連載小説
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怨念の宇宙恐竜 魔王と皇帝
 ――ダークネスフィア――

 冷風が吹き荒ぶ闇夜の荒野を照らす、幾条もの妖しい光。

「お母様!」
『ほう……』

 そして、自分の眼前に注がれる一際太い光の中心を、エンペラは何処か嬉しそうな様子で見つめる。とはいえ、それも無理もない事であろう。
 エドワードとの死闘は極めて激しいものだったが、魔と神の力に多分に侵されているとはいえ、同じ人間相手に戦うのは“救世主”たる彼の本分ではない。一応、本人は自身と並ぶ力の持ち主であるエドワードの力に驚き、また久方ぶりの一対一の死闘を楽しんではいたが、それでも本来ならば救世主として戦うべき相手ではない。

『まさか今日この場で、貴様と相まみえるとは思わなんだ』

 彼が生まれた意義――それは人類を滅亡に追い込む“異種族”と戦い、さらにはその巨魁を殺す事。それは一度死に、蘇った現在も同じだ。

「フフ……お会い出来て光栄だわ、皇帝陛下」

 何者をも魅了する媚笑を浮かべ、降り注ぐ妖光より現れいでた女。

『ようこそ、我がダークネスフィアへ。其の方が今代の魔王か』

 絶世の美貌を持つのはリリム達と同じだが、全身より放つ魔力はリリム最強と目されるデルエラさえも圧倒的に上回り、それでいて目を離せなくなるほどに淫蕩なものだった。名乗るまでもなくその正体は明らかであろう。
 だがそれでも、皇帝は怯まない。この女を倒す事が彼の蘇った目的の一つである以上、戦意が昂りはすれど、怖気など微塵も湧きはしない。

「如何にも」
『来るのが分かっておれば、相応の礼を尽くして出迎えたものを』
「今は戦時中故、そのような気遣いは不要ですわ」

 互いの顔がはっきり分かる間合いで対峙する両者。だが意外にも両者に殺気は無く、むしろお互い興味津々といった様子である。

「……!」

 そんな中、母の傍らで驚愕するデルエラ。それは母が夫を傷つけられておきながら、それを感じさせぬほどに穏やかなままであったのもそうだが、それ以上に敵の姿に驚いたのだ。
 もう人妻とはいえ、『魔物娘の根源』たる魔王の暴力的という表現すら生ぬるいほどの淫魔の魔力を眼前で浴びせられて、顔色一つ変えず平然としている。これがどれほど異常な事かは説明の必要もあるまい。
 この男は本当に人間なのか。いくら愛する妻がいたとはいえ、それだけで我が母の魔力に耐えられるはずがない。
 それが前魔王と互角に戦ったというこの男の純粋な実力に起因するものか、あるいは心身に宿る魔物への圧倒的な憎悪によるものか、リリムには分からなかった。

『成程、ここに参ったのは全ての決着をつけるためか。其の方も娘や夫同様、余を討つつもりか?』

 今更分かりきった事ながら、あえてエンペラ一世は魔王に問うた。

「討つというよりは倒す…かしら? 私は例え貴方ほどの相手でも命を奪うのを良しとしません。
 正直に申し上げますと、私達は貴方がたエンペラ帝国軍とも分かり合いたいと考えております」

 皇帝に対し、魔王は微笑みながら嘘のない正直な気持ちを伝える。

『人間と魔物が分かり合えるはずもなかろう。そんな殊勝な事を考える連中ならば、余は生まれなかったであろうよ』

 だが、以前と同じく己の存在そのものを根拠に、皇帝は魔王の和解の申し出をはね退けた。

「以前なら、まさに貴方の仰る通りでしょう。しかし、今の魔物娘は違います」
『確かに誑かすのは上手くなったようだ。おかげで人間の数は減るばかりだ。
 愛だ何だと抜かすが、結局人間の女は魔物に変えられ、人間の男と子を作っても生まれるのは魔物しかおらぬ。人類は見事に衰退する一方で、貴様等はこれまでに無いほど順調に繁栄しておるな』

 さらに、皇帝は魔物娘の繁栄の陰で着実に人口を減らしつつある人類の危機、そして魔物娘繁栄の象徴にして問題点たる『魔物娘と人間の男の間には魔物娘しか生まれぬ』という事実を魔王に突きつける。
 皇帝にとっては魔物娘が愛だ何だと抜かして男と仲睦まじく暮らしてはいても、結局それが人類を減らし魔物娘に利する状況にしか見えなかったのだった。

『ならば、余が取り戻さねばなるまい。古き良きとまではいかぬが、せめて人間が人間のままでいられる世界をな』
「…確かに今の現状は歯痒く思います。私の力はまだ神々に及ばない――即ち、まだ魔物娘は人間の男児を産めぬという事。でも、それももうすぐ終わります。
 魔物娘の数が増え、私の力が神々の法則を超えた時、人間と魔物娘は真の融合を果たす。老いも病も、あらゆる苦しみが消え、愛と淫欲に満たされ、人と魔の争い無き世界が完成する」

 それでも魔王は己の理想、本心を語るが――

『だといいがな…』

 その言葉からして、皇帝が彼女の主張を一片も信じていないのは明らかであった。

『証拠はあくまで其の方の主張だけ。それでは将来解決するという根拠が結局貧弱過ぎて話にならぬ。
 その上、言葉通りであったとしても、それも其の方の心次第。仮に解決出来るほどに力が高まったとして、口ではそう述べても本心ではそれを実行するつもりがあるのか?
 …余にとっては、それらの疑いだけで貴様等を滅するのに十分過ぎる理由だ。余は救世主として、人類滅亡のあらゆる可能性、そしてその“原因”を排除するという義務がある!』

 分かりきった結果ではあるが、エンペラは魔王の主張を信じはしなかった。魔王は未練のある悲しそうな顔で彼を見つめたが、魔物と殺し合い続けた男の不信感を今更拭えるはずもない。

「その様子なら、どうあっても信じていただけない御様子。残念だわ…」

 落胆する魔王。出来ることなら話し合いで解決したかったが、叶わなかった。戦いは避けられないだろう。

「お母様、私達も加勢を!」
「いえ、あの人は今のところ私を殺す気は無いわ」
「!」
「教団と違って、“順序”は理解しているのよ。私を殺すのは最後と決めているのでしょう」

 そう述べて、加勢しようとしたデルエラに微笑みかける母。皇帝の抱く魔物娘への複雑な心情を魔王は見抜いていたのである。

『思っていたよりは賢しいようだな』
「貴方の方こそ』

 魔物は雄であれ雌であれ害悪だが、エンペラ帝国としては一応魔物娘のままでいる方が被害が少ないと見ている。とはいえ、一匹も残さず絶滅させる事に変わりはないのだが。

「貴方には教団の連中よりは現状、そして未来が見えているはず。ならば、私の創る理想の世界もまた、貴方には見えるはずなのですけれど…」
『所詮魔物の理想、人間にとってはまやかしにすぎぬ。そんなものを信ずる気はない』

 人類の現状を案じ、救おうとしているのは両名共同じである。けれども、どう救うか、またその後どういう世界に導こうとしているかは全く異なる。

「でもね、皇帝。貴方の理想では結局何も変わらない」
『!』
「貴方の創る世界では悲しみも苦しみも、人を蝕む何もかもが消えずに残ったままなの。
 けれども、貴方はそれを良しとするでしょう。それが人間の幸福、そして世界のあるべき姿だと……でもね、私にはそれが耐えられない」
『……だから魔物と人を繋げ、一つにすると申すか』
「人に淫魔の力が加われば、それが可能。恐れるものは何も無い……老いも、病も、憎しみも、苦しみも消えた、伴侶と望むままに愛と快楽を愉しむだけの素敵な世界……♥」
『……っ!』

 皇帝の理想を否定しつつ、陶然とした顔で己の理想を語る魔王だが、その様を見た皇帝は明らかな嫌悪感を見せ、顔を背けた。
 そのおぞましいほどの淫靡さもそうだが、皇帝にはこの女の語る理想が明らかに人間にとって良からぬ結果しか招かぬ破滅的なものだったのだ。

『前の魔王はどうしようもないクズだったが、貴様も最悪だな。何故、あの男が貴様のような女に惹かれたのか、余には分からぬ』

 何故エドワードほどの男がこんな狂人に誑かされたのか、エンペラには理解出来なかった。この女が絶世の美貌の持ち主とはいえ、それに惑わされる男ではないはずなのだが。

「あら、馴れ初めはとっても濃厚よ? 貴方が望むのなら、語り聞かせても良いのだけれど…」
『結構だ。奴の過ちを聞くのも胸が痛むというもの』
「あら、そう? それは残念」

 馴れ初めを語りたかったようだが、皇帝に断られ残念そうな顔になる魔王。

(どうも得体の知れぬ奴よ……)

 皇帝は無愛想に応じてはいたが、内心ではこの女の振る舞いに当惑していた。
 おぞましいほどに淫靡で下劣であるが、時に人間と同じような反応をする事もある。それが彼にとって薄気味悪くてならなかったのだ。

「では、今度は貴方の奥様のお話を聞かせていただくとしましょうか」
『…何だと?』

 そんな皇帝の心境を知ってか知らずか、魔王から代わりに要求されたのは自身と亡き妻との出会いの秘話であった。しかし、そんなものを聞いたところで魔王に何の益があるのかが見出だせず、皇帝は怪訝そうな顔をする。

「世界の七割を支配した男が終生愛し続けた妻の話を、私は前から知りたいと思っていたの」
『それを聞いて何とする? 余に得があるというのか?』

 何の目論見があるのかは知らぬが、何にせよ魔王のくだらぬ馴れ初めなど聞きたくはなし、そして自らと妻の出会いを話すのは尚更嫌であった。

「体から発せられる精だけでも一応必要な情報は得られるけど、本人の口から細かく聞いた方が臨場感があって面白いじゃない?」
『待て。一体何の話をしている?』
「だから、貴方と奥様がどういう風にエッチしていたかっていうお・は・な・し♥」

 その瞬間、エンペラの顔が引きつる。

『……成程。その下劣さ、実にサキュバスらしいな』

 魔王がどんな女かを少しは理解した皇帝は、科を作って微笑みかける魔王とは逆に、実に不愉快そうな面持ちとなる。

「私は貴方の口からそれを知りたいのよ♥」
『下劣な上に無礼ときたか。やはり貴様が人間の上に君臨しようとするのは分不相応というものだ!』

 魔王の破廉恥な要求にエンペラ一世は当然応じるはずもない。むしろ余計に彼を怒らせるだけだった。

「エンペラ帝国皇后ソフィア・ヤルダバオート」
『っ!』
「淑やかで気立てが良い。そして芯が強く、誰であっても物怖じしない……それでいて魔物娘にも負けないほどの絶世の美女。
 まさに理想の女性ね、女の私も惚れ惚れしちゃう」

 しかし、口調こそ挑発的であるが、語る言葉は本心である。面識は無いが、伝え聞くソフィア皇后の人柄には旧魔王軍時代から魔王は敬服していた。

「…けど、“あっち”の方もすごいとはね」
『っ!?』

 目を細め、艷やかながらも陰湿な笑みを浮かべる魔王と、そんな彼女に一瞬背筋が寒くなる皇帝。
 敵の首領の愛する妻にして、己の敬服する女性の隠れた一面。彼女は皮肉にも今この場で知ってしまったのだ。

(出た…! お母様の【ゴシップサーチ】!)

 母の恐怖の能力が披露され、デルエラは戦慄する。人間はもちろん、犬猫や魚、虫に至るまで、魔王は相手の精を一嗅ぎするだけでその交尾歴、性生活を詳細に知ることが出来るのだ。
 即ち、魔王の前ではどのように伴侶と性行為をしたか、何回絶頂したか、どのぐらいの時間をかけたかなどは全てばれてしまう。もちろん、好みの女のタイプ、性的嗜好や経験人数なども全てだ。

「英雄の物語に恋愛は付き物なの。ましてや私はサキュバス……“濡れ場”があれば尚更愉しいのよ」
『…!』

 英雄の物語とは、即ちエンペラ一世の生涯と同義。当然、そこの濡れ場だけ興味があると言われれば、自らの人生を侮辱されたにも等しい。

『気色の悪い女め!!』

 当然激怒し、そしてこれ以上知られたくない事実をバラされてはたまらないとばかりに、皇帝は全身に帯びる魔力を増大させる。

「あら、“朗読会”にはならなかったようね。残念残念、残念至極だわ」

 魔王の方は逆に愉快げな薄笑いを浮かべながら、こちらも毒々しい菫色の魔力を放出する。

『魔物共を雌に変えた元凶は貴様だ。現状において少しは被害が少ない故、殺すのは最後にしてやろうととりあえず決めてはいたが、その下劣さは生かすに値せぬ!
 やはり今日この場で殺してしまった方が後の人の世のためになろう!』

 魔王の挑発に我慢の限界が来た皇帝。その減らず口を永遠に封じるべく、増大させた魔力を双刃槍の穂先に一点集中する。

『話は終わりだ。愚かな娘と不出来な部下共々、この荒野で惨たらしく死に果てろ!!
 ――万物を滅ぼし尽くせ【レゾリューム・レイ】!!!!』

 そして、放たれる破滅の極光。

「ふんっ!」

 しかし、着弾寸前のところで魔王の平手打ちによって弾かれて光線はあっさり軌道を曲げられ、そのまま遥か上空まで飛んでいき、四散したのだった。

「あぅっ!?」

 もちろん、彼がそれをただ眺めているはずもない。
 魔王が感嘆の声を上げる間もなく、エンペラ一世は弾かれた攻撃に一瞬気を取られたデルエラを蹴り飛ばす。

「デルエラ!」

 そして皇帝は魔王が娘に注意が行ったその一瞬で背後へ回り込んでおり、魔王の後頭部目掛け槍を突く。

『チッ!』

 ――も、見切っていたのか頭を右に傾け回避。そのままカウンターとして右背足を繰り出して皇帝の胸板に叩き込み、蹴り飛ばす。
 だが、皇帝もぶっ飛ぶ途中で派手にとんぼを切って着地し、体勢をすぐに立て直した。

『女らしく華奢だが、思っていたよりは非力でないな』
「そうよ。淫魔は魔術に長けているけれど、男との交わりで使うのは肉体の方。だから、見た目ほど柔弱でなくてよ」
(お母様! 私を囮に使うのやめて!)

 この攻防はどちらにとっても小手調べ。両者共わざと敵に攻撃させやすい隙を作り、見ただけでは分からない相手の実力を測っていた。
 ……もっとも、そのダシに使われたデルエラはやや不満げであったが。

『女とはいえ今代の魔王。やはり、そう一筋縄ではいかぬか』
「いいえ、貴方の方こそ。我が夫と戦って消耗しているかと思っていたけれど、想定より回復が早かったようね」

 治療魔術による即時回復こそ出来ぬが、救世主エンペラ一世の継戦能力は魔物娘にも劣らない。先ほど左腕を酷使したことによる腕への甚大なダメージは既に半分以上回復出来ていた。

「そんな……」
 
 起き上がるも困惑した顔でデルエラが呟く通り、今回の戦いにおいて皇帝にはあれが初めての目に見えたダメージであった。しかし、そのダメージは既に大半が回復されてしまっていたとなれば、さすがのリリムも嫌になってくる。

「いいえ、貴方達のやった事は決して無駄じゃない」
『………………』
「この人も相当無理をしているわ。本来なら魔術による速やかな治療を進めるほどにね」

 皇帝がいくら平気そうに振る舞っても、さすがに魔王の目は誤魔化せなかった。

『確かにここまで傷ついたのは前魔王との戦い以来だが……貴様等を仕留めるには十分だ』
「私はその先代とは違うわ。貴方がその気でも、私達の方は貴方を殺すつもりはない。
 戦いの果てに貴方が死に、私達の方が生き残ったとしても、それは私にとって勝利とは呼べない」
『……貴様、本当に魔王か?』

 この女の思想は皇帝にとって明らかに異質だった。残忍な魔物らしからぬ、まるで平和主義者にさえ取れるその言動に、皇帝は僅かに戸惑っていた。

『魔物とは人間の天敵。それが何故人間を生かそうとする?』
「もうそんな時代は終わったの。私は神の定めたくだらない“役目”に従うつもりはない」
『役目?』
「その役目に従ったからこそ、私達魔物は今まで人間を迫害し、殺戮し、捕食し続けてきた。でもね皇帝、私はもう迫害される人間も、そして迫害する魔物達も見たくないの。
 私が魔王となって、魔物達をそんなくだらない役目からようやく解放した。“人間の天敵”なんていうくだらないものからね。
 だからもう、私達には争う理由が無い。いいえ、むしろ人間を深く愛し、だからこそ同じ種となって共に生きたいと思っているのよ」

 そんなエンペラの微かな戸惑いを感じ取った魔王は偽りのない本心を伝える。

『だが、人間が減り続けているという事実は変わらぬ』
「…!」
『それが解決するという根拠も結局薄すぎる。先ほどそう申したであろう?
 男児が産まれるようになるまで一体後何年かかる? 千年か? 二千年か?
 果たしてそれまでに人類が存続していると貴様は断言出来るのか?』

 だが、それでも皇帝は頑なに魔物娘を拒んだ。

『何より、貴様の気が変わらないとは言い切れぬ。魔物は人間よりも遥かに寿命が長い故にな。
 その果てしなく長い生涯の中で、ずっと人間を愛し続ける事が出来るのか? いいや、いつしか貴様等は平和に飽きてしまい、全て元に戻そうと思うかもしれん。
 絶望と殺戮に満ちた、地獄の如きあの時代に!』
「そんな事は!」
『本当に無いと言い切れるのか? 貴様は魔王……だからこそ余は信じられぬのだ!!』

 如何に人類に友好的と主張しても、結局魔物の存在は人類にとって危険過ぎると皇帝は判断した。
 どうも胡散臭いが、仮に人類に対して共存共栄を望む友好的な存在だとしいうのが事実だとしよう。しかし現在はそうでも、それが一体いつまで続くかなど誰にも分からないのだ。
 魔物の能力は人間を遥かに上回る。その強大な力が将来人間を滅ぼす事に向けられる可能性が1%でもある限り、皇帝はそれを排除せねばならない。

『貴様等の力は人間よりも遥かに強大。そして、その力が今まで人類を滅ぼすために向けられ続けてきた。
 人間を愛しているだと?――――今更何をしようが、今まで貴様等が人間を殺戮してきたという事実は消えぬわ!!』
「「「…!」」」

 かつての魔物が人類に犯してきた罪。今更彼女等が更生したとて、断罪するのに変わりはない。
 それを示すかの如く、皇帝は傷ついた肉体で尚戦闘を続行しようと、再び全身に超高濃度の魔力を循環させた。

『そして、その殺された者の中には我がエンペラ帝国軍の将兵も民も大勢いる! 貴様等が生きておる限り、彼等の魂に安息など訪れぬ!!』
「!? 何、あれは…!?」

 皇帝の怒りと共に暗黒の鎧から滲み出る靄のようなもの。それを見たデルエラは何か途轍もなく嫌な感覚を覚えた。
 その正体は分からないが、それが魔物娘とは相容れないのだけは確かである。

「視認出来るほどの濃い怨念を見るのは随分久しぶりね」

 魔王が神妙な顔で呟く通り、魔物娘はかつての邪悪な魔物と違い、このような負の念をエネルギー源とする事は無い。今の彼女達にとって、こんなものはむしろ受け入れ難いものだ。

「そして、こんなものが貴方一人のものであるはずがない。無数の人間の叫びがその靄から聞こえるもの…」

 魔王である彼女でさえ、感じられる負の念には空恐ろしさを覚えた。

『だが、そんな彼等の無念は余の力となってくれた』
「!」

 聡明なデルエラは皇帝の言葉から全てを察した。

「帝国残党が皆姿をくらましたにもかかわらず、その鎧だけは地上に安置されていたのはそういうこと?」
『魔王の娘だけはあって少しは聡いらしい。説明の必要が省けたな』

 暗黒の鎧が現在の彼等の本拠地である浮遊島でなく、わざわざ地上に放置されていた理由――それは地上に渦巻く負の念を吸収し、力に変えるためであった。
 暗黒の鎧は数百年かけて世界中の負の念を汲み上げ、吸収したそれらを魔力へと変換、貯蔵。来るべき魔物との再戦、そして神々の誅滅に備えていたのである。

「確かに変に思ったことはあったわ。エンペラ帝国崩壊直後から世界に満ちる負の念が減りつつあったもの。
 とはいえ、世のためにそれはむしろ良い事。それ以上の事態解明は行わなかったけれど、まさかこういうカラクリがあったとは私も夢にも思わなかったわ」

 帝国崩壊と並行して世界に満ちる負の念が減っていった事に魔王は疑問を抱いていたが、真相はまさかこのような事だとはさすがの彼女も気づいてはいなかった。

『貴様等がいくら綺麗事を宣おうと、この者達の無念は晴れぬ! 貴様等魔物の滅亡だけがこの者達の望み!』

 滲み出す怨念に操られるかのように、皇帝は怨嗟の声を紡ぎ出す。

『余は救世主として、死んでいったこの者達の無念を背負い戦おう!』

 そんな皇帝の意思に呼応し、怨念達は魔力となって彼に強大な力を与える。

『唸れ! 【エンペラインパクト】!!』

 消耗しきった体に再び満ちた魔力は左掌から強大な衝撃波として魔物娘達へと放たれる。

「デルエラ」
「ええ、お母様」

 デルエラは自らを中心とし、回転する特殊な防護結界を作り出す。

『!』

 一定のリズムで回転するその結界は叩きつけられた衝撃波を散らしてしまい、霧散させた。

「その“背負った荷物”を降ろしてもらうにはちょうどいいわね」

 娘の展開した回転する結界を見た魔王は何か思いついたのか、微笑みを浮かべる。

「【サタニックパフューム】♥」

 魔王の口から菫色の息が吐かれ、それが回転する結界によって散らされていく。

『ぬっ!?』

 辺りの空間が急速に菫色に染め上げられて驚く皇帝。しかし、それ以上にまずいのは、このダークネスフィアに淫魔の魔力が恐ろしい早さで拡散している事だ。

(まずい!)

 このダークネスフィアはエンペラ一世が己の力を存分に振るうために創り上げた“戦場”。全てが彼の支配下にあり、人間ならば何の問題の無いこの空間も、魔物や神の手先であれば話は別。それは例え魔王であっても例外でなく、彼女さえ力と術の一部が封印されているほどだ。
 だが、大量の淫魔の魔力でこの地が汚染されれば、その法則も崩れてしまう。万が一魔界化してしまえば一転、皇帝にとって不利な空間へと変じ、最悪“放棄”せざるを得ないだろう。

(迂闊だった…! 奴の魔界化の力は予想を遥かに超えている!)

 大気が急速に菫色に染め上がることで、これまでになく焦燥する皇帝。魔王本人が直接ばら撒いているだけあり、その早さは尋常ではない。
 しかし何よりまずいのが、皇帝本人もまた淫魔の魔力の影響を受けるという事である。強大な力こそ持ってはいるが彼もまた人間であり、魔王から放たれる魔力は耐える事こそ出来たが、異界全てに淫魔の魔力を満たされてはさすがの彼も耐えきれないだろう。

「へぇ、意外ね。彼があんなに慌てるなんて」
「グルル……」

 結界の中で、デルエラとバーバラは慌てるエンペラを興味深げに眺めている。

「私と対面して理性を保てたのはさすが救世主と言ったところ。でも人間である以上は、魔界に居続けて何の影響も無いというわけでもないのよね」
「見られるかしらお母様? 彼が発情するところ」
「その時は好みの魔物娘を見繕ってあげるつもりよ」
「ふふ、引く手数多ね…」

 あの鉄面皮が快楽に緩み、最強の肉体が魔物娘を犯して精を放つところを想像し、淫靡な笑みを浮かべるデルエラ。
 魔物娘から現在一番恨みを買っている男だが、それでも彼と交わりたいという魔物娘は多くいるだろう。魔王達としても、味方になるならばこれほど心強い男はいない。

「デルエラ、しばらくこの結界の維持をお願いね」
「えぇ、任せて」
「では」

 そう言って、魔王は結界から飛び出す。

『!』

 急速に散布される魔力の霧によって視界は最悪だが、その強大な力の波動は常に捉えているため、皇帝は魔王の移動を察する。

『霧に乗じたか! だが見えなくば手を出せぬと思うたか!?』

 狂気じみた笑みを浮かべたエンペラは己の負傷にも構わず、その全身に先ほどの“究極の右腕”及び“終焉の左腕”発動時に匹敵する凄まじい量の魔力を充満させる。

『この鬱陶しい霧ごと貴様等を滅ぼしてやれば済む事だ! 
 ――さぁ、万物を滅ぼし尽くせ!! 【ギガレゾリューム・レイ ジェノサイドイラプション】!!!!』

 ばら撒かれる淫魔の魔力ごと魔王と娘、竜王を灼き尽くすべく、皇帝は全身から破壊閃光を放った。

「あぅっ!」

 瞬時に防護結界を展開したとはいえ、360°全てに放たれた閃光を防御しきるのは魔王でも出来なかった。そのため勢いを殺しきれず、魔王は地面に叩きつけられる。

「お母様!」
「大丈夫よ」

 防護結界の中から叫ぶ娘を安心させるべく微笑みかける母。

「本当に“焼き消す”なんて…」

 魔王も少々驚く通り、このような方法で魔力を消滅させたのは彼が初めてである。

『ぬうぅぅぅぅぅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!』

 しかし呑気に驚いている暇はない。間髪入れず、皇帝は気合と共に大声を上げ、上空へ向け右掌から光弾を撃ちまくる。

「! あれは…」

 デルエラはあの光弾の一発一発が、先ほど己が必死で防いだ皇帝の奥義の一つ“破星の一撃”だと気づく。

「そんな…! あれ一発で大国一つを簡単に吹き飛ばせるのよ!?」

 極めて稀な青ざめた顔でリリムが訴える通り、【プラネット・デストロイヤー】は一発で大国、いや大陸を破壊出来る代物。それがなんと百発近くも連射され、花火の如く空へと打ち上げられていく。

「貴方も本気ね…」

 エンペラ一世がこのように奥義を多用するも、魔力のバックアップがあるとはいえ、それでも肉体には多大な負荷がかかっているのを見て取った魔王。皮肉にも、その闘争心はかつての魔物にも似た凄まじいものであるが、魔物の“役目”を既に放棄していた魔王はそんな戦いの権化と化した彼に哀れみを覚えたのだった。

『ぐっ……ぬぅう……っ』
「………」

 痛みにより、彼らしからぬ呻き声をあげる皇帝。
 循環する己の強大な魔力に耐えきれず、皮膚の所々は血管が破れて血が滴り、それが鎧の関節の隙間から噴き出す。見ていてあまりにも痛々しいその姿に、デルエラは一瞬停戦を呼びかけようと思ったほどだ。

『集え…!』

 ばら撒かれた魔力は大分焼失させたが、今度はデルエラが己の淫魔の魔力を拡散させているため、このままではこの異界が魔界化するのも時間の問題。それ防ぐべく、エンペラは苦痛に苛まれながらも、空に浮かぶ百個近い赤黒い光球へさらに魔力を注ぎ込む。

『怒りよ! 悲しみよ! 憎しみよ! 恨みよ! 絶望よ!
 魔に虐げられ殺されし汝等の無念を、今ここでかの者らに思い知らせよ!』

 両肘と両膝の鎧の隙間から血を噴き出しながら、皇帝は詠唱…いや今まで魔物に殺されていった人類達の呪詛の言葉を紡ぐ。

『星ごと討ち滅ぼせ!! 【プラネット・デストロイヤー ペルセイズ】!!!!』

 そして、ついに降り注ぐ流星群。

「あれだけの規模なら最早防御は意味をなさない。本来は秘術をお見せするところなんだけれど、この場所ではそれも封じられているし……力ずくで破壊するしかなさそうね」

 迎え撃つべく、魔王の両手に先ほどの皇帝に匹敵する凄まじい魔力が収束する。

「【ギャラクシーエスペシャリー】!!」

 そうして両手より放たれる怪光線。それがさらに数万条に分裂し、流星群と競り合う。

『ぬっ!?』
「…!」

 やがて流星群とレーザーは互いに反応、誘爆。

『うおおおおっ!!??』
「くっ……!」

 どちらの技も奥義と言えるほどに強力であったため、発生した爆風は極めて巨大であり、魔王も皇帝も共に呑み込まれる。

『どうりゃあ!!』
「フンッ!」

 だが、皇帝は灼熱の魔力を自身より垂直に噴き上げる事で、魔王は魔力で強烈な旋風を巻き起こして回避し、両者共にやり過ごした。

『ぐっ…』

 だが、皇帝は無理が祟り、意識が飛びかけよろけた。

「……」

 さらに不運な事に、限界が来た皇帝の兜が砕け散る。そこを魔王が逃すはずもなかった。

『!』

 サキュバスの親玉だけあり、魔王は男の元に気づかれず忍び寄るのは恐ろしく巧みであった。そんな彼女は露わになった皇帝の左耳の穴目がけ――

「フッ!」
『ぬぐっ!?』

 口から唾にも似た小さな魔力の塊を飛ばし、侵入させた。

『がっ……がああああああああああああ!!??』

 途端、絶叫し錯乱する皇帝。

『ぐ……』

 数十秒苦しんだところで、人類最強の男はついに倒れたのである。

「さ、行きましょう。私のお城はとっても愉しい所よ♥」

 魔王は皇帝を担ぎ上げると、娘達の所へと向かう。

「お母様! ついにやったのね!」
「いいえ、彼は気を失っただけよ。見てご覧なさい」

 デルエラが股間に目をやると、確かに勃起は見られなかった。これだけの魔物娘に囲まれ、魔王直々に魔力を叩き込まれて尚、全く性欲が掻き立てられないのは恐るべき話である。

「今この場で帰らず、もっと魔力を注ぎ込めばいいんじゃない?」

 娘の疑問に、母は頭を振る。

「無理よ。何故なら彼の心が魔物娘を受け容れないから。
 彼ほどの男に無理矢理淫魔の魔力を注ぎ込めば、強固な精神と魔物への強烈な憎しみとそれらが競り合って、肉体が拒否反応を起こしてショック死してしまうのよ」

 魔王はポセイドンのような自らより上位の神々の魔物化に成功しているが、それは彼女等が元々新生魔王軍に好意的であり、最初から魔王の魔力を受け容れてくれたからだ。
 だが、エンペラの場合は違う。彼は人間とはいえ凄まじい戦闘能力を持ち、精神力そのものも神々にも匹敵する。また出生と生涯に由来する魔物への凄まじい憎悪を持ち、それは淫魔の魔力をも受け付けぬレベルである。
 普通の人間ならば淫魔の魔力を浴びた時点でインキュバスと化すが、彼ほどの者になると精神が魔物の存在を受け容れぬ限りインキュバスとはならない。したがって、いずれにせよ彼の誤解を解かねばならないのだ。

「そうなのね……難儀な人だわ」
「! 触ってはダメ!」

 そんな皇帝を哀れんでか、デルエラはつい暗黒の鎧に触ってしまう。

「うっ!」

 すると、デルエラの頭に“記憶の奔流”が流れ込む。

(お願い! 殺さないで!)
(やめて! この子だけは助けて!)
(逃げろ! 私達はいい! お前だけでも逃げるんだ!)
(お母さんをはなせ!)
(みんな…みんな燃えていく…)
(い…たいよ…)
(みんな…しんじゃった…)

 見えたのはまさに“生き地獄”。この世のありとあらゆる不浄が詰まったような最悪の光景、記憶の断片の一つ一つが目を背けたくなるような凄惨極まるものだった。

「デルエラ!」
「……っ!」

 母の必死の呼びかけで我に返るデルエラ。現実世界では一瞬だが、デルエラは精神世界で実に数千人の“死に様”を体感した。
 五百年近く生き、如何に達観したとはいえ、これらの凄惨な光景を見せつけられて何も感じぬほど冷酷非情ではない。

「ごめんなさい。先に言っておくべきだったわ」

 予め言っておくべきだったと娘に謝罪する母。

「……彼が魔物への憎しみが消えないのも分かる気はする」

 なんとか持ち直すも、暗い顔で呟くデルエラ。彼女が見たのは主に旧魔物の暴虐であったのだ。

「だからこそ、私はそんな血に飢えた魔物達を魔物娘へと変じさせたのよ」

 そして、その繰り返される惨劇に終止符を打つべく、魔王は魔物娘を創り出したのである。

「魔物は人を愛するようになり、最早人を殺す事はない。それをこれから彼に教えなくてはいけないわね」
「そうね……あんな事はもう二度と起きやしないわ」
「グルル…」
「貴方ももう戻っていいんじゃないかしら?」
「グル…」

 戦いはついに終わった。未だ目覚めぬエンペラ一世を捕虜とした魔王とデルエラ、魔物娘に戻ったバーバラは帝国軍に気づかれる前にポータルを通って王魔界へと帰還したのだった。





「気に入ってくれる娘はいるかしら、お母様?」
「引く手数多だと思うわよ? 恨まれてはいるけれど、人類最強の肩書に偽りはないからね」
「彼にその気はないようだけれど…」
「気長に待ちましょう。時間はたっぷりあるわ…」
18/03/19 22:34更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:エンペラ一世の浮気

 人生の大部分を戦いに費やしたエンペラ一世は、その分あまり女性に関心を示さなかったと言われるが、実際には違う。彼は皇后ソフィアの絶世の美貌に魅せられ、それ以外の女性に美しさを見出だせなかっただけなのだ。
 もっとも、別にソフィア一人としか関係を持たなかったわけではない。過去、二人は子の出来なかった事に悩み、あらゆる手を尽くしたが、結局何ら成果は出なかった。しかし、その過程でエンペラは他の女性に手を出してしまい、一時夫婦関係がこじれてしまう事になった。
 事の発端は跡継ぎとなりうる子が出来なかった焦りのあまり、皇帝は給仕として働いていた女性に手を付けてしまった事から始まる。皇帝自ら女官長に頼んであてがわれたその娘は確かに相当の美貌と線が細いながらも豊満な肉体の持ち主であり、また彼の好みに当てはまっていたという。だが、まずい事に、この関係はすぐに皇后にばれてしまったのだ。
 ある日皇后の目を盗んで二人が『事に及んでいた』ところ、なんとそこに皇后が乗り込んできた。さすがのエンペラもその時ばかりは腰を抜かしかけた上、浮気相手の方にいたっては緊張のあまり失神、痙攣を起こし、繋がったまま抜けなくなってしまう有様だった。
 怒った皇后の説教が何時間も続いた後、二人は解放されたが、この事がきっかけで皇后との仲が悪化してしまう。いつもは優しく気立ての良い女が意外に嫉妬深く、会う度にネチネチ小言を言ってくる姿が嫌になってしまったのだ。
 そんな風に夫婦仲が日々悪化する中、ある日些細な事で二人は口論になった。結局エンペラが引いて収まったものの、これが彼の中で決定打になってしまった。エンペラは何もかもが嫌になり、書き置きを残して失踪してしまったのである。
 皇后もこれには仰天し、その日から八方手を尽くして探し回った。また、この事は極秘事項であったのが災いし、皇帝が幾日も姿を見せないので『皇后が謀反を起こして皇帝を追放した』、『皇帝は既に皇后に毒殺されている』という噂が出回る始末であった。
 結局、皇帝は七戮将達の自宅を転々としているのがその後発覚し、グローザムの別邸にいたところで皇后が迎えにいき、事態は収束した。二人とも離れ離れになっている間にお互い思う所があったようで、夫婦仲はすぐに回復したという。
 しかし、割を食ったのがその浮気相手の少女であり、皇后の怒りを恐れて結局宮殿の給仕を辞めざるをえなくなってしまう。それにはエンペラも責任を感じたようで、実家に帰った彼女に生活に困らぬよう生活資金を渡し続けたという。
 ちなみになんだかんだでこの少女も皇帝をとても愛しており、別れる事はとても残念がっていた。彼女のその後の行方は定かでなく、そのまま実家で生涯を終えたとも、悲しみのあまり魔物娘になったとも言われている。

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