連載小説
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第5話 原型伝承【プロトタイプ】
 ベストセラー、というものがある。

 言葉それ自体は後世の人間が生み出したものだが、その概念や該当する事柄については古くからあった。爆発的な売り上げを見せた商品、あるいは現象そのものを指し、主に書籍に対して使われることになる。

 「この世界」にも、ベストセラーと認められた書籍が幾つかある。教国が開発した活版技術の普及で書物の量産が大幅に進歩し、人々が昔より文字や書に触れる機会が多くなった事が大きな要因だ。

 まず第一に、主神教が発行している経典の類。影響を失いつつあるとはいえ、人類世界最大の組織である教団は常にこれらの書物を発行し続けており、反魔・親魔を問わず道徳教育や精神修養のために愛読する者は世界中に存在する。

 第二に、『魔物娘図鑑』。とある放浪の魔物学者が世界中を渡り歩きながら、各地で出会った魔物娘の容姿や生態に至るまでを事細かに記した書物であり、今や世界中で知らない者はいないビッグタイトルだ。

 図鑑という体裁を取りながら、世界各地での旅を仔細に書き記した紀行としての側面もあり、単なる「学者が書いた堅苦しい報告書」とは違う辺りが高い人気を博した理由の一つだ。

 そして、最近ではこれら二つに迫る勢いで人気を集めつつある、ある一つのシリーズがあった。

 それが『比翼連理紀行』。とある男の戦いの記録を描いた冒険小説。

 ストーリーは至ってシンプル。主人公である男が旅の途中で出くわす敵を片端から薙ぎ倒し、最後には去っていく……噛み砕けば、それだけの筋書きだ。しかし、あらゆる困難を小細工を弄さず真正面から撃破していくその姿は多くの人間に宿る克己心を刺激し、痛快な話運びも相まって多くの読者を得るに至った。

 また、ストーリー自体は簡潔だが、作中で描かれる人物像が「これまでにない斬新な」ことも相まって、人魔を問わず年々新たな読者を増やしつつある。曰く、冒険活劇であり、風刺であり、伝奇であり、ロマンスなのだという。

 作者は不詳。翻訳や翻案を行った者の名は記されているが、原本を書いた人物については何故か秘されており、初回の刊行から時が経った今でも明らかにはなっていない。刊行速度も安定せず、僅か半月で次巻を出したこともあれば、後編を出すのに八年掛かったこともあるなど、とにかくその制作過程は謎に包まれている。

 王魔界転覆を目論む聖遺物使徒との戦いを描いた、『王魔界動乱篇』

 失われた神代の秘宝を求め未知なる新世界へと赴く、『西方新大陸篇』

 謎の淫祠邪教の生き残りを追って未開の地を切り開く『南方異境篇』

 “形無き狂気”を冠する古神を討つべく教団と手を組んだ、『異界邪神篇』

 大きく分けて三つ、ないしは四つの長編を持ち、この他にも短編や掌編集、外伝を合わせれば十数編、約二十年にも及ぶ長大なスパンを有する大河ストーリーだ。これだけ重厚なストーリーを描き続けている作者を、読者はもちろん同じ物書きの間でも知る者は一人としていない。

 ただ一つ、判明している事がある。

 記念すべき第一巻には不詳の原作者が唯一寄せた「あとがき」があり、その中で作者はこう書き記しているのだ。

 「これは事実を元に描いた物語である」、と。

 それは架空の物語などではなく、あくまで実際にあった出来事を僅かながら脚色して創ったと、そう主張していた。後にも先にも原作者の発言はその一度きりだが、完全なフィクションとして捉えていた読者らに当然波紋を投げかけた。

 そして、抱いて当然の疑問が湧き出る。

 「物語が真実の一端を描くなら、この英雄は実在するのか?」、と。

 千の敵を、万の困難を、幾億もの邪智を、己が力だけで粉砕し、己の意志だけを武器として振るい続ける……そんな男が、実在することになる。

 それは何と恐ろしく……。

 そして何とも頼もしいことだろう。

 人々の意識はたった一人の無銘の英雄を認めた。ただ一人の英雄を信仰した。

 空想し、夢想し、誰もが理想の英雄像を思い描いた。

 それは希望。虐げられし者らを照らす光の化身。



 しかし、それは弱者の都合でしかない。



 崇め奉られる側も人間なれば、闘争に塗れた物語の因果は凄惨さを極める。

 英雄とは、輝かしいモノに非ず。

 その正体とは、「戦い続けなければならない」悲しき宿命を背負わされた運命の奴隷。

 その事実を、少年……ユーリィはこの日、知ることになる。





 外部の協力者がいることは知っていた。

 そも、連邦ほどに肥大化した体制を突き崩すには内部から反逆したところで決定打にはならない。であれば、過去の大国興廃の例に漏れず内と外の両面から体制を攻撃する必要があった。

 即ち内憂外患、外国勢力の意図的な誘致。売国という本来国を守る意味をまるで持たない行為に及ばねば、もはやこの国を根本から立て直すことは不可能なのだ。

 幸運にもその選択は時代が味方をしてくれた。人類に最も友好的な存在となった魔物娘、しかも人間界最大の魔界国家に変貌したレスカティエが隣国にあった事も幸いし、多少の犠牲を払うことで秘密裡に彼女らとコンタクトを取った。

 レスカティエ側からしても、常日頃から南の国々に圧力を掛けてくる連邦の現体制が改められる可能性があれば、今回の接触は渡りに舟だった。命懸けでこの申し出をしてきたレジスタンスを最大限にもてなすと同時に、教国を裏から支配する第四皇女デルエラは口約束とはいえ支援を確約したのだった。

 結果協力の約束を取り付け、レスカティエという強力な後ろ盾を得たレジスタンスはここから勢いを味方に付ける……はずだった。

 政治、というものがある。

 雇われの傭兵ならまだしも、一国家が裏のルートを使い国家転覆を支援するというのは、如何に人間第一優先で物事を考える魔物娘にとっても横紙破りが過ぎる行為だった。加えて両国間を阻む険しい山脈は連邦側に封鎖され、物理的に行き来が困難でもあった為、教国は予想以上に時間を取られてしまった。

 この場合、重要なのは「人選」だった。

 即ち、険しい山岳地帯を正規のルートを使わずに踏破できるフィジカルを有し、かつ極秘の任務を一切口外せず守秘に徹する人物。更に任務の性質上、頭数を用意することは出来ない。少数精鋭で事に当たらなければならなかった。

 候補はいた。厳しい環境に対する適正と、確かな実力、そして万が一の事態に陥っても情報を漏らさない口の固さ……全てを併せ持つ人材が複数いてくれたのだ。

 「では、貴方が僕らの協力者……?」

 外部からの協力者と接触するのは今日の予定だった。国軍の眼を潰したのも今日この日に外部からやって来る彼らを迎え、その勢いに乗じて更なる作戦を展開する手筈になっていたからだ。

 「違う」

 だがこの男はこう言ってのける。

 「おれはおれの目的があってここに来ている。おまえらに協力するつもりなんて微塵もない」

 今二人は出くわしたゴミ捨て場から距離を置き、建物と建物の僅かな隙間、路地裏と呼ぶ事さえ憚られるほどの狭い空間を通路として移動していた。といっても、男の側にユーリィを先導しているつもりは全くない。あくまで彼自身の目的の為に移動しているのを、ユーリィが勝手についてきているだけだ。

 「で、ですが! 同志ズベンは今日合流する予定だったと……」

 「ズベン? ああ、あいつそんな名前も使っていたのか」

 「?」

 「そいつとは確かに俺も顔を合わせた。だがそれだけだ。正式に協力関係を結ぼうとしている連中は、まだここには来ていない」

 「そんな……。では、貴方は何のためにここへ?」

 「それを聞かせる必要があるのか?」

 取り付く島もないとはこのことか。白髪の男はユーリィのあらゆる疑問に対し一切をノーと答えながら、一人ただ静かに自らの目的地のみを目指して突き進む。その行く先には彼にしか見えていないものでもあるのか、歩む速度は一向に緩まない。

 この男には聞きたいことが山のようにある。

 この国に来た理由は?

 なぜ超人たちと敵対するのか?

 つまるところその目的は?

 そして、何よりも……。

 「貴方は……貴方はもしや、この本に描かれている……」

 「それ以上ッ!!!」

 唯一、男の歩みを妨げるのは例の書物について聞かれた瞬間のみ。その時だけ男は燃え盛る怒気を纏いながらユーリィに詰め寄り。

 「それ以上、この本についておれに何か言ってみろ。……ここにおまえを『撒き散らす』ぞ」

 「っ、分かり、ました」

 「チィ! どいつもこいつも」

 どうやらこれ以上踏み込んだことを聞くのは不可能のようだ。もしそれをしようものなら命が幾つあっても足りるものではない。

 「おい……! 何を哂ってやがる!!」

 ふと、猛悪な腕がユーリィの頭上をかすめた。虚空を削り取る毒手が捕らえたのは一羽のカラス。哀れにも五指に捕獲された時点で絶命していた。

 「野郎……」

 「な、なにを?」

 鳴き声を上げなくなったその頭を掴むと……。

 へし折り、抉り取る。

 傍で蒼褪めるユーリィに一瞥もくれずに、その両手は決して小さいとは言えないカラスの体を文字通り微塵に引き裂いていく。やがて肉団子になったそれを民家の壁一面に塗料の如く撒き散らした。

 およそ猟奇にすぎるこの行為の意味は、直後に理解できた。

 『無事に潜入は出来たようだな』

 壁の血や臓物が動き出して文字を描いていく。それだけで、さきほどのカラスが何者かの放った使い魔で、術者が血肉を通じてこちらに意志を伝達しているのは明白だった。

 レジスタンスに魔術師がいなかったこともあり、ぞろぞろと蠢く血液を一転し興味深そうに眺めるユーリィ。そんな彼の意志を無視して言の葉は続く。

 「そっちは使い魔を寄越すだけか」

 『こちらの制止を無視して何を言う。段取りというものがあるのだ。それを貴様は……』

 「最初から言っていたことだ。おれは、おれの好きなようにやるだけだ」

 如何なる方法でかこちらの発言を捉える遠方の魔術師は、以後もどうにかしてこの男を留め置こうと躍起になっている。

 『貴様の目論みは成就しない。こちらの協力無しにはな』

 「ほざいていろ。最初に協力を求めたのはそっちだろうが」

 『否定はしない。しかし、十年以上も手を出しあぐねていた貴様に道を示したのもこちらだ』

 「…………」

 『一から十まで従えとは言わん。だが守るべき要、通すべき筋は破らんでもらいたいだけだ。でなければ、貴様はまた“失う”羽目になるだけだ』

 「……言いたいことはそれだけか」

 機嫌を損ねたのか不満気に鼻息を立てると、男は壁を離れて先を急ぐように再び歩き始めた。遅れないようにと後を追うユーリィ。

 「ああ、そうだ」

 「わ!」

 踵を返した男の手がユーリィの首根っこを掴み上げ、その顔面を血塗れの壁に、正確にはその向こう側に居る魔術師に向けて近付ける。生臭い血と臓物の臭いに顔を顰めるが、そんな事はお構いなしに男は続ける。

 「レジスタンスの生き残りだ。途中までこいつを連れて行く。回収はそっちでやれ」

 『生き残り、か。やはり間に合わなんだか』

 「白々しい。元から織り込み済み、というやつだったろうが」

 『出迎えにはカマリを寄越そう。我輩が侵入するには今しばらく時が掛かる故な』

 それを最後に血文字はただの血痕となって壁に沁み込んで消えた。もう魔力の残り香さえ感じられない。ひとまずは独断専行を行うこの男に対し自制を促すために接触したということか。

 「行くぞ」

 「え、ま、待ってください!!」

 またも脇目も振らず一人で先行する男に遅れまいと続くユーリィ。その行く先がどこに続いているのか、今はまだ知る由も無かった。





 大昔、まだ連邦の領土が今より小さかった当時、ある一つの伝承が山脈近くの村々で発生した。

 『穴ぐらのイヴァン』。

 イヴァンとは、山脈以北の国々ではありふれた名前として知られ、以南の国では「スミス」、遠くジパングでは「権兵衛」として用いられる『匿名の何某』を表す言葉だ。

 故に、イヴァンなる人物は仮名に過ぎず、そもそもそんな人物が実在したかなど誰も知らない。ただ伝承として残る架空の人物だ。

 その昔、その山には鉱脈があった。掘り出された物が石炭だったか他の鉱物だったのか、今となっては分からない。落盤事故による崩落をきっかけに閉山したからだ。元々の経営が逼迫していた事もあり、ろくな救助どころか捜索さえ行われないまま山は立ち入り禁止が言い渡された。

 数日後、閉じた坑道から何者かが這いずり出た形跡を村の者らが発見した。

 有り得ない。

 労働環境は最悪だった。まともな掘削用具さえ満足に支給されず、中に閉じ込められれば掘り抜けて脱出するなど到底不可能だ。ましてや呼吸が出来ない閉鎖空間で、数日も生き延びるというのが無理な話。だというのに、「自分以外の何もかもが死に絶えた」危機的状況から、その者は脱して自由を得て見せたのだ。

 「こうしてイヴァンは自由を得た。もはやその手を縛る鎖は無く、足を封じる枷も無くなった」

 以来、イヴァンの名はおとぎ話として語り継がれるようになり、『闘争と自由』の象徴として唄にもなっている。街中で芝居屋がいればほぼ確実に演目に挙げられているほどポピュラーな存在にまでなった。

 「ああ、力強きイヴァンよ! お前はどこへ行く? おお、愚かなるイヴァンよ! お前は何をしでかす?」

 今日も今日とて、広場の片隅では小屋で芝居屋が人形劇を演じる。演目はやはり『穴ぐらのイヴァン』。子供でも聞き飽きたほどのそれは、芝居小屋の前の集客率を下げるのに一役買っていた。わざわざ列を成してまで見物せずとも結末も分かり切っているため、小屋の前は疎らなものだった。

 ほどなくして上演は終わり、小屋の前から人が去っていく。芝居はお開き、もうここに来る者はいないはずだった。

 おひねり代わりに投げて寄越された小銭を拾い集めながら芝居小屋の主は、芝居が始まる前からいた来客にやっと向き合った。

 「お待たせしたね、我らが『イヴァン』」

 「おれをそんな名前で呼ぶな」

 小屋には三人の男。一人はこの芝居小屋の主。もう一人はそれを訪ねて来た者。そして、最後の一人が……。

 「その子が例の?」

 「生き残りだ」

 男と共にここまで来たユーリィ。芝居小屋の主こそ、その到着を待ち侘びていた「第二の協力者」だった。

 「おまえたちの欲しがっている情報はこいつが持っている。今はもうこいつしか持っていない」

 「初めまして。私は、カマリ。こちらの彼と同じく、この国の変革の一助となるべく遣わされた者です。以後お見知り置きを」

 「ど、どうも」

 顔立ちは「恐らく」典型的な大陸人のそれだが、ユーリィが握手を少し躊躇ったのは、その風体があまりにも異質であったからだ。

 着込んでいるのは構わない。ここは寒冷地、年がら年中を長袖厚着で過ごすことなど何ら珍しいものではない。

 しかし、まるで砂漠の民がするように目元以外の頭部を布で覆い隠し、差し出した手にさえ指先を残し包帯を巻きつけたその様は、まるでマミーのようだった。こんな見るからに怪しい人間が芝居小屋にいたならば、それはどんな演目が素晴らしくても人足が遠のくのも無理からぬ話だろう。

 それに、実際恐る恐る握手をすると……。

 (? 何だか、感触が……)

 「おまえを見ていると、見世物小屋に行った同僚を思い出す。ここ数十年、顔を見ていないが」

 「噂に名高い『大熊』と比されるとは、私も株が上がりましたな」

 「ぬかせよ」

 苛立ちを隠さず吐き捨てるように言うと、男は二人を置いて外に出ようとする。もうここに用は無いと言わんばかりの振る舞いだった。

 「古来より、『慌てることなく急ぐべし』とありましょう。どうか少し腰を下ろされては如何か?」

 「黙れ、『覗き屋』風情が。その舐め回すような目を潰してから言ってこい。さっき適当に弾いておいた奴が元気に動き回っている」

 「……分かるので?」

 「近頃は見えなくていいやつも見える。何度も相手をするのは面倒だ、ここでカタをつけておく」

 「止したほうがよろしいかと。今ここで倒せたとしても、いたずらに相手の警戒心を煽るだけです」

 「だから? 何だと? 連中を警戒させて、もっと大量の武器を持たせ、そいつらが雲霞の如く押し寄せて……だから、それが、どうしたって?」

 不機嫌は、最高潮に達しようとしていた。

 「おまえは……どこぞの顔も名前も知らない、脳足りんの有象無象が持て囃すだけしか価値のない『混ざりもの』に…………俺が、遅れを取ると?」

 怒気が吹き荒れる。息をするのも苦しくなり、眼球の奥がチリチリと熱くなる。目の前に存在する怒りの熱量から五感さえもが逃避しようとしているかのようだ。発信源である彼だけがその害を全く受けずにいる。

 「せめて、せめてご友人が合流されるまでは……」

 「おれに友人? おかしなことを。あいつは単に……昔の顔馴染みだ」

 およそ常人には耐え難い怒りの圧を撒き散らしながら男は外へ出る。入れ違いに外の寒気が一瞬流れ込み、それを受けながら最後にこう言い残した。

 「ああ、ここは相変わらず寒い」





 「やれやれ、生きた心地がしませんよ」

 空きが増えた小屋の中で気の抜けた声が響いた。声の主は芝居小屋の主に扮していたカマリなる人物。さっきまで男の怒気をまともに受け続けていたためか、真冬にも関わらず汗をダラダラと流して心底疲れたように溜息をもらした。

 改めて、カマリという男の出で立ちを確認しよう。

 身長は幼さを残すユーリィより僅かに高く、中肉中背。僅かに覗くブロンドの髪と白い肌。男性特有の澄んでいながらも低い声。それこそ全身を雪に紛れるような白装束で覆い隠していなければ、あまりの個性の少なさに数分後には名前さえ忘れてしまいそうだ。

 それだけに装いの異様さが際立つ。魔術師の中には魔力の流れや使用する術の効率を計算した上で奇異な恰好をする者がいると聞くが、このカマリには魔術師らしい雰囲気のようなものは一切感じられなかった。

 「ああ、すいません。置いてきぼりにしてしまって」

 「いえ……」

 「聞けば苦労されたとか。何か食べますか? と言っても、ろくなものは出せませんが」

 「いえ、お構いなく」

 奥の木箱から塩漬けにされた肉が少量。それを分け合うように食べながら、二人はしばし互いの身の上を語り合った。

 「私はこの国……正確には、今は連邦に併合されてしまったある小国の出身なのですが、元は吟遊詩人の真似事をして各地を渡り歩いていました。もちろん、ドラクトルを越え南の国へも赴いた経験もあります。今回の作戦では各地を旅した経験を買われて、主に山越えの安定したルートの確保に努めました」

 「そのような方が何故、このような荒事に?」

 「いやぁ、縁とは異なもの味なもの。旅先で危機に瀕したところを助けてもらって以来、何かと顔を合わせる機会がありまして。吟遊詩人のサガとでも申しましょうか。彼のように物語のタネになりそうな人を見ると、どうも放っておけないと言うのか……」

 「実際、物語になっていますよね」

 ここでユーリィは自身の愛読書、『比翼連理紀行』を取り出して見せた。カマリもそれを認めると得心したように息をもらす。

 「ああ、やはり聡い方は勘付かれてしまいますか。彼も最近は自分の与り知らぬ場所で名を売ってしまっていることに苛立ちを覚えているようで」

 「やっぱり、そうなのですか」

 「ええ、そうですね」

 疑念は予想になり、予想は確信へと変わった。

 あの強靭という言葉が服を着て歩く男の正体は、果たして物語の原型となる原初の英雄であったのだと。

 「ではっ、この本に描かれていることは……!?」

 「私が聞いた限りでは、概ね真実であるとか」

 「王魔界騒乱は? 新大陸発見は? 邪教との戦い、“歪曲の邪神”討伐は!?」

 「た、多少の脚色はありますが……」

 「……なんてことだ……」

 噂に聞いたことはあった。ほとんど稀覯本と化した初版のあとがきには、これらの物語が過去にあった事実であることを仄めかす一文があったとか。

 白髪赫眼の凶相、堅剛無比の肉体、そして相対する敵を一撃で突き崩すその無双の力。作中で何度も描写される物語の主人公、その姿形はまさしくユーリィの窮地を救ったあの憤怒にまみれた男のもの。彼を形成する要素の一つひとつが須らく符合するその事実を、少年は偶然とは捉えなかった。

 「こんな、大それたことが現実に起こり得ていたなんて。なんて……なんて、なんて素晴らしいんでしょう」

 「素晴らしい、ですか?」

 「ええ! だってそうでしょう? 英雄は実在した。夢物語は現実にあったことだった。それだけでも断言できる、世界はこんなにも素晴らしいことに満ちていると! 自ら道を閉ざしたこの国の人々はきっと想像もしていない、することさえ出来ない! あんな冒険が、こんな物語が存在しているのに、誰もそれを知る事さえ許されていない! でも僕は知ることが出来た! その冒険を、物語を! これが素晴らしいことではなくて、何だというのです?」

 「なるほど、あなたはそのように思われますか。それは何ともはや……」

 「? 何か……」

 何か意味深に黙りこくってしまったカマリ。その伏せられた瞳は憂いを含み、必ずしもユーリィの言葉に全面的に賛同するものではないことを表していた。

 「戦いに憧れ、強きを誉れとするは若人の証……なのでしょうか。羨ましいことです」

 「カマリ卿?」

 「いえ、あなたは……失礼を承知で申し上げるのなら、彼の本質をまるで理解できていないのだなと。その表層の末端さえもと、そう思っただけでして」

 一人盛り上がりを見せるユーリィに少なからず落胆したような態度を隠さないカマリ。その変わりように戸惑うユーリィだが、眼前の詩人はやはり悲しげに彼を捉えたままだった。

 「……ここは、詩人らしく語り聞かせましょう。若人の憧れに泥を塗るのは忍びないですが、真実を語るのは口を与えられた吟遊詩人の役目なれば」

 取り出された竪琴が、ポロンと音色を響かせる。第一幕は子供向けのおとぎ話。ならば続く二幕目は、“穴倉を飛び出した彼”の長い道のり。

 「さあ、これよりお聞かせするはとある戦士の物語。義を知らず、情を知らず、理も知らず。己を己たらしめる武器だけを手に、男はただ戦い続ける」

 武器の名は、「怒り」。

 「語りましょう、聞かせましょう。戦いの旅路に男が何を失い、そして“何を得られなかった”のか」

 つまり、「救い」は無い。

 「そして、あなたは知るでしょう。『物語の如き英雄』などこの世に存在しないのだと」

 「なぜ、そのような前振りだけでも恐ろしく聞こえる話を、この僕だけに?」

 「そんなこと、決まっています」

 ここで初めて微笑みを見せたカマリは、しかし乾いた声で至極真っ当なことを言ってのけた。

 「後味の悪い物語ほど、飯のタネにならないものは無いと相場が決まっております故」

 その物語は、バッドエンドが確定していた。





 平穏に生きられるのなら、ヒトは誰でもそうするだろう。

 有史以来、ヒトは争い続けてきた。だがそれも結局は自分、あるいは自分の属する集団が何事も無く生きられるようにするためだ。もし仮に無限に等しい資源とスペース、そして悠久を生きられる寿命があれば、ヒトは初めから争うことはしなかっただろう。争うまでもなく平穏無事な未来が約束されているからだ。

 だが現実はそうではなかった。

 生きられる土地には限りがあり、糧もまた有限。唯一恵まれた寿命さえも、知恵ある種族として上位に君臨する魔物と比べれば、いっそ哀れなほどに短かった。その魔物と交わることで克服可能となった今でさえ、ヒトは未だ相争う宿業から完全に脱したとは言い難い。

 業深きこの種は、その誕生以来……一度たりとも「安心」したことが無いのだ。

 欲深く。

 嫉妬し。

 何よりも、臆病。

 それが、人間という度し難い種族なのだ。

 「私はね、そんな彼らを……どうしようもなく憐れで、救いようのない彼らを、『安心』させてあげたかったんだ」

 ムウという人物の、ヒトという種に対する見解は概ね正鵠を射ていると言っていいだろう。臆病ゆえに過剰に敵対し合うのは人間に背負わされた業、『相互理解できない』という原罪に他ならない。

 「だがそれは決してヒトの自業自得とは言い難い。なぜならば、ヒトとは『初めからそのように』創られているのだから。互いを認め、尊び、高め合うことを、『許されていない』のだから」

 神話に曰く、天を突く巨塔の建築という大事業に対し、神は驕った彼らを諫めるべくその言葉を乱した。産めよ増えよと宣っておきながら、一致団結しひとつの物事に取り組む様を、手と手を取り合い隣人同士で協力することを寿ぐどころか、むしろその様子を見て被造物に対し理不尽な妬みを抱いたというのだから驚きだ。

 「解るだろうか。所詮、ヒトはその程度の扱いなのだ。何処まで行こうと家畜であり、いと高き主を楽しませる玩具に過ぎない。そんな、互いを喰い合い、貶め合うことを宿命付けられた存在が、何を以て互いを案じ、互いを愛し、満ち足りることを知るという?」

 付き従う“機械の如き”同胞に向けられた視線は、顔こそ嘲笑うような表情をしていたが、その目は哀しみや憂いを帯びた複雑なものだった。それはこの男が本気でヒトという種に科せられた宿業を憂いている証に他ならなかった。

 「悲しいことだと思わないか?」

 「解答不能。其の命題に対する明確な答えを持ち合わせない」

 「それもそうか。君には理解も共感も不可能なことだったか。だがいずれ君も理解する時が来る」

 「ひとつ、不可解な事がある」

 「どうぞ」

 「何故、救済を求める」

 「私は救済を求めたことは無いし、もたらす事もしない。そんなのは説教好きな聖職者にでも任せておけばいい。それに連中の言う救いは結局、精神的な物でしかない。曰く、気合。曰く、気の持ちよう。曰く、希望。よくもまあ、恥ずかし気もなく言えたものだと感心するぐらいだ」

 「ならば何故」

 目的地に着いた馬車が一旦停止し、街に入る前に城門前で官憲の確認作業が入る為、男二人は揃って馬車から降りる。肌を貫く寒波が二人を包み、耳元をうるさく掻き撫でる風の音が僅かに一瞬だけ世界から二人を切り離した。

 そして、ムウはこう言った。

 「昔、一人の男を見た。彼は臆病で、怖がりで、行動は愚かに過ぎ、何より生き汚かった。およそ人間が持つあらゆる欠点を一身に背負わされた、いっそ清々しいほどに憐れな男を」

 「それが人間というモノなのだろう」

 「然り。それこそが……いや、彼こそが正に、人間という種の在り様を示した唯一のサンプルだったのだ」

 ムウは覚えている。かつて絶望の坩堝、その底に追い落とされた時に目にした、その姿を。

 極限に置かれた時ほどその者の真髄が垣間見えるというが、ムウにとってその男の在り様はまさしく、人類そのものの姿を克明に表したように思えてならなかったのである。

 「確かに、私は聖道の果てを目指す求道者ではない。故に、もたらすのは救済ではない、『改革』だ。劣化を防ぐ? 堕落を阻む? 腐敗を抑える? 否、否だ! そんな消極的かつ姑息的なやり方ではいずれ行き詰る、袋小路に入るのは目に見えている。土台から破壊する抜本的な『改革』こそが、もはやこの世界を真に豊かにさせる唯一の方法なのだ」

 ムウは宗教家ではない。故に救いは求めない。

 ムウは哲学者ではない。故に思想に耽ることはない。

 ムウは魔術師ではない。故に魔道に傾倒することもしない。

 「故にまずは、切り捨てることから始めよう。腐った箇所を、膿んだ部分を除き去ろう。全てを破壊し更地にし、旧態旧弊を改め、白紙の上に理想を描き出すのだ。その果てにこそ……」

 「黄金の収穫期は到来す。か?」

 「然り」

 全ての馬車と荷の点検が終わり、城門は調査隊の帰還を認めた。ぞろぞろと動き出す先頭を見て遅れないよう自分達もまた再び乗り込み、彼らは帰還を果たす。

 「その為の十年。その為のゾディアーク。そして、その為の≪───≫だ」

 呟いた最後のワードは急に吹き荒れた寒風が浚った。しかし、ムウの背後に付き従う男は彼の言わんとしていた言葉を、その意味まで余すことなく知り得ている。

 なぜならば、この男はムウの“協力者”だからだ。

 計画を遂行する上であらゆる全てをその為の駒、シフトのタイムラインとしか見なさぬこの男が唯一認める、『己と対等』の協力者。

 「第八にして十天を司る者、大地のクリミナトレスなりし天頂のアークエンジェルよ。全てを記録する君にこそ最後の審判が委ねられている。努々、日和ってその心眼を曇らせないことを祈るよ」

 「無用の用心。そちらも己の役割を忘れないよう。『炉心』は既に、燃料を求めている」

 「問題ない。その為に、ここへ戻ってきたのだ」

 そして、次に離れれば二度とは戻らぬ場所へ。

 地に創出されし星、その数は十二。

 “未だ欠けることを知らぬ”彼らによって巻き起こされる『鯨狩り』という聖戦。

 薪の用意は、出来ている。





 遥かな昔、神秘と幻想が色濃く遍在していた神代の黎明期、世界は今よりずっと流麗且つ荘厳であり、そして残酷であった。

 神とは自然現象そのものであり、人格や個我といった要素は無く、ただ『そこに在り』、『そうする力』を持っていた。神秘は万物に宿り、幻想は世界に満ち溢れ、虫魚禽獣の境は薄く、天界と冥界も近しく、ヒトと神の間にある差もまた今よりは離れていなかった。

 魔を屠る人が在り、神を討ち取る人が存在した。神魔は人に近しく、人もまた神魔に達し得る。世界はそうした在り様を示していた。

 今は違う。

 数千年に渡る主神の台頭により、上位と下位が明確に分けられたこの現代においては、魔道の術に頼らねば奇跡を起こせない。矮小且つ脆弱な人の身では山を砕き、海を割り、天を穿つが如き所業ともなれば、それこそ神代のそれに匹敵する力量を求められる。

 しかして、例外とはいつの時代も存在する。

 「ダ──ッラアアアアアァァァーーーッ!!!」

 それが金牛の名を冠した超人が一体、【タウロス】。物理が条理を超越した稀有な例。

 自走制圧する鉄塊と化した肉体、その両脚が一歩ごと大地を捉える度に地面が波打ち、地盤は緩み、余波で岩石が独りでに崩壊する。ただその巨体が「ほんの少し速く」歩き回るだけで周囲にとっては災害にも等しい被害を受け続ける。

 そこに他者を害する「殺意」を上乗せされれば……どうなるか。

 「砕け散りなァァァ!!」

 「っ!」

 ただ力を込めて振り下ろされる拳が、その何十倍にもなる擂り鉢状の傷痕を大地に刻み付ける。星海を渡り降り注ぐ流星の如き衝撃だが、生物として当然に備わっている両腕が秒と掛からずに連撃となって襲い掛かる。

 巨体ゆえに動きが鈍重? 何を馬鹿な。それこそ浅はかな考えと言わざるを得ない。現に二本の鉄腕は岩石の豪雨と見紛うばかりの密度を伴い、眼前の敵に対して猛攻勢を仕掛けている。掠っただけでも大気に発生した極小の真空層が乱気流となってダメージを与え、直撃などすれば圧潰などという言葉では表現できない破壊の権化が顕現することになるだろう。

 「ほれほれほれぇええええ!! 逃げてるだけかよ、腰抜けがぁぁああ!!!」

 個人の力が天変地異に匹敵するという有り得ざる事象、大陸を端から削り取らんばかりに振るわれる猛攻は如何なる硬度を有し防御に徹しようとも、その全てを無意味にしてしまう。然もありなん、猛威の元凶こそが最も硬きを極めたる異常存在なればこそ。

 拳の一発ごとに秘めるのは、ただ単純に力のみ。技術? テクニック? 金槌で小石を粉砕できるのに、そんなものを用いる必要はどこにも無い。当たれば砕けるという当然の理屈を極めている以上、小細工を弄することに何の意味があろうか。

 現代に蘇りし神代の脅威。

 個人の力が天変地異に匹敵するという理不尽。意志持つ鉄の塊となった存在が世界に対しどれほどの被害をもたらすのかという、いっそ親切なほどに理解しやすい実例。

 これを前に肉持つ身が太刀打ちするなど出来ようはずも無く、相対すれば一方的に砕け散るが定め……。

 「ハハ、ハハハハハッ!! ガハハハハハハハハ!!!!」

 もはや大地は大地としての体を成さず、真白き雪原は消し飛び剥き出しの凍土が大口を開けていた。人型災害、これが文字通りの「人災」が引き起こしたる末世の光景、終末の具現。

 もしここに……。

 真実を、その断片でも知る者が居たならば。

 皮肉なものだ、と。嘲笑うだろう。

 『終末に対抗する存在』が、その光景を生み出すという矛盾を。

 「で? てめえは一体いつまで逃げ続けりゃ気が済むんだ、ええ? おい」

 【タウロス】はただ力任せに拳を振るっていたのではない。気付けば周囲の土壌はすっかり掘り返され、二人を取り囲むように巨大なクレーターが形成されていた。即ち、金牛が拵えた闘技場、死のリング。周囲を凍土の勾配で囲まれたこの場において隠れ潜む所は無く、【タウロス】にとっては相手を一方的にぶちのめせる恰好の戦場という訳である。

 「ここまで一発も当たらなかった事は褒めてやるよ。殺すつもりでやったんだが、俺は見ての通り攻撃が大振りなもんでな。だがそれもここまでよぉ!!」

 だがもう逃げ場は塞いだ。ここから先はどう足掻いても直接対決は避けられない。完全な個と個のぶつかり合い、どちらが強く、あるいは弱いかというこの世で最も単純な合理が支配する領域となった。

 どちらか一方が倒れるまで続くデスマッチ。

 「行くぜ、行くぜ行くぜぇええええ!!!」

 破壊と殺戮のクラウチングスタート、飛び出した鉄塊はさながら砲弾か。着弾すれば構造に関わりなく粉微塵に砕け散る、意志持つ鉄塊であり自力飛翔する砲弾だ。

 「っ!」

 「遅ぇえんだよおおおおお!!!」

 僅かに体をずらし逃げの姿勢を見せた相手を、今度こそ【タウロス】は完全に捉えて見せた。

 鋼鉄超人は己よりずっと小さな相手を組み敷き、絶体絶命の致死的姿勢、即ちマウントポジションを確立する。こうなるともはや下になった者の脱出は容易ではない。あとはほぼ無防備に晒されるその顔面目掛けて……。

 「ぶっ壊れちまいなあああああああ!!!!」

 全力で拳を振り下ろすのみ。

 固められた五指は遂に“白鯨”の顔面、その正中線へと命中した。

 一発、二発、三発……息もつかせぬ連打が、凍土を掘削する凶悪極まりない人智超越の拳の数々が、無慈悲に着弾していく。頭を踏み付けられた意趣返しとばかりに、拳が直撃するごとに衝撃をまともに受けた上半身が凍土に埋没していく。

 都合三十度にも上る殴打の後、男の顔面は完全に土壌にめり込み、ぴくりとも動くことは無かった。

 「おいおい、何黙りこくってんだよ。まだ百分の一も返せてねえぞ、コラァ!!」

 まだ破壊し足りないと、鋼鉄の金牛は“白鯨”の肩を掴み上げ地面から引き抜こうとする。もはや頭部は原型を留めてはいまい、ならば後は首から下にかけて徐々に磨り潰すように破壊するだけだ。既に絶命していようが関係ない、ただ内から湧き上がる攻性本能のままにそれを為すだけだ。

 「はっ。口ほどにも無かったぜ。やっぱ【アリエス】の野郎が言ったのはただの吹かしだったか」

 ずぼ、っと木の根を引き抜くような音と共に、掴み上げられた“白鯨”の体が起き上がる。

 視線が合った。

 煉獄の業火、地獄の血華。この世全ての憤怒を凝縮させた、真紅の瞳が……【タウロス】を捉えた。

 「ッ────!?」

 引き抜いた頭部は一切合切、まるで潰されることも無く健在なまま、その首に座っていた。

 鼻血は出ている。目元は痛々しく腫れ上がり、口からも血が滴り落ちていた。確かに、確かに【タウロス】の攻撃は“白鯨”に初となる有効な傷を与えてはいた。

 だが、それだけだ。目に見えたダメージはたかがそれだけ。どう贔屓目に見ても「軽微な損傷」と言わざるを得ない。

 「な、ん……!!」

 ではここで簡単な、至極簡単に過ぎる問いを掛けよう。

 仕留めたと思っていた獣が実は手傷を負ったものの、実際はほぼ無傷に近い状態である時、それを知らずに接近してしまった哀れな狩人が辿る末路はどのようなものか?

 まず前提が間違っているという誹りは免れない。

 彼は“超人”だ。その生態、規格、在り方、どれを取っても既存の人類とは一線を画す。まして今の【タウロス】は武装たる甲殻を最大展開した状態だ。如何なる力……例え噴石や大砲の直撃を受けようとも、その衝撃の全てを瞬く間に散らし、効果的に受け流してしまうだろう。それこそ手負いの獣が一頭、決死の一撃を放ったとて結果は火を見るより何とやらだ。

 故に、常人にとっては致命的でも、超人の彼にしてみれば初歩的なケアレスミスに過ぎず、何をどう転ぼうと命取りとなり得るはずがない……というのが模範解答なのだろう。

 ただ一つ、そう、僅かに一つだけ【タウロス】にとって不幸なことがあったとするならば。





 “白鯨”にとって【タウロス】は、「最も破壊しやすい素材」で構成されていた事に尽きる。





 ぞぶり、と水分を多分に含んだ不快極まりない音が【タウロス】の耳に届いた。直後、重心を失った彼の体は大地に伏す。

 人体において体重を支える重心は丹田(へその下付近)であるとされる。

 そこがそっくり丸ごと……抉られていた。

 「あ、あがあああああああーーーっ!!!?」

 体内の圧力が掛かり、唯一の解放口となった傷口から内臓がはみ出す。反射的に手で押さえるが、もはや腹部のそれは傷口というよりは掘削痕、新雪を土ごとシャベルで掘りぬいた孔。鋼鉄の如きと称されし甲殻は縁からひしゃげ、そのダメージが外部より「力尽く」で刻まれたものだと容易に理解させた。

 「なんっ……な、んだ、こりゃあ……!!」

 傷は塞がらない。もはや再生で追いつく限度を越えている。抉られた孔からは体温を保ったままの血液が無慈悲に流れ出し、その周囲は瞬く間に真っ赤な溜め池と化した。

 そして、地に倒れた【タウロス】から解放された“白鯨”は、今再びその無様な姿を見下ろす側へと戻っていた。

 「…………」

 灼熱の朱を湛えた赫眼は自らが抉り取った肉塊を観察していた。手に収まるほどの質量を抜き取れば、超人言えども致命傷に相違ない。

 例えそれが、殺意など一欠片も存在しない所作による結果であろうとも、だ。

 そして……。

 「おい、答えろ」

 蹲りまともに動くことさえ出来なくなった【タウロス】に、“白鯨”の側から声が掛けられた。

 「おまえ、『これ』をどこで手に入れた。いや、違うな……どうやって、手にした?」

 質問の主体になるのは、その手に収まる肉塊。鋼鉄の表皮を纏った人外のそれを、“白鯨”は知っている。知っているからこそ問わずにはいられない。

 それこそが、彼がこの氷の大地までやって来た真の理由であるが故。

 それを知るためだけに、彼は来訪したのだから。

 しかして、運命とは皮肉なもの。これが物語であればまだ序盤、散りばめられた謎の全てが詳らかになるには早すぎる段階。

 だからこそ、答えは決まっている。

 「俺が、知るかよ……ッ!!」

 そうだ、【タウロス】は知らない。知る由もない。

 超人となる道を選んだのは彼自身だが、そのお膳立てをしたのは別の意思と思惑があった。故に彼は自身に埋め込まれた『素材』がどこの、あるいは何の由来なのかは全くもって知りもしない。

 命の瀬戸際という生涯初の経験を前に、その口は思わず素直な言葉を口にしてしまっていた訳だ。

 それが命取りになるとは露とも思わずに。

 「そうか」

 知らないなら、殺さない理由はもう無い。

 利用価値が無くなった瞬間、“白鯨”の動きに初めて殺意が上乗せされた。再び固められた五指は用済みとなった肉塊を甲殻もろとも握り潰し、形作られた拳が振り上げられる。

 「なら死ね」



 この日、連邦の観測所が“ほぼ地表に近い”位置で発生した地震を記録した。
18/06/11 00:41更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
次回、第6話
「乙女繚乱【メルトスルー・ヴァルゴ】」



12/31、東I31にみんな集合!!

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