連載小説
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畑に行こう
 光。血液の糖度が少し上がったのを感じる。
 ゆっくりとした覚醒と共に体の体温が少しずつ上がってくる。できればもう少し布団に包まっていたいけれど、いつまでも布団に包まっていると光合成できなくてお腹がすいてしまう。前に一回失敗した。

「よっ・・・と・・・」

 むくり、と身体を起こしてベッドに腰掛け、小さな欠伸を一つして身体を伸ばした。寝ている間に凝り固まっていた背骨がポキポキと小気味の良い音を立てて鳴った。むにむにと軽く顔を解せば目はパッチリ覚める。
 立ち上がり窓に歩み寄ってカーテンを開ける。眩しい陽光が踊り込み、眩しくて目を細める。真っ白な光に抱かれながら、今日は心地良い快晴だと認識する。

「クーネ! 起きろー!」

 ゆさゆさと机に置いてある小さな毛布の下の膨らみを揺さぶる。突然の襲撃にビックリしたのか、クーネは毛布の下で抵抗を示す。やがて、私が揺さぶっている事に気がつくと毛布の下から触手を伸ばして腕に巻きつけた。起きているから大丈夫だよ、とでも言うように先端でぺたぺたと叩く。

「おはよ」

 毛布をどかして朝の挨拶をする。ゆっくりとクーネが身を起こすと、身体を解すように伸びる。そしてそのまま倒れこむようにして私のオデコにキスをした。キューと小さく鳴いて身体を摺り寄せて甘えるように応える。
 クーネは触手を使って器用に机から降りる。ヨチヨチ歩きで台所の方に向かっていった。

「着替えたらすぐ行くから。 触手拭いたら、お湯の準備をしていてくれる? 一緒にご飯食べようよ」

 もちろん、とでも言うように振り返って左右に触手を振った。
 クーネを見送ってか、手早くパジャマを脱いで服に袖を通す。着替えて軽く顔を洗ったら台所に向かう。クーネは器用に枝を竈にくべると火を起こしてお湯を沸かして、キチンと犬のカップと猫のカップを温めてくれていた。

「ありがとう」

 よくできたね、とクーネの事を褒めてあげると嬉しそうに身体を揺らした。微笑を返し、ミルクピッチャーにミルクを注ぎ、砂糖の入った壷とちょっとしたビスケットを用意する。クーネが紅茶の葉っぱが入った缶を取り出したのを確認し、私は先に机を拭いて置いてくるよと告げた。

「クーネ。 今日は畑に行くけど、クーネも来る?」

 ビスケットを咀嚼しながらクーネはコクコクと頷いた。
 喫茶店でお手伝いをしているのだが、そのついでに喫茶店に野菜を卸している。小さな畑なので大した量は採れないのだが、それでも、マスターは美味しいからという理由で買い取ってくれる。仕入れる量も少ないし供給量も安定しないので好意で買ってくれるのだけれど、常連客にはそれなりに好評らしい。
 喫茶店のマスターの事だから「ほら、美味しいだろ? リディアが作ったんだ」なんて宣伝しているかもしれない。ちゃっかり、私の事を喫茶店のマスコットキャラクターみたいにしているからな。

「どうしたの? クーネ」

 キュー、とクーネは不満を示すように鳴いた。どうやら私の事をマスコットキャラクターにしているのがどうにも気に食わないようで、安い賃金でこき使われていると勘違いしたらしい。自分の事をこんなに大切に思ってくれているのかと嬉しくなる反面、そのちょっとだけトンチンカンな勘違いに思わず苦笑してしまう。

「大丈夫だよ、クーネ。 ちゃんと賃金はもらっているし、それ以上にお世話になっているもの。 マスターへの恩返しにはまだまだ足りない位だよ」

 キュッ、と不満気にクーネは短く鳴き、その身を軽く縮めた。じっとりとした視線を送るように先端をこちらに向けていたが、手を載せると結局諦めたように手の下で大人しくなった。

「あぅ・・・」

 大人しくはなったものの納得はいかなかったらしく、触手の先端の口を大きく広げるとカプリと指に甘噛みした。柔らかいクーネの口内で指先を弄られると、マッサージでもされているようだ。クーネが「困った時は言ってくれないと嫌だよ?」なんて言ってくれているような気分になる。
 分かったよと自由な手でクーネを撫でる。そうするとやっと口を広げて解放してくれた。

「あー・・・ もー・・・ ベトベトじゃん・・・」

 唾液まみれになった人差し指を見せると、クーネは悪戯っぽく身体を曲げ、クスクスと笑うように小さく身体を震わせた。反省の色が全くないので、なんだか悔しくなって指先で弾く。ビシッと指先の一撃を食らってパタリとクーネは自身の壷の中に大げさに倒れこんだ。
 してやったり、そんな事を考えながら布巾で指先を拭い、立ち上がる。

「クーネ、遊ぶのはおしまい。 片付けて行こうか」

 声を掛けるとヒョッコリと顔を出す。それからピョコンと椅子から飛び降りると、カチャカチャと音を立てて食器を持ち上げた。一本の触手に一つの食器しか持てないけれど、沢山の触手を上手に操り全ての食器を運んでくれる。

「大丈夫? 転ばないように気をつけてね」

 机の上を拭きながら、身体をフラフラさせながら歩いていくクーネの後ろ姿を眺める。危なっかしいものの器用に触手でバランスを取りながら台所に辿り着き、流しに食器を降ろすと洗ってくれた。

・・・

 多くの人と魔物によって踏み固められた獣道。周囲には獰猛な獣が居る訳でもなく、なだらかな山道なので親魔物派の行商人の人たちとすれ違う。軽く会釈するとニコリと笑ってくれた。

「やぁ、久しぶり。 元気してたか?」
「あ、メアンさん。 お久しぶりです」

 クーネと歩いていると、向いの方から大きな荷物を背負ったゴブリンが歩いてきた。ゴブリンは私達に手を振りながら歩み寄ると、ニィと口の端を持ち上げて、ゴブリン特有の悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「元気そうで何より・・・ っと後ろの触手はなんだ? お前の連れか?」
「あ、この子? この子はクーネって言うんだ」

 軽く身体を避けてクーネを紹介する。メアンはクーネと会うのは初めてだ。じっと覗き込むようにクーネを見つめると、クーネは暫く見つめ返した後コテンと首を傾げた。それから互いに身体を揺らして笑い出し、どちらともなく手を差し出してしっかりと握手した。

「なかなか大人しくて可愛い触手じゃないか」

 メアンに褒められると身体を逸らして自慢げに自己主張する。調子に乗らないのと軽く小突くと、今度はオーバーにペタリと倒れこんで見せた。ポンポンとクーネの頭を叩くとメアンは心底愉快気に笑った。

「こりゃ良いや。 お似合いだよ、二人とも。 そうだな・・・これやるよ」

 背負った鞄を下ろし、がさがさと漁ると中から綺麗な石が中心に埋め込まれたおそろいのブローチを取り出した。可愛らしいブローチを私とクーネに握らせる。

「お前らにプレゼント」
「良いの?」
「安物の売れ残りだけどな。 それでも良いかい?」
「うん! ありがとう!」

 クーネは身体を左右に揺らして感謝の意を示し、それから喜びを表現するようにメアンの身体に絡み付いてキスをする。メアンは「大したものじゃないんだから」そんなに感謝されても困る、と身体をいっぱいに使って感謝を示すクーネを邪険に振り払う。
 もっとも、メアンも嫌いではなかったらしく恥ずかしそうにそっぽを向けながらも口元はちょっとだけ笑っていた。

「それで、お前らどこに行くんだ?」
「え? 畑だよ?」
「そうか。 気をつけてな」
「メアンさんも」
「あぁ、分かってるよ。 ありがとう」

 手を振って別れる。後はこの山道を登れば、みんなで開拓した畑がある。ノームやジャイアントアントを代表とする魔物達が土地を肥やし、私達みたいな植物系の魔物が野菜を育てている畑だ。町に行って魔物も外貨を稼げるようにという話なのだが、実際には魔物と人間の交流も兼ねている。自然の事は魔物の方が知っているし、人間社会の事は人間の方が良く知っている。
 そこで、魔物と人で親睦を深め相互理解を助けるための場として設けられているのだ。

「っというわけで、新鮮な野菜をマスターのところに持って行こう」

 クーネはコクコクと頷いて、それから畑の方に入って行った。作っているのは、サンドイッチに使うキュウリとトマトとレタスだ。クーネは器用に触手を使い籠の中に野菜を入れていく。やっぱり、二人で仕事をすると仕事が早い。
 瑞々しい野菜で籠が一杯になるにはそれほど時間は掛からなかった。

「あ、こら。 クーネ、つまみ食いは駄目だっていつも言っているのに」

 収穫を終え切り株に腰を下ろして休んでいると、クーネは野菜で一杯になった籠からヒョイとトマトを取り上げるとパクリと齧り付く。歯が無いので齧るという動作はできず、押し潰してから飲み込むに近い。モニュモニュと触手を動かしてから、蛇が卵を飲み込むように飲み込んだ。私が唇を尖らせると、クーネは悪戯っぽく身体を揺らした。
 悪戯をしているという自覚はあるし、そもそも植物だから食べ物を食べる必要というのはほとんど無い。クーネはただ単に構ってもらえる口実が欲しいのだ。甘えるように身体を寄せて、クーネは手の平に触手を落とす。
 僅か悪い事しちゃったかなと先端を持ち上げたが、小さく溜め息をついて微笑むと安心したようにその身を沈めた。
 私もクーネと一緒に悪い事がしたい。
 籠に手を伸ばすと、トマトを一つ掴み取る。口を大きく広げてトマトに噛み付くと、太陽の青臭い匂いがした後に一杯にすっぱい味が広がった。舌の上を刺激するのは酸味だけではなく、ほのかな甘みがある。それらが絶妙なハーモニーとなって例えようもなく美味しい。
 クーネは暫く驚いたようにこちらを見ていたのだが、私がつまみ食いしたという事を理解すると「なんだよ、自分だってつまみ食いしているじゃないか」抗議を示すように触手を私の頬に押し付けてきた。
 逃れても、逃れてもしつこく押し付ける。首を振って振り払うのだがクーネは全部の触手を使ってツンツンしてくる。

「やーめーてーよー・・・」

 暫くじゃれあった後、クーネと二人で倒れこむ。

「空が高いねー・・・」

 息を整えるために大きく呼吸をして、仰向けになってぼんやりと空を眺める。晴れ渡った空をのんびりと白い綿雲が流れていた。平和な空をハーピーが優雅に滑空していく。きっと彼女は町に郵便物を配達しに行くのだろう。
 時々あんな風に空を飛べたらどんなに気持ちが良いだろうと思う気持ちはある。ハーピーの配達員に「空を飛べるのって羨ましい」と言ったら、少し苦笑して「植物を生育させる方法が分かる方が羨ましい」と言われた。植物の気持ちなんて、見れば分かるではないか。
 ニアだってクーネの気持ちが分かるもの。

「クーネも、そう思うよね」

 お腹の上で寛ぎきっていたクーネはちょっとだけ触手の先端を空に向け、それからすぐにポイッと身を投げた。触手の先で「そうでもないよ」とでも言いたげにぺたぺたとお腹を軽く叩いた。
 クーネは空を飛びたくないのだろうか。飛べたらきっと気持ち良いと思うのに。
 クーネから同意を得られなかったのがちょっぴりつまらないが、クーネにも思うことがあるのだろう。よっと勢いをつけて起き上がると、スルリと触手がお腹から落ちた。柔らかいお腹から、硬い地面に落とされたクーネは少し不満だったらしく、キュー、と小さな抗議の声を上げた。
 小さく「ゴメン」と謝ると、頬に先端を押し付ける。「これで許してあげる」という事らしい。

「おっと、そろそろ喫茶店に行かないと。 お昼までに間に合わなくなっちゃう」

 小さく笑い、クーネに声を掛ける。クーネは思い出したように身を起こすと「分かった、すぐに行こう」とでも言うように頷き。荷物を持って立ち上がった。



 のどかな日差しの中、二人は町を目指しノンビリと歩いていく・・・
11/02/13 01:17更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
日常を書いていると毎回悩むのが締めです
人生における一般的な終焉というのは死であり、それは避けられないことです
では、日常が終焉を迎えるかといえばそういう訳でもなく
失われた場所は時間を掛けて埋まっていき、やがて忘れ去られていく
結局、日常は続いていくのだと

そう考えると有限であるSSにどうやって無限の日常を組み込むか
やっぱり腕の見せ所なのかなぁ と考える今日この頃

注・完結っぽい言い方をしていますが、まだ続きます

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