連載小説
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貧乏傭兵と旧き赤竜
「さあ・・・・こいつで、どうだ!」

 ハールリアが跳び、竜の長い頚へと剣を振り下ろす。剣に巻き付いた炎が赤い軌跡を残し、爆裂の衝撃と共に噴き上がる。爆発によって速度をを増した刀身はしかし、またも竜の硬鱗に阻まれて甲高い悲鳴を上げた。
欝陶しそうに、或いは、寝起きにそうするように、竜が首を振るう。その長い首に弾かれるより早く、彼は宙返りして竜の体を蹴り抜き、距離を置いた。

「やっぱ硬ったいなぁ」

 ちぇっと舌打ち一つ。しかし不真面目で余裕そうな仕種とは裏腹に、内心では焦りが逸っていた。技の入りは悪くなかったが、まるで刃が通らないどころか打ち所が悪ければこちらの剣がポキリと折れてしまっていたかもしれない。この手応えの悪さは、流石は竜の鱗ということか。

「剣でダメなら魔法でどうだ。 導け、ティーヴラ!
 【風よ】【集い】【燃えよ】アル・アギィ・エクザ!!」

 ハールリアが常とは異なる奇妙な言語で詠唱し、剣の切っ先を未だ地に伏すままの竜へと向ける。すると丁度その切っ先が指し示す場所で爆炎が噴き、竜の巨体をしたたかに打った。彼の剣――ティーヴラ――は、魔導剣。それ自体が強力な武器であるだけでなく、呼んで字の如く魔力をよく通す仕掛けを組み込まれた魔法使いの杖としても働く逸品なのだ。

 紡がれた魔術はその絶大な力によって周囲の石畳をも巻き込み、粉々に粉砕して砂塵となって噴き上げる。その嵐のような災禍が過ぎ去った後を、巻き上げられた埃がぱちぱちと延焼しながら明るく照らしていた。
確かな直撃の手応え。並の生き物であればまず無事では済まない程の威力だった。・・・・しかし封印が解かれた直後とはいえ、相手は旧き時代の竜種。そしてハールリアの直観もまた、この程度では終わっていまいと警鐘を鳴らし続けている。

 そして直後、ぶん・・・・と丸太よりも巨大な塊が周囲をなぎ、黒煙を晴らす。
現れたのは煤一つない無傷の巨腕。鮮烈な赤い鱗に覆われた、竜の右腕だった。

「なっ!? ・・・・っと、やっばい!」

 無事とは感じても、無傷というのには流石のハールリアも驚愕を禁じ得ない。しかし煙を晴らした竜の腕がそのまま目前まで迫ろうとしているのは看過できる事でもなし、一時思考を止めて迫る竜腕を勘に頼ってギリギリのところで回避する。巨腕は直前までハールリアの頭があった場所を確実に振りぬいていき、あと数瞬でも判断が遅れていたなら彼の頭は間違いなく潰れたトマトような酷い有様になっていただろう。
ほっとしたのもつかの間、空気がざわめくほどの濃厚な魔力の『風』に、ハールリアの背筋が凍りつく。

「おいそれちょっと待て・・・・」

 見ると、周囲を舞っていた火の粉と黒煙が渦巻き逆巻いて一点へと収束していた。竜頭の、その開かれた口の中央で赤い火の粉と黒煙とが混ざり、まるで脈動する溶岩のような禍々しい球体となったのが見えた。次の瞬間、その焔球は引き裂かれるように爆裂し、一瞬にして辺り一面を爆炎で包みこむ。
見れば、辺りの石材が予熱に触れて灼熱してトロケている。骨も残さぬ大熱が地獄の釜を開けたような光景を作りながら目前へ迫る中、ただただ直感の従うままに若き英雄は呪文を紡いだ。

「集え大気よ堅牢の・・・・あ〜もう間に合わうか! アトモシェル!!」

  <large>ゴオォッ</large>

 悲鳴のようなハールリアの叫びは常識はずれに大雑把な詠唱で、すんでの所で魔術の発動を間に合わせた。彼の魔術に操られた大気は笛のような細い音を立てて圧縮、積層されて半球状のドームを形作り即席の鎧と成される。竜の爆炎はその分厚い空気の壁に押し止められ、彼の目と鼻の先で一瞬の拮抗を生じさせるに至っていた。
しかし竜炎の持つその高温高圧の前ではそう時を置かずして突破されるのは必至。そも術式からして「あんな」詠唱で作られたに過ぎない即席品なのだ。既に端から綻んで空に溶け始めてしまっている。

「くっ…、【リリース】!」

 その今にも崩れそうな緊張を、ハールリアは呪言<コマンド>によって自ら崩した。呪力の込められたその一声によって炎をせき止めていた空気の鎧は破裂し、その衝撃が押し止めていた炎をも四散させる。

 グルル、と竜が不愉快そうに声を上げた。
どうも、ちっぽけな人間風情に自らの火を防がれたのが余程気に召さないらしい。

 一方で、ハールリアもまた表情を険しくしていた。
互いに先程まではあった余裕が目に見えて目減りしている。

「面倒な・・・・これだから魔物ってのは」

 Grrr・・・・

 両者は睨み合い、辺りに散っていた火の粉も次第に目減りして広間を再び暗闇が覆っていく。その静寂に、ハールリアは止めていた思考を再開する。防がれた魔術、ほんの一瞬目に写った竜の姿、そして先ほどのブレス・・・・事象はより合わされ、彼の脳裏にひどく歓迎しがたい真実の姿をよぎらせる。

 遂に僅かな明かりも途絶えた暗闇を、竜が地を踏みしめたことによる腹に響く轟音が通り過ぎて行く。ピリピリとした圧を頬で感じながらハールリアが凝視する先で、空咳のような竜炎が灯火となって辺りを照らすのを見た。
それは火球の形で宙に浮き、竜と、その相対者の姿を照らす。
そしてその姿を認めて、ハールリアは自分の悪い予感がほとほと当たっていたらしいと眉根を寄せる事となった。

「確かに絵じゃ火を噴いてたけどさ・・・・まさか赤鱗竜とは、ね」

 呟くハールリアの頬を、たらりと冷や汗が伝っていった。


 ――竜鱗の色彩は、その竜の能力と力を示すという。
青ならば水、流れ移ろう変幻の力であり、全てを押し流す大嵐。
緑ならば風や雷、自在に天を舞うもの。あるいは深き森に眠るものの色。

 そして赤は、言わずと知れた炎の色。
しかし竜というのは元より火を吹くものである。
で、あるならば赤い鱗の竜とは何をする竜なのか――


 ジリジリと火球の熱に焦がされながら、尚もハールリアと赤竜は睨み合う。
両者の距離は、竜の歩幅で二つ、ハールリアの歩幅で十八。お互いに剣も爪も届かない間合の外だ。互いに相手が動けばそれを見取って応じられる距離にある。それ故に互いが相手の出方を伺い、最善となる次の一手を探しあぐねて場が膠着しているのだ。
・・・・その均衡を先に打ち破ったのは、ハールリアの一声だった。

「穿ち、焼け――ファイアブリッド!」

 極簡易な詠唱。先のようにハールリアがその剣、ティーヴラの切先で指し示した先を目掛けて魔術が紡がれ、何十もの炎の弾丸となって放たれる。魔術としては基礎にあるような初級の術式、しかしその数と速度、精度においては英雄の一撃と言って障り無い非才なものであった。

 連弩のような炎の迫る中、竜の瞳はただハールリアにのみ向けられていた。
朔の月よりなおも細い金の瞳が、自らの前で剣を構える卑小な存在を見下ろしている。
そして首をもたげた竜が嘲笑うかのように一吠えすると、ハールリアの放った炎が二、三度宙空で揺らぎ、鋭い弧を描き反転。術者であるはずのハールリアを目掛けて襲い掛かり始めた。

「やっぱりか!」

 悲鳴にも似た声を上げ、防火マントを翻して自ら生み出した火球を弾いていくハールリア。数はあっても威力自体は低かったのか、火球はただそれだけで火の粉も残さず掻き消えていった。
言葉通り、どうも元から予想していた結果だったようで、彼の行動には一瞬の躊躇も迷いも無い。直後に竜がそのもたげた首を振るい噛み付こうと来ても、彼は数歩のステップでその射程から逃れて見せる。


 ――赤竜は、炎を統べる。
文字通り手足のように、あまねく炎を操るのだ。
自らの吐くブレスは当然。それがヒトの起こした煮炊きの火であれ、山を焼く大火であれ、火炎であればそれを自由にしてみせる。
それが例え見知らぬ魔術士が生み出した術理の炎でさえ、先程ハールリアがされた通り、自らの物であるかのように自在に操ることが出来るのだ。


「赤い鱗・・・・いや、この色合いだと一個上の紅か。朱じゃ無いだけましかな?」

 そう呟くハールリアの顔は、空々しいほどの乾いた笑いが貼り付いていた。
赤鱗竜の特性は、彼にとっては理不尽とすら言うに詮方無い。幾ら強大な炎を紡ごうと敵方を利するだけで何にもなりはせず、それどころか火の力を利用したあらゆる魔術は――例えば腕力強化のヒートアームなどの付与魔術ですら――尽く紅竜の魔力によって操られ、霧散されてしまうというのだから、それもまた無理からぬ。
炎霊華葬のその二つ名と今は姿のない相棒が示すよう、炎をこそ力の真髄とする魔術士であるハールリアにとってこうまで相性の悪い相手も無い。

 それでも、彼の目にはまだ諦めの色は無かった。
炎の弾丸は確認と膠着した場を動かすための一石。魔術を撃ち終えた時点で既に彼は次を見越して動きはじめており、紅竜との間合は既に七歩まで詰められている。

「――疾ッ!」

 竜の目が彼を捉えた。風を唸らせながら長大な竜の尾が迫る。しかしハールリアが踏み込み、一息に懐に飛び込むほうが早い。打ちしなる尾と振り下ろされる丸太より太い腕とを紙一重で避け、ハールリアは竜の腹へと長剣を振り上げた。針穴に糸を通すような精密さで剣先は鱗の間へと滑り込み・・・・そして、パキンと乾いた音とともに確かにその一枚を割砕く。剣腹を支点、滑り込ませた剣先を作用点として、いわゆる所のテコの原理を働かせたのだ。

「砕いた! これでっ!!」

 鋼の鎧などよりも堅い竜の鱗も、ただ一枚を割るだけならばどうにかなる。そして竜の懐へ飛び込むのに用いたのは風の魔術による身体強化。得意な属性でなく、半ば賭けではあったものの、予想通り炎に関さない魔術であるなら紅竜に操作されることはない。
小さくとも、確かに彼は活路を見出していた。

「今度こそ、喰らえぇ!!」

 砕いた鱗の上からならば斬撃が通らない理屈もない。続く一撃が吸い込まれるようにその砕かれた一穴を穿ち、僅かながらも竜に出血を強いる。竜の巨体を鑑みるに余りにも僅かなれど確かな手応えに、ハールリアの表情が戦士の笑みに綻ぶ。竜にとってもまたヒトという矮小な存在からもたらされるには手痛い反撃だったのか、痛むように、或いは怒り狂うように全身をのたうたせる。その反応もまた、若き英雄に勝機を見出させるに足るものだ。

「一穴開ければこっちのもんだ。 導け、ティーヴラ!
 【風よ】【廻り】【貫け】ぇ! イクサ・ガル・フィーブラ――!!」

  GUUUUOOOhhh!!!!!!!

 さながらロデオのように竜ののたうちに身を任せ、ハールリアは術式を起動する。その詠唱が記すまま周囲の大気は唸り声と共に「うねり」を生じ、魔法使いの杖たる彼の剣、ティーヴラを基点とした巨大な竜巻を現出させる。僅かなれ竜の皮膚を貫いたティーヴラの切っ先に生じた竜巻は、巨大な不可視の槍となって竜の肉体を引き裂いていく。ぶちぶちと肉の引き千切れる音と共にまた数枚の鱗が砕け、穿たれた小さな一穴を確かな『傷痕』に変えていく。
しかし竜とてまたただやられているばかりではない。その巨体を更に激しくのたうたせ、長い首をダニのように身に張り付いている小さき者へと向けていた。――直後に傷口ごと下手人を焼かんと放たれる炎の舌。危機を察してなんとか安全圏まで脱したハールリアだったが、しかしそれ以上の追撃は諦めざるを得なくなった。

 GRRRrrrr・・・・!!

「うっげ・・・・もしかしなくても、怒ってらっしゃる?」

 切り開いた一撃をものにしようと再び踏み込もうとしたハールリアを、竜は怒りの色彩に染まった瞳で射すくめた。圧倒的なプレッシャー。踏み込もうとしたままの姿勢で動かなくなる体。・・・・竜の本気の怒りに触れて、ハールリアの背に脂汗が浮く。ヤバい。マズイ。ニゲロ。と、本能がけたけましく警鐘を鳴らすが、そうも行かないと捻じ伏せる理性と、蛇に睨まれた蛙が如くピクリとも動かない足腰とがそれを許さない。頭のなかにある変に冷静な部分がどうやら魔眼か何かの呪縛に抵抗しそこねたようだと分析していたが、そんなものを気に留めている余裕は今の彼にない。

 ハールリアは、目の前の竜がニヤリと笑んだのを確かにその肌で感じた。
途端にドッと吹き出す汗が自らの危機を彼へと教えるが、呪縛に囚われた彼に抵抗の術はない。竜の巨大な腕がごう、と風を裂きながら迫る。躱せない。まだ呪縛は解けない。

「ぐあ、があああ!!?」

 外套下には薄手のレザーメイルを着込んでいたが、この衝撃に対してこんな物では無いも同じ。大金鎚で殴り付けられたような衝撃は肺の空気を残らず搾り出し、人形を放るようにいとも容易く彼の体を吹き飛ばす。
五メートルほどは飛ばされて、受け身すら取れずに彼は地へと叩き付けられた。竜腕の一撃、そして墜落の衝撃は彼の体に大小様々な傷を負わせるに余りある。

 ようやく呪縛が解けたのか、ハールリアはよろよろと立ち上がろうと手足を動かすが、うまく力が入らない。見ると足が片方変な方向に曲がっており、左腕は皮膚を突き破って生白い骨が覗いていた。
喉の奥から苦いものがこみ上げてくる。おそらく内蔵もしこたま打ったのだろう、なんとか嚥下するも今度は別の方から血が溢れ、たまらず喀血する。

「しゅ・・・う繕の光、聖者の慈ひよ、わが・・・・ぐっ、がっ、ごほっ!」

 傷の修復をと唱えた術式は、口一杯に広がる鉄の味にむせて途絶する。悪いことに、今度は大部分の血を飲み込んでしまい、咽が焼けるような痛み始め、声も出せない。やっとの事で口の中身を唾棄すると、真っ赤な温い液体がびしゃりと品もなく吐き出された。

 むせるような咳が止まらず、鉄の味は後から後から涌いて来るばかりでキリがない。再び詠唱を試みるも、結果は同じ。血にむせてまた術式が霧散する。こうまで集中が途切れてしまえば、もはや詠唱破棄や無詠唱などといった曲芸じみたことは出来ない。もう一度落ち着いて、どうにか術式に集中できればまだ分からないが、今の彼にそんな時間が残されている筈もない。

「ちっ・・・く、しょうがぁあ!!」

 口腔に溜まった血とともに吠えるも、紅竜がその嗜虐的な笑みを深めるばかり。しかしその目は今もハールリアを見据え続けている。先ほどの手痛い一撃に、どうも『彼女』も彼を確かな敵として認識したらしい。その表情に愉悦の色こそあれ、一片の侮りも油断も見られない。

 竜はふっ、と笑みを消すとその口を徐々に開き始めた。周囲を照らしていた炎が次々とその口腔に集められ、先ほどとは比べ物にならないほどの密度でブレスが溜め込まれていく。
ピリピリと肌を焼く炎が次第に熱量を上げているのを感じながらも、もはやハールリアには何ひとつ出来ることがない。ただ目前に迫る死を睨むように見つめ続けるのみ。

 そして遂に竜の口は開ききる。
集められた炎は尚も煌々と輝きを増しながら肥大化していく。それはさながら、竜が太陽に齧り付こうとしているようにも見えた。
目鼻の先まで迫る死を、その残酷なまでに幻想的な光景を、ハールリアは瞬きすらせずに見つめる。その光景は彼に、かつて炎の魔術師となる事を決心した時の原風景を思い起こさせていた。・・・・或いは、それはただの走馬灯。けれど、その時に彼の抱いた感情は紛れも無い本心に違いない。

(ああ、ちくしょう・・・・綺麗だ)


 この炎に焼かれて死ぬのなら、悪くない。

 東方宗教の悟りが如く、心から彼はそう感じていた。
紅竜が遂に火を放つ。既にハールリアの手に抗する術はない。
ただその竜炎の壮美さに見惚れ、彼は自身の死を受け入れていた。


 けれど、

「ご主人!!」

・・・・探していた声が、彼に再び生への執着を与えた。
14/03/15 22:15更新 / 夢見月
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■作者メッセージ
遅くなったなあ……
ガチガチの戦闘シーンは書いていてすごく楽しいのですが、推敲と手直しが多くどうしても長くなりがちです。読んでいてワクワクする戦闘シーンって本当に憧れますね。

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