連載小説
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ナハト攻防戦
「魔物に死を! 人類に栄光と誇りを!」
「「「おおおおおおお!!!」」」

「“魔神よ、我等朽ち果てた屍人に力と加護を!”」
「「「オオオオオオオ!!!」」」

教団と魔物、生きた人間と死んだ人間、聖なる力と魔の力、悪と正義……いや、最後の三つ目はどちらが正義でどちらが悪なのかは決めかねるが、兎に角、余程の事がない限り絶対に相入れぬ者同士がナハトにて激突しているのは事実だ。

教団側は分厚い甲冑を身に纏った騎士達が先頭に立って戦端を切り開き、その後ろから銃剣が備わったマスケット銃や数人掛かりで運用する大砲等の火器を有する歩兵達が先を行く騎士達を支援している。更にブーケを羽織った魔法使いが物理攻撃から身を守る防護魔法を唱え、先頭で戦う騎士と歩兵を守っている。
対する魔物側はキャサリンが唱えた呪文でアンデッド達の肉体を強化し、後はアンデッド族らしく銃や剣を前にしても死を恐れぬ特攻を敢行していく。極めてシンプルな手段ではあるが、アンデッド族の特性を考えれば、これ以上にない効果的な戦い方だとも言える。

数は若干教団側が少ないが、先陣を切って戦う騎士達はこれを力量でカバーしている。戦場という雰囲気に押し潰されたり浮足立ったりしていない所から見る限り、十分な訓練を受け、尚且つ戦場馴れしているようだ。また後方から支援している歩兵や魔法使いとの連携も上手く決まっており、騎士達の力は存分に発揮されている。
魔物達は連携だの協力だの効果的な戦い方を心得ていない上、頭脳の弱いアンデッド族だと数でゴリ押しという極めて素人的な戦法に頼らざるを得ない。実質上のナハトのアンデッド族の長であるキャサリンも仲間に戦いの指揮をしていない所を見るに、彼女の持つ高い頭脳はあくまでも魔術や魔法の研究の為であり、戦術や戦略の為ではないようだ。

戦術と戦略で有利に立ち回ろうとする教団と、数で勝り不死というアドバンテージを有するアンデッド。互いに異なる長所と短所を有する二つがぶつかり合い、戦いは互角の呈そうを見せる。

…………あれ、俺真剣に両者の戦いを見て、挙句には戦いの様子を観察しちゃってるけど――――ぶっちゃけ、これって逃げるチャンスじゃね?

キャサリンも突然襲って来た教団に気を取られているし、教団も目の敵にしている魔物娘しか見ていない。

うん、逃げるチャンス到来です。それも最大級のチャンスです。

何だよ、俺はこれから一体どうなるんだなんて深刻に悩む必要なんて何処にも無いんじゃねぇか! そうだと分かれば、あの壊れた門へ向かって一直線だ。幸いな事にキャサリンが仕込んだワープ魔法は教団の砲撃で吹っ飛んでしまったので、逃げるなら今しかない。

アンデッド達に気付かれぬよう、こっそりと教団が破壊した門に向かって進み始める。時々、周囲の様子を見るが、やはりどちらも戦いに夢中で俺の存在に気付いていないようだ。最も、魔物娘の方は戦いよりも、若い男達が大勢来た事に夢中になっているという表現が正しいが。

よし、さっさとこんな物騒な地からオサラバしちまおう。そして俺は漸く地獄から解放される――――と思った矢先、足元に銃弾が飛んで来た。
流れ弾かと思って視線を周りに巡らすと、一人の若い歩兵が眉間に皺を寄せながら手にしたマスケット銃の銃口をこちらに向けているではないか。どうやら流れ弾ではなく、意図的に発射したものらしい。また相手と俺の距離は5m程しか離れていない。恐らく威嚇目的で足元に銃弾を撃ち込んだのだろう。

それに何だか、相手の目が妙に血走って、ギラついている。ハッキリと言ってしまえば、敵意を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。

「貴様! こんな所でコソコソと何をしている!」
「あ?」
「答えろ! こんな所で何をしている!」

うん、まぁ、コソコソしていたのは事実だ。戦いに巻き込まれるなんて絶対に嫌だし、それに今さっきまで魔物に追われた身だし。コソコソしてしまうのは仕方がないというものだ。
付け加えて、こんな魔物が蠢くゴーストタウンに居た事自体が“怪しい”という認識に拍車を掛けてしまっていた。そりゃ、そうだ。こんな場所でコソコソしている人間は怪しく見えちまうよな。

仕方がない。下手に逃げるよりかは、きちんと説明して――――

「貴様、さては魔物の仲間だな!? この裏切り者め!」
「はっ!? いやいや、人の話を聞けよ! 俺は……!」
「おい、こいつも敵だ! 撃て! 撃ち殺せ!」

―――説明するのはおろか、人の話も聞かずに向こうは俺を敵と判断。次の言葉を発する暇もなく、教団の歩兵達が俺に銃口を向けてきたので咄嗟に回れ右をして城下町へ逃げた。

畜生! 連中は疑わしい人間さえも討伐の対象にするのかよ! 魔物を滅する為には手段を選ばないとさえ言われた教団の悪評は昔から有名だったが、俺が雇われた頃よりも更に性質が悪くなっていねぇか!?

しかし、連中は背を向けた俺に容赦する気は無いらしく、銃の引き金に指を掛ける。周りに銃弾の弾避けになりそうな遮蔽物は一切無い。災難からの脱出になるかという期待が一転して、只今絶体絶命のピンチである。

今度こそ俺も年貢の納め時かよ。しかも俺にトドメを刺す相手が人間なんて、ロクでもない人生だぜ。まぁ、最期の手前で豪華なベッドで眠れたのがせめてもの良い思い出だ。

そして俺に照準を合わせた歩兵達が一斉に引き金を引こうとした直前だった。突然、蒼白い稲妻が歩兵達の頭上に落ちたのだ。爆発のような轟音と激しい閃光が辺り一帯を支配し、余りの眩さに直視する事さえ叶わなかった。

「これは……!?」

まさかと思いバッと顔をキャサリンの方へ向ければ、案の定、彼女は何か呪文を唱えた素振りでこちらに手を翳していた。

あいつ、俺を助けやがったのか? 思いも寄らぬ救いの手に、俺は一瞬キャサリンに対して感謝という言葉を覚え掛けたが……。

「傷付けないで、それは私の大事な実験体なんだから」
「歪みねぇな! おい!」

そっちか! やっぱり俺の事をそっちの目で見ていたのか! もう二度とこいつに助けられても感謝という言葉は抱かないぞ、うん。

「おのれ! やはりあの男は魔物の仲間だったのか! そうと分かれば容赦はするな!」
「実験体なんて愛称で呼ばれる仲間が居るか!!」

対する教団も教団だ。今の俺とキャサリンの遣り取りを聞いていたにも拘らず、俺を完全に魔物の仲間と認識したようだ。お前等の耳と目は何の為に付いているんだ。飾りか、それとも節穴かと言ってやりたいぐらいだ。

だが、文句を言っている暇なんてない。戦いに巻き込まれれば脱出云々どころじゃなくなってしまう。両者の言い分に苛立つ気持ちを抑えながらも、戦場から逃れようと再び城下町へ走っていった。



魔物と敵対する教団の突然の襲撃。その襲撃に驚いたのはガルフだけでなく、リッチである私自身も驚いた。どうして彼等が此処に居るのかは分からないけど、大方、私達魔物がナハトに住み付いているって誰かに聞いたか、察知したんでしょうね。
教団の目的は只一つ、魔物の殲滅だ。それ以外の事に興味なんて無いと言っても過言ではない。事実、彼等はガルフを魔物の仲間と勘違いして撃ち殺そうとしている。そもそも反魔物派の中でも特に過激派に属する教団に道理や人道を期待するのが間違いだ。

私としてもガルフが仲間になってくれたら嬉しいんだけどね。でも、ガルフ本人がそれを認めてくれないからどうしようもない。そしてガルフを彼等如きに殺させる訳にはいかない。

「“雷(イカヅチ)よ、我に仇なす愚者に制裁を与えよ”」

呪文を唱えつつ手を敵に向けて翳した直後、ガルフに銃口を向けていた連中の頭上に蒼白い極太の雷が数本直撃する。普通、落雷を受ければ人間なんて忽ち即死するのがオチだが、今の落雷を受けた敵兵達は一人も死んでおらず、全員が目を回して気絶している。
この魔法、見た目は本物の雷と遜色もないぐらいに凄まじい轟音と閃光ではあるが、その中身はかなり手加減している。つまりは相手の命を脅かす事もないコケ脅しの一種だ。
しかし、死なないとは言え相手の体を麻痺させるぐらいの威力はある。即ち、敵を生け捕りにしたり、先に言ったように相手を怯ませる為のコケ脅しには打って付けだ。

そして落雷が収まった頃にガルフの方を見ると、彼は私に背を向けて城下町の方へ走って逃げていた。しかし、私はそれを見ても情けないとは思わなかった。寧ろ、無理もないとさえ思えた。私達に追われ、挙句の果てには同族からも命を狙われているのだ。味方が皆無のこの状況下では、逃げる以外に策は無い。

それでも彼が無事だったと分かるや、私は無意識にホッと胸を撫で下ろした。どうして多寡が人間一人にこんな気持ちになるのだろうかと暫くしてから気付いたが、程無くして自分に向けられる敵意に気付き、そちらへ振り返る。
そこには教団のリーダー格の騎士が立っており、金と銀の装飾があしらわれた贅沢な剣をこちらに突き付けていた。

「卑しい魔物め。既に滅んだ亡国とは言え、嘗て栄光に満ちたナハトの地に無断で住まうとは……我等人類の歴史を侮辱するにも等しい行為と知れ!」
「その栄光に満ちた地を見捨て、墓場代わりにしたのも貴方達人間よ。つまり、此処がアンデッド族の国になったのは貴方達人間の自業自得。理解出来て?」
「ほざけぇ!!」

自分達の国を自分で捨て、魔物が住み付くようになったから今更取り戻そうだなんて……人間って何て身勝手な生き物なのかしら。
心の中で溜息を吐き出しながら呆れていると、リーダーの騎士が剣を振り翳して私に襲い掛かって来る。あら、意外と良い太刀筋ね。剣先がぶれていないし、動きに無駄がない。的確に急所を狙おうとしてくる上に、本人にも隙は見られない。

流石は教団の攻撃部隊のリーダーというだけの事はある。でも、それだけじゃ勝てないわよ。

「はっ!」
「ぬぐ!?」

前に突き出した両手を×の字に重ね合わせ、掌に魔力を込めた後に一気に放出させると、強い衝撃波が掌から放出される。私が繰り出した魔力の衝撃波を正面からモロに受けた騎士は足を踏ん張ってはみせたが、流石に二本脚だけでは耐え切れなかったらしく思い切り吹き飛ばされてしまう。
魔力の使い道は魔法を唱えるだけとか限らない。こういった風に相手を弾き飛ばすという応用も可能なのだ。寧ろ、こっちの方が詠唱の手間も省けるので使い勝手は良い。

吹き飛ばされた騎士は泥だらけの大地の上に倒れ込み、少し苦しそうに体を震わせたが、すぐに起き上がろうと試みる。どうやら砲撃で掘り起こされた柔らかい地質のおかげで、地面に叩き付けられた衝撃を和らげてくれたようだ。

実に幸運だけど、その幸運もそこまでだ。私はホバー移動するかのように音も無くスーッと騎士に近付き、上半身を漸く起き上がらせた彼の前に右手の掌を突き出した。

「終わりよ」

このまま衝撃波を放って終わりという手もあったが、彼に事実上の敗北を理解させる為に、右手は相手に向けて翳したままだ。念の為にリッチにとって最大の武器でもある魔導書をもう片方の掌の上に浮かし、何時でも呪文を唱えられるようにしてある。

「く、おのれ……! このような卑怯な手を使うとは……!」
「卑怯? こんなのは常套手段の一つに過ぎないわ。そもそも戦いに卑怯もへったくれもないわ」
「ちぃ……!」
「さぁ、これ以上の戦いは無意味よ。今日の所は見逃してあげるから、大人しく兵を引きなさい。それとも、このまま私達の物になる?」

流石にこの状況では相手も先程までの減らず口は叩けないらしく、忌々しい目で私の方をジッと見詰めている。その瞳の奥底にあるのは私の事を……いや、魔物と言う存在そのものを許さないぞと言わんばかりの憎悪と墳怒が込められていた。
何をどうしたら、こんな風に魔物を恨めるのかが理解出来ない。最も、そんな風に彼等の怒りや恨みを必要以上に煽るのが、反魔物を強く訴える教団の遣り方だ。
そうして自分達にとって都合の良い兵士を作り上げては、次々と若い兵士を魔物の領地へ送り込んで、戦果を挙げれば自分達の地位や発言力を高め、逆に失敗したら権力を用いて揉み消す……最低最悪の組織だ。

だからだろうか、私は此処まで態々戦いに来た彼等に少なからず同情した。故に今回の騒動は見逃してやっても良いという甘い考えさえも抱いていた。

だが、その甘い考えで油断してしまっていた私は、背後から迫る敵の気配を察知するのに一瞬遅れてしまった。

背後から微弱な魔力を感じ取り、ハッとなって後ろへ振り返ると、丁度教団の魔法使い数人が一斉に私の頭上目掛けて何かを放り投げていた。それを目で追い掛けると、頭上にあったのはヒラヒラと舞う長い布切れだった。
あの布切れは何なのかと一秒か二秒程凝視していると、布切れを投げた魔法使い達は両手を組み合わせて呪文を唱え始めた。するとどうだ、ヒラヒラと宙を舞っていた布切れが、突然魂を持ったかのように独りでに動き出したではないか。そして全ての布切れは私を標的として定めたのか、一斉に襲い掛かって来る。

(速い……!)

獲物を捕まえる蛇にも似た速さで私に向かって来る布切れ達に底知れぬ危険を察し、咄嗟に防護魔法を唱えようとしたが、魔法で操られた布の方がそれをも上回った。詠唱中だった口を縛られ、次いで体と腕を、更には魔導書までもが布できつく縛られて強引に閉ざされてしまい、あっという間に立場が逆転してしまう。

正に一瞬の出来事だ。しかも、この一瞬の出来事を招いたのは他ならぬ自分のミスだ。自分が有利だからと油断し、相手に同情した結果がこの有様だ。少し前まで相手に同情して、余裕な態度を見せていた自分が情けない。

しかも、この布切れ……単なる布切れじゃない。私の体に巻き付いている部分から魔力を吸い取っている。恐らくこれは対魔法使い、もしくは魔法を得意とする対魔物用に作られたマジックアイテムの一種のようだ。
既に私自身は死んでいるから苦しみ等は感じないが、もし生身の魔法使いならば途方も無い疲労感に襲われて、一時間後か、早ければ30分後には気絶しているだろう。

だが、どちらにしてもこれはピンチだ。魔力を吸い取られ続ければ、リッチとしての本領が発揮出来なくなってしまう。何とか布から抜け出そうと体を捩ってはみるが、布切れは意外と頑丈でビクともしない。ギシギシと布を引っ張る虚しい音がするだけだ。

(しまった……。完全に身動きが封じられてしまった……)

身動きが取れなくなった己に若干の焦りを感じ始めた矢先、今さっきまで見逃してやろうと思っていたリーダーが何事も無かったかのように再び起き上がる。目元に残酷な笑みを浮かべながら、無防備となった私に向けて剣を突き付ける。

「さて、これで形勢逆転だ。覚悟は良いな、化け物め……!」

どうやら相手は無力となった私に手加減をしてくれる気は無さそうだ。まぁ、とうの昔に分かり切っていた事だが……。魔力を吸われる感覚を味わいながら、私は観念したかのようにそっと目を閉じた。

………
……


結局、必死の想いで逃げておきながら再び街の中央の広場まで戻って来てしまった俺だが、今後どうするかはまだ考えていない。というか、考えられる筈がない。魔物から追われ、教団から敵として睨まれ、八方塞がりの中をどうやって脱出しろというのか。
此処ら辺りの土地勘なんて当然ながら持っていない。他に逃げ道はあるのだろうか……なんて考えていると背後に気配を感じた。

「誰だ!?」
「うひゃあ!!」

腰に付けていた護身用のナイフを取り出し、振り向きざまに背後の相手に突き付ける。が、背後に居た奴を見た途端、俺は思わず突き付けたナイフを下げそうになった。何故なら背後に居たのは東洋の着物を身に纏った小さい女の子だったからだ。

振袖に描かれた三つの人魂が集まったような三つ巴の文様、カボチャパンツのような黒いズボンに、半分に割れた燃え上がる提灯を靴代わりに履いている。ゾンビやグール等、今までの魔物娘とは異なる独特の姿であり、子供のように幼い姿をしているが魔物娘である事に変わりはない。

「ちっ、キャサリンの手下か? 珍しい姿をしているが……お前、何処の誰だ?」
「わ、わ、私はジパングで生まれた提灯おばけのアンコと言います!」
「ジパングの提灯おばけ? 知らねぇな、チョウチンアンコウという珍味がジパングにはあるというのは聞いた事があるんだが……」
「違います! 私の名前は提灯おばけのアンコです! 魚介類なんかじゃありません!」
「うるせぇ、名前は一度聞けば十分だ。ゴチャゴチャ抜かすな」
「ひぃぃぃぃ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

手に持ったナイフを軽く首筋に近付ける素振りを見せた途端、アンコは顔を真っ青にさせて『ごめんなさい』を繰り返すのと同時に頭を何度も上下させた。この臆病な反応を見る限り、コイツは戦闘向きの魔物娘じゃないようだ。スケルトンやゴーストとドッコイドッコイって感じだな。

しかし、ジパングと言えば遥か東の果てにあると言われる神秘の島国だ。そこでは一部の魔物娘が神格化されており、人間と魔物娘が共存して生活するのは当たり前とさえ言われている。
そんな親魔物派の人間から見れば素晴らしい島国から、何で態々このアンコという提灯おばけは来やがったんだ? まぁ、恐らく何らかの事情で海を越えて此処まで辿り着いたのだろう。コイツに対した興味も抱いていないので、深く詮索する必要はないだろう。

只、これ以上付き纏われると後々厄介になるのは目に見えている。今の内に脅しの一つや二つを掛けておくべきだな。

「おい、アンコって言ったな?」
「は、はい!」
「手前もアレか? キャサリンの命令で俺を捕まえに来たのか? もしそうだとしたら……容赦はしねぇぞ」

台詞の最後の部分はドスが利いた低い声で呟き、彼女の後頭部を掴みながら強引に目線を固定させ、更にトドメと言わんばかりに下から見上げるように彼女を睨み付ける。傭兵という職業を長年やっているせいで俺の表情も強面になってしまい、おかげで今みたいな台詞と表情を出せば大抵の腰抜けはビビる。
そして魔物娘であるアンコにも効果は覿面だったらしく、目尻に涙を溜めて今にも泣き出しそうだ。我ながら悪い大人だと思う。だが、自分の一生が掛かっているのだから善悪を気にしている場合ではない。

「ち、違います……。わ、私はお願いがあって来たんです……!」
「あぁ?」
「お願いします……! キャサリン様をお助け下さい……!」
「はぁ?」

しかし、このアンコはそこらの腰抜けとは訳が違った。目に涙を溜め、言葉も震えているものの、自分の言いたい事はハッキリと最後まで言い切ったのだ。
年端もいかない子供の姿をしている割には度胸のある女だ。これはこれで評価に値するが、だからと言って今のお願いを聞くのかと言われれば答えはNOだ。

「ふざけんじゃねぇ。俺はキャサリンのせいで酷い目にあったんだぞ!」
「知っています! でも、キャサリン様を助けて欲しいんです!」
「俺の手が無くても、あいつ一人だけでも教団と互角に戦い合えるだろ」
「私もそう思っていました。でも、今さっき見たらピンチだったんです! 教団の魔法使いが変な布を使ってキャサリン様の動きを封じてしまったんです!」
「布だぁ?」

変な布……そう言われて脳裏に思い浮かんだのは、魔界付近に樹生している草木を繊維状にして編んで作った魔力を吸収するという魔法道具の一つだ。敵や自然の中に含まれる魔力を吸収するだけでなく、吸収した魔力を溜めておけるという魔法使いには結構便利なアイテムだった筈だ。
余談だが、ちょっと昔にそれを身に纏えば誰でも簡単に魔物娘になれますよっていうキャッチコピーでジパングの狸娘が売っていたという話を思い出した。今じゃその話を聞かないから、恐らく話自体がデマだったか、もしくは何らかの事情があって販売中止になったんだろうな。どちらにせよロクでもない結果しか見えない。

「私も詳しくは分かりませんが……あの布は私達魔物にとって厄介であるのは間違いありません! お願いします! キャサリン様をお助け下さい!」

そう言うやアンコは深々と頭を下げて俺にお願いして来る。どうやら、こいつの必死な姿を見る限り、キャサリンがピンチであるのは事実のようだ。
それにしてもナハトにおけるキャサリンの人望は極めて厚いようだ。こんなガキの魔物娘でさえ必死になって頭を下げてお願いしているんだぞ。しかも、俺の事が恐いのか頭を下げたまま体を微かに震わしている。

ふむ………………。

暫くした後、俺はアンコの肩にポンッと手を置いた。一瞬彼女の体がビクッと震えるが、恐る恐る顔を俺の方へ振り仰ぐ。
そして俺と視線が交差し合った時、俺は満面の笑みを浮かべてグッと親指を突き上げる。それを見たアンコは小さい花が咲いたような可愛らしい笑顔を浮かべて、ホッと安堵の表情を――――

「知 っ た 事 か !!」
「えええええええええええええええ!!? 何でですかー!!?」
「当たり前だ!! 俺を嵌めようとした奴を助けてやる程、俺はお人好しじゃねぇよ! このボケ!!」

―――安堵の表情を浮かべたのも束の間、満面の笑みを一転させて不満一杯の面へ、突き上げた親指をグルンと180度反転させ、侮辱&拒絶のポーズを彼女に示した。それを見たアンコの顔は顎が外れんばかりに大口を開け、絶叫していた。
まぁ、必死にお願いした末に期待を裏切られれば、そんな反応もするわな。だけど、裏切られたのは俺だって同じだ。魔物娘であるキャサリンを信じ掛けた矢先に、ナハトに住んでいる魔物娘一同に襲われたんだぞ。軽く不信に陥ってもおかしくはない。

それに俺があいつを助けても何の得も無い。寧ろ、助けた直後に捕まるリスクの方が高い。ここはキャサリンを見殺しにするという手もあるが、そうなれば今度は教団との直接対決は避けられない。

さて、どうやって逃げ出そうか……既に俺の脳内ではナハトの脱出の策を打ち立てる事で埋め尽くされており、目の前に居るアンコの事なんて忘れてしまっていた。

「時間は掛かるが、遠回りで逃げるか。多分、連中はナハトに居る魔物娘に釘付けになっているだろうし……」
「うっ……う……うぅ…」
「……うん?」

ナハトからの脱出経路を決定した時だ。アンコから呻き声が聞こえて来たので、思わず体を屈んでアンコの顔を間近で見遣ると――――円らな眼からボロボロと大粒の涙が零れ落ちていた。

「おい、何で泣いているんだよ!?」
「だっで! だっで、ごのままじゃキャサリン様が死んじゃうぅぅ〜!!」
「もう死んでいるだろ……」

ったく、その程度の事で一々泣くんじゃねぇよ。というか、一度死んだゾンビやグールがもう一度死んだら何て言うんだろうな。アンデッドは二度死ぬ……あれ、結構格好良くね? そんな冗談を頭の中に思い描いている間もアンコの言葉は止まらない。

「ぞれに……! また故郷を失うなんて嫌でずぅぅぅ!!」

軽く聞き流すつもりだったのだが、“故郷を失う”という重い台詞に俺は敏感に反応してしまった。

「また? そりゃどういう意味だ?」
「わ、私……元々はジパングで売られていた単なる提灯だったんです……。でもある日、貿易人を装った盗人に盗まれてしまい……結局誰にも買われる事も無くナハトに捨てられてしまったんです……」

確かにジパングの商品は珍しい物ばかりだからな。貿易人や留学生を装った泥棒がジパングの商品を盗み、自国の闇市や裏取引で売り捌くなんてしょっちゅうだ。つまり、このアンコもその犠牲者……いや、盗品という訳か。しかし、盗まれながらも結局は買い手が付かなかったらしく、最終的にナハトに捨てられたようだ。
だが、捨てられた理由に関しては俺にも心当たりがある。提灯は軽くて持ち運びが楽だが、俺達の国にあるガラスと真鍮で作られた手持ちランプと比べたら耐久性が低く、人気がイマイチだ。そしてもう一つ、提灯はジパングが国交を結んでいる各国に向けて大量に輸出している。即ち、これと言って珍しい品物ではないのだ。

この二つの要素が提灯の商品価値を大幅に下げており、売れ残りや破損した提灯はジパングに送り返されるか、店の物置きに仕舞われるか、アンコのように道端に捨てられるかの惨めな末路を辿るしかないのだ。アンコの場合は盗品という事もあったので、投棄する他なかったのだろう。

「私にとって第一の故郷はジパングです。ですが、私は盗まれてしまい、此処へ連れて来られた挙句に捨てられてしまいました。もうジパングに帰る事なんて出来ません。だって、帰る術が分からないのですから。それは故郷の大地を二度と踏めないというにも等しい事です」
「……………」
「ですから、キャサリン様に受け入れて貰った時は本当に嬉しかったんです。ずっと此処に居ても良い、此処を第二の故郷だと思って好きにしなさいって言われた時は……歓喜に満たされました。だから……!」

そこまで言い終えるとアンコは俺の足にしがみ付き、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を俯きもせず、敢えて上に向けて俺に懇願した。

「お願いです! キャサリン様を助けて下さい! あの人が居なくなったら……私だけでなく、他の魔物娘達も路頭に迷う羽目になってしまいます!!」

アンコの言っている事は強ち間違いではないだろう。このナハトに住んでいる魔物娘はキャサリンによって統率されていると言っても過言ではない。
その彼女が教団の前に倒れたら、どうなってしまうのか。答えは単純だ。統率者が居なくなった魔物娘達は総崩れとなり、教団に討たれるか、安寧の地を求めてナハトから出て行ってしまうだろう。
しかも、俺の記憶が正しければナハトの周りを取り囲む国家は皆、反魔物主義だった筈だ。そこにゾンビやグールと言った魔物達が殺到したら、大パニックは免れない。数年前まで流行っていたバイオハザード以上の混乱が起こる可能性も否定出来ない。

それを考えれば、彼女達をナハトの地に留めるのはパニックを回避するという意味に直結するに等しい。ならば、彼女を助けるのに手を貸すべきだろうか……と、此処でまた俺は自分の人生と、自分の行動で生まれる結果とを天秤に掛けてしまう。

先に本音を述べさせて貰うと逃げたい。その一言に尽きる。これ以上の面倒事は巻き込まれたくもないし、世界がどうなろうが俺の知った事じゃない。しかし、未だに俺の足元にしがみ付いて涙を流すアンコを見て罪悪感が沸々と込み上がって来る。
俺もアンコぐらいの年頃に戦火に巻き込まれ、家族と生まれ故郷を失った経験がある。だから、このアンコの悲しみとやらが痛いぐらいに分かる。しかし、彼女とは違って第二の故郷を手に入れるのは叶わなかったが。

しかし、彼女はその第二の故郷さえも失う危機に直面している。故郷の主であるキャサリンを失い掛け、挙句には人間である俺に向かって頭を下げてお願いしている。

「おい、アンコ」

その姿に俺は視線を泳がしながら暫し考えた末、アンコの首根っこを掴んで距離を置かせた。首根っこを掴まれた彼女は自分の願いが聞き入れないのではないかと不安に思っているのか、その表情は強張っている。
そして不安で一杯の表情でこちらを見上げられながら、俺は一回溜息を吐きだした後、アンコにこう話し掛けた。

「おい、アンコ。この近くに武器屋か武器庫はあるか?」
「?」

その一言にアンコは頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾けた。どうやら今の言葉だけじゃ、俺の真意を測り切れないようだ。だから、彼女に理解して貰うべく、もう一言言葉を付け足した。

「教団と戦うのに武器が必要だろーが!」
「!」

そこで漸く俺の真意を察したらしく、アンコは『有難うございます』と叫んで俺の体に抱き付いて来た。

俺は悪い大人だ。しかし、どうやら根元まで腐った大人には成り切れないようだ。




教団の魔法使いが操る布のような魔法道具に捕まり、身動きが取れない状態になってから数分が経過した。その間に私の中にある魔力は吸い取られる一方だ。苦しみは感じないが、嬲り殺しというのはこういう感じなんだろうな……と、私の脳内は状況とは裏腹に至って冷静だ。
いや、冷静と言うよりもこの場合は諦めという言葉がピッタリかもしれない。身動きが取れず、リッチの武器である膨大な魔力は吸い取られる一方。正に絶体絶命である。

しかし、私は兎も角、他の皆は大丈夫だろうか。もう既に私が仲間に掛けた身体能力を底上げする補助魔法の効果は切れている筈だ。もう一度仲間達に魔法を掛けてやりたいが、見ての通り手も足も出せない状態ではどうする事も出来ない。おまけに声も出せない。

武装した教団の兵士達を相手にするには、身体能力の乏しいゾンビやスケルトンでは若干厳しい。
いや、数ならば勝っているから大丈夫かしら。でも、万が一に……等々、仲間の事ばかり考えていると目先に居る騎士の存在をすっかり失念してしまっていた。

「くくくく、哀れな魔物め。貴様の最後の時が訪れたようだな! 命乞いがしたいか!? だが、その様子では命乞いはおろか、叫ぶ事は出来まい!」

てっきり私の動きが止まったら御自慢の剣でブスッとやるのかと思いきや、その後もグダグダと上記の台詞に似た言葉を何度も何度も私に投げ掛けて来る。もういっその事、一思いにやってくれませんかねと思ってしまう程に鬱陶しい。

「では、そろそろこの戦いに決着を着けてやろう。流石の魔物と言えども、長時間掛けて魔力を吸い取られれば、身動きも取れないだろう」

ああ、成る程。この人が中々トドメを刺さないのは、魔物に勝利した正義の味方を気取った台詞をダラダラと言いたいが為ではなく、只単に私の魔力を消費させる為の時間稼ぎ……いや、暇潰しだったのか。用心深いと言うか、やっぱり面倒くさい人だと言うべきか……。

だが、それも今度こそ終わりのようだ。男は剣を構えると、こちらへジリジリと近付いて来る。
敢えてゆっくりと歩くのは、こちらに恐怖を与える為だろうか。しかし、そんなものは無意味だ。私は一度死んだ身だ。いや、アンデッド族ならば誰もがそうだ。即ち、一度“死”を経験した事によって、人間だった頃に比べてその概念に怯える事は無いに等しい。

しかし、だからと再び死んでも良いという訳ではない。まだまだやり残した事は多々ある。研究とか、研究とか、研究とか………ああ、やっぱり研究しか思い浮かばない。そう思うとリッチとなった私の人生って恐ろしくつまらないものだと思えてしまう。

……いや、あった。研究以外に私のやり残していた事が。

(ガルフ……。貴方にもう一度会いたい)

私は彼を興味深い実験対象として見ていたかのように振る舞っていたが、実を言うとそれは私の本心を誤魔化していたに過ぎない。リッチは恋愛感情よりも研究を最優先とする節があり、それ故に大好きな人を前にしても実験だの研究だのと言って本心をひた隠しにしてしまうのだ。

そう、私の本音は――――彼が好きだ。ガルフを愛している。だから、何としてでも彼を手に入れたかった。しかし、それが叶わないと分かると私は心の中で彼に謝罪した。

ごめんなさい……と。

「くくく! 滅びろ、魔物めぇ!!」

心の中での謝罪から間を置かずして、漸く間合いに辿り着いた騎士は高々と降り上げた剣を私の脳天目掛けて振り下ろす。今度こそ駄目だと思い、ソッと目を閉じた……その時だった。

「ぐあっ!?」
「?」

ガキンッと硬い何かが硬い何かにぶつかる音が聞こえ、閉じた目を開けると今さっきまで剣を振り下ろそうとしていた騎士が剣を地面に落とし、利き手を押さえていた。目を閉じている間に一体何が起こったのか分からない。しかし、その答えはすぐさまやって来た。

「な、何をする貴様―――ぐあっ!?」

邪魔された事に腹を立てた騎士が不機嫌な怒声を上げるが、その言葉が最後まで述べられる事はなかった。何故なら、台詞の途中で飛んで来た煉瓦が頭にぶつかり、先程と同じ悲鳴を上げて地面に倒れ込んだからだ。そうか、今のガキンッという音は煉瓦が彼に当たった音だったのか。

………いや、待って。そもそも、誰が煉瓦を投げているの? 何て疑問が頭に浮かんだのと同時に、今度は私の体の自由を奪っている魔法使い達から悲鳴が上がる。ゴンッと先程よりも鈍い音が聞こえたのを察するに、誰かが彼等を殴ったか、もしくは今みたいに煉瓦を投げて襲ったようだ。
おかげで体を拘束していた魔法道具が緩み、私は急いでそれを取り払い、自由を取り戻す事に成功した。

そして私を救ってくれた恩人が誰なのかと周囲を見回すと……気絶する魔法使いの傍に立っていたのは2mを超える程の熊髭の巨漢だった。そう、それは紛れも無く――――私の愛した彼だった。

「ガルフ……!」
「ったく、だらしねぇな。その程度でやられちまったら魔物娘の名が泣くぜ?」
「キャサリン様ぁー!!」

漸く束縛から解放された私の所へ真っ先に駆け寄って来たのは、何故かガルフと一緒に居た提灯おばけのアンコだ。彼女は私に抱き付くや、わんわんと大声を上げて泣き出した。

「よがっだぁ……ギャザリン様が無事でよがっだでずぅ〜……」
「アンコに感謝しろよ。そいつが俺に助けを求めていなければ、今頃お前の頭はアイツにカチ割られていたぜ」
「アンコ……が?」

そこで漸くアンコが私の為にガルフを呼んで来てくれたのだと知った。私の命を救ってくれた事、そしてガルフに合わせてくれた事も兼ね合わせて、私は彼女の頭を撫でながら『有難う、アンコ』とお礼の言葉を述べた。

「それにしても……そんな安っぽい武器で私を助けてくれたのね」
「仕方ねぇだろ。この街にロクな武器は残ってやしなかったんだからよ。傭兵の知識を活かして残骸から武器を急造するのが精一杯だ」
「ああ、そう言えばナハトに残されていた武器の類は、全部あの城の倉庫に片付けたんだったわ」
「チッ、道理で武器屋はあるのに肝心の武器が見当たらねぇわけだ」

私が視線を向けた先にあるのは、彼が手にしている武器だ。ガルフのお手製だと言う紐と布で作られた簡易式の投石器と、何処かの家屋から持ってきたと思しき3m近い長さの角材という武器と呼ぶには貧相なものばかりだ。
しかし、たったこれだけの武器を手にして助けに来てくれたと思うだけで私は胸を打たれたような感動を覚えた。でも、同時に彼がアンコにお願いされたとはいえ、たったそれだけで態々私を助けに来てくれたのが信じられなかった。

「でも、どうして私を助けてくれたの? 私、貴方をあれだけ追い詰めていたのに」
「言っただろう、アンコにお願いされたってよ。あいつ、キャサリンを助けてくれって何度も何度も鬱陶しいぐらいにせがむからよ。仕方なく聞き入れてやっただけだ」

意外―――ガルフの言葉を聞いて私の脳裏に思い浮かんだ言葉はそれだった。てっきり私の危機なんか無視して、さっさとナハトから逃げ出すものかと思い込んでいたが、意外な側面に私は目を丸くした。

「それにだ、お前には借りがあるからな」
「借り?」
「教団の攻撃から助けてくれただろ。俺は借りを残すのは嫌なんでな」

恐らく、歩兵の銃撃に晒された掛けた時の事を言っているのだろう。敵から受けた恩なんて気にしないかと思ったが、それをきっちり返さないと気が済まないという律儀な面に私はまたもや目を丸くしてしまう。

ガルフの知らなかった側面を知って嬉しいと思う反面、このまま彼を手に入れたいという欲望に駆られそうになる。私を救ってくれた命の恩人であるが、同時に私が好きになった人間なのだ。恩を取るか、欲に従うか……私の中でこの二つが鬩ぎ合っていると、ガルフから『じゃあ、俺はもう行くぜ』と看過出来ぬ台詞が飛んでくる。

「え?」
「“え?”じゃねぇよ。お前を助けて借りは返したんだ。コレで貸し借りは無しだ。俺はナハトを出ていくぜ。後はお前等だけで教団を撃退出来るだろう?」
「……待って」
「やなこった。今さっきまで俺を追い駆け回していた敵の言葉に何で従わないといけないんだよ」

こちらに耳を傾けもせず、ガルフは私に背を向けてその場から立ち去ろうとする。魔法を使おうにも、さっきの魔法道具のせいで私の魔力は残り少ない。恐らく、威力が低いファイヤーボールを十数発撃つのが限界だろうか。しかし、彼の事だ。その程度の攻撃ではビクともしないだろう。

「待って! 貴方に言いたい事があるの!」
「謝罪なら結構だ。じゃあな」

もうこうなったらプライドを捨てて本心をぶつけるしかない。その覚悟で私は一呼吸置いた後、ガルフに向かって叫んだ。

「私は……貴方の事が――――!」
「貴様ぁぁぁぁぁぁ!!」

しかし、プライドを投げ捨てる覚悟で叫んだ台詞は、途中から割り込んできた騎士の男のせいで途切れてしまう。騎士が狙おうとしたのは私ではなく、先程投石で攻撃したガルフであった。

しかも、丁度騎士が攻撃を仕掛けた時、ガルフは背中を向けており完全に無防備であった。そしてガルフ自身も私への借りを返した事で気を抜いていたのか、背後から襲い掛かって来る騎士に反応が遅れた。

ザキンッ

「!!」
「ガルフ!!」

何かを切断する音が聞こえた直後、ガルフの左肩が外れた。いや、肩ごと左腕が斬り落とされたのだ。素人が見ても、明らかな重症に間違いないのだが、それだけでは物足らないのか、騎士は突きの形を作ってガルフに向かっていく。

「魔物に味方をする人間は……死ねぇぇぇい!!」
「ガルフ! 危ない!!」
「く……このクソッたれがぁ!!」

私は咄嗟にファイヤーボール数発を騎士に目掛けて放ち、ガルフはもう片方の手に握っていた角材を後方に向けて円を描く様に振り回す。
私の放ったファイヤーボールは全部騎士に命中し、あっという間に彼の体は紅蓮の火に包まれる。更に間髪入れずガルフが振り回した角材が彼の顔に命中し、ゴギッと嫌な音が騎士の首から聞こえ、彼の首は有り得ない方向へ曲がる。

恐らく……騎士は死んだ。しかし、私が放った炎で体を焼かれる苦しみを味わう事無く、あっさりと死ねたのは不幸中の幸いだ。そして騎士は力無く倒れたが、未だに私の目は大きく見開いたままだ。

何故なら――――騎士が手にしていた剣がガルフの腹部を貫いていたからだ。ガルフは暫く自分の腹部に刺さった剣を見詰めていたが、やがて口から真っ赤な鮮血を吐き出し、ガクリッと膝を地面に付けた。

「ガルフ!!」

膝での支えも利かなくなり、遂に体ごと仰向けに倒れようとしていた彼を寸前で受け止めたものの、彼を支える筋力など私が持っている訳がなく、結局彼の体をそっと寝かすようにするのが精一杯だった。

「ああ、ガルフ! ガルフ! どうしよう! どうすれば……!」
「何で……手前が慌てるんだよ。死に掛けてんのは俺だぞ……」
「煩い! 貴方は黙ってて! と、兎に角止血しないと! あと左腕の治療も……!」

正直、彼に突っ込まれなければ私はパニックになったままであり、まともな応急処置も出来なかったに違いない。とりあえず、腹部の傷と左腕の傷とを交互に見遣ったが、左腕を見た時に私は思わず顔を顰めてしまった。

だって、左腕が丸々切り落とされたと言うのに、血が一滴も流れていないのだ。どうしてと思い騎士に切り落とされた左腕を見て、私は漸くその理由を知った。

「義手……?」

そう、ガルフの左腕は義手だった。見た目は人間の左腕そっくりだが、人間の皮膚と思しき表面部分はブタの皮で作られた疑似皮膚であり、中身は細かな歯車や真鍮製の鉄柱など埋め尽くされていた。

「へへ……驚いたか? あの左腕はな……キャサリンを守った記念みたいなもんだよ……」
「まさか……その人を庇って、左腕を失ったの?」
「ああ、そう……だ。でも、今度は魔物のキャサリンを守って……左腕を落とすなんてよ……。本当、俺の左腕はキャサリンが好きだよなぁ……」

満足そうに微笑むガルフ、そして失われた左腕を見て私は不思議な感覚に襲われた。いや、感覚と呼ぶには些か妙かもしれないが、兎に角、言葉では言い表せない感覚だった。

(何で、何で私は――――知っているの?)

ガルフの微笑み、そして左腕を失った彼の姿―――この二つを見た瞬間、私の頭の中に突然ある記憶がフラッシュバックしたのだ。

『ガルフ! ガルフ! しっかりして! どうして私なんかの為に……!』
『へっ、最前線で戦うお前を守るのが俺の仕事なんでな! 俺に構う暇なんかあったら、さっさと味方の撤退を手伝いやがれ!』
『馬鹿言わないで! 貴方の左腕の傷を治すのが先決よ! ああ、酷い……! 腕が根元から捥げているじゃない!』
『ああ!? 知った事か! そんなもん後回しだ! それよりも―――………!』

その記憶は紛れも無く、彼が左腕を失った瞬間の光景だった。ガルフが私に向かって色々と叫び、私はそれを受けながらも彼の左腕の傷の治療に専念する……そういう記憶だ。

(まさか、ガルフが好きだったキャサリンとは………)

私なりに突然思い出した記憶について推測し、その答えを弾き出したのと同時に何気なく彼の表情を見遣る。すると、彼の表情は既に血の気の感じられない蒼白いものになっていた。

「ガルフ!! しっかりして!」
「おじさん!」

アンコも彼の体に抱き付きながら彼を起こそうとするが、私が叫んでも、アンコが抱き付いても、彼は一切反応を示さない。

「駄目よ! 死んだら駄目、貴方は死んじゃいけない! お願い、目を覚まして! ガルフ・ライゼン!!」

そこで私は初めて彼の名前をフルネームで叫んだ事に気付いた。どうして私は今まで忘れていたのだろうか。『昔』の私も彼が好きだったと言う事を。しかし、どれだけ叫んでも彼は目を開けず、私は後悔の中に佇んでいた。

私が彼を引き留めなければ、私が彼を追い詰めなければ、こんな結果にはならなかったであろうと―――。

しかし、どれだけ後悔しても、どれだけ生きていて欲しいと願っても、彼の体温は刻一刻と過ぎるにつれて冷たくなっていく。まるで私の傍から逃げたいと言わんばかりに……。
13/08/23 16:50更新 / ババ
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■作者メッセージ
一回やってみたかったロリ魔物娘イジメ。いや、悪気は無かったんですよ。只ガルフさんが頑固なだけです(笑)

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