砂の肆
「はわわわわわわ……ま、斑田さぁ〜ん! どうしましょうっ!?
自分たち、もしかしてケンパイを助けるつもりがとんでもない間違いをやらかしちゃったんじゃ……」
「おおおおおおお落ち着きなよ魚住くんここここここは冷静になっててててててててて」
夜の鳥取砂丘。会社員の斑田ハンタロウとその後輩、魚住カゲトラは未知への恐怖に震えていた。
二人の眼前では、世にも恐ろしげで得体の知れない化け物が砂中から顔を出している。砂に隠れた部分は憶測する他ないが、全体的には恐らく円筒形で太さは杉の大木か中規模の地下水路ほど。
表面は土色をしていて岩のような質感、手足は見受けられず、頭部の左右には丸い深紅の眼が三つずつ。口は恐らく固く閉ざされていたが幾つもの鋭く大きな牙らしきものは確認できる。人間など一溜りもないだろう。
一体何故こんなことに?
そもそもの発端は、ハンタロウとカゲトラが必死で穴掘りをしていた時点まで遡る。
「キエエエエエエエッ!」
「ほあああああああっ!」
ハンタロウとカゲトラは尚も穴を掘り続ける。
何時間掘り続けたか、何メートル掘り進んだかなどそもそも気にも留めない。
目的はただ一つ。掛け替えのない存在であるケンスケを助けるため。
その一縷の望みに、彼らは全力をかける。
彼らの勢いは凄まじく、冗談や脚色を抜きに最早何物にも止められない……かと、思われたのだが
「うわあああああ!? な、なんだあああ!?」
「こ、この揺れは……地震っ!? 」
穴の中に居た二人の足元が小刻みに揺れ始める。このままでは穴が崩れて生き埋めになってしまう。幾ら砂とは言え、否、砂であればこそ生き埋めになれば一たまりもない。
「どうしましょう斑田さん! このままじゃ自分たち、生き埋めですよ!?」
「……こうなったらあれを使うしかないか……魚住くん、僕に掴まってて!」
「え? あ、はいっ!」
ハンタロウに言われるまま、カゲトラは何やら作業中の先輩に、無礼を承知でがっちり抱き着く。
するとハンタロウはどこからか取り出したベルトで後輩を自身の体に固定し、スマートフォンに何かを入力する。
「斑田さん、一体何を?」
「ああ、喋らない方がいいよ魚住くん。下手すると舌噛み切っちゃうからね。
……よし、そろそろだな。
行くよっ!」
ハンタロウが声を張り上げた直後、真下から圧縮されたガスが噴射されるような音がしたかと思うと、次の瞬間二人の体は上向きの運動エネルギーによって勢いよく上昇し、掘っていた穴の外の地面へ着地していた。二人が穴から脱出するのと同時に穴は跡形もなく崩れ去り、地面の揺れもピタリと止んでいた。
「ふう、間一髪だったね……万一の為にと持っておいた甲斐があったよ」
「……斑田さん、さっきのは一体?」
「ああ、『エア・アクセル』だよ。エアダスターって知ってるかい?」
「エアダスター……工場なんかで塵や埃を吹き飛ばすのに使う、水鉄砲の空気版みたいな工具ですか?」
「そうだね。厳密に言うと君が言うような、コンプレッサーに繋いで圧搾空気を使うタイプと、圧縮ガスをスプレー缶に詰めて販売してあるタイプを総称してエアダスターと呼ぶんだけど、
このエア・アクセルはそんなエアダスターの『空気を噴射する』構造でモノを動かせないかという発想から開発された代物でね。簡単に言うと空気の勢いで高くジャンプできたりするんだよ」
「なるほど」
「扱いが難しい反面パワーと利便性は確かなものでね、まあ登場から一年足らずで危険すぎるという理由から製造・販売が法的に禁止されてて、僕もあるツテで未使用の新品を手に入れることができたからとりあえず持つだけ持っておいたんだけど……思いがけないところで役に立ったね」
「だから何なんですかそのあるツテって。斑田さん、あんまり危ない橋渡らないで下さ……」
刹那、唐突にカゲトラの動きが止まった。それもまるで電源が切れた機械のように、である。
「ん? 何、どうしたの魚住くん?」
問いかけてみれば、カゲトラは消え入るようなかすれ声で、後ろを、とだけ呟いた。
言われるままハンタロウが振り向いてみれば、そこには件の恐るべき化け物が顔を出していた。
化け物は六つの目で二人を見据えているようで、威嚇なのか何なのか、幾つも生えた三角形の歯らしきものをがちがちと軽く打ち鳴らしては、地の底から響くような声で唸っていた。
そうして漸く、冒頭の場面となるわけである。
「斑田さぁん、なんなんですかあれぇ!?」
「ぼぼぼ、僕に訊かれても困るよぉ〜! 幾ら鳥取砂丘がだだっ広いからってあんなトレ○ーズみたいなのが居るなんて聞いてないってぇ〜!」
「それを言うならグラ○イズでしょっ! っていうか、もしかしてあれも魔物の一種なんじゃないですか!? 魔界銀武器はどこです!?」
「ごめ〜ん! 車の中に置いて来ちゃったぁ〜!」
「何やってるんですか全く!」
「だって……だって仕方ないじゃないかぁ! まさかこんなことになるなんて思っても見なかったし、警察に捕まったときなんて言われるかわからなくて怖かったんだもん!
それにあいつが魔物だなんて有り得ないよ! 魚住くんも読んだでしょ? 向こうの世界で魔王の代替わりがあって以後、全ての魔物は人間みたいな姿になって実質的に無害化したって! あれのどこに人間っぽさがあるのさ!」
「た、確かに……でも、全ての魔物が魔王交代によって女人化したわけじゃなく、中には例外もいるって話もありましたよね?」
「あいつがその例外だって? それこそ有り得ないよ! いいかい、君の言う例外っていうのは、原始的過ぎて人間型になれないスライムとか、
愛に生きた影響で雄の魔物が人間の男っぽい姿になった奴とか、そういう奴らを言うんだからね?」
「だとしたらあれは何なんです? まさかこちら側にあんなものが居たなんて言いませんよね?」
「……そう言われると何て言えばいいかわかんないけどとにかく逃げなきゃ! あいつが何者だとして今の僕らじゃ仲良く餌になるのが関のや――
「あ、あの、すみませんっ!」
ハンタロウとカゲトラの背後から響く、若い女の声。
混乱に思わず足を止めた二人は、恐る恐る後ろを振り返り声のした方へ視線を向ける。
そうして彼らが目の当たりにしたのは……
「まさか……」
「そんなっ……」
「「おっ、女ぁぁぁぁぁああああ!?」」
砂上に顔を出した化け物の口から身を乗り出す、全身ピンク色をした全裸の女人、もとい――最早説明するまでもないだろうが――サンドウォームのエリモスその魔物(ひと)の姿であった。
夜間にもかかわらず砂上がなにやら騒がしいのを察知した彼女は、ケンスケが安眠できるよう彼を固定しつつ、静かに騒音のする方へ向かっていたのである。
「そ、そちらのお二方……少々お時間よろしいでしょうかっ……」
ケンスケを助けるまで人間とろくに話したことのなかったエリモスは、勇気を振り絞って二人との対話を試みるが……
「魚住くん、前言撤回するよ……あいつは魔物だ……」
「ええ、まあ見たところ例外っぽさはありませんけどね」
現実は非情であった。
何せ会話に不馴れなエリモスである。最初の一瞬こそ距離相応に大声を出せていたが、声を張り上げられたのはその一瞬だけ。緊張のせいで彼女の声はどんどん小さくなっていってしまった。ともすれば比較的離れた距離にいるハンタロウとカゲトラに聞こえなくても無理はないというものである。
「っていうか、僕が古本屋で買った図鑑にあんなの居なかったんだけど……まさか新種?」
「いえ、あれはサンドウォームという砂漠地帯によくいる魔物みたいですよ。あと斑田さんが買った魔物図鑑、今確認したらページが所々欠けてまして……」
「えっ」
「『本屋に新品がない、ネットの情報は信用ならない』って理由でわざわざ古本屋にまで行ったのが見事に裏目に出ましたね……」
「……なんか、ごめんね?」
「いえいえ。それよりケンパイを探さないと」
「あー……その件なんだけどね、魚住くん……この状況から判断するに僕思うんだけどさ――」
「む、無視されてしまいました、砂″ムシ″だけに……」
炎天下の砂丘に爽やかな冷風が吹くようなフレーズを口走りながら、エリモスは一人項垂れる。
(あのお二人こそは、ケンスケさんの言っていた斑田さんと魚住さんで間違いない……そしてお二人はケンスケさんを捜している……そこは確信できているのですが……。
はあ、駄目ですね私……緊張の余り声が小さくなってしまうなんて……救助した者としての責務を果たさねばならないというのに……)
もっと近付いて、はっきりと大声で言わなければ。
決意したエリモスは、未だ話し込むハンタロウとカゲトラの元へ近寄っていく。
すると――恐らく全くの偶然であろうが――向こう二人も彼女の側へ近寄ってくる。これを好機と見たエリモスは、男二人の顔も見ずに移動速度を上げていく。そしてお互いの声が届く間合いに差し掛かった所で事情を説眼しようとするのだが
「あの、先程はいきなりすみません。私はサンドウォームの――
「オウゴルァそこの殺人ミミズ女ァ!」
「お前っ、銀辺に何をしたぁぁあああ!?」
男二人からの返答第一声は、憤怒と憎悪に満ちた罵声と暴言であった。
尚ケンスケの呼称からお分かりかと思うが、エリモスを『殺人ミミズ女』呼ばわりしたのはカゲトラの方である。
「へっ!?」
一方のエリモス、当然乍ら混乱せずにいられない。
これは一体何事か。何故自分はこの二人から怒鳴られなければならないのか。彼女の心は既にこの時点でかなり傷付いていた。
「『へっ』じゃないんだよ『へっ』じゃさぁ! そんな返事が通るとでも思ってるの!?」
「へ、いやその」
「テメー何だオイ! 『へっ』て何だゴラ! 鼻で笑ってんのか!?」
「や、決してそういうわけではっ」
「こちとら人一人の命懸かってる事態なんだよふざけんじゃねぇぞ!」
「いえ、ですからっ」
「ですからじゃねぇァォゴラエエアアアッ!?」
「シャダベァァアアアエイッ!」
「あの、話を」
「うるせぇんだよ寄生虫がよぉ! ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねぇ見苦しいわ! 調子こいてっとてめー、火ぃつけた刀と背鰭で切り刻んでカップ麺にぶちこんで食わずに捨てっぞァバラッシャガアアェェエエエエイ!」
「……」
度重なる理不尽な暴言。身に覚えのない、決して犯す筈のない罪を問われ、事情を説明しようにも話を聞いて貰えない。
元来脆いエリモスの精神は、当然の如く限界を迎える。
「っ……んで……わかって、くれないのぉ……? ……なんで、おこられなきゃ、いけないの……?」
徐々に声が震えだし
「わたし゛、ひと゛なん゛て、こ゛ろし゛てない゛の゛に゛……」
震えが強まり、頬を涙が伝い
「た゛す゛け゛て゛っ……そ゛れ゛を゛っ……つ゛た゛え゛よ゛う゛と゛し゛た゛だ゛け゛な゛の゛に゛ぃ゛っ゛……!」
涙の量が増え、そして
「っ、ひっぐ、っっ、ぇぅぅ……ぅぇぁああああああああんっ! ぇぇぇえええぇぇぇぁぁぁあああんっ!」
とうとう声を上げて泣き出してしまうのだった。
自分たち、もしかしてケンパイを助けるつもりがとんでもない間違いをやらかしちゃったんじゃ……」
「おおおおおおお落ち着きなよ魚住くんここここここは冷静になっててててててててて」
夜の鳥取砂丘。会社員の斑田ハンタロウとその後輩、魚住カゲトラは未知への恐怖に震えていた。
二人の眼前では、世にも恐ろしげで得体の知れない化け物が砂中から顔を出している。砂に隠れた部分は憶測する他ないが、全体的には恐らく円筒形で太さは杉の大木か中規模の地下水路ほど。
表面は土色をしていて岩のような質感、手足は見受けられず、頭部の左右には丸い深紅の眼が三つずつ。口は恐らく固く閉ざされていたが幾つもの鋭く大きな牙らしきものは確認できる。人間など一溜りもないだろう。
一体何故こんなことに?
そもそもの発端は、ハンタロウとカゲトラが必死で穴掘りをしていた時点まで遡る。
「キエエエエエエエッ!」
「ほあああああああっ!」
ハンタロウとカゲトラは尚も穴を掘り続ける。
何時間掘り続けたか、何メートル掘り進んだかなどそもそも気にも留めない。
目的はただ一つ。掛け替えのない存在であるケンスケを助けるため。
その一縷の望みに、彼らは全力をかける。
彼らの勢いは凄まじく、冗談や脚色を抜きに最早何物にも止められない……かと、思われたのだが
「うわあああああ!? な、なんだあああ!?」
「こ、この揺れは……地震っ!? 」
穴の中に居た二人の足元が小刻みに揺れ始める。このままでは穴が崩れて生き埋めになってしまう。幾ら砂とは言え、否、砂であればこそ生き埋めになれば一たまりもない。
「どうしましょう斑田さん! このままじゃ自分たち、生き埋めですよ!?」
「……こうなったらあれを使うしかないか……魚住くん、僕に掴まってて!」
「え? あ、はいっ!」
ハンタロウに言われるまま、カゲトラは何やら作業中の先輩に、無礼を承知でがっちり抱き着く。
するとハンタロウはどこからか取り出したベルトで後輩を自身の体に固定し、スマートフォンに何かを入力する。
「斑田さん、一体何を?」
「ああ、喋らない方がいいよ魚住くん。下手すると舌噛み切っちゃうからね。
……よし、そろそろだな。
行くよっ!」
ハンタロウが声を張り上げた直後、真下から圧縮されたガスが噴射されるような音がしたかと思うと、次の瞬間二人の体は上向きの運動エネルギーによって勢いよく上昇し、掘っていた穴の外の地面へ着地していた。二人が穴から脱出するのと同時に穴は跡形もなく崩れ去り、地面の揺れもピタリと止んでいた。
「ふう、間一髪だったね……万一の為にと持っておいた甲斐があったよ」
「……斑田さん、さっきのは一体?」
「ああ、『エア・アクセル』だよ。エアダスターって知ってるかい?」
「エアダスター……工場なんかで塵や埃を吹き飛ばすのに使う、水鉄砲の空気版みたいな工具ですか?」
「そうだね。厳密に言うと君が言うような、コンプレッサーに繋いで圧搾空気を使うタイプと、圧縮ガスをスプレー缶に詰めて販売してあるタイプを総称してエアダスターと呼ぶんだけど、
このエア・アクセルはそんなエアダスターの『空気を噴射する』構造でモノを動かせないかという発想から開発された代物でね。簡単に言うと空気の勢いで高くジャンプできたりするんだよ」
「なるほど」
「扱いが難しい反面パワーと利便性は確かなものでね、まあ登場から一年足らずで危険すぎるという理由から製造・販売が法的に禁止されてて、僕もあるツテで未使用の新品を手に入れることができたからとりあえず持つだけ持っておいたんだけど……思いがけないところで役に立ったね」
「だから何なんですかそのあるツテって。斑田さん、あんまり危ない橋渡らないで下さ……」
刹那、唐突にカゲトラの動きが止まった。それもまるで電源が切れた機械のように、である。
「ん? 何、どうしたの魚住くん?」
問いかけてみれば、カゲトラは消え入るようなかすれ声で、後ろを、とだけ呟いた。
言われるままハンタロウが振り向いてみれば、そこには件の恐るべき化け物が顔を出していた。
化け物は六つの目で二人を見据えているようで、威嚇なのか何なのか、幾つも生えた三角形の歯らしきものをがちがちと軽く打ち鳴らしては、地の底から響くような声で唸っていた。
そうして漸く、冒頭の場面となるわけである。
「斑田さぁん、なんなんですかあれぇ!?」
「ぼぼぼ、僕に訊かれても困るよぉ〜! 幾ら鳥取砂丘がだだっ広いからってあんなトレ○ーズみたいなのが居るなんて聞いてないってぇ〜!」
「それを言うならグラ○イズでしょっ! っていうか、もしかしてあれも魔物の一種なんじゃないですか!? 魔界銀武器はどこです!?」
「ごめ〜ん! 車の中に置いて来ちゃったぁ〜!」
「何やってるんですか全く!」
「だって……だって仕方ないじゃないかぁ! まさかこんなことになるなんて思っても見なかったし、警察に捕まったときなんて言われるかわからなくて怖かったんだもん!
それにあいつが魔物だなんて有り得ないよ! 魚住くんも読んだでしょ? 向こうの世界で魔王の代替わりがあって以後、全ての魔物は人間みたいな姿になって実質的に無害化したって! あれのどこに人間っぽさがあるのさ!」
「た、確かに……でも、全ての魔物が魔王交代によって女人化したわけじゃなく、中には例外もいるって話もありましたよね?」
「あいつがその例外だって? それこそ有り得ないよ! いいかい、君の言う例外っていうのは、原始的過ぎて人間型になれないスライムとか、
愛に生きた影響で雄の魔物が人間の男っぽい姿になった奴とか、そういう奴らを言うんだからね?」
「だとしたらあれは何なんです? まさかこちら側にあんなものが居たなんて言いませんよね?」
「……そう言われると何て言えばいいかわかんないけどとにかく逃げなきゃ! あいつが何者だとして今の僕らじゃ仲良く餌になるのが関のや――
「あ、あの、すみませんっ!」
ハンタロウとカゲトラの背後から響く、若い女の声。
混乱に思わず足を止めた二人は、恐る恐る後ろを振り返り声のした方へ視線を向ける。
そうして彼らが目の当たりにしたのは……
「まさか……」
「そんなっ……」
「「おっ、女ぁぁぁぁぁああああ!?」」
砂上に顔を出した化け物の口から身を乗り出す、全身ピンク色をした全裸の女人、もとい――最早説明するまでもないだろうが――サンドウォームのエリモスその魔物(ひと)の姿であった。
夜間にもかかわらず砂上がなにやら騒がしいのを察知した彼女は、ケンスケが安眠できるよう彼を固定しつつ、静かに騒音のする方へ向かっていたのである。
「そ、そちらのお二方……少々お時間よろしいでしょうかっ……」
ケンスケを助けるまで人間とろくに話したことのなかったエリモスは、勇気を振り絞って二人との対話を試みるが……
「魚住くん、前言撤回するよ……あいつは魔物だ……」
「ええ、まあ見たところ例外っぽさはありませんけどね」
現実は非情であった。
何せ会話に不馴れなエリモスである。最初の一瞬こそ距離相応に大声を出せていたが、声を張り上げられたのはその一瞬だけ。緊張のせいで彼女の声はどんどん小さくなっていってしまった。ともすれば比較的離れた距離にいるハンタロウとカゲトラに聞こえなくても無理はないというものである。
「っていうか、僕が古本屋で買った図鑑にあんなの居なかったんだけど……まさか新種?」
「いえ、あれはサンドウォームという砂漠地帯によくいる魔物みたいですよ。あと斑田さんが買った魔物図鑑、今確認したらページが所々欠けてまして……」
「えっ」
「『本屋に新品がない、ネットの情報は信用ならない』って理由でわざわざ古本屋にまで行ったのが見事に裏目に出ましたね……」
「……なんか、ごめんね?」
「いえいえ。それよりケンパイを探さないと」
「あー……その件なんだけどね、魚住くん……この状況から判断するに僕思うんだけどさ――」
「む、無視されてしまいました、砂″ムシ″だけに……」
炎天下の砂丘に爽やかな冷風が吹くようなフレーズを口走りながら、エリモスは一人項垂れる。
(あのお二人こそは、ケンスケさんの言っていた斑田さんと魚住さんで間違いない……そしてお二人はケンスケさんを捜している……そこは確信できているのですが……。
はあ、駄目ですね私……緊張の余り声が小さくなってしまうなんて……救助した者としての責務を果たさねばならないというのに……)
もっと近付いて、はっきりと大声で言わなければ。
決意したエリモスは、未だ話し込むハンタロウとカゲトラの元へ近寄っていく。
すると――恐らく全くの偶然であろうが――向こう二人も彼女の側へ近寄ってくる。これを好機と見たエリモスは、男二人の顔も見ずに移動速度を上げていく。そしてお互いの声が届く間合いに差し掛かった所で事情を説眼しようとするのだが
「あの、先程はいきなりすみません。私はサンドウォームの――
「オウゴルァそこの殺人ミミズ女ァ!」
「お前っ、銀辺に何をしたぁぁあああ!?」
男二人からの返答第一声は、憤怒と憎悪に満ちた罵声と暴言であった。
尚ケンスケの呼称からお分かりかと思うが、エリモスを『殺人ミミズ女』呼ばわりしたのはカゲトラの方である。
「へっ!?」
一方のエリモス、当然乍ら混乱せずにいられない。
これは一体何事か。何故自分はこの二人から怒鳴られなければならないのか。彼女の心は既にこの時点でかなり傷付いていた。
「『へっ』じゃないんだよ『へっ』じゃさぁ! そんな返事が通るとでも思ってるの!?」
「へ、いやその」
「テメー何だオイ! 『へっ』て何だゴラ! 鼻で笑ってんのか!?」
「や、決してそういうわけではっ」
「こちとら人一人の命懸かってる事態なんだよふざけんじゃねぇぞ!」
「いえ、ですからっ」
「ですからじゃねぇァォゴラエエアアアッ!?」
「シャダベァァアアアエイッ!」
「あの、話を」
「うるせぇんだよ寄生虫がよぉ! ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねぇ見苦しいわ! 調子こいてっとてめー、火ぃつけた刀と背鰭で切り刻んでカップ麺にぶちこんで食わずに捨てっぞァバラッシャガアアェェエエエエイ!」
「……」
度重なる理不尽な暴言。身に覚えのない、決して犯す筈のない罪を問われ、事情を説明しようにも話を聞いて貰えない。
元来脆いエリモスの精神は、当然の如く限界を迎える。
「っ……んで……わかって、くれないのぉ……? ……なんで、おこられなきゃ、いけないの……?」
徐々に声が震えだし
「わたし゛、ひと゛なん゛て、こ゛ろし゛てない゛の゛に゛……」
震えが強まり、頬を涙が伝い
「た゛す゛け゛て゛っ……そ゛れ゛を゛っ……つ゛た゛え゛よ゛う゛と゛し゛た゛だ゛け゛な゛の゛に゛ぃ゛っ゛……!」
涙の量が増え、そして
「っ、ひっぐ、っっ、ぇぅぅ……ぅぇぁああああああああんっ! ぇぇぇえええぇぇぇぁぁぁあああんっ!」
とうとう声を上げて泣き出してしまうのだった。
20/02/13 22:34更新 / 蠱毒成長中
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