連載小説
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貧乏傭兵と炎精霊-2-
 焦げ茶色の、こげ跡だらけのマントを羽織った冒険者が小道を歩いている。
 彼、ハールリア・クドゥンは、足の向くままカント=ルラーノの市内を歩き回っていた。商店の立ち並ぶ賑やかな区画から、もう使われなくなったのかまるで人気のない寂れた区画まで。特に何かというアテもなく、気付けばもう日暮れも近いかという時間まで、ただただそうしていた。

「ご主人、そろそろ宿でも探す?」
「・・・・‥」

 傍らで浮かぶフィーリが主へそんな提案した。それに、ハールリアは歩みを止めて渋面を作る。
不機嫌というよりは、『バツの悪そうな』といった風に見えた。そんな主人の様子に、フィーリは怪訝げに声をかける。

「ご主人?」
「・・・・なぁ、フィーリ。覚えてるか?」

 ひどく神妙な声音。その苦悩と躊躇の入り混じった重々しい声に、フィーリは怯み、気を引き締める。
ゆっくりと一呼吸置いて、続く言葉を待つ彼女へとハールリアは告げる。

「僕達は、宿に止まれない。ほら、覚えてるか?」

 すっと人差し指を立て、世の理不尽を説く隠者のように彼は言う。
まるで世界の終焉を告げる予言者のように厳かに、彼はその言葉を吐き出した。

「財布、無くしただろう」

 すぅ…と、風が吹き抜ける。冷たい風だ。秋の深さを感じさせる。
それが穏やかに、ハールリアの髪を揺らした。
風はフィーリをもユラリと揺らし・・・・直後に、焔と変わって吹き上がる!

「こっの・・・・バカご主人っ!!」

 吹き上がったフィーリの炎は、思いっ切りハールリアへとぶつけられた。
一応、彼の羽織るマントは防火製だ。しかしまあ・・・・それも言った所で精々が、燃えづらい繊維だというだけの事。その暴力的な熱量がどうにかなる物では無い。

「うっぎゃぁあああ!!?」
「この、アホ! バカ! マヌケ!
 なんっで、そう、それだけの事にそんなシリアスっぽい前フリしてんのさ!?」

 火傷しそうどころでない高熱に叫ぶハールリア。そんな主に追い打ちをかけるようにフィーリはその炎の体で何度も何度もハールリアを殴る。仕草こそ子供が駄々をこねるようなポカポカパンチだが、彼女自身が高熱の炎であるからして、その燃え盛る拳がどれほどの破壊力を秘めているのか。ハールリアは一も二もなくドタドタと辺りを逃げまわって、何とも情けない限りだ。
揺らめく陽炎だとか飛び散る火の粉が花火のようで、見ている分には綺麗なものだ。が、無論、殴られている方は堪ったものではないが。

「ちょ、か、勘弁してくれって、フィーリ!」
「うっさいバカ! ああ、もう、戸惑いとか心配とか、ちょっと格好いいかもとか一瞬感じちゃったトキメキとか! とにかく今の一幕に費やして無駄にした私の心情だとかなんだとかも全部まとめて返せ、このバカご主人!!」

「ごめん、悪かったって、いや僕も悪ふざけが過ぎたとは思ってるから! あ、でも心配してくれたんだそれはありが・・・・っどうわぁああ!? ちょ、ちょっとフィーリ! 熱いから燃えるから、本当ヤバイってそれ!! 燃える、燃えちゃう! 死ぬ、ちょ、勘弁!!!」

 拳と共に飛んでいた言葉で、少し心穏やかになったハールリア。
しかしそれに感謝の言葉を返そうとしたその瞬間フィーリが投げつけた林檎大の炎の塊が頬のすぐ横をかすめ、それどころではなくなる。ジリ…と髪が焦げ、熱い熱いと叫びを上げながら、ハールリアは人通りの無い路地を駆け回っていた。

「う〜、うっさいバカ! このバカ! オオバカご主人!!」

 ちょっぴり言い吃りながらも何度も何度も、けれど流石に少しは落ち着いたのか、ギリギリ当たらないくらいの勢いで拳を振るい続けるフィーリ。炎で型作られた不恰好なヒトカタの顔が、心なしか赤く照れているように見えるのだが・・・・いつ着火してもおかしくないと心穏やかでない彼に、それに気づく余裕が有るわけも無し。ただヒイヒイと悲鳴を上げながら逃げ回りつづけている。
・・・・なんとも情けない限りだ。



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「本日中に達成でき、かつ報酬の高いクエスト。ですか」

 昼から夕に差し掛かる頃合い。さしあたり今日の宿代程度は稼がねばならないと、ハールリアは酒場へと来ていた。

「ええと・・・・なんか無いかな?」
「ありませんね」
「そ、そうですか」

 彼の注文を聞いて、受付嬢は五秒と経たずに答えを返した。
そして一応とでもいうような風にパラパラと手元の書類をめくり、その片手間、彼の方はちらりとも見ずに冷めた声でぽつぽつと言い放つ。

「そもそも、もう数刻で日も落ちるような時間に本日中などと言われましても」
「う゛・・・・すみません」
「加えて、報酬の高い、とは。・・・・欲張りすぎですわ」
「うぐっ」
「まあ一応、本日中という条件を除けば幾らか無くもないのですが・・・・多くは討伐任務ですね。契約金はお持ちですか?」
「い、いえ・・・・銅貨一枚も」
「あら呆れた。一文無しで店に来たのですか? それは些か非常識がすぎますわ」

 至極順当な意見なので言い返す訳にもいかない。カウンターに肘を立て、ハールリアは項垂れる。
そんな様子に受付嬢はぐいっと台上の書類を避難させて、はぁ、と大きく溜め息まで吐いた。

「見たところ、かなりお疲れのご様子で。クエストを受けるなら出直した方がよろしいでしょう。
 さて、宿なら治安最悪三等地の一人部屋が訳あって一つ空いておりますが、紹介いたしましょうか? 少しはツケも効く宿ですので、丁度良いのではと存じますが。
 さもなくば、後が突かえておりますので早くどいて頂きたいのですが」

 ・・・・今更だが、この娘相当の毒舌家である。
あっという間にノックアウトされてしまったハールリアは、「お願いします・・・・」と力無く呟いて、疲れきった様子で必要な手続きを終えるとようやっと立ち上がり、ゾンビのような足取りでフラフラと離れていった。
あの受付嬢の、次の方というキビキビとした声が後ろから飛んでくる。









 よろめきながら酒場を後にして、ハールリアは路地裏まで歩いていった。壁に寄り掛かって身を休め、胸に手を当て呼吸を整え、大きく息を吐き出す。そしていくらか落ち着いてから自身のリュックサックをまさぐり、その外ポケットから紙で括られた煙草の束を取り出すと、そこから一本引き抜いて口にくわえて火を点けた。

「・・・・あー、怖かった」
(ご主人、かっこわるい)

 あんまりに情けない主人の言葉に、フィーリが溜め息と共にそう呟く。
彼女の姿は見えないが、どうもタバコの先の灯がそうらしい。

「うっせえやい」

 その憎まれ口に、ハールリアは小さなデコピンをタバコの先にピコン、と1つ。その衝撃で燃え尽きた後の灰が落ちる。
しかし、それでタバコの火が消える訳でも無し。勿論フィーリにダメージが入る訳でも無し。彼女は一度嘆息して、それからフワッと一瞬の揺らめきの後に、タバコの先から飛び出した。
タバコの先から飛び出した火の粉は揺らめきながら大きくなって、小さな火の玉の形で辺りを照らす。そのままユラユラと漂うように宙を舞い、ハールリアの横へと付いた。

「まったく・・・・それで、どうするの? さすがに街中で野宿なんて笑えないよ」
「僕は野宿も好きだけどね」
「そういう事を言ってるんじゃなくて! 本当にどうするのさ!?」
「う〜ん・・・・」

 フィーリに怒鳴られ、唸るハールリア。少し童顔気味の顔をしかめて、腕を組んで首をひねる。そしてポンと手鼓を打って、一言。

「どうしような!」
「・・・・こっの、バカ主人ッ!!」
「うわ、ちょ、まっ、フィーリ、それは洒落になんない!」

 呆れるほど爽やかに言い切った彼に、またしてもフィーリの堪忍袋の緒が切れた。彼女はテニスボール大の火球を次々と生み出しては、それをハールリアへと投げつける。慌てて彼はマントで顔を庇いながら、次々と投げつけられる灼熱したエネルギーの塊から逃げ回る。投げられた火球はすぐに消滅するのだが、時々消え損ねたものが背後の壁に打ち当たってジュウという音とともにレンガをガラス化させていた。そこからもうもうと湯気と熱とが立ち昇って、辺りへと充満する。
・・・・冗談でなくとんでもない熱量である。

「熱っっ!! おい、ちょっと待てフィーリ、もしこれ当たってたら色々と洒落にならないぞ!?」
「うっさい、このバカ! いっつもいっつも、何でそんなチャランポランなのさ!?」

 にわかに狼狽するハールリアに、構わずバカバカと火球を投げ続けるフィーリ。

「モシ、ソコのお方」

 そんな姦しい上に傍迷惑極まりないコントを繰り広げる彼等へ、ポツリと声がかけられたた。
甲高い少年の叫びのような、しわがれた老婆の囁きのような、それらが混ざり合ったような奇妙なかすれ声。

 驚き、ハールリアは声の方へと振り向く。
フィーリも狂乱から一息で覚めてそちらへ目を向けた。

 そこにいたのは、小さな人間らしき者。『らしき』者としか、呼べない。
それは真っ黒いボロ布を頭から被っていて、大まかなシルエットしか分からないものだった。子ども程度の背丈しか無く、着ぶくれたように輪郭はおぼろ。ローブの目元辺りで、ぼうっ…と青い光の輝いているのだけが唯一の隙間。そんな奇妙な出で立ちの、男なのか女なのかも分からない、人間なのかそうでないかも分からない、そんな者がそこにいた。

「・・・・誰よ、あなた」

 怪訝な声でフィーリが尋ねる。小人のその怪しい外見と、その身に帯びたいやに高質な魔力の気配に警戒心を露わにする。
フィーリのその態度に、小人は呵々と喉が引き攣ったような声で笑った。その笑い声は、やはり、子共とも老人とも、男とも女とも聞こえる奇妙にかすれた声だった。

「誰でもヨカロ? ソレよりも、主ら路銀のタしガ欲しイのジャロう?
 そレナらば、良い仕事のアテが1つアる。そいつを頼マレてはクれんカね?」

 小人は答えにならない応えを返し、指先をハールリアへと向ける。その手は黒い手袋で覆われていて、やはり年齢や性別などを察する事はできない。手袋は高級そうな革製で、ボロ同然のローブと比べると奇妙に浮き立っていた。

「仕事ねえ?」

 こちらもまた相棒と同じく警戒の色に満ちた声音で、ハールリアが聞き返す。見なりといい、言葉といい、小人は何から何まで信用にたる要素が存在しない。一挙一投足とて怪しい動きを見逃さぬよう、視線を目下の小人に向けながら、すっかり燃え尽きてチビたタバコを放り捨てる。主のその行為にフィーリが少々眉をひそめたが、今は小言を言っている場合でもないと口を開くことはなかった。

 小人は言葉を続ける。

「そウ仕事じゃ。丁度、ぬしのヨうな英雄殿に似合いの、な。
 なあ、頼まれておくれよ、炎霊火葬・・・・ハールリア・《ランダー》・クドゥン殿」
「っ! お前、何処でそれを!?」

 言い放たれたその一言に、ハールリアは矢のように飛び出して小人へと掴みかかった。
しかし、まるで煙でも掴まえたかのように手応えはなく、小人はするりとその手から逃れてしまう。

「ふォっフぉ、ソのヨうな事はどウデも良かろうよ・・・・肝要は、受ケるのか、受けヌのカ。そレのみじゃ。だが、そうじゃの・・・・受けるトイうなら、その時は、わシが主の名を知る故ヲ、教エてやっテも良い」
「お前・・・・!」
「さア、どうスる?」

 ひょうひょうと、風船から風が抜けるような音が小人から立つ。笑っているのか、クツクツとその肩が震えていた。
ぎしりと奥歯を噛み締め、ハールリアが苦い顔をする。

「・・・・受けよう。それで、教えてくれるんだろう?」
「ご主人!?」
「ヨろしい。では」

 彼の返答を受け、小人は笑いを止めてハールリアの方に向き直った。ボロ布の隙間に灯る青い光が、ぼうっと彼へと虚ろな光を向ける。
少しの沈黙。そしてカツリと靴音のような音が一つ鳴らされたその瞬間、淡く輝く魔法陣がハールリアを取り囲んだ。

「そレでは頼んだぞ、英雄殿。なに、主ならばやり遂げられよう。
 Teyir Movd xxA fkar zsh3028... <tx> zsh48503... 術式、開放」

 その奇妙な抑揚で刻まれる小人の言葉が詠唱なのか、地を裂くように溢れた青白い魔力の燐光に次々と力ある言葉が書き記され、魔法陣に意味を与えて行く。

「これは、転位魔術!? こんな街中で・・・・いきなり!」

 刻み込まれる魔術式を読みとったハールリアがとっさに対抗術を練ろうとしたが、それよりも小人が術を完成させる方が早かった。魔法陣を型作る魔力の燐光は瞬く間に彼らを包む光のカーテンとなり、フィーリとハールリアの2人は完全に転位陣の内に囚われてしまう。

「お前さンノ名じゃがな、親父サんかラ聞いたのよ。種を明かせばそれだけじゃ」
「な、馬鹿を言うな! そんなでたらめを・・・・――――!」

 やはり、しゃがれた甲高い声が言葉通り何でもない風に彼へと語る。ハールリアのいる陣の内側からでは、光に閉ざされていて外の様子が伺えない。その一声にハールリアは反論しようと声を荒らげたが、起動した魔法陣は無慈悲にも彼の肉体を指先から順に粒子へと変えて転位していく。
そのさなか、光の向こう側にいるであろう小人が此方に向けて何かを投げて渡してくるのを見た。ほんの一瞬にも満たない刹那に見えたそれは、満帆に膨らんだねずみ色をした革袋。フィーリにぶつかり、彼女がその文句を口にしようとした所で、彼等は完全に転送され、その空間からいなくなった。


 やがて光が収まった頃、何の騒ぎかと野次馬が集まっていたが、既にそこは元の薄暗い無人の裏路地だった。
魔術の光はおろか、怪しい小人や、奇妙な英雄とその相棒の姿は、影も形も残ってはいない。



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 ・・・・気がつくと、ハールリアは石畳の上で大の字になって眠っていた。
軽くあたりを見渡し、自分の体を確かめる。辺りには人っ子一人なく、自分の体に特に目立った外傷や不調はない。

 どうも、ここは何かの遺跡のようだった。壁面にこびりついたヒカリゴケに照らされる様を見るに、かつては何か異教の神を奉ずる神殿であったのだろうか。見慣れぬ様式で装飾を施された石柱に、壁面には随所を欠けさせた巨大な彫刻画が目に入った。
ハールリアに、この遺跡への覚えは無い。なんとなく東のほうの遺跡らしいかと思わないでもないが、それも当てずっぽうだ。まるで見知らぬ場所にいるのだと、何にもならない事実だけは認識できた。

「やれやれ・・・・」

 どうやら自分は、あの小人の魔術によって何処ぞやに飛ばされてしまったらしい。
状況からしてそう考えて間違いない――そこまで考えたところで、彼は、相棒の姿が見当たらない事に気がついた。きょろきょろとあたりを見渡すが、ほんの少しの炎の揺らぎすらも見つからなかった。

「フィーリ?」

 怪訝気に、彼は相棒の名を呟く。その声は反響すらせず闇に消え、言葉が帰る様子もない。

「・・・・・・」

 ハールリアは目をつむり、額に指を立て小さく集中する。契約者として、自身の精霊の居場所はその魔力をたどることで何となく程度には掴めるはずだ。・・・・しかし幾ら集中しても、一向にその居場所がわからない。
どこかそう遠くない場所にいるという確信はあったが、何かに妨害されているような、魔力の流れが掻き乱されているような感覚のせいでその位置が定かにならないのだ。ここが滅びているとはいえ、神殿という施設であるためだろうか?
・・・・いくら考えても、今この状況ではこれといった確信は得られそうにない。

「参ったな、はぐれちゃったみたいだ」

 反応はあるから、そう離れてはいないと思うけど・・・・と溜息とともに呟く。思った以上に面倒事になりそうだなと、ぐるりと大きく腕を回し、ハールリアは再び長い溜息を吐き出して、相棒を探すべく暗い遺跡の奥深くへと歩みだした。

「あのクソ親父・・・・死んでまで面倒を引き連れてくるってどういうことだよ。今度会ったらただじゃおかない」

 先程、あの子人から聞かされた言葉に、軽く神経をささくらせながら。



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 フィーリを探してこの神殿を歩き始めてしばらく経つ。

 起きた場所はホールのような所。そこから気配を辿ってしばらく歩くと、崩れた壁から向こうの通路が見えている場所を見つけて、今はそんな隠し通路じみた所を歩いている。
相変わらずフィーリの魔力の気配は微弱だけど、少しずつだけど強くなっていて、どうやらちょっとは近づけているらしい。

 隠し通路なんて言ったけど、一体何が通ることを想定しているのか横幅は大人が何人も並べるくらいには広く、天井は見通せないほど高い。大きな石を複雑な形で組み並べた壁は、その線が何かの幾何学模様を作り出しているように思える。なにかの魔法陣だろうか? 分からない。少なくとも、僕はこんな形式の魔術を知らない。
そんな通路がどこまで続いているのか、もう随分と歩き通しているというのに一行に端が見えてこない。

 体感で既に半刻以上。外の様子はまるで知れないが、そろそろ陽は落ちた頃だろう。
まだあいつは見つからない。かすかに感じる気配を頼りに歩いてるけど、一向に近づいている気はしない。相も変わらず周囲の闇を払うのは僕の指先に灯る魔術の炎だけで、耳に入るのは炎の爆ぜる音と地面を蹴飛ばす自分の足音だけ。
見つからない相棒に、まるで変わる気のない周囲の様子もあいまって、ここがどこか違う・・・・そう、たとえばあの小人の魔術が作り出した異世界にでも迷い込まされてしまったような、そんな気になる。

 だが、どうもそれは違うらしい。この奇妙な遺跡は、不思議なことに魔力の気配がない。皆無ではないが、どうもその殆どが僕とフィーリのものだった。この世界に隅々まで満ちているはずの魔力の波長が、まるで無いもののうようにうっすらとしか感じられないのだ。・・・・まあ、魔王の魔力なんてそんな感じていたいもんでもないけど。とにかく、この神殿は奇妙に魔力が薄い。
フィーリが見つからないのはそのせいだろう。彼女の波長を伝導するための魔力が存在しないから、こんな風にかすかな気配しか感じられないでいるんだと思う。一体、どんな仕掛けがあればこんな奇妙な状況が作り出せるのかは分からないが、ともあれこの場所が「まとも」じゃないのは確かだろう。

「お?」

 などと思索を巡らせていると、ようやく通路の端が見えた。先行させている魔術の明かりがに照らしだされたそれは、苔むして青緑色になった巨大な石扉。一面に精緻な彫刻が刻まれていて、苔に覆われて隠れてはいるが、この彫刻がただならぬものだと見て取れる荘厳さをにじませていた。

 しかも、その扉は濃密な、今まで何も感じなかったのが悪い冗談のような濃密すぎるほどの魔力の気配を蓄えていた。この扉が、何か重大なものであるだろうことがひと目で感じ取れる。そんなものにうちあたったのだ。
そしてその扉には、フィーリの魔力も混ざっていた。どうもさっきまで魔力を感じなかったのは、この扉が魔力をダムのように塞き止めていたせいなのかもしれない。

「なんなんだ、これ?」

 一体、なんのためにこんなものが? 魔力を止めて、けどそれだけだ。集めた魔力で何かをするための仕掛けが動いている様子はない。集めっぱなしでそれだけだ。おかげで、結構バカバカしいレベルの魔力密度になってるけど、それだけ。
一体何のための扉なんだろうか。集めていられているこの魔力量だけでもこの魔方陣がとんでもない代物だというのはよく分かる。さすが遺跡とでも言えばいいのか、こんな術式は見たことがないし、真似ができるとも思えない。それだけに、その理由が何なのかが気になった。

 そもそも、いったいこの壁画には何が描かれているのだろうか?

 こびりついた苔をこそぎ落とす。すると現れたのは、巨大な瞳孔。
猫か爬虫類を思わせる縦に細長い瞳・・・・を、象った宝石だった。

「な、なんだ!?」

 ちょっとドキッとしたけどまあ、気を取り直してその周囲の苔も落としていく。そして、その瞳が猫や爬虫類「なんか」じゃないのだと、今度こそ分かった。

 扉に描かれていた彫刻。それは鰐のように大きく開かれた口。鋭い牙。頑強そうな鱗に覆われた、弓なりに沿った長い首を持つ巨大なもの。胴からは、今に天へと駆け出さんがために広げられた翼。しなる尾が家屋をなぎ倒し、四肢に備わる巨大な爪が人々を踏み潰している。そして、それから逃げ出そうと走る人々の影と、煙を吐き出して崩れゆく城塞。
精緻な彫刻で描かれたそれは子供だってすぐに分かるくらいに明確な、絶望的な1つの「天災」を記していた。

「ドラゴン・・・・」

 暴れる竜。逃げ惑う人々。燃え盛る街。神々しいとすら思える筆致で描かれたそれは、蹂躙の図式。どうして神殿なんて所にそれが・・・・なんてのは愚問だ。巨大な通路に、魔力を封じ込める頑強そうな扉。それから小人の言葉、「英雄殿にお似合いの」。これだけあれば、推測の材料は十分だ。

「・・・・英雄らしい仕事、ね。あの小人も、随分と簡単に言ってくれるよ」

 ここは、この神殿は、封印だ。
この彫刻に描かれた竜を封じ込めるための。そしてその竜は、きっとこの先にいる。
そして、フィーリも・・・・困ったことに、フィーリは間違いなくこの扉の向こうにいるだろう。扉に触れ、そこに渦巻く魔力を肌で感じた今、こればかりは確信できる。

「この向こうには竜がいて、そしてフィーリもそこにいる。
 そして小人があんなことを言ったのは・・・・まあ、そういう事だよな」

 つまり、つまりだ。

「竜退治なんて聞いてないっての、ちくしょう!」

 竜退治。
なるほど確かに、これほどまでに英雄らしい仕事なんてのはない。英雄が旅の果てに竜と対峙する物語や、竜を狩ったが故に英雄と呼ばれるようになる物語。どんな形であれ、竜退治なんてのは英雄叙事詩にはつきもののエピソードだ。
小人は、僕にそれをやらせようとしている。僕とフィーリを同じ場所に転移しなかったのは、僕に「それをやらなければならない状況」陥らせるため。最初からそうだと言ってこなかったのは・・・・。

「最初からそう伝えたら怖気づくと思ったからか、それとも何かやましい事があるからか」

 なんにしても、ろくな事じゃないか。

 あの小人が何を考えて竜退治なんてことを望んできたのかは、まるで分からない。分からない、が・・・・フィーリがこの先にいるかもしれない以上、今さら恐れをなして逃げ帰るなんてわけにはいかない。どうも僕は、癪なことだがアレの望みどおりに動くより他は無いようだ。
けど、僕はあいつのマスターなんだから、迎えに行ってやらないといけない。こんなところで怖気づいて・・・・そんな無様を晒したりなんかしたら、後でフィーリからどんなお仕置きが飛んでくるか、わかったもんじゃないんだから。
そもそも、ここが何処かも知らないんだから逃げ帰ろうにも帰れないし、仕様がない。

 だから、まあ、うん。
 覚悟を決めよう。

「はぁ・・・・いっちょ、やってやりますか!」

 気合い一声。決意を固めて、扉に当てた手に力を込める。
扉を開こう。封印なんて知ったことか。この先に竜がいるっていうんなら、そいつをぶん殴ってフィーリの居場所を聞き出してやる。
そういうつもりで、扉を開こうと力を込めたんだけど・・・・開かないなこれ。

「・・・・まあ、仮にも封印の扉なんだから物理的に開いちゃまずいか」

 気を取り直して、改めて扉の検分をする。魔力を吸って蓄える性質があるから、魔術によるサーチは効果が薄そうだ。だから見て分かる感覚と、さっき扉を開こうとした時の『手応え』から直感的に中身が何なのかを考えてみる。

 まず、魔術による封がされていると考えてみよう。さっき手で押してみた時の、あの手応えから察するに、あれは物理的に閉された扉の返すそれではなかった・・・・と、思う。別に鍵開けの専門家ってわけじゃないから確かなことは言えないけど、経験的にあんな風に「本当の意味でピクリともしない」のは魔術的な封がされている時だと僕の直感が言っている。これを信じて思考を立ててみる。
魔術によてこの扉が閉されているのなら、その魔術を形作る術式が何処かにある筈だ。魔法であれ何であれ、種も仕掛けもなく扉に鍵なんてかけられない。見たところかなり古い扉だし、多分ここにある魔術式は魔法陣か、もしくはそれに類する手段で直接術式を作り出しているんだと思う。術式をなくした魔術は霧散するからだ。

 改めて扉を見る。見た感じ、この彫刻や紋様には封印の意味を持っていない。竜の荒々しさは示しても、それを調伏するような絶対者、或いは竜を捕えようとする様子を・・・・封印を示す「モチーフ」が描かれていないのだ。すると、この扉に鍵を駆けている術式は何処か別の場所にある。

「となると・・・・中、かな?」

 見て分かる所の彫刻や装飾には無かった。ひょっとすると扉の裏面なんかにあるのかもしれないけど、その時は「表側からは開くけれど、裏側からは開けられない扉」になるはずだ。すると残るのは、扉の内側。この見るからに分厚そうな石扉の中に術式があるのかもしれない。

 うん、おおよその当たりが付いた。
なら、あとはやってみよう。それでダメなら別の手を考えればいい。

「宿れ灯し火、トーチフレア」

 短い詠唱で、指先に火を点す。炎の魔術の初歩の初歩。せいぜいマッチ代わり程度にしかならないこの魔術の灯火は、けれど魔術によるものだ。灯った火ごと手を扉にかざすと、指先の火は揺らぎながら扉の方へと引き寄せられて、その燃料である僕の魔力ごとその中へと吸い込まれていった。
吸われるに任せてそのまま炎のあった指先で扉に触れる。まだ魔術は解かない。込めた魔力は灯火に姿を変えるよりも早く指先から扉の中へと浸透していく。吸われゆく魔力を手放さない様に注意しながら、魔力を、扉の内側でフィーリのそれと混ぜ合わせていく。そして混ぜ合わさった魔力を元に・・・・

「爆ぜろ!」

 詠唱は破棄。コマンドとなる呪言に従い、魔力の塊が爆裂する。魔術なんて上等なものでは決してない力技。だけど、こちらと英雄とまで呼ばれる精霊術師とその精霊。その魔力を混ぜあわせて作った爆裂だ。火力が違う。
石扉の内側で起きた力の爆発は、物理的な破壊力を伴ったものではない。けれど唯でさえ高圧に魔力が押し固められていた扉の中ならば、その爆発は周囲の魔力を巻き込み、そこにあった魔力の通り道・・・・術式を、ズタズタに引き裂いて余りある。

 上手くいった。
にやける口元を抑えながら、一歩扉から離れる。
この目の前にある扉は、形こそそのままだけど、もう封印の意味を果たさない。
その証拠に、さっきまでは扉の中に滞っていた魔力が渦を巻いて流れ始め、こちらへ出てこようとしているのが感じられた。

「ん?」

 何か妙だ。流れ出した魔力が、まるで回路を巡るように不自然な、幾何学的な道を辿っている。これは・・・・どうも扉の表面、彫刻と装飾との中に混ざる溝みたいな物を通っている? なんだろう、こうして魔力が通ってるところだけ抜き出して見てみてみると、何かの魔法陣みたいな物に見えなくもない。
そうして流れた魔力は渦を描きながら、壁画の龍の口元に集まって・・・・いや、ちょっと待て。

  ボウッ・・・・!

「ぬわったぁ!?」

 危な!

 集まった魔力は、炎の弾丸となって扉に掘られた竜の口からから吐き出されてきた。危うくマントで防いだが、思わず変な声が出る。フィーリの全力も一応受け止められるくらいの性能はあったはずなんだけど・・・・少し焼け焦げて穴が開いてる。これ、もしも直撃してたらどうなってたんだろう。・・・・ぞっとしない。まったく油断大敵ってのはこの事か。
多分、今の仕掛けは、さっき僕が起こした爆発で封印の術式を押し壊したことに反応してき迎撃機能か何かなんだろう。二発目を撃ってくる気配はない。おそらく扉の中に溜め込みに溜め込んだ魔力を集中させて撃ってきたものなのだろう。閉じ込められていた魔力も、さっきまでのに比べれば随分と薄くなっている。
そして、仕掛けも今ので解けた扱いなのか、魔力を吐き出した扉はさも当然のように音もなく天井へとスライドしていく。

 それと共に、奥から風が吹き込んできた。埃っぽさに交じる、長い間閉じ込められていた濃密な魔力の気配。

「ッ!」

 けどそれは、想像していたものとは違う、見知ったものとはまるで違う「異質」なものだった。その魔力を内包した風は、氷のように冷たく首筋を撫で、全身に鳥肌を立たせ、吐き気すらもよおさせるような、そんな禍々しさを内包していた。外の、今の世界を覆う生温なそれとは全くベクトルの違う、生々しい、怨念そのもののような魔力。この世にある全てを憎み、滅ぼさんとするような、生あるものとはまるで相容れない、ドス黒いなにか。

「まさかこの感じ、旧魔王の魔力」

 僕はこんなものは知らない。けれど、不思議と確信を持ってそれを口にしていた。血に焼きついた恐怖とか、そんな何かが働いたのだろうか?
けれど、明らかに「コレ」は今のこの世界には不似合いだ。本来ならば、もうこの世界に残っているはずのないもの・・・・ひょっとすると、さっきの扉の性質のせいだろうか? 魔力を封じ込める扉で閉されていたせいで、この向こうの空間が魔王の代替わりから隔離されていたのかもしれない。そのせいで、この旧い時代の魔力をそのままの形で百年以上も押し込め続けることになっていたのか・・・・。

「・・・・! だとすると、フィーリが危ない」

 そんな濃密でドス黒い魔力の満ちた空間に、純精霊のフィーリがそう何時間も無事でいられるはずがない。・・・・幸いにも、さっきの魔力とともに流れてきたフィーリの力は、まだ僕の知る温かな彼女のそれのままだ。
決意を新たに、僕は開かれた扉の先の黒々とした闇の中へと、風に逆らって一歩を踏み出した。



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 扉をくぐったその先は、軽く弧を描いて伸びる先細りになった通路が続いていた。いくらか進むと、道を曲がった先からまばゆいばかりの光が溢れだしてくる。さきほどまとは打って変わった嘘のように明るさに、ハールリアはわずかに目を細める。けれど終りが見えたと気を軽くしたのか、彼は歩みを早め、その先に続く空間へと出た。

「よし、着い・・・・た、とっ、危な!?」

 通路から駆けでたハールリアは、慌てて急ブレーキをかけた。つんのめった目線の先に、遥か下に辛うじて床が見える程度の奈落がぽっかりと口を開けている。通路を抜けて数十センチもしないところから先の床が無くなっていたのだ。
またしても危機一髪で何を逃れた彼は、辺りを見渡す。・・・・どうもここは半ば以上を下に掘って作られた広大な地下空間らしい。扉から続く通路はその空間の壁面の、丁度まん中あたりに口を開いていたようで、床面に至るには、壁から突然生えてきたような石の階段で、大きく螺旋を描きながら壁沿いに進むしかなさそうだ。
その途方もなさに、うぇ…、と彼は舌を出して嫌そうな顔をする。

「しかし、不思議なところだな」

 先ほど、通路からも見えていた通り、この広間は明るく照らし出されている。今までが完全になんの明かりもなかったというのに、ここだけはまるで昼のようだ。
その明かりは、どうやらこの部屋の仕掛が発する魔術が放つもののようだ。壁面をざっと見渡しただけでそこには両手では数えきれないほどの数の魔法陣が描かれていて、その陣の中央からは光り輝く魔力の『糸』が闇を鋭く引き裂きながら中央目掛けて撃ち出されていた。そしてその幾本もの光条を目で追ってみると、それらはおおよそ中央のある一点で交わっていて、そこには卵のような歪んだ形状の球体が浮かんでいた。それなりに遠いというのに、はっきりと見えるのは、その『卵』が壁の魔法陣ほどではないにせよ穏やかに発光しており、また巨大であるからだろう。

「あれは・・・・」

 よくよく観察してみると、その卵のような物体は、宙に浮かんでいるのではなく、魔法陣から放たれた光条によって貫かれ、宙空に縫いとめられているのだと分かる。そしてハールリアが更にその内まで目を凝らしてみると、その殻の内側に胎児のような姿勢でうずくまる巨大なシルエットが浮かんでいるのが見えた。光条は、どうやらその影の動きを封じるためにあるようで、光の筋はその輪郭を蜘蛛の巣のように絡めとりながら『卵』を貫いていたのだった。

「あの影がここに封印されてる竜、なのか?」

 状況からそんな推測を立てて、口にした直後のことだ。突然、ブツンと何かが切れたような、あまり縁起のよろしくない音が響いた。ハールリアが音のした方を振り仰いでみると、魔法陣の1つが光を失っている。そればかりではない。その周囲のものもまた、力のない細かな明滅を繰り返していたり、放たれる光条が途切れ途切れになってしまっているのだ。それらの異状をきたした魔法陣は目に見えて増えていき、遂にはまた最初の物と同じ様に大きな音とともに機能を停止させてしまったものも現れだした。応じて、光源を失いつつある広間は少しずつ暗くなっていく。

「あれ、これ、もしかしてやばい・・・・?」
 
 素っ頓狂な、場にそぐわない呑気な言葉が広がりつつある闇の中に溶けてゆく。そうしている内にも魔法陣は力を失っていき、無数に伸びていた光の糸も既に数えられるほどしか残っていない。吊り下げられた『卵』が、歓喜するように一度大きく鼓動を打った。魔法陣の機能停止と共に、封印が弱まっているのだ!

(さっきから、少しずつだけど例の嫌な感じがするのが薄まってる。魔力の濃度が下がってるのか? なら、ひょっとすると魔法陣の機能停止はそれが原因? ああ・・・・そうか、さっきの扉の仕掛け。この部屋の魔力濃度を高く安定させるためのものだったのか!)

 言動とは裏腹に、ハールリアは今の状況を冷静に分析していた。そして、さすがと言うべきか、彼の予想は真実に限りなく近しいものだった。しかし、それは同時に彼の脳裏に一つの事項を浮かべさせる。

「フィーリだけ見つけて、封印とか竜云々はスルーってわけには行かないか。
 ・・・・まあ、覚悟はしてたけどさ!」

 自分に活を入れるようにそう言い放つと、彼は卵へ向けて一息に足場から飛び降りた。ごう、とほんの一瞬風を切る。だが無論、勢いよく飛び出したところですぐに重力に捕まり、彼の体は背中から地面へと落ち始めた。そのまま数秒とせずに墜落・・・・とは、ならなかった。

「爆ぜろ炎よ、ボム・フレイム!」

 落ちるハールリアが高速で紡ぎ出した術式は彼の背に魔法陣を浮かび上がらせ、轟音と爆炎を撒き散らしながら爆裂した。それは先ほど扉に対して使ってみせたようなちゃちな物とはまるで違う、膨大な熱と衝撃を伴うもので、その力はまるでカタパルトから石を放つかのようにハールリアを再び宙へと押し上げる。
衝撃とともに炎熱が彼の体に巻きつくが、しかしその炎は彼の体を覆うマントに防がれ、ハールリアまでは届かない。

「こちとら、お城のてっぺんから飛び降りた事だってあるんでね!
 そーれ、もう一発。爆ぜろ炎よ、ボム・フレイム!」

 悪戯に興じる子供のようにワクワクと目を輝かせ、再び彼は宙空へと飛び上がっていく。一度目の爆発で元の高さまで、二度目で今度は飛び降りた地点よりも高くなった。軌道も修正され、彼の体はまっすぐに『卵』へと落ちていく。
魔術の光条による封印は既にそのほとんどが消失し、卵は今にも地に落ちそうで、殻も明らかに薄くなっている。

「まずは一撃!」

 ハールリアは空中で身を捻り、剣を抜き放つ。柄頭に紅玉が埋め込まれた、銀に輝く長剣を。落下の勢いを込めて、彼はその剣を真っ逆さまに卵へと突き立てた。すっかり薄くなった殻は呆気なく砕け散り、剣は勢いそのままに丸められた龍の首筋を・・・・穿てない、相当な力がかかっていたに関わらず、龍鱗はその数枚が砕けただけで刃を堰き止めていた。

「硬っ・・・・!? っと、と、風よ大気よ集い柔らかに母の手となり我を包め、エアー・ウォールver.ふっくらやわらか版!」

 弾かれたハールリアは、そのまま地面めがけて落ちていく。今の一撃で幾らか勢いを減じたとはいえ、まだ人を殺すには十分に過ぎる。短い残り時間で、ハールリアは早口に詠唱を終えて魔術を発動させた。編まれた術式は周囲の空気をかき集め、彼の体を取り巻くクッションへと変える。
直後、いよいよハールリアは墜落したが、その衝撃は固められた空気の壁に大きく和らげられて、彼の体を数回バウンドさせる程度に収まった。

「くっ、痛た・・・・あとちょっと腕のところ火傷したなこれ。
 やっぱり僕一人だとコントロール精度が落ちるかあ。まあ、ぶっつけ本番としては悪くなし。もうちょっと高くても行けそうだ」

 まるっきりいたずらを成功させた子供の顔をして、ハールリアは満足そうにそう言った。ぱしぱしと手足の焦げあとをはらいつつ、舞い上がった埃を魔力の風で吹き飛ばす。
着地というにはいささか無様ではあったが、それでもハールリアはあの高さから五体満足に降りてきた。それも、効果のほどは分からないが竜に先制の一撃まで与えて。
今の数秒の内に、既に明かりの付いた魔法陣は片手で数えられるほどまで減っていた。殻を失い露となった竜の巨体は、ついに支えまで失い始めて、もはや右半身は重力に引かれるままだらりと地を向いている。

「さて、いよいよ封印も限界か。フィーリは・・・・これだけ騒いで来ないって事は気絶してるか?」

 ゆっくり探している暇は無さそうだと口に出さずに言葉を呑み込んで、彼は再び剣を構える。その眼前で、ぶつりと鈍い音とともに封印がついに破れた。解放された竜の巨体が落下し、轟音と砂埃を撒き散らすとともに大きく地を揺らす。
その中心へと、ハールリアが駆け出した。短い詠唱、火花のような魔術文字が刀身に浮かび、焔となって吹き荒れる。舞い上がった埃が燃え上がり、その明かりが竜の姿を照らしだしていた。
14/03/15 01:09更新 / 夢見月
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■作者メッセージ
ずいぶんと遅くなりました。
また、少しずつ先に進んでいこうと思います

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