連載小説
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第4話 金牛強襲【アタック・オン・タウロス】
 初めて、自分の肉体を「改造」した瞬間のことを今でも覚えている。

 地獄、という概念を我が身を以て理解した。

 皮を剥がれ、指を裁断され、肉を焼かれ、骨を焦がされ、臓腑を刻まれ、頭蓋を砕かれ、脳髄を溶かされる。

 およそこの世に存在する、あるいは存在しない苦痛さえもがこの全身を責め尽くした。余人がこれを知らずに受ければ、最初の心臓への圧迫を感じて気を失い、続く脳髄への電撃にも似たショックでそのまま命を落とすだろう。知っていたはずの自分でさえ、心を折られなかったのは奇跡としか言いようが無かった。それだけの、苦痛の連続だった。

 何秒も、何分も、何時間も、何日も何週間も何ヵ月も、そして何年も、痛みは肉体を攻撃し続けた。

 今もそうだ。埋め込まれた「欠片」は、今なお己の肉体を作り替え続けている。最初の施術から時が経った今でさえ、隙あらばこの命を削り取ろうとしている。この身はいつ迫るとも知れない襲撃に一時も気を緩めることが許されていないのだ。

 そしてそれに打ち克ったからこそ、今の己は「この力」を使いこなせるようになった。痛みに耐え、克服し、屈服させたからこそ己は勝利者としてここに在る。

 敗北が許されないのではない。己は既に「勝っている」のだから、「負けるはずがない」のだ。

 試合終了の鐘は鳴りスコアは集計されている。スクランブルエッグが元の生卵に戻らないのと同じことだ。

 勝利そのものである己はもはや敗北しない、する道理が無い。故に己は負けないのだ。

 それが、かつての名を捨て『金牛宮』の名を冠した己の、唯一の自負だった。





 顔に冷たい感触を覚えた後、急速に意識が浮上した【タウロス】がまず最初に見たのは、自分を見下ろす見知った顔だった。

 「あ、起きた」

 かざされた指の間から覗くのは、風に揺られる長い髪と【ヴァルゴ】の顔。酔っ払いでもあるまいに、気付けとばかりに放たれた水はかなり冷たかった。

 とりあえず体勢を立て直そうと、天地が逆転した我が身を起こす。

 「うっ……!! げぇえああああっ!!!」

 その瞬間にせり上がる胃の律動を感じ、大量の血反吐を足元に広げた。遅れてやって来た腹部の激痛から察するに、内臓のいくつかが破裂寸前のダメージを負っていると理解した。気絶している間に塞がったようだが、胃の腑を満たした血が起き上がった拍子に吐き出されたのだろう。

 「大丈夫?」

 「これが元気溌剌に見えんのなら、まずはてめえが病院に行けや」

 二度三度、残った血塊を吐き出して、ようやく【タウロス】は立ち上がった。それでもよろけながらであり、【ヴァルゴ】に肩を借りてようやっとという状態だ。

 周囲の光景は、壊滅的、という言葉がこれ以上ないほど似合っていた。

 「おい、教えろ。俺は、どれだけ吹っ飛ばされた?」

 視線の先に見えるのは大地に刻み込まれた破壊痕。巨大な車輪、もしくは直径が建物ほどの鉄球でも転がったように破壊の轍は彼方まで続き、もはやその起点すら確認できないほどであった。確実に地平線の向こう側、距離にしてちょうど一里は飛ばされたことになる。

 衝撃で揉み消されそうな記憶を手繰り寄せ、自分が腹部を殴られたことを思い出す。粉微塵に吹き飛んだ服は腹の部分に大穴を開け、大陸人特有の白い肌に内出血の青痣が浮かび上がっていた。

 超人だからこの程度で済んだ。常人なら当たった瞬間に砕け散る。大地を削りながら一里も進ませるその力なら、当たり所によっては天高く飛翔させられていただろう。

 「どういうこと?」

 「何がだよ」

 「とぼけないで。『鎧』はどうしたの? あれを使っていたらそんなダメージは……あなた、まさか?」

 「油断したと? この俺が? そう言いてえんだな」

 逆鱗に触れたかと一瞬身構えるが、【ヴァルゴ】が予想したような事態には至らなかった。確かに怒りと不快感で顔を顰めてはいるものの、血が滲むほど握られた拳は振り上げられることはなかった。それはつまり、【ヴァルゴ】の指摘があまりにも図星すぎたという証左だ。

 「このことは、【アリエス】に報告するのか?」

 「それだけど、ちょっとマズい事が起きてる」

 ここでようやく二人は、中央に留まった【アリエス】との連絡網に異常があることを認識した。密入国者の追跡も、何者かが通信石に割り込みを仕掛けて送り込んだ偽の命令だったのだ。

 「俺らを分断するためか。糞がっ、ナメくさりやがって」

 「一旦、中央に戻る。通信に割り込まれたままじゃ、距離を置いて行動するのは危険」

 「そうかい」

 「予定も多分変更される。ドクタルの合流と後期型のロールアウトまで完全待機。中央に身を置いているゾディアークは非常時として陸軍指揮下に組み込まれるかも」

 「そうかい」

 「馬を連れて来てる。早く乗って」

 「そうかい……って、俺が言うこと聞くと思ってんのかよ」

 「【タウロス】!?」

 帰りの足となる馬を無視して、金牛は一人自分が掘った轍を逆戻りする。その先は確かに中央へと続いているだろうが、彼の目指すところが違うことを察した【ヴァルゴ】はすぐその前に立ち塞がった。

 「どけ。今は虫の居所が悪ぃ。てめえだろうと手加減するつもりは無ぇぞ」

 「ダメ……」

 「どけ!」

 「ダメ!」

 「どきやがれ!! ぶっ飛ばす……ごふ、が!!」

 力任せに【ヴァルゴ】の肩を押すが、そのまま勢い余って倒れ込む。たった一撃が全身に与えた損傷と疲労は完全には拭えず、常人を遥かに超える回復力を持たされたはずの超人は未だ自立して移動する事さえ困難だった。

 断言できる、今の【タウロス】は四人のゾディアークの中で最も弱い。弱くなってしまっている。

 「今のあなたを行かせるのは無茶、とても戦えない」

 「だからこのまま尻尾巻いて逃げ帰れと? んなこと、ごめん被るな。俺は奴をこの手で八つ裂きにするまで戻るつもりは微塵もない」

 「戦うな、って言ってない。今は回復に専念すべき。じゃないと、本当に……」

 その先は言えなかった。言えば本当にそうなってしまう気がした。事実、ここに来るまでに感じていた悪い予感はこうして的中している。

 自分たちは死ぬ。超人と言えど、息をして食事をする以上は生物だ。生物はいずれ死ぬ。自分たち超人もそれは変えられないのだと、強く意識させられる。

 「言ったろ、俺ら超人は……人間と同じじゃ駄目なんだよ。勝ったとか負けたとか、殺した死んだとか、食うか食われるかだとか……ちゃんちゃら可笑しい。俺たちはもっと圧倒的で、徹底的に、一方的な存在のはずだ。常に食う側で、殺す側で、そして勝者なんだよ」

 人間の長所のみを掻き集めて錬成した存在、それが“超人”。正と負、プラスとマイナスではなく、正のみ、プラスのみを有する「理想の種」。そう在れと望まれ、そう在るべしと自らを規定した。ならば、それを体現し続けることが己らの利用価値だ。

 「どけ。俺は行く。【アリエス】には適当言っておけ」

 匂いはまだ途切れていない。むしろ一度接触を果たしたことで以前より強く感じられるようになった。そして確信するのは、自分を殴り飛ばしたあの浮浪者こそが憲兵を惨殺した下手人だということだ。

 「予定に変更は無ぇ。お前は憲兵を掻き集めて、とにかく首都周りを固めろ。あの野郎がどこにも抜け出ないようにな」

 「【アリエス】には……!」

 「奴の判断をいちいち仰ぐ必要がどこにあるってんだ! 俺の獲物だ、俺だけの敵だ! 俺が仕留めるって言ってんだよ!!」

 怒りで総身を動かす【タウロス】にはもう、あらゆる忠告が意味を成さない。彼は彼自身の赴くまま、自らを屈服させた怨敵を倒すまで止まることは無い。

 バキリ、バキリと指を鳴らす。

 もはやその音は、完全に金属の摩擦音だった。





 同時刻、【タウロス】が弾き飛ばされた方向とは真逆の方角から首都に入る馬車の一団があった。彼らは首都の南西に位置する山脈に向けて派遣されていた調査団であり、つい先日その任を終えて報告の為に帰還した一団だった。

 表向きには地質調査という名目で動いており、実際に現場で動いていた多くの者らはそのつもりで活動していた。

 ここに、「裏の事情」を知る者が二人いる。

 「君は、街に来るのは初めてだったか」

 「肯定(ダー)」

 「そうか。なら心行くまで記録するといい。それが君自身をより完成に近付けることになる」

 馬車の中で向かい合う二人の男。一人は窓の外の流れる風景に見入り、もう片方はそれを見つめてほくそ笑む。

 今回の調査は彼らにとって大いなる成果をもたらした。進行に滞りは無く、何もかもが予定通りに事が進んでいることを喜び寿いでいた。

 「君の観測結果において、今回の調査対象であるアレをどう見る? 私は、自身の仮説が正しかったものと推論しているが、如何に?」

 「肯定。しかし、現在は使用不可」

 「やはりそうか。とはいえ、『炉心』を動かす算段はあるし、目途も立っている。後は時の流れが導くだろう」

 「成功確率、約……」

 「止めたまえ。確率などというのは単なる目安、『百回やって何回成功するか』という指標に過ぎない。仮に失敗する率が上回っていたとして、それが計画を中断する理由にはなりえない」

 男の言葉には自信があった。失敗を恐れる心が微塵も無いが、それは決して目を背けているのではない。例え結末がどうなろうとも、否、結末は己こそが決めるのだという確かな自負。諦めさえしなければ夢は叶うのだと、今日日子供でも言わないであろう類の言葉を彼は一切の衒いも迷いも無く言ってのけた。

 「成功するまでやり遂げれば、確率は常に十割だ」

 「非論理的。錬金術師とは思えぬ発言」

 「違いない。だが非論理を論理に置き換えてこその知恵ある種だ。私はいずれ君が言うところの非論理的な考えを、必ずや筋の通った論理へと変化させるだろう」

 「期待する」

 「していてくれ。だが、君に一つ訂正を求める事柄がある。さっき私を錬金術師などと呼称したが、それは誤りだ」

 男は指一本立てて、訂正箇所を指摘する講師の如くこう告げる。



 「私は『科学者』だ。知識を編み、理論を構築し、未知を合理に変換せしめる者だ」



 「了承した、ドクタル。────ドクタル・ムウ」

 第三世代超人兵科・ゾディアーク。その理論は一人の天才によって体系化され、十二の試作となって連邦の地に結実した。その理論を実現させた天才こそ、この隊を指揮し今回の山脈調査を成功に収めた「連邦の頭脳」……ドクタル・ムウ、その人である。

 彼がいなければ、超人兵科計画は軌道に乗らなかった。

 彼がいなければ、今回の調査活動は行われなかった。

 彼さえいなければ、世界は「もう少しの間だけ」穏やかでいられた。

 彼こそが始まりであり、彼こそが特異点。その存在を起点として全ての因果は流転している。

 その経歴、人格、目的については……。

 「解答せよ。到達せよ。その『答え』が入力される日を、我々は待望する。その『答え』がもたらす未来を、我々は渇望する」

 今この時はまだ、語る事を伏す。





 【タウロス】がようやく自分が弾き飛ばされた地点に戻った時、現場は騒然となってた。駆け付けた多くの憲兵と、それを遠巻きに眺める群衆によって街の一角はいつもはない喧噪を見せていた。

 無理もない。傍から見れば街中で大砲が暴発したのと同じようなもの、実際に何棟もの家屋が破壊されるという憂き目にあっている。何も知らされていない憲兵らは街の外部からの砲撃という線で厳戒態勢に入っていた。

 事実を知っているのは当事者である【タウロス】と、同行していた【ヴァルゴ】、そして……。

 「まずは、何があったのか事の仔細を報告してもらおうか。それぐらいの責務が発生することぐらい理解しているはずだな、【タウロス】」

 「うざってぇ奴……」

 通信では互いの意志を確認できないとして、直接捜索に赴いた【アリエス】とかち合った。傍にはもちろん【アクエリウス】もついている。奇しくも全容を知りえるのはゾディアークの面々に限られたというわけだ。

 だが、出そろった面子が悪かった。「羊」と「牛」の険悪さは彼らの関係者なら誰でも知っている。ましてストッパーの【ヴァルゴ】が不在の今、この非常の事態についての責任所在を追及されれば。

 「それにしても、よくもまあ、おめおめと。そのまま大陸の端を越え、海中に没していれば少しは頭も冷えただろうに」

 「ああ? お偉方相手に暖かいお部屋で歓談に励むだけの野郎は言うことが違うねえ!」

 当然、こうなる。顔を合わせれば即対立。もう二人の距離は少し手を伸ばしただけで互いの胸倉を掴めるほど近く、いつも以上に険悪なムードが漂っていた。【アリエス】が引き連れてきた数名の憲兵らは、二人の間から放出される圧力に対しただ見守るだけしかできなかった。

 「ここでは人の目がある。場所を移そう」

 憲兵とはまた違うデザインの軍服は人目を引く。適切な判断で移動した場所は、群衆から少し距離を置いた路地の入り組んだところ。一定距離に憲兵を置いて外部に情報が漏れないよう配慮した後、彼らは本題に入った。

 「恐らく、君が交戦した相手は『白鯨』だ。その特徴の全てが中将閣下の開示された情報と符合する」

 「はっ。おいおい! おいおいおい、そんじゃあ何か? 連邦が相対すべき国家の敵が、実は家無し乞食でしたってかぁ? 冗談も休み休み言えっての、暫定隊長殿」

 「なら君は、君ほどの男が防御すら出来ないまま一方的にやられた事実を、どう捉えている? 分かっているのか! 君が真っ先に敗北を喫するということが、僕らにとってどれだけ『致命的』な事なのかを!?」

 【アリエス】は何も、敗北したことが許せないのではない。むしろ許す許さない以前の問題、大前提となる部分である事実を危惧していた。

 【ヴァルゴ】ならまだ分かる。【アクエリウス】なら仕方がない。かく言う【アリエス】自身でさえ、設計思想(コンセプト)が違う以上はどうしようもない。

 【タウロス】だからだ。【タウロス】が正面から破られたということが問題なのだ。でなければここまで取り乱したりなどしない。

 「安心しろ、『鎧』は使ってねえし、次は上手くやる」

 「自分の言っている意味を理解しているか? 君は今まさに、『自分は防御も出来ないまま倒されました』と告白したんだぞ。次だと? 何を寝惚けたことを! この報告を聞いた僕が今ここで更なる単独行動を許すとでも思っているのか!?」

 「ほうほう、で? 許されなかったら何だよ?」

 「君をここで拘束することも視野に入れている。短慮な行動を慎めないようでは、いずれ隊をこれ以上の危機に晒すことになりかねない」

 「なるほどなあ。正論だ、ぐうの音も出ないとはこの事だわな。じゃあ、ご高説のついでに聞いときたいんだが……この程度の数で俺を止められるとか、本気で思ってるのかよ?」

 路地裏の人口密度が上昇する。初めからそうするつもりだったのか、会話の間に【タウロス】の周辺を憲兵らが固めていた。彼が何かしらの動きを見せるか、【アリエス】の指示があればすぐにでも確保できる位置にある。

 「大人しくしてくれれば悪いようにはならない。君はそろそろ、寛容さを身に付けるべきなんだよ」

 「寛容だぜ俺は。なにせ、今の今までてめえらをぶっ殺さずに待ってやってたんだからなあ」

 膨れ上がる殺気、それを敏感に感じ取った憲兵らが一斉に武器を構える。傷付けはしない、貴重な戦力である彼を行動不能になるまで追い詰めては本末転倒、あくまで目標は懐柔にある。

 もっとも、不可能だが。

 「おいおいおいおい!! 正気かぁ、お前らよお!」

 武装した兵士数名に囲まれ、自身も決して軽くは無いはずのダメージを受けた身でありながら、なおも【タウロス】は愉快に不遜に嗤う。憐憫を多分に含んだ嘲笑は他でもないこの場に集められた、「哀れな憲兵」らに向けられていた。

 「お前ら、何にも聞かされてねえのな。大方この頭でっかちに掻き集められたクチだろう」

 「動くな!! 一歩でも進んでみろ、退いてみろ。その瞬間に君に翻意有りと見なし……!」

 「動くなってぇ? こうかよ」

 挑発するように【タウロス】が一歩足を踏み出す。肩幅一つ分にも満たない距離だったが、既に警告を終えていた【アリエス】は容赦しなかった。

 「撃て」

 人除けと消音の魔術を仕掛け、発砲音を聞いた民衆はいない。【アリエス】の指示に従い憲兵の一人が即座に構えた銃は火を噴き、飛び出した弾丸は予定調和となって【タウロス】の胴、その右胸に着弾した。

 この至近距離で外す道理など無い。飛び出した弾丸は肋骨に阻まれさえしなければ、その柔な皮膚を貫き筋肉を断裂させ、内臓をズタズタに蹂躙し致命傷を与える。仮に内臓が無傷で済んだとしても、溢れ出た大量の血液はやがてそれらを圧迫し、失血と臓器不全を引き起こす。

 つまり、死ぬ。そも内臓に直接損傷を負って生きていられる生物は存在しない。語るまでも無い常識、幼子でさえ理解できる道理だ。

 だが、ここに道理を覆す存在がある。

 「っ……てぇなあ、おい!!」

 逆に言えば、「皮膚を食い破らねば銃弾は致命傷に成り得ない」、ということだ。

 銃弾は軍服を破りこそしたが、その直下の皮膚を僅かに赤く染めただけに終わった。最も進歩した文明の利器は、超人の肉体を前に敗北したのである。

 「【アリエス】よぉ、ちょいと不親切じゃねえのか? こいつらに教えてやらなかったのかよ、ええ?」

 確かに命中したはずの攻撃が一切通用しないという事実に驚愕する憲兵、そんな彼らを威圧するように【タウロス】は更に二歩、三歩と踏み出す。そしておもむろに上着に手を掛けるとそれを豪快に脱ぎ去り、鍛え抜かれた筋骨隆々の上半身が露になった。

 体温と外気が混ざり合い湯気となって体表から昇り立つ。その体にはやはり銃弾による傷は微塵も無く、その肉体が不死身を誇るものだと見せつけている。

 「俺らゾディアークに、銃弾程度で傷が付けられる訳がねえだろうが!!!」

 その右胸、ちょうど銃弾が命中した心臓の箇所、変化は……そこに生じていた。

 鈍色、とでも言うのだろうか。光沢を持ち陽光を受けて煌めく様はまるで金属のようでもある。表面に僅かながら擦れた痕があり、幸運にもそこに銃弾が当たったことで致命傷を避けたのだろうか。

 幸運にも?

 何を馬鹿なことを。



 それは、【タウロス】の、『皮膚』だ。



 「さてと、先に仕掛けたのはそっちだ。覚悟、出来てんだよなぁ?」

 変化は続く。光沢は瞬く間にその範囲を拡大し、右胸から肩口、肩口から右腕と首元、腰を一周して背中へ、衣服に隠れた下半身までをも完全に覆い尽くされ、頭部のみを残して【タウロス】の全身は完全に金属光沢を生ずる何かによって変生を遂げた。

 それは、甲殻だった。

 【タウロス】の体表に含まれる「とある生物由来」の細胞が励起し、その意思ひとつで全身を覆い防護する。厚さ僅か数ミリにも及ばぬ極薄の鉄壁、それはまさしく、外骨格。瞬間的に展開されたそれは並外れた耐久力と衝撃拡散性を有した角皮であり、金牛に対するあらゆる物理的干渉は即座に意味を成さなくなる。その硬さたるや銃弾はおろか、「完全展開」すれば砲弾の直撃にすら耐え得ると計算結果に出ている。

 事も無げに述懐してみせるものの、これがどれほどの異常、否さ異形であるか理解が及ぶだろうか。外骨格という、ヒトの肉体に本来有り得ない器官が発生しているというその事実を。その事実を受け入れ平然と使いこなしている、その狂気を。

 「で? 先に死にたい奴誰よ?」

 バキリ、と歪な音を鳴らしながら全身の関節が駆動する。一歩踏み出すごとに、まるで巨大な甲殻類が大顎を威嚇で打ち鳴らすかのような、猛悪で醜怪で、本能から忌避を覚える捕食者の音色が響き渡る。それはまるで、五体の枠一杯になるまで収められた肉食虫の混声合唱か。

 「う、ぁ! わあああああ!!?」

 「よせ、早まるな!!」

 【アリエス】の制止も空しく、常軌を逸した変化を目の当たりにした憲兵の一人が発砲する。そこから先は決壊した河川のように、他の憲兵らも一斉に銃を構え直し、早業の装填術を駆使して続けざまに何発も撃ち込む。瞬く間に狭い路地裏は鼻を突く火薬の臭いで満たされ、銃口から舞い上がった煙が視界に充満していく。

 「だーかーらぁ、言ってんだろが!」

 鋼の腕が、五指の先端まで外骨格で覆われた手が煙を突き破り伸びる。再び姿を見せたその全身に傷はやはり無く、足元には潰れた銃弾が転がっているばかり。

 「やっぱ人間は覚えが悪いな。いくらやっても利かねえっての。つくづく、使えねえ劣等種だなぁ!!!」

 鋼の五指はがっちりと、哀れな憲兵の頭部を掴み上げた。もう逃げられないし、逃がさない。金牛の怪力は武装した憲兵の体を少しずつ地面から引き離し、互いの頭部がきっちり同じ高さになる位置に来ると、そこで勢いを付けて壁際に叩き付けた。

 「さぁて、もう一回だけ言うぜ。俺を行かせろ、【アリエス】。油断したのが落ち度ってのは実際その通りだ、言い訳はしない。だが、敗れたなんて誰が決めた? 俺はまだ敗北しちゃいねえ、こうしてピンピンしてんだろうが」

 「お前という、やつは……」

 金牛はどこまで行っても戦闘者、その思考回路は単純な勝ち負けに固定されている。戦術的な行動だとか、戦略的な流れだとか、そんな小難しい事柄は一切考えていない。いや、ほんの数十分前ならもしかしたら思考するぐらいはしていたのかも知れないが、猪の一番に“白鯨”との接触を果たした今となっては、そんな思考は消し飛んでいた。

 敵は一人、我も一人。組み伏せ、打ち倒せたならば我の勝ち。たったそれだけの、ロジックと呼ぶことすら憚られる単純明快な帰結。ここから見出せる結論は、彼はこれを「個人間の闘争」という範疇で語ろうとしているということだ。

 「これは『戦争』だ!! 国が総力を挙げて対処すべき案件、その最たるものだ! もう君のヤクザなやり方は通じない! いい加減に理解しろ!!」

 「頭沸いてんのはお前だよ。普段からデカい口叩くだけはあるのかと思ったが、とんだ見込み違いの臆病野郎だったか」

 「何だと!?」

 「敵は一人、こっちは多勢。“白鯨”、何するものぞ……そんぐらいの意気を見せてくれると思っていたが、蓋を開けりゃ何だかんだと理屈を付けて戦う素振りを見せやしない。これが臆病でなくて何だって? 暫定隊長が聞いて呆れるぜ!!!」

 捲し立てられる煽り文句に【アリエス】も返す言葉を持たない。それは言葉の数々が正論だったからではなく、もはやいちいち反論を返すことすら億劫に感じてしまうほど程度の低い、的を外した物言いだったからだ。

 然もありなん。そもそもからして、【タウロス】は“白鯨”の危険性を理解していない。その事を真に理解できていれば、さすがの彼とてもう少し思慮深い見解を示しただろう。

 「さあ、分かったなら道を開けろ。臆病者には荷が重いってんなら、俺が代わりに行って来てやるよ」

 「待て、待つんだ【タウロス】!!!」

 「待たねえよ!!!」

 剛腕が唸りを上げて振るわれ、掴まれていた人体が軽々と宙を舞う。砲弾の如く飛び出したそれはまっすぐ【アリエス】に飛来し、それを何とか受け止めた彼はすぐさま金牛を制止しようとする。

 「【アクエリウス】ッ!!! 奴を……!!」

 「いいえ、もう無理です」

 切迫した状況から一転し、【アクエリウス】の落ち着いた声が全ての終わりを告げていた。

 その視線の先には「穴」があった。石を積み上げて作られた頑強な民家の壁、そこを何重にも貫き通し、数十棟先まで続く粗悪極まる突貫工事の傷跡が刻まれる。

 全身を鋼鉄に比する角皮に覆われた金牛にとって、当たれば砕けるのは相手の側。その指は岩を抉り、その双肩は砲丸に耐え、その突進は城壁を容易く粉砕する。制圧前進の攻勢思想から叩き出されるその膂力は、全速力には程遠いにも関わらず既にここまでの威力を発揮する。

 追跡に必要な敵の情報を独占している以上、彼がどこへ向かったのかは彼自身にしか分からない。唯一つ断言できるのは、一度走り出した彼を物理的に止める手段はこの世に存在しない、という事実だけだ。

 「……ドクタルの到着まで、どのくらいだ?」

 「多分、あと一時間は……」

 「【ヴァルゴ】と合流する。彼女でなければあの突進馬鹿の居場所を掴めない。もし感知できて追い付き、それでも止められないようなら……」

 「ようなら……?」

 「『閉じる』ことも視野に入れている」

 「っ!?」

 言葉の真意を、それがどういう意味を持つのか正確に理解している【アクエリウス】が静かに息を呑んだ。それはつまり、最悪の場合を想定した「最終手段」に他ならないと理解したからだ。

 「急げ。ドクタルにこの様な醜態を晒す訳にはいかない」

 「了解です」

 事態は急を要する。もはや猶予は無くなりつつあった。

 故に、普段の彼らならすぐに気付くはずの、否、気付いていなければならない「ある一つの事実」を誰も感知できない。

 この一点に着目することが出来ていたなら、この後の顛末はもう少し違ったものになっていたかもしれないのに。





 十二体の超人には、それぞれの設計思想(コンセプト)に基いて強化と改造が施されている。同じ弾丸を撃ち出す機構を有していても銃と砲が異なるように、彼らにもまた作戦ごとに要求されるポジションとは別に設定された、基本骨子となる性能がある。

 例えば最も分かり易いのは、【ヴァルゴ】の索敵能力だ。

 自らの一部、または「限りなく全身に近い大部分」を感覚はそのままに液状化させ、広範囲に渡り拡散・展開させられる彼女に与えられた役目は、ずばり偵察だ。その感覚に引っ掛かれば異なる位置、離れた距離に存在する複数の勢力を全く同時に察知し、そこから奇襲や先制に繋げ動きを任されている。

 同じように、猪突猛進が服を着て歩いているような【タウロス】にも当然役目が課せられている。あらゆる攻撃をものともしない鋼鉄の肉体に裏打ちされた防御力は、しかしてその性能を守護の為には活用しない。

 陣地破壊。

 防戦の構えを見せた敵陣に単騎で突撃し、城砦を粉砕する突貫を以てその防御をこじ開ける尖兵、それが金牛宮の役目。

 その巨体と堅固な肉体から繰り出される突撃力でもって敵陣の関を突破し、後に続く本隊の到達に備えて攻撃的斥候として任務を果たす。その性質上、敵陣に長時間単独での戦闘を余儀なくされるが、強靭な装甲を纏った彼にとっては些末事。黙っていても群れる相手を順に潰していくだけで任務は達せられる。

 履き違えてはいけないのが、彼自身はあくまで尖兵、後続の本隊が到達するまでの斥候としての能力を与えられているという点だ。根底に有るコンセプトとして、「単騎で敵陣を全滅させる」ことを想定して創られていない。他の部隊に組み込まれたならいざ知らず、同じ超人兵、それも同格が集うゾディアークにおいては開戦の口火を切る以上の役割は与えられていない。彼自身にそれ以上の役割と性能が「付与」されていないが故に。

 だから、この選択は誤りだ。

 補給は無い、支援も望めない、そもそも後続が来るはずもない。必然的に孤立無援の状況下に置かれることが分かっていながら、それでも彼は単騎で飛び出した。自らの性能に絶対の自信を持つからこそ、その自信故に自分の「使い道」を誤認する。

 「どこだ、どこ行きやがった!」

 自立行動する砲弾と化した【タウロス】は、すっかり街に溶け込んで先細りになった敵の臭いを追って迷走を続けていた。臭い自体を見失うことはしないが、流石に時間が経てば経つほど追跡は困難になるだろう。現状でそれ以外の手がかりが無い以上はそうなってしまう。

 だがこの場合幸運だったのは、臭いの痕跡が思ったより先細りしていないという事だった。恐らく移動速度は遅い。見失いさえしなければ速さで勝る【タウロス】がいずれ追いつくのは自明の理だ。

 追い付けばそこが何処だろうと関係ない。今度は油断も慢心も無い、背後だろうが正面だろうが殴り掛かり、叩き潰し、息の根を止めて見せる。伝説の怪物? 『白鯨』? 知ったことではない、「殺せば死ぬ」のは同じことだ。ならばそれに特化した己が勝って何の不思議がある。

 臭いは街の外まで続き、街と街を結ぶ街道から徐々に逸れていく。人の往来により何度も踏み締められた轍から、単独で離れていく足跡がひとつ。そこからは忘れもしない標的の濃厚な臭いが付着していた。

 そして、遂に……。

 「見つけたぜぇ!!」

 白銀の地平に紛れ込んだ、しかして確かに動きを見せる影。その後ろ姿はまさに己に屈辱の一撃を与えて去った、憎き怨敵のもの。吹き飛ばされる瞬間に見たその異様に白い頭部を見紛うはずがない。

 こうして見ると、鍛えられている。なるほど余人にとってすれば達人の域、肉体をそこまでのレベルにまで昇華させること、それ自体が長い年月の修練によるものだと【タウロス】は看破した。確かにここまでのポテンシャルを持っているのなら、人類として見れば強者に分類されるのも頷ける。

 しかし、それはあくまで「常人」という括りで見た場合の話。やはり肉体それ自体が常識の範疇で収まる事物であるならば、その範疇を逸脱した超人と比すれば劣るのは必定。先ほどの不可解な膂力も何らかの魔術でも使って底上げしていたとすれば説明がつく。何ら不思議なことなどありはしない。

 一旦硬質化を解除し身軽になると、そこから一気に速度を増す。加速した巨体は一足で十メートルを軽々と跳躍し、空中に躍り出た体はその巨大さとは裏腹にほぼ完全な消音を実現した。風すら立てず野兎ですら気付き得ないほぼ完璧な奇襲は、眼前の男に対し意趣返しにして致死の一撃を加える。

 (もらった……ッ!!!)

 己の勝利を確信した金牛は、その拳を突き出した。





 「時に君よ、『知性』とは何だと思うね」

 馬車の中で男が、ムウが問う。相対する同乗者は質問の意図が理解できないとばかりに首を傾げた。

 「想像力、だよ。『より善き』を想像し続けたからこそ、ヒトは未来を創造できた。であれば必然、想像力こそ知性と言い換えられる」

 それを踏まえて、と前置きの後に本題に入る。

 「想像力の無い者は愚かだ。山肌を見ただけで大地の全てを知った気でいるのなら、それは大いな誤りだ。それはつい昨日まで発掘作業に勤しんでいた我々にしてみれば、重々承知の事柄だろう」

 「発言の意図を理解できない」

 「つまり、だ。目に見えるモノは確かだが、目に見えるモノだけが真実とは限らないということだ。その『見えない』部分を補うのが想像力であり、知性と呼ぶものの正体だと私は考える」

 それはつまり、こう言い換えられる。

 「想像力の欠如した者は、つまるところ馬鹿だ。信じ難い話ではあるが、得てして現実にそう言った輩は大勢いる。少し考えれば幼子でも予想できる事柄を、全くもって意に介さなかったが為に痛い目を見る、そんな愚者がな」

 ところで話は変わるんだが、とそこから前置き……。

 「山脈の岩盤を素手で刳り貫けると思うかね?」

 「否定(ニェット)」

 「うむ。そういうことなのだよ。そんな簡単な事も理解できない者に、『鯨狩り』という大業は成し遂げられない」





 そう、硬かった。

 大き目の石に対し拳を突き立てれば、ヒトの指は簡単にへし折れてしまう。

 無論、それは常人の話だ。種としての上限を取り払い覚醒を果たした、己ら超人に掛かれば素手で鋼鉄を穿孔することさえ容易い。単純な硬さを前に屈することなど有り得ないし、あってはならないのだ。

 なのに、これはどうしたことだ。

 まず、最初に感じたのは強烈な制動だった。視界を流れ去る景色は一瞬にして現実に引き戻され、加速していたパワーの全てがそのベクトルを一瞬で逆向きにされる。

 「なっ……!」

 拳は、満身の力と加速を込めた一撃は確かに相手に接してはいた。

 それを逆に掴み返され、防御されるという形で。

 完全に動きを止められた巨体から溢れ出した運動エネルギーは、男の足を起点にして大地に亀裂を刻み付けた。そこだけ地震が発生したかのような天変地異だが、激突の衝撃に反して男の足は一寸たりとも動いていない。

 奇襲は失敗。即座に距離を置こうと飛び上がろうとする【タウロス】だったが……。

 「はな、しやがれ……!!」

 単純な腕力、膂力において【タウロス】を上回る者は存在しない。一挙手一投足が大地を穿ち城壁を削る一撃となる彼を押さえ付けるなど不可能だ。

 その彼が、微動だに出来ない。

 一度ならず二度までも、力比べで劣るという醜態。こちらは渾身、相手は自然体。何だこれは? 何の冗談だ?

 「…………」

 「っ!? この野郎!!!」

 ふと、男の頭部が回転する。その刹那、【タウロス】は全身が総毛立つのを抑えられなかった。こいつは“やばい”という確信、今ここで完全に捕捉されれば「何をされるかわからない」という不定形の悪意を感じ取り、即座に行動を試みた。

 その剥き出しの頭部めがけて遠心力に任せた回し蹴りを一発。全体重を乗せたその一撃は本来なら大木の幹を抉りぬく猛悪な威力を秘めている。

 しかし、爆発にも似た破裂音の後、直撃を受けた頭部は当然のように健在だった。僅かに傾いた頭は首を傾げた範疇であり、どう贔屓目に見ても頸骨を爆砕せしめたようには見えない。

 だが成果はあった。衝撃を受けて男は掴み返していた【タウロス】の拳を離し、図らずも彼は自由となった。

 「……!!」

 改めて、敵の全貌を把握する。

 雪景色を切り取ったような白髪、引き締まった上半身は何も羽織らずに氷点下の外気を遮断し、こちらからの攻撃を完全に受け流した両脚はしっかりと大地を捉えていた。数千年を生きる大樹が人型となったような、もはやある種の神々しささえ帯びた姿はさながら地上に降り立った精霊か神性にも思える。

 しかして、その顔面にて煌々と輝く二点の眼たるや、全身に帯びる神聖の気を相殺してなお余りあるほどの禍々しさを解き放っていた。遠く異国の神話に名高い邪眼の王でさえ、この両眼に睨み返されれば視線を逸らさずにはいられまい。何を考えているか分からない、だが強烈な何かを秘めた赫眼は今この時【タウロス】ただ一人に対し向けられていた。

 「────誰だぁ……おまえは」

 ぎょろり、と文字通りの血眼が金牛を捕捉した。およそあらゆる敵対意思を詰め込んだ視線は単純明快な唯一の機能のみを搭載していた。

 即ち、射程圏内に入り込んだ存在を最優先で撃滅するという、昆虫的行動原理の具現。自分の動きを遮るものは何であれ迎撃と殲滅を同時に行う、ある意味では機械にも匹敵する理論のみが駆動の一切を支えている。

 その瞳が今、金牛を睨めつける。無論のこと、その程度の応酬で引き下がる【タウロス】ではない。

 「はっ! てめえが『白鯨』か! 物乞いに扮して密入国なんざ、随分と狡からい真似するんだな! 立派なのは名前だけかよ!!」

 「…………あぁ」

 やっと思い出したのか、男……「白鯨」は自分の行く手を遮る相手を前に納得の溜息を漏らす。その仕草はやはり、眼前の存在をどこまでも脅威とは思っていない、むしろ心底面倒臭そうなものでも見てしまったような、鼻息だった。

 当然、そんな様を見せられて愉快に思うはずが無い。敵愾心は更に高まる。

 「挨拶もなしに突然で悪ぃんだがよ、てめえにはここで倒れてもらうぜ」

 さっきは油断したから先手を許した。ならば今度は反撃に転じる暇さえ与えずこちらが攻め続けるだけのこと。

 姿勢を低くして前のめり、生み出されるのは最大限に加速を得られる体勢。突撃による制圧と前進は【タウロス】の最も得意とするところ。阻まれる理由など存在するはずが無かった。

 殺戮のクラウチングスタート、最早この時点で相手が回避しようが防御しようが関係ない、その態勢を取る前に獲物は轢殺されてしまうからだ。どれだけ鍛え上げたにせよ所詮は人体、真に鋼鉄の硬さを持たされた超常の前にはいとも容易く砕け散るより他にはない。

 彼我の距離はざっと十メートル。三歩、否さ二歩で事足りる間合いだ。最初の踏み出しで眼前まで飛び出し、続く二歩目で踏み潰す。完璧だ、何の文句も付けようがない。今度は相手が油断している今こそ絶好のチャンス、もはや勝ちの目は────、



 「喋るな」



 勝ちの目は、潰し返された。

 「ボッ……ガア!!?」

 半歩。たった半歩。

 こちらが二歩、三歩で仕留めようと画策していたその僅かな間隙、一瞬にも満たない刹那の瞬間に怪物の足は金牛に到達していた。結果、【タウロス】は自身の爪先をほんの僅か前にずらした程度の段階で、踏み出そうと低く構えていた頭部諸共に地へ叩き落されたのである。

 這い蹲って地に頭から伏すその姿はまるで、態度の悪い犬畜生を躾けるよう。もう何をどう言い繕っても無駄だと思われるので明記しておこう。

 【タウロス】では、「白鯨」に、“勝てない”。

 重量が、質量が、熱量が、この正体不明の敵と相対するには圧倒的に足りていない。一度目なら不覚だったろう。二度目でも予想外と片付けられた。しかし三度目ともなれば、これはもはや認めるより他にはない。

 「ありえっ、ねえだろが……ぁ!! 俺は、“超人”だぞ!」

 理不尽、ただただ理不尽。理屈など無い。理由も無い。最初から比較すること自体が誤りだったのだ。どちらが強いとか、勝負だとか、そんな考えがもはや通用しない領域。

 冷静に考えれば解るだろう。

 台風、吹雪、雷電、劫火、地震……極限の「大災害」を前に勝ち負けを論ずる者がどこにいるという話だ。

 「五月蠅い。喚くな、吠えるな、囀るな。ガチガチと頭に響くんだよ」

 「ッ……! 〜〜〜〜ッ!!!」

 這い蹲った頭を押さえる足が更なる力を以て大地へと押し付ける。土中の水分さえ凍る硬い大地に【タウロス】の顔面はいとも簡単にめり込み、彼から発言の自由さえも奪い尽くした。地についた四肢がどれだけ力を振り絞ろうとも、たった一本の足による抑え込みを撥ね退けることさえ出来ない。

 「ちょうじん? ちょうじん……嗚呼、“超人”か。すごいな、二十年前と何一つ変わっていない。こんな程度で『あれ』を倒そうなんて息巻いてたわけか。っ……あ˝ぁ!? 何だァッ!!!」

 突如声を荒げたかと思えば、「白鯨」はどこからか魔宝石を取り出し耳に近付けた。ゲオルギアの軍部で試験的に運用されている通信石と同じ原理で動いているようだ。

 それはつまり、この人型災害の「白鯨」に仲間がいるという事実を指す。

 「おまえか、何の用だ? …………そんな事か。知らない、そっちでどうとでもしろ。生き残りがいれば連れて来いと言ったのはそっちだ。後のことまで面倒見るつもりはない」

 会話の内容までは把握できないが、推察されるのは「白鯨」が仲間を置いて独断専行したという部分のみ。その目的、背後関係、どれだけの数が控えているのか、肝心なところは何も分からない。

 「忘れるなよ。おまえらがどうなろうが、この国で何が起ころうが、別におれにとってはどうでもいい。おれはこの国に入り込むのにお前らを使っただけで、もう必要もなくなった。そっちはそっちで好きにしろ。…………超人? ああ、超人か」

 通信越しから超人の情報を求められた「白鯨」は、今まさに己が足元に敷いている金牛を一瞥すると事も無げに言ってのける。

 「どうってこともない。昔よりちょっと頑丈だが、それだけだ。おれたちから二十年も時を奪っておいて、成し遂げたのはこの程度。やっぱり、あの時関わらないほうが正解だった」

 「……ッ!!?」

 「いい。どうせ何にも出来はしない、塵屑の寄せ集めだ。残りは十一……いや、十体。こっちで叩き潰す。全部、ああそうだ、全部だ!! あの野郎にもそう伝えておけ!! いいか!? おれの邪魔だけはするなよ、分かったな!!!」

 怒りに任せて一方的に通信を断つと、その赫眼が再び金牛を捉えた。もはや何の脅威でも無くなった存在をしげしげと観察し、そしてこう吐き捨てた。

 「第二世代と同じ、いやそれ以下か」

 「!?」

 それは、まさしく禁句だったのだろう。少なくとも己の性能に絶対の自信を持って造られた【タウロス】にしてみれば、たかが身体機能を向上させたに過ぎない旧式と比較され、あまつさえ劣っているとまで言われてしまえば……堪忍袋の緒は限界だった。

 「っじゃあぁあああがああああああああああああああああーーーーーッ!!!!」

 総身に駆け巡る怒りを駆動させ、気迫の絶叫は一瞬の隙を生み出して【タウロス】は立ち上がった。押さえ付けられていた顔面から雪や土を払い落とし、睨み返すは眼前の怨敵ただ一人。己よりもずっと小さな、それこそ見下す相手に三度も遅れを取ったという事実に更に怒りが湧き、その衝動のままに彼は拳を繰り出した。

 今度は当たった。

 突然の再起動に不意を突かれたのか、「白鯨」の無防備な体は直撃を受けて地面から浮き、更にその瞬間を逃さずに【タウロス】の全体重を掛けた当て身が炸裂する。今度こそ金牛の攻撃は敵の五体を正確に捉え、明確なダメージを刻み込んだのであった。

 「ナメるなァッ!!! 俺は【タウロス】!! ゲオルギア連邦陸軍、超人兵科小隊『ゾディアーク』が第一号、【タウロス】様だ!!!!」

 蒸気が噴き出る。励起した細胞が強烈な代謝反応を伴って変化し、全身が鋼に覆われていく。頭部を含む全身を覆い尽くした鋼鉄の角皮はプレートアーマーか。しかして全身を鋭角と鋼色によって構成されたその姿は、与えられた“牛”の銘にはどこまでも合致しない、さながら「巨大な肉食甲虫」を想起させる異形だった。

 「潰してやる! 曳き毟って、切り刻んで、バラ撒いてやらぁ!!」





 一番槍の勲を手にする【タウロス】。相対するは肉を持った大災害、「白鯨」。

 果たして、その先にあるのは……。
18/06/11 00:49更新 / 毒素N
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