連載小説
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友人の後押し


水の精霊とそのマスターは街の食堂のテラスにいた。
天気は良好で昼下がりの穏やかな日差しと風が届くいい場所だった。
しかし二人の表情は冴えない、元々表情の変化に乏しいイェンダはともかく、ルフューイのほうは明らかに落ち込んだ表情をしている。
二人の前には皿がある、食道で注文したじゃがいものシチューだ。
使われているのは勿論スタッド・ハーベストであり、本職のコックの料理なだけあって味は確実にコペルの作ったスープよりいい。
だのに、二人の舌には何となく味気なく感じてしまうのだった。
かちゃかちゃとスプーンを動かし、言葉少なに食事を終えるとルフューイはため息をつき、イェンダはいつもの通り本を開いた。
「はあ……コペルさん、最近会えないなあ……」
ルフューイはため息と一緒に言葉を漏らした。
頻繁に通っていたコペルの家だったが近頃は行く機会に恵まれない。
時間を見つけて訪れても留守になっている事が多く、例えいても今は少し忙しいのですまない、等と色々な理由を付けて丁重に断られるのだ。
明らかに自分たちを避けている様子だった。
「……忙しいのなら、仕方ない」
「……マスター、本、逆さまです」
「……」
言われて正しく持ち直すイェンダ、表情には出さないが彼女もその事について悩んでいるのは明らかだった。
「……あの日」
「はい?」
「……私が寝ている間に、何かあった?」
イェンダは気付いていた、自分がコペルの家で仮眠を取った日、あの日を境にコペルの態度が変わったのだ。
言われてルフューイは気まずげに視線を逸らす。
「……ちょっと……ちょっとだけ誘いをかけてみたんです」
「誘い?」
「マスターの気持ちをちょっとだけ伝えようかと……」
「……」
イェンダは小さくため息をついた。
「や、お嬢さんたち、ここちょっといいかな?」
テーブルが暗い空気に支配されそうになったところで唐突に声がかかった。
二人の背後から声をかけたのは長身の青年だった、整った顔立ちに少し下がり気味の眼尻が優しい印象を与える。
甘いマスク、という表現がぴったりくる顔だった。その甘いマスクに人懐っこい笑みを浮かべている。
「……どちら様でしょうか?」
「……」
女性ならば思わず心を許してしまいたくなるような笑顔だったが、二人は警戒の色を浮かべる。
人間女性相手ならば抜群の効果を発揮する容姿の良さも魔物娘に対してはあまり武器にならないのだ。
しかし男性の次の一言は二人に対しては大きな効果があった。
「コペルの知り合いさ」
「……コペルさんの?」
「うん、君らがコペル籠絡に苦戦していると聞いてね」
「ろ、籠絡って……」
「違うかい?」
言いながらも自然な動作で二人の向かい側に腰を下ろすとウェイトレスに声をかける。
「俺にコーヒー、あと二人に……デザートか何か頼むかい?奢るよ、ここのショートケーキは絶品なんだ」
「いえ、結構です」
「……いりません」
警戒心を解かない二人に苦笑を浮かべつつ青年は注文を済ませた。
「まあ、まず分かって欲しいのは君らに声をかけたのはナンパ目的じゃないって事だ、ナンパしたくなるほどお二人が美しいのは確かだけどね」
「コペルさんとはどういう知り合いですか?何が目的ですか?」
口説き文句のような台詞には取り合わずルフューイは問う。
「うん、まず俺とコペルの関係だがまあ……友達のようなもんさ、俺が一方的にそう思ってるだけかもしれないけどね」
「友達……?」
イェンダはその青年を観察した、さらさらとした肩にかかる程度のブロンドは女性のように奇麗に手入れされ、高級そうな服をラフに着崩している。
どう見ても遊び人といった容貌だ。とてもじゃないが農家のコペルと接点がありそうには見えない。
「疑うのも無理はない、俺とコペルとは全然違う人種のように見えるだろう?その通りだ、でも人生ってのは数奇なもんでね、俺はあいつに借りがあって返したいと思っている」
「借り……?」
「そ、借り、目的はそれ、つまりお二人とあいつがうまいこといってあいつが幸せになったら、俺の中で借りは返せたことになるんだ」
話が見えなくて首を傾げる二人を尻目に青年はコーヒーを運んできたウェイトレスに微笑みかけて礼を言う、ウェイトレスはそれだけで赤面する。
「ああ、申し遅れた、イミ・レスタリーと言うんだ、よろしく」
乾杯代わりにコーヒーカップを掲げるとイミはウィンクをした、下手な男がやると滑稽なだけの仕草だがイミがやると憎らしいくらいさまになる。
「コペルさんとお近づきになるのを手伝ってくれるって事ですか?」
「そ」
「……信用できない」
「信用してくれなくて結構、ただこれだけは聞いてもらいたい」
イミはブラックのままコーヒーを一口啜ると二人の顔を交互に見る。
「あいつは今ちょっとした女性恐怖症みたいな状態なんだ」
「女性恐怖症?」
二人は興味を示す。
「コペルは以前、社交パーティーに参加したことがあってね、割と最近の事だ、社交パーティーって言ってもまあ、集団のお見合いみたいなもんだ、そこで女性に対するトラウマを受けてしまったらしい」
「……トラウマ?」
「女達に容姿についてからかわれたらしくてね……直に言われた訳じゃなくて立ち聞きしてしまったらしいんだけど」
「……コペルさんのどこにからかう要素があるんですか」
憤然としてルフューイが言う、イェンダもむすっとした表情になる。そんな二人を見てイミは笑った。
「君達魔物には理解できないかもしれないが、人間達の中には異性を選ぶ基準ってものがあってね……大抵の人はそれに囚われているものなんだ」
後半は少し困ったような表情になった。
「どんな基準なんですか?あんなに優しくて誠実で頑張りやさんで思いやりがあって、何が不満だって言うんですか?」
「まあまあ落ち着いて、俺がからかった訳じゃないんだ」
身を乗り出さんばかりのルフューイを苦笑しながらイミは諌める。
「あいつ、背が低くて手足も短いだろう?ああいう体形は異性にウケが悪いんだ」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものなの」
言われてもルフューイは納得のいかない表情で頬をふくらませている。
「あいつは凄く強い人間だ、だけどある一面では凄くナイーブな所がある……そこの所を考慮しなかった俺のミスだった」
「ミス……?」
「うん、あいつをパーティーに誘ったのは俺だ、だから、今起こってる事態の原因の一端は俺にあるとも言えるんだ」
「協力してくれるっていうのはその罪滅ぼしのためですか?」
「それもある、でもそれだけじゃない、あいつには昔助けてもらったことがあってな……それに……」
イミはコーヒーの波紋を見つめた。
「俺もあいつの事が好きだからな……待て、警戒しないでくれ、変な意味じゃない」
一気に険しくなった二人の視線に慌てて言葉を付け加える。
「それに君たちと同じ憤りを感じてもいるんだ、あんなに懸命に頑張っている奴が見向きもされないってのは間違ってる」
イミは視線を落とす。
「人間ってのは人を見る目のない奴が多いもんだ……多すぎる、全くもって節穴ぞろいさ」
終始明るい表情をしていたイミだったが、その一瞬だけ表情に影が差した、それも一瞬の出来事ですぐに笑顔に戻る。
「まあ、それはともかく……二人の方にもちょっと問題があるかもね」
「問題?」
「ねえ、ルフューイさん、今から少しの間だけ口を挟まないでくれるかな?」
「?……はい」
イミは視線をイェンダの方に向ける、イェンダは静かに見返す。
「イェンダさん、先程から見ていると人と話す時の受け答えの殆どはルフューイさんがしてくれているみたいだね?」
「……」
「コペルに対してもそうなのかな?」
「……」
俯くイェンダにイミは顔を近付ける。
「喋ってくれなくちゃわからないよ」
「……うん」
「コペルは多分そこも不安に思ってる、ルフューイさんとはよく喋るから打ち解けられる、でも肝心の君とは殆ど会話も無い」
イェンダは何か言いたげにするが、何も言えない。
「君が口下手なのは見ていてわかる、でもそこをもう少し頑張れないかな?」
イェンダは頷きながら小さく小さく縮こまる、その様に普段のエルフらしい神秘性は感じられない、ただの一人の悩める少女だった。
「実の所、君達や俺が頑張らなくったってコペルは幸せになれるとは思う」
「?」
「考えてもみなよ、この都市は親魔物領になったんだ、そうなればいままで以上に沢山の魔物達がこの街に流入してくるだろう、その時魔物達があの傷心の働き者を見逃すと思うかい?」
「……」
イミの言わんとする所を理解してイェンダの表情が変わる。
「ほおっておけばもっと積極性のある魔物が彼を籠絡するか攫うかするだろうね、そして幸せに結婚して子供を儲けて……で、君に挨拶したりするわけだ「ああ君か、久しぶりにご馳走でもするからまた家にも寄ってくれ」とか」
イェンダはその長い耳をぎゅっと塞いでいやいやと首を振った、その美麗な目尻に涙まで溜まっている。そんなイェンダの様子を見てイミは表情を和らげる。
「落ち着いて、まだ手遅れじゃあない、現時点でコペルと一番深く関わりを持っている女性は間違いなく君達だ。ここから頑張ればいいさ……ただ、危機感を持ってね。うん、まあ、言いたい事はそれだけだ」
言い終えるとイミは少し冷めたコーヒーを飲み干して席を立った。
「イミさん」
「うん?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ルフューイが礼を言うとイミはうやうやしく一礼して見せた、つくづくそういった仕草が似合う。
そうして去ろうとしたイミの背にもう一度声が掛った。
「……イミさん」
「はいはい?」
イェンダだった。
「一つお願いできますか?」
「金銭問題以外ならなんなりと」
「考えがあるんです」
イェンダは先程とは打って変わってしっかりとした目でイミの事を見ていた。




コペルは胃が痛む思いだった、場所は街にある社交場、周囲には着飾った男女達。
そう、トラウマの原因である場に再びコペルは身を置いているのだった。
本当ならば二度と来ないつもりだったのだが、友人であるイミに頼みこまれての事だ。
しかし早くも断ればよかったとコペルは後悔し始めていた、目立たないように会場の隅の方でグラスを片手に突っ立っているのだが、やはり周囲の視線が気になる。
こうなる事はわかりきった事だったが、話しているうちにいつの間にか参加する流れになってしまったのだ。
社交性に優れたあの友人が口下手な自分を言葉で丸めこむなど朝飯前なのだろう。
ひそ……ひそひそ……
気のせいかもしれないしそうでないかもしれない、しかし男女の喧騒に混じって自分の陰口が聞こえて来るような気がする。
コペルは酔ってしまえばこの被害妄想じみた幻聴も聞こえなくなるだろうかとグラスの中身を喉に流し込んだが、アルコールの味がするだけで一向に酔いが回る様子もない。
そうして遅々として進まない時計の針を見上げていた時だった、不意に周囲の様子が変わった。
お喋りが中心だった喧騒が驚きや感嘆の混じった声に変わり始めたのだ。
誰か綺麗な人でも現れたのだろうか、何にしろ自分には関係の無い事だと思い、コペルはグラスに視線を落としていた。
しかし不意にある匂いを感じた、覚えのある匂いだ。
雨に似た水の匂い、それに微かに混じる花に似た芳香……こんな場所で感じるはずの無い匂いだ。
思わず視線を上げていた。
色とりどりのドレスの中にあって一際目を引く白、眩しい程に真っ白なドレスがあった。
目を引くのはその白さだけではない、それを纏う女性の美しさも周囲と一線を画している。
「……イ、ェンダさん……?」
無意識に呟いた女性の名前はその場に居る筈の無い人の名だった、しかしどこからどう見てもイェンダであるその女性はいつもの足音の立たない優雅な足取りで足にまで届く金の髪を煌かせながら社交場の真中を歩いている。
「あ、あの……」
「私と……」
周囲の男性は声をかけようとするのだが言葉を詰まらせてしまう、間近で見た瞬間気後れしてしまうのだ。
この場に居る男女はそれなりに裕福で身分の高い者達ばかりなのだがイェンダの纏う空気はその「裕福な人種」とは違う。
それは身から滲み出る本当の高貴さ、ただ歩いているだけでその場の中心になってしまう存在感。
込み合っている社交場を歩くと周囲に見えない壁があるかのように自然に集団が割れ、道が出来て行く。
「本当はいいとこのお嬢さんなんですよ」
コペルはルフューイの言葉を思い出していた、その彼女の姿を見ればその言葉が嘘偽りのない真実であることがまざまざと分かる。
ふと、気付いた、イェンダの足の向かう先が自分である事に。
逃げなくては
何故かそう思った、周囲の注目を浴びるのが怖かったからなのか、彼女の余りに美しい姿に気後れを感じたのか、もしくは「捕まったら逃げられない」という奇妙な感覚からか。
イェンダの美しさに当てられて棒立ちになっていた身体になんとか気を戻すと、ぎくしゃくとした足取りで会場の出口に向けて歩き始める。
イェンダはそれに気付いて少し歩く速度を上げる、コペルは振り返らないようにしてぎしぎしと思う通りに動かない足を動かして逃げる。
「あっ」
周囲にいた人々が思わず声を上げた、イェンダがスカートの裾を持って小走りになったからだ、そんな姿でさえ気品を感じるのが凄い。
もう少しで会場の出口に到達するかと言う所ではっしと温かい手に腕を掴まれた。
ああ、捕まってしまった。
何故かそう思って振り向くと予想通りイェンダがいた、微笑んでいる。
「捕まえました」
初めて見るイェンダの笑顔だった、近寄りがたかった美貌が少し悪戯気に笑っている。クラクラするくらいに魅力的だ。
「少し、散歩しませんか?」
会場を横切るだけで数十人の男を袖にした純白のドレスのエルフは微笑を湛えたままコペルにそう言った。
「散歩しませんか?」それはこの社交場……お見合い会場においては「貴方に決めた」と同義の言葉だ。
大きな声で無いにも関わらずその天から降るような声は会場によく響く。周囲の人々はただ呆気に取られている。
コペルは壊れた人形のようにかくかくと頷くしか出来なかった。
イェンダはコペルの隣に回ってそっと腕を組む、身長差があるので二の腕を絡めるような形になり、子供と大人のようだが気にした様子も無い。
会場から出て行く直前、コペルの視界に見覚えのある一団が入った、以前コペルの陰口を叩いていた女性達だ。
皆、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてこちらを見ている。
「……ははっ」
コペルは何故か少し笑ってしまった。



「……イミの奴ですか?」
「私がお願いしました」
「お願い?」
「コペルさんの事を聞いて……」
「やはりあいつはお喋りだな」
二人は会場を出た後、公園で並んで散歩していた。
時刻は日が暮れて間もない時間帯、満月に近い月は夜中の雲が見えるほどに煌々と白い光を放っている。
隣を歩くイェンダの白いドレスはその光を受けて夜闇の中でうっすらと輝き、イェンダの幻想的な美しさを彩っている。
一瞬、呆けたようにその姿に見入ってしまったコペルはふとこちらを見たイェンダと視線がぶつかり、どぎまぎして目を逸らす。
「その、考えてみると初めてだ、イェンダさんとこうして二人で話すのは」
誤魔化すように口にした言葉だったが、イェンダはその言葉に目を伏せる。
「ごめんなさい」
「いや、別に責めている訳では……」
イェンダはふるふると首を振ると立ち止まり、コペルと向き合う。
「わたしは、話す事はできます、だけど、お喋りが苦手です」
言葉足らずな台詞だったが、コペルにはイェンダの言っている事がよく理解できた。
何か用件を伝える時、報告する事がある時は普通に話す事が出来る、しかしいわゆる「雑談」となると何を話していいのか全く分からなくなってしまうのだ。
「わかります、俺もです」
「でも、苦手でも言うべき事はちゃんと言うべきだったんです」
いつでも硬質な輝きを放っていたイェンダの薄緑の瞳が今は濡れて光っていた、コペルはこっちの方が奇麗だと思った。
耳には水音が聞こえる、いつの間にか公園の中央の噴水の傍まで来ていたのだ。
その噴水の前でイェンダはコペルの前に跪く。そして驚いて硬直しているコペルの分厚い手の甲にそっと口付けをした。
普通は男女逆の構図だ。
しかしコペルはそんな事を気にしている余裕はなかった、手の甲に感じた柔らかな感触で一気に頭に血が上ってしまったからだ。
イェンダは自分の口付けた手の甲に額を当て、祈るような姿勢になる。
「コペルさん、お慕いしております」
押し当てられた額から熱と震えが伝わってきた、髪から覗くエルフの長い耳も真っ赤に染まっている、緊張しているのだ、彼女も。
いつものコペルなら考えてしまう所だ、果たしてこの美しいエルフに自分のような容姿の良くない人間が釣り合うだろうかと。
しかしその震えを感じた時に腹を決めた、これだけ真摯に自分に向かい合ってくれているのに容姿がどうこうと言って逃げるのは男のすることではない。
コペルは膝を折ってイェンダとしっかり目線を合わせた。
「謹んで「イェンダさぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜ん」
静謐な空気を掻き混ぜるようなやけに間延びした声が響き、コペルの声を遮った。
二人はぎょっとして声の方に顔を向ける。
声の主は栗色の髪の少女だった、コペルと同じくらいの小柄な背丈に不釣り合いに大きな棍棒を抱え、小柄な体格にこれまた不釣り合いな二つの豊かな膨らみをたゆんたゆんと揺らしながらこちらに走って来る。
その尖った耳と頭部に生えている一対の角から察するに彼女も魔物のようだった。
「コルホズ……?」
イェンダが少女の名を呟いた、コルホズ・モブライ、この街に派遣されてきた四人の精霊使いの一人だ。
次の瞬間、二人の背後の噴水から飛沫を上げて水の塊が飛び出したかと思うと一直線にコルホズの方にすっ飛んで行った、確認するまでもなくルフューイだ。
「そぉい!」
「ふきゃあ!?」
ルフューイはそのまま勢いを殺さずに頭からコルホズにぶつかって水飛沫を散らせる、コルホズは衝撃で吹き飛ばされてころころと転がる。
「あうう、な、何を……」
「何を、ではありません!空気読みやがって下さい!噴水の前で愛を誓い合う男女に声を掛けるとか!掛けるとか!!」
ずぶ濡れになったコルホズの前でルフューイは腕組みをして仁王立ちになり、大事なことなので二回言った。
「あっ……し、しつれいしましたっ!お邪魔してすいません!ごゆっくりどうぞ!」
コルホズは慌てて立ち上がって何故か敬礼するとそのままくるりと背を向けてその場を後にしようとする。
と、そこで何かに足を取られたようにべちゃっと転んだ、見てみると地面から手が生えてコルホズのズボンの裾を掴んでいる。
ぼこぼこと音を立ててその手の主が土の中から姿を現した、豊満な肢体に蔦を絡ませたその女性はどうやらコルホズの精霊らしい。
「……マスター、ダメ、ちゃんと連絡事項伝えて」
抑揚のない精霊の声に鼻をさすっていたコルホズははっとした様子になる。
「あっ……ああっ、そうです、大変なんです、教団さんがすぐ近くにまで来てるんです!」
「教団さんが?」
「はいぃ、あの、魔法で姿を消してたみたいで、その、気がついたら都市のすぐ傍に、ええと」
たどたどしいコルホズの説明にルフューイは顔を顰める。
「全くもう、教団さんも空気を読んで欲しいものです」
無茶な要求をぽつりと漏らすと、二人の方を振り返った。
「マスター、こんな時に本当にごめんなさい」
「仕事ですね、わかりました」
イェンダはすっと立ち上がる。
コペルはその時かちりとスイッチの入った音を聞いたような気がした。
イェンダの顔を見てみると先程の儚げな少女の雰囲気は完全に消え去り、いつも以上に硬質な無表情があった。
コペルは改めて思い出す、彼女はこの都市に派遣されてきた職業軍人なのだと。
「……気を付けて下さい」
「はい」
「帰ったら必ず続きを言います」
「……はい」
コペルにそう言われ、イェンダは一瞬だけ少女の表情に戻ったがそれもすぐに消え、コルホズの後を追って走り出した。
「……コペルさん」
その場に残っていたルフューイがやけに緊張した様子でコペルに声をかけた。
「私も」
「うん?」
「私も頑張りますから、その、あの、ご褒美としてその、お願いしますね」
「う、うん?」
「うんって言いましたね?約束ですよ!約束しましたからね!」
「あ、ああ」
何のことかよく分からないがとりあえず返事をするとルフューイは嬉しそうに笑い、さあっと霧状に姿を変えて二人の後を追って行った。
嵐のような騒動の後、噴水の広場にはコペル一人がぽつんと残された。
コペルは夜空を見上げ、口付けを受けた手の甲をさすると呟いた。
「親父、お袋、どうかあの人達を……」

12/10/28 02:14更新 / 雑兵
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