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平和と、強さと、優しさと(後編)
「選ばれし勇者や英雄のような、特別な力……ですか? う〜ん、一日だけ体験させてもらえるなら、面白いかもしれませんね。えぇ、一日だけで充分です。自分には自分なりの、普通の人間としての生き方がありますから。地に足をつけて、胸を張って、日々『凡人』をやって行きたいですね」

「毎日、とても楽しいですわ。お客様から『貴女は魔物なのに、とっても働き者なのね』と褒めていただけることも、誉に感じています。今日と同じ日は二度と訪れず、同じ出会いも二つと存在しない。そんな一期一会に喜びを見出しながら、私は毎日を過ごしているのです」

 相棒の飛竜と共に、空を自由に駆け巡る竜騎士。
 バフォメットすら驚くほどの、極めて特殊な魔力を持った要人警護員。
 前編では、そうした“特別な何か”を持った騎士団員の方々に焦点を合わせました。

 それに対し、この後編では、陸・海・空・魔術それぞれの騎士団に所属する、一般の団員や職員の皆様のお話に耳を傾けて行きたいと思います。

 世間に流れる『普通ではつまらぬ。特別であらねばならぬ』という価値観は、本当に正しいものと言えるのか。『普通』とは、何もしない、感じない、考えないことと同義であると言えるのか……?

 この国の平和を守る彼ら、彼女らの言葉の中に、その答えがあるかも知れません。



《 陸の騎士団 第一特科団 所属 : 男性(二十九歳)の話 》

 特科団とは、平たく言うと……砲兵とか、砲術屋とか、そういう感じの部隊です。
 有事の際は、大小様々な砲や砲弾と共に動きまわって、敵に打撃を与えます。

 団訓は、[ 一発必中 死傷者なし ]。
 自分達の砲が火を噴く時は必ず戦果をあげ、なおかつただの一人の死傷者も出さない。
 それが第一特科団の戒めであり、教えであり、心意気でもあるんです。
 ちなみに、この死傷者という言葉には、“敵味方を問わず”という意味が含まれています。

 「え? 戦なのに?」と思われるかも知れませんが、我が国は親魔物国家ですからね。
 ぎっしりと火薬の詰まった大砲を撃ちまくり、屍山血河の地獄絵図を完成させる……なんてことになったら、魔物の皆さんから絶交されてしまいます。

 自分達が使用する砲は、重要部品に魔界銀や魔法石を用いた特別品。
 さらに、作成には人間はもちろん、ドワーフやサイクロプスといった魔物界の匠の皆さんが関わっています。
 そのため、たっぷりと数が揃っている訳ではなく、今後の増産予定も不透明ではありますが、一つ一つの砲が持つ威力や精度は桁外れに高いんです。

 また、砲弾の方も、色々な意味で常識外れのものが用意されています。

 例えば、魔灯花の成分を抽出したガスを込め、それを吸った者の魔物に対する嫌悪感を消し去ってしまう『魔灯花弾』。
 あるいは、とろけの野菜の成分に注目して作り出された、相手の抗魔力を低下・消滅させてしまう『とろけ弾』。
 はたまた、アンデットハイイロナゲキタケの特徴に着目し、炸裂した先の人間を仮死化・アンデット化してしまう『ナゲキ弾』。

 恐ろしい所では、相手の精神に作用し、過去のトラウマを次々と思い出させてしまう『悲嘆弾』などというものもあるんです。
 ちなみに、自分も過去の模擬戦において、仲間達と共にこの『悲嘆弾』を食らったことがありまして……いやぁ、あれは酷かった。
 記憶の奥底に沈めていたはずの恥ずかしい記憶や痛々しい思い出が次から次にボコボコ蘇って、「もう、お家帰りたい。誰か慰めて。誰か自分の話を聞いて」という状態に陥りました。本当に、戦意なんて一欠片も残りませんでしたね。

 少し想像していただきたいのですが、実戦の場において『とろけ弾』・『魔灯花弾』・『悲嘆弾』を間髪入れず、バンバンバンと撃ち込まれたとしたら……?
 恐らく、強靭な肉体と極めて禁欲的な精神を持つ反魔物国家の精鋭部隊でも、眼の前に現れた魔物さんにすがりつき、「お願いだからそばに居てくれ! 俺を一人にしないでくれ!」と泣き叫ぶこと必定でしょうね。
 加えて『ナゲキ弾』の洗礼を浴びてしまえば、問答無用にアンデット型の魔物さんと結婚確定です。

 そう……ここまでお話すればもうお気付きいただけると思いますが、我々が[ 一発必中 死傷者なし ]という団訓を掲げられる理由は、こうした規格外の砲と砲弾を有しているからなんです。

 【魔術の騎士団 魔術兵装開発:特別顧問】であるバフォメットのシェルムさんが立ち上げた、最強の特科団計画。その壮大な試みは、始動から十ニ年以上の時を経て見事に完成し、我が国の防衛力の向上に大きく寄与しています。


 ……と、サラリと終わることが出来るならば、自分達も楽なのですが。

 当然のことながら、優れた砲や砲弾も、それを使用する者が未熟であれば、たちまちその力を失ってしまいます。

 戦とは、明確な意思を持った命と命のぶつかり合い。
 そこに予定調和が入り込む余地はなく、瞬きよりも短い間に状況は変化して行きます。
 一つの判断が勝敗を分け、仲間達の命はもちろん、この国の未来すらも変化させてしまうのです。

 自分は、あるいは自分達は、神に選ばれし勇者や英雄ではありません。
 奇跡の力を駆使できる訳でも、様々な魔力を振り回せる訳でもない、普通の人間です。
 そんな自分達が、与えられた武器の性能を最大限に引き出し、この国に暮らす人々と魔物の皆さんを守るためには、一体どうすればいいのか……?

 その答えは、一つしかありません。
 ただひたすらに、丁寧かつ愚直に、努力を積み重ねるしかないんです。

 小さなレンガを積み重ねて巨大な城壁を作るが如く、コツコツと体力作りに打ち込み続ける。
 向こうが透けて見えるような薄紙を一枚一枚貼り合わせ、風格あるランプシェードを作るが如く、学習を繰り返す。
 そして、悪夢に登場するような最悪の、そのまたさらに最悪の状況を想定した戦闘訓練に臨み、己が持つ恐怖や曖昧さに打ち勝つことを当然のこととする。

 高慢な反魔物国家の勇者ならば、「有象無象が無駄なことを」と嗤うでしょう。
 常に自分達の傍らに居てくれる魔物の皆さんからも、「そんなに無理をしなくてもいいんだよ?」としょっちゅう心配されています。

 けれども、自分達は足掻き続けたいですし、無理をしてでもきちんと頑張りたいんです。
 それは英雄的行為への憧れではく、被虐的な悦びでもありません。
 単純に、純粋に、この国を守りたいから。この国に暮らす種別も、性別も、年齢も、すべてを含めた“みんな”と共にありたいから。

 はっきり言って、しんどいです。この信念を貫くことは。
 毎日、地味でキツい訓練の繰り返しですからね。
 それに……こういうことを言うと上の人達に怒られるかも知れませんけど、月々の給料もそんなに高いって訳じゃありませんし。まぁ、民間の会社のように倒産はしないですけどね。

 あと、同じ陸の騎士団に所属している魔物さんの力に、嫉妬することもあります。
 例えば、いかなる状況下においても影や風の様に動いて情報を集め、自分達に敵の位置や陣形などを知らせてくれる『特別斥候隊』。
 それに所属しているクノイチさんやギルタブリルさんの能力を見ていると、「あぁ、良いなぁ。ズルいくらいに格好良いなぁ」なんて感じてみたり……。
 特別な何かを持たない人間の浅はかな僻み根性なんですけど、ちょっとションボリです。

 ん……あ、でも、今後、騎士団への入隊や就職を検討されている方には、一つ伝えておいた方が良いかもしれませんね。
 上手くご縁が輝けば、そうした魔物さんと付き合えたり、結婚できたりするんですよ。この職場は。
 そう、例えば、自分と女房のように。

 女房は、その『特別斥候隊』所属のサハギンなんです。
 とある訓練中、泥まみれになって走っていた自分を見て、一目惚れしてくれたそうで……。
 一緒に七転八倒していた同僚達からは、「なんでお前だけ!?」とか「もげろ。さもなくば、彼女の鱗をよこせ!」とか、その他にも色々言われてボコボコにされましたけどね。
 まぁ、何と言うか……日々、真面目に努力していれば、こういう幸せが訪れることもありますよ、と。そういう感じです。


 さて、と。
 自分は、この後も砲弾の保管と運搬に関する学習会がありますので、この辺で失礼します。
 強くなければ騎士団ではない。賢くなければ騎士団ではない。本当、何だかんだと大変です。

 ……え? はい、それはもちろん。
 仕事へのやりがいと喜びは、しっかりとこの胸の奥で燃えていますよ。
 ちなみに、その炎の横では、女房への愛の炎が大いにメラメラしています。

 毎日たっぷりと意味のある汗を流して、女房と愛を確認し合って。
 そうして、平和と幸せの大切さを噛み締めながら、自分は日々を生きています。
 こんな何気ない、だけどこの上なく愛しい人生の色彩……偉〜い勇者様達には、分けてあげません。なんてね。

 それでは、いつか、また!



《 海の騎士団 軍船所属 給養員(司厨長) : 女性(人間/四十一歳)の話 》

 【腹が減っては戦ができぬ】

 腹ペコの状態では、働くことも戦うことも出来ない。だから、何か物事に取り組む前には、がっつりと飯を食って栄養と活力の補給を行うべし!

 ……東方の言葉だそうだけど、なるほど事実を簡潔に表現してるよねぇ。
 アタイは、海の騎士団が運用してる、とある軍船所属の給養員さ。一応、これでも司厨長としてあれこれ取り仕切らせてもらってるよ。

 給養員っていうのは、まぁ、船に乗り込んでるみんなの胃袋を支える料理人 兼 栄養管理人ってところかな?
 年齢、性別、種族に階級、その他諸々一切関係なく、船に乗っている全員の朝飯・昼飯・おやつ・晩飯の面倒を見るのが、アタイの役目なのさ。

 ちなみに、アタイの旦那も同じ仕事をしててね……っていうか、同じ船の副司厨長として、毎日あれこれこき使ってる訳よ。アハハハ!


 ちょっと想像してもらえばすぐにわかると思うんだけど、航海ってヤツは色んな意味で過酷なモンでね。
 ひと度 海へと漕ぎ出せば、そこで起こる何もかも全てを己の力で乗り越えて行かなきゃいけないんだ。
 少しの甘えも許されず、一瞬の油断も生み出せず。
 誰か一人の小さな過失が、船全体を大変な窮地に追い込んじまうこともあるんだよ。

 だから、乗組員それぞれにかかる負荷や重圧も半端なものではないんだけど……「いい加減疲れたから、パァ〜っと気晴らしに行くか!」なんてこともできないしね。
 何せほら、仕事場 = 海の上だから。

 あれもこれも全部イヤになって甲板へ飛び出しても、そこに広がるのは三百六十度の海しかないの。
 まぁ、そのまま海に飛び込んじまえば可愛い魔物ちゃんと結婚できるだろうけど、陸での暮らしのあれこれを衝動的に放り投げるっていうのも難しいだろうしねぇ。
 海には海の、陸には陸の、それぞれ楽しさってモンがある訳だしさ。
 あと、確率は低いだろうけど、魔物ちゃんに見つけてもらえずにそのまま溺死ってことになったら……辛いだろうねぇ、色んな意味で。


 そこで、よ。
 アタイや旦那の役割が重要になってくるのよね、これが。

 毎日続く過酷な航海と厳しい訓練。
 逃げ出したくとも逃げ出せない、船の上という閉鎖空間。
 溜まり行く疲れと、刻まれまくるストレス。
 それらを一瞬でも忘れ、萎びてしまった心をシャキッとさせる潤いのひと時とはなにか?

 それは、とびきり美味い飯を食うとき、だよね。

 っていうか、海に出ちまったら飯しか娯楽が無くなっちまうからね。
 みんなの心が爆発しないように、体がボロ雑巾みたいにならないように、アタイや旦那をはじめとした給養員達は日々頑張ってる訳なのさ。

 え? 仕事はキツくないのかって?
 そりゃあキツいよ! キツくない訳がないさね!

 飽きが来ないように航海の間中のメニューを考え、同時に船に積み込める食料の限界値と向き合い、『水の一滴は血の一滴』と言われるほど大切な水をやり繰りし、ベタ凪の朝も、大嵐の夜も、灼熱の夏も、極寒の冬も、ただひたすらにスゲェ量の美味い飯を作らなきゃいけないんだから!

 しかも腹の立つことに、航海中にスキュラやセイレーンみたいな魔物ちゃんと出会って結婚しちまう奴が必ず複数人出て来るんだよねぇ。
 確かに、食材の計算はある程度の余裕を持ってしてるけどさ、「司厨長! 昼飯からは、四人分追加でお願いします!」とか言われたら「おい、待てやコラ」とか言いたくもなるさぁね。

 あ、そういえば前々回の航海では、アタイがおやつに作ったパウンドケーキの匂いにつられて、クラーケンちゃんが上がって来ちゃってね。
 うん、海の魔物ちゃん達とはきちんと協定が結ばれてるから、クラーケンちゃんが強引に船を引きずり込むようなことはしないんだよ。

 でも、あの時は一人でニ十人分くらい食った挙句に航海長をお持ち帰りして、その後の訓練予定やら何やらがグダグダに……。
 親魔物国家ならではの愉快な事件ではあるんだけど、さすがにあれは焦ったなぁ。
 けどまぁ、去り際に「本当に美味しかったわ。また会いましょう」って微笑んでくれたから、良しとするべきかね。

 ……その後で航海長がどんな風になったのか、若干心配ではあるんだけど、たぶん死にゃしないだろうし。


 アタイの故郷は、この国の南部にある漁村でね。

 うちの父ちゃんを含めた男衆が海に出ている間、うちの母ちゃんを含めた女衆は、港で馬鹿みたいな量の飯を作るんだ。
 で、男衆が大漁旗を掲げながら戻って来ると、女衆は笑顔でそれを出迎えた上で、大盛りの飯を振る舞ってね。
 本当、毎日毎日、港でパーティをやってるのかと思うほどの活気だったんだよ。

 だから、アタイも自然に『大人になったら、海と飯に関わる仕事がしたい!』って思うようになってね。
 勉強は大嫌いだったけど、必死に頑張って調理師資格をとって、海の騎士団の試験にも通って。

 育って来た環境のせいか、船酔いとは全く無縁の体質なもんだから、入団後は何かと重宝されてね。
 軍船所属の女といえば、看護師とか治癒魔術師とかがもっぱらなんだけど、アタイはとんとん拍子に給養員を命ぜられて、出世して、旦那と出会って結婚して、今に至ってるって訳。

 それで……この仕事に取り組むうちに、何となくわかって来たんだよね。
 港で飯を炊いていた女衆が楽しそうに笑っていた理由とか、男衆がバクバクと凄い勢いで美味そうに飯をかき込んでいた理由とかがさ。

 さっきも言ったけど、海っていうのは過酷な場所なんだ。
 素晴らしい技術を持つ熟練の船乗りでも、一瞬の誤りが取り返しの付かない事態を招いちまう。
 「海の男が海で死ぬなら本望だろう」とか言う奴がいるけど、冗談じゃないよ。
 海は男の誇りを賭けるに足る仕事場だろうけど、陸にはその帰りを待つ愛する連中がいるんだ。
 海に落としていい命なんざ、ただの一つたりともありゃしないんだよ。

 男は己の心身を削って、仕事に打ち込む。
 女は最大限の祈りを込めながら、飯を炊く。
 そうして、漁が無事に終わった男達が愛する女達のもとへと帰って来る。
 女達は、最愛の男達へ感謝と愛情を伝え、とびきりの笑顔と飯を渡す。

 毎日繰り返されていたあの港の盛り上がりは、そういう男と女の心がぶつかり合った輝きだったんだだろうね。


 今、アタイは故郷を離れて、この軍船に乗っている。

 乗組員のみんなにも、愛する家族や故郷がある。
 血潮をたぎらせて「守りたい!」と願う存在がある。

 だからこそ、どんな苦しい航海や訓練にも耐えられる。
 だからこそ、アタイはそんなみんなのために飯を作る。

 アタイは、乗組員のみんなにとって頼りになる女でありたい。
 陸で帰りを待つそれぞれの女衆から「うちの人を頼みます」と託された……そんな気概と信念と誇りを持った、でっかい女でありたい。
 アタイは飯しか作れない程度の人間だけど、それでもそれをとことん極めた女でありたい。

 何があっても気にすんな。
 あんた達が無事に陸に帰るまで、その胃袋と命はアタイが支えてやる。
 揺れる船の中で踏ん張りながら、鉈のように大きな包丁を振るいながら、いつもアタイはそんなことを考えてるんだ。

 そう……この仕事は、キツい。キツくない訳がない。
 だけども……この仕事は、やりがいがある。やりがいがない訳がない。
 飯を通じて、みんなの命や思いに直に触れられるんだから。

 アタイは、魔王さんを相手にだって、胸を張って言えるよ。
 「これが、これこそが、アタイって女の天職なのさ!」ってね。



《 空の騎士団 精魔力探知部 所属 : 男性(三十二歳)の話 》

 【魔術の騎士団 魔術兵装開発:特別顧問】である、バフォメットのシェルムさんは考えました。
 自分を含めた魔物が持つ、『人魔の精や魔力を探知する力』を応用し、それを国防に役立てることが出来ないだろうか、と。

 その閃きを形にするべく、研究・開発に努めること約九年。
 ついに完成したその仕組みこそが、精魔力探知システム……通称“レーダー”なのです。

 これは、『未婚の魔物が夫となる男性を求める際に放出する魔力や精力』を発射して目標物に当て、その反射波を受信することにより、敵の位置や数、方向などを測定するという装置です。
 極めて高度な仕組みであるため、現在のところ五機しか製造・配備されていませんが、それでもその効果は絶大です。

 ちなみに、動力源はそうした魔物さんの魔力を込めた水晶玉なのですが……込められている力が力であるだけに、取り扱いには最上級の慎重さが求められます。

 過去、試験運用中にその水晶球を落として割ってしまうという事故が発生した際は、現場全体が筆舌に尽くしがたいほどの「エッチなことをシたい! この腰が砕け、股間が摩擦で燃え尽きようとも、ヤってヤってヤって、ヤリまくりたい!」という熱い情念に包まれたそうです。

 種族・性別に関係なく“そういう思い”に包まれてしまったため、未婚者同士はあっという間にくっつき、既婚者の家庭には新しい家族が増えたとか何とか。いやはや、恐ろしい。


 さて……こちらに一枚の地図があります。
 我が国は、ここですね。

 東西の国境を接しているのは、長年の同盟関係にある親魔物国家。
 北の国境付近には険しい山岳地帯があり、その向こうには対魔物中立主義の王国があります。
 そして、南に広がっているのは、心優しい魔物さん達が暮らす海。
 美しい自然と明確な四季、人魔が共に手を取り合い、愛と平和を作る国。
 それが、我が国なのです。

 余談ですが、我が国の四季はジパングのそれによく似ているそうで。
 彼の地にルーツを持つ人魔の皆さんが好んで我が国に根を下ろす理由は、その辺りにあるようです。
 我々としても、東方の文化や風習、様々な技術に触れることは大変勉強になることですので、お互いに万々歳という感じですね。

 と、ここまで説明した所で、ふと疑問に思われるかも知れません。
 「そんなに平和で安定した状態にあるのなら、わざわざ“レーダー”なんて開発しなくても良かったんじゃない?」、と。

 確かに、その通りです。
 我が国だけのことを考えるなら、決して少なくはない人・モノ・金を投じてまで“レーダー”を開発する必要はなかったでしょう。
 そう、我が国だけのことを考えるならば。

 “レーダー”の開発を提案した際、シェルムさんは予算承認委員会の席でこのように発言されたそうです。

「この計画には、それなり以上の金や手間がかかるじゃろう。諸君らは、それを無駄なモノのように感じるかも知れん。じゃが、ここで一つ考えて欲しい。世界には様々な圧力や戦の恐怖にさらされながら、それでも親魔物主義の旗を掲げる国々があるということを。ワシはこの“レーダー”を開発し、そうした国々を助けたいのじゃ。悲しい流血の事態から、愛すべき友たちを遠ざけたいのじゃ」

 事実、世界には反魔物主義との戦いに引きずり込まれている国や地域が存在しています。
 シェルムさんは“レーダー”の能力によって敵の接近や展開を見通し、的確な対処・判断を重ね、誰も傷つくことのない、平安なる戦場を創り出そうと考えたのです。

 予算承認委員会はこの主張に賛同し、計画にゴーサインを出しました。
 そして、先ほどお話した通り、約九年に渡る研究・開発の末、ついに“レーダー”が完成したのです。


 我が国の南西方向……船で三日ほどかかる場所に、大中小一つずつの島からなる国があります。

 主な産業は、漁業と牧畜。
 つい最近までの我が国においては、『市場で売っている、赤い大きな魚の干物を作っている所』として、何となく知られている程度の国でした。

 しかし現在、彼の国の名は多くの人々に知られ、親しみと憧れを持ってこんな風に語られています。

「あぁ、反魔物主義から親魔物主義へ転向した国でしょ? ちょっと遠いけど、すごく綺麗な所らしいじゃない。新婚旅行の行き先として、人気急上昇中って話も聞いたよ。食べ物も美味しいらしいし、一度行ってみたいなぁ」

 中立主義や親魔物主義に色々なスタンスがあるように、反魔物主義にもそれぞれの特徴というものがあります。
 例えば、猛々しい武力と共に激しく魔物さんを睨みつける国もあれば、教団の教えにそっと耳を傾け、静かに魔物さんを拒む国もあるのです。

 教団の教えは大切だけど、命ある可憐な魔物達と好き好んでケンカをしたいとは思わない。
 自分達が持つ主神への信仰心は本物だけど、魔物達を駆逐することがそれを証明することだとは思えない。
 自分達は、自分達の価値観や人生観を大切にしたい。
 だから自分達は、教団の過激派とも、魔物達とも、一定の距離をとって生きていこう。

 彼の国は、そうした考えを持つ“穏健的:反魔物主義国家”だったのです。


 そんな彼の国が、反魔物主義から親魔物主義へと歩みを変えた。

 きっかけは、四年前……国全体が立て続けに三つの大嵐に襲われるという、不幸な出来事が始まりでした。

 襲来した嵐は彼の国の機能を麻痺させ、そこに暮らす人々の日常を徹底的に破壊していきました。
 時の政府と国王は、悪化し続ける被害状況に絶望を抱きながらも、懸命の措置を講じ続けます。
 しかし現実は、そんな彼らの努力をあざ笑うかの如く、次から次へと混沌を浴びせ続けました。

「最早この災害に対し、我々のみで立ち向かうことは不可能だ。民は家も、仕事も、食料も失い、絶望の中へと叩き落とされた。我らの身が朽ち果てることは運命として受け入れても、せめて民の命と明日への希望だけは守らねば。急ぎ、教団の教えを重んじる友好国に使者を送り、物心両面での救援を仰ごう……」

 使者達は、王から託された親書を抱え、嵐の余韻が残る海へと漕ぎ出しました。
 島国ゆえ、多少の時間はかかることになってしまうが、それでも我らが友と信じる彼らは、救いの手を差し伸べてくれるはずだ……王と政府首脳の面々は、そう信じたのです。

 しかし、その思いはあっさりと踏みにじられてしまいました。

[此度の災害とその惨状、大変気の毒に思う。しかし同時に、これは貴国の主神様に対する信仰心の欠如が招いたものではないだろうか。私達に支援を求めるならば、これまでの所業を悔い改め、海の魔物の首を五十ほど持ち込み、その証とされよ]

[貴国は軍事上の要所ではなく、大規模な港湾設備も持たず、貴重な資源も有さず。加えて、教団に対する明確な恭順の意を示していた訳でもなく……。貴国を支援することの意義がいささか希薄であるゆえ、朕は此度の災害に関心を持たぬこととした]

[物事とは、お互いに利益があってこそ初めて成立するものである。災害に対する支援を求められるならば、美人と名高い貴国の王女を我が国王の第四婦人として差し出されよ。もしくは、リリム・エキドナ・バフォメットのいずれかの首級をあげられたならば、その時に再度検討しよう]

 ……その他にも、全く予期していなかった酷い内容の返答が四つ。
 その時、王と政府首脳の面々は生きる希望を失い、間の抜けた人形のようにポカンとした表情を浮かべ続けたそうです。

 そうして訪れた長い沈黙の末、王は抑揚のない声でこう告げました。

「……すぐに北東の親魔物国家へと使者を送り、救援を求めよう。これは、私が強権を発動して決定したことだ。全ての責任は、この私が取る。全ての非難は、この私が受け止める。だから、ここは何も言わず、愚かなる王の暴走を認めて欲しい」

 穏健派であるとはいえ、反魔物主義の自分達とは対極の位置で生きる相手への救難要請。
 普段ならば、「王よ! どうかお気を確かに!」と、皆が目を剥いて止めたことでしょう。
 けれどもその時、王の言葉に異を唱える者はただの一人もいなかったそうです。

 極限の混乱と絶望の中、彼らの心は完璧に折れ、そして砕けていたのかも知れません。


「あの日、夜明けの光を浴びながら押し寄せる船団を見た時、我らは大いなる愛と希望の存在を感じた。神は……いいや、この世界は、我らを見捨てはしなかったのだ、と。今を生きる我らはもちろん、子々孫々の代に至るまで、あの瞬間の喜びを語り継いでいくことを、ここに誓おう!」

 親魔物国家への転向を宣言する式典の中で、彼の国の王はそう言いました。

 使者を通じて彼の国の惨状を知った我が国は、即座に大規模な支援を決定しました。
 さらに、つぼまじんやミミックといった魔物さんの力を借りて、近隣を含めた親魔物主義の国々にも連絡。
 加えて、中立主義の国々に対しても、大規模な自然災害に対する緊急人道支援の必要性を説いて、協力を要請しました。

 そうして編成された支援船団は、第一陣から第三陣まで合わせて五十二隻。
 衣食住に関わる物資から、医療や建築用資材、緊急融資のお金、あるいは様々な事柄に対応できる技師や専門家など、その“積み荷”は多岐に渡りました。

 また、我が国を含めた親魔物主義の国々からは、様々な特技を持った魔物さん達も派遣されていました。
 その姿に彼の国の人々は大いに驚き、恐怖し……しかし、時間の経過と共に確かな親しみを感じるようになったといいます。
 それは、ある漁師の方が発したこんな言葉からも、理解することが出来るでしょう。

「あっさり俺達を見捨てた連中と、笑顔で救いの手を差し伸べてくれた魔物の姉ちゃん達と。一体どっちが『魔』なのかねぇ。だってそうだろ? 何の縁もゆかりもない俺達のために、あの姉ちゃん達は汗を流してくれたんだぜ? 一緒に駆けつけてくれた人間の連中もマトモな良い奴ばっかりだったし……そりゃ、これまでの常識を疑うようにもなるってもんよ」

 その後、国土と産業の復興は驚異的なペースで進んで行きました。
 支援に駆けつけた国々の技術や理論が導入されたことにより、被災前よりも改良・改善された部分すらあったほどです。

 人々は各国の支援に対して最大級の感謝を伝えると共に、魔物さん達にも大きな親愛の気持ちを捧げました。
 やがて、その思いは変革を求める情熱へと変わり、王や政府首脳の面々を動かす契機となります。

 支援船団の到着から十ヶ月後、彼の国は【親魔物主義国との定例会議委員会】を立ち上げました。
 これは半年に一度、それぞれ三週間に渡り、我が国を含めた親魔物主義国や魔界からの使者達と話し合い、相互理解を含めることを目的とする委員会でした。

 丁寧に準備された会議と濃密な対話を繰り返すことにより、彼の国の魔物に対する恐怖や思い込みは綺麗に消え去っていきました。

「我々は、魔物の皆さんともっと早くに話し合うべきでした。あるいは、親魔物国家の皆さんと対話の機会を設けるべきでした。守るべきものは守り、変えるべきものは変えながら、成長する。それは人間として、国として、極めて正常かつ健全な姿なのですから」

 絶望の中、王によって下された【嵐の決断】から四年。すなわち、今年。
 彼の国は、親魔物主義への転向の是非を問う国民投票を実施しました。
 その結果は……圧倒的多数による賛成!

 こうして、この世界にまた一つ、親魔物主義の旗を掲げる心優しき国家が誕生したのです。


 ……で、「めでたしめでたし」とは行かないんですよね。

 この決定と宣言に対して、彼の国を見捨てたはずの反魔物諸国は、烈火の如く怒りました。
 曰く、「人間としての誇りを捨てた愚者の群れを殲滅せよ!」。
 曰く、「彼らを洗脳した魔物と親魔物主義者共を駆逐せよ!」。
 曰く、「彼らの良心を取り戻す聖戦の始まりだ! 我らはあらゆる手段を肯定する!」。

 そして、その言葉通りに、彼の国に対する攻撃が開始されたのです。
 ある時は、密かに上陸した特殊工作員が政府要人の暗殺を試みました。
 ある時は、三桁に及ぶ軍船の群れが怒涛の勢いで押し寄せて来ました。
 ある時は、飛行魔術を操る魔術師軍団が空からの雷撃や炎撃を狙って来ました。

 果たして、彼の国の運命やいかに……という言い方は、非常に白々しいですね。

 はい。反魔物国家の試みは、彼の国と同盟を結んだ我が国の騎士団の活躍によって、全て防がれたのです。

 政府要人の暗殺は、陸の騎士団に所属する『特別斥候隊』や『要人警護部』の面々が全て防ぎました。

 海を埋め尽くした敵の軍船は、同じく陸の騎士団が誇る第一および第二特科団の大砲によって、片っ端から戦闘不能へと追い込まれていきました。
 ちなみに、動けなくなった軍船は、海に暮らす魔物さん達の手によって、静かに沈められて行ったそうです。海中で行われたという“お婿さん歓迎セレモニー”は、大変な盛り上がりになったと聞いています。

 最後に、飛行魔術を操る魔術師軍団の襲撃も、私が所属する『精魔力探知部』の前では全くの無力でした。彼らがいかに優れた魔術師であろうとも、“レーダー”に引っかかっては暗闇の中で松明を振り回しているのと同じなのですから。
 彼らの位置、方位、高度などの精密な情報を、私達と同じく空の騎士団に所属する竜騎士隊に伝えれば、一丁上がりです。ある者は魔界銀製の槍に叩き落とされ、またある者は飛翔体型の「とろけ弾」や「悲嘆弾」を撃ち込まれ、海にポチャンと落ちた後、“お婿さん歓迎セレモニー”へご招待……。

 一事が万事そんな調子ですから、彼の国の海域に住む魔物さん達は、みなさん充実した性生活を送っておられます。お肌なんかも、ツヤツヤのプルプルだそうですよ?


 さてさて……ずいぶん長くなってしまいましたが、私の話は以上です。

 実は、今から二時間半後に、彼の国行きの船が出るんです。
 “レーダー”の管理・運用担当として、これから半年間みっちりと仕事をする予定です
 色々大変ですけど、未婚の男性隊員はこき使われるのが定番ですから。

 まぁ……一応、私にも仲良くさせてもらってる女性はいるんですけどね。
 同僚のハーピーの子と、結婚を前提としたお付き合いの方を、あの、はい。
 プロポーズは、えっと、はい。出来れば、この半年の間に。えぇ、はい。

 え? あ、そうです。
 その彼女と一緒に、海の騎士団の軍船に便乗させてもらうんです。
 特に今日の船は、海の騎士団の中でもとびきり美味しい食事が出ることで有名な船だそうで……女性の司厨長さんが取り仕切っているそうですが、今から楽しみでワクワクしています。

 船の中での食事も、彼女との交際も、彼の国での任務も、全て楽しみなものであり、大切なものであり。
 今を生きている喜びを噛み締めながら、この騎士団の制服に袖を通していることを誇りに思いながら、向こうでもしっかり頑張って来ようと思っています。

 “レーダー”監視用の水晶球に映る光点の向こうに、人間と魔物さんの幸せな未来があると信じて……それでは、行って参ります!



《 魔術の騎士団 魔泉郷 運営・接客部 所属 : ゆきおんな(既婚)の話 》

「私は、温泉が大好きです」

 ゆきおんなである私がそう言うと、大抵の方は「……え?」と仰います。
 中には、「溶けちゃわないの?」とか、「命を大切に!」とか、愉快な反応を示してくださる方もいらっしゃいますね。
 きっと皆さんの想像では、湯船の中ですっかり溶けた私が、新種のスライムさんのようになっているのでしょう。

 ……はい? えぇ、もちろんです。
 温泉につかっても、私を含めたゆきおんなは溶けたりいたしませんので、ご安心ください。
 確かに、熱すぎるお湯は苦手ですけれど、こう見えても結構頑丈なのですよ。ふふふ。

 それに、一口に『温泉』と申しましても、その種類は多種多様でございまして……。
 例えば温度一つをとっても、冷たさすら感じる冷鉱泉、心地よいぬるま湯の低温泉、一般的な温度の温泉、火傷するほど熱い高温泉など、複数の種類があるのです。
 さらに、お湯に含まれる成分やそれに伴う効果効能にまで注目すれば、厚い書物が何冊も必要になってしまう程の奥深い世界なのです。

 私の故郷であるジパングでは、怪我や病気の治療はもちろん、旅や娯楽の象徴としても、温泉が多くの人々から愛されています。
 その歴史を紐解けば、遥か古代、さらには神話の時代にすら到達できてしまう程。
 現在でも、神様や神獣様が発見したとされる温泉は聖地と定められ、人々の信仰の対象となっています。
 そうした背景ゆえ、私を含めたジパングの魔物達は皆温泉が大好きであり、また温泉宿の開発・経営・発展に優れた力を発揮することが出来るのでございます。近年、魔界において、ジパング式温泉宿ならびに温泉街が流行していることが、その証拠であると申せましょう。


「温泉は良いのぉ〜。ジパングが生み出した文化の極みじゃのぉ〜……ビバノンノ♪ ということで、我々も温泉街を作るぞ! 幸い、この国の山岳地域の手前には、良好な泉質と魔力を宿した湯が湧いておる! この湯と周辺一帯をちょちょいとイジって、老いも若きも、人も魔物も、皆が癒しと幸福を感じられる温泉街……名付けて『魔泉郷』を作るのじゃ!!」

 今から五年ほど前。
 【魔術の騎士団 魔術兵装開発:特別顧問】である、バフォメットのシェルム様は、そう高らかに宣言されました。

 シェルム様のお言葉の通り、その地域にはお医者様、学者様、魔術師様が揃って太鼓判を押す、素晴らしいお湯が湧いておりました。
 けれども、街道の整備などが遅れていたため、国内でも「知る人ぞ知る秘湯」といった扱いを受けていたのでございます。

 「それは何とももったいない」とお考えになったシェルム様は、大規模事業『魔泉郷計画』を発動されました。
 当初は、多額の開発資金が必要になるのでは……と心配されましたが、王様や議会に対し公共事業として提案するだけではなく、人間の豪商の皆様や刑部狸連合会の方々にも参加を求め、誰もが驚くほどの勢いで計画を押し進めて行かれたのです。


 それでは、こちらの案内図をご覧くださいませ。
 現在のところ、当『魔泉郷』には三つの区域が存在しております。

 まず、街道からすぐの区域は、人間のご家族連れや、お歳を召した皆様にも安心してご利用いただける健全区域:“ぽかぽかの里”が広がっております。

 「健全区域」の名が示します通り、“ぽかぽかの里”は性的な刺激を極力廃した、標準的温泉郷でございます。
 軒を連ねるジパング式旅館のほぼ全てが、既婚の人魔の面々によって営まれておりますので、ゆったりと安心した湯浴みのひと時をお楽しみいただけます。
 もちろん、各旅館にて提供されるお料理や各種サービス、温泉の効果効能も粒ぞろいでございますので、どうぞご期待くださいませ。

 ちなみに、私と夫が営んでおります宿『こなゆき』も、この“ぽかぽかの里”にございます。
 お近くにお越しの際は、是非ともお立ち寄りくださいませ。


 さて……“ぽかぽかの里”を通り抜け、美しい鳥の囀りに耳を傾けながら歩いていただきますと、次の区域でございます、大人の区域:“ときめきの里”に到着いたします。

 こちらは、「大人の区域」の名に違わぬ愛と、性と、あらあらウフフに溢れた、まさにときめき度満点の温泉郷となってございます。
 “ぽかぽかの里”とは異なり、こちらの温泉宿で働く魔物の面々は、ほぼ全員が未婚。
 さらに、魔界の温泉郷のように一人のお客様に一人の魔物が担当として付き添い、ありとあらゆるサービスに対応させていただきます。はい……ありとあらゆるサービス、でございます。うふふ。

 なお、担当となる魔物の種族につきましては、お客様よりご指定・ご指名いただくことが可能でございます。
 獣人型を取り揃えている宿や、スライム種に強い宿、あるいはズラリとアンデット型を並べた宿など、それぞれの宿の個性や特徴を眺め、素敵なお悩みの時間を過ごされるのも楽しいでしょう。

 また、「どうしても決められない!」という場合は、“ときめきの里”の入口にございます案内所にお立ち寄りの上、【宿屋決定ルーレット】と【種族決定ルーレット】に挑戦くださいませ。
 どのような名前が飛び出しても、お客様を失望させることは絶対にございませんので、勇気を持って、さぁどうぞ……。


 そして、最後にご紹介いたしますのが、当『魔泉郷』の最奥地に広がります究極区域:“混和の里”でございます。

 “ときめきの里”から長い長い上り坂と階段を経て辿り着くその場所は、まさに究極の楽園。
 軒を連ねる宿には西方と東方の色が交じり合い、一言では表現出来ないような独特の淫靡さが漂っております。
 そこで提供される料理やお酒には魔界の恵みが惜しみなく用いられ、匂いを嗅いだだけでもビンビンのヌレヌレになってしまうことでしょう。

 また、宿に勤める魔物の面々も、性的な意味で一騎当千の強者揃い。
 心の弱い方ならば、彼女達が発する「ねぇ、お兄さん。私の宿へ寄って行かない?」という囁きだけで達してしまうかも知れません。
 もちろん、魔物に憧れる女性のお客様も大歓迎でございます。新たなる愛の地平が、あなたを優しく包み込むことでございましょう。

 加えて、“混和の里”のお湯はただの温泉ではございません。

 『魔泉郷』の生みの親であるシェルム様がその泉質を厳格に見極めた上、様々な魔物の魔力やその波長に合わせた改造を行っているのでございます。

 例えば、案内図のここ……豚の尻尾印が可愛らしい『オークの湯』。
 こちらはお湯を引いた際、たくさんのオークの面々が入れ替わり立ち代り、三日間に渡って湯船に浸かり続けました。
 その結果、特殊な魔術処理を施された湯船にオークの魔力が染み込み、そこに浸かった人間の男性は猛烈な勢いでオークに愛されるようになるのでございます。

 なお……その作業中、湯船にぎゅうぎゅう詰めの状態で浸かっているオーク達を見たシェルム様が、

「何か、出汁を取る料理人のような気分になってきた」

 と呟かれたような気がいたしましたが、あれはきっと私の聞き間違いであると確信しております。
 いいえ、そんな、私もチャーシュー麺が食べたくなったとか、そういうことは決してございませんので。えぇ、もちろんでございますとも。

 こほん、こほん。
 気を取り直しまして。

 『オークの湯』に限らず、“混和の里”のお湯は、その何れもが特定の魔物の魔力を強く宿したものとなってございます。
 そのため、「この種族の魔物と結ばれ、一晩でインキュバスになるほど熱烈に愛し合いたい!」と強く願っておられる方や、「魔物の彼女と結婚するため、この湯に浸かって今夜勝負!」と決意されている方に、強くおすすめさせていただきます。
 あわせて、「人間をやめて魔物になるわ!」と覚悟を完了された女性の方にも、“混和の里”のお湯は素晴らしい未来をもたらしてくれることでございましょう。

 あ、それと……最後に付け加えるような形になり、大変恐縮ではございますが、“混和の里”で売られているお土産物につきましては、ご自宅での開封の際、十分にご注意いただきますようお願い申し上げます。

 “混和の里”は、究極の楽園。
 それゆえ、売られているお土産の卑猥さや心身両面に対する衝撃度も最強の域にございます。
 過去には、ご近所の方へ配るお土産の袋を取り違え、結果的に強烈な催淫作用のある温泉饅頭をばら撒き、地元の村全体にベビーブームを到来させてしまったお客様もおられました。

 現在のお土産袋の色は、“ぽかぽかの里”が白、“ときめきの里”が緑、“混和の里”が桃色となっておりますので、きちんとご確認いただきますよう重ねてお願い申し上げます。


 『魔泉郷』は、老いも若きも、人も魔物も、皆が癒しと幸福を感じられる温泉街。
 家族旅行の思い出作りから、生涯を共に歩むパートナー探しの大冒険に至るまで、その全てを受け入れるお湯の楽園でございます。

 先日も、私ども夫婦が営む宿に、お祖父様とお祖母様の金婚式を記念する、家族旅行のご一行がお見えになりました。
 家族みんなでゆったりとお湯に浸かり、山海の恵みを活かした料理に舌鼓を打ち、素敵な思い出話の数々に笑い合う……。
 それはどこまでも尊く美しい、幸福に満ちた光景でございました。

 また別の機会には、重い病によって手足に障害を負った男性とその奥様が、湯治のためにといらっしゃいました。
 先程もお伝えいたしました通り、『魔泉郷』のお湯は良好な泉質と魔力に恵まれた奇跡のお湯でございます。
 到着された当初は暗く、悲壮感に満ちた表情を浮かべておられたお二人が、三日、五日、一週間……と時を追うほどに明るくなり、ひと月の湯治を終えられる頃には笑顔で手をお繋ぎになった上、ご自身の足で軽やかにお帰りになりました。
 それもまた、歓喜と希望の色彩に溢れた、かけがえのない幸福の姿でございました。

 私は、ただのゆきおんなでございます。

 シェルム様のような驚異的な頭脳の持ち主ではなく、リリムの皆様のような奇跡の美貌を誇る訳でもなく。
 ただただ、愛する夫と共に日々働く、ゆきおんなでございます。
 けれども、僭越ながら二つの言葉を継ぎ足すことをお許しいただけるならば……こうなります。

 私は、人魔の皆様の幸福の近くにいる、やりがいに満ちた仕事に恵まれた、ただのゆきおんなでございます。

 故郷であるジパングから遠く離れたこの地に根を下ろし、最愛の夫とめぐり逢い、『魔泉郷』計画の発足当初からそれに参加し、人魔の皆様のほっこりとした笑顔作りに貢献できる。
 あぁ、これ以上の名誉や喜びが他にありましょうか。

 私は、ただのゆきおんなでございます。
 特別なことは何も出来ない、ただのゆきおんなでございます。
 ですが、私は、とても幸せなゆきおんなでございます。
 魔物として夫と愛し合い、命ある者として意義ある仕事に向き合い、体内を流れるゆきおんなとしての魔力と、夫の精と、明日への希望を感じながら生きております。
 あぁ、あぁ、本当にこれ以上の名誉や喜びが他にありましょうか。

 湯けむりの向こうに美しい未来の形を見ながら、今日も、明日も、明後日も、私達夫婦は参ります。
 この『魔泉郷』の宿にて、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。




《 魔術の騎士団 魔術兵装開発 特別顧問 : バフォメットのシェルムの話 》

 ん? ワシにインタビューとな?
 いやぁ〜……何と言うかまぁ、その必要はないのではないか?

 ワシは、この国との良縁に恵まれた、ただの単なる便利屋じゃよ。
 生来の好奇心と思いつき屋の性分ゆえ、あれこれ色々とやっておるが、誰かに褒めてもらおうと気張っておる訳でもないし、この世界の行方を変えてやろうと漲っておる訳でもないしのぉ。
 むしろ、ワシの道楽じみた愚挙愚行に皆を付き合わせておるようで、ちょっと申し訳ないくらいじゃよ。

 方方で話を聞いて来たのならば、もう十分に理解しておろうが……この国は、良い国じゃ。
 何より、この国に暮らす人魔の連中が良い。
 素直な奴も、ひねくれた奴も、ワシから見れば等しく可愛い連中なのじゃ。
 この調子で皆の愛と信頼が深まれば、この国は明緑魔界を超えた新しい種類の“ほんわかした魔界”になるやも知れんのぅ。

 読者諸君の中には「えっ!? 魔界化!? 何それ、怖い!」と感じる者も居るやも知れんが、なぁに怖がる必要など一切ないぞ。
 人も魔物も、皆がこの国を愛し、互いの関係を大切に思っておるのなら、この世界もまたそれを受け入れるように優しく、柔らかく包み込んでくれるじゃろう。
 太陽が昇れば暖かくなり、雲が満ちれば雨が降るように、魔界化も自然が織り成す必然のようなものなのじゃ。

 だから、何も心配はいらぬ。大いに安心して欲しい。


 ん〜? 今、ワシが取り組んでおる仕事や計画とはなんぞや、と?

 あぁ〜、うむ、それなのじゃがな。
 これ以上ないほど私事で恐縮なのじゃが、実はワシ……三ヶ月ほど前に結婚しての。
 うむ。遂にワシの心を突き動かす、最高の兄様と出逢えたのじゃよ。
 な、もので、現在は愛する兄様との新婚生活に夢中でのぉ。
 仕事の方は、すっかり開店休業の状態じゃ。

 ありがたいことに、各騎士団の責任者や議会の諸君、さらには王家の皆も「新婚休暇ということで、心ゆくまで愛し合っていてください」と言ってくれての。
 そのお言葉に甘えて、今は全力でラブラブいちゃいちゃさせてもらっておるのじゃ。
 いやはや、本当にありがたいことよのぉ。ホッホッホッ!

 とりあえず、もうしばらくの間は休ませてもらう予定じゃが……ワシの頭の中では、既に幾つかのアイデアが浮かんでおっての。
 心身ともにツヤツヤのテカテカになった休み明けには、また皆の衆を「あっ!」と驚かせるような発表が出来るじゃろう。
 無論、そのアイデアの方向性はただ一つ。

【全ては、人魔の愛と平和と充実した性のために!】

 この先何があろうとも、その軸だけは決してブレることはない。
 ワシら魔物は、人間が大好きじゃ。
 だから、人間の皆も、ワシら魔物を好きになってくれたら嬉しいのぉ。
 互いに惹かれ合う心が噛み合えば、ワシらは無敵・未来は薔薇色、じゃよ。


 ……ほれほれ、ワシの話はもうこの辺でいいじゃろう?
 物語の主役はワシのような便利屋のバフォメットではなく、日々をきちんと誠実に生きている人魔の皆なのじゃからな。

 ぬ? 最後に一言、じゃと?
 う〜む、そうじゃのぉ〜。難しいことは、必要ないと思うんじゃよ。
 『素直に語り、素直に笑い、素直に交わりたまえ』、と。ただそれだけじゃな。

 おっと……せっかく兄様のために仕込んだスープが吹きこぼれる所じゃった。
 ワシら夫婦も、皆の家庭も、根っこの部分は同じ心で繋がっておるんじゃよ。

 あなたの笑顔が見たい。あなたの喜びとともにありたい。
 今も、未来も、そのまた先も、皆の歩む道に幸せの花が咲かんことを!
13/08/31 02:22更新 / 蓮華
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