連載小説
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帰宅

 こちらにもたれかかったまま落ちるように寝入ってしまったリリを木箱の上に横たえる。
 寝心地は決して良くはないはずだが、目を覚ます様子はない。眠りは相当深いようだ。

 そういえば、このように眠りに落ちたリリが目覚めると行為の記憶がいつも消えている。おそらくだが、このタイミングで彼女の記憶は消えてしまうのだろう。

 だとしたら、自分は今リリの中で消えていっているだろうこと一切を覚えていよう。そう思いながら寝かせたリリのスカートをまくり上げてポケットティッシュで彼女の股を拭きにかかる。

(……覚えていようも何も、忘れられないような経験ばかりしてるけど)

 リリの笑顔も声も、未熟な体の小ささや手触り、その内側の熱さや狭さ、涙すら、礼慈の中では鮮烈だ。
 リリと過ごす時間が増えれば増える程、忘れられないような体験は重なっていく。

「……よし」

 膝の上に座らせる形で繋がっていたからか、今日はあまり衣服に汚れはないようだ。これなら洗濯しなくても大丈夫だろう。
 しかし、

(こっちはそうもいかないか)

 ショーツについては愛液が染みるのを通り越して溢れてしまっていて、クロッチとその周囲がビチョビチョになっている。洗濯するしかないのだろうが、

(悪いけど家までこれは穿き直しておいてもらおうか)

 濃厚なリリの香りから目を逸らすように礼慈はショーツを穿き直させる。
 これだけ濡れていると身に着けるのも不快だろう。前のように礼慈が預かった方がいいのだろうが、昨夜あまりにムラムラしすぎてリリのショーツを処分していたのを後悔したことを考えると、今回ショーツを持ち帰った自分がそれをどう扱うのか分からなかった。

(そういうふうに使うことはないと思いたいが……)

 念の為、こうして穿き直させたのは正解だろう。
 そう思ったのだが、

(……これは)

 礼慈は新しい価値観に目覚めかけていた。
 彼の目の前には、湿ったせいで内側の形がはっきりと浮き出ているショーツがある。
 魔力灯に照らされたリリの小ぶりな割れ目。
 芸術を感じさせるその造形の奥へ何度も礼慈の猛りがねじ込まれたことを思うとなんともいえない感慨が湧いてくる。

 意味もなく周りに誰もいないことを確認してからそっとそこに触れてみると、濡れた布越しに柔らかい感触がして、何度もつついてしまう。

「――ん」

 リリのぐずる声に、はっとして指を離す。
 咳払いしてスカートを直すと、自分の股間部分に冷たさを感じた。

 二人の体液で濡れたズボンはショーツに負けず劣らずグチョグチョになっていた。
 ジッパーの間から間抜けに顔を覗かせている陰茎を拭こうとして、ポケットティッシュが最後の一枚であることに気づく。

 リリに強いている以上は礼慈もグチョグチョになった下着を穿くことは受け入れるつもりだが、ズボンがこのままでは流石に外を歩けない。

(仕方ないか)

 最後のポケットティッシュでとりあえず陰茎を拭い、ズボンは掃除に使っていた雑巾で拭くことにする。
 水場でズボンを拭いた雑巾を濯いでいると、落ちていく水の流れの中にわずかに赤いものが混ざっていることに気づく。
 破瓜の血だ。

「……」

 お互いが求め合った結果とはいえ、リリの体に負担をかけているという証に心苦しくなる。
 アリスとはそういう種族だ。血が流れてしまうのは仕方がない。

 きっとこれは罪悪感を得る必要のない事象なのだろう。そう頭の中では理解はしている。ただ、先の赤ちゃんができるかどうかというやり取りで、礼慈は自分が父親となりうる可能性を現実の問題として認識するようになっていた。

 それと血の色が合わさって、頭で理解していても無視しきれない罪悪感を得たのだ。
 礼慈が感じるこの罪悪感はある人物の行いが起因になっている。

「……っ」

 普段は思考に上がることはないというのに、一度浮かび上がってしまえば払うことのできない存在感で礼慈を苛むその人物は、彼の父親だった。

 リリは幸せな家庭の中で生きている。実際彼女自身が自覚しているように、大切に育てられてきたのだろう。あの厳つい顔をしたラザロスだって良い父親であることはリリやその姉たちの様子を見ていればよく分かる。

 彼女にとって、いや、周りの話を聞く限り魔物にとっては、家族の姿というのはおそらくそういうものなのだ。
 しかし、礼慈が家族、特に父親を想起しようとする時に浮かんでくるのは酒瓶の山と生温いアルコールの臭い。そして自分や母に拳を振り上げる姿だった。

   ●

 いつの頃から家族がそのようになってしまったのかは記憶にない。
 少なくとも、礼慈が生まれた直後はそうではなかったはずだ。一方で小学校に上がった頃には帰るのをできるだけ遅らせようとしていた記憶があるから、その頃には父親は酒を飲んでは豹変して殴るようになっていたのだろう。
 最初の頃は礼美も礼慈をかばってくれていたが、どこかの時点で心が折れてしまったのか、礼慈が標的になった時にも自分はうずくまったままになって時間が過ぎるのを待っていることが多くなっていった。

 小学生の礼慈に父親から振るわれる暴力を防ぐ方法などなかった。殴られるままになった礼慈と礼美を、父親はつまらなそうな、ゴミでも見るような目で見下ろしてまた酒に浸っていく。

 そんな光景があの家の中では毎日繰り広げられていた。
 あのゴミを見ているかのような目。あれを思い出すだけで今でも背筋がゾッとする。その影響なのか、礼慈は大人全般。特に成人男性に苦手意識を持つようになってしまった。
 そんな、いつ終わるともしれない地獄のような日々を送っていたある日、父親は家に一切帰って来なくなった。

 行方は今もって分からない。
 調べようと思えばきっと調べることができるのだろうが、礼慈は――おそらくは礼美も積極的にあの男の行方を調べようとは考えていなかった。今後も調べることはないだろう。
 ともあれ、暴力を振るっていた存在がいなくなったことで家の中に平和が到来したかというと、そうはいかなかった。

 あの男がいなくなった後。今度は礼美が、自分のことを苦しめるトリガーになっていたはずの酒をよく飲むようになったのだ。

 礼美は父親のように暴力を振るうようなことはなかったが、泥酔しては仕事も家のことも一切せずに廃人のようになっていた姿が記憶に刻まれている。それはやはり大人という存在に対する苦手意識を礼慈に植え付けていた。

 最も身近な大人である両親がこの状態だったこの頃の礼慈にとって、大人という生き物は自分の生殺与奪を握った上で生命活動を妨害する障害だった。

 暴力から一転してネグレクト状態に見舞われてしまった。

 一人でできることもたかが知れている子供だった礼慈は、生きていくためには大人の手が不可欠であることを生存本能で理解していた。
 それも、一過性のものではだめだ。長く継続する援助の手がなければ生活は安定しない。それをもたらしてくれるのはテレビなどでは親という立場の大人であるのが相場だったが、現実として彼にとってはそうではなかった。

 それはなぜなのか。空腹を水と学校から持ち帰ったパンでごまかす生活をしばらく続けていくうちにある可能性に思い至った。
 きっと自分は母親に興味を持ってもらえるような価値を認められていない。
 だから、このように放置されてしまうのだ。

 父親がいた時。礼慈は求められるままに殴られるという役を受け持つことで彼の興味の対象たり得ていたし、礼美の代わりに殴られるという役によって彼女からも価値を認められていた。

 今は殴りかかってくる父親はおらず、礼慈の生活の一切を握っているのは礼美だ。そして、母が興味を見出す価値とは父のそれとは違うのだろう。父に対して見せていたものとは違う自分の価値を示さなければならない。
 そうすることによって、もしかしたら淡い記憶の中にあるような、安心を当然のように享受できた生活を取り戻すことができるかもしれない。

 当時の思考レベルでそういう意味あいのことを思いつめていった礼慈は、なんとか自分の価値を示そうと、勉強だろうと運動だろうとなんでも必死に取り組み、優秀といえる成績を積み上げた。
 それでも礼美からの対応は変わることはなく、悩みに悩んだ挙げ句。自分も酔っぱらえば何か違ったものになれるんじゃないかと期待して足元に転がっていた酒瓶に手を伸ばすことにした。

 そうして酒を一口飲んだ姿を見た時の礼美の表情は、現在の礼慈の言葉でも表現することができない凄惨なものだった。
 その直後に在りし日の父親を思い出すような強烈な一撃を顔面にもらったのだが、これは今思い返してみると笑える程に浅はかだった自分が悪い。

 礼美だって酔ったあの男に殴られていたのだ。
 もはや顔もおぼろげだが、少しはその面影を凶相として引き継いでいるであろう礼慈が酒を飲んでしまえばその後の姿がダブって母に過剰な影響を及ぼすのは当たり前だった。

 その時の打擲と意味のよく取れない激昂した罵倒の数々は、肉体的にも精神的にも礼慈を打ちのめして、その日一晩まともに動くことができなかったのを覚えている。
 そのような散々な目に遭ったわけだが、それでも母親に久しぶりに構われたことは礼慈にとっては嬉しいことだった。

 だから、たとえ多少痛い目に遭うことになってもそれで自分のことに興味を持ってくれるのなら、と礼慈はまた酒を母親の前で飲むことを決めていた。
 悪手なのは当時の自分ですら解っていた。実際、あのまま母の目の前で飲酒を続けていたら、その内病院送りになっていたのかもしれない。

 実際には殴られた翌日。登校中に魔物に昨日打たれた痕を見咎められてそれを行う必要はなくなった。
 そのヒトは、魔物たちの情報交換や人間との交流を行うための前線基地としての店を――当時まだ魔物があまり進出していなかった地域に出店していたサテュロスだった。

 後になって聞いた話だが、家庭内のことは彼女らの間で少し話題になっていたらしい。
 ただ、介入を試みようとした矢先に父親の姿が消えたことから一時その話は立ち消えとなった。

 その後に礼美が酒に溺れるようになって、礼慈の衰弱が看過できない程であると感じて見かねた彼女が家庭の事情に深入りすることに及び腰な人間を説得するために礼慈から直接証言を得ようとして、打たれた痕を発見したのだということだった。

 そういえば父が殴る時には外から見て分かる位置を殴るようなことはなかった。酒に酔っていてもその辺りの狡猾さは失っていなかったわけだ。ある意味尊敬できる。

 痕を見咎めたサテュロスは礼慈から事情を訊き、今思えば小学生のたどたどしい説明からかなり手際よく真実を汲み取ると、その足で家まで来て母となんと酒盛りを始めた。
 サテュロスの勧めでそのまま学校に送り出された礼慈が家に帰ってくると、礼美は憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔になって彼を出迎えた。
 それから彼女は泣きながら何度も礼慈に謝ってきた。
 いきなり人が変わったかのような母親の相手に礼慈が困り果てていると追加の酒と何かの書類を持ってきたサテュロスが、母は自分と同じ種族に魔物化したのだと説明してくれた。

 恩魔物となったサテュロスは、魔物化したのならその体での生活に慣れるまでは人間の多いこの土地よりも、とリリムが創った土地での生活を勧め、今礼慈たちが住んでいる店と土地の権利書をぽいっと渡してきた。

 当時住んでいた土地には正直良い思い出などなかったし、人々の間で噂になるくらい家庭事情が知られてしまっていて住みづらくもある。全てをやり直すことを許してくれるか? という礼美の問いに頷いて、礼慈たちは恩魔物の言葉に甘えた。
 そうしてこの土地での、魔物との関わりが深い生活が始まったのだ。

 変異した種族が種族なだけに、酒は相変わらず嗜んでいたがそれによって溺れてしまうようなこともなくなった礼美は、譲り受けたバーを真面目に経営して繁盛させ、恩魔物に免許皆伝をもらっていた。
 良い方向へ全てが転がっていったのだが、礼慈が店に来る客――大人を怖がる素振りをしたことから、そうさせた責任を感じた礼美は父親を矯正させることができなかったことから自身が魔物化するまでの間のことをことあるごとに謝ってくるようになった。

 一時はバーの経営をやめることも考えていたようだが、礼慈や常連客の反対にあって思いとどまり、それから今のカフェ・バーという形態になっている。
 礼慈も成長して、中等部に上がる頃には大人もそこまで忌避するものではなくなった。むしろ自分の方が人間の生徒たちだけではなくご父兄にまで恐れられる凶悪フェイスになっているくらいだったのだが、魔物化したために情が濃くなっているのか、それともいつまでも礼慈のことが小さい子供に見えているのか、礼美は今もって昔を気にして礼慈に気を遣っている。

   ●

 そんな母を見ているのが忍びなく、可能な限り顔を合わせるのを避けるようになってからもう何年経つだろうか。
 最初は参加を拒んでいたが、学園に留まる無理のない理由が増える生徒会への加入はそう考えてみると正解だったわけだ。

(今は、リリとも出会わせてくれたというのもあるな)

 人生何がどう転ぶのか分からないものだと思っていると、家が視界に入った。
 店はまだ夜の部の準備中のようで、CLOSEの看板が下がっている。

 その中では団体客の予約でもあるのか、席を並べ変えている礼美の姿があった。その様子は充実した楽しさに溢れている。
 そう。今の生活は礼慈たち親子にとって間違いなく楽しいのだ。
 礼慈も礼美も引きずっているものがあって、それは二人をそれなりに縛っている。
 そうして成り立っている鳴滝家はアスデル家のような仲良し家族というわけにはいかないが、これも一つの形ではあるだろうと考えられる程度にはまともな生活を送ることができている。
 だからというわけでもないが、自分に子供ができたとしてもあの惨状にはならない。そう思う。

(リリを殴るなんてできるとは思えんしな)

 仮にもしそんなことをしたのならあの両親が黙ってはいまいという安心感がある。
 その一方で、やるまいやるまいと考えていてもリリを犯してしまっているという事実もある。自分の中にそういう加虐的な欲望が芽生えた時に自分を止めることができるのか、というのはあの父親の息子である礼慈の懸念であった。
 と、

「……ん」

 背におぶったリリが目覚める気配がする。

「おはよう」
「……え、あ……わたし、また……」

 自分がおぶられていることに気づいたリリがもぞもぞと身じろぎして下りようとする意思を示す。

「あー待った待った。荷物が落ちるから」
「あ、はい……」

 実際にはランドセルも礼慈の荷物も山から降りる途中でかけ直すという危険な行動をとらなくてもいいようにしっかりと体に引っ掛けている。落とすようなことはないのだが、こう言えばリリはおとなしくしていてくれるだろう。

 なにせ体に対して大きいモノを突っ込まれて幾度目かの処女を散らしたばかりだ。歩くのにまた違和感を覚えるのは確実だろう。
 家までは後少し。外階段で住居部に行く以上、今のリリに登らせるのは少し不安でもある。そうさせるくらいなら礼慈が背負って登った方がまだ安心だ。

「もうすぐ家だから、ちょっとだけそのままでいてくれ。また汚れたから帰ったらお風呂な」
「分かりました……おねがいします」

 申し訳なさそうに言って、リリは背に体重を預け直してくる。
 委ねられる体重に心地よさを感じていると、耳元で気遣わしげな声がした。

「あの……レイジお兄さま、どうかされましたか?」
「どうか?」
「はい……あの、なにか、なやんでいるようにみえて……」

 やはりこの子は聡い。
 礼慈が過去を思い出して少しアンニュイな気分になっていることを感じ取ったのだろう。ともあれ、遠い過去も、来るのかどうかも分からない未来も、今には関係のないことだ。
 「何でも無い」と応じようとした礼慈より先にリリが言葉を続けた。

「まだ、レミお姉さまがヒトだった時のことをおこっていますか?」

 思わず肩越しにリリを振り返ろうとして、頬がぶつかった。むにゅん、とやたら気持ち良い感触がする。

「――すまん」
「――いえ」

 おかげで一息おけたが、それでも発言の衝撃は消しされない。

 リリから飛び出た言葉はあまりにタイムリーな、それでいて彼女が知るよしのない内容のはずなのだ。

(母さんが元人間なのは話したけど、昔のことは話してないのになんでだ?)

「あの、ごめんなさいお兄さま! でも、あの……昨日、レミお姉さまに少しお話を聞いていて……それで、お兄さま、今お店の中のレミお姉さまを見ていたので……」

 ああ、と納得する。
 昨日、酔っ払ったリリの介抱をお願いした後、礼慈が学園から戻ってくるまでの間に過去の話を礼美がしたのだ。

 どのような思惑で言ったのかまでは分からないが、この子にならば話しても自分の中で消化してくれるだろうと判断したのだろう。
 懸念としては、礼美が過去のことを語る際に自分をひどく露悪的に語ったかもしれないということだが、

「……子供をいじめるような家族って想像できるか?」
「分かりません。わたしは、分からずにいることができました。でも、昨日レミお姉さまのお話を聞いて、お兄さまのことを知って、いっぱい考えました」

 本当によく考えたのだろう。
 だからこそ、店の中をぼんやり眺めていた礼慈と過去のことを結び付けるという飛躍を行えたのだ。

「心配をかけたみたいだ」
「いえ……」
「人の世界にはそういうこともある。そのことは、この世界だろうと向こうの世界だろうと人と同じ場所で生活していこうとするなら知っておいた方がいいと思う」
「はい」

 頷くリリの視線は礼慈と店の中を行ったり来たりしている。どちらに向く視線も心配しているような、心根の柔らかなものだ。
 礼慈に心から同情しているし、さりとて礼美に義憤を感じているわけでもなく、同じように同情し、心配しているようだ。

「昔を思い出して落ち込むことも少しはあるけど」

 そう前置きして礼慈は自分の心を正直に話すことにした。

「それでも、俺は昔から一度だって母さんに怒りを感じたことはないよ」

 自分の中にある考えを確認するように言葉にして告げる。

「ただ、まあ。母さんが魔物化してこうして今の生活になってな。そうしたらどうするのが家族の形としては正しいのか、というのが分からなくなったんだ。店も始めて母さんはどっちかというと夜型の生活になって、小等部だった俺は四六時中顔を合わせるということはなかったし、だからというか……お互いに傷つけ合わない程度の距離をうまく保てるようにしつつ生活していく。というスタイルに落ち着いて、そのままって感じだな」
「レミお姉さまはレイジお兄さまのこと、もっと知りたいと思ってます」
「そうだな」

 自分のせいで礼慈の人生に悪い影響が出てしまっていないかと礼美は気にかけている。
 学校でのことなど何度も訊ねてくるのでこっちに来てすぐの頃は律儀に答えていたのだが、その生活で普通の子供っぽさを取り戻した礼慈は連日学校でのことを詮索しようとする礼美を、謝罪の連続に辟易していたこともあって露骨に鬱陶しがったことがある。
 それから礼美は直接過去のことを謝罪することも、学校でのことを訊ねるのを遠慮するようになってしまった。

 母を傷つけてしまった自分の失敗を恥じる礼慈だが、その後も礼美は気になることは気になるようで、時折友人が遊びに来た時などに学校でのことを訊いていたりする。そういう意味ではリリが来て話をするようになったのは礼美にとっては僥倖だろう。
 そういう距離感がウチ流。という考え方も有りだろうと考えていると、背中から声がかかる。

「レイジお兄さま、歩みよることをあきらめないでください。向こうの世界。お母さまのダンジョンの外の世界では、そうすることをあきらめなかったからわたしたちと、お兄さまたちのような人間がいっしょにくらしていけるようになったんだって聞いています。
 もしこのままでいたら、レミお姉さまはいなくなってしまうかもって、わたし、そんな気がするんです」

 懇願の調子を含んだ声に、礼慈はふと呟いた。

「居なくなる……か」
「ごめんなさい。そうするってレミお姉さまがお話ししてくれたわけではなくて、わたしがかってに、そう思ってしまっただけで……」
「いや、いいんだ。なんとなく分かる」

 言葉にされたことはないが、今のままの生活を続けていればその内――学園を卒業した後か、礼慈が自分で生活を成り立たせることができるようになった頃に礼美は店を畳むか人に譲るかしてどこかに消えてしまうのではないかと感じることがある。
 客の入りが悪くは無い店でバイトの一人も雇わずに、魔物の身体能力任せで一人で店を切り盛りしているあたり、いつでもどこかに移ることができるように身軽であることを自分に課しているように思うのだ。

 これも確信のある話ではない。だが勘が良いリリもそう感じたのだ。まったくの勘違いだとも言い難い。
 仮に礼美が本当に居なくなるつもりだったとしたら、

「それは嫌だな」

 礼慈に直接は干渉しないようにしているらしい礼美の遠慮の延長線上にある結果がそれだとしたら礼慈としては気持ちのいいものではない。

「うん。もし居なくなる気なんかないとしても、このままを続けるのは嫌だと思えてきた」

 距離をとっているくせに礼慈のことを気にかけてこそこそと探りを入れている礼美を放っている内に取り返しのつかないことになってしまうのは、改めて考えると納得がいかない。

「じゃあ」

 リリの声が喜色を帯びているのを請け負う形で礼慈は頷き、外階段に向かいかけていた足を止めた。

 今までの形でも良いと思っていた母親との関係だが、それは鳴滝家にとって腫れ物である過去をうかつに掘り返さないため、これ以上の関係の改善を諦めて硬直してしまうのが一番当たりさわりがないのだと、おそらくはお互いが自分自身に対して言い訳を重ねてきた結果だ。

 一方で、少なくとも礼慈はこのまま変わらないことが良いことだと思っていないし、良くない方向に礼美が舵を切ろうとしているのならばそれを止めたいと思う。

(本当のところはどういう考えなのかは分からないけど)

 それでも釘を刺しておくことは無駄ではないだろう。
 変化のための第一歩を踏み出す覚悟を決めた礼慈は店の扉を開けた。

「すみません。今日は団体のお客様の貸し切りで――」

 お客を迎えるためか、机を移動させていた礼美が言いかけで礼慈たちが入ってきたのだと気づき虚を衝かれた顔をした。
 礼美が礼慈に直接は学園でのことを訊ねてこなくなってから、礼慈が店の方の入り口から帰宅したことは数える程しかない。
 いきなり“いつも”を外してきて一体何事だろうと思われているに違いなかった。

 口を半開きにしたまま次のアクションに困っている様子の礼美に向けて礼慈は言う。

「ただいま」

 礼美は数瞬言葉を迷う素振りを見せて、それから何かを理解した顔で応じた。

「おかえりなさい」
「話したいことがあるんだけど」
「少しだけ時間を取れないか」と続ける前に礼美が苦笑で礼慈の下半身に目を向けながら言う。
「その前に着替えて――もうお客さんが来る時分だから話しは後にしてもらって、二人ともお風呂に入ってきた方がいいわね」

 彼女の視線にならう形でズボンを見下ろした礼慈は、股間部分の染みが明かりの下だと思いのほか目立つことに気付いた。
 拭いただけでは行為の痕跡を消し切ることはできなかったらしい。

「あ――……分かった」

 虚を衝かれたような顔をしたのは、店の方の入り口から帰ったからではなく、事後の雰囲気を漂わせて幼女を背負い帰宅したからなのかもしれない。
 なんとも締まらない気分でいる中、背中のリリが言外でのやり取りを理解できずに疑問符を浮かべているらしいことが癒やしだった。
19/06/02 11:36更新 / コン
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■作者メッセージ
魔物だらけの学園で生徒会にヴァンパイアから誘いがかかる能ある男がコナかけられてないってなると複雑な事情もあるのですよ
無い場合もあるかもしれないですが

尚親友と比べてパンツに対しては紳士的な模様

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