連載小説
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第六話 彩る
一時間ちょっとイリヤと話し込んでから、僕たちは一緒に病室を出た。
とりあえず診察室まで歩いていくと、ハロルド兄さんとカミナ義姉さんがいた。
イリヤもそれに気づくとすぐに僕の陰に隠れてしまう、もうすぐ紹介だっていうのにこれではよくない気もするけど、紹介計画に支障が出るのは避けたかったから良いということにした。
「どうしたの? 二人そろって。」
「いや、ちょっと調子に乗りすぎて胎教に悪いことをしちゃってさ……」
いわれてみれば義姉さんの表情が硬い気がする。
いったい何をやらかしたんだと考えると、訓練日だってことを思い出す。
あと数か月でパパになるからって義姉さんにいいとこ見せようとして誰かにボコボコにされたんだろうな。
「お義父さんに挑んで五回も頭を叩かれてたの、お腹の子供がもっと大きかったら内側からブーイングしてたところよ。」
そして義姉さんがお腹の痛みに苦しんだんですね、予想がつきます。
僕も思わず呆れてしまう、子供っぽいのはいいけど大人なんだから無茶はよくない。
「兄さん……父さんがクルツの人間で一番強いことくらい知ってるだろ?」
「調子が良かったから行けると思ったんだよね、一回は一本取れそうなところまで行ったんだし。」
一本も取れなかったんだ、まぁ場数が違いすぎるよ。
「十七試合やって一本も取れんのは不安じゃの、ロイドと組手したときは一応勝率では上を行ったんじゃろ?」
フレッド先生が難しそうな顔をして言う
「ロイド相手は互角ですよ、十試合中三勝三敗四引き分け」
「勝率で上を行ったのはランスだけです、十試合中六勝二敗二引き分け。」
「ランスは試合で『書』を使えんから一部除外じゃろ?」
フレッド先生が厳しい表情で言う。
確かにランス本人の実力はハロルド兄さんに劣る、しかし実際の戦闘ではハロルド兄さんとランスは互角か、もしくはランスのほうがわずかに強いくらいだろう。
それだけの実力差を埋める道具が、僕たちの祖母であり父さんの母親、勇者クロードのそばを片時も離れなかった稀代の魔術師シェルシェが遺した一冊の魔術書。
土の魔法がいくつも記されたその魔術書は、今のオーナーであるランスが扱うことで強力な土魔法をほとんど準備もなく行使することを可能にさせる。
使用時のランスは、きわめて厄介だ。
もっとも、強力な魔法が多い分試合で使うのは危険ということで使用を禁じられているから、実際防衛戦でしか使うところを見たことはない。
なぜ上二人の僕たちではなく末息子のランスなのかといえば、僕たちに魔術の適性がなかったからに他ならない。
祖母の魔術の才能を受け継いだのはランスだけだったのだ。
「けど『書』は普通に考えて反則でしょう、火力も使い勝手も理不尽が過ぎますよあれは。」
兄さんが不満げにいう。
確かに書の性能はインチキといっても差支えがないほど高い、しかしそれを使いこなせるのはランスが使う気がないだけで高い魔力を持っている証拠だろう。
「ところで」
兄さんが僕に向き直る。
「ロンがどうしてここにいるんだい?」
答えづらい質問が来てしまった。
「ええっと……」
どう言い訳するべきか悩む。
イリヤの存在はまだ伝えないほうがいいと思うから、ここでうかつに口を滑らせてしまうのは避けたかった。
そんな僕の心情を無視して、イリヤが僕の背後から姿を現す。
「えっと……ハロルドさん、初めまして。」
肌以外の黒さも相まって僕の影が意志を持って動いたと錯覚してしまいそうな登場の仕方だったからなのか、兄さんも義姉さんも口をあんぐり開いてイリヤを見つめる。
僕も驚いて、振り向いて彼女を見た態勢で硬直する。
「ロナルドさんの恋人で、ドッペルゲンガーのイリヤーナと申します。あ、呼ぶときはイリヤで結構ですよ。いちいち言うにはちょっと長いですので。」
紹介計画は台無しだけど、まあ仕方ないか。
「へぇ……ロンの恋人」
「うーん」
兄さんたち夫妻はまじまじとイリヤを見つめる。
「そうなんだ、僕の恋人。ちょっと彼女が体調を崩したから、フレッド先生に診てもらってたんだ。」
そう僕が言うとイリヤが頬を赤く染める、さっきの行為を思い出したのかな?
カミナ姉さんがまじまじとイリヤのことを見つめている。
「素材は悪くないわね、むしろかなりの美人、だけど服がちょっと……」
「それは僕も思いました、十割同感です。」
イリヤはすごく美人だけど、その代わりに彼女の服がとにかく地味でかわいくない。
東方には馬子にも衣装という言葉があるらしいけれど、イリヤの場合はその逆だった、その逆をどう表現したらいいのかはわからない。
「いやはや、不安だったけどいい子を捕まえたんだねぇ。」
ハロルド兄さんが笑顔で言うけれど、捕まえたっていう表現はあまりいいものじゃあないと思う。
「ところで、もうしちゃったの?」
兄さんが真顔でそんなことを聞いてくる。
フレッド先生が飲んでいたお茶を吹き、カミナ姉さんとイリヤがそれぞれ顔を赤くして、そして僕はあっけにとられてしまう。
「いきなり何を言い出すんだよ!」
「いやぁ……やっぱりそりゃ兄として唯一童貞だった弟のことを多少は心配するものだよ?」
ランスは現在の恋人の一人であるワーキャットのシェンリが初めて発情期を迎えた時に童貞を奪われているし、兄さんも二年前に結婚すると週に一回のペースでだが性交渉はしていたらしい。
だから僕が人間の領主一家最後の童貞だったんだけど、
「わたしがネリスさんに化けてお部屋に侵入したときに、奪っちゃいましたけど……」
イリヤがわざわざ素直に口に出す。
「ネリスに? ロン、君ネリスだと思って抱いてたの?」
「いや……普通に最初からネリスじゃないとは気づいてたけど。」
理屈で固めればネリスだと合理的じゃないところが多々あった。
だから最初からネリスではないことならわかっていたんだけど、けれど流されてエッチはしてしまったのだからなんというか情けない。
「まぁ、十年来惚れてた相手だもんね、ドッペルゲンガーでも見破るか。」
兄さんは少しだけ笑顔を見せながらつぶやく。
外見的特徴から言葉遣いの細かな癖まで、全部まるきり同じだったんだからネリスの性格まで考慮に入れなかったら確実に騙されていただろう。
騙されたという言い方もよくない気がするけど、ここはそう定義しておく。
「これから同じ家で暮らすことになります、不束者ですがよろしくお願いします。」
そう言って、イリヤはワンピースの裾をつまんで軽いお辞儀をしてみせる。
芝居めいた動きではあったけど、でもものすごく可愛くて思わず抱きしめて頬ずりしたくなったのをどうにかこらえる。
「じゃあ、僕たちは先に帰ってるよ。」
二人に手を振りながら、右手でイリヤの左手をつかんで歩き出す。
「部屋はどうしよう、予定通り僕と同じ部屋でいいかな?」
「はい、でもできればベッドは別で……」
そこらへんは当然だろう、兄さんたち夫妻は同じベッドで寝てるけどそれは二人で寝るためのサイズのベッドだからこそできることであって、僕のベッドは小さいから二人で寝ようと思ったらかなり密着する羽目になる。
僕は平気だけどイリヤにとっては寝れない原因になるだろう。
とりあえず家に帰ったら父さんにも紹介しないといけない。
「仕事はどうしよう。」
斡旋してもらうのもいいし、イリヤはそんなにお金かかるタイプじゃなさそうだからいっそうちで姉さんの手伝いをしてもらうのもありではある。
「するなら領主館で働きたいです……」
僕の右腕に腕をからめながらイリヤが答える。
領主館で働きたい理由はおそらく僕がいるからだろう。
職場内恋愛といえばネリスとテリュンもそうだ。
「今ちょっとネリスさんのこと思い出したでしょう。」
イリヤが僕の腕を痛いほど抱きしめながら抗議の目を向けてくる。
「よくわかったね……口に出してもないのに。」
「わかります……ちょっとだけ悲しそうな顔してました。」
悲しそうな顔してたんだ、イリヤのことが好きとか言っといて、イリヤを恋人にしておいて僕はまだネリスに未練があるんだな。
「いいですよ……十年間ですもんね…わたしなんてまだ二週間もたってないんですから……」
あ、これ嫉妬してるんだな。
「じゃぁ、イリヤが全部上書きしてくれるのかな?」
「できる限りはそうさせてもらいます。」
以外に積極的な返事だった。
「その前に……父さんに話をつけないと……」


「構わん、家が広いと感じてたくらいだ。」
信じられないほどあっさりと許可が出た。
「生活費は給与から天引き、……どうせ大した額でもなさそうだ。」
そう言うと父さんはすぐに読んでいた本に視線を戻す。
外界からロイドの仲間が持ち込んだ本だと聞いてるけど、内容は知らない。
父さんが読むってことは最近の情勢とか過去の出来事がまとめられた書物のたぐいだと思うけれど、前に医学書も読んでいた記憶がある。
いまいち父さんが何を考えてるのかって読みづらいところがある。
もともと無口で行動で語るタイプの人だけど、人間の領主の地位についてからはそんなに迂闊に動き回ることができなくなってからは何を考えてるのかわかりづらくなったと言われてる。
「お義父さん、ロナルド君にイリヤちゃん、ご飯ができたから来て頂戴。」
「わかった、今行く。」
「はい。」
階下からカミナ姉さんが声をかけてくる。
それから僕たちは夕食をとり、一緒のタイミングで眠りについた。


そこから一週間が経過して、ちょうど訓練日にトリーさんから服ができたと報告を受けたので、服屋に二人で行くことになった。
イリヤはまだ仕事を斡旋してもらっていないから、暇があるときは家にいるかもしくは領主館に遊びに来ている。
個人情報の宝庫に役人じゃない彼女を入れることについて父さんはあんまりいい顔しないけど、責任は全部僕が取ると言ったらしぶしぶ納得してくれた。
「どんな服なんでしょう。」
「トリーさんのデザインだから、きっと可愛いと思うよ。」
今イリヤが来ているのは初めて姿を見た時と同じ黒いワンピース。
それ以外の服も、主に僕たちのお古を仕立て直して着せてはいたけど、イリヤにはあんまり似合うものがなかった。
まぁ……僕と兄さんは赤毛でランスは銀髪だったから、色合いの問題で似合うはずがない。
そうやって二人で話しながら歩いて行って、服屋の前につく。
店の扉を開きながら、店の奥に声をかける。
「トリーさん、いるかな?」
「いるよー、上がってきなー。」
いつも通りの元気な返事が返ってくる。
お言葉に甘えて店の奥に上がらせてもらうと、そこには一体のトルソーがある。
そのトルソーにかけられている服が、イリヤの服だと一瞬で理解した。
黒いワンピースには胸のあたりにわずかだけ色の違う糸で作られた蝶々の柄がしつらえられていて、そのワンピースの上には本当に怖いくらいに真っ白な薄手のジャケットが重ねられている。
ジャケットの背中にもワンピースと同じ蝶の柄が施してある。
「うっわぁ……」
綺麗というのが生易しいほど綺麗なその服は、そのものが命を持っているように見事だった。
「来た来た、ふわぁー」
トリーさんがあくびを噛み殺しながら入ってくる。
目の下にクマができていて、ちょっと肌につやがない。
もしかしてこれを仕立てるのに徹夜していたんだろうか。
蝶の柄にはかなり手を入れてあるみたいだし、多分この服を作っている布地も自分で色を染めて仕上げてくれたんだろう。
「どう? 布染めからここまで一週間で仕上げるのは大変だったのよ?」
自慢げに胸をそらしていう。
「いつみても……いい仕事してますね。」
本当にそれしか口にできる言葉がない。
「ええ、私の今までしてきた中でも有数の『いい仕事』よ。」
そのトリーさんの言葉の意味がよくわかる。
多分これを着たイリヤは、本当に信じられないくらい綺麗なんだろう。
「良かったね、イリ……ヤ?」
振り返って彼女を見て、一瞬言葉を失う。
泣いている。
頬から一筋の涙をつたわせて、イリヤが泣いている。
「え!? え!? ううぇええええええ!!?」
「ちょっと! リアクションおかしくない!? 何で泣くの!!?」
二人そろってあまりに予想外すぎるリアクションに混乱する。
まさかこんなにいい服を仕立ててもらって泣くとは思わなかった。
「何! 何が気に入らなかったの!? 三つまでなら直すから教えて!!」
トリーさんは必死の形相でイリヤに詰め寄る。
「違います……すごくうれしくて…」
イリヤがぽつぽつと口から声を漏らす。
「嬉し……かった?」
「はい……」
一瞬で僕たちは気を取り直し、そして無言のまま、
パァン!
ハイタッチした。
「さっそく着せてあげるわ、こっち来て。」
そういうが早いか、トルソーを店員のクラリッサが回収していき、イリヤを抱えたトリーさんと一緒に試着室に入っていく。
待つこと二分。
カーテンが開いてイリヤが出てきて、そして一瞬で僕は目を奪われる。
「…………」
そこにいたのは、すさまじい美少女だった。
顔のほとんどを覆っていた黒髪を横に分けることで大きな瞳をよく見えるようにして、その横に分けた髪は白いリボンでまとめてある。
劇的なほどよく似合った黒いワンピースの胸にちらちら見え隠れする蝶の柄がいらやしくない程度に女性らしさを強調して、上に羽織った薄い白のジャケットがそのはかなげな雰囲気を引き立てている。
絶句した、感動して言葉を失うことが絶句になるのかはさておきとして。
「えっとあの……どうですか?」
「………良い。」
率直な感想というか、それしか言葉に出せなかった。
イリヤは顔を真っ赤にして僕の反応に照れる。
「いやはや、私もここまできれいになるのは予想外よ。」
トリーさんもご満悦のようだ。
「イリヤ、どんな気分?」
とりあえず、聞いてみる。
「嬉しいです……すっごく……」
消え入りそうな声でイリヤが言う。
その声に元気がない気がしたのは、多分気のせいじゃない。
「トリーさん、これ代金です。イリヤ、着たまま帰ろうよ。」
みんなにこんなきれいな少女が僕の恋人なんだと自慢したい。
僕の恋人であること以上にイリヤがきれいなことを自慢したい。
そんな風にウキウキしながら、僕は頭の冷静なところでちょっと考え事をしていた。


帰宅して、僕の部屋。
町ゆくクルツの民がみんなイリヤを見ていた。
けれど僕は、彼女に対する疑念が確信に変わっていた。
「イリヤ、服脱いで。」
帰るとすぐに部屋の鍵を閉めて、そう言い放つ。
「へ?」
イリヤは困ったような顔を見せる。
「いいから脱ぐ、それとも脱がされたい?」
いい加減にのんびりしている時間がないんだ。
イリヤは急いで僕の目の前で服を脱ぎ始める、どうやらごまかしがきかないことに自分で気づくことができたらしい。
僕とイリヤは、もう一週間もエッチしていない。
精を食事とする彼女にとって、一週間絶食させていたことになる。
「我慢しないようにって、前に言ったよね?」
「言われました……けどやっぱり言い出しづらいんですよぉ……」
泣きそうな声でイリヤが答える。
「ちょっと激しめに行くから、覚悟してね?」
その僕の言葉に、イリヤはおびえながら期待していた。
本当に困った恋人だ。
だけど、一緒にいられる時間は暖かいから。
だから、それでいいことにしよう。


11/06/13 23:36更新 / なるつき
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■作者メッセージ
イリヤの服コーディネーションは私の趣味の要素が強いです。
蝶の柄の大きさは各人お考えください、ちなみに一着一匹だけです

これにて現影も完結となります。
ようやく予定していた新作を公開できそう……

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