連載小説
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いち。
現実は、眼前にあった。
電車の窓と、絵の具の中身を無造作にぶちまけたように見える空。電車内から見上げるそれは、空というより一枚の絵画だった。自分が家出をしているという実感はなく、ちょっと遠出をしている感覚しかなかった。このまま電車の揺れに身を任せていれば、その内、終着駅に親が待ち構えているのではないかと思えてしまう。
それでも、車窓が夥しいと感じるほどのビル群から、次第に山地へとその表情を変えていると、自分はやっぱり家出をしているのだと実感が湧いてくる。
 私はこのまま遠方の地まで、電車で運ばれるらしい。唐突に湧いたその実感に、背中に汗が浮かんだ。帰れなくなったら、どうしよう。家出を実行しておきながら、そんな身勝手でどこか他人事にすら思える感覚が、胃の中で滞留するようだった。
 車窓が半透明の自分を映し出す。どこか不貞腐れている私の顔は、際限なく膨らんでいく理不尽に対して、ただ受け身になっているだけに見えた。
 家出の理由は、なんだったか。
 そう、確か。それは些細なことだった。
 私の両親は人ではなく、魔物だった。お母さんはエルフ。お父さんはそんなお母さんとイチャイチャと仲睦まじくしていたら、いつの間にかインキュバスになっていたらしい。エルフは、排他的な種族と世間では実しやかに囁かれているけれど、恋に落ちてしまえば、そんなことはなかった。だって、毎日毎日、私の部屋にまで、両親の声が聞こえてくるのだから。
 どんな声なのか。それは、ご想像にお任せするとして。
 兎も角、そんな声を聞かせられている私の身としては、たまったものじゃなかった。
 せっかくの長期休暇だって、私は気が安まらない。
 そこで、両親に対して断固抗議の姿勢を取ったのだが、返ってきた返事は、あなたも素敵な人を見つけなさい、だった。
 発言に対して何も言い返せなかった私は無様にひしゃげ、ほとんど廃墟以下の様相を呈してしまった。瞬間、自己防衛のためか、自棄になったのかは自身でも定かではないが、私は何かしらの言葉をその場に吐き捨てて、家を飛び出していた。
 ほとんど着の身着のまま外へと出た私は、何も考えずに駅へとひた走り、気が付けば電車に飛び乗っていた。駆け込み乗車はご遠慮くださいという、駅のアナウンスが微かに聞こえた気もするけど、そんなことは関係なかった。
 久々に全力疾走をしたせいか、両肩を大げさに上下させながら呼吸を整えている間に電車のドアは閉じ、私を乗せたまま、どこかへと走り出した。

「バカみたい」

 言っても、この状況が変わることがないのは、十二分に理解していた。電車賃は払えるだろうか。くだらないことがいちいち気になり、脳裏を駆け抜ける。その度に不快な湿度が背中を湿らせ、私は思わず身震いした。
 こんな思いをするくらいならば、家出をしない方がよかったのだろうか。先ほど自分を突き動かした衝動がもう、腹の底から消えかけているのを感じて、自分の感情のあまりの脈絡のなさに、当惑した。
 その刹那、車窓に映る自分の背後に、お母さんとお父さんの姿を幻視し、再びあの衝動が熱を取り戻して蘇るのを感じた。
 冗談じゃない。帰ることなんて、真っ平ごめんだ。
 半ば意固地になりかけている思考が、私自身も意地っ張りなエルフの一人なのだと、否が応でも自覚させた。

「間もなく、終点高梁。高梁です。お出口は右側。右側です。お降りのお客様は、忘れ物のないよう、ご注意ください」

 気だるげな車掌の車内アナウンスが耳朶をうち、ふと我にかえる。凝り固まった思考を弄ぶうちに、いつの間にか視界には人工物が消え失せていた。電柱の一本すら見つからない、田んぼだけが広がる光景。車窓の枠が、不格好なキャンバスに見えるほど、一面が緑で埋め尽くされていた。そして、唐突に見える、駅。
 緑の支配地の中で、唯一違う、人工的な物が視界に入り込む。それはこの場所では、ひどく場違いに思えた。
 電車が耳障りなブレーキ音をたてて、止まる。
 気がつけば乗客は、私一人だった。
 電車賃はなんとか足りたらしく、私は閑古鳥が鳴きそうな雰囲気の駅に降り立った。人の気配がまるでしない、廃墟のような駅。ここまでやってくる人は、ほとんどいないのだろう。
 誰かいないものかと、駅の中をくまなく(といっても駅自体が小規模だったので、すぐに探索は終わった)探しても、人っ子ひとりいなかった。
 まるで、世界に自分一人が取り残されたような錯覚。そんな馬鹿なことがあるはずがないと、一笑に伏したかったが、やけに錆が目立つ天井の鉄骨や、コンクリートの間から無造作に生い茂っている雑草を見ていると、その妄想も笑えないものがあった。
 俄かには信じがたい妄想に、信憑性を付け加えるアイテムといったところだろうか。
 駅の外に出ると、そこは辺り一面田んぼだった。
 いや、車窓から見えていたのだから、当たり前のことだけれど。
 それにしたって。

「すごい……」

 ただただ溢れる濃緑色に、圧倒される。自然の感情の澱を潜ませているような、底知れぬ、しかし美しい光景。

「ここに……」

 お母さんとお父さんと来れば、きっと楽しいに違いない。二人とも、自然は大好きだと言っていた。なら、この光景を目の当たりにすれば――。

「!?」

 今、自分は何を考えたのか。熱が自分でも知らぬうちに冷め切ったのか。いや、違う。要はそれだけ、私は見とれてしまっていた。この美しい景観に。
 今まで熱を帯びていた意固地が、吐息混じりに一瞬で散ってしまい、それの身代わりのように、別の熱が骨身を熱くする。
 が、それでも散り散りになった破片は私の内面に突き刺さり、また意固地を急速に発達させようとする。
 このまま、身を理路整然としない感覚に身を委ねてもいいのだろうか。舷窓の外から内側を覗いている不安が肌を撫でた。自分の気持ちが自分でわからなくなってしまいそうだ。それを人は、素直になれないだけと、言うのだろうが。

「……ふん」

 鼻を鳴らして、そっぽを向く。何に対して、視線を逸らしたのかは、わからなかった。主語が脳内からも欠けてしまっていた。
 本当に、馬鹿みたい。そう自嘲したところで、気持ちに整理がつくわけでもなく、円環のように終わりがない。いっそのこと、心臓に亀裂でも入ってくれればとも思ったけれど、それすら叶いそうになかった。

「なんなのよ……もう」

 焦りが募り、募りが焦りに。
 渦巻きと同じく終わるべき終着点が見つからないのは、自分自身が戸惑っているゆえに、だろうか。少し視線を落とし、深い息を吐く。
 その息に混じって消えたはずのあの気持ちは、どうやらまだ完全に消えてはいないようだった。しかも、もっと性質の悪いものに変貌を遂げて。
 うんざりする。
 『あなたも素敵な人を見つけなさい』
 お母さんの言葉が理由もなく頭の中で反芻され、重い沈黙で細胞が満たされた。疼痛ではないが、それに近い痛みがする。肉体的な痛み、ではなく。もっと深いところに染み込む痛みだった。
 素敵な人。
 そんな人がすぐに見つかれば、私だって文句を言ってはいなかった。もっとお母さんたちの気持ちがわかっただろうし、すぐに喧嘩したって仲直りできただろう。けれど、いないのなら、それも難しい。
 嫉妬、だったのか。
 やきもち。
 似たような単語がいくつも視界と体内をぐるぐる回り、何かしらの結論を組み立てていたが、それも精神を苛む熱によって灰燼へと変化してしまった。
 素敵な人。
 そんなの、都合よく現れるはずがない。
 急激な虚無感と疲労感が身体を蝕むのを感じ、私はその場に蹲り――。



 どれくらいの時間が経っただろう。空はもうとっくに暗くなり、嫌な冷たさを孕んだ外気が肌を蝕むのを感じる。
 すっかり鳴りを潜めてしまった熱は、自己嫌悪へとその姿を変えていた。帰らなきゃ。ただ、それだけが森閑とした駅内で、たった一つのやらなければならないことに思われて、私は電車の時刻表を見た。
 『住民の皆様にはご迷惑をおかけしますが、四月十四日より施設拡張の工事を実施致します。何卒ご理解、ご協力頂きますよう、お願い』云々。そんな文が綴られた貼り紙のその下に、申し訳なさげに小さく電車の時刻は書かれていた。都会人が見たならば、目を疑うほど空白が多いその時刻表に書かれた時間は、なんだか居心地が悪そうだった。
 このまま帰れなかったらどうしようかと、喩えられない不安に襲われもしたけれど、幸いにも時間はもうすぐだった。都会のような騒音がないからか、電車の音が聞こえ、やがて空疎な騒音とでも言うべきブレーキ音を響かせて、電車は止まった。
 すぐに飛び乗り、私は電車が再び動き出すのを待つ。
 それは案外早くやってきて、車窓から辛うじて見える景色が動き出した。
 お母さんとお父さんは、心配しているだろうか。帰ったら、怒られるだろうか。様々な想いが交錯し、自分の中でない交ぜになるのがわかり、吐き気がした。
 冷静になってしまえば、どうしようもなく自分勝手な行動だったと嫌でもわかってしまう。ただ、自身の中にあった圧が際限なく膨れ上がるのに身を任せてしまって、理性に埋没できなくなってしまっていた。

「はぁ……」

 吐き出した息が、車窓を白く曇らせ、私に雪化粧のような白を施した。
 ガタンゴトンと重低音を響かせる電車の音に合わせて、今朝交わしたお母さんとの会話がフラッシュバックした。
 最初は、いつものような、些細な口喧嘩だったと思う。
 いい加減にしてよ。いつもいつも喘いで、それを聞かされる私の身にもなってよ。そんな言葉を吐いて、お母さんはそれに、仕方ないなんて返した。
 普段通りなら、そこで私は肩を竦めるなり、呆れたように半眼でお母さんを睨み付けるなりして、終わっていたはずだった。それが、何かがスイッチになったのか、今までしっかりと噛み合っていた歯車が、急に齟齬をきたし、気が付けば窒息しそうな錯覚に囚われてしまっていた。
 それはきっと、あの言葉だろう。
 素敵な人なんて、そう簡単に現れるものじゃないのに。
 わかったように言い放つお母さんに、きっと腹が立ったのだろう。多分、唯一普段通りの日常との違いが、これだ。
 素敵な人。素敵な人。
 お母さんとお父さんの仲の良さは知っているし、理解しているのに。どうして自分でもあそこまで抑えが利かなくなったのか。わかっているけど、わからなかった。
 ぼんやりと、車窓に浮かぶ自分の姿が、変わっていた。学生服を着た自分に、まだ幼い頃の自分。その私たちは、なぜかお互いに語り合っていた。



「ねぇ、あなたって恋人いないの?」
「へ?」

 学校での何気ない日常を切り取った一コマ。私の親友のアキは話しかけてきた。天真爛漫で、とにかく明るい彼女と私は、学校ではまるで真反対で、それがなぜか心地よかった。
 サキュバスの彼女は、きっとそれを特に何も思わずに聞いたのだろう。態度はいつもと変わらず、一歩踏み込んだことを聞いてみたい、という風には見えなかったし、聞こえなかった。

「別に」
「なんで?」
「なんでって……」
「魔物娘って恋するものでしょ?まだ恋人がいないなんて損よ」

 損。
 その言葉が、やけに冷たい鋭利さを孕んでいた。まるで心臓を曝け出そうとしてくる鉤爪のような、容赦のない鋭さを。なぜ私がそんなことを感じたのかは、その時はわからなかったけれど、ひどくもやもやとした気分になったのは、よく覚えている。
 どうしようもなく、不安になってしまう。だから私は、それとなく言い訳みたいな言葉を吐いていた。

「だって、その前に私たち、学生、じゃない」
「でもその前に魔物娘でしょ?やっぱり恋しなきゃ!」

 アキはどうやら目の前に解答が既にあるらしい。それが、羨ましかった。まだわからない暗雲の中を彷徨っている私にとって、目の前が照らされている彼女の眼前には、どんな光景が広がっているのか。好奇心を煽られて。
 真っ直ぐに進める彼女が羨ましいかった。
 でも、それを表に出してはダメ。
 そう心のどこかで私が囁いて。それに従順に、私は素っ気ない態度をとっていた。まるでそんなことに興味はないというように振舞って、そんな私をアキは呆れたように半眼で見つめていた。それでも、ありえない!なんて声を荒げることがないあたり、彼女は優しい。きっと、私の我儘な内心に付き合ってくれてる。
 それがちょっぴり嬉しくって、なぜか私は笑っていた。
 その裏には別の気持ちもひた隠しながら。
 いつからか、笑顔には素直な感情以外も込めることができるとわかってしまった。まあ、そんなことはどうでもよくて。
 煩雑なノイズを無理やり頭に入れて、背伸びをしたい自分に。いや、戸惑いもなにもかもミックスされた、複雑な心境に目を逸らすために。

「まあ、あなたにはあなたのペースがあるんだろうけどね」
「うん」
「でも、やっぱり恋って重要よ!」
「うん」

 自分を誤魔化すための返事は、乾いた味がした。
 機械が吐露したような無味無臭の返事で、そんな言葉に自分で苛立ってしまう。恋がどういうものなのかわからない。未知の体験は恐怖とよく言われるけれど、その通りだと私は思った。
 足掻いても縺れてしまいそうで。走っても追いつけなさそうで。探しても見つからなさそうで。ほどいても絡まってしまいそうで。
 一歩先をどう歩いていけばいいのかわからない不安が、私を黒一色に苛んでいた。ここまで悩むのはなぜなのか。私が、私がエルフという種族なことに起因しているのだろうか。プライド高く、強気だというこの種族に。
 ならば、私の足を掴んで離さないと呪詛の言葉を紡ぐそれを、全部水面に浮かべてしまいたい。心からそう思った。



「お母さん、どうしてお父さんと結婚したの?」

 私がまだ小さい頃。おませさんではなかったけれど、ふと気になったことを、私は素直にお母さんに聞いていた。お父さんが嫌いなわけじゃなかった。でも、なんとなく気になってしまって、それが疑問符に形作られて、いつの間にか口から飛び出ていた。そんな感じ。
 きっと純真無垢な白さを纏ったその質問に、お母さんは微笑みながら答えてくれた。

「そうね。いい?あなたにもきっと恋をする時が来るわ。その時に、もう一回同じ質問をお母さんにしなさい」

 そうだ。忘れてた。お母さんはそう言って、私に。
14/04/15 22:15更新 /
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■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
オムニバス形式。

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