安だったのでハンスも入ってしまう。
店内は綺麗で、正面にカウンター、一定の距離を開けてテーブルと四つの椅子のセットが等間隔に配置されていた。どうやら酒場のようだ。
ハンスが無遠慮に店内を見回していると、奥から足音がして一人の妖狐が現れた。
「ちょっとお客さん!勝手に鍵開けて入ってきちゃ困りますよ…って、ミリアさんじゃないですか!」
困り顔だった妖狐は、ミリアを見ると破顔した。
「久しぶり、レナ」
「本当に久しぶりですね。最近来てくれないから、私の料理に飽きちゃったのかと思いましたよ〜」
「そんなことないわ。それよりレナ、少し話があるのだけどいいかしら?」
「ええ、もちろん。っと、それで、こちらの方は誰です?もしかしてミリアさんの旦那さんですか!?」
ようやくハンスの方を向いた妖狐はそんなことを言った。
「残念だけど違うわ。この子はハンス君といってね、親もいない上に、仕事もなければ食べる物もないかわいそうな子なの。だから拾ってきちゃった♪」
まるで捨て犬みたいな言い方だ。
ただ、ほとんどが事実なだけに反論できず、ハンスは黙り込む。
「拾ってきちゃったって、そんな犬じゃないんですから…」
妖狐も同じ感想だったらしく、苦笑を浮かべた。
「まあ、とりあえず座って下さい。今、飲み物をお持ちしますから。ミリアさんは何にします?」
「そうね、じゃあ果実酒をお願い。味は任せるわ」
「果実酒ですね。えっと、ハンスさんは何にします?大概のものならありますから、飲みたいものを言って下さい♪」
笑顔で尋ねられ、ハンスは少し戸惑いながらも、返事を返す。
「じ、じゃあ、ビールを…」
「ビールですね。じゃあ、しばらくお待ちください」
二人から注文をとると、妖狐は奥へと行ってしまった。
「おい、ここには一体なにしに来たんだ?」
「ここがあなたの新しい仕事先よ」
「ここが?」
「そう。あの子とは古い知り合いでね。前に会った時、店が忙しいって苦笑いしてたから、あなたを連れてきたの。あんな可愛い子と一緒に働けるんだから、あなたもまんざらではないでしょ?」
ミリアが楽しそうにそんなことを言ってくるが、正直ハンスは戸惑ってばかりで、ろくにあの妖狐のことを見ていない。
二人がそんな話をしていると、当の妖狐が戻ってきた。
「はい、どうぞ」
手際よく持ってきた飲み物をミリアとハンスの前に置くと、自分も椅子に座った。
「さて、全員揃ったことだし、改めて自己紹介しましょうか。じゃあ、レナ、先にしてあげて」
「はい。はじめまして、レナです。見ての通り、妖狐です。よろしくお願いしますね♪」
四本の尻尾をわさりと揺らしながら、レナはそう言ってぺこりと頭を下げる。
「あ、ハンスです。こちらこそよろしくお願いします」
ハンスも同じように頭を下げる。
改めてレナを見てみると、ミリアとはまた違った美しさを持っていた。
ミリアが美しさに特化してるなら、レナは美しさと可愛さを併せ持っているような感じだ。
「それでレナ、話なんだけど、彼を住み込みで雇ってもらえないかしら?」
「ハンスさんをですか?それは構いませんけど、本人は了承してるんですか?」
「どうなの?」
ミリアが顔を向けてきたので、ハンスは慌てて返事を返した。
「あ、働かせて下さい」
「だそうよ」
果実酒を一口飲むと、ミリアはレナに笑いかける。
「そうですか。じゃあ、いくつか質問させていただきますね」
レナはハンスへと向き直ると、姿勢を正す。
「まず、うちの店は忙しいです。かなり大変だと思いますけど、体力的に大丈夫ですか?」
「はい」
「じゃあ、次です。うちは酒場兼食事処です。店内は暴力禁止ですが、酒場としての面もあるので、当然酔ったお客さんを相手にすることもあります。そういったお客さんに冷静に対応できますか?」
冷静にと言われると自信はないが、それでもハンスは返事をする。
「…経験はありませんが、努力します」
「そうですか。じゃあ、質問はこんなところですかね。はい、採用です。明日から頑張って下さいね♪」
あっさり採用されてしまった。
こんなんでいいのだろうか?
首をかしげるハンスに、レナは思いついたように声をかけた。
「あ、なにか質問あります?」
「質問ですか…」
いきなり言われると思いつかない。
「なんでもいいですよ。仕事以外の質問でもかまいません」
「じゃ、じゃあ、ミリアとはどうやって知り合ったんですか?」
咄嗟に思いついたのが、そんな質問だった。
その問いに、ミリアは楽しそうにこちらを見る。
「ミリアさんとの出会いですか?私とミリアさんが出会ったのはもう何十年も前です。その時、私は用があって、人の世界に行っていたんです。そこを三人の勇者に襲われ、重傷を負わされてしまいましてね。動けない私に勇者が止めを刺そうとした時、ミリアさんが現れたんです」
懐かしそうにレナは語る。
「いきなりの出来事に驚く勇者達を見ながら、ミリアさんはこう言ったんです。『楽しそうなことしてるわね。私も混ぜてもらえる?』って。姿を現してそう言っただけで、勇者を三人とも魅了して戦闘不能にしちゃったんです!あの時のミリアさんは格好よかったな〜。思わず惚れそうになりましたもん」
「あったわね、そんなこと」
どこか幸せそうな顔で語るレナと、苦笑しながら酒を飲むミリア。
どうやら嘘ではないらしい。
「まあ、そういうわけで、それ以降ミリアさんはうちに遊びに来てくれるようになったんです」
レナは昔話をそう締めくくった。
「お前、実は結構すごい魔物なのか?」
「判断はお任せするわ」
ハンスの問いに軽く笑うと、ミリアは再び酒に口をつける。
「質問はまだあります?ないようだったら、私からもしたいんですけど」
「え、ああ、ないです。どうぞ」
ハンスが向き直ると、レナは少し恥ずかしそうな顔で質問してきた。
「あの、…好きな人とかっています?」
…好きな人?
いきなり予想外の質問をされ、ハンスはほとんど反射的に答えていた。
「いない、ですけど…」
ハンスが素直に答えると、レナは嬉しそうに笑い、尻尾がゆらゆらと揺れた。
「いないんですか?よかったぁ。あ、年上は受け付けないとかっていうこだわりはあります?」
またしても予想外の質問が飛んできた。
「いえ、そんなこだわりはないですけど…」
「本当ですか?ふふ、嬉しいなぁ♪」
満足そうに笑うレナだったが、急に真面目な顔になると僅かに頬を赤くしながらこんなことを訊いてきた。
「あの、訊くの少し恥ずかしいんですけど、ひょっとして童貞だったりします?」
「……」
さすがにこの問いにはハンスも困ってしまう。
結論からいえば、昨日ミリアに奪われたので童貞ではない。
ただ、それを口にするのは恥ずかしい。
そんなハンスの内情を察してくれたのか、ミリアが代弁した。
「残念だけど、ハンス君の童貞は私がもらっちゃったわ」
「ええー!じゃあ、もう十回くらいは軽くシちゃったってことですか…」
なぜかレナは残念そうに肩を落とした。それに合わせ、尻尾もしゅんとうなだれる。
そんな様子をミリアは楽しそうに見ながら、言葉を続けた。
「そんなにしてないわ。童貞をもらっただけ。だから一回だけね」
ミリアの言葉に、レナは顔を上げる。
「本当ですか?」
「ええ」
…まあ、確かに本当だ。
出した量は十回分くらいだったが。
二人の会話を聞いたハンスはそう思った。
「じゃあ、ほとんど新品じゃないですか!貰っちゃっていいんですか!?」
「ええ、ほとんど新品よ。それに私のものじゃないから、好きにしていいわ」
…新品。
犬の次は物扱いだ。
げんなりしながら、二人をやり取りを黙って聞く。
「なに、レナ、そんなに気に入ったの?」
「ええ。顔は悪くないし、体つきも問題なし。あっちの経験もほとんどない。こんな好条件の人を放っておくなんて、人の女性の考えは理解できません」
「やっぱり、仕事に就いてないのがいけないんじゃないかしら」
「それって養ってもらう気ですよね。そういう考えは好きじゃないな〜。逆に養ってあげるくらいの気持ちじゃないと」
なにやら女二人で話が盛り上がってきている。
「なあ、ミリア。話が見えなくなってきたんだが」
ハンスが女二人の会話に割って入ると、ミリアはこちらを見て楽しそうに笑った。
「よかったわね、ハンス君。仕事だけでなく、お嫁さんも手に入れられるみたいよ。いや、お婿にされると言ったほうが正しいかしら」
嫁?婿?
一体なんの話だ。
「ちょっと待ってくれ。嫁だの婿だの、どういうことだ?」
しかし、ミリアはハンスの質問を無視してレナに話しかける。
「何回だったかしら?」
「尻尾の数だけです。私の場合は四回ですね」
そんな会話が聞こえたと思ったら、ミリアがこちらを向いた。
「だそうよ」
「いや、さっぱりわからないんだが」
困惑するハンスを、ミリアは楽しそうに、レナは少し恥ずかしそうに見た。
「妖狐の古いきまりでね、男を自分の尻尾の数だけイかせたら、その人と結婚することができるの。逆にいえば、男は尻尾の数だけイかされてしまったら、その相手と結婚しなくてはいけないということね。レナは四本だから、あなたは四回イかされたら、レナと結婚することになるわ」
「ちょ、ちょっと待て!イかされたら結婚って、俺の意思は!?」
「あら、こんな美人でかわいい人と結婚できるのに、不服なの?それにあなたにその気がないなら、イかされないように耐えればいいだけの話よ。まあ、無理だと思うけどね」
ミリアはそう言って意地悪そうな笑みを浮かべる。
「あのミリアさん。そろそろ体が疼いてきたんで、彼を連れてってもいいですか?」
「あら、そうなの?じゃあ、邪魔者は消えるとしましょう。これから頑張ってね、レナ。結婚おめでとう」
「はい、ありがとうございます♪」
既に二人の間では結婚が決まっているらしく、ミリアはそう言って立ちあがった。
「じゃあね、ハンス君。仕事頑張ってね。それと、お幸せに♪」
笑顔でそんな言葉を残すと、ミリアは店から出て行ってしまった。
「さあ、ハンスさん。私の部屋に行きましょう♪」
そう言ってレナに腕を掴まれた。
「いや、本当にするつもりなんですか!?冗談じゃなくて!?」
「もちろん♪」
およそ冗談を言っている顔ではなかった。
まちがいなく本気だ。
「いや、さすがに結婚は早すぎますよ!俺にも心の準備とか覚悟とか色々…」
「大丈夫です。ハンスさんは何もせずに、私に体を委ねてくれればいいだけですから♪」
レナはそう言って腕を引っ張り始めた。
もうダメだ。説得しても聞いてはもらえない。
「わ、わかりました!あなたの望み通りにしますから!だから、先になにか食べさせて下さい!朝からなにも食べてないんです!」
こうなったら、少しでも時間を稼いで覚悟を決めるしかない。
そう思ったハンスだが。
「そうなんですか?じゃあ、すぐに済ませないといけませんね。さあ、私の部屋に行きましょう♪」
「なんでそうなるんですか!!」
「あら、こんな時間に一人のために料理を作るなんて嫌ですよ。でも、それが愛する人なら話は別です。愛する人が望むなら、いくらでもお作りしますよ♪」
レナはそう言って少し照れたような笑顔を見せた。
ハンスは不覚にもその笑顔に見惚れてしまう。
それと同時に覚悟もほとんど出来てしまった。
ああ、この人と結ばれるなら悪くないと。
ハンスが抵抗しなくなったからか、レナは嬉しそうにハンスを引っ張っていく。
「なんでこんなことに…」
誰にともなく呟いたその言葉は、レナの部屋の扉を閉める音にかき消されたのだった。




一ヶ月後。

あの後レナに当然のように犯された俺は、結婚に必要な回数を簡単にイかされてしまい(あんなの反則だ…)、レナのところに婿入りすることになった。
その日だけかと思ったのだが、ほとんど毎晩レナに襲われ、俺は三日でインキュバスの仲間入り。
後から聞いた話だが、魔界では魔力が満ちているので、遅かれ早かれインキュバスになったとのことだった。
肝心の仕事については当初は不安だったが、レナが丁寧に教えてくれることに加え、ここに来る客がいい人ばかりなので俺でもなんとかやっていけている。
さすがに酒はまだ作れないが、簡単なつまみくらいなら最近ようやく作れるようになったというところ。
レナが言っていたように、この店を愛好する人は多いようで、テーブルが埋まらない日はほとんどない。
それだけ忙しいのだが、それでも俺は楽しかった。
人の世で商売をしていた時よりずっと。
今は仕事に就いていて、嫁もいる。
あの日、ミリアに出会えて本当によかったと思う。
カウンターでグラスを拭きながら、俺はそんなことを考えていた。
今日の客の入りは二割といったところで、この店にしては珍しく少ない。
まだ昼前だからということもあるだろうが、たまにはこういう日があってもいいだろう。
今いる客には全ての注文が届いているので、新しい客か注文が入るまで暇だ。
グラスを拭き終わり、次の仕事をしようとした時だった。
来客を知らせる鐘が小気味よい音で鳴り、扉を開けて一人の客が入ってきた。
「いらっしゃいま―」
全て言いきることができなかった。
なぜなら、新しく入ってきた客は彼女だったから。
初めて会ったあの時と同じように微笑みながら、彼女はまっすぐにカウンターに向かってくる。
そして俺のすぐ目の前の席に座った。
「白ワインをお願い。店員さん?」
両手で頬杖をつき、楽しそうに見上げてくる。
そんな彼女の様子に思わず見惚れてしまうが、すぐに我にかえった。
この人は自分にとって、仕事と嫁、二つの幸福を与えてくれた恩人だ。
それだけでなく、嫁のレナにとっても恩人。
つまり、自分達夫婦にとっての大恩人になる。
「すぐにお持ちします」
俺は笑顔でそう返事を返すと、厨房にいるレナに一番いい白ワインを用意するように頼んだのだった。
11/06/25 21:52更新 / エンプティ
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■作者メッセージ
おまけエピローグ

「そういえば、ミリアさん。一つ訊きたいことが」
「なにかしら?」
俺は目の前で白ワインを飲む彼女にそう声をかけていた。
「初めて会ったあの時、どうして童貞だって言ったら、…食べてくれたんですか?」
俺の問いに彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐにクスっと笑った。
「男にとって童貞卒業は一つの節目でしょ?それを貰えるなんて、女冥利に尽きると思わない?」
そういうものなのだろうか?
ただ、この人がいたからこそ今の自分がある。
「貴女に会えたから、今、俺はこうして幸せを手に入れることができました。全て、貴女のおかげです。本当にありがとうございました」
心からの礼とともに、深く頭を下げる。
「今、あなたは幸せなのね?」
「ええ」
顔を上げて彼女を見据える。
「それなら、私があなたに言うことは一つ。あなたに良き日々が多くありますように」
そう言って彼女が見せたのは優しい笑顔。
こんな笑顔を見られる自分はきっと幸せなのだろう。
俺は口元をほころばせながら、再び彼女に感謝の言葉を述べたのだった。




どうもエンプティです。
後編をお送りします。
しかし、書きあがった文を見て思ったのは、重い、説教臭い…。
生まれた意味なんたら〜の部分は、しょぼい頭を必死に使い、矛盾がないように書きあげたつもりですが、どこか変な部分があるかもしれません。
もしあったら、作者の頭はその程度の出来だということでご容赦を。
そんなわけで深く考えずに読むことをお勧めします。(ここを読んでいる時点で今更ですが…)
次回からはもっと気楽に読める内容にしよう。うん。
それではまた、次回でお会いしましょう。

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